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プロフィール
コメント数 3874
性別 男性
年齢 53歳

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【製作国 : デンマーク 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  ダンサー・イン・ザ・ダーク 《ネタバレ》 製作者の意図がどういうところにあるのかは知りませんけど、私の目に映った本作は、ミュージカル映画というよりは、アンチ・ミュージカル映画。ミュージカル映画ってのは、良い意味で「おバカな」映画なのであって、つまりそれは、我々がついつい日常に流されるのにクギを刺す、非日常的言語の典型であるはず。一般に「映画」は、いわば断片のモンタージュ的積み重ねでありながら、我々は、どうしても映画のもつ「物語性」の強さに支配されがちであり、断片が断片であることも忘れてしまう。“表現としての映画”という捉え方ではなく、表現される対象そのもの(物語)を、映画の中に無闇に求めちゃうんだね。その代表が何を隠そうワタシなのだからしょうがない、あははは。そこで登場するのが、例えば、ミュージカル。登場人物が“リアリティ”などそっちのけ、歌って踊って、日常の延長としての物語性を解体し、物語が醸し出す生活臭をぶっとばす。軟弱なワタシの目を多少なりとも覚ましてくれる。さて一方、この本作。いささか現実離れはしているものの(かなり無理矢理な“悲劇”)、感傷的という意味では日常性の強いこの物語、その流れを必ずしもミュージカル場面が食い止めきれていない。これなら確かに物語には浸れるけど、では何のためのミュージカルなのだろう? 物語部分はハンディカメラの揺れる映像、ミュージカル部分は固定カメラという、判り易い色分けの中で、主人公が最後に歌う場面では、固定カメラではなくハンディカメラ。成る程、ではこの場面は、主人公の空想ではなく、「実際に」歌ったのだろう、と思う。そして私には同時に、「ミュージカルが物語に打ち負かされ、物語性に染め上げられた」ことを象徴する場面にも見えてしまう。つまりは、アンチ・ミュージカル、なワケですな。まーそもそもこの映画自体が、ミュージカルに憧れるオバチャンが挫折する物語、なんだけどね。こういうのも、ひとつの映画のあり方かと、結構興味深く拝見はいたしましたが。しっかし、「失明する」という主人公の大事件ですら、その描写に映画らしいコダワリも見られず、物語を支えるひとつのパーツになっちゃってるのが、どうも物足りない気が。まーこれも、息子の目の手術に映画のポイントを置いたという点で、しょうがないのかも知れないけど・・・[CS・衛星(字幕)] 7点(2007-05-04 21:47:00)

2.  ダーク・ブルー 『コーリャ 愛のプラハ』が強く印象に残ってるヤン・スヴェラーク監督が、戦争モノを撮ったというので、意外に思いつつ観たら、これがスグレモノ、実にリアルで見ごたえある空中戦が展開されます。確かに、宮崎アニメを実写化したらこうなるんじゃないか、という感じです。この映画では後日談が最後ではなく、最初に紹介されますが、これはもしかすると、背景の事実は本国でもあまり知られてないことなんでしょうか。その背景に対し、主人公の徒労のような恋愛がさらにオーバーラップしていて、何とも切ない話になっております。8点(2003-09-14 00:27:24)

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