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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
261. 味園ユニバース 《ネタバレ》 なんかハッキリしない映画。いや、判りやすいマンガ的、記号的なセンを避けているんでしょうけれど。 作品世界も登場人物も曖昧で、脇キャラに至るまでボンヤリした描写で、全てが「そういうリアリズム」を逆に意識しまくったような作りに思えてしまって。 赤犬の面々にしてもこの映画の中では「最初からそういう存在」という描かれ方をしているだけで、何の魅力も語ってはいませんから、そこにこの映画ならではの価値を見出す事ができないんですよね。 そしてそれは主役であるポチ男も。渋谷すばるはその危なさを見事に表現しています。でも、その危なさは結局のところ最初から最後まで変化する事なく、そのキャラはそもそも彼が元から持ってるものなんじゃないの?って気がしないでもなく。 「クズがただクズです」 内容はそれだけなんですよね。記憶喪失から過去の自分を思い出して、じゃあそこからクズなりのオトシマエを付けるかっていうと、この映画はそこも目指さない。 大きな変化がありそうなクライマックスでの超展開なんて、あれ、こちらは脳内で行間を埋められませんし。あそこ以降は実は夢です幻覚ですくらいに認識した方がいいのか?って感じですが、それにしては描写があくまで三人称状態ですしねぇ。 「味園ユニバース」である事の意味も感じられず、つまり地域性に対するこだわりなんかも意図的に回避しているように思えて、じゃあ、この映画は結局何がしたいんだ?っていう。 状況の、意識の、ほんのちょっとした微妙な変化を感じ取ってくださいね~、って感じ? 個人的にはこの素材で、もう全く違った表現法で見たかった気がします。意識して挫く、はぐらかす、寸止め、みたいなのが繰り返され続けるの、タマ子にならいいのですが、ポチ男にはキツいわ。[映画館(邦画)] 5点(2015-02-27 23:50:25)《改行有》 262. ソロモンの偽証 前篇・事件 《ネタバレ》 んー、これ、一本にできませんでしたか~? 前篇って、本当に前側部分だけ。起承転結の起承部分だけ。なので何も解決せず、とっ散らかったまんま終了。一本の映画として語れるモノになってません。とにかく後篇を見ないと話にならない状態で、このサイトの禁止事項「途中で寝た」ってのとあんまり変わんないレベル。コレだけにフルプライス払うのはどうなんだろう?と。まあ、試写でタダ見しておいてアレですが。 まず、なかなか気持ちが乗ってゆかないんですよね。中学生達にしろ大人達にしろ存在が自然とは程遠くて作られたキャラという印象で。正直、かなりヘンなキャラいっぱい。森田芳光監督の『模倣犯』も同じような印象を抱きましたが、宮部みゆき作品って大体こんな? それに、演出にホラーっぽい箇所が結構あって、中学生をバケモノみたいに描いていたりして、そういう描き方は違うんじゃない?と思うのですが、それは後篇のための何らかの意味ある表現だって事なんでしょうかねぇ。これ一作でそれを判断できるレベルにないって時点で一本の映画として満足のいく状態に到達できていないわけですが。 役者さん達はいいです。特に生徒役のコ達は個性的で。ただ前記の通り、ヘンな味付けがされている役が多いために、勿体ないなぁ、って感じがして。妙なテンションやホラー演技が過剰に加味される事でこことは違うどこかの人々を見ているような感覚になります。 学校や警察、マスコミに不信感を抱き、傷ついた中学生達が自分を納得させるために裁判で真実を追求しようとするあたりから映画はやっと面白味を見せ始めますが、そう、『後篇・裁判』とあるようにここからが本題というところで終わりますね。 どうも狙いどころがハッキリとしない、思わせぶりなばかりの2時間、後篇が前提となり過ぎていて、単純にシナリオを真ん中で切っただけなんじゃ?みたいな印象を持ちました。続編で「なるほど!」と膝を打つ事になればいいのですが。[試写会(邦画)] 5点(2015-02-24 00:23:09)(良:1票) 《改行有》 263. くちびるに歌を 《ネタバレ》 脚本はちょっと音痴な気もします。 原作由来なのかもしれませんが、色々とドラマを盛り込み過ぎ。特に先生がピアノを弾けなくなる原因となった過去のエピソードは定番過ぎちゃってて。この監督の過去作品にも同じネタが登場してますし。 女子生徒のモノローグで始まりながら先生のモノローグで終わるという構成もツッコミどころ。 だけど、今の日本の風景の美しさを切り取り、ドラマの中に生かしてみせる三木監督の手腕がここでも存分に発揮されています。青い海、五島列島の美しい島影、人々の暮らす家並み、そこで生きる中学生達の生が、その風景の中に溶け込んで。 海、船、汽笛、風といったキーワードとなる要素が元となった『手紙~拝啓 十五の君へ~』という歌の持つイメージを大切にしていて。 そしてもちろん、十五歳なりの苦悩、切ないドラマがあって。 キャラ的には、ずっとご機嫌ななめ状態のガッキーも良かったのですが、何と言ってもソプラノの少年、彼が全部持っていっちゃったような感じで。彼のあどけなさと彼が抱えたものの重さとのギャップに胸が痛く、ずっと彼を中心に映画を見ていました。 これまで何度か「今の日本の風景を捉えた青春映画」が大切、ってレビューに書いてきましたが、三木監督は今、最もその理想を表現している監督だと思います。 「今」から「明日」へと向かって進む道を示したこの映画、監督の真骨頂が発揮された作品でした。[試写会(邦画)] 9点(2015-02-19 23:04:44)(良:1票) 《改行有》 264. 百円の恋 《ネタバレ》 試合後、鏡でボコボコになった自分の顔をしばし見てから部屋を出るシーン、あそこで終わってくれ、頼むから外で男や家族が待ってたりしないでくれ、って思ったんですけどねぇ・・・ ほら、泣いて弱さを見せるのは「世界一まずそうなステーキを食べるシーン」で一度やってるわけじゃないですか。あそこだけでいいんじゃないんですか?と。 1つのドラマとして結論付けて〆ておきたかったのかなぁ。そこが個人的には残念。 でもね、やっぱり安藤サクラが凄いんですよ。 『ペタル ダンス』やNHK『野田ともうします』での普通なカンジから『その夜の侍』や『愛と誠』でのかなりヘンなカンジまで自在にこなして、今、最もカッコいい女優だと思ってるんですけど、これはその集大成みたいな作品で。もう冒頭のダルダルな状態からクライマックスの闘いまでめちゃくちゃカッコいい。 妹と喧嘩して寝巻のまま家を飛び出した、そのパンツ透けてる大きなお尻のみっともなさから、闘争心剥き出しにしてリング上の相手に向ってゆくまで、クズな男ども(ホント、この映画、登場する男は全員クズっていう)をぐいっとねじ伏せてゆきます。 クズの中でのたうちまわって這い上がる美しき女神、こんな役、他に誰がこなせるでしょう? 映画の、70年代の安っぽい邦画風だったり、安直な『ロッキー』や『ランボー』のパロディみたいになっちゃってたりする部分までも救済してしまう存在感。 昔から「脱いでぎゃーって叫んでれば評価されちゃう日本の女優」みたいな風潮はありましたが、彼女こそは脱いでぎゃーって叫んで圧倒させる本当に凄い女優。凄まじいプロ根性ではありました。[映画館(邦画)] 8点(2015-02-11 23:23:08)《改行有》 265. マエストロ! 《ネタバレ》 脚本にはアラが目立ちます。特にクライマックスの2日目の公演については脚本上、上手に処理しきれていない部分だらけ。ポスターに2回公演と明記されながら2日目のチケットが販売されなかった事の不自然さは、携帯からネットでの口コミが見られる世界として描いてしまった以上、一発で判ると思うのですが。 その2日目の公演にしても天道のエゴばかりが先走った上での到達点のように思え、結局彼は自分のためだけの音に執着し続けただけのキャラのように感じました。 ですが、音楽に真摯に向き合う姿勢はきっちりと伝わってきました。人が奏でる「音の見せ方」がとても上手いと思います。その音がどういう背景から紡ぎ出されてゆくのか、楽器が人と音との間に存在していかに芸術に昇華されてゆくのか。 音をただサウンドトラックに記録されスピーカーから再生されるものとしてだけでなく(音響設備がそれなりに良いハコで見たので、そのプロの音のみでも十分に圧倒されるのですが)、ビジュアルとしてスクリーンに描く事について、この映画は真面目に取り組んでいました。 「音楽って素晴らしいものなんだよ」という単純な話、でもそれが人の心から生み出されてくるものであるという当たり前でありながらそこに思い至る事がなかなか無い事を改めて認識させてくれる映画でした。そして、その音を生み出す「人の心」に説得力が感じられたのは、やっぱり役者さん達の好演によるものだったと思います。もちろんその音は彼らが実際に演奏した音ではありませんが、心地良く騙してくれました。[映画館(邦画)] 7点(2015-02-04 22:55:09)(良:1票) 《改行有》 266. 劇場版 PSYCHO-PASS/サイコパス 《ネタバレ》 今の国産アニメで私が嫌いな部分ばかりで作られたようなシロモノ。 世界設定も状況も人物関係も感情も声優の大量のセリフによって説明され、それが作品の大半を占めている状態。絵はちっとも世界を語っていません。キャラクターの表情は硬直し、記号化されていて、物語はポツリポツリとしか転がらず、最後まで見て何の新鮮味もない空疎な物語の姿が現れるばかり。 テレビシリーズで既に出来上がった世界を元にして、そこから更なる発展的なものにしようという意識が薄いのか、機械によって管理された状況から最終的にさしたる抵抗も変化ももたらされず、そのテーマは完全に膠着しているように思えます。 そんな世界から見えてくるのは作り手と受け手の間で閉塞された世界。ただその世界が好きな人達がいつまでも世界を弄んで楽しんでいられれば満足、みたいな。そこからの脱出とか破壊とか、そういう意識に向う事が無いのは、やっぱり商売にならないから、なのでしょうか? おたく向けアニメ映画というと特典商法がつきまといますが、これもその例に漏れません。意識の低いものがグルグルと流通するサイクルが出来上がった世界。 人体が破裂して死ぬグロテスクな描写が頻出しますが、これをメインキャラクターでやってしまうくらいの容赦ない世界なんてモノは(それやっちゃうのは富野御大ですな)、誰も望んじゃいないんでしょうね。ハードなようで実は馴れ合いまくりでヌルいのが今の日本のアニメ。[映画館(邦画)] 3点(2015-02-01 22:51:29)《改行有》 267. ジョーカー・ゲーム(2015) 《ネタバレ》 予告編を見た限りでは、もっとシリアスな映画だと思っていたのですが、タイトルバックがバカ臭さ丸出しだったので(カッコつけまくった映像もバカっぽかったのですが、そもそも日本映画なのに英語で役者名やスタッフ名を出す映画は大抵バカ臭い映画ですね)、これは「そういう映画」なんだと早々に頭を切り替える必要がありました。 でも結局最後までそのバカ臭さを受け入れる事ができず。 スパイものとして致命的なのは主人公がヘボいんです。情に弱いスパイだと語られておりますが、それ以前に公私の区別が付けられず、任務をマトモに遂行する能力が無いお馬鹿さん。で、脚本がそのお馬鹿っぷりに合わせるようにヌルく作られているので、大変に腑抜けた映画で。 クライマックスなんて「偶然」や「運」に助けられまくる状態で、そんなモノに一体なんのサスペンスが生まれるっていうんでしょ? 馬鹿がテキトーにやっても補正かかって生き延びられる世界ではサスペンスなんてものは無効ですからねぇ。 で、そんな弛緩した世界で音楽だけが大仰にサスペンスを盛り上げようと必死なものだから可笑しくて。画面と音楽とがまるで調和してないの。 基本的には大変にヌルい娯楽映画でした。後々カルトな人気が出そうなニオイを漂わせつつも、そこにちっとも手が届かなかったのはバカ臭いなりの尖った個性を持たせる事ができなかったからでしょうか。アクションにしろ衣装にしろガジェットにしろ「この時代設定にこの題材ならばこの程度」という枠の中でしか物を作れなかったような感じが漂っています。どこかしら突き抜けていれば、まだ面白くなったと思うのですが。 それにしても政治的に危ない題材がポロポロと出てくるあたりは誰かを刺激したいのか、それとも無自覚にやっているのか。大戦当時を舞台にしたフィクションだけれども、今に直結している事柄が色々あって「娯楽映画だから」って逃げられるレベルのモノかなぁ?って。「完全に日本国内のみで完結させる映画」として作ってるのかしら?[映画館(邦画)] 4点(2015-02-01 22:18:39)《改行有》 268. 映画 ST赤と白の捜査ファイル 《ネタバレ》 ドラマ版は第一話をなんとなく見て終了状態だったのですが、映画版、面白かったです。ひたすらキャラものとして。 【以降、映画の仕掛けそのもののネタバレになりますのでご注意を。】 脚本的には結構無理があって。そもそも赤城が逮捕され脱獄し追われるという展開にかなり無理があるので追う方の警察がひたすら無能&お遊び状態に思えてしまい。そこにもちろん裏がある訳ですが、それを事前に100%把握していた人間はごく一部なわけですから、やっぱり無能&お遊びは否定できないんですよね。 それに犯人が犯行の妨げになるSTの解散を目論んだ、っていう設定も疑問。STさえ存在しなければ捜査能力が低下するなんて考えるものなのでしょうか? 大体、ウィルスソフトをばら撒いてワクチンソフトを売りつけるって、そもそも商売として無効化するのが明白なので誰も入札しないんじゃ? で、だけどキャラが面白くて。赤城・百合根コンビのバカみたいなテンションはアリだと思いましたし(ドラマはあまり見ない私ですが、日頃映画でお馴染みなお二方なわけで、この二人のハイテンション演技が楽しく)、STメンバーや脇キャラも個性的で楽しく。途中、道中を共にする事になる女の子の毒舌っぷりがまたいい感じ。 ユースケ・サンタマリアは毎度のつまんない演技してて、この人ってこんなのしかできないの?とか思っちゃいましたが。 サスペンス映画としてはともかく、キャラものとしてかなり笑わせてもらったので見終わってスッキリ爽やか。なので甘い評価になりました。テレビシリーズをちゃんと見たい感じ。 それにしても、この監督さん、『ガッチャマン』ではなんでこの感覚が全く出せなかったんですかねぇ? 『ガッチャマン』こそはキャラものの基本中の基本ワールドでしょうに。[映画館(邦画)] 7点(2015-01-25 23:03:44)(良:1票) 《改行有》 269. アップルシード アルファ 《ネタバレ》 『ベイマックス』を見て「日本のアニメ終わった」って書いた人が話題になりましたが、私は「だったらそれ以前にとっくに終わってるんじゃ?」みたいに思いました。『ベイマックス』は日々進化する洋アニメーションの単なる1つの到達点で通過点ですもんね。日本のアニメは日本のアニメなりの市場を作ってて。でも、じゃあ日本のアニメそのままでいいのか?っていうと。 最近の日本のアニメは「設定や状況をひたすらキャラが喋りまくって説明するだけ」で物語は古臭い、変わり映えしないものがおざなりにくっついてるようなモノばかり。作る側と見る側が閉塞された世界でオナニーしてる状態。そんな中ではこの映画は物語がまだ、少しはあるだけマシ。 日本のアニメって原案の作者や脚本家と声優が作ってるんですね。アニメーターはアニメーション作ってない。日本のアニメの表現形式はこうですよ、っていう定型フォーマット状態で記号化されたキャラを描いているだけ。大して表情が変わらない、固定された顔で表現され、感情は全て声優が表現してます。音声消すとキャラの感情見えないっていう。能や文楽は動きで感情表現してますから別ですね。 この映画はフルCGで描かれていますが、シリアスな物語だとこういうCGです、っていうそこからはあまり魅力を感じられません。なんでこういうモデリング方向にしか行かないのかなぁ? 不思議で仕方ないです。やっぱり表情は固まっていて結局ドラマ作りは声優頼りになっているんですよね。 物語の鍵を握る少女の存在が切ないドラマを作っていて、そこは良かったのですが、でも、絵で見せてくる感じは薄くて。 声優の力に頼らず動画の力を見せるという点において宮崎駿や高畑勲は正しいのだろうな、と思うのですが(個々の作品の出来やその手法はともかくとして)、アニメファンがそれを求めず、現状がいいというのでは、まあ、やっぱり傍から見たら死んだと思われても仕方ないのかな。[映画館(邦画)] 5点(2015-01-25 22:13:14)《改行有》 270. アゲイン 28年目の甲子園 《ネタバレ》 いい話なんですけれど、でもあちこちひっかかってしまうところがあって。減点法で評価しちゃうとキツいわ、みたいな映画。 出場辞退になった時のメンバーの28年後の話だと思ったら、その時のメンバーはたった3人(少なくともハッキリそう判る人は)。あとは他の時代の人々。肩透かし。いや、マスター甲子園ってもののルール上、そうなってしまうんでしょうけれど。 で、出場辞退になった原因のエピソードに深い秘密があるのかと思えば今から40年前の青春ドラマみたいな話で。結局殴ったんじゃん、みたいな。全体を支配する昭和臭。 地区決勝をクライマックス化しちゃってるので、そこから先が蛇足状態で、なのにその時点で未消化エピソード大量で描く事は沢山。ダラダラと続いてバランス悪い悪い。 中井貴一の娘のエピソード、切符を投げ捨ててからラストのキャッチボールまで飛ぶわけですが、観客にその行間を補完させ過ぎ。あそこまで突き放して、なお甲子園まで出てくるまでの流れに説得力を与える事を放棄しちゃってます。 人生の曲がり角を過ぎた人間に、止まった時間を動かす、まだやれる事、諦めない事を示す内容は良かったと思います。 せっかくのフィルム撮りもちゃんとフィルム上映できれば良かったんでしょうけれど、世の中さっさとデジタル上映に移行して、デジタル化されてしまうとフィルムの優位性が死んで粒子感キツいばかりの映像になってしまいますね。 そんな要素も含めて、なんだか前向きなテーマのハズなのに、随分と後ろばかりを向いてるような感じがしてしまう映画ではありました。[映画館(邦画)] 6点(2015-01-25 20:29:05)《改行有》 271. バンクーバーの朝日 《ネタバレ》 なんだかボンヤリした印象の映画。何が問題かって、明るい画でアップの多い高畑充希の表情は印象に残るけれど、肝心の主人公を始めとしてチームメンバーの表情がちっとも印象に残らないという。見終わってみて多くがカオナシ状態なんですよ。 引きの画が大半を占めていて(カフェの中で高畑がみんなに語るシーンでチームメンバー全員をシネスコフレームいっぱいに収めているショットなんか、よく撮れてるというよりは作為に過ぎる感じ)、その上暗い画面が多く、ここ一番の表情が存在していない状態。妻夫木聡はリアクションの薄いキャラとして描かれていますから、更に存在が薄く感じられます。 自分を殺して一歩退いたところで生きる事こそが日本人の美徳である、とばかりに受け身な人々の生を一歩退いた視点で描いているような感覚を受けて、あーコレもまた被害者意識の強い過去の日本人映画なんだねぇ、と。それ、昔からなんか少しでも進歩してる? この監督、『舟を編む』以降、随分とつまんない監督になっちゃった感じがして仕方ないんですけど。優等生的な映画を撮っていたいのかな? 対象から腰が引け過ぎてるんじゃないかなぁ。[映画館(邦画)] 5点(2015-01-04 00:26:07)(良:2票) 《改行有》 272. アオハライド 《ネタバレ》 男が女々しくて優柔不断で決断力がまるで無いためにヒロインが振り回される、っていうのは最近の少女マンガ原作の映画のパターンで。もうダメ男ばっかり。世の女性達はそんなんがいいの? で、これもそんな話なのですが、でも、ちゃんとその女々しい男の話に向き合って作られてる感じで。 目が印象的な映画です。まるで目力のある役者ばかりを選んだかのように、目が映画を語る重要なアクセントになっていて印象的。 見つめる、逸らす、泳がす、伏せる、見つける、目撃する、読む。 目が多くを語り、視線が絡む事で動き出す物語。 それからこの監督の良さ、生きた日本の風景を捉えるところ。『ソラニン』や『陽だまりの彼女』と同様に今回も風景が生きていて映画の空気を作り出しています。後半の舞台となる長崎の美しさ、そして小川にかかる橋とその先の坂という地形を、洸の抱えた心の傷に反映させる巧さ。 三木監督はこの国に生きている人の姿をキレイに捉える人だと思います。 青臭い話ではあるのですが、それこそがタイトルにかかっている「青い春に乗る」世界なわけで、その青い時に、それぞれが抱える悩みや痛み、想いを上手くすくい取った作品でした。[映画館(邦画)] 7点(2015-01-01 22:43:47)(良:1票) 《改行有》 273. 海月姫 《ネタバレ》 マンガが原作ならばこういう描き方でいいでしょ?っていうのがハッキリ見て取れてツラいです。 リアリズムを廃したギャグ映像が生身の人間によって演じられる事で上滑りし続け、それはドラマを織り成してゆく事を阻害して。最終的にはとっ散らかったエピソードの羅列で終わる映画。 まず、デフォルメされたオタクの生態を笑うばかりで、その才能をあまりプラスとして描いてない、みんなで協力して、なんてところも各人の個性を活かしておらず、単なるオタクからの脱却こそを是としているばかりな点で、それでいいのかな?と。 ファッションショーの成功をクライマックスに据えた事で、結局「キレイに着飾った渋谷系のお嬢さんこそが正義」になってるんですよね。メガネ取ったら美人っていうアレをここでも繰り返していてセンスがとても古いです。 で、オタク状態では地味で、ドレスアップするとキレイって落差を話で見せていても実際のビジュアルで見せきれてない、その差を劇的に感じさせる事がちっともできていないのがまたダサくて。能年ちゃんをキレイに見せてるつもりのビジュアルは、本当にそれでいいのか?というカット多数。どう見てもホラーっぽいライティングまであるし。 説得力なんてモノは皆無で(ファッションショーのせいで政治家のパーティに誰も集まらないという理屈が一体どうしたら成立するのか、論理的に説明して貰いたいもので)、ならばせめてエピソードやキャラクターで楽しませて貰いたいものなのですが、類型的で(相手を酩酊させてベッドの写真を撮るって、つい最近他のマンガ原作映画で見ましたが)空虚な世界が広がるばかり。せめてせめて『三国志』や鉄道や和物やじじいの魅力を少しでも見せようよ・・・ それでもクラゲの魅力だけは幾分醸し出されていた感じで、クラゲがモチーフになった部分はなんとか楽しめたような、そして、キャラの多さでなんとか退屈さだけは免れたような。女装男子の蔵之介に救われてたかな。どう見ても男でしたが。 クレジット見るまで気付かんかったわ!って池脇千鶴や篠原ともえはおろか、能年玲奈の個性までも殺し気味なコスプレ映画ではありました。[映画館(邦画)] 4点(2014-12-28 22:43:20)(良:1票) 《改行有》 274. 薔薇色のブー子 《ネタバレ》 ただのネタ集映画なので、もう少しちゃんとまとめて欲しいなぁ、と。 一応、物語的なものはありますが、発展的なものというわけではなくて、動機と結論だけがあるのみ、みたいな。もちろん、その間に挟まっているのはただのネタ。 さっしーのキャラが統一されてません。どういうコなのかが見えてこないの。天然系なのか、受動的なのか、巻き込まれやすいタイプなのか、行動力あるのかないのか、とにかくネタの内容によって性格が変わります。最終的にどことなく魅力的に見えてくる、とかいう事がなくて、結局さっしーの演じたネタキャラです、で終わってます。なのでスタイル的には一応成長物語のように見えなくもないのですが、一人の人間としての個性が存在していないために成長もへったくれもなく、ただの動機と結論でしかないのです。 ネタもデパートの来店記念ネタの繰り返しなどはクドいばかり。繰り返しならば最終的なオチがあって然るべきだと思うのですが、ちゃんとオチてました? ただただネタをタレ流せばそれで成立する、って程度の考え方なんですよねぇ。 その上、ネタとしてすら成立してない、そこはキチンとしておこうよ、ってものもあったり。さっしーが無理心中に巻き込まれてボートから池に転落するエピソード、先に金づちだと言わせておきながら普通に自力で池から上がってます。金づちである設定の意味は一切ありませんし無理心中のオチも存在していません。 投げっぱなし、散らかしっぱなしでちゃんとオチ、サゲを付けないのは福田監督作品の悪いクセ。 物語的に父ユースケの存在がアレなので、ごくごく狭いところで閉じてしまうわけですが、それもなんか浅い映画という感じです。そんな取って付けたようなメッセージが必要なんでしょうかねぇ? ネタをいかに笑えるか、というのがポイントの映画で、でも笑えないネタが多数を占める状態ではさっしーファン以外にはちょっとキツいなぁ、って感じ。いや、さっしーファンもこんなんで楽しめるのでしょうかねぇ? もう少しさっしーの魅力を引き出してあげた方が良かったんじゃない?とも思うのですが、元々コレこそがさっしーの魅力なんだ!って事だったら、すいません。[映画館(邦画)] 4点(2014-12-16 23:24:56)《改行有》 275. 楽園追放 -Expelled from Paradise- 《ネタバレ》 手描きとCGとの境目が判らないくらいのアニメアニメしたCGが良かったです。露出度高いコス着たヒロインがメインの萌えアニメだけどね。 でも、映画としては微妙。物語が転がらなさ過ぎなんですよね。映画全体の7割が「物語」ではなくて「説明」。世界の設定とかキャラ設定とか状況をひたすらキャラに説明させるための会話で埋め尽くされた映画。会話シーンタップリ、物語自体は敵?の正体含めてとても単純。登場人物少な目、水増し感ハンパないです。 クライマックスの戦闘シーンでやっとこさ話が転がってゆく感じがしますが、そこまでの体感時間の長いこと。アニメなら当然絵で世界を語って頂きたいところですが、映像は殆どヒロインのおっぱいやお尻やメカにしか興味がないような感じで。 もっと登場人物を増やして広がりを見せないと、その人類全体レベルの大規模な設定に対して実感できる世界が狭過ぎな感じがしてしまいます。何しろ2人と1台以外はその他大勢でしかありませんでしたからねぇ。 あとヒロイン、幼いのは外観だけのハズですが、実際の行動やメンタリティもかなり幼く思えて、とても優秀なエージェントには思えませんでした。結局はリアリズムよりも萌え優先なんだなぁ、って。 『インターステラー』と結構ネタカブリしてますが、それはつまりどちらの映画もSF設定に新鮮さは無いですよ、って事で。 国産アニメの絵柄を見事に表現したCGと共に、原作無しのオリジナルアニメ映画として出てきた、ってところは評価できる部分なので、あとは設定や脚本に目指すべき高みを見据えて頑張って頂きたいところです。[映画館(邦画)] 5点(2014-12-14 00:54:20)《改行有》 276. 宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 《ネタバレ》 現代風にクリーンナップされたガトランティスの艦船とか、斉藤始やサーベラー登場とか、ここで『新銀河誕生』か!とか、そういう古びたヤマト世代をときめかす数々の小ネタはいいんですけど、でも映画としては志が低すぎてしまって。 『宇宙戦艦ヤマト2199』全26話を見ていてナンボです。いきなりこの作品から見て面白いか、或いは旧『ヤマト』を知っているなら面白いか、と問われればNO。完全に一見さんお断り。 今回の映画で描かれるエピソードは新シリーズの設定、エピソードから派生しているものばかりで「あのキャラと関連がある」「あのエピソードとシンクロしてる」というのが判らないままに見ると意味不明な箇所だらけです。 物語自体が全26話で完結している、その途中に起きた話となっているので単なるサイドストーリーの域を出ません。 で、ならばせめて密度のある、濃厚な物語を期待したいところなのですが、今回のキーとなる桐生美影がガミラスのバーガーの恋人に酷似しているという設定は単に謎解きのための都合のいい、それ以上には意味のない設定だったり、美影の父の死や斉藤始との関係が結局放置されたり、沢村とメルヒの関係が別にそんなに近いものには思えなかったり、色々と雑です。 特に大和ホテルに閉じ込められてからの停滞感は結構見ていてシンドく。「そういうミステリー的なモノは別に『ヤマト』で見たいとは思わないし」というのは14話でも思ったのですが、それを受け継ぐような形で映画でやられてしまうとキツいです。そこは好みの問題でしょうけれど、でもやっぱり『ヤマト』なら戦いの中でのドラマが見たいです。 こうしてまた『ヤマト』の新作が見られるというのはとても嬉しいのですが、いかんせん「映画」を見ている感覚に乏しく、その「知っていて当たり前」ばかりで構成された作品はテレビスペシャルの如き世界。 広い層を楽しませようという意識がとても薄い作りになっているという点では、今までの全ての『ヤマト映画』の中で最低だと思います。もう少し高い志を持って「映画」という表現に臨んで欲しかったと思いました。[映画館(邦画)] 5点(2014-12-07 00:30:03)(良:1票) 《改行有》 277. トワイライト ささらさや 《ネタバレ》 画はキレイなカットがいっぱいあって、あのミニチュア風の風景(実景の中央部分だけピントをハッキリさせて周囲をボカすとああ見えるという、iPhoneアプリでもカンタンに撮れる技法です)も味があって。でも、あのエフェクトに大して意味は無かった気が。 で、問題は音痴な脚本や演出。 感動させたいのならば、話がブレてしまうのはいけません。 大泉洋のモノローグで始まり、終わる映画ではあるのですが、映画本体はほぼガッキーの映画です。ガッキーが義父の目を逃れてささらでの生活を送ってゆくっていう。それがクライマックスに突如として大泉の映画になっちゃう。あのね、そこまでは観客の視点はガッキーに寄り添ってたと思うの。そこでいきなり大泉の方にシフトしたところで、じゃあ素直に感動できますか?ってハナシで。 常に大泉がガッキーに寄り添っているっていう、そこが感じられないの。大泉視点から外れちゃうの。中途半端な群像劇に突入する事で更にブレが生じて、その上、義父の素っ頓狂な行動で殆ど意味不明ワールドに突入して。 クライマックスの突如として大泉が父ちゃんの過去を見るあたりの強引さ、そしてそれ以上にその見せ方の下手さ(あの一連の映像から、何故父ちゃんが母ちゃんの死に向き合わなかったのかが理解できます?)、感動してくださーい!って叫んでるばかりで中身が見えてきませんよ? ガッキーの成長、大泉の愛、父ちゃんの愛、ささらの人々の暮らし、一体何をいちばん描きたかった、何がいちばん大切だったの? それ、もう少し初期段階で明確化しとかないと。結果的にベテランキャストも勿体ない使い方になっちゃってますし。 ガッキーと赤ちゃんは魅力的でしたけどね。[映画館(邦画)] 5点(2014-12-04 22:04:16)《改行有》 278. 神さまの言うとおり 《ネタバレ》 『悪の教典』みたいに殺されてゆく者にちっともキャラクターが与えられていない、という訳ではなくて、多くの登場人物にそれなりの特徴なり感情表現なりが存在しているのでまだ興味を持って見る事ができました。 でも、不条理な出来事に対して中途半端に理屈・理由付けをしている、論理性を求めているような気がして、それが必要なのかどうかという点で疑問。 非現実的な事件が起きている、その外側の世界の描写がどうしても冷めてしまうんですよね。巨大なキューブが空に覆いかぶさるとか、中継されているとか、「神の子」として崇められてゆくとか、ひきこもりを動かすとか、しまいには神様の登場だとか、それ、要りますか? それらの要素が酷く映画を安っぽいものにしてしまっている気がします。そういう外側の視点を入れるのならば、もっと綿密に構成されているべきですし、中で起きている事に対する説得力のある考察が必要だと思います。 それが単なるエッセンス程度の半端なものであるがゆえに、中と外との不条理の対比が明確化されず、全体が絵空事と化してテーマがボヤけてしまう、という感じ。 主演の福士蒼汰くんが弱いかな。『フォーゼ』でのコミカルな演技は面白かったのですが、映画では演技がいつも一緒みたいな感じで。つーか、キャラが『僕が処刑される未来』と同じじゃない?みたいな。どちらも「生」を見失ってるし。 ヒロインの山崎紘菜ちゃんは「このコ大丈夫ですかいな?」って思っちゃうTOHOシネマズの予告前のアレに比べるとちゃんと生きてたので良かったです。アレはスタイリストさんとかメイクさんとか照明に問題があるのかな・・・ 半端な描写で余計な事を考えてしまう映画で(世界中で起こった事だとすると、他の国でもだるまさんや招き猫だったのか否か、とか)、冒頭からいきなり事件が起きて否応なく巻き込まれてゆく簡潔な展開に比べ、映画が進むにつれてどんどん雑音が多くなってしまう感じが残念でした。不条理なままじゃダメ?[映画館(邦画)] 5点(2014-11-21 22:53:01)《改行有》 279. 近キョリ恋愛(2014) 《ネタバレ》 「女子生徒に手を出す高校教師のお話」という、もう基本中の基本が絶対的にダメダメな物語なのですが、その基本が腐ってるような設定を元にして、いかにちゃんとした恋愛映画に昇華してみせるか、というところに腐心している感じで。結果的には意外と良かったという印象。 これもまたマンガが原作のシネスコサイズ恋愛映画ですが、こちらはフレームの切り取り方、ライティング、色彩、どれもキレイにまとまっています。タイトルが出てくる画面の構成なんか、上手いなぁ、って。 物語は少女マンガらしいおなじみ「すれ違いの物語」。でも、本音をぶつけ合うのではなく、各キャラクターがお互い常に相手の事を思って本音を現さない、行動に出ないゆえのすれ違いという点で共感を得やすい感じがします。 映画は表情の無い、感情を表さない主人公ゆにの心の揺らぎに寄り添い、その内面の大きな変化の波をすくい取ってゆきます。ゆにの無意識な仕草による感情表現の多くは初期にセリフによって説明されているので判りやすい、単純な記号と化しているようにも思えます。だけど言葉や表情ではない、その仕草がゆにというキャラクターに魅力を与えているように思えます。 全編に渡って繰り返される、ぎゅっとスカートを握りしめるゆにの手のアップ、これがラストシーンで解き放たれた時、それがベタであると判っていながら感動してしまう、それは仕草の描写の積み重ねがあればこそ。あの描写こそは他のどのキャラクターでもない、ゆにのみに与えられた独自の解放の表現であるのです。 櫻井は教師という大前提がある以上、ダメな大人。嫉妬する幼なじみの教師も、ゆにを預かり腫れ物のように扱う教師も、同様にダメな大人。そのダメさ弱さをダメなりに見つめているように感じました。 肝心のクライマックスで大学生になったゆにの微妙なメイクや服装、そして不自然さ丸出しの夕陽の合成によってハリボテ感が出てしまったのが残念ですが、小松菜奈の魅力を上手く捉えた、爽やかな一編になっていました。[映画館(邦画)] 7点(2014-11-14 22:44:20)《改行有》 280. クローバー(2014) 《ネタバレ》 平成ゴジラが全作ビスタサイズだったのに対してミレニアムゴジラは全作シネスコサイズだったように、前世紀の終わり頃から邦画はシネスコサイズが増えています。それは大作に限らず、こういうラブストーリーにも。 オープニング、シネスコフレームを有効活用した、武井咲の動きに合わせてホテル内を大々的に移動するステディカムの映像がとても心地良く。 で、この映画で褒められるところはそこと、あと軽井沢のシーンでの青空くらいのもの。青空はこの映画の功績じゃありませんけど。 『愛と誠』で見せた武井咲のコメディ演技を求めた訳ですが、始まって20分くらいでもう映画館出ようかって思いました。貧乏性なんで最後まで見ちゃいましたけど。でも、後になればなるほど酷くなる映画で・・・ 登場人物の誰にも共感できませんし、心が動きません。もうバラバラです。みんな勝手に行動し、勝手に自己主張するだけで、まるで調和が取れていません。ひたすらすれ違いが繰り返されるばかり。その延々と続く不協和音こそがこの映画の軸であり、この物語の芯なのかもしれませんが、そんな不協和音を延々と聴かされ続ける事の辛さについて、まるで無頓着な映画という感じ。 柘植はあんなので果たしてデキる男なのか、いい男なのかというと甚だ疑問で。優柔不断、意志薄弱、無神経、そんなマイナスなキーワードばかりが出てくる状態。っていうか、客に聞こえる状態で部下に説教するような上司は無能です。客を不快にさせるでしょ? で、柘植がそんなだからヒロインを始めとする周囲の反応もヘンに思えてしまう訳で。登場人物全員頭悪い、そんな映画。 でも、その頭の悪さはこの映画を作った人々の姿勢に表れているのかな、と。いちいち仕草に馬鹿みたいに効果音を入れて、音で笑わせようとしてますが、何が面白いのやら。メール文字を画面に表示した上で内容を喋らせる、そこまでしないと観客は判らないと思っているんでしょうか。 この映画を作ってる人達は、マンガとか観客とか馬鹿にしてるのかなぁ?ってどんどんとスクリーン上に展開する惨状を眺めながら思ったのでした。 あ、結局シネスコの意味はもちろん無い映画でした。それからディズニーの有名な曲を2曲使っておりますが、単なる冒涜ですね。あれは他の映画のために作られた曲なのだからさぁ・・・[映画館(邦画)] 2点(2014-11-11 22:37:06)《改行有》
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