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プロフィール
コメント数 3873
性別 男性
年齢 53歳

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361.  シコふんじゃった。 《ネタバレ》 もう、鉄板、ですね。 まずタイトルが秀逸で、単なるダジャレと言えばそうなんだけど、そもそも「相撲」という単語をストレートに使ってない(けれどテーマは一目瞭然)ってのがウマいですね。しかもラストでこれを、一種のオチとしてしっかり「回収」する、という念の入れよう。 会話シーンを正面からのショットで描く場面があって、周防監督らしい小津安二郎へのオマージュか、と思いきやそれにとどまらず、この手法は相撲の仕切りのポーズを正面から捉える場面にもちゃんと繋がっていて、妙な納得感があります。 しかしこの仕切りのポーズは、正面からのショットよりも、劇中に何度も登場する斜め前からのアップ(構えのポーズでちょうどフレームに収まる)が、素晴らしく印象的です。モックンはもとより、妙に汗だくの田口浩正までが、この瞬間は輝いています。 でも、輝いてるったって、相撲部に入部した留学生にも語らせているように(あるいは竹中直人以外の登場人物がマワシのことを“ふんどし”と呼ぶように)、「なんでこんな、ケツ丸出しの恰好しなきゃいけないんだ」っていうのが基本的にあるワケです。不本意にも相撲を取らされ不本意にもマワシ姿になっている場合には、ちょっと哀愁のこもった滑稽さ、があるんですね。あるいは滑稽さの伴った哀愁というべきか。 それが、本気度が増すごとに、輝きが増してくる。竹中直人はあくまでお笑い担当として、滑稽さと哀愁とを随所で思い出させてくれるけれど、次第に違和感がなくなり、相撲の魅力というものが映画の中に浮かび上がってきます。 因縁の相手・北東学院との死闘(?)がクライマックスになってて、終盤の「入れ替え戦」のくだりは、別に無くっても物語としては成立してるんだけど、あえてダブルヘッダーな構成で試合シーンを盛り沢山としてくれる大サービス。しかも、ここでは新たなアイデアも投入されており、本日医科大(だっけ?)の連中がテーピングでグルグル巻きだったのは単なる小ネタだと思ってたら、実はここに繋がる伏線だった、ってのが、実にお見事です。 それにしても、応援団の歌っている歌、なんでレナウンのCMソング(の替え歌)なんだ?と思いつつも、今となってはホント、懐かしいですね。日曜洋画劇場の裏・テーマ曲みたいなもんでしたから。[CS・衛星(邦画)] 8点(2020-04-25 03:22:43)(良:1票) 《改行有》

362.  ハード・コア(2018) 《ネタバレ》 こういうの見てるとつくづく、時間の流れってのはこの世の中、一定でも何でもなくって、人によって明らかに「違う時間」を生きてるなあ、と。そういう時間の淀みみたいなものが、よく出ています。 青臭く、そして懐かしくもある、自意識の泥沼。奥手だから生真面目で、生真面目だから奥手で、正義感だか言い訳だかわからないものに縛られてて、でもしっかり性欲にも縛られてて。そこには「解は無い」んですけどね。 で、こんなヒトたちだから、たとえ生活の中に超高性能スーパーロボットが現れたところで、もうどうしようもない訳で。ロボットは結局は何もしてくれないし、何も変わらない。せいぜい、できるのは「退場すること」。ロボットができるのは、その手助けだけ。 やけに、タバコが、印象的でした。[DVD(邦画)] 7点(2020-04-15 20:54:22)《改行有》

363.  海峡 高倉健と吉永小百合、二大スターを主役に据え、青函トンネル工事という題材にかこつけて実際は二人の男女の恋愛を描いた人間ドラマ・・・かと思ったら、これが正反対。壮絶な工事の模様を描いたスペクタクル路線の映画で、もう、小百合さんなんかそっちのけ。物語の発端から関わってくる三浦友和なんて、普通ならかなりのキーパーソンのはずなんですけれども、惜しげもなく雑魚キャラへと追いやられてしまってて。かろうじて「オヤジ」こと森繁久彌は、存在感を出すことを許されておりますが、まあとにかく、トンネル工事の映画です。ひたすら、湧き出てくる水との戦い、かなり大がかりなセットを組んでいるようですが、実際のトンネル工事現場でのロケ撮影もあるのでしょうか、とにかく臨場感はかなりのもの(実際の工事中に映画が製作され、映画の中でトンネルが貫通してから間もなく、実際のトンネルも貫通)。 トンネル内だけではなく、吹雪などの厳しい大自然もみどころで、『八甲田山』ふたたび、といった趣きも。いい「画」をとるためならば、たとえ火の中、水の底。俳優もスタッフも体張ってます。シケの中、小船が荒波にもまれているシーンからして、かなり危険な香りが。 終わりの方の居酒屋で、健さんと吉永小百合が二人きり、ここだけとってつけたように恋愛ドラマになってて、ちょっとヘンなんですけれども、それよりも、トンネルが貫通して涙する健さんに、猛烈に違和感を感じてしまうのは、何なんでしょうね。健さんだってそりゃ、泣くときもあるんでしょうけれど。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-04-06 20:59:33)《改行有》

364.  寄生獣 完結編 私、ほとんどマンガ読まないんですけど、この「寄生獣」は大学時代の研究室に先輩が買ったのが転がってて、夢中で読みました。コミック最終巻の発売は先輩の卒業後だったので私が買って寄贈してきましたが。 で、当時は「まるでターミネーター2みたいだけど、コッチの方が面白いんじゃない?」ってな会話を周囲としていた程度だったんですが、私が認識していなかったのは、実は「ターミネーター2の公開より、寄生獣の連載開始の方が、ずっと先だった」ってことなんですね。この映画化にあたって、後藤さんとの対決シーンの舞台を紅蓮の炎の中に設定したのも、何やら意味ありげ、まるで「マンガ」と「ハリウッド」を両方、ここに取り込もうとしているかのような。こういうアレンジは賛否両論あるとは思いますが、劇的な盛り上がりとなっていて私は結構、好きです。映画化にあたっては、2本分の尺を使いつつ、取捨選択しつつも、全体としてはやや原作に引きずられ過ぎ、盛り込み過ぎで、少し消化不良な感じもあるんですけれど、でも、1作目もこの完結編も、ここぞという場面では大胆にアレンジを加えて、映画ならではの見せ場になってます。 ただ本作、ちと後藤さんに冷たくないですかね。もうちょっと活躍させてあげて欲しかった(笑)。三木さんの挙動不審が印象的なのは、これはどうやらホントにヤクをやっていたみたいなので、とても太刀打ちできませんけれどね。でも、作品自体の関心が、我らがヒーロー・後藤さんよりもむしろ、しがない親父・倉森の方に向かっているようなところがあって。「倉森vs田宮」が、一番のクライマックスでした。[DVD(邦画)] 7点(2020-04-04 14:31:57)《改行有》

365.  パパはわるものチャンピオン 製作委員会に新日本プロレスと親会社のブシロードが名を連ねており、要するにこの企画、映画をダシにしてプロレスやりたいだけなんでしょ、とか思っちゃうのですが(実際、新日の選手が多数登場してプロレスを披露するのですが)、これが意外に、ドラマ部分がたっぷり盛り込まれていて。正直、もっとプロレスを観たかった、という気が。ははは・・・。 ドラマ部分が多いのはいいんですけれども、「わかりやすさ」重視のあまりに、いささか描写がクドい。これがちょいと残念。ちょいとゲンナリ。「ああ、さっきのエピソード、さっきのシーンが、ここに繋がるのね」ってのは、見てりゃ誰だってわかるのに、いちいち、わざわざ、それを回想シーンの挿入で「復習」してしまう。だんだん、もう回想なんかしないでくれ!っていう気持ちになってくるのですが、それでも容赦なく回想シーンが連発されて。 だから、そんな回想シーンを挿入してるヒマがあったら、もっとプロレスシーンを入れてくれ、と。 あ、この映画見てると、プロレスファンが周囲から鬱陶しがられる理由が、少しわかりました。私は一応、気をつけているつもりなんですけど(←どこが?)。 それはともかく、回想シーンを減らすなど、もうちょっと、省略の美学みたいなものがあってもいいと思います。例えば、棚橋が凶器のスプレー缶を落とすカットがあり、すると次には落とされたスプレー缶のカットが挿入される。いや、どうせ「落とされたスプレー缶」を見せるのなら、「スプレー缶を落とす場面」そのものを見せなくっても、例えば「落とす音」だけでもよかったのでは?とか。 しかしそれでも何でも、クライマックスの一戦は、ドラマと並行して試合自体もしっかり描き、これを新日看板レスラー同士が演じていることもあって、なかなか盛り上がります。もちろんホンモノのプロレスの試合ほどではありませんが、これ以上のものを見たけりゃ、実際の試合を見ろ、って話で。 リングを後にする棚橋は、持ち前の大きな背中で、我々に無言で語りかける。こういうのもまさに、本物のプロレスラーが演じてこそ、のシーンですね。 それにしても田口はどうしてこうも、映画の中でノビノビ、活き活きとしているのか。まさに水を得た魚のような。「パパはどうして最近、プロレスの試合では変なコトばかりしてるのに、映画ではこんなに演技が上手なの?」「それがパパの天職なのよ」。なんてね。 天職はいいけど、転職までしないように。 あと最後に、どうせ新日が製作に関わってるんなら、実際のプロレス会場でお客さんにエキストラになってもらって、プロレス会場の観客の「群衆シーン」を撮影できなかったもんですかねえ。客席の暗さを利用してエキストラ数をケチったかのような、熱気の乏しい会場の描写、何だか貧相で残念でした。[DVD(邦画)] 6点(2020-03-29 07:14:27)(良:1票) 《改行有》

366.  愛と誠(2012) ミュージカルとしては、あの、その、まあ、何ですね、歌がやや苦手そうな方から、かなり苦手そうな方まで、イロイロと出演されておりますが。 ドラマに挿入される歌(懐メロばかり)と踊りが、ドラマの一部になってはおらず、むしろ「コイツ何やってるんだ」と周りが引いてしまっているのが、パロディめいていて。 もっとも、それを言い出すとすべてがパロディじみていて、少々悪乗りが過ぎる部分もありますが。主人公が周りにツッコミを入れるだけならまだしも、高校生役の伊原剛志が自分をオッサンと認めたりヅラかぶってる事を認めたり。そりゃそうなんですけどね(笑)。 しかし、それらのデフォルメされた登場人物たち(武井咲演じる早乙女愛の、この鬱陶しさたるや。絶品です)が、ドラマの中にピタリピタリと的確に配置されており、バカバカしいと思って見ていたはずが気が付いたら妙に納得してこの世界を受け入れている自分がいて。 ミュージカル部分がドラマの中で浮いているように、斎藤工演じる岩清水クンはこの物語の中で完全に浮いているのですが、ラストで彼が床の血痕を目撃したとき、まさに彼はそれを目撃するためにこそ存在していたこと、だからこそこの物語に不可欠の存在であったことを思い知る訳で。 映画全編、ガラ悪そうな人たちのドツキ合い取っ組み合いの連続ですが、スローモーションを交えるなどの変化をつけ、見せ場も盛り沢山。 しっかしコレ、PG-12らしいんですけどね。子供に何を指導しろってんですかね。見りゃワカルと思うんですけども。[ブルーレイ(邦画)] 8点(2020-03-22 21:07:20)《改行有》

367.  あゝひめゆりの塔 映画開始早々の運動会シーンで、登場人物たちの顔立ちも話し言葉も、その他何もかもが「こりゃ沖縄じゃないよなあ」という感じなのですが、製作は1968年、まだ沖縄が返還される前ですから、仕方ないっちゃあ、仕方ない。というよりも、女子学生の運動会に何とか忍び込みたい男子学生たち、それをたしなめる吉永小百合、なんていう日活青春テイストが、映画を観る人々と登場人物たちとの距離感を縮めるのには確かに必要なのかも知れませぬ。だから、冒頭の渡哲也にわざわざ釘を刺されるまでも無いだろう、とは思うのですが。 という、まず馴染み深い日常があって、戦火が近づきつつあることをナレーションが解説しつつもその実感はなかなか湧かないのですが、次第に不穏な空気が流れるようになり、やがて日常は、過酷な戦場へと変化していくことに。米軍による攻撃の描写が、いろいろ違和感を感じさせる部分も多いのですが、少なくとも、「日活青春路線の映画がここまでやるか」と思わせるだけのものはある、激しい描写になっています。一方で、吉永小百合は清純派でなければならず、清純派は演技がクサくなくてはならぬ、みたいなこの感じは、ちょっとどうなんでしょうね。むしろ「表に出さずに堪える」ことが感情表現につながる場合もあると思うのですが。 最初の方で、男子学生の列と女子学生の列が、それぞれ別の歌を歌いながらすれ違う場面、異なる歌が重なりつつ、さらにそこにセリフまで重なって、映画的なポリフォニーになっているのですが、その後も、卒業式の場面で「仰げば尊し」の歌声と砲声が重なったりとか、切断された手足が砲撃で飛び散った中に花が咲いているとかいった対比が織り込まれており、「平和vs戦争」という対立軸を強調しています。そういう意味では、戦争映画と青春映画とが本作の中で必ずしもうまく混ざっていないこと自体が、作品の欠点もありながら、一方では本作の独自性にもなっているように思われます。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-03-08 12:42:23)《改行有》

368.  夜は短し歩けよ乙女 ホラー映画ならぬ、ホラ映画。デタラメがデタラメを呼んで、どこまでもホラが連鎖してきます。学生生活「あるあるネタ」の体裁でありながら、実際はほとんどが「無い無いネタ」ばかりという・・・。 デフォルメされたアニメーション、スピード感あるアニメーション、デタラメ極まり無い展開に、ワケわかんなくとも退屈しない。というか、退屈したくとも退屈しているヒマがないのですが、終盤はちょっとモタついた印象で、主人公ふたりの関係に主軸を置くなら確かにこれがクライマックスということになるのかも知れないけれど、正直、ソコは元々どうでもイイのであって。引っ張った挙句に最後、ああやっと夜が明けたか、とは思うものの、何だか印象の薄い普通の夜明けだな、とも。 京都=学生の街、ということで、同じ登場人物があちこちにグルグルと再登場するコミュニティの狭さがまた、学生生活っぽさを感じさせたりも。だもんで、基本的にはデタラメなのにどこか懐かしく、懐かしいけどワケがわからない。 まあ、この作品、「やったもん勝ち」みたいなところは、ありますね。[地上波(邦画)] 6点(2020-03-07 16:51:37)《改行有》

369.  スマホを落としただけなのに 《ネタバレ》 説明ゼリフ乱発で、演じている俳優さんたちも喋りづらそう、高橋メアリージュンは普通に演技がヘタなだけだと思うけど、他の皆さんについては、見ててちょっと気の毒にすらなってきます。テーマがテーマだけに、スマホ犯罪への心構えを説いた啓発ビデオを見ているような気分にも少しなってきちゃいますが。 そういった部分も含めてコレ、本当に、見ている人を怖がらせようという気があるんですかね?? ピントをワザと外してるんじゃないか、と思えてくるセリフと言動の数々。明らかに盗み撮りされた浮気(?)の映像を見て、相手をなじるのも結構だけど、そもそも盗撮が誰の仕業か気にならないのか? ストーカー疑惑をかけられたバカリズムが、自分は無実だと反発して腹立てるのも結構だけど、そもそも自分の成りすましが存在していることにそんな無頓着でいいのか? これではまるで、登場人物全員が、犯人の存在を知りつつも、わざとそれを無視しているかのような。 しまいにゃ、犯人と対峙するクライマックスで、犯人とは無関係な、自身の身の上話をトクトクと語り始める北川景子、ここまで犯人を無視してくれれば、もはやアッパレです。しかもこの時間稼ぎのお陰で、警察も易々と到着が間に合ってしまう、という展開、もはや「コワイ映画」にしようという気は、全く無さそうですね。 普通の映画ならヒロインが怯えるところであろう、遊園地における犯人との対峙シーンで、北川景子は途轍もなくキツく冷たい視線を犯人に投げかけ、この時点で犯人の存在感は半分以上無くなっちゃってます。母親に「私の人生を返せ」と言われ続けてきた犯人と、行きがかりとは言え結果的に他人の人生を奪った形となった主人公との差、みたいなもんでしょうか。犯人も、屋内で貞子スタイルをしている時にはそれなりに不気味でそれなりに存在感を出すけれど、女装が解けるとどうも調子が出ないようで。 だからこれは女性の映画なんだ、とか何とか、私も本気でそんなことを思っている訳じゃないのに、何となく中田秀夫監督というところから逆算してそんなことを書こうとしてしまう自分が、ヤだなあ、などと思ったり。[地上波(邦画)] 4点(2020-03-01 15:12:03)(良:1票) 《改行有》

370.  女子ーズ また つまらぬ物を 見てしまった・・・[CS・衛星(邦画)] 2点(2020-02-22 05:41:23)(笑:1票)

371.  祇園の暗殺者 近衛十四郎というヒトは、いつも暑苦しい程に自信マンマンの表情を浮かべている印象があるのですけど(表情というより、もはや「自信」が顔の一部になっているかのような…)、別にいつもいつもそういう訳ではない、というのがこの映画。 時は幕末、京の街では彼を始めとする浪士たちが、血も涙もない人斬りを繰り返している。で、今日も首尾よく(?)、ターゲットの家に乗り込み、見事仕留めたはいいけれど、押し入れの中に不穏な空気、戸を開けてみるとそこには、恐怖と驚きに顔を引きつらせた子供の姿が。で、この映画、何がポイントかといいますと、このシーンの子供の顔が、完全に「呪怨顔」なんですね。バッチリ時代を先取りしてます。この呪怨顔を見てしまったら、さすがの十四郎フェイスも曇ろうというもの。以降、主人公は罪の意識に捉われたか、ときに殺人の幻影に悩まされ、何かと調子が出なくなっていく。そして彼に訪れる暗い運命。 終盤の、狭く入り組んだ京の路地を舞台に繰り広げられる追跡劇が見どころで、ついには鴨川べりと思しき水辺に追い詰められるのだけど、それは作品の中盤でも描かれた暗殺パターン。因果はめぐる、といいますか。 人斬りがテーマながら必ずしもチャンバラに重きを置かず、代わりに呪怨テイストを絡めてきたのが、ちょっと異色な時代劇でした。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-02-22 03:41:41)《改行有》

372.  薔薇の標的(1980) パルプ小説風のハードボイルド。麻薬取引の場で組織の裏切りにあい、銃撃戦の末、舎弟を失い自らも獄中の身となった舘ひろしが、4年後に出所し、組織への復讐を誓うってのが映画のツカミ。逮捕後の彼を誰かがサポートしてくれていたらしいけど、それが誰かはわからないし、舘ひろしも気にしないまま、復讐への第一歩を歩み始める。 「安っぽい犯罪小説らしさ」という骨格が、アクション映画としてうまく生かされてます。すべてが刹那的、すべてが唐突で、物語の辻褄とか何とかいったものも二の次。主人公が危機に陥れば突然助っ人が現れる、などというご都合主義も、港に佇む舘ひろしが中島ゆたかをいきなり引っ叩く唐突さも、映画の起伏や推進力に大きな役割を果たしていて、我々を惹きつけます。前半やたら女優を脱がせたり、中盤で住宅街を舞台に無茶なカーチェイスを展開したり、なんてのも、一種のご愛敬、一種の映画の華。 舘ひろしと中島ゆたかの関係を軸にしつつ、主人公の仲間である内田良平のサブストーリーみたいなものもあり、チョイ役で特別出演の松田優作も含めて、登場人物がそれぞれに印象的。 音楽はハネケンさん、ジャズが物語にマッチして、虚無的なラストに至るまで、雰囲気がよく出ています。 魅力的な作品だと思います。[CS・衛星(邦画)] 8点(2020-02-11 09:27:32)《改行有》

373.  カイジ2 人生奪回ゲーム いくらなんでも、どうしてここまで、説明的、なんだろう。最初から最後まで、ことごとくが、説明。 それをわざわざセリフで言うか、というムダなセリフの連続。演じている俳優さんたちも好きなだけ熱弁をふるって、存分に「演技」しまくってます。 こういう仕掛けです、この後こうなるんです、等々、説明に説明を重ねた挙句、敵役の伊勢谷友介までもが誰も訊いちゃいないのに身の上話みたいなのを勝手に「語り」始めて、もはやここまでくると、ビックリです。[地上波(邦画)] 3点(2020-02-03 20:41:15)《改行有》

374.  森の石松鬼より恐い 「森の石松」の舞台演出に悩む演出家が、ある日タイムスリップして石松本人になっちゃう、というSF超大(?)作。 という訳で、演出家役の錦之助がカツラ無しで登場し、なかなかレアです。しかし錦之助、時代劇カツラをかぶっていないと、結構、フツーのおっさんで、こんなにもオーラが無いのかと。いや失礼。 それが、目が覚めると自分が森の石松本人になっていて、その事実を飲み込むまでがドタバタの連続。そのネタでここまで引っ張るかと思うくらい引っ張るのですが、この石松ワールドの配役が、冒頭の現代のシーンと被っているせいで主人公も混乱する、ってのがどうにも可笑しく、ああ、あのヒトがこの役で再登場するのか、と大いに楽しませてくれます。そんじゃあ寿司屋の大将・鶴田浩二もきっとどこかに再登場するよね、と期待していると、まあ再登場はするものの、これはちょっと肩透かしですが。 とにかくこの前半の引っ張りで、主人公が簡単にこの世界に入り込めない、ってのがあるからこそ、あれやこれやの事件に巻き込まれ、彼自身も「石松」としての自分にめり込んでいく後半が、冴えわたるんですね。ただのドタバタに終わらず、クライマックスではしっかり、森の石松譚を堪能させてくれます。 例によってというべきか、屋外ロケシーンとスタジオセットシーンで、あまりに声の響きに差があり、これ何とかならないもんですかね。[CS・衛星(邦画)] 7点(2020-01-25 03:06:08)《改行有》

375.  踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 最終作なのか、これから新シリーズを始めようというのか、よくわからんタイトルですが、前者だとして(多少、疑心暗鬼)、まあ、有終の美と言ってよいのではないでしょうか。 ビール騒動を始め、細かいギャグがふんだんに盛り込まれて、ちょっと悪乗りし過ぎかとも思うのですが、それでも物語の中心となる事件の魅力で、グイグイ引っ張ります。今回の事件においては、いわばこのシリーズを特徴づける「本庁vs所轄」「会議室vs現場」といったテーマがズバリ、軸となっていて、そういう意味でも、シリーズ総決算、という趣きがあります。ゴタゴタした署内の描写とか、大規模な展示会の描写とか、スケール感には事欠かないし、物語における伏線の数々にも唸らされたり。 しかし最終作の最終作らしさというと、青島クン、ここでも颯爽と走って見せる、のかと思いきや、コケちゃうのよね、腰痛だから。長年の現場生活で、彼もボロボロなら、すみれさんもボロボロ。いや私もボロボロなんですけどね、ははは。 深刻な事件を荒唐無稽な展開でぶった切って見せた後、このラストにはいささかコソバユイものがありますけれど、また新しい一日が始まるんだなあ、という訳で、気持ちよくシリーズを締めくくってくれました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2020-01-23 21:40:17)《改行有》

376.  空母いぶき 《ネタバレ》 この作品、観てると、あれやこれやのシーンで「そりゃアカンでしょ」とケチをつけたくなり、次から次に不満が続出するもんでメンド臭くなって、何に不満だったのか、忘れてしまいました。ゴメンなさい。 それは無責任だろうって?おっしゃる通りですスミマセン。では頑張って何とか思い出してみると。 まずこの空母いぶき、何人くらい乗ってるんですかね。いやはやこの、スケール感の無さ。ホントは大勢乗ってるんでしょ? 国家の危機とかいうのもあるけれど、まずこの現場において、大勢の命がかかってるんでしょ?ホントは。 他の艦も同様。何人乗ってます、何人の命がかかってます、という、単なる数字。 まるで数人しか乗っていないような空母いぶきとは言え(笑)、その内部をさまざまな形で描いてスケール感を出してくれたら、あるいは舞台であるこの空母の魅力を描き出してくれていたら、見てて嬉しくもなりますが、そういう描写も貧弱で。空母に乗り込んだ記者たちが行動を制限されていることを言い訳に、描写もチャッカリと制限しちゃってる? 今回たまたま乗艦していた記者(本田翼)は、「私はすべてを目撃した」みたいなコトを言うけど、一体何を目撃したんでしょう? 映画見てた私は、何の悲惨な光景も見てませんよ? いかにもCGな炎上シーン(どんな被害なのかサッパリわからない)は確かに見た気がしますけども。あるいはあの不自然にとってつけたような人道シーン? これでは、どっからどう見てもこの記者、自衛隊の都合のいい広告塔にしか見えなくって。 西島秀俊と佐々木蔵之介との間の緊張感、ってのが物語の軸なんだろうけど、サスペンスにはおよそ程遠い中途半端なもの。西島秀俊の顔に安心印がついてしまってます。 そもそも敵の攻撃が場当たり的過ぎるのも、盛り上がらない点。相手が何を考えているかわからない時の不気味さ、ってのは、確かにあるのかも知れませんが、さすがにこれほどの拙攻では、コワくないですよね。 以上、このくらいは何とか思い出したので、勘弁してください。[ブルーレイ(邦画)] 4点(2020-01-12 10:47:50)《改行有》

377.  三度目の殺人 《ネタバレ》 三度目の殺人、って何がどう三度目なんでしょうか。Ⅾ・フィンチャーの『セブン』みたいなシステムですかね、これは。 顔のアップが多い、顔面映画です。表情だけで画面の緊張感を持続させなきゃいけない、ってのは、俳優さんにとっても大変だったんじゃないかと思われる、のですが、こういう時に役所広司というヒトは妙にノリノリな感じに見えてきて、ホントにこれでいいのかな、とも。それに比べると、広瀬すずは、時に表情を揺らがせつつも、相手に内心へ入り込ませない意志を表情に漂わせて、強い印象を残します。 実際、人間の表情から内面を完全に読み取ることなどできないワケで、「演技」というものはしばしばその読めないはずの内面を読み取らせんがために誇張気味に行われたりもするのですが、この映画の場合は逆に、事件の当事者たちの表情は様々な形で、内面を読み取られることを拒絶しています。だから事件の真相も、モヤモヤしたものになっています。一応は、「役所広司と広瀬すずは実は知り合い」であり、「父親に虐待されていた彼女を守ろうとした」のが一連の事件の真相、であろうという体裁にはなっていますが、では彼女の母親である斉藤由貴の、存在なり、役所広司との関係なりは、どう考えたらよいのか。役所広司と広瀬すずとは、(設定上の矛盾があろうがなかろうが)「雪のケーキ」のエピソードによる繋がりが示すように、実の父と娘の関係なのではないのか。とか・・・。雪合戦の幻想シーンや、役所広司との写真の中で示される、彼女の笑顔。 物語に登場する殺人シーンもまた、本当にそこにいたのは誰だったのか、描写が揺らいで、真相をはっきりとは示しません。ただ、血の付いた「頬を拭う」という動作が、犯罪への加担の有無にとどまらない広義の共犯関係のようなものも示していて。 ラスト近くで、福山雅治の顔と役所広司の顔とが、両者を隔てていたはずの仕切りへの映り込みによって重なるのですが、ここも、両者が重なっているようでもあれば、福山雅治が重ねようと顔を近づけるたびに役所広司の顔が離れていき「重なること」を拒絶しているようもであり。 役所広司の内面に繋がっているのであろう「十字架」のモチーフが、福山雅治の頭上でクロスする電線として示され、しかしそれを見上げる彼もまた「十字路」のど真ん中に立っている・・・。[地上波(邦画)] 7点(2019-12-17 21:42:06)《改行有》

378.  居酒屋兆治 どういうオハナシかというと、健さんが居酒屋のオヤジをやっている、という、それだけなんですけどね。 居酒屋の客がなかなかに豪華メンバーで、田中邦衛がこういう場面にいるのは当然だとしても、ひとり静かに飲む池部良がいて、言動がヘンなら髪型もヘンな伊丹十三がいて、お笑い芸人にしか見えない細野晴臣がいて、誰も呼んでないのに気がついたらこういう場所にはきっと出没する武田鉄矢がいて。おや、山藤章二さんもいるじゃないですか、ではもう一人のいかにも原作者ですと言わんばかりの顔をした人は誰だろう、と思ったら、原作の山口瞳さんなのでした。 居酒屋のおかみさん、よく見かける女優さんのような気がするけど、アレ、このヒト誰だっけ、と思ってたら、本職の女優さんではなくって加藤登紀子さん。目立つことなく目立ってしまう、見事な存在感です。 で、とりとめなく様々なエピソードが綴られるのですが、映画の軸にあるのが、健さんと大原麗子、結ばれることなく別々の道を歩いてきてしまった二人の男女。映画の軸といいながら、実際にはもう終わってしまった、過去の話でもあるんですね。だから二人の人生は直接に交わることはなく、最後の残り香が消え去っていく姿がこの映画で描かれる。 人生とは様々なものを失っていく過程であって、健さんも含めてここに集う人々は、おそらくはすでに多くの物を失ってきたであろう人々(ただし、大滝秀治は除くことにしよう)。そしてまた、人々は日々、新たに何かを失っていく。そんな映画。 ユーモラスに哀しみを演じてみせる小松政夫が、絶妙のキャスティングでした。[CS・衛星(邦画)] 7点(2019-12-15 11:45:25)(良:1票) 《改行有》

379.  メアリと魔女の花 これは・・・ちょっとツラいですねえ。 アニメーションにおける登場人物たちの動作の緻密な描写は、流石と思わせるものがあって、一生懸命さは伝わってくるのですが、それだけに、主人公の過剰なセリフを始めとする種々の「安直さ(と我々が感じざるを得ないもの)」とのギャップが、余りにも大きくって。メチャクチャ居心地悪いのです。 この奇妙な分かりやすさ、「宮崎アニメがどんどんわかりにくくなっていった」という「大人」の批判(実際には「子供たち」はどの作品も充分に楽しんでいたと思うのだけど)のせいで、こんな手心加えた脚本になってしまったのなら、ある意味では彼らは宮崎アニメの被害者なのかもしれないけれど、「後から来る者たち」はそれを乗り越えなくちゃいけない。ってのは、どんな世界でも共通です。[DVD(邦画)] 4点(2019-11-04 09:58:47)《改行有》

380.  無宿 「勝新と健さん夢の競演」と『冒険者たち』との、異常なまでの食い合わせの悪さ(笑)。まさかここまで悪いとは。 しかも、任侠映画風の健さんと、熊虎親分風の勝新とが登場、とくれば、ちょっとハードコアな感じがするのですが、演出はどこかポエム風。なので、カラオケ映像を延々と見せられている気がしてきます。だから泣けるのよ、と言われれば、そんな気もしますが。 そんな中で、梶芽衣子の無垢な笑顔が、光ってますね。しつこいくらいに登場する、この笑顔。しかしコレ、男にとっては最終的に大きな負担になるタイプの笑顔だと思うんですけどねーーー。[CS・衛星(邦画)] 6点(2019-11-04 09:37:25)《改行有》

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