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プロフィール
コメント数 2524
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ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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681.  女王蜂(1978) 《ネタバレ》 映画のカラーをきらびやかに、というコンセプトは、金田一シリーズのイメージとの食い合わせの悪さを生じ、激しく消化不良状態にもがく事になっちゃいました。化粧品メーカーとのタイアップが、映画全体をぎくしゃくさせちゃったんじゃないでしょうか。それぞれのエピソードが上手く繋がってない感じで、間延びしまくってます。冒頭こそ、いきなり殺人現場から始まって、一気に引き込む導入部となっていましたが、中はぐだぐだ。殺人シーンはそんなのアリ?みたいなのもありますし(天井からナイフがずどずどずどっ!って、ええ~?)。市川=石坂金田一もので唯一イメージソングが存在するこの映画、宣伝効果もあって、満員でしたが、ホラーものと勘違いした小学生達が、ダレダレ~ン、となっていたのが印象的でした。[試写会(字幕)] 5点(2003-11-22 13:56:10)

682.  天間荘の三姉妹 《ネタバレ》  とにかく最初に言いたいのはダルくなるくらいに長いわ。とてもじゃないけどここまでの尺は要らないわよ。  生者と死者を巡る感動的な物語、かと思ったら冒頭からずっと頭ヒネりまくり、ハテナマーク浮かびまくりのおかしな映画だったわ。  展開上、隠されている、徐々に見えてくる要素がいっぱいあるのだけれど、それを隠したことが映画にとって有効だったのかどうかが甚だ疑問なのよね。ドラマで魅せたいのならば、登場人物に対してはともかく観客にはむしろ最初から映画世界の仕組みを説明しておいた方が良かったんじゃないかしら?  隠されていた、あるいは明確にさせていなかったポイントは以下の通り。 ・まずこれは『スカイハイ』の番外編、『スカイハイ』と同一の世界観で描かれる作品であること。 ・登場人物の殆どは死者であること。 ・旅館を訪れる客のみが生死の境(意識不明状態)にあること。 ・旅館の一家のみが自ら既に死んでいることを認識しており、町の人びとは死んだことに気付いていないこと。 ・そして旅館の一家を含む町の人びとが東日本大震災の犠牲者であること。  ずっと作品世界の設定ルールが明確でないためドラマを堪能する以前に何がどうなってるの?っていうのが先に来てしまうのね。その上で「お行きなさい」とか言い出すので『地獄少女』?・・・じゃなかった『スカイハイ』みたい?って。更に東日本大震災という現実の出来事を題材にしながら「お行きなさい」を繰り返すので(ここでは「お逝きなさい」はさすがに使われてないわよね)、何?ふざけてるの?って。  とてもじゃないけれど震災の犠牲者に対してこの娯楽映画のあり様、カタチが相応しいとは思えないのよ。別にそういう映画を作るべきじゃないとか言わないけれど、鎮魂と残された人への癒しとしてはあまりに無神経で雑な出来だと思うわ。なんで『スカイハイ』なのよ「お行きなさい」とか言ってんじゃないわよ、って思ったのが正直なところ。  カメラ動かしまくり、ぐるぐるとテクニックに走った長回し、そんなこれ見よがしの要素(ついでに恥ずかしいレベルのVFX)が余計に題材に対する不真面目さを醸してしまっているのよね。  連なったエピソードもほのぼのとか癒しとかの方面じゃなくてギスギス、トゲトゲ、バタバタしたものばかり、豪華スターの競演によるドタバタ混乱劇よ。  そんな中でのんさんは独特な存在感があって良かったわ。彼女に抱いていたイメージと違う、ちょっと大柄で(周囲が小さい?)しなやかな体躯が際立って映えてるのよね。映画自体の印象と同じな、繊細とは言えない、ちょっと雑なカンジが彼女のキャラにだけは合っていたわ。  全編を説教臭さ、押しつけがましさが支配していて、こんな映画に過去を胸に未来を生きろ!とか言われても「偉そうに何よ?」ってカンジだったわね。[映画館(邦画)] 4点(2022-11-02 15:39:20)(良:1票) 《改行有》

683.  TANG タング 《ネタバレ》  三木孝浩監督の「記録と記憶の三部作」2本目。  記憶をなくしたポンコツロボットのタングと出会ったダメ男が妻に愛想つかされて家を追い出され、メーカーにタングを新品と交換して貰おうと旅に出るお話。メーカーの正規品ではないために交換して貰えず、タングを狙う怪しい連中に追われタングを誘拐され、更にタングの開発者の元へ・・・  話が進むうちにタングに愛着を抱いてゆく主人公と、感情のようなモノが芽生えてゆくタングと。開発者にとってはタングの行動によって得られた記録のみが重要だけれど、主人公とタングにとってそれは記録ではなく記憶となって大切なココロの繋がりになってゆくのね。  映画としては使い古されまくったお話。アタシがよく喩える『E.T.』フォーマットってヤツ。『ショート・サーキット』から『アイアン・ジャイアント』を経て『ロン/僕のポンコツ・ボット』に連なるロボット友達の系譜のアレ。そしてそれらを決して越えてはゆかない、今時そんなところをウロウロしてるの?ってシロモノでしかないのよね。  良かったのはタングの可愛さ。動きとか喋りとか本当に可愛いの。主人公のためにコーヒーを運んでくるシーンなんか健気で泣けてくるわ。  でもそのタングの存在に対して人間側がまるで応えられてないの。脚本でも演出でも演技でも。  三木孝浩監督の演出はこのテのハリウッド風エンターテイメントには全く不向きとしか言えないのよね。簡潔にキッチリ計算された作りが求められると思うのだけどダルい演技の間や同じような画を延々と続けるクドさによって密度に欠けて隙間だらけなの。ニノや満島ひかりさんの泣きの演技なんか、変化もなく長々とやられると本当にシンドいわ。  そのシンドさに輪をかけてしまうかまいたちの二人の浮き具合。あれは映画の演技ではなくコントだわね。見てて『模倣犯』の爆笑問題思い出しちゃったわ。なんでこの映画にかまいたちが必要だったのか、必然性がまるで見えてこない、理解できないわ。  あと途中で協力する学者の奈緒さん、アレで終わり?その後どうなったの?ってすっぽり抜けてる感じで扱いが雑だったわね。  タング以外に良かった点としては武田鉄矢が悪役だったところかしらね。アタシの中であの人って胡散臭いオッサンでしかないから金〇先生みたいに善人演じられると...ねぇ。  あと近未来SFって事で三木監督の長所の1つ、ロケーションの魅力が封じ手になっちゃうんじゃない?って思ったけれどCGを駆使しての世界描写、結構頑張ってたわ。美術的には見どころありってカンジ。  ただタングの可愛さを愛でる映画、っていかんせんそれだけではツラいカンジで三木孝浩監督、このテのジャンルは向いてないかぁ、と残念な思いを抱いたわ。つーか山〇貴監督が撮ってればいいんじゃね?みたいな映画ね。[映画館(邦画)] 4点(2022-09-08 18:55:21)《改行有》

684.  いのちの停車場 《ネタバレ》  ムビチケ貰ったので(協賛企業経由なヤツ)見に行ったのだけど、なんだか色々と残念な映画だったわ。  冒頭の大事故スペクタクルなシーンが、ただ病院が大混雑したために手が回らなくなりました、という状況のためだけに存在していて。  田中泯と吉永小百合が親子っていう設定に無理があって(吉永小百合を40~50代として見てくださいね、という事なのかしらね)。  役者さんたちの会話のタイミングが妙に悪くて(特に西田敏行の間の空け方は危なっかしさすら感じて)。  患者が出てきては死んで泣かせてのパターンを繰り返して。  広瀬すずの境遇が明かされるのが結構経ってからで(あんな少人数の職場でそんなに長く明かされないものかしら?)。  何故か小池栄子と伊勢谷友介のエピソードは放ったらかしなままで終了して。  ラストはまさかの絶望エンド。  なんていうか、コロナ禍でちゃんと撮りきれないまま公開するしかなかったのかしら? 伊勢谷友介はまあアレがあったからアレだけど。  在宅医療や終末期医療、安楽死の問題を盛り込んで人間性、情の側面から現代の医療を捉えているのは判るのね。でもひたすらに感情的、感傷的になってしまっている気がして、それはどうなのかしらねぇ。もちろん心が無いのは良くないけれど、法律には勿論それが存在することの意味があるのだから、それを無闇に間違っている、あるいは法律よりも優先されるべきである的な投げかけをしても良くないのよね。冷静に論理的に考えるべきものまで感情論で潰しちゃダメだと思うわ。さすがにサユリスト向き映画的情緒で片付けちゃいけないわよね。  救いは松坂桃李かしらねぇ。喜怒哀楽ハッキリしたキャラなので映画の中で生きてる!ってカンジがしたわ。莫迦だけど。[映画館(邦画)] 4点(2021-06-18 21:07:26)《改行有》

685.  約束のネバーランド 《ネタバレ》  浜辺美波のまるでヅカの子供役みたいな感じと、ヅカオタな北川景子の、もうヅカ意識しまくりました!みたいな役作り&演技とで、これはもうヅカオタなアタシとしては大感激!・・・とはいかなかったわ。  映画と言うよりは舞台的な、意識的に「作り」ました、って世界なのだけれど、浜辺美波と北川景子の100点な状態の中間に60点くらいの渡辺直美がブレブレな状態で存在していて(明らかにこの映画のトーンに合わないノリで、それって笑わせたいの?)、子供達の20点30点のきっつい演技で学芸会ノリがブレンドされて。申し訳ないのだけど、メイン3人のうちの黒髪のコが喋るとなんか可笑しくなってしまって。もう少しなんとかしてあげられなかった?  脚本と演出がね、かなりシンドいの。一本調子っていうか、緩急、メリハリ無いの。一大事が訪れてもそれまでのテンポとかテンションとかと一緒に流れてゆく感じ。ひたすらエピソードの羅列よ羅列。  それに意外性が全然無いのね。このキャラはこういうキャラ?って見えてるそのまんま。渡辺直美も北川景子もこう見えて実は!みたいなカンジじゃなくて。っていうか自分からペラペラどんどん自分を語ってしまうしねぇ(そこら辺はやっぱりマンガ原作よねぇ、って)。  作品世界もアレだわ。『わたしを離さないで』に『進撃の巨人』と『メイズランナー』混ぜました、以上。みたいな状態で。もうね、壁映画。『キング・コング』を始めとして『進撃の巨人』とか『ウォームボディーズ』『ワールドウォーZ』等でお馴染みの壁映画でございますよー、ってカンジ(塀映画が正しいのかしら?でも「へいえいが」だと語感悪いし~)。ちなみに同様に壁映画にカテゴライズされそうな『ウルフウォーカー』は今年の、っていうかここ10年くらいで最高のアニメーション映画なので超お薦め。・・・話が逸れたわ。  緑を基調とした画作り、光と影のコントラストを強調したライティング、その雰囲気はいいのね。いいお仕事してるの。でも、そこにきっついノリの素材がぼんぼん放り込まれてる状態で闇鍋状態だわ。カオスよ。  結局は「俺たちの戦いはこれからだ」状態の映画で、また1つオタク系作品の痛いノリを見せられました、ってカンジだわねぇ・・・[映画館(邦画)] 4点(2020-12-23 18:59:31)《改行有》

686.  新解釈・三國志 《ネタバレ》  新解釈と言いつつ、基本は『三国志演義』ね。で、キャラや設定のデザイン関係は『真・三國無双』シリーズ頼り。桃園の誓いから赤壁の戦いまでを描いてみせました、って点でもなんかフツーっていうか。『レッドクリフ』フツーに持ってきたよね?みたいな感じもあるし。  要はキャラが面白い、会話が面白い、ってところがキモなんだけど、そこがつまり毎度の福田雄一ワールドなワケで、そこにウンザリしちゃう人間にはなんの価値もない映画よね。アタシ的には嫌悪感を抱くほどでもなく、笑える時は笑える、って程度なんで、まあこんなモンでしょう、みたいな。ただし佐藤二朗のねちっこい芸風は全く笑えないのだけど。今回はそこがそんなでもなかったのでまだマシ(何しろ董卓なので出番は最初の方だけだし)、でも代わりにムロがねちっこかったわね。  安いアクションシーンとか、肝心のところを省略しまくりとか、そういう部分をツッコんでも仕方ない、って程度の映画。でもただのネタ集状態で、殆どのキャラに流れが存在しないので退屈しちゃった。ドラマにも物語にもなっていなくて、どのキャラもオチてないの。その生にケリが着いてないのね。上っ面だけを羅列した状態のモノに、映画的感動なんて求めるだけ無意味なんでしょうけどさ。  最大の問題は渡辺直美の扱いかしらね。今時酷いルッキズム。っていうか正確にはルッキズムを笑おうとしつつ、そこに堕しちゃってるカンジなのよね。広瀬すずをオチみたいに出した事でおかしくなっちゃった。彼女をブス扱いする事で今の時代の価値観も絶対視してないのよ、ってスタンスのハズが、当時(というかこの映画の世界)の価値観を笑うだけのシロモノになっちゃってるのよね。渡辺直美のままに美しく散らせる事が必要だったのよ。彼女には彼女だけの美しさがあるのだから。  そこら辺の福田雄一のセンスとそれを許してしまう出演者の意識、そこに問題があると思うので減点ね。[映画館(邦画)] 4点(2020-12-20 14:28:20)(良:2票) 《改行有》

687.  劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 《ネタバレ》  「映画いっぱい見てるのに?」「オタクなのに?」ってかなりキメハラ喰らい気味だったので、ネトフリでテレビシリーズ26話イッキ見した上で見てきたわ。  映画は、アニメ表現の低い限界点の問題がつきまとう?、みたいな視点で見始めたのだけど、それ以前の問題だったわ。物語の途中から始まって途中で終わる、これ一作では映画作品としてキチンと成立してないシロモノ。ただのテレビシリーズの延長、26話の続き。何しろ画角だってビスタサイズですらないんだもの。テレビと一緒で16:9よ。  テレビシリーズはそれなりに楽しめたのね。アニメ独特の低い低い表現の限界が気になりはしたけれど、アニメとしてのクオリティは高い方だったし、物語もありがちとは言え楽しめたわ。善逸と伊之助がひたすら空回りして物語の進行を阻害しててウザー、とか禰豆子は重要なキャラなハズなのにほったらかしな時間長過ぎてイライラ、とかあったけど。  でも、映画は映画としてキチンとして欲しいのよ。もう全然テレビシリーズと変わんない。伊之助は今回、頑張ってていいカンジだったけど、禰豆子ほったらかしモードは映画になっても相変わらずだし、キャラがみんなして心の声で状況から心情から物語から何から全部説明しちゃうのも相変わらず。  映画ならではのケレン味とかね、独自の映像表現とか欲しいわけ。元からカッコつけてるんで映画で特に突出させる必要はありません、みたいな? 原作準拠なので仕方ないです、とか?  今回、煉獄さんの映画として特化しました、みたいなカンジなのだけれども、だったらもっと煉獄さんに寄った構造で良かったハズよ? 映画の視点は炭治郎にへばりつき過ぎてて煉獄さん、かなり唐突な存在だったし。後半のアイツは伏線無しで何故か夜明け前にのこのこ出てくるし。そこら辺は別に原作と違って映画を綺麗に流してみせるための再構成をしていいのよ? 映画作家としてのウデはちっとも見えてこないのよね。  コレが日本の映画興行収入の記録を更新するカンジなのだけれど、こんなレベルの作品でいいのかなぁ? テレビシリーズや原作見てる人前提とか、こんな猟奇的な作品(血しぶきブシャブシャ、生首ころころ、腕やら足やら切れまくり)が小学生に大ウケとか、アタシの周囲の映画クラスタが揃いも揃って『鬼滅』からは目を逸らしてるとか、色々あるんだけど、マンガ=アニメの狭い世界でみんなで揃って閉塞してるカンジがどうにもあまりキモチ良くないのよね。暗く閉塞したコロナ禍での生活を象徴するような作品、ってネガティブに思えてしまうのね。[映画館(邦画)] 4点(2020-12-01 19:33:32)(良:8票) 《改行有》

688.  事故物件 恐い間取り 《ネタバレ》  ただでさえ新型コロナで見る本数減ってるんだから、本来ならスルーしちゃう、あ~んまり興味ないタイプの映画なのだけど、メールで友達(大阪人、今は埼玉住まい、お寺の跡取り)がコロナで映画なんか見に行けないから代わりに見てきてくれ~、って。当然貯めたポイント使ってタダ見だわね。  冒頭、とてもホラーとは思えない青春映画ノリで始まって、そこはなんか雰囲気良かったわ。なのでこのままの調子で続いてくれないかしら?って思ったのだけど、そうはいかない、怖がらせてナンボな映画だものね。  ところがいざ本題に入ると、これが全然怖くないの。出てくるのがCGCGしたモヤモヤしたモノと、無名の俳優さんが幽霊メイクして頑張って怖いカオ演技してまーす、って状態で、いや、なんか具体的な、即物的な映像過ぎちゃってむしろ笑えてしまうんですが?みたいな。あんなハッキリクッキリした幽霊を見せられたらお化け屋敷みたいな作り物感が出ちゃうわよねぇ。  で、ボスキャラみたいなのが大体CGなのだけど、『ハリー・ポッター』のディメンターだわね、アレ。クライマックスでコミカルな(いや、映画上では一応シリアスな)バトルになるのだけど、弱いのよ、『来る』のぼぎわんさんの百万分の1程度の弱さ。っていうかアイツ、果たして題材に合った存在だったかしら?  だけどアタシがこの映画で最も不満に思ったのは、事故物件に現れる幽霊が、ただのバケモノとして扱われていた点ね。殺人事件の加害者も被害者もバケモノ。自殺や無理心中した人もバケモノ。その背景にあった、人として生きていた部分というのは死に至る映像以外は描かれず、そこにあったハズの悲劇は全くのスルー。多くのゾンビ映画のゾンビと同じような扱いね。だけど幽霊を扱う以上、アタシとしてはそこに目を向けて欲しかったな。  余計なコトかもしれないけれど、舞台の大半が大阪で、大阪のテレビ局の姿が描かれて、あのノリは独特よねぇ、って。たまに関西に行ってホテルで見るテレビ番組のあの空気は東京の人間にはちょっとついてゆけないカンジがあって。府民性、みたいなモノ? 維新はそういうところにつけ込んだのかしらねぇ?とか映画見ながら考えちゃった。  で、映画見終って友達に感想メールしたら、これから見に行くからあんまりネタバレしないで、って。なんやそれ。[映画館(邦画)] 4点(2020-08-30 11:25:54)(良:1票) 《改行有》

689.  ヲタクに恋は難しい 《ネタバレ》  驚くほどミュージカルだったわ。少なくとも『ダンス・ウィズ・ミー』なんかよりずっとミュージカル。ヘタすると『キャッツ』よりもうちょっとだけミュージカル。ただ、だから優れてるとかいうハナシでは全く無くて。  映画としてはハリボテね。特にココ!って見るべきところはなんにもなくて。毎度の福田雄一作品のテイストの羅列で、映画としてのまとまりはとっても悪い方のパターン。オリジナルな物語の面白さは無いし、それで終わり?みたいな浅い浅い展開で終わっちゃうし。  キャラの面白さがキモなんでしょうけれど。  高畑充希は良かったわ。可愛かったし、喋りは面白いし、元々ミュージカル出身なだけあってダンスも歌もちゃんと出来てて。でも、それをちゃんと活かせてない見せ方が残念。深夜・早朝ロケ早撮り丸出しな単調なカット割、雑なカメラ、地味なライティング。もっと事前の設計なりポストプロダクションなりで飾ってあげればいいのに。  対して山﨑賢人は斉木楠雄と演技一緒。つまんないキャラをつまんなさそーに演じてる印象しかないわ。あの固まった表情でオタ芸披露するのは良かったけど。  賀来賢人も毎度のアレだし、佐藤二朗に至ってはもう飽き飽き。あの毎度のネットリしたしつこいアレ、なんかどっか面白いワケ?  斎藤工は笑っちゃったけど、でもアレはアドリブの面白さなワケで映画の面白さとは別ね。  あと菜々緒が良かったわね。ベヨネッタか『監獄学園』の裏生徒会副会長?と思ったけど原作からああいうデザインなのね。  でもね、見ていて泣けて仕方なかったのよ。高畑充希が縛りから解放されて語りまくるシーン、あそこで涙ダラダラ。以降もコミケ会場で買い子や同担と盛り上がるシーンや酒場でレイヤーと盛り上がるシーンや・・・とにかく泣けるの。  それはね、感動したとか楽しいとかいうポジティブなキモチとはちょっと違うのよね。どちらかというと切なかったり辛かったり。判る、とっても判るのだけど、それは業のようなものだから。  長いことオタクとして生きてきて思うのは、オタクって、なるものじゃなくて、堕ちるものだと思うのね。その楽しさの背景にある色々なモノを想うと、ツラくって仕方ネーや、って。  オタク(ヲタクって表記の方が少しだけ自嘲・侮蔑の意味がある気がするわ)にはシンドい映画だったわ。[映画館(邦画)] 4点(2020-02-09 15:06:32)《改行有》

690.  天気の子 《ネタバレ》  この虚無感はなに?  家出少年と親を亡くした未成年の姉弟。高校生を殴るチンピラ。銃をぶっ放す高校生。未成年だけで入るラブホテル。高校生に銃を向ける刑事と警官。国家権力に反抗して法を犯しまくる登場人物たち。  今のアタシはそういう刺激的な(あざとい)要素を、物語を楽しむためのドラマティックな題材として捉えられる気分じゃないのよね。  「繊細なフリして無神経」ってのはアタシが前から新海誠監督に抱いてる印象。相変わらずだけど今回はそれが腹立たしくもあって。  東京の西側に生まれ育った身からすれば見慣れた風景、それが「だから?」としか映らず。街が見せる「顔」はそこに住む人間からは必ずしも正しいとは思えず、上っ面のイメージとして提示されたモノに苛立ったりもして。  そう、上っ面。なんとなくそれらしい設定や映像やキャラや美術やエピソードや歌が並べられているけれど、その内側に一体何があったのかしら?いや、何かあったのかしら?  数々の類似した映像、エピソードを思い出しつつ(『時かけ』『バケモノ』な細田作品だの『聲の形』だの『サカサマのパテマ』だの『ペンギン・ハイウェイ』だの水没系なアレコレだの、いちいち挙げるのも面倒だわ、ってそうそう、でも忘れちゃいけない、愛という名のエゴが、リアルに描かれた東京を水没を含む壊滅のイメージの世界に誘う『X』も)、それ以上の何かがあった? それらが提示したモノの意味以上のものがあった? っていうか、それらがキチンと有機的に結合して1つの作品として意味を成してた?  『君の名は。』同様、ダラダラ流れる歌の数々と共に、アタシにはコレがなんとなく感覚的に雰囲気的に酔えればいいじゃない程度のものにしか映らなかったのよね。でも『君の名は。』ほどには娯楽映画として楽しいって作品だとは思えないし(かなり殺伐としてるわ)、かと言って、そんなに作家性なんてあったかしら?  愛にできることはまだあると信じたいけれど(特に今は京都アニメーションに対して)、でも、この映画の愛はそもそもなんだったのかしら? アタシ、それすら見失っちゃったわ。[映画館(邦画)] 4点(2019-07-19 23:14:35)(良:5票) 《改行有》

691.  フォルトゥナの瞳 《ネタバレ》  この映画に関してはアタシの評価がマトモじゃない可能性があるわ(いつもマトモじゃないって?うるさいわね)。  クソ右翼でトランスジェンダーの敵な原作者のコトが大嫌いなので、偏向フィルターがかかった状態で見てたかも、ってのは否めないものね。  一方で三木孝浩監督作品はどれも好きだし、有村架純嬢も好きだし、だから見たい映画ではあったのね。なので悩んだんだけど、貯まったポイントで無料で、かつ週末の動員数に絡まない金曜日に見ちゃえ、ってコトで初日での鑑賞。  映画はこれまでの三木孝浩監督作品の中で最低、経歴に泥塗っちゃった感じ?  調べてみると原作とはかなり違っている状態なので、これは映画独自の欠点が酷いって状態なのかしらねぇ。  ラブロマンス版『ファイナル・デスティネーション』みたいな物語とその結末は予告編と最初の20分くらいの展開で予測できちゃうのね。そしてその予測以上のモノは見せて貰えない、トキメキもハラハラドキドキもなく、ただ物語を消化してゆく状態に、もどかしさを感じるばかり。  何が悪いって、メインの2人が物語上の隠しごとを元に性格設定をしてます、みたいな本末転倒な状態で、そこからは血の通ったキャラが見えてこない、存在感希薄で魅力が薄くて映画にちっとも入ってゆけないの。つかみどころのない2人がつかみどころのないままに最後まで進んじゃうんだもの。  あと、コレは原作由来なのだけれど、フォルトゥナの瞳を持っているのが主人公だけではない、って点がもう萎えどころなわけ。既にその能力を持っている人物が出てきて、先輩として都合よく主人公に解説したり訓えを説いたりしちゃうのって安直だわ。まあ、複数人居ます、って設定しとかないと感動ポイントを作るのにあたって都合が悪いんでしょうけどさ。  その上、三木孝浩作品のいいところが今回はことごとくスポイルされちゃってるのね。  神戸を舞台にしたロケーションの魅力は全然出ていないし、いつもの光をコントロールしまくった映像作りも今回は不発。ソフトフォーカスレンズは映画全体をボヤケた印象にしてしまうし、それになんと言っても有村架純が全然!キレイに撮れてないの。『先生!、、、好きになってもいいですか』で広瀬すずを輝かせまくったあのテクニックは一体どこへ行っちゃったワケ?  まあ、TOHOシネマズ渋谷の3番スクリーンが相変わらずヘボい映写してたっていうのもあるんだけどもさ。  物語にもキャラにも映像にも魅力が欠けていて、見どころのない映画だったわ。っていうか、彼女、彼氏の命がヤバいんでなんとか助けなきゃ!のSFファンタジーパターンの映画、ありがち過ぎよね。本編上映前の予告編にも1本あったし。邦画界、アイディア枯れ過ぎだわ。[映画館(邦画)] 4点(2019-02-15 21:46:59)《改行有》

692.  人魚の眠る家 《ネタバレ》  とても考えさせる物語。  命について、脳死と心臓死について、そして自分の大切な人について。  もし自分ならばどう考えて、どう行動するのか、どう選択するのか、それは簡単には答えが見つからない問題。  で、そんなデリケートな問題を、堤幸彦監督はいつものようにガチャガチャと騒がしく、ゴテゴテと飾り立てて。すっかり気が散りまくりで落ち着いて考えさせてくれないシロモノにしてしまっているのね。  カメラワークは不必要なまでに動き、揺らぎ、クドい顔面アップが繰り返され、これ見よがしな画を重ねて。観客に思考の余地を与える気がない、いや、むしろまるでワザとそのジャマをするかのように。  アナモフィックレンズで撮ってるのだけれど、頻出するレンズフレアのためだけに使用してる感じで、左右に空間が存在しつつ頭切れアゴ切れしてる顔面アップの画は酷いモノで。本当は全編ビスタサイズでいいハズな画。  大仰な演技と高いテンションで大騒ぎな状態は、重要なシーンで更なるエスカレートを必要として映画の内側でばかり爆走状態。  雛壇飾り!鯉のぼり!誕生日!入学式!スローモーション!回想シーン! 強調してまーす!って映像の羅列にゲンナリ。  一方で重要視してるようでハンパな水の表現。冒頭の水たまりのカットの、そのハンパなこと。雨にしても効果的に配置してるのではなく、記号のような状態だし。  なるべく余計な映像や台詞を削ぎ落として、抑制してこその題材だと思うのだけど、どうも監督は、そうは考えてないみたい。  ダラダラと続いていつ終わるの?ってエピローグなんか見てもきちんと整理されていない感じで、もう少し映画をちゃんとデザインしようよ、って思ったわ。  あと、最終的に脳死は人の死、臓器移植に協力しましょう、って方向に傾いてた気がしたのだけど、それは原作がそうなのかしらねぇ?[映画館(邦画)] 4点(2018-11-18 17:29:37)《改行有》

693.  コーヒーが冷めないうちに 《ネタバレ》  このところ、映画を見てはモンクばっかり言ってるヤツ、みたいになっちゃっててねぇ。  この映画こそ、面白かった感動した泣いた楽しかったってポジティブなワードで溢れてくれたらいいのだけどねぇ・・・  役者さんは皆さん、良かったです。  映像もキレイでした。  以上、ポジティブな表現ができるのはそれくらい。  「4回泣けます」ってこの映画のキャッチフレーズだけど、一度も泣けねーですよ。  タイムトラベルモノってことで、この物語独自のルールがあるのだけど、そのルールがあまりに多過ぎて、もうフツーの感覚な部分が少なくなっちゃってるのね。しかも、そのルールは矛盾や疑問がいっぱい。物語を都合よく運ぶためのルールによって固められた世界。  そういうものだと割り切れ、って点が多過ぎて、ドラマがどうこう言う以前の問題という感じ。  「過去は変えられない」って事は過去に介入できない、つまり飛んでる間のみで完結すると思うじゃん、平行世界の泡のような時間だって。ところがそこからモノを持ってきたり、そこに居た人間の記憶が更新されたりしちゃうわけ。それ、過去変更可能じゃね?  しかも最後のエピソードは起源消失してるし。未来って名前を付けた元の人間が存在しないわよね?  4回泣けます、というのは描かれる4つのエピソードそれぞれのことを指しているのでしょうけど、まず最初のエピソードは軽くて、これ泣けるの?という感じ。  次の2つのエピソードはそれなりにドラマティックだけど、肝心のルールが逆にジャマをしてしまってるっていう。  そして、もっとも重要な最後のエピソードは、ルールによる仕掛けがメインになってしまっていて、そこに色々な疑問が生じてしまうので、映画がこちらを置いて一方的に酔っているような感じ。大仰な音楽がそれに輪をかけて、アタシ一体何を見せられてるの?みたいな。  タイムトラベルものって色々あるけど、これは独自ルールをあまりに大量に盛り込みすぎて、シンプルな感動を疎外しまくっちゃったように思うわ。雰囲気だけでSFとか作るもんじゃないわね。  ホラまたモンクばっかり。[映画館(邦画)] 4点(2018-11-01 19:45:47)(良:1票) 《改行有》

694.  旅猫リポート 《ネタバレ》  見終わってひたすらつらいだけの映画で困っちゃった。  お客さんを泣かすように作ってあるんだけど、泣ける映画はいい映画、というわけじゃないからねぇ。  予告編で物語はある程度予測できるのね。で、その予測通りなのだけど、更に背景にはもっと色々あって、そして主人公の境遇に対して、果たして物語は、映画は、メッセージは、それでいいの?って疑問に思ってしまって。主人公、もう人生猫だけ。ひたすら不幸。しかもその猫に対してすら不幸。それでも猫のナナと過ごせて良かったね、ってそれ、本当に良かった? 猫を残してこの世を去る事の無念、それがどれだけ不幸な事か。  つまりこれ、アタシのような独り身の猫飼いに対して冷や水を浴びせてくる映画ね。  日頃、感じてる不安、つらさ、十分自覚しているつもりのそこを改めて嫌らしくつついてくるようなカンジ。映画にいじめられてる?みたいな。  で、アタシこの映画、後半かなり経つまで「ナナとの旅」がひとつの旅だと思い込んでたわ。叔母さんがナナを飼うために転職して、って、だったら最初から旅に出る必要なかったんじゃ?・・・ってもしかして、その旅は何回かに分かれていて、いちいち時間が経過してる?みたいな。いや、ちゃんと注意して見てれば、ひとつの旅で富士山冠雪しててひぐらし鳴いてて菜の花咲いてるワケないんだけどさ、こっちはナナばっかり見てるっての。  そういうところの構成がダメだった気がするのね。何年前とか何年後とか字幕を出すパターンもあれば、断りなくいきなり時間が戻ったり飛んだりするパターンもあって、その上、旅には区切りを付けずに出っ放し状態に思わせて。わざわざ混乱させたかったのかなぁ?  猫のナナはとても可愛くて、他に出てくる猫たちもみんな可愛くて、だけどそんな猫が不幸なことになっちゃうとしたら?って悲しみとか不安とかを投げかけてきて(ハチは大体5~7歳くらいで死んじゃったのよね・・・)、それでいい映画を見たわ~、なんて気分になれるワケはないのだった~。つらいわ~。[映画館(邦画)] 4点(2018-10-28 19:34:37)(良:1票) 《改行有》

695.  オズランド 笑顔の魔法おしえます。 《ネタバレ》  昭和の頃に作られた映画です、って言われても納得しちゃうような古臭~いセンス、それはもちろん、舞台の遊園地に漂う昭和感だけが原因ではなくて。  仕事に向き合います、って映画なのだけど、信じられないくらいにインチキ、ハリボテな部分が多いのよね。実際にはそんなことあり得ないわ!ってツッコミ入れるしかないような、大きな引っかかりの数々。それが醒める要因になって、なんかとても空疎なものを見せられているようなカンジになって。  緊急車両を園内に入れないとするならば、園内でそれに十分に対応できる設備、体制が整っていなければならない訳だけれども、そんなの無し。もしお客さんに何かあったらどうするわけ? お客さんがどうこうって言っていながら、お客さんの方を全く向いてない映画なのね、これ。  ディズニーリゾートにもチラっとだけ触れつつ、それを表面的に豪華なモノとして扱い、こちらは人を、ナカミを描きますよ的な。でも実際にはディズニーリゾートの何も見てないし研究もしてない、ひたすら怠惰な映画なのよね。  年に5~6回ディズニーリゾートに行くのだけど、お客さんみんなが純粋に積極的に楽しんでる、その姿こそが魅力なんだと思うのね。そのためにあらゆる努力をしてる。だから遊園地を描く時に最も大切なのって、お客さんの表情じゃないかしら? ところがこの映画ときたら、お客さんはモブ、あくまで従業員ばかりが目立つような世界。もっとお客さんの「顔」を捉えようよ。  いい加減な部分は他にも色々。クライマックスだって、気球乗る事まで計算してた? 一人で気球を操る事も? 気球がアトラクションに衝突する危険性は考えなかった? そこにかかってる冒頭のエピソードも含めて、従業員だけで完結していてお客さんの方を全く向いてないじゃない。  アイドルのワガママを聞くのだって、あれじゃブラック労働推奨状態だし。  もうあらゆる事がインチキ臭くて、もっと真剣に題材に向き合ってくれないかな、って思ってしまったわ。ちっとも「仕事」に向き合えてないわよ、この映画。  西島秀俊のキャラってこの映画にとって最も重要な筈なんだけど、そういうキャラに至って、そしてそういうキャラであることの何が具体的に良いのか、それが見えてこないし。  「笑顔」っていう単純なキーワードだけで引っ張っちゃってるみたいで。その具体的な例を示す、魅力的な人に思わせるためのエピソードがまるで欠けてて。  熊本の復興にひと役買う映画、なのかもしれないけれど、だからって質はあまり重視しなくてもいいというものでもないわよねぇ。  今、この時代に作られることの意味、残念ながらそれを感じ取ることができない映画。[映画館(邦画)] 4点(2018-10-28 19:09:05)《改行有》

696.  劇場版 フリクリ プログレ 《ネタバレ》  『オルタナ』は今ひとつピンとこなかったんだけど、コレは『オルタナ』よりもシンドかったわ。  『オルタナ』で感じた前時代的センス、アレがもっともっと強調されているような作品。  相変わらずのセカイ系、前作ではちょっと『エヴァ』風味?みたいなカンジがあったりしたんだけど、今回はもうしっかり『エヴァ』だねぇ、って映像があったり。  あと、元ネタが昭和なアニメっていう映像も色々出てきて、全体的に懐古主義的な雰囲気がプンプンと漂ってたり。『コナン』とか『ルパン三世』とか、もう定番なヤツ。  そして、前作にはまだ存在していた物語が、今回、限りなく薄くなっちゃってるのよね。  『オルタナ』と話自体は繋がってなくって、ただアイロンとハルハ・ラハル(『オルタナ』のハルハラ・ハル子とは同じ人物だけど違う人物でもある?)が共通してる、って程度。同じ次元の話なのか、平行宇宙とかそういうモノなのか、そういうのすらどうでもいいのか、よーわからん。  今回も6話構成だけど、1話1話に明確な物語の流れがなくて、ひたすら状況がある、ってカンジ。そこからはなかなかキャラの魅力も生まれてこなくて、少人数で語られる終末的な物語は興味を維持するのがタイヘン。  1話ごとに絵柄が変わるのも作家の個性とか言うより統一感が無くなってガタガタした状態に見えちゃうし。  そして色々と思わせぶりな展開の末に辿りつく着地点が、そんな話なんだ・・・ってカンジで、わりと古いというか、ツマンナイというか、今この時代にソレ?と思ってしまって。ハルハ・ラハルの目的がまーなんつーか前時代的つーか昭和歌謡の世界かよ!みたいな状態で、かなりガッカリだわよ。  ついて来られるヤツだけついて来いって作りなワリにカビ生えたような古臭いオチ。全体的に『オルタナ』よりもセンス古いわね。  前世紀末に作られた元の作品の感覚のままに引っ張ってきてるのかしら、遅れてやってきた世紀末、みたいなアニメね。かなり眠たかったわ・・・[映画館(邦画)] 4点(2018-10-19 21:40:03)《改行有》

697.  3D彼女 リアルガール 《ネタバレ》  これはね、マンガやアニメだからこそ成立するネタ。実写でやっちゃったら「何様?」ってコトになっちゃう。  この映画ではアニメ=オタク=コミュ障=ひきこもり予備軍みたいな描き方(実際セリフにもしてる)で、ヒロインがそれを差別しない事で一見肯定的に見えなくもないけれど、実際にはそこからの脱却、卒業こそが唯一の成長ってハナシ。  ここではアニメは自己否定を引き起こす内的要因のメタファーみたいなモノ。ひたすらリアルに対するネガティブ発言を繰り返すアニメキャラ「えぞみち」に反映されていて。  アニメにはリアルを物理的に変化させる力は無い、それはその通りだけれど、実写映画もまた単なる二次元で、アニメと同一のフィールド上に存在するものなワケ。役を演じる人々はリアルに存在していても、そこに映るのは光と影と音の集合体、実体の無い幻、アニメと一緒。ついでに3D映画は2つの平面を映写してるだけの、ただの目の錯覚。アニメ同様、リアルを物理的に変化させる力は無いわ。  だからこの物語をマンガやアニメで描く分には自虐的、内省的に成立するけれども、実写でやると上から目線の、何らかの優位性を主張している状態になっちゃうワケよね。なんて思い上がりっぷりよ?  もっとも、リアルにはありえないような人物像や演技、後半の陳腐な展開は「映画」の限界っぷりを自虐的に描いてるのかもしれないわね。まあ、こんな程度のモンに「映画」を象徴されちゃたまったモンじゃないけど。  英勉って人、『トリガール!』でもオタクをネタにして嗤いつつその後のフォローをしなかったけれど、結局そういう人なんでしょうね。そっち方面でばっかり商売してるクセにね。  でもカメラと照明は丁寧。いい仕事。人工の光の効果的な使い方や、自然光でしっかり作られたコントラスト、レンズを使い分けた凝った画作り。もったいない。  中条あやみも美しく映えていて。でももったいない。  まー、見ていてストレスいっぱいの、色々もったいない映画だったわ。[映画館(邦画)] 4点(2018-09-16 17:24:03)(良:1票) 《改行有》

698.  劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 《ネタバレ》  冒頭にこれまでのあらすじ的なモノが流れるのだけど、初めて『コード・ブルー』に触れる人間には全く理解できないシロモノ。「思い出の名シーン」みたいな。  完全に一見さんお断り映画。作品世界や登場人物の知識がある事が大前提になってる作り。映画としてちゃんとするよりも、ファンを楽しませる事を第一に作られてるようなカンジ? 映画としてはガタガタ。  色々なエピソードが同時進行、というよりバラバラに散りばめられていて、でも、それぞれがキチンとした流れになってなくて。起承転結のどれかがスッポリ抜け落ちたエピソードの行列。っていうか、それぞれがレギュラーキャラのドラマを盛り立てるためだけに存在しているようなもので、登場する怪我人も、大事故ですらも、キチンとしたケリをつけないままに放置されるという、最終的にはどうでもいい扱い状態。キャラへの思い入れが総て。  なので、ドラマを一切見ていない人間にとっては知らない人の結婚式のビデオを見せられるような感覚。勝手に盛り上がってる状態を傍観するのって、なかなかの苦行よね。明らかに馬鹿な状態も、あれ、ドラマを見てた人から見れば自然なのかしらねぇ? 浅利陽介のキャラなんか本当にウザいだけのバカキャラにしか思えないのだけれども、アレもドラマを見ていれば、って? 私語多過ぎでプロ意識欠如しまくった人達の集団に見えるのも、ドラマを(略)  3人のモノローグが登場して、その禁じ手(通常は1人。じゃないと人称ブレブレでしょ?)を使うのは、その3人が等しく主役だから、って事なんでしょうけど、その恥ずかしいポエムみたいなモノローグはキャラの心情をぜーんぶ説明しちゃうっていう。  そもそもモノローグ出してこなくたって、全キャラ気持ちも心もセリフで喋りまくってるし。勝手に自分語り始めちゃうキャラ多数で、学芸会風だわよ。  あと音楽うるさい。超うるさい。ずっと鳴り続け。でもそれもドラマでお馴染みのメロディだったとしたら、ドラマ見てた人にとっちゃ(略)  一体いつになったら終わるの的な、長い長い馬鹿げたエピローグ部分も、ドラマ見てた(略)  でも、それでもコレが今って時代を映す日本の映画なのだから、その存在自体を否定はしないわ。普段あまり映画を見ないようなお客さんでシネコンがいっぱいだもの。短いカットをちゃかちゃか繋いだり、上着を羽織る後ろ姿をスローモーションで見せたりして『踊る大捜査線』から20年、全く進歩無しかよフジテレビ映画、とか思ったりはしたけどね。[映画館(邦画)] 4点(2018-07-28 15:47:09)《改行有》

699.  未来のミライ 《ネタバレ》  自分の子供は可愛い、でも世界中の誰もがその子を可愛いと思ってるとしたら、それは大間違い。他人にとって人んちの子供なんぞ、ウザいだけの存在。  そんな基本的なコトが判ってない監督が作った映画という感じね。多分、自分の実体験から来てるんでしょうけれど、このやかましく泣き虫で自己主張ばかりのクソガキくんちゃんを可愛いって感じる人間が果たしてどれだけいると思ってるんでしょ?  アタシにはあのウザさが最初から最後まで続くのでひたすら苦痛でしかなかったわ。  子を持つ親から見た「あるある」で共感を呼びたいのかしらね?  世界がほぼ一軒の家の中だけで完結するお話。家の構造は一見面白いけど、ああいう構造にしなければ映画としての演出がシンドいという事情も透けて見えるし、第一プライバシーも何もあったモンじゃなくて、実生活では絶対に色々と問題が生じるわよね。でもアレが理想、アレが正しいとか思ってそう。  ああいう家で暮らす、ああいう夫婦・・・キモチ悪いわ・・・。  テーマは否定されるべきモノでもない、ごく真っ当な事を言っていて、でもそれをセリフで言ってどうする、って感じ。もっとも私から見れば、血縁と土地とに縛られてるように見えるケドね。  そこそこの収入があって、衣食住に困らず、介護の心配もしなくていい、悩みは子育て、だけど2人以上の子供が持てるだけの余裕がある、待機児童問題も無縁な、子供の面倒を親に頼る事もできる、そんな生活をしている若い夫婦にならば楽しめる映画、かしら?  そんな人、今の日本にどれだけいるのか知らないケドね(笑)  多様性から目を背けた、酷く保守的で独善的な映画に見えるのは、アタシの僻み根性なのかしらねぇ?[映画館(邦画)] 4点(2018-07-20 22:50:08)(良:1票) 《改行有》

700.  ラプラスの魔女 《ネタバレ》  見る前はミステリーだと思ったんですけど、実際はSF&オカルト。荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話で、それを説得力ある描写で納得させてしまう、とかいう事は全然していないんですよね。むしろ更にヘンな事しちゃってる、みたいな。  脳外科手術によって極度に発達した観察力、洞察力が、現象の論理的帰結として到達する状況を予知するって、カオス理論に対してケンカ売ってるような話ですが(笑)、例えばヒロインがダウンバースト時にクルマを利用して屋敷に穴を開ける、その際に彼女がいかにしてクルマの重量、その重量配分、ガソリンタンクの位置とタンク内のガソリンの残量と移動を把握できたのか、それを論理的に見せる事が出来ない以上、ただのバカ映画にしかならないんですよね。それ以前の問題ってのもいっぱいありはしますけど。  全編、ヘンなんです。おかしな、普通じゃない人達ばかりが出てきて、普通じゃない言動に終始するという。その中で狂言回しとして櫻井翔が状況を解説してゆくように巻き込まれてゆきますが、その凡庸さは周囲のヘンさを際立たせるために機能しているようで。特に豊川悦司の変人っぷりは作り物感丸出し、80年代くらいまでの邦画にはこういうキャラよくいたよねぇ、って懐かしい脱力感を体験させて頂きましたよ。  結局、三池崇史監督なんですよね。『神様のパズル』からなんにも進化してない、とにかく勢いで押しちゃえばなんとかなる的な。  で、今回気になったのが、出演者全員いつもと違うヘンな顔。眉と目を強調しつつ、顔はフラット気味なメイク、そしてフラットなライティングで表情を作ってる感じ。それが作り出したのが丸顔で太って見える櫻井翔、眉毛濃すぎな広瀬すず、線目の福士蒼汰、貧相な豊川悦司、超クドい顔の高嶋政伸。本当にそのメイクとライティングで良かったのか?と。演劇の手法を取り入れてるのかもしれませんが、それって遠くの客席からでも表情が判るためのメイクなわけですから、それをドアップで撮られるとキツいわけで。  何から何まで作り物感で支配されていて、この物語に対して、それは「逃げ」なんじゃないかなぁ、と思うのでした。三池崇史監督の映画って、そんなんばっか。[映画館(邦画)] 4点(2018-05-11 21:24:23)《改行有》

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