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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
1. 脳内ポイズンベリー 《ネタバレ》 自分も原作漫画は読んでないけど、脚本書いているのが例の〝原作クラッシャー”として悪名が轟いている相沢友子なので、この映画がどこまで原作のテイストが活かされていたのかはちょっと心配なところがあります。まあとにかく、ヒロインに寄ってくる男たち、早乙女・越智・いちこの元婚約者がそろってクソ野郎なのがひどすぎでした。いちこ「昨日誕生日だったんだ」早乙女「それで幾つになったの?」いちこ「ちょうど三十」早乙女「えっ、三十、そりゃないわ…」こんな返しをしちゃう男はほんとサイテーです、いくら後で言いつくろっても〝三十歳と知って思わず本音が出ちゃった”としか受け取れませんよね。まあこの後のいちこの落ち込みと脳内メンバーのリアクションが、本作でいちばん笑えたところでしたがね。結婚式寸前で違う女を孕ませちゃう元婚約者はもちろんですが、担当作家にガチ恋しちゃう編集者もけっこうヤバいんじゃないかな。脳内会議のメンバーでもやはり目立ち過ぎるぐらいだったのはやはり吉田羊と神木隆之介ですが、自分にはこの演技が上手いというよりウザくしか感じませんでした。いちこがHをするときに現れる〝黒い女”、なるほど快楽に身を預けるときには理性や感情もブラックアウトしちゃうんですね、いちこという女は実はかなり肉食系女子だったんですね(笑)。コメディというよりはかなりシリアスなストーリーなんですが、後半にかけて一昔前のトレンディ・ドラマみたいな雰囲気になっている感じがするんですよね。よく見るとフジTV資本の映画じゃないですか、そりゃそうなるよね。ラストはヒロインがクソ男・早乙女をきっぱり捨ててくれたところにちょっとカタルシスが有ったので、プラス一点を献上します。相沢友子脚本なので、最後はよりを戻すなんていうクソなハッピーエンドになっちゃうんじゃないかと心配でしたよ。[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-04-24 22:48:12) 2. シコふんじゃった。 《ネタバレ》 周防正行の作品には独特の品の高さがあるのが好きです。初期の『ファンシイダンス』・本作・『Shall we ダンス?』の三作の中では自分は本作がいちばん好きで、周防正行の最高傑作なんじゃないかと思っています。大学スポーツクラブ活動を題材にしたテーマにした日本映画は意外と少なく、ましてやミッション系大学の相撲部とくればある意味突飛なアイデアと言えるぐらいです。ほんと、立教大学(教立大学)に相撲部があるなんて恥ずかしながら知りませんでしたし、たしかにイメージし難いですよね。本木雅弘のチャラい軟派な大学生というキャラは前作『ファンシイダンス』からの踏襲ですが、まさにイメージ通りだし二作しかなかったけど周防正行と本木雅弘の相性は抜群に良かったんじゃないかと思います。相変わらず本作でももっともキャラが立っていたのは竹中直人ですが、他の映画ではウザくなるのに周防作品ではかなり(これでも)抑制した演出で光る存在になり、とくに本作は最高でした。他の登場人物もみなキャラが立っており、かつて学生横綱だったという穴山教授=柄本明という、軟弱学生しかいない現実に相撲部存続を半ば諦めているけどここぞというときには自らまわしを締めて的確に指導するという不思議なキャラが光っていました。そして男装して土俵にあがって試合に臨む巨漢女子マネージャー、凡庸な脚本ならこの顛末のてんやわんやをコメディにしてしまうところなんですが、この健気な女子マネージャーの奮闘にはホロリとさせられるような感動が生まれるところが素晴らしいところです。相撲のシーンのバックにジャン・コクトーの文章を被せてくる、こういうセンスも私は好きです。まわしを締めるのを拒否する交換留学生やキリスト教の学校なのに土俵部屋に神棚があるとか、日本文化をさりげなく皮肉る視線も忘れずに盛り込んでいるところも秀逸です。ラストで清水美砂がもっくんと四股を踏む爽快感も、堪りません。 数年前に立教大学相撲部が、周防正行を名誉監督に任命したそうです。やっぱ立教大学相撲部は実在するんだ(笑)。[CS・衛星(邦画)] 9点(2025-04-15 23:38:36) 3. フランケンシュタイン(1994) 《ネタバレ》 メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』は、学生のころ英文購読の教材だったので読みとおしたことがありました。フランケンシュタインが創り出した怪物が哲学的な語りをすることに、妙に違和感を持ってしまったという記憶があります。原作に忠実に撮ったというこのケネス・ブラナー版を再見して、その違和感が甦ってきました。処刑者の頭部というか脳をくっつけて創られたクリーチャーがやっとFriendという言葉を理解できるぐらいの段階なのに、フランケンシュタインの研究ノートを読解して終いには愛を求めるようになる過程が、いくらフィクションとは言っても不自然な気がします。そもそもシェリーは科学否定的な思想の持ち主だったので、小説の中でもクリーチャーという存在の科学的な辻褄合わせには興味が無かったんじゃないかな。 このケネス・ブラナーの『フランケンシュタイン』は一言で要約すれば“グロいメロドラマ”ということになるのかな。デ・ニーロが演じるクリーチャーは、史上もっともグロいフランケンシュタインのクリーチャーだったと思います。このクリーチャーのパブリックイメージはボリス・カーロフ版であるのは間違いないけど、デ・ニーロのクリーチャーはボロを纏ったホームレスにしか見えないのが難点だな。でも登場時には生々しかった縫い目が終盤にはかなり薄くなっているところが、生身の肉体が素材だけあって妙にリアルです。ヘレナ・ボナム=カーターのエリザベスは、自分的にはミスキャストじゃないかと思います。このエリザベスには清楚な感じが皆無なので、私が抱くエリザベスというキャラとは隔たりがあり過ぎるのも原因かな。ラストで凄まじいメイクの女クリーチャーにされちゃうのはさすがに可哀そうだったかな、そういやティム・バートン作品なんかでも酷いメイクされがちだし、意外と彼女自身がこういうのが好きなのかも(笑)。 『ドラキュラ』を撮ったコッポラが本作ではプロデューサーにまわったわけですが、この作品では監督のケネス・ブラナーの撮り方には満足できずにかなりもめたらしいです。まあもしコッポラが監督にまわっていたら、こんなに音楽過多なメロドラマにはならなかったでしょうね。[CS・衛星(字幕)] 5点(2025-04-09 22:33:00) 4. そろばんずく 《ネタバレ》 時はバブル経済が芽吹きだした86年、まだ河田町でぶいぶい言わせてた頃のフジTVが自社で売り出しにかかっていたとんねるずの人気に便乗し、これまた『家族ゲーム』などでその鬼才ぶりが注目されていた森田芳光を起用した怪作というか単なるポンコツ映画。なんせ併映が『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』ですからねえ…むか~しリリースされたばかりのころレンタルビデオで観た記憶があるけど、あまりのつまらなさと訳の分からなさで途中でギブアップしてしまった記憶があります。ウン十年ぶりに観直しましたが、やっぱこれは酷いわというのが率直な感想、製作者に今や日本一の悪役となってしまったフジ・メディア・ホールディングスの取締役相談役のご尊名をお見掛けするのが妙に香ばしい限りです。 まあフジ側からの企画に乗っかって脚本書いた森田だろうが、潤沢な予算に眼がくらんで適当に遊んでみましたって感じなんだろうな、でもこういうのぼせ上ったことをするから彼はその後の低迷期を招いてしまった気がします。バラエティー番組のノリのまんまのとんねるず二人の演技は観ていてだんだん不愉快になってくるレベル、それに合わせて支離滅裂なエピソードを延々と見せられるのも耐え難い。電通と博報堂をパロッたト社とラ社という広告代理店が舞台だけど、あの軽薄極まりない両社の営業や社内は当時のフジの社風そのまんまだったんだろうな。でもここまでミエミエのモデルにされてコケにされた両社にもいくら何でも失礼の極み、広告業界出身だった筒井康隆の”士農工商代理店”という名惹句が思い出されますけど、当時のフジというかTV業界の傲慢さが透けて見える気がします。それが最後に合併して〝トラ社”になるとは、もうミエミエのオチでしたがこれで笑える人なんていますかね?演者はポンコツ映画にしてはけっこう豪華な面々と言えますが、自分としては名取裕子にあれだけおバカな演技をさせたってのはある意味偉業だったと思います(笑)。 けっきょく今や否定されかかっている所謂ギョーカイのおかしなところを再確認させてくれる価値はあるのかな、ってぐらいしか褒めるところないです。木梨憲武と安田成美が結婚するきっかけとなったということも、おっと忘れてはいけませんね。[CS・衛星(邦画)] 1点(2025-03-19 22:28:17) 5. 幻の湖 《ネタバレ》 カルトでおバカな映画は数あれど、90年以上の歴史を持つ東宝映画の中でも屈指の地位にある本作は、おバカ映画として観るにはちょっとハードルが高いんですよね。世に数多あるおバカ映画は上映時間が長くてもせいぜい90分、ところが本作は2時間40分も尺がありますからねえ。自分は結果的に三回に分けて鑑賞しましたが、やっぱこれが正解、通して観たら終いには精神状態が不安定になりかねないヤバさがありました。 日本映画の歴史にその名を刻む大脚本家である橋本忍の三作目の監督作なりますが、どうしてこんなことになってしまったのか溜息が出るばかりです。そもそも本作のプロットが生まれたのは、『八甲田山』のロケ現場でブナの木に話しかけた(?)ときに一枚の絵が脳裏に浮かんだのがきっかけだったそうで、もうそこからどうかしています。『八甲田山』という一種の映画的な狂気が渦巻いていた撮影現場に身を置いたことで、すっかりその狂気に憑りつかれてしまったんじゃないでしょうか。一応シナリオは纏め上げたけどさすがに「こりゃあ、あかん…」と自信喪失して製作中止も考えたけど、プロジェクトとしての進行は止められなかったとのこと。東京と琵琶湖畔で二回も尺をとって延々と見せられるマラソン追跡劇は有名だけど、普通は端折るだろうというような車の移動に尺を使ったり随所に冗長極まりない描写が多くて、橋本忍の監督としての力量にも疑問符がつきます。ヒロインの南條玲子も1,600人のオーディションを勝ち抜いてデビューとなっていますが、あまりに素人じみた演技で驚きます。まあ現役女子大生がヌードも披露のソープ嬢役でデビューというのもちょっと可哀そうですけどね。宇佐美彰朗にマラソン指導させたのはいいけど、もっと演技指導に力を入れてください(笑)。とにかくこのヒロインがどう考えてもメンヘラ女としか見えないのが致命的です。 この映画のキャラたちは薄っぺらくて行動にリアリティが無さすぎるところは致命的。雄琴でソープ嬢をしている米国の情報機関員(?)の女なんかが登場しているのがその代表格。でも唐突に始まる戦国時代編には、北大路欣也や関根恵子をはじめ大物俳優がキャスティングされているし、現代編と比べてしっかり演出されてはいます。芥川也寸志のサウンドトラックも無駄に格調高いんですが、彼はこの映画がこんな珍作になるとは予想してなかったんじゃないかな。 やっぱいちばんズッコケるのは、ヒロインが愛犬の仇を琵琶湖大橋上に追いつき「シロ、勝ったよ~」と歓喜してからの敵討ち、たぶん予備知識なしで映画館で鑑賞していたら自分は発狂していたと思います。そのあとの科学考証でたらめな宇宙遊泳のシーンなんて、このバカバカしさと比べたら可愛いもんですよ。[CS・衛星(邦画)] 1点(2025-03-10 21:47:47) 6. 俺たちの血が許さない 《ネタバレ》 対立組織に襲撃されて絶命した昔気質のヤクザ組長には二人の幼い息子がいた。成長して社会人となった二人は、兄はきちんとしたスーツ姿の勤め人風で、別居しているが年老いた母親に毎月けっこうな金額を渡している。広告会社に務める弟は自由奔放で無鉄砲、同居している母親には心配ばかりかけているがサラリーマン生活には物足りなさを感じている。18年前父親を襲撃した男が刑期を終えて謝罪に親子のもとを訪れてから、この兄弟の運命の歯車は狂いだしてゆく… 監督が鈴木清純ですから、お約束のヘンテコなカットや映像は当然のごとく散りばめられていますが、ストーリー自体は割とまともな現代的な任侠ものといった感じで『殺しの烙印』のような訳の分からなさは無かったといって良いでしょう。対照的な性格の兄弟は兄が小林旭、弟が高橋英樹という組み合わせです。この映画でもやっぱ小林旭のカッコよさと渋さは際立っています。キャラ設定は苦学してなんと東大を卒業したのになぜか暴力団傘下のナイトクラブの支配人、毎月お手当を渡して貰っている母親は彼が組織の準構成員みたいな存在なのは知りません。こんなキャラ設定には不自然さはありますが、まあ良しとしましょう。組織のトップは小沢栄太郎でいかにも悪そうで、監視役として付けられた秘書の松原智恵子は旭と恋人関係になっています。この松原智恵子が暗い影を持った女なんですが、その色っぽさと言ったらなかなかのものでした。弟の彼女は勝気な同僚のカメラ・ウーマン、この兄弟カップルは対照的になっているのがこのストーリーの特徴です。高橋英樹も旭には貫禄負けはしてますが、その元気いっぱいのはっちゃけぶりは観ていて愉しいです。「息子らにはヤクザの道に入らせるな」という父の遺言を破って弟は組を再建しようとするのですが、途中からその話は有耶無耶になって消えてしまうのが、ちょっとなんだかなあと思ってしまいました。このころの鈴木清純作品にはカラーとモノクロが混在していますが、カラー作品の色遣いの鮮やかさは作品の内容は別にしてもハッとさせるものがあります。[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-03-04 22:58:12) 7. 東京の女 《ネタバレ》 サイレント時代の小津安二郎の小品、実は撮影スケジュールに穴が開いたのでやっつけ仕事でわずか9日間で撮り上げたという代物、とは言えその完成度の高さはさすが小津と言えます。岡田嘉子のたった二本しかない小津作品での主演作ですが、貫禄さえ感じる名演技は、今や彼女の出演映画を観るのが困難になっていることを考えると貴重です。この映画には、小品ながらいろいろと謎というか仕掛けが散りばめられているところが、興味深いと思います。エルンスト・シュワルツという人の『二十六時間』という小説だか芝居が原作となっていますが、このシュワルツなる人物は小津の別名、彼にはジェームズ槙なるペンネームもあるけどエルンスト・シュワルツというのは本作だけみたいです。もっともこの名前は脚本家としてのペンネームとは違うけどね、なんとも洒落た人だったみたいですね。謎となるのはやはり劇中でも耳打ちされるだけで観客には判らない姉=岡田嘉子のもう一つの秘密、考えればサイレント映画なので普通の会話芝居でも字幕にしなければいいだけなのにね。でもこの演出によって彼女が夜職よりもずっとヤバいことに関係していることが強調される良く考えられた演出です。やはりこれは昭和初期という時代を考えると共産党などの思想関係の活動だと解釈するのが妥当でしょう、小津が意識していたかは不明ですが岡田がその後にソ連に亡命したことを考えるとなんか意味深です。いくら戦前と言ってもOLが会社に内緒で夜職をしているぐらいで警察がわざわざ職場に調査に来るわけがない、やっぱ治安維持法がらみだと見たほうが自然です。この映画での田中絹代の行動はもうアホとしか言いようがない、まあいくら知り合いだったとはいっても警官の兄が妹の田中に捜査情報を漏らすというのも言語道断ですがね。田中絹代の軽率な行いが弟=江川宇礼雄を自殺に追い込んでしまった訳で、ラストでは岡田と田中の間で修羅場が繰り広げられるのかと思ったら、涙を流しながらも「このくらいのことで死ぬなんて、良ちゃんの弱虫…」という岡田のセリフにはなんか主義者の覚悟が見えたような気がしました。 ところで私にとってこの映画の最大の謎は、なんでこのストーリーが『東京の女』というタイトルになったのかということです(笑)。[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-03-01 22:44:53) 8. 吶喊 《ネタバレ》 岡本喜八が東宝を離れてATGで撮った知る人ぞ知る異色作、彼は明治維新を評価しないことが知られているが、その明治維新の欺瞞性を官軍側視点で撮った『赤毛』の反歌のように戊辰戦争を賊軍のストーリーとして語っているとも言えます。 百姓の仙太と官軍と賊軍の狭間を行ったり来たりしている万次郎のコンビネーションがもう可笑しくてしょうがないです。巨根を持て余しヤルことしか頭のない仙太、ATGらしく東宝じゃ考えられない下ネタが散りばめられているのも愉しいところかな。ところがそんなおふざけだけじゃ無く、戊辰戦争で起こった史実も巧みに取り入れているストーリーテリングがまた巧みです。世良修蔵の阿武隈川岸での斬首、そして山川大蔵の彼岸獅子の行列に扮しての鶴ヶ城入場など、この入場は嘘みたいなほんとの話です。後半は細谷十太夫=高橋悦史の博徒を組織化したからす組の活躍がメインになりますが、この高橋悦史が実にカッコイイんです。土方歳三=仲代達矢もカッコイイんだけど、冒頭だけのカメオ出演だったのは残念。本作は仙太や万次郎と女郎やからす組隊員たち以外はみな実在の人物みたいです。官軍の残虐行為だけじゃなく、賊軍=仙台藩のだらしなさぶりもきっちりと描いていて、一種の革命だったとは言え戦争の非人道性・虚しさは訴えるものがありました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2025-02-28 22:01:09) 9. 姿三四郎(1943) 《ネタバレ》 黒澤明の監督デビュー作であるが、戦時中の製作で検閲で17分も勝手に切られるし戦後はGHQに“反民主主義的”とされて上映禁止にされるわ、色々と面倒に巻き込まれてしまった作品です。こんなに武士道的な価値観をメインにした映画がなんで検閲に引っかかるかと不思議だったが、戦時中のフィルム不足や電力節約で尺を80分以内に納めなければいけなかったらしいです。でも同じ藤田進が主演した44年の『加藤隼戦闘隊』や『雷撃隊出動』は前者は90分以上、後者に至っては110分も尺があります。これは陸海軍協力の戦意高揚映画だから特例扱いなのかもしれないが、官尊民卑もいいとこです。占領時代はチャンバラ映画や時代劇がすべて製作禁止されていたそうなので、GHQは武道ものだからという理由で深く考えずに禁止したんじゃないかな。 小中学校時代に柔道を嗜んだ小生としては、この映画の柔道や柔術は単なる格闘技にしか見えなかったですね。まあまだ柔術が加納治五郎によって柔道に整備される前の頃のお話しなので、〝一本!”や〝技あり”で勝負が決まるわけでもなく、下手したら相手が死ぬまで組み合っているのでこりゃブレイキング・ダウンよりおっかないですよ。藤田進の三四郎は体の動きが固すぎてちっとも強そうじゃないし、因縁の相手である月形龍之介=檜垣源之助もただ一人いつもマントまで羽織った洋装でとても強い柔術家には見えないんですよ。流派の雌雄を決する試合の相手も志村喬なんで、そりゃあ藤田進が勝つよなって感じです(笑)。でもストーリーテリング自体はさすが黒澤明って感じで、ラストの野原での決闘もその激しい雲の動きを巧みに織り込んだ撮影は見事です。 字幕で説明される欠落部は三四郎が特訓によって真の柔道を体得するシークエンスだったみたいで、これが観れないとなるとこの映画の正当な評価を下すのはちょっと難しいかも。でもいくら戦時中の映画とは言え、まるでサイレント時代の映画みたいな状態のフィルムは、何とかならなかったんでしょうかね?[CS・衛星(邦画)] 6点(2025-02-22 23:24:21) 10. ガメラ対大悪獣ギロン 《ネタバレ》 いきなり予算が三分の一に減らされて「これが最後のガメラ映画だ」と思ってた『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』が予想を上回るヒットを記録、同じ予算でもう一本撮れと命じられて監督の湯浅憲明はその予想できるきつさに泣いたそうです。このころはすでに大映倒産が秒読み段階だったんですが、この後にも最後っ屁のように二作も昭和ガメラは続いたのでした。 もうここまで来ると、怪獣特撮というよりも完全に児童向け映画と化してしまった感があります。脚本も投げやりというか、「もう、どうにでもなれ!」という開き直りさえ感じてきます。敵役怪獣ギロンはそれまで実在の生物から造形してきたモチーフを捨てて、観ての通りの出刃包丁の擬人化ならぬ怪獣化という驚きのプロット、これは70年代以降のTV特撮番組でのモンスター造形に多大な影響を与えたんじゃないかと個人的には思っています。ゲスト出演した宇宙ギャオスをバラバラにして首チョンパ、まあ名前からしてギロチンが由来ですからね(笑)。いちおう設定は太陽を挿んで地球の反対側にある第十惑星としていますが、地球から少年たちがたどり着くまでの展開は、まさに子供だましでなぜか宇宙空間にガメラがいて宇宙空間を火を噴きながらついてくるのがわけわからない。第十惑星の宇宙人基地のセットは、さすがにあの酷かったバイラス星人の宇宙船よりはマシだったけど、少年たちが歩き回るとベニヤ板製(たぶん)の床がペコペコと軋むのがなんか情けなくなります。登場する宇宙人は地球でいうところの女性ペア、でも人間の脳みそを喰いたがるトンデモ無さです。あわれ少年の一人は開頭するためにバリカンで丸坊主、これは子役に対する虐待と捉えられて現代ではSNSで炎上するかも(笑)。 メキシコオリンピックの後だったからかガメラが鉄棒競技で大回転してウルトラCをキメるし、大村崑は「嬉しいと眼鏡が落ちるんです」というお得意のギャグを披露、まあこれが当時の観客にウケたのかは不明ですけどね。でもギロンに輪切りされた宇宙船をガメラが吐く息(?)で溶接してくっつけちゃったのにはもう唖然、ガメラの口からはアセチレンガスが出てくるのかよ![CS・衛星(邦画)] 3点(2025-02-01 22:23:10) 11. 美徳のよろめき 《ネタバレ》 1957年に出版された三島由紀夫のベストセラー小説の映画化、この“よろめき”というフレーズは同年の流行語大賞と言えるほど巷では流行ったそうです。原作の内容は日本版『ボヴァリー夫人』という感じの姦通小説で、フランスの心理小説を思わせる三島由紀夫独特の文体なんだそうです(自分は未読です)。 代々続いた華族家庭出身の節子(月丘夢路)は実業家の倉越一郎(三國連太郎)と結婚し、住み込みの家政婦もいる鎌倉の豪邸で幼稚園に通う一人息子と暮らしている。夫はまあ普通の男だが、彼女にはその俗っぽさなんかが合わなくて段々愛情が薄れてきている。そんな時に街で偶然むかしちょっと関係があった男である土屋(葉山良二)と遭遇してお互いを意識するようになる。女学校時代の同級生で人妻なのに男漁りが激しい牧田与志子(宮城千賀子)にけしかけられて、節子は土屋と段々深い関係になってゆく。 脚本を書いたのは新藤兼人、三島由紀夫小説の脚色とは彼のイメージに合わない感じがするが、新藤のパートナーである乙羽信子が月丘夢路と宝塚歌劇団の同期だったという関係もあったのかもしれない。実は三島はこの映画を「これ以上愚劣な映画はちょっと考えられない」とまで酷評しているんです。たしかに調べるとストーリーは外見的には似ているけど「内容的には原作と別物」と評されるのも納得できるところがあります。出版されたのが57年6月、封切が同年10月下旬なのでさすがの新藤もじっくりと構想を練って書く余裕が無かったのかもしれません。月岡夢路の節子はその美貌といい雰囲気といい文句なしです。でも東宝には久我美子や河内桃子といった本物の華族令嬢だった女優がいたので、東宝で彼女らを起用して映画化したら面白かったかもしれません。 本作の最大の難点は、二人の不倫カップルにぜんぜん感情移入ができないところです。とくに土屋という男は、内面の葛藤はともかく子どもいる人妻を自分の昔からの思いを成就するために、関係を持つだけでなく離婚させようとまでする心理がなんか不快。家では素っ裸で飯を食うのが愉しいなんて言う、確かにちょっとヘンなところもあります。節子は土屋との関係を妊娠中絶をきっかけに清算する決心をする訳ですが、原作では夫との子供を中絶した後に土屋の子供を二回中絶するという展開なんだそうです。こりゃ原作の方がよほど凄い展開で、こういうところをマイルドにしたのも三島の怒りを買ってしまったのかもしれません。 宮城千賀子の愛人役で安部徹がマッシュルームカットのプロレスラー(!)や、ストーリーと関係ないところで西村晃が盲目の按摩師で出演したりというキャスティングも面白いところがありました。とくに按摩しながら「失礼ですが、奥様おめでたですね」と妊娠を言い当てるところは強烈な印象を残しました、お前は超能力者なのかよ(笑)。月丘夢路がシャワーを浴びるシーンでは、当然ボディダブルでしょうが裸身を影だけで見せるところなんか、テクニシャン・中平康の面目躍如でしたね。でも新藤兼人と三島由紀夫はあまりに喰い合わせが悪くて、中平康でもどうしようもなかった感がありました。[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-01-10 22:35:16) 12. 大魔神逆襲 《ネタバレ》 昭和41年の年内で三本が公開された大魔神シリーズの掉尾を飾ることになった三作目、ほんとは第四作目製作の予定もあったけど本作の興業成果が赤字に終わったことで立ち消えになっちゃったそうです。まあシリーズと言ってもこの三作には共通点は大魔神が暴れるだけでストーリー上の繋がりはありませんが、前二作ではお姫様をヒロインにしていたところを少年4人を主人公に据えたところに工夫が見られると言えるかも。 前二作を鑑賞済みならば大魔神降臨が後半三分の一ぐらいしかないというお約束は承知でしょうけど、少年たちが魔人のお山を越えてゆくまでのシークエンスはけっこう丁寧に撮られています。ロケ地の山岳地帯もよくこんな場所を見つけてきたな、と思わせる風景です。この少年たちの一人が激流に流されて死んでしまうのは初期の大映特撮ものらしいダークな展開で、東宝特撮では考えられないところです。でもあの筏を一瞬で作り上げるところは、いくら何でも雑過ぎるでしょ。今回は遂に大魔神が腰の宝剣を抜いた訳ですが、武器としてはあまり見せ場がなかったのは残念なところです。それでも毎度のことながらも建築物の破壊シーンには眼が引き付けられます、大映京都の時代劇で培った技術力は恐るべしです。ちなみにシリーズ通じてスーツアクターを務めたのは元プロ野球選手だった人で、あの眼だけは本人の素なんだそうです。彼はカメラが回っているときは決して瞬きをしない演技で通したそうで、毎回終いには充血して血走った眼になってしまったそうですが、それがかえって大魔神の憤怒の形相に迫力を与えていると思います。 けっきょく大魔神は、三池崇史の『妖怪大戦争 ガーディアンズ』に新造形で登場したぐらいで、50年以上経ってもリメイクされていませんが、かえってそれが日本特撮映画史上に残る伝説としての輝きを放っているんだと思います。[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-01-07 22:35:40)(良:1票) 13. 宇宙大戦争 《ネタバレ》 『地球防衛軍』製作より2年、東宝は初めて人類が地球を飛び出して宇宙でエイリアンと闘うという本格的なスターウォーズ映画を世に送り出しました。製作が1959年なので色々と突っ込むところはありますが、果たしてその評価は如何に。■ストーリー上のつながりはありませんが、登場人物の一部の名前が共通であるなどの拘りはあるみたいです。メカや宇宙船の設定は『地球防衛軍』と同じく小松崎茂、当時の少年雑誌の口絵や軍艦や戦闘機のプラモデルの箱絵で有名な昭和の大絵師です。月面探検車のデザインなどに彼らしい雰囲気があります。いわば本作のプロダクション・デザイナー的な存在と言えるでしょう。敵方の遊星人ナタール「地球を我々の植民地にする」なんて公言して観測できない月の裏側を基地としていきなり攻め込んでくる、まるで19世紀の帝国主義国家みたいな存在。ナタールの細かい説明は一切オミットしてひたすら人類vsナタールの戦いを見せるある意味雑な関沢新一の脚本ですが、まあ50年代のSFなんてこんなもんでしょ。■いちおう当時の一般的な知見に基づく科学考証が施されているが、ここは現在の常識からすると粗が目立つところです。ナタール人が使う“物質を無重力にする冷却線”なる武器は、”物質が絶対零度に近づくと核振動が弱くなって無重力になる”という今では否定されているトンデモ学説に基づいていたそうです。驚くのは月面探険車がホバークラフトみたいに気体を噴射して移動するところで、なんと当時には月面の一部には希薄な大気が存在するという学説があったからなんだとか。宇宙船内の無重力や月面で隊員たちがふわふわした動きをするというのは、土屋嘉男が「こうならなくちゃおかしい」とスタッフを説得した成果なんだそうです。文系がほとんどの映画人の中で彼は俳優になるまでは現在の山梨大学医学部を卒業したぐらいで、東宝俳優の中でもっとも博識と言われただけのことはあります。まあ間違った学説が多々あった頃なので仕方なかったでしょうが、正しい科学考証のもとに撮られたSFは『2001年宇宙の旅』まで待たなければなりませんでした。■興味深いことは40年代から50年代はハリウッドや他国でも宇宙からエイリアンやモンスターが来襲して地球が危機に陥るというプロットのSFが多かったけど、どれも自国の軍隊で対応して打ち勝つというところです。国連なのかは別としても東西両陣営が結束して共同軍を結成して立ち向かうという展開なのは、実は東宝特撮SFでしか観られない特徴なんです。これは当時の日本人に根強かった国連崇拝と敗戦国としての劣等感の表れだったと思います。まあ当時の軍事力に対するアレルギー反応もあったかもしれませんが、この映画でも日本の軍隊=自衛隊の存在は影も形もありません。その反面、千田是也を隊長とする探査チームは、とても科学者の集団とは思えない軍隊組織みたいでしたね(笑)。[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-12-28 21:50:35)(良:1票) 14. オーディション(2000) 《ネタバレ》 前半から中盤までは三池崇史の作品とは思えない淡々とした穏やかなストーリーテリング、再婚相手を探すために映画の主演女優募集のオーディションを開催するなんていかにも業界人あたりが考えそうな手口だが、さほど違和感がある設定ではない。ところが世界中の映画人から最凶の評価を得ている本作だから、そんなホンワカとし続ける訳がない。この映画の秀逸なところは、中盤以降に謎の女・麻美の本性や過去が現実の中にカットバックされるところで、これが終盤の悲惨な目に遭う石橋凌にも使われて「これは夢なのか、はたまたパラレル・ワールドなのか?」というまるで悪夢を見せられている様な不安感に突き落とされます。有名な拷問シークエンスはイーライ・ロスがきっと観て喜んだろうなという凄惨さ、これはきついです。あの“足首からキリキリキリ…”は、きっと『ソウ』シリーズ第一作目に影響を与えたんだろうなと確信しました。石橋凌が針をブスブス刺されるところは、逆に『ヘルレイザー』シリーズのピンヘッドのオマージュなのかもしれません。強いて言えば私にはしいなえいひ=麻美の演技力がイマイチで、狂気の果てを飛び越えたような人間の姿が希薄で単なるメンヘラ女にしか見えなかったのは残念でした。 本作が『リング』と並んで『死ぬまでに観たい映画1001本』に選出されているのは妥当でしょう。でも本当に怖いのは、霊じゃなくて人間なんですね。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-12-25 21:58:19)(良:1票) 15. 遊びの時間は終らない 《ネタバレ》 いやあ笑った笑った、今年観た映画でいちばん笑わせてくれたかもしれないです。昭和バブル期の邦画は不作だったという見方が強いが、探せばこういうお宝がまだまだ埋もれているんですよね。『狼たちの午後』を彷彿される銀行強盗かと思いきや、モッくんが人質に発砲する緊迫のシーン、それがなんと「バンッ」という口鉄砲、これは金融機関の協力のもとで行われた防犯訓練だったんですね。そこから始まるモッくんの大暴走、このころの本木雅弘は真面目でクールだが内に狂気を秘めたキャラを演じさせたらピカイチで、警官らしい丁寧な言葉遣いに終始するけど観てる方はいつキレるかとハラハラさせる緊張感が堪りません。対する警察側の各キャラも一人一人のキャラが立っていて、石橋蓮司の小役人ぶり丸出しの所轄署長が傑作でした。それでもほとんど怪演といえるレベルだった萩原流行がいちばん強烈で、劇中でほとんど瞬きしてなかったんじゃないかというガンギマリ演技です。あんなに長時間にわたって行員たちがバカバカしい訓練に付き合うというところは、もう一種の不条理劇のレベルに達していたと思います。“死体”の張り紙も笑ったけど、“レイプ”“空気”はもう最高でした。舞台となる金融機関は“平商工信用組合”となっていましたが驚くことに(現在も存続しているかは不明ですが)実在の金融機関で、さすが昭和の映画、現在ではこんなこと絶対にできないと断言しちゃいます。こんな傑作な作品の知名度が低いというのは、私には本当に解せないところです。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-12-16 22:44:23) 16. デッドマン(1995) 《ネタバレ》 ジム・ジャームッシュの現在までの唯一撮ったウエスタン、ジャームッシュ史上もっとも豪華な出演者を揃えている作品でもあります。ジョニー・デップが演じる主人公の名前がウィリアム・ブレイクであり、本作自体が英国の大詩人ウィリアム・ブレイクの詩と思想に対するオマージュがプロットなんだそうな。浅学な自分はブレイクのことなんて皆目判らないけど、セリフや登場人物の名前などが多々引用されているらしい。あとサブキャラ的な登場人物にはやたらとロック・ミュージシャンの名前がそのまま使われており、一例としてはロバート・ミッチャムが演じた役名はアイアン・メイデンのボーカルであるブルース・ディッキンソンが由来だったりとかね。まあこういうところはあくまでジャームッシュの個人的な趣味の反映で、ストーリー自体には有機的な関りは薄いけどね。 あくまで本作は西部劇ではあるけどやはり所謂ジャームッシュ節は健在で、短いシークエンスの集積みたいな構成でその変わり目は画面暗転で繋ぐ、ジョニデと遭遇するサブキャラたちがみんな揃って「煙草をくれ」とせがむというジャームッシュ作品ではお馴染みの煙草への拘り、などです。本質的にはこの映画はジョニデと原住民ノーバディーのロードムービーなんだと思いますが、“デッドマン”というタイトル通りジョニデは前半のどこかで死んでいて、死者のジョニデが黄泉の国に流されてゆくのがラストシーンなんではないかな。この原住民ノーバディーがなかなかいい味を出しているんだけど、名前は忘れちゃったけどサッカー関係者でとんねるずのヴァラエティーによく出ていた人と瓜二つなんだよな(笑)。ランス・ヘンリクセンが演じる殺し屋の不気味さもかなりのもんで、死体の頭を踏みつぶすわ相棒を射殺してなんと喰っちまう、あの焚火にあたりながらなんかの肉を喰っているカット、それが人の腕だったと判ったときはちょっと衝撃でした。 まあ大多数の人にはジャームッシュの文学趣味が炸裂するこの映画は「なんじゃコリャ?」となるでしょうが、ジャームッシュ節愛好家の自分にはけっこうイイ感じな作品でした。あと完成した映像を見ながら即興でつけたニール・ヤングのギター演奏は、掛け値なしに渋い。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-12-04 20:06:39) 17. 始皇帝暗殺 《ネタバレ》 荊軻と言えば中華史上もっとも有名な刺客、なんせ後の始皇帝となる秦王政をあわや暗殺する間際にまで追い込んだ人物ですからね。その荊軻と秦王政にこれは架空の人物である趙姫をはさみ、そこに呂不韋・嫪毐を絡ませた一種の群像劇のような構成となっています。 荊軻と言えば有名な割には『史記』にしか史料が残っていないような人物、一般に知られる荊軻像とはかけ離れたような大胆なキャラとなっています。まず初登場時の容貌からして『電波少年』に出ていたころのなすびにそっくり、壮士として知られる人物とは到底思えない姿。本来はカネで動く単なる殺し屋という設定で、しかもアヘンでも吸ってラリってるんじゃないかという感じの緩慢な動作。秦王政も後年の始皇帝となる人物のイメージにはほど遠く、その言動にはなんかガキっぽさが感じられます。そこはやはり趙姫=コン・リーの存在感と凛とした美貌は際立っており、やはり本作は彼女のための映画だったと言えるでしょう。燕丹が仕掛けた秦王政の暗殺計画が趙姫の発案で政と共謀した謀略とするのはもちろんフィクションですけど、ストーリーに深みを与える面では成功していると思います。『史記』では荊軻は臆病と思われたほどに無駄な危険を犯さなかったとされるが、劇中でも盗みを犯した子供を救うために要求されるがまま這いつくばって店の主人の股をくぐるけど、これって有名な“韓信の股くぐり”の故事のパクりじゃん(笑)。野外での合戦や王宮でのシーンはカネかけただけあって迫力満点です。でも趙の邯鄲が秦に攻め落とされるシークエンスでは、趙の幼い子供たちが城壁から次々と投身するところや趙姫が生き埋めにされた子供たちを見つけるシーンには心が痛みました。生き埋めは始皇帝の得意技と言っても過言じゃない処刑ですが、王朝の滅亡時の“王家一族郎党皆殺し”は、その後の中華王朝では何度も繰り返された伝統芸みたいなもんですね。あと嫪毐のクーデター失敗のシークエンスもなかなか凄い絵面でしたが、私には嫪毐が生瀬勝久が演じているとしか思えなかったんです、似てますよね(笑)。 この時代の中国史に多少なりとも興味があればいろいろと突っ込んだりもできてそれなりに愉しめる作品だと思いますけど、そうじゃないとちょっと見続けるのはキツいかも。でも作品としてはフィクションを交えながらも骨太なストーリーで見応えはあったと思います。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-11-29 22:40:06) 18. 非常線の女 《ネタバレ》 恥ずかしながら小津安二郎がギャング映画的な作品をサイレント時代に撮っていたとは知らなんだが、たしかにこの作品にはハリウッド映画の影響が強く感じられるけど、まあ言ってみればギャングというよりは小津版任侠映画といったところかな。元ボクサーの岡譲二はヤクザというよりは与太者のボス、田中絹代はその情婦だが昼は普通の会社でズべ公の本性を隠し大人しく上品なOL(当時は女事務員と言うのが正しいか)なのである。手下には“姐御”と呼ばれる存在なのに、言い寄ってくる社長の息子の副社長をおぼこっぽいふりをして貢がせるしたたかな女です。岡のグループに入ってきた不良学生には姉がいて、弟を更生させようとする彼女と出会ってから、岡の与太者稼業が思わぬ展開になってくるんです。 確かに本作はギャング・任侠的な要素が濃厚ですけど、さすが松竹らしく女優を愛でる映画なんです。戦後の田中絹代しか知らなかった自分ですが、当時20代半ばの田中の顔つきの幼さには驚かされました。これじゃ昼間のOLはともかくとしてもギャングの情婦という役柄はミスキャストという声があるのも止むを得ないかもと思います。でも演技力は確かなもので、終盤の展開ではなんかホロリと来るものがありました。しかしなんといっても姉役の水久保澄子を知ることが出来たのは大収穫でした。松竹歌劇団出身の彼女は当時まだ17歳、その目を引く美貌は元祖アイドル女優とも言われているのは納得です。そんな将来を嘱望されていた彼女ですが、自殺未遂を図ったり移籍した日活ではいろいろと揉め事を起こした挙句に35年にフィリピン人と電撃結婚して渡比、2年で離婚して帰国したけど映画界からは追放状態でその後映画出演はありませんでした。本作を観る限りでは美貌だけでなく引き付けられる演技力も持っており、このままキャリアを積めば原節子並みの大女優になっていたかもしれないし、実に残念なことです。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-11-23 23:10:24) 19. 新 仁義なき戦い 組長最後の日 《ネタバレ》 もう飯干晃一の原作とは何の関係もなくなっていた新シリーズの白鳥の歌、そして未練がましく続行するつもりだった東映の思惑が外れて文太・深作コンビの最終作となってしまった一遍です。すでにまったくのフィクションですが、実録ものじゃないだけに考えようではキレまくったストーリーだったとも言えます。個人的にはけっこう愉しめました。 末端のチンピラ売人同士のイザコザが大阪の大組織と九州の暴力団連合との戦争になってゆくというストーリーですが、手打ちになる展開を昔気質というか単なるKYとも見える菅原文太がぶち壊してしまうという展開です。東映がカーアクションに凝り始めたころの撮影ですので、とくに山道でのダンプ2台での襲撃シークエンスはけっこう見応えがありました。文太に狙われる大阪の組長は、どうもあの神戸の組織の三代目がモデルみたいですね。この小沢栄太郎が演じる大物は結局心臓発作で瀕死の状態になるのですが、その病室にカチこんで子分が「おやっさんはもう助からない、どうか安らかに逝かせてくれ」と懇願するのに射殺する文太の非情さにはちょっと震えます。もっとも護送される直前にパトカーを奪って小沢栄太郎を殺しに行く展開は、さすがに「そんなことあり得んだろ!」と呆れてしまいましたがね。妹の松原智恵子とは近親相姦の関係だったとか、文太のキャラはかなり癖が強かったですね。 まあ普通のヤクザ映画としては退屈しない出来だったと思いますが、このシリーズを通じてエスカレートしてきた手振れカメラ撮影が五月蠅過ぎた感がありました。[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-11-02 22:27:45) 20. ミステリー・トレイン 《ネタバレ》 “何も起こらない映画”の名手ジム・ジャームッシュ、初期作にはそんな称号が相応しかった作風が“大した事じゃないけど何かが起こる”風に変わってきた中期の作品です。メンフィスのホテルに泊まった三組の登場人物たちの一夜の体験を時系列をずらして群像劇として見せるというのはもうジャームッシュ版の『パルプフィクション』ですけど、タランティーノが撮る五年も前の映画なんですよね、これはタランティーノがパク…いや多大なる影響を受けたと言っても過言じゃないでしょ。バブル全盛期だった日本からJVCが出資したので永瀬正敏と工藤夕貴がキャスティングされたのかもしれませんが、二人は日本語で演技して他のアメリカ人俳優とはほとんど絡みはないけど、なんか二人のセリフ回しが(とくに工藤夕貴)拙く聞こえちゃうんだよな。やっぱ外国人を起用してその母国語で演技させると、監督には外国語なのでセリフ回しのニュアンスあたりには理解が及ぼないんだろうな。二人はしっかりエッチまでしてくれるけど、工藤がタバコを吸って永瀬に口づけしてその紫煙を長瀬が吸い取って吐き出すところは他に観たことない斬新なシーンでした。さすが『コーヒー&シガレッツ』のジャームッシュ、タバコに関しては拘りがありますね。二話目でニコレッタ・ブラスキにインチキなエルヴィス怪談で怖がらせてケチな寸借詐欺を仕掛けるトム・ヌーナン、なんせあのトム・ヌーナンですから怪談噺よりお前の存在自体がよっぽど怖いわ(笑)。そして三話目のスティーヴ・ブシェミたちの酔っ払いトリオの愚行には笑わせていただきました、こういうシチュエーションを演じさせたらスティーヴ・ブシェミはやはりピカイチです。 ①ホテルの宿泊代が一部屋22ドル②ジョー・ストラマーが酒屋で注文した酒代が22ドル③そして三人がホテルで割り当てられた部屋が22号室、この映画ではやたらと“22”という数字が出てくるんですよ、こういう拘りというか遊びがちりばめられているところがジャームッシュらしいところなんです、まあ意味不明ですけどね。あと、メンフィスからローマへの直行便は有りません、この人は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でもフロリダの田舎空港からブダペスト行きの直行便を飛ばした前科がありましたっけね(笑)。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-31 21:09:51)
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