みんなのシネマレビュー
フィンセントさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 202
性別 女性
自己紹介 閲覧&良票を入れて頂いた皆様ありがとうございます(*^-^*)
良票を頂けると励みになります!作品に対する意外なヨミと、読んでいて楽しいレビューを心がけています。楽しんでいただければ幸いです☆

ジャンルを問わず鑑賞していますが、ホラーを観るときは手で目を覆って指の隙間から観ますw

★好きな俳優★
M.ファスベンダー、E.マクレガー、J.ロウ、D.クレイグ、O.ブルーム、ジョナサン・リース=マイヤーズ・・・・・はい、そうです。イギリス俳優好きですw
さらには、ドナルド・サザーランド、S.ブシェミ、M.フリーマン、フランコ・ネロ、B.ウィリス、H.ジャックマン、C.イーストウッド、女性では、ユマ・サーマン、M.ジョヴォビッチ、C.セロン、A.セイフライド・・・などが好きです。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

1.  劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 これは「君の名は。」のような単なるブームとか現象とかいうものではなく、「千と千尋」のようなジブリ全盛期のブランド的価値とかいうものでもない。 シンプルに”内容が実に良い”。 キメツはあらゆる人間を共感させる。 映画を見る前に見たアニメ26話で気づいただけでも、 ◆職場でパワハラに悩む会社員や派遣社員やフリーター ◆DVやモラハラで苦しむ主婦 ◆親に虐げられたり、離れ離れになってしまった子ども、 ◆自分の才能を信じて夢に向かいながらも葛藤するアーティストの卵 などなど、あらゆる世代を共感させるキャラとストーリーが詰め込まれている。 首や血が飛ぶ表現が批判されがちだが、実はそれほど狂暴な存在として描かれている鬼が、人間時代はとんでもなく悲しくせつないエピソードを持っており、そのコントラストを強くするためにあると考える。 頭ごなしに、「残酷描写ノドコガイインデスカ」と否定し退けるのは間違っていますよ。 また善悪両方の世界が厳格な”ランクづけ社会”になっていて、学生も社会人も感情移入しやすい。 そしてこの映画では、本来の主人公タンジロウではなく、タンジロウの上司(鬼退治会社の幹部)の、レンゴクさんという熱い男が主人公になっている。 そして映画でもアニメの各話同様、”過去エピソード”が涙を誘う。 やっぱり何歳になっても、男はお母さんが好きだよねぇ…。 アニメ版ほどえぐい流血もないし、”強いものに生まれた者は弱いものを守るもの”っていうシンプルで分かりやすいメッセージで、子供にも見せてあげてOKだと感じる。 (『アメリカンスナイパー』に「人間は3種類。狼と羊と番犬だ」というセリフがあるけれど、レンゴクさんはまさに番犬。) ところで。 世間がずっと前からキメツキメツと騒いでいたころ、40代の私は「また、ワンピースとかナルトとかそういうジャンプ系の一過性のブームでしょ笑」と、見向きもしなかった。 アニオタの娘(JK)も、グロい表現(首飛ぶ、血しぶき上がる)があるらしいとのことで、敬遠していた。 しかし、そんな娘も友達に原作を貸されて読んだらあっという間にハマったらしく、娘の影響で私もアニメを見たら、食わず嫌いだった自分を恥じた。 敵である鬼も、もともとは人間。 いわゆる血液感染で鬼になってしまうのだ。 (鬼にさせちゃうのは、鬼のトップであるキブツジ ムザン) なので、どんなにひどい鬼も、その過去エピソードが明かされると「あぁ…そうだったんだ…」と涙を誘う。 実はここがキメツの醍醐味だ。 戦うだけ戦って、敵が死んだ後で、敵のせつない過去を見せる手法は、スターウォーズ形式(EP4~6からの、1~3)と名付けたい。 (ただし、今回の映画ではアカザの過去エピソードはおあずけ。 私は劇場版を見た後、原作で彼の過去を知ったので、「そうか…彼がドーンって大地を踏むとああなるのは、そういう理由だったのか…」とかいくつも過去とリンクする彼の容姿や技に気づかされ、「じゃぁもう一度見てそれを確認しなくちゃ…」と思っているところです。 ということで、今回はアカザではなくレンゴクさんの過去エピソードにて泣いてください。) ちなみにアニメや原作を見なくても、最低限これだけおさえておいて、ネットでビジュアルだけ確認しておけば、映画を見てもついていけると思う。↓ ●メインキャラ ・タンジロウ(努力家。鬼になった妹を人間に戻すために、鬼退治の組織”鬼殺隊”に入った新入社員。) ・ゼンイツ(極度の臆病者。失神してから夢遊病者みたいに戦い出す。タンジロウの同期。) ・イノスケ(好戦的。承認欲求強め。イノシシに育てられたので、イノシシの被り物をしているタンジロウの同期。) ●サブキャラ ・ねずこ(タンジロウの妹。鬼化したが特別変異で人を食わずにタンジロウと共に鬼の超人的パワーで鬼退治を手伝う。) ・レンゴク(鬼退治の組織の9人いる幹部”柱”の1人でタンジロウの上司。今回の映画の主役。) ●敵キャラ ・アカザ(鬼軍団の12人いる幹部”十二鬼月(じゅうにきづき)”の3位ランクの鬼。) ・エンム(”十二鬼月”の下位ランクだが、ムザンに気に入られパワーアップする血を与えられての今回が初参戦。柱とタンジロウを殺して、上位ランクに昇進するのが夢。) ※鬼は太陽を浴びると死んじゃうので、ねずこは日中は箱に入れられてタンジロウが背負って移動している。[映画館(邦画)] 10点(2020-11-03 12:14:14)(良:3票) 《改行有》

2.  ジャッカル 《ネタバレ》 髪が薄いブルース・ウィリスが、カツラ効果で頭髪モサモサになってる姿を見るだけでも価値のある今作。 ジャック・ブラックが武器メイカー役で、設計ミスにより武器の試し打ちの標的にされて死ぬという、コメディ畑の彼が斬新な扱いを受けるシーンも印象的。 オリジナル版は未見ですが、たぶんそちらを見て感動しても、それでもこちらのリメイク版は愛さずにはいられないと思う。 (髪モサモサのブルースと爆死のジャックのせい)[インターネット(字幕)] 10点(2020-09-13 18:38:39)《改行有》

3.  デッドマン(1995) 《ネタバレ》 保安官の死体の頭部を腐ったスイカみたいにブシャッって潰したり、仲間の暗殺者を殺してむしゃむしゃ食べるとか、ジャームッシュはドSなのか、そういうのもアートだと言いたいのか、なんなのか…知りたいとも思わないほど悪趣味。 そもそもサイコパスが主役の残虐系の映画ならともかく、なんかスピリチュアルな奥深い作品に見せたい感もあって、はっきりしやがれとイライラする。 さらにネイティブアメリカンの集落が出てくるラストシーンがまたひどい出来。 トーテムポールが、ぜんぜん古びてなくてペンキ塗りたてみたいに綺麗な木肌とマチエール… 美術さんが作って、あの草むらにさっき立てたばっかですって感じ。 あと、あの自動開閉式?見たいなドアのついた建物も、ペンキ塗りたてみたいに綺麗で、ここでずっと生活してたって感じがしない。 詩人のほうのウィリアム・ブレイクと勘違いされてるって分かってるのに「同姓同名で他人だよ」って言わないで、「詩なんて…」とかボソッって言って、最後の最後まで偽ブレイクとして貫くジョニデの態度も不自然だし、そもそもわざわざアメリカまでやってきて、何がしたかったのあんたって感じだし、さっぱり意味不明。 花売り娘となんとなく寝てたら元彼に撃たれそうになったので、自己防衛で撃ったら、賞金首になっちゃって…って、でもそこからなんで、ネイティブアメリカンとあそこまで親しくなってそっちの文化にソッコーで馴染んでいっちゃうの? ノーバディがウィリアムブレイクファンだって設定だけど、実際の詩人のほうのブレイクじゃないブレイクが、どうして勝手に勘違いして大ファンだからといってせっせと己を世話してくれる男にずっと仲良くしてるの? 見終わったあとは、胸糞の悪い殺人シーンの数々と、安っぽいネイティブアメリカンの集落のトーテムポールと、ずっとポケ~っと口を半開きにして周囲に流されっぱなしのジョニデの特に演技力不要な表情だけが脳内に残った。 さっさと消去したい。[インターネット(字幕)] 0点(2020-09-13 14:20:30)《改行有》

4.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 出産シーンの長回しはほんとキモイ。 私は女で出産経験があるので、ああいう場面を「生命の尊さ」とか「命の神秘」みたいにアンチョクに利用されて強引に押し付けられてるみたいで、ほんとイヤ。 出産時に、女がマタ開かなくちゃいけないときの羞恥心とか、そういうの、セオにいくら信頼寄せてようが、ぜんぜん気にしないとか、いやまじでリアル感ゼロ。見てらんない。 セオが「おりゃ、まかせろ」みたいに、両手でキーのひざをもって、クイッと左右におっぴろげさせるとか、まじ吐きそうになった。 女の出産をなめんなよ、的な。 そもそも論として、本当の出産ってのは、いざシキュウコウが開くまでが長いわけで、それまでの間に、陣痛もだんだん規則的になってきて、10分に1度だったのが5分に一度、3分に一度・・・ってなって、それにつれて痛みもどんどん激しくなって、おなかじゃなくって腰が痛くて悶絶状態になるわけ。 そういうのはぜんぜんリアルに描かないで、出産場面だけ長回しとか笑わせる。 おなかに両手あててマユにシワよせて「あぅ!あぅ!」って叫んでるのが陣痛・出産だと思ったら大間違いだキュアロン。 キュアロンって、2019年のアカデミー賞で「ROMA」が3部門も受賞したけど、あっちも長回しっぽいカメラワークばっかで、ほんとキュアロンって、長回しすりゃなんでもイケちゃうとか勘違いはなはだしい。 でも「ROMA」でまた評価されちゃったから、調子乗って次回作もどうせまた長回しまくるんだろうな。 個人的にもう0点の域なのだが、マイケルケインが演じたハッパ好きなじいちゃんと、犬つれた赤いダウンジャケットの怪しいおばちゃん、ふたりのキャラが立ってたので、2人にそれぞれ2点贈呈で4点。[CS・衛星(字幕)] 4点(2019-02-28 17:51:04)(笑:1票) 《改行有》

5.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 「内容が理解不能」という趣旨の批判も多い作品だが、宮崎はそもそも内容など重視していない人であることを忘れてはならない。 以前NHKスペシャル「終わらない人~宮崎駿」の中で彼は 「ストーリーなんてどうでもいい。場面を見て『あ~すばらしい』って。それがいい映画だから。自分が好きだった映画はみんなそうだったから」と発言していたが、「ハウルの動く城」はまさにその通りである。 ”印象的なシーン”を数珠つなぎにした作品、それが「ハウルの動く城」。 それはまるで、ガンコおやじがいとなむ、メニューや価格が決まっていない独善的な料理屋のようなものだ。 その店の方向性やガンコおやじとソリが合わない客がいたとしても、その店の価値、存在意義そのものに何の変わりはない。 しかしあえて言おう。私はストーリー的にもこの映画が大好きである。 メッセージ性もある。それは 「自己肯定観って大事」ということ。 否定的な人達の意見として多いのが ”なぜソフィーは老婆になったり若返ったりするのか?”だが 彼女はそもそも<老婆になる呪い>にかけられたのではなく<自己否定している時に老婆になる呪い>をかけられたということを理解しなくては。 ケバい母親や、モテモテの姉が登場する意味が分からないという批判もあるが、彼女達は 「ハデな服装なんて私には合わない」「私なんてどうせモテない」というソフィーの自己否定感をより際立たせるために、対比として登場していることを理解しなくては。 (だからこそ、鑑賞者が「ソフィーって母や姉と大違いの劣等感の塊なんだな」と理解した後は、彼女達は用済みであり、後半には一度も出てこないのである) そしてソフィーが老婆になったり若返ったりする理由は <自己肯定観が強まる時や、眠っていて自己否定の意識そのものを本人が感じていない時だけ若返り、自己否定観が強まると老婆になる>なのである。 もっと細かく言えば、自己肯定には<素直に恋をしている時>という事も含まれる。 サリマンの前でハウルをかばう時や、「未来で待っててー」等、全力でハウルを意識しているときだけ若返るのはそれが理由だ。 ハウルがソフィーに花畑を見せた時にも若返るのは、男から花を贈られて素直にときめいている証拠。 しかし直後に「ソフィーはきれいだよ!」とハウルが言った途端、老婆に戻ってしまう。(「私、どうせきれいじゃないし」という自己否定が出た証拠) 中盤で若返りと老婆が頻繁に繰り返されたのは、自己肯定観の不安定さの証拠であり、後半になったらほぼずっと若返りしていたのは、自己肯定観がしっかり根付いてきたという証拠である。 ハウルの存在も、ソフィーが自己肯定観を育てていく上で必要不可欠。最初はぎこちなく関わっていたマルクルやカルシファーも、彼女の揺れ動く自己肯定観とのせめぎあいの中で、次第に心を通わせていくのは微笑ましい。 カブも、終盤で壊れ行くハウルの城のブレーキ役として役割を果たす上で、脇役ながら重要キャラであるが、彼の魔法が解けるためにも、ソフィーの自己肯定観が必要だったことを思えば、ソフィーが自己肯定観を得たことで 【みんな、ハッピーエンド】となり、実に上手にまとめあげられたストーリーである。 また、カブが王子に戻ることは、ソフィーの自己肯定観が自分自身だけでなく、周囲をも助ける力になるという事を示している。 このエピソードは、我々が自己肯定観をもっともつべきだし、それが自分だけでなく周囲の力にもなるというメッセージだ。 ちなみに突然90歳になったソフィーがあっさり状況を受け入れるのは不自然だという批判もあるが、彼女はそもそも、恋するトキメキも若々しい快活さもない、おばあちゃんみたいな性格であるのだから「ちょっとやそっとのことには驚かない」のは当然なのである。 ソフィーは、老婆になってもすぐに気持ちを切り替え世捨て人になる自分を「年をとるメリットだ」みたく感じているが、老婆になる呪いはあくまでも、見た目だけで、性格は若いソフィーのまま。 私は老婆までは行っていないが、少なくとも10代だった頃よりあきらかにハラが座っていて、ちょっとやそっとのことでは大騒ぎしない(そういうことにパワーを使うのは無駄と悟っている)ので、ソフィーの落ち着きっぷりに何も不自然さを感じない。 批判者は、そこに注意しつつ再鑑賞してみは?[CS・衛星(邦画)] 9点(2017-07-21 08:46:39)(良:3票) 《改行有》

6.  君の名は。(2016) 《ネタバレ》 この映画のすごいところは、洋画や邦画関係なくタイムリープものに多い矛盾点、見事に覆いつくす映像と脚本である。 たとえば「アルマゲドン」なんて、重力が少ないはずの隕石の地上で普通にスタスタと歩いちゃってる。でもやっぱりブルースウィリスがスイッチをポチってするときは涙がグアーって流れちゃう。 「ガタカ」なんて、宇宙ロケットに入るのに宇宙服じゃなくてスーツとかどう考えてもオカシイダロと思う。でもあの映画ほど何度も見て引き込まれる映画はない。 それと同じように、「君の名は。」もまた、細かいところばかり重箱の隅をつつくようないやらしい見方をする人間でなければ、しっかり感動できる。そんな映画である。 ここで持論なのだが、SF映画には2種類あると思う。 ①「矛盾点が多少あっても、全体が総合的にすばらしく感動させられる良い映画」(たとえば「ミッション:8ミニッツ」もそう) ②「矛盾点が多少あって、全体もグダグダな話や映像なので、感動できない映画」(B級SFに多い) そして「君の名は。」は、①であることは間違いない。 補足だが、市原悦子演じる三葉のおばあちゃんが語る(彼女もまた三葉や瀧と同じように、入れ替わりができる能力をもつ血筋)”結び”のお話は、他のアニメ映画にはない深いものがあった。 (うわさによれば、たくさんの恋愛や人間関係を持ってきた30代以上がここでジ~ンとするとか)[映画館(邦画)] 10点(2016-10-20 17:20:01)《改行有》

7.  永遠の0 《ネタバレ》 フグをそのまま食べると毒があって中毒死してしまうので、毒をぬいて食べて安全で美味しいところだけを出す。 この映画はまさにそのフグ料理である。 自民党の安倍首相と思想が近い文化人を呼んで行われている勉強会に講師として招かれ、「経団連を使って広告収入を締めあげ、沖縄の新聞を2社つぶせ」とか「基地の地主は六本木ヒルズに住んでいてお金持ち。沖縄は本当に被害者なのか」とかバクダン発言を連発した百田氏が「永遠の0」の原作者なので、当然ながら原作どおりのストーリーとメッセージをそのまま映画にすると危険きわまりない。 そこで、そのあたりは毒ヌキをし、やんわりと、夫婦愛を軸にした作品に仕上げられている。 私は太平洋戦争についてはかなりいろいろ調べているので、特攻がいかにムチャな捨て駒戦法だったかも分かっているし、実際の戦争末期にはゼロ戦すら特攻で使い果たし、練習用の、布ばりの翼のもろい飛行機に、特攻攻撃中に逃げ出さないように座席に縛り付けた状態で送り込んでいたという映画以上にさらに悲惨な状況だったことも知っている。 そこまでくると、もはや”日本人を殺したのはアメリカ人”ではなく”日本人を殺したのは日本人(の戦争責任者、上層部たち)”の域なのである。 毒ヌキしたフグ料理のようなこの映画「永遠の0」が、もしもっと「太平洋戦争で日本の軍事責任者たちが日本人(兵士や家族達)に何をしでかしてきたか」について知ろう&学ぼう&調べようとするきっかけになるのならば、この映画の価値はそこにあると思う。 特攻を含め、戦時中に愚かな日本の支配者達が、勝ち目のない戦争を”神がついているから負けるわけがない”とか”日本が負けるわけがない”という意味不明な理由で戦争続行したことについてもっと調べたいと思うきっかけになるなら、この映画は見る価値があるはずだ。 あるいは原爆を落したいがためにあえて昭和天皇の戦後の処遇については記さなかったアメリカを中心に作成されたポツダム宣言のワナ(天皇の処遇が分からないと、受諾できないだろうというワナ)にまんまとひっかかり、広島に原爆を落とさせるスキを与え、しかしなおその原爆のニュースすら戦争続行をするために国内で一斉に報道禁止にし、天皇の周辺のわずかな人間達が「昭和天皇が守られるようにするにはどうしよう!?どうしよう!?」とオロオロ勝ち目のない作戦をしぼりだそうとしているうちに長崎にまで原爆を落とされるスキを与えた、戦争責任者らの内情をもっと調べたいと思うきっかけになるなら、この映画は見る価値があるはずだ。 もしくは作者の百田氏が「被害者じゃない」という沖縄の人たちが戦時中にどんな目に遭わされていたかをもっと調べたいと思うきっかけになるなら、この映画は見る価値があるはずだ。 (日本兵士たちに、隠れていた狭い壕を追い出されて戦火の中で爆死させられたり、壕に兵士と一緒に隠れていたところ赤ちゃんが泣き出し、「声を出させるな!殺せ!」と言われて親たちが赤ちゃんの口をふさいで殺させられたこと数知れず・・・。年寄りや女子供は”斬り込み”という、バクダンを背負って竹やりだけ持たされてアメリカの車の下にもぐって自爆攻撃を強要された。こうした沖縄人たちが、戦争続行を押し進める日本人たちにされた数々の出来事はまだまだたくさんある) さてところでラストシーンについて一言。 宮部が敵の船につっこんでいく手前の瞬間の顔のドアップが、ばーんと写って「いよいよつっこむかー」ってとこで突然画面が黒くなり、そしてその黒い画面に 永遠の0 と、明朝体のタイトルロゴがドーンっと出てくる。 この、最後に画面を黒くしてドーンってタイトル出す手法は、海外映画でよく見ますけど、さらにそこに畳みかけるようにかかる、サザンのテーマソングの熱唱。 「なあーみぃだーみせぬよぅーーにぃーーーえええがああーーおーーーでさよなぁらうぉーーー・・・・♪♪」 な・・・なんかこういうね、主人公が命を散らして信念貫きました系の映画の最後にミディアムテンポの熱唱系テーマソングって、アルマゲドンのエアロスミスくさいというか、いやアルマゲドンにエアロスミスはすごくフィット感ありましたが、こちらのサザンは、コレジャナイ感がいっぱいでしたよ。 この監督、CGのドラえもんの監督もやったそうです。が、最後のエンドロールでピクサーがよくやるアニメキャラだけどまるで人間の役者が撮影したんですよという設定のキャラによるNG場面を入れる手法を、ドラえもんでやっちゃってたみたいで、どうもこの監督、ハリウッドをリスペクトしすぎではないでしょうか!?[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-07-12 15:23:42)(良:1票) 《改行有》

8.  秘密(1999) 《ネタバレ》 母親が娘に憑依し、夫と仲良くしつつも、学生生活は謳歌し、いいよってくる男とデートを画策するあたりは嫌悪感がつのる。 娘のふりするったって、わざわざ大学で、よりによってヨット部に入るかよ。 (しかもヨット部のイケメンに声をかけられて勧誘されたという流れで) ヨット部に入ったからって、必要最低限の活動ならともかく夫の帰宅時間に戻らないほど部活で夜遅くなるのかよ。 男とのデートが夫にバレると「ちゃんと会って断るつもりだった」と説明するが、友達にアリバイ画策させてまでデートに行こうとしてたし。フルつもりだったにしてはコギレいな服だし (フルつもりの相手と会うなら、相手が自分にゲンナリするようにノーメイクでオバチャン服着ていくもんだ) 夫のいうとおり、相手からの電話もそもそも出ずに黙って無視すればいいことである。 最終的には、娘の心が戻ってきたフリをして、運転手の息子と結婚することで、夫を自由にしてやろうとするのだけど 、再婚(表面上は初婚だが)するにしたって、なんでよりによって自分ら家族の人生を崩壊させた張本人の息子?ありえないな。 そもそも遺族の補償問題の会議の場で、いかにも不良な態度で、父に代わって謝罪していたその息子に「その態度なんだ!」とエレベーターのところまで追っかけてきたくらいなのに。 そもそも、40のおかーちゃんが20のラーメン屋と形式的結婚とか普通にありえない。 おかーちゃんも見た目は娘世代(20代)なので、40代の男性と再婚するのが逆におもてむき不自然だというのなら、せめて間とって30くらいの相手にしてくれないと。(結婚生活はずっと長いわけで、彼が40のとき、彼女は60だし。) それに一生涯、夫を思い続けてラーメン男を一生だまし続けるなんて、 ラーメン男は「とにかく再婚して夫を自由にしてあげたい」という理由で利用された、気の毒な男だ。 しかも、夫をだまし続けるならともかく、結婚式の控え室で「実は意識は母のままです」的なネタバラシ。 うそつくなら徹底的に墓場までもちこむ覚悟でうそつかないと、そんな中途半端な状態で嫁入りしたところで、夫は「あーあいつ今頃あの男と・・・」ってもんもんとしちゃって、もっとかわいそうだろ。 うっかり、いつものクセ(夫のアゴ下をさわる)をやっちまって、夫が「あれ?」って言っても「いつもこういうことやってるのを見てたから、マネしてみた!」ってウソつきとおせばいいだろ。 そもそもブーケに、夫との結婚指輪をしこんだミニぬいぐるみを入れておくとか、別にわざわざ結婚式までこれみよがしにする行為か!?そんな思わせぶりなシコミするから、ソッコーで夫が彼女が娘じゃなく母の意識のままだと気づくんじゃないかw しかももし何かの拍子で母の意識が抜けて娘の意識が戻ってきたとき 「え!?なにこのひとが夫!だれ!!?イヤーーー」ってなっちゃうだろに。 憑依は人の体を間借りしてるんだから、それなりの立場をわきまえて、娘の意識がいつ戻っても困らせないように、自分の考えでアレコレしたい放題で新しい人生を作っちゃったりしないのが、母の娘への愛なのに。それがミジンも感じられない。 てか、そもそも自分におきている憑依を科学的に解明したくて医学の学校を選らんだのに、なんでラーメン屋と結婚するかw 憑依研究なんて、ラーメン稼業のカタテマにできるんかいな。 それとも、若さを得て、やってみたいことをとりあえずかたっぱしから経験したらまた別のことに目移り(ヨット部しかり)みたいなテケトーなノリなのか。(だとしたらさらにゲンナリ) ●夫へのうそを墓場までもっていかないであっけなくネタバラシ ●娘が戻ってきたあとのことを考えないで母親本位で勝手に人生作成 ●夫を自由にさせるために、ラーメン男をだまして利用した ●憑依の科学的研究は置き去り などなど、ただただ後味が悪い幕切れだった。[DVD(邦画)] 1点(2016-01-12 11:28:25)《改行有》

9.  容疑者Xの献身 《ネタバレ》 「好きな人を助けるための殺人」を美談にした物語ではない。これは、「好きな人を助けるための殺人」をしてしまった男の悲劇の物語であることを見逃してはいけない。     石神は合理的思考を持った天才数学者。普段の彼なら、もし知り合いが殺人を犯してしまったら迷わず「キミの場合自己防衛で無罪になる確率~%だ。もし有罪でも懲役~年の確率が~%だと思われる」と冷静沈着に判断していただろう。しかし相手は片思いの女性。しかも、自殺をおもいとどまらせてくれた恩人とまで思っている相手。どんなに合理的思考を持った石神も、”恋する女性”を前にすれば、非合理的手段にすら出てしまう・・・そう、この映画は、どんな者でも”恋に落ちてしまった人間”は、倫理的に、あるいは法律的に、軌道を外れた行動に突っ走る可能性を秘めていることをこの作品で伝えているのだ。”恋に落ちてしまった人間”の愚かさを、描ききっているのだ。       湯川は「彼は合理的に考えるひとだから殺人は犯さない」と当初言っていた。しかし湯川は石神の恋心を察知する。湯川は、石神と一緒に靖子の弁当屋さんに立ち寄った際、靖子のキャバ嬢時代のお客のオッサンが入ってきて靖子となれなれしく話している時に、石神が「なんだよなんだよ・・・親しげに。どこの男だ・・・」と、いたたまれないようなイジケ顔をしていたのが鏡越しに見て「あれ?」と思うのだ。そのとき、湯川は「いつもの石神なら殺人などありえない。しかし恋をしてしまってる石神なら・・・」と思ったに違いない。  ホームレス殺人については、それを肯定するものでも否定するものでもなく、ただ、合理的思考の石神が”恋”をしてしまったために、犯さないはずの殺人をしてしまった、ということであり、それ以上でもそれ以下でもないのである。そして、”恋”をしていたがために、ルートを誤った(自首をすすめず、罪を隠すほうを選んだ)ものの、その誤ったルートにおいて一番”合理的”な隠蔽工作を画策し、それを実行するにあたってホームレスが一番適当(消えても誰も探さない上に、カネを出せば言うことを聞いてくれる)だったからホームレスを殺害したということであり、それ以上でもそれ以下でもない。 恋してしまった石神の”誤ったルート”によって、「罪をかぶせてしまった」と靖子も不幸になった。無関係なのに殺されちゃったホームレスも不幸になった。この事件を解明した湯川も「靖子を守りたかった石神の気持ちを、すくいとってあげるわけにはいかない・・・」という、葛藤と自責の念にかられ不幸になった。そして何より、自分が罪をかぶることで靖子の幸せな人生を守れると思っていた願いも崩れ去り彼自身も不幸になった。 不幸な悲劇の歯車がグ~ルグル・・・なのである。    そして「隣あう色はけして交わってはならない」という4色配列は、まるでアパートの隣同士である石神と靖子は、この殺人隠蔽作戦によって、どんなに密接に関わりあえる関係になったとしても、けしてそれ以上に交わり結ばれることはない・・・ということを象徴しているのだろう。逮捕された石神が靖子の登場で「ふぁぁ・・・どうして!?どうして・・どうして!?むぁああああ~~ああああああ!」と号泣県議並みのガチ泣きする場面はこちらまでもらい泣きしてしまった。[CS・衛星(邦画)] 9点(2015-11-02 13:49:57)

10.  日本のいちばん長い日(2015) 監督がこの映画公開にあたってのインタビューで、昭和天皇のことを 「監督という最高権力者でも宣伝部が作るポスターに口出しできないのと同じなんですよ」 と言っていて驚愕した。 命の生死を判断する国家権力者と、映画監督と、同じ土俵に上げるのは、戦争で亡くなった方々への冒涜行為だと思う。            「若い世代は戦争を学ぶ事を放棄している部分がある」とも言っていたが、それで作ったのが、ハーバート・ビックスの『昭和天皇』に対しての反論映画というわけで、自慰映画というふうにしか見えなかった。   本気で若い世代に戦争を学ぶことを放棄させないために映画を作るなら、天皇養護論の映画を作るのではなく、もっと戦時中に、食糧が日本から供給されず外地で戦友を食べないと生き残れないほどの状況になったガダルカナル島の映画や、食糧を女子供に食べられて減らないように女子供に自殺を強要したトラック諸島の映画、あるいは兵士が沖縄人の隠れていた壕を奪って沖縄人を追い出したり壕の中で赤ちゃんが泣くと米兵に気づかれるので親に赤ちゃんを殺害させたり、13歳からの少年たちをゲリラ兵として強制徴兵したり、現地の女子供や年寄りには爆弾を背負わせてヤリだけもたせてアメリカの戦車の下にもぐりこむ”斬り込み”という名の特攻を強要していた…そんな沖縄戦といった、本当の戦争の真実を描いてみたらどうなんだと思う。 天皇を国民の好感度の高い本木氏にやらせたのもあざとく、作品全体に「監督の自己満足」の一言に尽きる映画。[映画館(邦画)] 1点(2015-08-18 20:12:22)(良:2票) 《改行有》

11.  ブタがいた教室 《ネタバレ》 レニーゼルヴィガーとユアンマクレガーが出ている「ミスポター」でのワンシーン。レニー扮するポターが、田園地帯を散策中、牛の世話をしていた農夫にたずねる。「この牛は、なんて言う名前なの?」それに対して彼は答える「家畜に名前はつけません。殺すときかわいそうになるのでね」・・・・・・つまり、これが「ブタのいた教室」が0点である理由の全てなのである。 この教師は、子供達にブタにPちゃんという名前をつけさせてしまった時点で ”生き物を食べるために育てる=家畜” と ”生き物をかわいがるために育てる=ペット” の違いが分かっていない愚かな教師だ。 育ててから子供達で食べるかどうか決めさせるのであるなら、スタート時点で名前をつけず、「家畜」「ペット」の境界をニュートラルにする必要がある。しかし、すでに名前をつけて「ペット」に分類させたブタを、最終的に食べるかどうか決めさせるなんていう行為は「育てたブタを食べるかどうか?」ではなく「かわいがったペットを食べるかどうか?」と子供たちに迫る愚行なのである。 いわば「戦地で食べモノがなくなったら、死にかけの戦友を食べるかどうか?」という議論をするようなものだ。われわれとて、ペットとして飼っていた動物は食べたくもないはず。 そんな意味不明で議論のテーマにもならないことを、おおまじめな顔で議論し、見当外れの意見がとびかう教室。空いた口がふさがらないのである。 食物連鎖のピラミッドは自然の摂理。それにしがたい、生きるために上の階層が下の階層の生物の命を奪うことには罪はない。 罪があるのは、生きるため以外、すなわち装飾のために毛皮とるために殺すとか、ハンティングのような娯楽のため殺すことだ。教師が教えるべきことは、そのことであって、「生きるために動物を殺すことはアリかナシか?」ではない。人間はほかの生き物と違い「感情論」を持つ生き物であるがゆえに、生き物を殺す葛藤が生まれる。でも大事なのは、食物連鎖という自然の摂理に従い下層の生き物の命をいただき、その食べ物に感謝すること、そして、食べモノを粗末にしないことであることを伝えることが教師の役目だ。 それを伝えたうえで、毛皮はぎの現場の映像資料を見せ、食物としてでなく装飾目的で動物達が糞尿と病気が蔓延する劣悪な環境で大量に育てられ生きたままこん棒で殴ったり感電して失神させられ生きたまま泣き声をあげようが容赦なく皮をはがされ、まだムシの息で生きたままの皮をはがれた動物達の山が食べられることなく積み上げられ廃棄されている場面をしっかりと目に焼きつかせることも教師の役目だ。 子供達の母親世代には、毛皮の現状も知らずダウンジャケットのフードのフチにリアルファーがくっついているのを何の意識もなく購入して「きれいでしょ」くらいの気持ちで着用している。そうした親が子供に毛皮の罪を教えることは期待できないのなら、学校で教えるしかないだろう。 名前をつけてペットとして飼育したブタを食べるかどうかなんていう意味のない議論をするより、学校のウサギ小屋にいるウサギを教室に運び込んで「みなさんの着ている上着を飾るために、このウサギを生きたまま殴って気絶させて皮をはいで、みんなの上着に縫い付けるかどうか議論しましょう」と、毛皮の真実を教えるほうがよっぽど、命の重みを学ばせることができたのではないか? 最後にひとつ。 ディズニーピクサーの「モンスターズインク」で、外来の汚染生物であり危険な存在と認識されている”人間”の女の子。マイクはその子をどうやってモンスターの世界から追い出すか、それまでの間彼女をどう隠すか、を必死で考えているのに、マイクの親友サリーはその子に<ブー>という名前を付けてしまう。それを知ったマイクは叫ぶ 「名前なんてつけたら、愛着わいちゃうでしょ!」 そう。だから私は言いたい。 「ブタにPちゃんなんて名前つけたら、愛着わいちゃうでしょ!」[地上波(邦画)] 0点(2014-08-04 15:37:46)(良:3票) 《改行有》

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS