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プロフィール
コメント数 3885
性別 男性
年齢 53歳

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41.  バニー・レークは行方不明 地球上でボーマン船長の姿が拝める、貴重な映画。ってのはどうでもいいんですけどね。 映画の4分の3くらい、大して何も起こらない、というより、そもそも何かが起こったのかどうか自体がよくわからないんですけれども、にも拘らず、スリリングでぐいぐいと引きこまれます。 何しろ、どのシーンを見ても登場人物が画面内を動き回り、カメラも登場人物たちを追いかけて、とにかく動きのある映像が展開されまくります。その計算された構図に息をのみ、あれよあれよという内に物語が進んでいく。 終盤、物語の展開に動きがあり、ほとんど物語が破綻するかしないかの瀬戸際になって、そうなるとカメラも一層、不安を煽って見せる。もうハラハラもの。 という訳で、まさに出色のサスペンスです。[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-01-04 17:07:01)(良:2票) 《改行有》

42.  愛人/ラマン 《ネタバレ》 中国人青年を演じるレオン・カーフェイが、ジェーン・マーチと知り合ってからエッチするまでの場面で、初めてひとりでエロ本を買いに行く中学生みたいな演技をしていて、微笑ましいというか叱りつけたくなるというか、なかなか絶妙な演技を見せてくれるのですが、こういう描写は、原作小説にはほとんど見られない要素ですね・・・などと偉そうなコトを言えないのは、原作を読んだ記憶はあるのに内容をサッパリ覚えていないからで。久しぶりに本棚から取り出してパラパラめくり、まるで内容を憶えているかのごとくこうやってコメントを書くのも、我ながら、どうかと。スミマセンです。 映画の方は、途中からエッチシーンが連発され、昼日中にくんずほぐれつやってる一方で、表の通りには日常の喧騒があって。ってな描写が、退廃的で独特の雰囲気。ただ、それをいくら繰り返してもあまり変わり映えがせず、だんだん「こういうのは結局、映像では伝わらないよね」と投げやりになっていくような印象があって(ホントにアノーがそんな事を思っていたとは思わんけど)。 ラストの「ショパンのワルツに涙する」というのは、これまた陳腐な話だ、と思ってたら、これは原作にもあるエピソードでした(もちろん私はこれも覚えてなかったけど。スミマセン)。少なくとも、映画で見せるには、これは陳腐だと思うのですが、どうでしょうか。 三人称で語りつつも実際は一人称の物語である原作に対し(・・・スミマセン)、映像作品である本作には、幾分、客観的な視点があり、中国人青年の立場、というものも織り込まれているのだけど、何となく、「家畜人ヤプー」を白人の立場から描くとこんな感じになるのかな、とも思ったり。[CS・衛星(字幕)] 4点(2020-12-31 08:47:29)《改行有》

43.  モンスターズ/新種襲来 モンスター映画の体裁を借りて、戦争というものの真実を描こうとした、というのが製作の意図なら、そもそもあのヘンな生き物がチョロチョロ走り回ってる時点で「これは架空のオハナシです」とわざわざ念押ししているようなもんで、完全にブチ壊しだし、それが意図でないなら、どうしてこんな作品になってしまったのか、もっと訳がわからなくなります。 いや、別にモンスターが出てくるのがダメだと言うつもりは毛頭無くって、出すなら出すで、それなりの工夫して、相応の魅力をもって描いてくれればいいんです。それで観る我々が惹きつけられたら、そこにはリアルを超えたリアルがある訳で。残念ながら本作のモンスターは、中途半端もいいところ、もはや目障りな存在でしかない。 背景のフォーカスがあっていない遠景をモンスターが走っていたりすると、ちょっと「おっ」と思わせるものがあるのに、たちまちカメラはモンスターを追いかけ、モンスターもわざわざカメラの中心に入ろうとこちらに寄ってくる。これにはゲンナリ、私の心の「おっ」を返してくれと言いたくなるではないですか。言えば返してくれそうな気もするけど。 冒頭、浮かれていた若者たちが、実際の戦場の恐怖を体験する、という、何やら批判精神モドキのようなものを匂わせつつ、皮相的なリアリティを追求してみせ、「言いたいことがありそう」な映画には仕上がるけれど、何が言いたいのか実際にはワカラン、というよりゴメン、まるで興味が湧かない。この作品が、あの素敵なギャレス・エドワーズ監督作の続編を名乗っているもんだから、余計に残念に思えます。[CS・衛星(字幕)] 3点(2020-12-06 15:26:02)《改行有》

44.  ザ・バンク -堕ちた巨像- 《ネタバレ》 主人公が戦う相手であるところの悪の組織が「銀行」、ってのが、なかなか不思議な設定でピンと来ない部分もあるのですが、実在した銀行をモデルにしてるもんだから(これをちょっとモジっただけの劇中の銀行名からも明らか)、仕方ないっちゃあ仕方ない。というより、そういう社会派っぽい複雑な背景を匂わせることで、複雑な事件の解明よりも、「何が起きるかわからない」という雰囲気作りに軸足が置かれており、これがサスペンスとアクションにうまく繋げられています。国際犯罪らしく、舞台が世界各地を転々とするのも見どころ。 冒頭の車内でのミラーを介したやりとりによる不穏な空気、事件の証人の突然の死。これまた突然ナオミ・ワッツに襲いかかる犯人のクルマ。中盤の暗殺シーンなど、狙撃の描写自体の緊迫感だけにとどまらず、事件を二段構えの構造で描くことで、事件の謎の深さ、悪の根深さ、みたいなものも感じさせます。 そして何と言ってもあの、美術館における壮絶極まりない銃撃戦。それまでの静かな緊張感との対比、まさに空気が一変、いや、激変。その修羅場の中でも、映像アートが淡々と流れていて、対比を際立たせます。 正直、社会派作品に対する期待をもって本作を観てしまうと、あまりしっかり整理されておらずに肩透かしの印象を持つことになるかも知れないですが、むしろ、社会派の枠組みだけを利用して、巨悪の持つ不気味さを描いている点、「上手い」と言ってよいのではないでしょうか。 エレベータ内のシーンでは、カメラが主人公たちを正面から捉えたその奥には鏡があって、背中から鏡に映った彼らの前には(そこにあるはずの)カメラではなく、「エレベータの閉まったドア」が確かに存在している。こういうのも、なかなか心憎いです。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-11-21 17:48:52)《改行有》

45.  ワイルド・ストーム どうして何の関係もないこの作品に、「ワイルド・スピード」をパクったような邦題を付けてるんだろう、と思ったのですが、そういやワイルド・スピードの第1作の監督が本作と同じロブ・コーエンなんだっけ、と、今、気づきました(ワイスピ第1作なんてもう、色んな意味で、あまりに「遠い過去」なもんで・・・)。 という、いかにも安そうな邦題の作品ですが。まず冒頭、ハリケーンの被害により父を失った兄弟。やがて大人になった彼らのうちの1人は、ハリケーンの研究者らしきことをやってたりなんかして、ああ、きっとコレ、亡き父の弔い合戦のごとく、2人が巨大ハリケーンに立ち向かうオハナシなのだな、と思っちゃうのですが、これがどうして、さにあらず。2人が立ち向かう相手は、廃棄処理前の使い古しの札束を狙う強盗団。超巨大ハリケーンが迫る中、その暴風や気圧差をチャッカリ利用して、強盗どもを蹴散らすオハナシでして、冒頭のエピソードが見事なまでに、どこにも繋がっていないんです。 さらに、強盗団が侵入するこの施設、警備員がいっぱいいるんだけどあえなく、ほぼ全員、彼らにつかまっちゃう。で。強盗どもは彼らを檻みたいなところに閉じ込めたはいいけれど、どうも彼らのことを持て余し気味、というより、映画の脚本家自身が、彼らの存在を持て余し気味で、妙に扱いが悪い。もうちょっと何とかうまく、彼らもストーリーに絡ませてあげられなかったものか、と。ただ一人、とっ捕まらなかったオネーさんだけが、例の2人と一緒に、敵に立ち向かう。 悪党どもとの戦いと、迫りくる超巨大ハリケーン。なにせ超巨大過ぎて、「んなアホな」という現象を例のごとく次々に巻き起こしたりもするけれど、とにかくこの「豪華2本立て・いや豪華じゃないけど合わせて一本」、という趣向が、うれしいではないですか。 暴風+札束、とくれば、きっとお札が風にのって撒き散らされるシーンがあるんだろうな、と誰しもが持つ期待も、しっかり裏切ることなく、お札はもちろんのこと、色んなモノを風で吹き飛ばしてみせてくれます。 アクションとスペクタクルのつるべ打ちに、もう、お腹いっぱい。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-11-09 21:22:16)《改行有》

46.  ザ・スクワッド 冒頭、あまりカタギのようにも思えない連中がクルマに乗ってどこやらに向かってる。と、実は彼らは刑事で、まさに手入れに向かっているところだった、というオープニング。 で、劇画調のタイトルがあって、続くシーンではこの刑事どもがあまり中身の無さそうな会話をポンポンとかわし合っている。 何だか、タランティーノみたいな事をやりたいんだろうか、なんて思っていると雰囲気が一変して、刑事のリーダー格らしき初老のオヤジ(ジャン・レノ)の不倫めいたロマンスとなる(「めいた」は余計ですかね)。 映画の中に色々な要素を詰め込むのは結構だと思うんですが、なにせその一つ一つが、どうも踏み込みが足りず、しかもどこか既存の作品のパクリっぽい感じがして。 やがて街中での銃撃戦となって、それなりに気合が入ってはいるけれど、既視感は拭えず、さらに敵の連中がいかにもアリガチなマスクを被っているもんだから、既視感に追い打ちをかけます。「とりあえず見よう見真似で色んな要素を少しずつ齧ってみました」的な、主張の弱さ。 何となく感じるのは、感傷的なジジイのロマンスと激しいアクションとを同居させてみました、ってコトなんでしょうけれど、その点での意外性の前に、そもそも関心が大して湧いてこない、というのが正直なところではあります。[CS・衛星(吹替)] 5点(2020-10-28 21:23:20)《改行有》

47.  ベイビー・ドライバー 主人公が音楽を聴いてるだけで、実際には歌わない、口パクだけのミュージカル。その音楽に乗って、カーアクションがテンポよく繰り広げられます。主人公は銀行強盗をクルマに乗せて逃がすだけの仕事なので、強盗シーンなども描写が省略され、とにかくテンポよく進みます。コインランドリーの洗濯物たちも、映画の中で踊ってる。 ただ、次に狙う郵便局へ下見に行くシーンでは、沢山の監視カメラが映されたりするものの、主人公と一緒に下見に行った少年に瞬時に状況を把握させることで、下見シーンを大幅に省略してしまう。確かにテンポはいいけれど、さすがにちょっと、味気ない。映画でちゃんと描写されない警備なんて、あって無いようなもの。観てて、どうでもよくなってきちゃう。 おそらくは、後半、主人公の彼女が事件に巻き込まれてしまうのか・・・という部分を中心に描かんがために、他の部分を省略しているのかも知れないけれど、それにしては、ここに至ってなお、もうひとつハラハラさせてくれないのは、どうしたもんだか。 あと、アクションを音楽とシンクロさせるのはいいけれど、銃撃戦の銃声まで音楽に乗せると、ここまでシラけるものか、というのは、ちょっとした発見でした。銃撃戦が台無し、といっても過言ではないですな。思えば、チャイコフスキーが「1812年」においてラ・マルセイエーズとともに大砲を鳴らす場面で、4拍子の音楽に3拍ごとの砲声を重ねたのは、さすがというべきか。[地上波(吹替)] 6点(2020-10-04 15:16:11)《改行有》

48.  イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 《ネタバレ》 映画のラストでは、チューリングの悲劇的な死は直接描かれず、書類を燃やす映像に重ねられるテロップでのみ示されます。 勿論、書類が焼かれているのは、直接的な理由としては「用済みの極秘書類だから」ではあるのですが、それにとどまらず、このシーンには独特の楽しさと果敢無さが漂っています。一つの大きな仕事を成し遂げた後の、ひっそりとした有終の美。「個人的なお祭り」とでもいいますか、ちょっとキャンプファイヤーみたいなイメージから来る楽しさ。しかしその一方で、この映像にはナチスの焚書のようなイメージも感じられて。後にチューリングが同性愛を理由として社会的に抹殺されたように、ここでは彼の業績が、燃え盛る炎の中で消されていく、という果敢無さと哀しみ。 アラン・チューリング個人をコンピュータの始祖みたいに言うのが適切なのかどうかはちょっとわかりませんけれども、チューリングと言うと、ゲーデルの不完全性定理の「後日談」的に紹介される、チューリングマシンの停止問題(ゲーデルが因数分解の一意性を用いてあらゆる命題をゲーデル数に置き換え、対角線論法によって不完全性定理を証明したように、チューリングは対角線論法により、計算機が計算を完了しうるか否かを完璧に判定することはできない、ということを示した・・・超曖昧でテキトーな理解です、間違ってたらゴメンナサイ)、あるいは、AIの注目度が高まってる昨今では、チューリング・テストなどによって、名前を耳にする機会がありますが、我々庶民からすると、浮世離れしてて、どうもピンと来ない。 しかし実は、浮世離れどころか、我々の今があるのももしかしたら、彼の抹殺され(かけ)た業績、戦時中の暗号解読のお陰かもしれないのだよ、というオハナシ。これとは別途、暗号解読されまくって大勢の命が失われた日本の立場からすると、複雑な気持ちも無いでは無いけれど、それはともかく。 主人公を無闇に美化したり逆に過度にエキセントリックに描いたりすることなく、ちょっと風変わりで周囲になかなか溶け込めない人物の、いわば「居場所探し」みたいな物語として、映画は彼を描いています。しかし、戦時中に自分の居場所を見つけた彼、社会もまたその才能に多くを負ったはずの彼を、戦後、社会の一方的な価値観が追い詰めることになる、という皮肉。 映画は、子供時代、戦時中、戦後の時間軸を行き来して描いており、見てて混乱するという程ではないにしても、戦時中と戦後とはもう少しうまく描き分けて欲しかった気もするんですけどね。しかしこの構成自体は対比として効果を上げており、見応えのある力作、であることは確かだと思います。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-14 09:19:52)(良:1票) 《改行有》

49.  アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル こういう作品はどうしても、「どこまで真相に迫っているのか」という観点で見られてしまう面があるのですが、その点、この作品は最初から「皆さんそれぞれ言い分があるでしょうけど」という立場を貫いていて、無責任と言えば無責任だけど、そこに適度にユーモアを交えることで、何となくはぐらかされちゃう。そもそも「本人へのインタビューを交えた再現ドラマ」であるかのような体裁をとっているにも関わらず、インタビュー部分も俳優が演じてるので、何でもアリ、なんですけれどね。ただ、「証言」がアチコチで食い違いつつ、時に彼らの「証言」をシンクロさせてみせる演出は、ちょっと面白い。何となくウサン臭いけど。 それにしても、アイススケートシーンが、実にお見事。ここがショボかったら、相当ウサン臭い映画になるところですが、CGも使っているのか、本当に高度な技を連発しているように見えて、迫真のシーンになってます。オリンピック本番の雰囲気と、その中で精神的に追い詰められていく彼女。靴紐云々の場面は、当時のオリンピック中継でも見た場面ではありますが、こうやって、彼女に寄り添った視点で舞台裏から連続して描かれると、やはり実際の中継映像とはずいぶん違った印象を受けることになります(で、ここで当時のことをふと思い出すのだけど、外野の騒ぎに流されてジャッジの点数までおかしくなってしまった、実に後味の悪い大会でした)。 全体的に、ややトーニャ・ハーディング寄りの描き方ながらも、何となく曖昧に終わらせようとしている部分があって、その点ではどうしても映画が弱くなってしまうのですが、それでも、肯定も否定も超えたところに、彼女の今を提示して見せるラストには、唸らされるものがあります。不運ではあったかもしれないけれど、不幸ではないんだよ、ってな感じで。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-07-23 17:46:45)(良:2票) 《改行有》

50.  K-19 エンドロールのクレジットを眺めてると、音楽を演奏してるのが、キーロフ管弦楽団及び合唱団、指揮ヴァレリー・ゲルギエフ、なんて書いてあってビックリ。音楽にも「ロシアの響きが欲しい」ってコトなんですかね。なんという贅沢。ま、正直、聞いててもまーったく気づきませんけれども。このオケは今では“マリインスキー劇場管弦楽団”という名前のハズなんですが、わざとソ連時代の名前でクレジットした、ということなのかどうなのか。 キャスリン・ビグローはこの後、めっきり「リアリティ最優先主義」みたいになっちゃって、面白味に欠けてくるのですけれども、本作はまだ、実際の事件に取材しつつもしっかりとエンターテインメント作品になってます。すでに少し「実話」に引きずられてる中途半端な印象も無くは無いですが、そもそもおよそ軍人らしからぬハリソン・フォードを艦長役に据えている時点で、リアルさとは相容れないものがあり、ハリソン・フォード自身は抑えた演技でリアリティに貢献しているつもりかもしれないけれど、やっぱり節々にチャラい身振りが出てしまう、そういったあたりの微妙なバランスは、作品の魅力にもなってます。 米大統領役も演じたことのあるスターの彼が、ソ連原潜の艦長役。まあ、「ソ連のことを悪く描くつもりはないんです」という作品の姿勢の表れ、なんでしょうか。 潜水艦内という閉鎖空間での原子炉事故、というサスペンスに加え、人間同士の対立などもあって、作品には緊迫感が溢れていますが、一方で中盤の、乗組員たちが氷上でサッカーに興じる光景などには、心和むものがあり、印象に残ります。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-07-15 21:15:47)《改行有》

51.  それでも夜は明ける 《ネタバレ》 せっかく書いた、最後の望みとも言うべき手紙を、燃やしてしまわねばならぬ無念と絶望を、消えゆく残り火が表現していて。 こういう要素がもっとあれば、映画の印象をさらに強めるのでしょうが、本作にはあまりそういう「演出じみた要素」が無くって、「事実を事実として切り出してみせること」に力点が置かれているように思われます。事実がすでに充分、衝撃的だから、それ以上に何も付け加える必要は無い、とでも言うかのような。 もちろん、カメラは各シーンから滲み出る感情を、常に掬い取ろうとはしているのでしょうが、総じていうと、やや淡々とした印象にはなってます。主人公が何に希望を持ち、何に絶望したのか。悲惨な事象は画面上に次々に登場するけれど、だから見てて「道義的な問題」は感じるけれど、そこには主人公の心情が充分に投影されていないようにも思えます。 せめて、やがて壊してしまうことになる、ヴァイオリンと主人公の関係くらいは、もう少し深掘りしてもよかったのかな、とか。 特に、ラストで家族と再会するシーン。見せ方として、本当にこれで良かったのか? 家族の中に、赤ん坊を抱く見知らぬ男が一人混じっており、主人公はそれを見てどう思ったのか、そして我々はどう思うべきなのか。わたしゃてっきり、妻の再婚相手なんだろう、と思ったんですけどね。で、もし主人公も同様に思ったのなら(多分、そうではない気がするけど)、「実は娘さんの夫です」というオチは、ハッピーエンドを彩るちょっとしたユーモアにもなりえたと思うのですが。本作はここも淡々としていて、あいまいで、感情に訴えかけてこないので、「娘が結婚した」「自分に孫ができた」という事実の提示でしかなく、はたまた、妻が再婚していて主人公がカワイソウと思ったのはわたしの勘違いだったという事実の認識でしかない。ちともったいないラストだと思うのですが、勘違いした私が悪いんですか??[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-05-06 15:08:13)《改行有》

52.  キリング・フィールド この映画、初めて見たのは、ゴールデン洋画劇場で放送されてた時でして、解説は勿論、いつもニコニコ顔で無難なコメントを述べるだけの高島忠夫さん。あのドレミファドンやウルトラクイズ同様の笑顔でいつも映画解説役を無難にこなしている高島忠夫さんが、この映画の後、「私はこの映画に対し、2つ、言いたいことがある」とぶち上げたのが、いまだに印象に残ってます(って言っても古い話なのでどこまで確かな記憶かは保障しません、ゴメンナサイ)。曰く、1つ目、あのラストにおける再会のシーン、ここはただ抱き合うだけでいいじゃないか、セリフは不必要でしょう、とのこと。そして2つ目、なぜアカデミー「助演」男優賞なのか。これは「主演」でしょう、と。 まあ、少なくとも、本田勝一がこの映画について書いていること(「貧困なる精神」参照)に比べれば、一億倍くらいイイ事言ってる気はします。 それはともかく、本作。ベトナム戦争が飛び火したカンボジア内戦から、ポル・ポト派(いわゆるクメール・ルージュ)による弾圧と虐殺、そしてその中をかろうじて生き延びた現地ジャーナリストの姿が、描かれており、内戦下の緊迫感や、粛清の恐怖といったものが、作品に満ち満ちています。 後半、国に帰ったシャンバーグ記者と、現地に残され苦難を味わうディス・プランの関係は、「逃げた者の罪悪感」も含め、ちょっと「南極物語」みたいな図式ですけれども、受ける印象は(当然ながら)大きく異なります。この映画の後半は、ディス・プランの独白など一部のセリフが英語ですが、それ以外は字幕なしの現地語であり、プランは勿論それを理解するだろうけれど、見ている我々にはそれが、理不尽な弾圧を象徴する「理解を超えた恐怖」として迫ってくる(その意味では、このシーン、カンボジア語を理解する人とは印象を大きく異にするでしょう)。 一方で、退却を進めるアメリカ軍のヘリコプターの、メカニックな姿。また一方では、文明を拒否するポル・ポト派が推し進める、恐怖に裏打ちされた原始社会。どちらも非人間的であり、それと同時に、この物語の中心にいるジャーナリストたちの姿もまた、無力であるばかりではなく打算とのスレスレに位置している点、はたして人間的と言えるのかどうか紙一重のところもあって。 決して綺麗ごとだけでは描かれていない、だけどそれでも、希望を描かずにはいられない、そこが作品の感動となっているように感じます。 しかし、惜しむらくは、音楽が一部、作品とまるでマッチしていないんですよね~~~(イマジンとかアルハンブラのことじゃ、ないですよ)[CS・衛星(字幕)] 9点(2020-02-22 04:50:19)《改行有》

53.  悪党に粛清を クラマックスの決闘が、何ともシビれるんですけどね。ただ・・・。 駅馬車でチンピラと同席してしまったばかりに妻子を殺された男の復讐。しかし復讐は復讐を呼んで、やがて訪れる、対決の時。追い詰める者たちと、それを待ち受ける者、まさに「人間狩り」vs「人間狩り」とも言うべき銃撃戦が展開されて、手に汗握るクライマックスとなっています。 ただ全体的に、作り物めいた映像が、どうもいただけません。そもそも西部劇というジャンル自体がこれまで「雄大なる自然」を背景に描かれまくってきた歴史があるだけに、この映像には違和感を拭えません。そもそも、西部劇とCGの食い合わせの悪さ、ってのが露骨に出てしまっています(まあ、過去にはSF仕立ての西部劇もありましたけど、そういうのとは違う、根本的な違和感)。 非常に残念です。[CS・衛星(字幕)] 5点(2020-01-28 21:11:02)《改行有》

54.  ジャッジ・ドレッド(2012) スタローン映画のリメイクではない、ってコトなんですが、その代わり、インドネシア映画の『ザ・レイド』のリメイクみたいになっております。外部から遮断された高層ビル内で、襲い来る刺客たちとの戦いが繰り広げられ、残酷描写を多用している点もザ・レイドと共通ですが、ただしコチラの方は残酷というより、キタナくてバッチい感じです。よりトホホ感が感じられます。 法の執行人・ジャッジドレッドは、マスクを被ったままで表情を見せず、この出で立ちをカッコイイと言ってよいのやらどうなのやら、そこは好みによるとしても、少なくとも、表情も無ければ仕草も単調で、彼自身は物語の緊張感や盛り上がりに対し、何も貢献していません。強いて言うとこの格好、「自分が優勢な間はカッコがつくけど、敵の攻撃から逃げ回る姿はちょっとマヌケ」といった程度のアクセントは、感じられなくもないですが。 一方、彼とともにビルに閉じ込められた女性ジャッジ、こちらはマスクを被ってませんが、その理由、「超能力者だから」という建前だけどホントのところは「美人だから」が正解でしょう。まあ、一種のサービスなワケですが、だったら撮る側ももうちょっと、美人に撮るような努力をしてあげてもよいと思うのですが。 いずれにせよ、彼女が超能力者という設定には微妙なところがあり、設定上無意味とは言わないまでもあまり有効ではなく、さらに彼女の成長物語の側面があるはずのこの映画、なのにこれといって成長を感じさせる要素も無く。 映画の中に「決断」のひとつでもあれば、空気が変わったと思うのですが。 特に起承転結らしきものもなく何となく戦いが続く中(撃たれて重傷かと思いきやインスタント治療であっという間に復活、だなんて悪い冗談としか思えない)、はたまたその度に悪趣味な血しぶきと肉片が飛び交う中、ときどき、やたらとポエムな「超スローモーション映像」が登場し、ああ、作り手も結構ヤケクソなんだな、と。「映画を見て大いに苦笑してみたい」という方にオススメ。[CS・衛星(字幕)] 4点(2020-01-26 10:27:04)《改行有》

55.  ブレードランナー 2049 《ネタバレ》 それなりに結構長いこの作品を見ているうちに、結局はこれが『ブレードランナー』の続編に過ぎなかったんだという(当たり前っちゃあアタリマエの)ことに気づかされる、そのガッカリ感ってのが、正直あるんですよね。もしかして、デッカードさえ登場しなければ、もっといい作品になってたんじゃないかなあ、と。 サイケ調の未来社会のよそよそしさが孤独感と不安感を煽る、あの前作。人間と同じく記憶を持ち、感情を持つ「レプリカント」を殺害しなければならないブレードランナー=デッカードの側から描かれた前作で、彼は、レプリカントの「殺害された仲間に対する記憶」を、苦痛とともに文字通り指折り体に刻み込まれることを通じて、結果的にはひとつの許しを得たのでしょうが、その30年後、今度はレプリカントの側から描かれるのが本作。 主人公のレプリカントも旧型の解任=殺害を命じられたブレードランナー、という設定ながら、その点は本作ではあまり深掘りされる訳ではなくって、むしろレプリカントとしての彼が持つ過去の記憶、木製の馬のオモチャを握りしめた(本来ならレプリカントが持つはずのない偽りの)記憶にスポットが当てられています。 彼が木の根元から小さな花を拾い上げる、というキッカケからして、何となく詩的なものを感じさせ、VRの女性との交流が描かれたり、荒廃した過去の街が描かれたり、水のイメージが頻出したり、色々と雰囲気作りは凝らされているのですが、結局たどりついたのがこんなデッカード爺さんなのかよ、と。そりゃま、ハリソン・フォードの登場は、ファン・サービスではあるのだけど、こんなコトに満足していいのやら悪いのやら。 いっそデッカードは最後そのまま海に沈んじゃえばよかったんじゃないの。[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-12-30 10:08:10)《改行有》

56.  ロミオとジュリエット(1968) 戯曲を読むと正直、たいして面白くもない「ロミオとジュリエット」ですが(単に、新潮文庫のシェイクスピアで唯一、あの独特の福田恆存節を楽しめないから?)、こうやって映画にすると何だか引きつけられてしまうのは、 「ええい、この、若いモンがいつまでもイチャイチャしやがって」 というイライラ感で、退屈する暇もない。ってヤツですね。まったくもう。 ウェストサイド物語の原点、あるいは「タイタニック」の原点と言ってもいいのかな? 本作の、あの二人が相手の存在を初めて知るダンスのシーンなんかを見てると。 それにしても、ジュリエット役のオリビア・ハッセーが、もう呆れる程に美しくって、彼女が登場した瞬間、息を呑んでしまう。そういう意味では本作、彼女の「出オチ」みたいな側面がありますけれども。それにしても彼女はどうして、あんなロミオに一目ぼれしちゃうんだろうか。特に布施明に似てる訳でもないと思うんですけどねー。 趣きのある古い町並みでのロケ撮影が、よく雰囲気を出していて、イタリアが舞台の物語ですがシェイクスピアということでセリフは英語、でも作品自体はイタリア映画クサさがプンプン匂ってきます。 そしてあの有名なテーマ曲。ジュリエットのテーマといえばプロコフィエフで決まりかな、と思いきや、それを超えるお涙頂戴メロディをニーノ・ロータが提供し、映画の印象を深めています。 それにしてもラストの方で、オリビア・ハッセーの死に顔というのか仮死顔というのかがやっぱり美しくって、ああ、スペースバンパイアも彼女が演じてくれていたらなあ、などと思うにつけ、トビー・フーパーの人徳の無さみたいなものが悔やまれてしまうのですが(なんのこっちゃ)。[CS・衛星(字幕)] 8点(2019-11-16 10:00:17)《改行有》

57.  レイヤー・ケーキ 麻薬取引に関わる主人公が引退前に引き受けた最後の仕事が、面倒な展開となっていくのですが、正直、映画の語り口自体も面倒くさいというか、ゴチャゴチャしてて、観てても完全にはついていけないんですけどね・・・でもまあ、我々の日常世界も、こんなものかも知れませぬ。日々の仕事でも、自分の直近のことは何とか把握してるけれど、それ以上のことはよくわからなくって、でも全貌は把握しきれないながらも物事は何となく進んでいってしまう。そんな中で、自分は仕事を、しているのか、それともさせられているのか。 後の『キングスマン』が曲がりなりにも一人の青年のサクセスストーリーだったことを思うと、本作はまさに正反対。レイヤーケーキのごとき層構造をなすイギリスの階級社会、それは裏社会すらもが同様で、うまくたち回ろうとする主人公ではあるけれど、その縛りからはなかなか抜け出せない。 例えば、ライフルでターゲットを狙っているつもりが、実は逆に狙われていて、身動きがとれなくなってしまう。どこから誰が自分を狙っているのか、こちらからは決して見えないまま。 ブルーレイのオマケに別エンディングが2種類入ってて、計3通りのエンディング。程度の差はあれ、そのどれをとっても、結局は階層構造からは抜け出せていないんですよね、たぶん。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2019-09-29 07:28:54)《改行有》

58.  ダンケルク(2017) 《ネタバレ》 ダンケルクの撤退劇を、複数の視点から並列に描く、つまり複数の物語が同時に進む構成になっているのですが、あちらのエピソードが昼だったかと思うと場面変わってこちらのエピソードは夜の場面、だったりするもんだから、それぞれのエピソードは時間進行もバラバラなんだ、ってのはイヤでもわかるんですね。 で、時間軸の異なる各エピソードは、クライマックスにおいてきっと一点に交わるんだろうなーってのも、期待としては持っちゃう訳です。実際、そういう構成なんですが・・・ 普通、こうやって場面を切り替え切り替え、複数の場面を並列に描くってのは、盛り上げるためにやるもんなんでしょうけれど、本作の場合、方法論が先にあるためなのか、意図して感情移入させないようにしているのか、あまりに機械的に場面切り替えをやりすぎて、正直、わずらわしくなってきます。 また、この手法(異なる時間軸が一点に焦点を結ぶ)を取ると、どうしても、クライマックスが近づくにつれて時刻が小刻みに前後することになって、不自然さが目立っちゃう、ってのはタイムチャートを書いてみるとすぐにわかると思うんですけれども(作り手もわかってるんでしょうけれども)。こういう点も、少々、違和感が。収束すべき焦点もボケてしまいますわなあ。 しかしそれでも、その最後に、あの見事な海岸への不時着シーンをもってきたのはさすが。これはシビレました。もちろん映画中盤の、陸(海岸)、海、空でのさまざまな「戦い」が、さまざまに描かれるのも(時に仰ぎ見る形で、時に見下ろす形で描かれ、また時には姿の見えない敵からの攻撃という形でも描かれ)、見どころになっているのですが、これらの「陸・海・空」が、あの最後の不時着シーンで一点収束した感があって。ヘンな時間的細工より、よほどイイなあ、と。[DVD(字幕)] 7点(2019-09-17 21:23:18)《改行有》

59.  エイリアン:コヴェナント 《ネタバレ》 これはもしかしてアレですかね、“エイリアン VS ブレードランナー”の前日譚ですかね。そんな映画がいつかできるとして。アンドロイドは電気ウナギの夢を見るか? 見ないでしょ。 未知の惑星を防護マスクも何も無しで闊歩して、そんないい加減なことでいいのか、と思ってたら案の定、謎の花粉が飛んできて大変な花粉症に悩まされることに。まあ、一作目とは趣向を変えよう、ってのは大いに結構なんですけれども、あの「宇宙服のマスク越しに襲われる」っていう衝撃に比べると、ヌルいというか何というか。一作目って、奇妙な事象の連続で我々をグイグイ引っ張って、謎の連続で前半をアッという間に見せる(後半はパニックでアッという間に見せる)、実にスリリングな作品でしたが、タイトルのうしろに「コヴェナント」をつけただけで、こうもモッサリするものかと。 一作目とは路線を変えよう、趣向を変えよう、ってのは勿論結構ですが、終盤に「実はエイリアンが一匹、船内に」という、とってつけたような原点回帰。しかし一作目の神秘性を削ぎ落された本作では、ずいぶん見劣りがしてしまいます。 という訳で、「エイリアンもよく見ると赤ちゃんの頃はカワイイねえ」という、まあ、そんな作品でした。 本作はニーベルンクの指輪における序夜、らしいので、いつか「神々の黄昏」が描かれるのでしょうか?[DVD(字幕)] 5点(2019-09-08 17:17:51)《改行有》

60.  ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2 本作に至り、ヴォルデモート卿はすっかり、神秘性のカケラもない鼻が低いだけの単なるオッサンと化してしまいました。これならきっとハリー・ポッターでも勝てるだろ、と観てて思っちゃうのですが、ラストの一騎打ち、どちらが勝つかはネタバレになるので書きません。 ついにホグワーツに襲い掛かるヴォルデモート卿ご一行様との攻防戦が見どころ、のハズなんですけれど、まあこれが、盛り上がんないですねえ。襲ってくる連中がショボいってのは置いておくとしても、まず襲撃を待ち受ける内部の不安を描いて、緊張感を高めて、攻防戦があって、ついに侵略される・・・という段階を踏まない一本調子なもんで、ただのドタバタになっちゃってます。 燃えゆく競技場の描写なども、あんなもんでいいんですかねえ。なんか、哀しみみたいなもんは、無いんですかねえ。禁欲的と言えなくもないですが。 いよいよラストの対決。頑張れ、ヴォルデモート![DVD(吹替)] 5点(2019-05-11 12:29:34)《改行有》

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