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1. リバティーン
《ネタバレ》 この映画は「アウトサイダーの、アウトサイダー」に着目してみたい。主人公を愛しながら、彼を知りえなかった者ども。アウトサイダーであるロチェスターを、遠くから眺めているしかなかった。
例えば、ロチェスターにフェラしてる娼婦。とある女優に惚れた、とのろける彼に、こんなことを言っていた。
「余計な心配させないで。
やることやってさっさと帰って」
娼婦は、ロチェスターの本妻はもとより、恋愛対象にすらなれない。けれどたぶんロチェスターに好意を抱いていた。できることなら彼を助けたかった。取り合えず、頑張って気持ちよくさせるとか、彼が帰りたくない晩は宿を貸すとか、立場上そんな範囲だけど。
ある意味では彼女は、彼になかなか最も近い。同じ汚いものを知ってる。一般的な道徳観念を感情を、あまり持ってない。その辺の自負はある彼女である。
けれどやはり立場上、彼の生活には踏み込めない。更に根本的な問題として、人は他人の内部を、本当には知りえない。誰しも他人の傍観者に徹して生きている。娼婦の台詞はこれらさまざまのゴタゴタを踏まえて発言されたのである。
「傍観者の哀しみ」を描いた作品で、他にすぐ思いつくのが「パッション」と「ベルベット・ゴールドマイン」だ。両方とも主人公はアンチヒーロー(パッションではキリスト、ベルベットではロック歌手)だし、両方とも悪く言えば単に再現映画(パッションは新約聖書の、ベルベットはデヴィット・ボウイの)。しかし「主人公を見ていながら触れ得なかった者達」を描いた映画だと考えると、かなり見ごたえが出てくる。
そんな映画はもっとありそうだ。それはその主人公を見ている・知ろうとあがいている監督の、そして観客の視線(この二つは厳密には別かもしれないけれど)だから、誰かヒーロー(又はアンチヒーロー)を描こうとすると必然的にそうなっちゃうのではないか?身の回りにアウトサイダーは結構いて、そのまたアウトサイダーもうじゃうじゃいて、多分我々はそのうちの一人なのです。[映画館(字幕)] 8点(2009-07-28 14:59:18)《改行有》
2. 反撥
《ネタバレ》 お姉さんと恋人が旅行に行くので彼女は留守番なのだが、その間にいろんなものが部屋に入ってこようとするので彼女は大忙しである。
彼女は、お姉さんの恋人が好きだったのだと考えると、下世話ながらごく普通にまとまる。お姉さんの部屋に聞き耳を立てるのも、旅行に行かないでとせがむのも、別に潔癖症だったり男性恐怖症だったりするからではない。最初のキスと自分の体は好きな人のために取っておかなければいけない。でも、適当な人とキスしてしまった。そんな自分は、適当なあらゆる男にやられてしまうべきだ。というわけでいろんなものが現れる。
でもまだ取り返しがつくかもしれない。それがいつかわからないけど、きれいなままの体を彼にあげようと思う。そしたらいいお嫁さんにならなければいけない。ちょうどお姉さんは留守なので、お嫁さんの練習をする。家賃を滞納したりジャガイモを放置したり、彼のシャツを床に投げ捨てているお姉さんよりも自分の方がいいお嫁さんになれる。シャツにアイロンをかけたり縫い物をしたり。冷蔵庫の胎児みたいなうさぎ料理は、彼と自分の子供だ。心配なので外出時は頭だけ連れていく。
だって実際彼と自分はもう結ばれてるとおもう。彼は歯を磨くとき、自分のコップ使ってるとおもう。自分も彼の残したコーヒー飲んだし。
それなのに、彼はお姉さんといっしょにいて、卑猥な形をしたピサの斜塔の絵葉書なんか送ってくるから残酷だ。
彼女は、自分の内側の論理と外側の世界が一致するようにがんばっている。しかしそのこと自体かなりアクロバティックな努力が必要だし、その上内側の論理が2種類くらいあるので余計に大変だ。とても仕事に行ったりお風呂の水を止めたりアイロンのコンセントを差し込んだりする時間がない。困ったもんだ。いいお嫁さんになることが、どんどんできなくなっていく。悪循環だ。
最後になってようやく王子様が抱き上げてくれるのだが、それではちょっと遅すぎるんだ。
そんな彼女の唯一の慰めは、彼女の内側の論理を察して、それが外側の世界と合うように、せっせと壁から手を生やしてくれたりする映画監督と出会えたことである。[ビデオ(字幕)] 7点(2009-07-28 13:53:12)《改行有》
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