みんなのシネマレビュー
onomichiさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング


◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

スポンサーリンク
プロフィール
コメント数 446
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 56歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : オランダ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

スポンサーリンク
1.  トウキョウソナタ 《ネタバレ》 廃墟の光景。 その昔、世界を失った者は、生活という場所に帰った。或いは、自己観念に囚われ否応なく破滅を志向した。今やそのような行き方というか逃げ場自体が失われてしまったようだ。それが『トウキョウソナタ』で描かれた現代的な喪失感なのだと思った。 役割を失えば、信じるべき自分という存在すら信じられない。役所広司演じる全てを失った泥棒に小泉今日子演じる「お母さん役」の佐々木恵が言う。「最後に信じられるのは自分自身でしかないと」 その言葉は空虚に響き、結局のところ、彼は自らの命を絶つに至る。 自己という観念が崩壊した世界で、彼らは帰るべき自分という場所すら見出せず、ただ孤立したまま、家族の食卓に戻る。そこで大切なのは、失った者同士が改めて集い、新たな役割を再構築することなのだと僕は思う。 最後の「月の光」とは、一体何だったのだろうか? 夜の海辺に瞬く光の波。カーテンに差し込む穏やかな光の漣。ピアノ曲。このとってつけたご褒美のような「希望」と「救い」は何だったのだろうか? そうか、それが「アカルイミライ」なのか。行き場のない現代人にとってのフラットで等価交換的なアカルイミライなのか。そもそもそこには深みや影がないという、表層の瞬きという発見なのだろうか。[映画館(邦画)] 10点(2009-03-29 20:40:05)(良:1票) 《改行有》

2.  フェスティバル・エクスプレス 僕は以前、『ウッドストック』の退屈さについて書いたことがあるが、この映画は『ウッドストック』に比べ、僕には音楽そのものを純粋に楽しめた作品であったような気がする。一体、『ウッドストック』とこの映画の違いは何だろうか? ウッドストックがロック・ミュージックによる人々の連帯を謳った祭典であったならば、フェスティバル・エクスプレスは、純粋に音楽を楽しむことを目的としており、そこに政治的な匂いは薄い。実際にとても純粋な音楽興行だったのである。興行と言えば、ウッドストックは当初、有料コンサートでありながら、あまりにも多くの若者が集まったために収拾が付かず、なし崩し的にフリーコンサートになってしまった経緯がある。しかし、フェスティバル・エクスプレスは、そういったフリーコンサートを期待してやって来た若者たちを徹底的に排除するのである。そこにはフリーコンサートを求める若者と興行側との対立があり、結局、ミュージシャン達は興行側に付くのである。ウッドストックで見られた「喪失に対する微温な連帯」とでも言うべきものも、連帯意識から個人的感情へと変化し、それは喪失そのものとして人々の心の内に潜行していくのである。60年代から70年代へ、時代は共闘から個闘へと向かう、そういう時代的変化の萌芽が既にここで見られているということだろう。 この映画の終盤で、バディ・ガイが奇しくも言っていたが、今やガルシアもジャニスもこの世にはいない。僕に言わせれば、リチャードもダンコもいないのだ。リック・ダンコ。トレインの中で大はしゃぎしていた彼の姿が僕の目に焼きついている。そして、『ラスト・ワルツ』で一人寂しく過去を懐かしむ彼の姿も同時に思い浮かぶのだ。 『フェスティバル・エクスプレス』は、その名の通り、ミュージシャン達によるトレインでのジャムセッションが大きな見せ場でもある。トレインという観客のいない空間で起きた有名ミュージシャン達の化学反応ともいうべき邂逅は、音楽そのものを楽しむという純粋なお祭りでもあった。ある意味で興業者はその雰囲気の持続をステージでも期待したのだろう。それはロックムーブメントが内向していく瞬間を克明に捉えたドキュメンタリーでもあったのだと今では感じられるのである。(演奏シーンそのものの感想はここでは書ききれないので割愛してます。)10点(2005-03-25 01:21:54)《改行有》

3.  コックと泥棒、その妻と愛人 なんでしょうね。この世界は。なんか全編通してものすごい緊張感があるんですよね。圧倒的な暴力と恋愛、そして黒い高級料理。共通しているのはある種の欲望、死の恐怖を克服するところのエロチシズムかなぁ。なんてバタイユみたいだ。まぁそれにしても、異界の大厨房で妙に物々しいおっさんたちがゴリゴリ、ガリガリとつくりあげる料理って、いったいどんなもんなんでしょうねぇ。腐った食材が錬金術的魔法によって美食に変化する~みたいな。9点(2002-04-12 00:07:55)

全部

© 1997 JTNEWS