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プロフィール |
コメント数 |
173 |
性別 |
女性 |
ホームページ |
http://stern-sanchi2.cocolog-nifty.com/ |
自己紹介 |
レビュワーになって丸15年が経ちました。
14年目の去年のレビューは0件、コロナ禍とはいえ映画館にも行かなかった1年でした。
「もうここにレビュワーとして参加するのも卒業かな…」なんて思っていたところ、過去に投稿した拙レビューに「良」と投票してくださる方々がいまだにいらしたことを知り、無性にうれしく思ったものでした。 こんな想いを抱えたままではまだまだやめられないな、と…
そんなわけで相も変わらずのぼちぼち参加ですが、 今年もどうぞよろしくお願いします・・・ |
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1. ヒトラー 最期の12日間
《ネタバレ》 この映画のラストのユンゲの告白、これを蛇足と見る方もいらっしゃるようですね。もしこれが無かったら多分この映画は冷徹な目によるナチの崩壊の姿のドキュメンタリーといった様相を色濃くみせた作品となったことでしょうし、この映画にそういった役割を求めた方々にとっては、確かに最後の彼女の告白は白けさせるものだっただろうと思います。
だけど私にはこの映画には、淡々と客観的に最後の日々を描くドキュメントとしての性格以外に大きなメッセージがあったのではないかという気がしてならないのです。
というのは、この映画で私が最も印象的に感じたのが、ヒトラーの「国民が死ぬのは自業自得」という言葉とユンゲの「知らなかった(では済まされなかった)」という言葉だったから。
そうです。確かにユンゲは「(数々の犯罪行為を)知らなかった」し、実際無罪となった。それにもかかわらず「だがそれでは済まないことだった」と反省している (多分彼女も多少なりとも良心の痛みのようなものを感じていたのでしょう)。だがむしろ私はこの告白の中に、「反省している私」を正当化して欲しいという彼女の狡さをも感じてしまうのです。この告白を入れたことに批判的な方々も多分そのあたりが気になるっているのではと思うのですが・・・
でもおそらくその狡さっていうのは彼女だけの狡さではなく、当時のドイツ国民全てに、さらには同じく敗戦国である日本国民全てに、そして「数々の不正に薄々感づいていながらも保身のためにあえて鈍感にやりすごしたことが一度でもある」世界中の多くの善男善女にも当てはまるものなのではないでしょうか?だからこそラストにこのモノローグを入れることで作品中幾度か出て来るヒトラーの「自業自得」発言が生きてくる。ここでユンゲの狡さを垣間見させることで、それがヒトラーの一方的決めつけではなないということを再度確認させるのです。
私たち国民は主権者です。だがその一方で「どうせ自分は無力」と感じている人がほとんどなのが現状でしょう。こうした矛盾した「大多数の主権者」の「無力さ」とその「無力を言い訳にする狡さ」または「間違いを犯してもそれを素直に認めたのだから勘弁してという狡猾さ」といった一般人の弱さや狡さをもまた「ヒトラーの人と也」や「実際の第三帝国の崩壊の様子」に加えて、この映画は描きたかったのでは?・・・私にはそんな気がしてなりません。
[DVD(字幕)] 7点(2007-11-21 17:10:44)(良:3票) 《改行有》
2. ピアニスト
《ネタバレ》 いやー痛いお話ですな。女も男もエゴが剥き出し。互いに相手を支配できるって自信満々なところを挫かれて、そりゃしょうがないでしょうって感じ。
主人公は確かに極端ですけど、多分誰にでもある自信とコンプレックス、それがドワッとあふれ出てきちゃった醜悪な瞬間って誰もが恐れているものなのでしょう?それが見事に描かれている、確かにそうです。そのあたりがこの映画のミソなんでしょうが、でも「だから?」って聞かれても「ただそれだけ」としか言えない。その辺りが一度観れば十分ってところに落ち着いてしまう理由なのでしょうか。(格調高い芸術の世界の息苦しさや非常さ、それにもかかわらずそこしがみつきたい人々の喜怒哀楽の描き方なんかは好ましかったですが・・・)
そんなドロドロ感が多い中で若い教え子の二人(コンサートで弾くはずだった彼女とレッスン中こてんぱんに貶されていた彼)の初々しさが対象的で印象深かったです。それも今のうちなんだろうね、って思うから余計まぶしかったのかもしれないけど・・・
[DVD(字幕)] 5点(2007-05-21 13:16:11)《改行有》
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