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2. ストーカー(1979) 《ネタバレ》 誰もが等しく理解できる共有化された視覚イメージでは描かれていない。その冒険譚は、暗喩と象徴でのみ表現された大文字の作者の心象風景として具現化される。ゾーンの部屋。そこにあるのは世界の目的であり、黙示録であり、人類の救済である。それは究極の秘密として分散的に共有されることで人々の希望となる。それを導く者。ストーカーの存在意義である。 もちろん、今、私たちの世界でそのような秘密や希望がリアルに存在していると信じる者は少ない。この物語は原始宗教を模した寓話であり、神話である。しかし、それは大きな物語ではなく、私の中の可能性としての物語。ゾーンの部屋に辿り着いた作家はそれを「無意識の望みだ」と言った。自らの腐った本性と対峙し「絶望して死ぬなら、自分の家で飲んだくれる方がマシだ」と。なんと小さな物語。 奇跡は起こらない。象徴的表現は単なる象徴で終わる。ゾーンとストーカーの存在意義も失われ、徒労感だけが残る。ストーカーは「もう誰も連れていけない」と嘯く。信じること、その可能性の残渣が娘に引き継がれるところで物語は終わる。というか、引き継ぐものとしてこの小さな物語はある。 最後のストーカーの妻のモノローグが全てとも思える。「苦しみのない人生はむなしい。苦しみのない所に幸せもない。希望でさえも、、、」[DVD(字幕)] 9点(2025-01-14 22:04:26)《改行有》 3. ノスタルジア 私が選ぶのではなく、私が選ばれること。それが『ノスタルジア』のテーマである。主体性が揺らぎ、否応なく突き動かされる。私の意志とは何か。その他者性とは。意識が朦朧とした眠気の中で、ギリギリの想像を働かせる『ノスタルジア』。その鑑賞方法は正しい。 精神と芸術は人間の意志から生まれるが、それは他者との邂逅でもある。意志による制御は失われ、私は他者に強制され、翻弄される。観る人にとって、それはある意味で「学び」と同じ。選ばれしことを受け入れ想像し理解し耐え学ぶ。言葉・世界を受け入れてこそ、その地平において、非言語的な感受、ある種の元型、ノスタルジアという領域がシンクロするのではないか。[DVD(字幕)] 9点(2024-06-19 00:52:26)《改行有》 4. 黒い瞳 恋愛というのは基本的に一方的な感情です。また、恋愛は、その成就に障壁があればあるほど、それを乗り越えることが恋愛そのものと錯覚され、時にそれは破滅を導きます。その昔、『ひまわり』でソフィアローレンを振りまわした男、マストロヤンニが『黒い瞳』では、いい年をして恋愛に振りまわされ、破滅の手前まで行きながら、結局、踏み止まります。それは、恋愛に伴う悲哀そのものを体現しているでしょう。そこに恋愛の限界を見た、というのは間違いで、恋愛も含めて、様々なエロスの綱の引き合いこそが人生そのものなんだなぁって。その誠実さに只々共感するのみです。チェーホフの原作の持ち味を嫌厭味なく忠実に表現した恋愛映画の佳作だと思います。10点(2003-05-03 01:30:17)
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