みんなのシネマレビュー
よしのぶさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 823
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
投稿日付順12
変更日付順12

1.  王妃マルゴ 《ネタバレ》 16世紀の仏国、カトリック対ユグノーの宗教対立を緩和すべく挙行された王妃マルゴとナバル王アンリの政略結婚とその直後に発生した「サン・バルテルミの虐殺」を題材にしている。 宗教戦争と王家の権謀術策を扱っているので、ある程度の流血場面は予想していたが、常識を越えた血なまぐさい場面の連続には辟易させられた。国王シャルルがヒ素を盛られて血の汗を流すが、ありえないことだ。陰影に富んだ絢爛な映像が見られるだけに残念だ。 史実では、結婚時の年齢はマルゴ19歳、アンリ18歳で、役者の実年齢と大きく隔たる。史実に忠実に描くのではなく、小説「王妃マルゴ」に忠実に描くという姿勢だ。 現代と中世では倫理観が違うのは承知だが、あまりに乱れているので感情移入ができない。最終場面はマルゴが、処刑された恋人ラ・モールの首を抱えて馬車に乗り込むという哀切凄愴たる場面だ。だが向かう先は夫の元なのだ。マルゴは性的に奔放で、新婚初夜に夫を避けて恋人ギーズ公アンリを寝床に呼ぶが去られ、ほてった体を持て余して町に出て男を漁る。その相手がラ・モールだ。他に愛人は沢山おり、兄弟達とも近親相姦の関係にある。「淫婦マルゴ」を強調しすぎている。そんなマルゴとラ・モールの関係を純愛として描いても純愛には見えない。ラ・モールの売った本が偶然に母后の手に渡り、暗殺の道具として使わるなど偶然すぎる。 同じく新婚初夜に、男爵夫人シャルロットがアンリを誘惑するなど、理解に苦しむ行動が多い。主要登場人物の誰もが異常といっていい。倫理や正義の中核となって他者を鏡として映し出す人物が不在なのだ。だから外国のゆがんだ夢物語としか思えず、現実感がないのだ。描く視点が定まっていない映画では感情浄化が得られない。 [DVD(字幕)] 6点(2014-12-05 03:21:31)《改行有》

2.  トスカーナの贋作 《ネタバレ》 女が男に惹かれる。それは女の息子の指摘で明らか。二人が車中で交す本物偽物議論。女の妹は本物と偽物を区別をしない。その夫は妻を吃音で呼ぶが、妹にはそれが恋の歌に聞こえる。男によれば、その夫こそが本物。単純な世界を受容しているから。ただ楽しさを追求する子供は正しい。コーラ缶は陳腐だが、博物館に飾れば違って見える。価値は視点で変わる。男が絵に無関心なのは、絵画自体が本物の模造に過ぎないから。「モナリザもジョコンド夫人を描いた複製」男が本を書いた契機は、ある母と子が複製ダビデ像を本物のように眺めているのを見たから。女はそれは自分達母子だと言う。二人は過去に接点があった。店の女から夫婦と間違われ、女は夫婦を演じることを提案する。理想的な結婚へのあこがれがあるから。新婚者が黄金の生命の樹の前で愛を誓う場所で、女は新婚の頃を思い出す。男は相手を思い遣る心が大切で、愛を誓うのは無益と悟っている。「葉の散った冬枯れの庭だって美しい」女が男の肩に頭をのせる塑像の価値を巡って議論となる。男は、老人に忠告され女に優しくする。料理店で、女は化粧をするが、また議論となる。疑似夫婦の境界が無くなり、感情が迸り、お互いに相手を責める。女は教会で頭を冷やす。円満な老夫婦の姿を見た男は女に優しくし、二人は塑像と同じ姿勢をとる。新婚時に泊ったホテルで、女は妹の夫をまねて吃音で男の名を呼ぶが、男は戸惑う。鏡を眺めていると鐘が鳴った。振り向くと、女が、思い出して、といっていた光景がこれだと分ったが、皮肉にも時間切れを告げる鐘でもあった。愛における本物偽物議論が命題。母子家庭の女は、息子との関係がぎくしゃくし、結婚に対するあこがれが強い。無意識に愛も複製できると考え、疑似夫婦を演じる。男にとって、愛は複製できないもので、複製は最初から無効。愛は総じて贋作だが、「贋作は本物よりも美しい」こともある。その為には、「意志ある迷子」が必要。その好例が女の妹夫婦で、議論の無い世界に住む。女がいくら真似しても贋作に過ぎない。本物と偽物の二元論ではなく観客を参加させる映画。観客は鏡の中にいて、答えは映画の中にない。偽りの夫婦と本物の夫婦の境界はどこか?光彩陸離たる背景の流れる車窓、何を書いたか不明の本の署名、見えない塑像の顔、カメラ目線での鏡の見立て、実像と虚像が入り混じる演出が芸術志向だが、洗練されてない印象を受けた。[DVD(字幕)] 7点(2014-09-11 16:59:48)

3.  エル・シド 《ネタバレ》 中世スペインの武将で、イスラム教徒からも「エル・シド」と尊称された男の英雄譚。 花嫁シメンを迎えに行く道中で、街に攻め込んできたムーア人と遭遇し、激戦の末、首長を捕えるが、憎しみの連鎖を断つため、平和を誓うことを条件に開放してやる。この行為が反逆罪として告発され、その審理中に侮辱されたエル・シドの父がシメンの父である最高戦士に決闘を申し込む。エル・シドはシメンの父に謝罪を要求するが拒絶されると決闘となり、殺害してしまう。シメンはエル・シドを憎むが、領土争いの一騎打ちを制したたエル・シドは王からの褒美としてシメンとの結婚を許される。ここまでは非常に劇的で、後半の展開を期待させる。だが良いのはここまで。異教徒相手の英雄騎士物語を期待したのに、恋愛、暗殺、王位継承争い、裏切り等、内輪のもめごとが延々と続き退屈する。内容はそれでも良いのだが、表現が薄っぺらで、人物像が一貫していないので物語に入り込めないのだ。エル・シドは異教徒に寛大で平和共存を望んでいるが、それ以上にスペイン王に忠実だ。追放されたり、妻子を人質に取られても王に忠誠を誓う理由が見出せない。鍵を握りそうなエル・シドの父は途中から登場しなくなる。シメンは結婚してもエル・シドを酷く憎み拒絶するが、彼が追放された途端に再び愛するようになる。まるで別人になっており、脚本の欠点だ。第2王子アルフォンソは複雑で、謀略を巡らしたり、強がったり、弱音を吐いたり、エル・シドを憎んだり慕ったりで、人物像がつかみにくい。信頼にたる人物でないのは確実で、この男にエル・シドが忠誠を誓うのは首を傾げる。ムーア人の王ユサフとの最終対決おいて、両国の大軍団が入り混じる戦闘場面は迫力があるが、一夜明けての決戦は何ともあっけない。死んだと思っていたエル・シドを前にするとムーア軍は一方的に潰走するのだ。馬の下敷きとなるユサフの死もあっけない。まるで漫画だ。もっと観客をじらせる「タメ」が欲しい。エル・シドは生きてていたのか、伝説のように死体を馬に乗せて駈けさせていたのか、不明のままだ。[DVD(字幕)] 7点(2014-09-02 21:02:39)(良:1票) 《改行有》

4.  去年マリエンバートで 《ネタバレ》 人の記憶の曖昧さ、存在の不確かさを表現した前衛作品である。幾何学的図案の庭園、大型の鏡、動と静、雑踏と静寂、移動するカメラ、繰り返される映像と語り、噛みあわない記憶と会話、男女彫像の解釈の違い、女の写真の説明の違い、物語が本編と入れ子になっている劇中劇、ゲームに勝ち続ける男、挿入される射撃練習の場面、挿入される女が死ぬ場面、不穏な音を奏でるオルガン、そのどれもが不安を駆りたてる、それでいて不快さはない。物語の意味は不明でも、静謐で硬質な映像美は心の深層に滲み込む。傑作だ。 壁、扉、廊下が続き、幾何学的庭園を持つホテルは、記憶が迷宮であることの象徴。 たびたび服装が変わることで現在と過去が交差していることが示される。 男女彫像の背後の風景に泉水であったりなかったすることで、男女の記憶に大きな相違があることが示される。 夫が男にゲームに勝ち続けるのは、夫が女(妻)の支配者であることの象徴。 一年前の場面で「一年目に会った」という会話があるように見える。時間がループしているのか? 女が射殺される場面は、不安が嵩じた女の悲観的幻覚。 男は女に記憶を思い出させようとするが、二人が結ばれた場面になると、男の記憶も曖昧になっていく。強姦か同意か?しかしそのことが重要でなくなるほど事態は緊迫している。 女の着る羽毛の服は、現実から飛翔したいという願望の象徴。 男が乗った石の欄干が崩れる場面は、女が過去を思い出した瞬間。幾何学の迷宮の一角が崩れた。女が落して割ったコップの欠片を給仕が拾う場面は、過去を拾い集めることの象徴。過去を思い出したことで、女は男を受け入れ、駈け落ちを決意する。夫には妻がいなくなる予感がある。女は、夫が駈け落ちを阻止するだけの時間的猶予を与える。二人が去ってから夫が現れる。夫は何を思うのか?二人はどうなるのか?ループから抜け出せるのか?すべては死者の世界の物語なのか?すべて不明、明確な答えのないまま映画は終る。まるでだまし絵のように、現実の世界が虚構の世界に、虚構の世界が現実の世界につながる。重畳たる虚構により現実が創造される稀有な作品。その構成と技法は芸術の域に達している。 合理的な解釈すれば、「因習に満ちた社交界と愛のない家庭生活に倦んだ女性が、不安を抱えながらも、愛を見つけて、自らの殻を破って新しい世界に飛び出していく」のを表象的に描いた作品となるだろう。[ビデオ(字幕)] 9点(2014-08-17 01:49:36)《改行有》

5.  欲望(1966) 《ネタバレ》 抽象画風のやや難解な映画だ。現代人の「虚無と孤独」が主題だと思う。主人公の写真家は、「現代人、特に男性」を象徴する。経済的に恵まれ、仕事も成功しているが、心は空虚である。移り気で何をしても満足できず、熱中しやすく、冷めやすく、時に人道主義的で、時に冷淡で、女性に惹かれながらも蔑視し、日常生活に飽き、どこか別の世界に行きたいと願う。写真家の人物描写が興味深い。底辺の労務者を撮るが、同情はしない。飛んで階段を登ったり、スライディングして電話をとったりと落ち着きがない。モデル撮影に熱中したかと思うと、さっと止める。静寂を感じると車のクラクションを鳴らす。骨董屋ではプロペラを欲しがるが、スタジオでは見向きもしない。二人の少女と戯れるだけ戯れると、まるで別人となり殺人事件の写真解明に向かう。ライブハウスではギターネックを欲しがるが、通りにでると捨てる。自分というものが無く、周囲の刺激や雰囲気に大きく影響を受けてしまう。殺人事件は事実だ。拡大写真に消音器付拳銃が映っているし、死体も触って確認している。注意深く観ると、デモのプラカードを乗せた写真家の車を追跡する男女同乗の車に気づく。男はレストランを窺っていた怪しい人物で、殺人の実行犯だろう。女は唐突にスタジオに登場したのではなく、追ってきたのだ。スタジオが物色されて写真とネガが奪われたのも、事件が事実であることの証明だ。だが写真家は事件を目撃したという事実に確信が持てなくなる。写真とネガはないし、語るべき相手がいない。抽象画家の恋人と編集者に話すがまるで通じない。画家の恋人には「まるで抽象画」といわれるし、編集者に「何を見た」と訊かれて、「何も」と答えるしかない。「伝達の不毛」「人間関係の不毛」だ。虚無を象徴するのが「無音世界」だろう。無音に耐えきれず、クラクションを鳴らすし、ギターネックに執着したのも音に惹かれたから。公園の死体が消えた後、彼は自分を失って彷徨う。カメラだけを信じて生きて来たのに、それさえも信じられなくなった。そこでパントマイム・テニスの無音世界に出遭う。影響されやすい写真家は、パントマイムに参加し、見えない球を投げ返す。すると聞こえるはずのない打球音が聞こえてくる。無音世界が真実になったとき、写真家の姿は消えた。意識ともども無音世界に行ってしまった。60年代ロンドンの現代アートを刻み込んだ貴重な作品。[DVD(字幕)] 8点(2013-09-15 14:42:03)

6.  ぼくの伯父さん 《ネタバレ》 フランスらしいエスプリの効いた上質なコメディ映画で、文明批判的色彩が色濃いのが特徴だ。チャップリンの「モダン・タイムズ」のフランス版といったところ。 近代合理主義に基く非人間的な工場労働と、虚飾と見栄にこだわり、皮相的な人間関係しか築けないブルジョアジーを徹底的に笑い飛ばそうという映画だ。 定職につかずぶらぶらしている「伯父さん」が主人公で、何事ものんびりしていた古き良き時代を象徴する。 何事も「伯父さん的なもの」と「非伯父さん的なもの」に分かれて描かれ、両者が出会うとき、衝突が起き、笑いが生じる。 「伯父さん的なもの」は、込み入ってごたごたしている下町の風景、奇妙に内部が入り組んだアパート、ジョークで挨拶を交すような人情味あふれる庶民、いたずら好きの子供達、商売気はなく、どこなマヌケにみえる商人達だ。 「非伯父さん的なもの」は、虚栄に満ちたブルジョアジー、見栄にこだわった超モダンな家、プラスティック工場、近代建築の学校、都会的デザインの車など。両者の境界に崩壊した煉瓦塀がある。 犬が度々登場するが、犬は「伯父さん的なもの」と「非伯父さん的なもの」をひっかきまわすトリックスターの役割を果たす。自由の象徴であり、「伯父さん的もの」の理想の姿でもある。 魚のオブジェの噴水のすっとぼけたデザインは出色で、強く印象が残る。「非伯父さん的なもの」を笑いの対象とすることの象徴だろう。 興味深いのは、ブルジョアジーの追及する近代合理主義と見栄とが両立しないこと。 モダンな敷石は歩きづらいし、噴水は電気代がかかるし、オートマティックなキッチンシステムは便利だが騒音のため会話が聞こえない。 「伯父さん」は、あちこちでさんざん騒動を巻き起こしたあげく、町を追われて去ってゆく。異質なものははじかれてしまうのが現実だ。だが救いはある。最後の場面での親子の和解だ。偶然の賜物だが、父のいたずらによって、息子が心を開いたのだ。「伯父さん的なもの」が親子の結びつきに一役買ったわかで、これからは父親も「伯父さん的なもの」に理解を示すようになるだろう。 珍重すべき映画だが、残念な点もある。 役者の演技に難があるのだ。チャップリン映画のような”絶妙なタイミングによる笑い”が見られず、どこか演技じみていて、笑えないきらいがある。こなれてないのだ。子供達と「キッド」の演技を比較すれば瞭然だろう。 [DVD(字幕)] 7点(2013-08-28 12:41:53)《改行有》

7.  ホテル・ルワンダ 《ネタバレ》 ルワンダの虐殺は根の深い問題だ。虐殺の背景として、長年に渡る民族対立、政治対立(フツ+フランスVSツチ+ウガンダ)があるが、ラジオでの憎悪を掻き立てる民族主義プロパガンダの影響が非情に大きかったと言われている。貧困で、教育水準、民度が低ければ、偏狭なプロパガンダにも洗脳されやすく、安易に暴力に荷担してしまう。教育がいかに重要かが実感させられる。ルワンダにとって悲劇だったのは先にソマリア紛争があったこと。内戦が勃発すると、邪魔な国連軍が最初に狙われる。十人も殺せば撤退することを知っているからだ。国連はソマリアの轍を踏み、内政不干渉、軍の撤退を早々に決定した。実際にベルギー兵十人が殺された。国連軍の指令官は最低限の兵のみ治安を維持すべく駐留するが、精神を病んで辞任、帰国する。後にPTSDにより自殺未遂を起こしている。それほど過酷な任務であったということだ。死者80万人と大量の難民が発生し、一時は人口の3/4が女性だったという。その所為で女性の社会進出が実現されたとルワンダ人から聞いた。ちなみに戦後最大の紛争は、1971年のバングラデシュ独立紛争で死者300万人。どの紛争も複雑で、真実は立場によって変わる。被害者意識、家族愛、隣人愛、勇気で綴るこの映画や原作も鵜呑みにはできない。一度全てを疑ってみる必要があるだろう。何が真実かを見極める目を持ちたいと願う。映画から恐怖は伝わってこなかった。所詮は作り物だからだ。実際の虐殺場面を描いたら観客を失うことになっただろう。昨日までの隣人同士が殺しあったり、家族を殺されたりする恐怖は、経験した人にしかわからない。わからないことが幸運だ。その幸運を噛みしめながら、中断したディナーを続けるしかない。虐殺は現実だが、それを遠くから傍観視するのも又現実。立場が違えば、受け止め方が違う。対岸の火事をみて、きれいだと感じてしまうこともあるだろう。当初司令官が具申した通り、国連軍がツチ民兵の武器庫制圧を行っていれば悲劇は防げたかも知れないが、それが更なる悲劇を産むこともありえただろう。運命は気まぐれで、人間一人の力はいかにも弱い。主人公は彼にできる限りの精一杯のことをした。そして多くの人命を救うことができた。そのことに対して、いまは素直に、惜しみない賞賛を送りたい。 [DVD(字幕)] 8点(2013-06-07 06:31:32)(良:1票) 《改行有》

8.  ウエスタン 《ネタバレ》 「もしルキノ・ヴィスコンティが西部劇を作るとすれば」をコンセプトに作られたらしい。道理で、カルディナーレを起用したり、歴史劇要素を盛り込んでいるわけだ。観客の期待を良い意味で裏切る。冒頭、永々と三人の無頼者の”顔芸”をクローズアップで魅せたあと、満を持して主人公ハーモニカが登場。言葉の言いがかりによる撃ち合いで、あっという間に全員倒れ、しばらくして、ハーモニカが起き上がる。次にアイルランド移民のブレッド一家が登場。が、三人は突如射殺される。殺し屋が登場すると、その顔は”アメリカの正義”ヘンリー・ホンダ!残った子供が登場して、そこで初めて音楽が流れる。それまでは生活音のみ。音楽も素晴らしいが、このじらしにも似たタメが見事な効果を上げる。ここまでは芸術品。子供をも殺す残虐性を見せつけ、映画の方向性が決定する。ブレッドの妻が登場して中だるみするものの、馬車が休憩所に入ってから再沸騰する。外でけたたましい馬のいななきと拳銃音が響いたあと、のそっと入ってくる一人の男。酒を飲む手がアップとなり、囚人と知れる。何と不気味なことか。そしてハーモニカとの息づまる初対面。ケレン味に満ちた演出で、十分に時間を使った序章は完璧。監督は才能を出し切っている。この緊張の糸が最後まで持続しなかったのは悔しい。一見して主題は「復讐」にみえるが、実は「夢」ではないか。ブレッドの夢は、自分の土地に鉄道が引かれ、町が建つこと。それを夢見て、十数年も待ち続けた。妻の夢は、娼婦をやめ、田舎で暮らし、普通の家庭を持つこと。鉄道王モートンの夢は、鉄道を海の見える太平洋にまで引くこと。病気で余命の少ないことが、彼を犯罪にかりたてる引き金となった。悲劇である。ハーモニカの夢は兄の仇討ち。複数の夢は交差し、死ぬ者は死に、去る者は去り、残るものは残った。そして新たな町に新たな歴史が刻まれる。わかりづらい部分がある。冒頭、ハーモニカがフラスコの部下三人を殺すが何故?事故なのか?フラスコがハーモニカを雇ったはずだが。もう一つ、山賊のシャイアン一味がモートンを襲う場面が省略されている事。シャイアンがモートンに撃たれたにしては、戻ってきた姿が元気すぎる。ここと、ハーモニカが死にゆくフラスコにハーモニカを銜えさせるところがリアリティに欠く。尚ブレッドの娘がダニーボーイを口ずさむが、この歌詞は1910年のもので時代が合わない。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-13 06:22:03)(良:1票)

9.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 ジャックとエンゾの海物語と、ジャックとジョアンナの陸物語を軸に物語は進む。エンゾは素潜り大会で優勝することに生き甲斐を感じている。海の魅力に憑りつかれて、恋人は精神集中を妨げる存在でしかない。ジョアンナは平均的な女性で、ジャックに一目惚れ。ジャックは自由人というより求道者。母は不在、父は漁で事故死し、天涯孤独で育つ。人づきあいや恋愛に疎く、社会人として未成熟。海の魅力というより”魔力”に憑りつかれている。エンゾからは「人間より魚に近い」と言われる。彼にとって素潜りは海の意識(宇宙意識)と繋がる方法。「海の中にいると辛い」理由は「上がってくる理由が見つからないから」。深海は全ての生物の生まれた故郷であり、自分もいつかは胎内回帰するように母なる海に還りたいという宿望がある。深海「グラン・ブルー」には死を超えた何か(理想郷)があると信じている。彼のイルカへの愛は常軌を逸したもの。ジョアンナと初対面のとき「前に会ったね、君はイルカに似ている」という。テレパシー能力の持ち主で、イルカへの愛と女性への愛が同質化している。イルカの写真を見せて「僕の家族」。イルカと手信号など使わなくとも交信可能。元気のない水族館のイルカを勝手に連れ出し、海でリハビリさせる。ベッドに寝ている恋人そっちのけで、海で一晩中イルカと遊ぶ。一方恋人との交信は不得手で、恋人の言うことを聞こうともしない。そんなある日悲劇が起きる。エンゾが素潜り事故で亡くなったのだ。ジャックは遺言通り、エンゾをグラン・ブルーに還してやるが、その戻りに彼も潜水病にかかり、生死の狭間をさまよう。その夜ジャックは不思議な幻影を見た。天井から荒海がのしかかるように侵入し、部屋を満たすのだ。そこには不安や恐怖はなく、イルカは楽しそうに泳いでいる。天啓を受けた彼は船で素潜りできる沖に向かう。グラン・ブルーに何があるか確かめるためだ。恋人は止めるように懇願するが、聞く耳を持たない。妊娠の事実を告げても同じ。諦めた彼女は「行きなさい、私の愛を見てきて」と送り出すしかない。彼がグラン・ブルーに達すると、イルカが迎えにきていた。こうして彼は彼岸の人となった。この映画に癒し効果があるのは、海やイルカの美しさもそうだが、主人公のように家庭や社会生活の煩わしさを捨て去り、自然に還りたいという願望を充足させてくれるから。このジャンル唯一孤高の作品。 [DVD(字幕)] 8点(2012-09-14 06:44:06)《改行有》

10.  穴(1960) 《ネタバレ》 物語は単純。5人の囚人が脱獄の穴を掘り続けるというもの。メインの脱獄方法こそ鉄棒でコンクリートを穿つという力技だが、棒の先に鏡をつけた覗き鏡、薬瓶を合わせた砂時計、組立て作業の箱の残りを使った人形、肩車で狭い柱の陰に隠れて監視の目を逃れる、マッチ棒を挟んで切断した鉄棒を元に戻しておく等、リアリティのあるアイデアに引き込まれる。差し入れ品を細かく検査する場面を見せることで厳しく監視された監獄であることを示すなど演出の妙がある。脱獄を”魅せる”という点では申し分のない出来。心理劇としてはどうか。古参の4人は一枚岩。そこへ未決囚の新人が入ってくる。信じて打ち明けるか、延期するか。信用できると踏んで打ち明けるが、疑心暗鬼の状態は続く。このあたりの描写はあっさり。4人の過去が語られず、緊急切実した事情があるわけでもないので、心理劇としては薄味。ただ4人の個性はきちんと描かれる。後半になると変化が現れる。古参の一人が脱獄しないと言い出す。理由は重篤の母親がおり、自分が脱獄すると警察に事情聴取され、動揺して鬼籍に入るかもしれないから。以前には思い至らなかった事が、脱獄がいよいよ現実味を帯びた時点で思い至り、よくよく考えた末の結論。リアリズムがある。男は落盤に遭いながらも自分の担当分の仕事はきちんと果たす。脱獄幇助罪で罰を受けるのも覚悟の上だ。最も男気を見せる人物だが、男は普段エロいことばかり話題にする人物として描かれ、感情移入しにくいきらいがある。新人の立場はどうか。普通、未決囚は脱獄はしない。容疑も妻への予謀殺人未遂罪で、殺人ではない。それでも重罰が下ると予見して脱獄参加を決意するが、そこへ妻が告訴を取り下げるという意外な展開。あとは釈放に判事の署名を待つだけだが、同房の連中が脱獄してしまうと、脱獄幇助の罪がかかる。仲間を売るか、自由を不意にするかのジレンマに陥る。新人はかつて脱獄を「実に胸のすく思いだよ」と洩らしていた。だから観客は新人が裏切るとは思っていない。そこへ意表をつく結末。そこで「穴」というタイトルには二重の意味があったことが分る。「脱獄の穴」と「落とし穴」。また所長が妙に優しくする場面がいくつか出てきた理由も氷解する。物語としては巧みだが、人間劇として物足りなさが残る。新人や4人の苦悩がさほど伝わらないからだ。余談だが、あんな音を立てれば隣が絶対気づくと思う。[DVD(字幕)] 7点(2012-07-18 06:46:34)(良:1票)

11.  暗黒街のふたり 《ネタバレ》 前科のある男が出所し社会復帰をめざすが、刑事のストーカー紛いの干渉と不運が重なって殺人を犯し、死刑になるという不条理な話。だがその不条理よりも、一貫性のないストーリー構成に不条理を感じてしまう。思うに死刑という結末ありきで、悲運と不条理を訴えたい場合、次のような設定にすれば理解されやすい。①男が過去の罪を悔やみ、社会復帰しようと奮励している。②刑事が男を疑っており、監視し、生活に容喙する。③強盗仲間から執拗に誘われる。④職を得るのが難しいなど、社会復帰に困難が伴う。⑤妻とは深く愛しあっている。⑥保護観察司など一部の人からは信頼されている。⑥不幸な偶然が重なり殺人を犯してしまう。この中で②だけは成功している。誰もあの刑事には怒りを禁じ得ないだろう。しかし他の設定はゆるがせである。冒頭、刑務所の作業中に煙草を盗み吸う場面があるが、全く余計だ。更生している人とは思えないからだ。強盗仲間の勧誘は中途半端。新参者が男につっかかる場面があるが、その後登場せず、伏線が回収されない憾みがある。そして社会復帰があまりに簡単に行き過ぎる。経営者からは共同経営を持ちかけられるほど信頼され、刑事より多額の給料では恵まれ過ぎている。妻が事故死してしまうが、これもいただけない。男の不運を強調するのが企図だろうが、すぐに恋人が出来てしまうのでは効果が薄い。観客の同情も、妻と恋人の二人に分散してしまう。一貫して深い夫婦愛を描いた方が、より感情移入しやすかっただろう。脚本の意図としては、恋人を銀行員にして、刑事に銀行強盗を匂わせたかったのだろうが、失敗している。保護司との関係だが、二人にどういう因縁があるのかはっきりしない。のみならず、刑事との因縁もよくわからない。刑事が男をあれほどまでに警戒する理由を示してほしい。さらに言えば、男の家族が一切登場しないので、男の人物像はよくわからないままだ。殺人だが、あっさりしすぎている。短気を起こして刑事を殺すのでは同情が得られない。もっと殺すに十分な理由が必要だし、あるいは偶発的な事が重なって冤罪に近い形で殺してしまうというような展開が望ましいかった。最後にこれは最大の欠点と思うが、それは不用意なナレーションにより、結末が判ってしまうこと。法廷場面で、男が死刑になるのは明らかなので緊張感がない。男が淡々と運命を受け入れ、陳述もしないのは奇異に感じる。[DVD(字幕)] 6点(2012-07-04 01:06:53)

12.  そして誰もいなくなった(1974) 《ネタバレ》 豪華なディナーを食べたり、ワイン飲んだり、連続殺人事件が起きているのにみんな妙に落ち着いているのが気になる。最初が毒殺なのにみんな飲み食い平気なんだね。みんなが同じ部屋に集まって監視し合えばよいのに。銃殺が起これば手の硝煙反応調べるとか、ピストルは誰も使えないようにどこかへ置いておくとか、それくらいの事はしてほしい。死体もどう処置したのやら。謎解きもお粗末。最後毒をどうやっていれたの?「そして誰もいなくなったと」という原作は、そして誰もいなくなるから面白いのに、そして誰もいなくならないこの映画、これを観て面白いと思う人は、そして誰もいなくなった。 追記:この映画は戯曲版を元にしているようだ。戯曲版では最後はインディアンの寓話は「首をくくる」ではなく「結婚する」となる。発売当初の原題は「Ten Little Niggers」で米国では差別用語であったため「And Then There Were None」と改題され、やがて原作者もそう改題した。戯曲版を書くにあたり、生存者を残すことにした。原作者にとっては、全員がいなくなる事が重要ではなく、寓話に基づいて殺人が起こることを重要視していた事がわかる。以上の事が判ったからといって映画が面白くなるわけでもない。監督がどうして小説ではなく戯曲を元にして映画を作ったかを理解するものは、そして誰もいなくなった。[地上波(吹替)] 2点(2011-09-25 05:32:05)《改行有》

13.  戦争と平和(1956) 《ネタバレ》 「貴族の恋愛」と「戦争」を描く長編。貴族の生活はパーティ、乱痴気騒ぎ、遊びの恋、オペラ、舞踏会、田舎の別荘、狩などで光陰が過ぎる。そこへ戦争勃発、国家存亡の危機である。ピエール(P)伯爵は非摘出子という出生の影響か、気真面目な一方で、虚無的な一面がある。正しいことをしようと思っても、放蕩をしてしまう。戦争や暴力を憎んでいたが、決闘する。矛盾だらけだ。Pは愛されていないと思っていた父と臨終に和解。家を継ぎ、美女エレン(E)と結婚。性格が合わず、別居となり、Eは浮名を流す。PはEを愛していると思っていたが、そうではなかった。彼の信念はぐらつく。Pは戦争の実際を知りたいと思い戦場へ赴く。目の前で繰り広げられる殺戮。負傷兵を救護所に運ぶも既に息絶えていた。戦場の悲惨さを実感して侵略者ナポレオンを憎悪。仏軍はモスクワに進行、露軍と民衆は撤退、放火により首都は燃え上る。Pは首都に留まり、ナポレオン暗殺の機会を待つ。その機会が訪れたが、ナポレオンが火事鎮火を命じる声を聞いて留まる。殺したいほど憎む人間に思えなくなったのだ。彼は捕虜となる。十代の若者が処刑されるのを見る。冬が訪れ仏軍は撤退、捕虜も連行される。歩けなくなれば射殺される雪中行軍。仲良くなった楽天家の農民は途中で落伍。露軍の攻撃で開放されるが、戦闘で親戚のペーチャは死ぬ。まだ戦争が遊びに見える年頃だった。隊長は奇しくもかつて決闘し重傷を負わせた相手で、Eの死を知らせてくれた。隊長の怒りで、仏軍捕虜は全員射殺。◆ペーチャの姉ナーシャ(N)は無邪気で魅力的。かつてPに恋をしたが失恋。その後Pの友人で軍人のアンドレイ(A)と恋に落ち婚約するが、Aの父が難色を示し、結婚は一年延期される。婚約中Eの弟アナトーリと情熱的な恋に落ち駆け落ちを決意。アナトーリには妻がいると知ったPは二人を別れさせる。NはAに謝罪の手紙を送るがAの怒りは消えない。やがてAが重傷を負って帰還。親身に看病するN。Aは心からNを愛していたと知るが逝去する。◆戦争が終り、N一家は家に戻る。家は半壊状態。帰還したPが立ち寄る。抱き合う二人。Nが言う「あなたはこの家のように苦しみ傷つきながらも立っている」。戦争を経験した者にとって平和のもつ意味はとてつもなく大きい。「成し難いが大切なのは命を愛し、苦難の時も愛し続けること。何故なら命が全てだからである」[DVD(字幕)] 7点(2011-09-23 03:04:17)

14.  薔薇の名前 《ネタバレ》 時代考証を重ねて忠誠を忠実に再現しているのは好感が持てる。だがわざわざ欧州中の醜い顔の役者を集める必要があったか疑問だ。特殊メイクはなしという。まるで動物園のようで、悪趣味としかいいようがない。中世のキリスト教に恨みがあるのだろう。ヒロイン?の女性もしかり。がさつで下品で汚く撮っている。性愛場面は醜悪だ。あの場面はラストの題名の意味を明かす重要なパートにつながる甘美な想い出でなければならない。青い体験描写として失敗。そもそも女はどうして少年修道士を強姦したのか?その背景が描けていない。食料を求めて侵入した筈だが。◆ミステリーとして弱い。黙示録の予言通りに殺人が進む、というのはフェイクで終わってみればただの偶然。何のために血を貯める大壺があるのか疑問だ。まぎらわしく風呂で溺死するなと言いたい。最初のは殺人ではなく飛び降り自殺。理由は禁書を見せてもらう見返りの男色行為を恥じたから。納得ずくの筈だし、自殺は重い罪なのだが。しかも嵐の夜に塔から飛び降りるというややこしい死に方。◆犯人は盲目の長老で、禁書に毒を塗っておいただけ。それを二人が盗み見して死んだ。盲目なのにどうやって秘密の迷宮図書館に独りで出入りできるのか疑問です。また何しに図書館に行くのか?また禁書は焚書にすれば済むわけで、どうして収蔵しておくのか?理由がさっぱりわからない。笑うことが罪だというオチに笑ってしまう。◆事件を裁くべくやってきた異端審問官だが、一目みてどういう人物が分るので意外性がない。暗愚で、杓子定規。主人公との対決も肩透かし。この人物は民衆に崖から馬車ごと突き落とされるが、そんなに悪人だろうか?民衆がこの人物をどれだけ知っていたというのか?自らの信念に則って異端審問しただけだ。一方的に悪者にされる理由もないだろう。女には火をつけなかったのだし。修道院が火事なったら逃げだしたのも腑に落ちない。◆主人公はどうやってあの炎の中から脱出できたのか?あんなに諦め顔だったのに。知恵を絞り秘密の抜け穴を見つけ出すのが筋だと思うが、何も描かれていない。又修道院長や長老の姿が見えないのはどういうわけだろうか?主人公が真実を説明し、修道院長らが感謝したり謝ったりする場面があって当然ではないか?◆欧州と日本ではヒットしたがアメリカでは酷評で終わった。理由は上記に説明した通り、話がすっきりしないからだろう。[DVD(字幕)] 6点(2011-09-12 15:15:38)(笑:1票) (良:2票)

15.  気狂いピエロ 《ネタバレ》 物語本位で観せる従来の映画を解体し、脚本、映像を独自の感性と即興で再構成させた作品。時系列の操作、ジャンプ編集、観客に話しかける俳優など、映画の約束事を破り、多解釈が可能。詩や映像の豊かなイメージと喚起が、男女が閉塞した現実から逃避行するというストーリーと相まって、爽快さと開放感をもたらす。体験する映画。◆男にとって女はファム・ファタール、魔性の存在。犯罪と事件を運んでくる。その神秘性を崇め共にいたいと願う。ドル札を燃やしたり、奪ったばかりの車を川に沈めるのはそのため。金があると女が逃げるとわかっている。◆女にとって男は夢ばかり見ている存在。一緒にいても退屈。「僕を捨てないでね」「もちろんよ」騙されているとも知らないで詩ばかり書いている男は道化師にしか見えない。◆女は何をしても明るく、生き生きと描かれている。倫理観を超越した神々しさがある。一方で男は、つねに閉塞さを感じている。思想を言葉でまとめようとしているが、うまくいかない。◆多くが記号化されて表現。舞台装置に近い。裸で箱に入ればお湯がなくとも風呂、流れる照明で車中、死体と武器があるので武器商人の家、木の棒だけどダイナマイトと書いてあるなど。女が上機嫌のときはミュージカル風になる。◆事故に見せかけて車を燃やす場面で、高速道路が一部しかない。これは行くことも戻ることもできない絶体絶命の象徴。◆犯罪はコミカルに描かれる。盗むつもりの車の台車が上がったり、ギャングが小人だったり。犯罪も舞台装置でしかないということ。◆音楽が頭の中で鳴り続ける男。鳴っているのは音楽ではなく「あなたは私を愛していますか?」の言葉が鳴っている。本当に愛されているかわからない状態。◆逃避行は町から海へ至る道程。海が近づくにしたがって青色が画面を支配するようになる。車、服、椅子、ボーリング場、ペンキ。青は空と海が溶け合った色で、永遠の象徴。永遠=永遠の安楽=死でもある。◆男はダイナマイトを顔に巻くが死ぬつもりはなかった。「言いたかったのは、何故……」「バカだ、こんな死が」消そうとして爆発。死んだのは観客の心の中の道化師。誰にもこんなバカ(現実からの逃避行)をやってみたい気持ちがある。◆監督のプライベートな作品とも解釈可能。離婚したばかりで、分かり合えない男女の様を描いた。男は監督の分身。ウィリアムウィルソンのように男が死んで監督が生き残った。[DVD(字幕)] 9点(2011-09-11 19:57:09)

16.  赤い影 《ネタバレ》 怖くも面白くもなく、楽しめませんでした。ジョンとローラの夫婦の物語。赤い服を着た娘が、池で水死する。ジョンは教会の修復の仕事でベネチアに来ており、妻も同行。妻は盲目の霊媒師と出会い、亡き娘とのコンタクトに成功。霊の世界で元気にしていることを知り、娘の死のショックから立ち直る。霊媒師が言うには、ジョンに危険が迫っているのでベネチアから立ち去りなさいと亡き娘が警告しているとのこと。ジョンはそれを信じない。一方周囲で不思議なことが起る。赤い服の影が現れては消え、連続殺人が発生。寄宿学校の息子が怪我をして妻は帰国。ジョンは修復作業中、空中物見台から落下しそうになる。その後いない筈の妻が霊媒師と一緒にいるのを目撃。警察に依頼して探すが、結局人違いと判明。妻は戻ってくる。ジョンは警察にいた霊媒師に謝罪し、家まで送る。ジョンが帰ると霊媒師は急変し、「彼を行かせてはだめ」などと叫ぶ。そこへローラ登場。ジョンを探す。ジョンは赤い服を来た人物を発見し、追跡する。追い詰めるジョン。向き直った人物は気味悪い老婆の顔。刺殺。◆解釈。ジョンに自覚はないが、未来を見る能力があった。書斎でスライドに無い筈の血があるのを見て、娘の死を予感。その血は自らの死ともつながっていた。ではジョンを死に至らしめたものは何か?赤い服の人物の正体は?連続殺人と関係があるのか?妻の幻の意味は?何の説明もないまま物語は終る。細かいが、ジョンが赤い影追跡中、わざわざ門の鍵を閉めるシーンがある。これによって妻が追跡できなくなるのだが、どう解釈するか。無意識に妻を守ったのか、無意識に助けを遮断したのか。いずれにせよ妻は鍵を開けようと思えば開けれたわけだし、追跡の最中にわざわざ鍵をかけないだろうと揶揄する意見もある。ジョンは妻がいるのを知らなかったのだし。◆オカルトものとは知らずに観るとがっかり。霊媒師はフェイクで、牧師が連続殺人の黒幕と思っていた。演出は趣味が悪い。意味無く長いベッドシーンや水中から引き上げる死体然大音量と共にくどいフラッシュバックの大袈裟さ。登場人物をみな薄気味悪く見える。唯一良かったのはジョンが空中物見台にいるときに材木が落ちてきてぶつかるシーン。これは迫力があった。衝撃のラスト?一目で血糊と分るんですが。帰国せず、ベネチアで葬儀を上げるのも解せないなあ。[DVD(字幕)] 4点(2011-02-13 00:18:11)

17.  自転車泥棒 《ネタバレ》 過去に自転車5台盗まれた経験あり。スーパーでアイスを買って出てきて、自転車が無くなっていたときは茫然とした。警察は探してくれず、自分で探すしかないのは同じですね。◆この映画は絶望的に見えるが、救いがある。第1に父親には仲間がいて、同情してくれ、一緒に探してくれた。友達は大切だ。第2に自転車を盗んだ親父が事情を察して、警察沙汰にしなかったこと。これは大きい。一歩間違えば、1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンと同じ運命になったかも知れない。失うものは大きかっただろう。第3に親子の信頼関係が失われなかったこと。息子は事情を知っているので、父親を尊敬する気持ちは持ち続けるでしょう。第4に妻も理解してくれるだろうということ。家族の中で孤立するのは悲劇です。◆素直な人は感動すると思うが、そうでない人がひっかかる部分がある。それは「鍵はかけておけ」「自転車は借りたらいい」「自転車探しに子供を連れ歩くな」ということ。「鍵は無い」「誰からも借りれない」が前提条件になっているのか?給与が確実に出るのだから、貸してくれる人はいると思うけど。まあ目をつむりしかなさそうだ。◆単純な話だけど”魅せる”のは、演出がうまいから。インチキと見抜いていた女占い師に占ってもらうのは精神的に追い詰められている証拠。レストランで裕福な家庭との対比。「くよくよしていてもしょうがない」と一度前向きになったあとにどん底へ突き落す。子供に入る予定の給与計算をさせる。犯人の家が貧乏。ラストの前に一度親子の信頼関係をぐらつかせてみせる。いらだって子供を殴る→子供すねる→川で誰か溺れた→心配して探す→食事で仲直り。それぞれ理にかなっていて光るものがあります。不条理な展開がだらだら続くだけの演出では無いということ。◆クライマックスは、善良な父親に魔が差した瞬間。失敗して、民衆からこずかれ、罵倒される父親。父親に泣きながら走り寄る息子。手をきつくつないで無言で帰る二人。冷徹なカメラがそれを追います。でもそれは単純な絶望ではない。善良な市民が一度は通らなければならない通過儀礼、試練のような一面もある。悪を知って善を知るということ。二人の人生観に深みを増した経験でもあります。悪いことがあれば、次は良いことがある。人生山あり谷あり。そう信じて強く生きていける二人の後ろ姿だと思いました。[DVD(字幕)] 7点(2010-12-27 00:47:58)

18.  山猫 《ネタバレ》 【史実】イタリア統一運動(1815年~1871年)。1848年の革命で「ローマ共和国」成るがすぐ崩壊。サルデーニャ王国が北イタリアを統一。ガリバルディが義勇軍として、千人隊を率いてシチリア、ナポリを解放。統一の英雄となる。中部イタリアでは住民投票によってサルデーニャ王国への併合を決めた。この時の旗に、現在のイタリア国旗である赤白緑の三色旗を基本としたものが用いられた。1861年にはイタリアはほぼ統一され、「イタリア王国」成立。 【感想】王制の終焉を迎え、没落してゆくイタリア貴族(封建領主)を描いた作品。崩壊貴族にさほど興味はないが、歴史や文化の勉強には役立つ。当時の貴族を豪勢に演出してくれた監督に感謝。愛惜の籠った作品で、これこそ映画だ。◆日本とは違う風習が目についた。先ずその信心深さに驚く。家族揃って聖書を朗読する祈祷の時間。土曜日ごとの告解。旅に出るにも神父を連れ。神父が秘書を兼ねているのか。神父の教会はおんぼろ。別荘のある領地に着くと、村人総出で歓迎してくれ、そのまま教会で歓迎セレモニーが始まる。週に三日の舞踏会。飛び跳ねる踊り。公爵は愛人に逢いに行くが、それは神父公認で、訪ねるアパートが貧民層にある。妻はとび抜けて信心深く、夫にへそも見せない。◆公爵は古い人間だが、愚かでは無い。時代の変遷も革命の息吹も感じ取っている。貴族が崩壊する階級であることを理解している。周囲には物分りの良い人物として認知されており、新時代に対応するための布石も打ってある。しかし生粋の貴族である彼には、時代に合わせて利口に立ち回ることはできない。自尊心が許さないし、老いも感じている、何より自分の気持ちに正直でありたい。貴族を盲目的に賛美しているわけではないが、彼にとって貴族でなくなることは、幼少よりの価値観を失うことであり、例えば故郷を失うようなもので、受け入れ難いのだ。◆公爵のそのような感情を表現するのが全編のおよそ3分の1を占める舞踏会の場面だ。舞踏会はまさに貴族の象徴。豪華な屋敷、可憐な衣装、妍を競う女性達、いつ果てるとも音楽と歓楽の世界。同時に堕落した姿であり、退屈でもある。公爵は舞踏会の終焉が近いことを知っている。同時に自分の命が尽きる日が近いことも。たまらず流してしまう涙。若き娘からダンスを申し込まれて、最後の花を咲かせる。火照った感情を冷やすには夜露に濡れて帰るしかない。[DVD(字幕)] 8点(2010-12-26 17:24:59)《改行有》

19.  続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 《ネタバレ》 クールな賞金稼ぎペテン師ブロンディと憎めない小悪党テュコの金貨探しのロードムービー。これに同じく金貨を追う悪党エンジェルアイが絡み、背景に南北戦争を配する。音楽の良さは言うまでもない。 ・強盗を働いて大金を手にしたグループがいたが、軍に襲撃されて全滅。かろうじて生き延びた人物から金の隠し場所を聞くブロンティとテュコ。それぞれ一部しか聞いておらず、二人合わせないと宝のありかに行きつけない。この設定が秀逸。二人は時に協力しあいながら、時に馬鹿し合いながら、旅が続いてゆく。途中でテュコの生い立ちが明らかになり、人物に深みが加わる。ボロンディの過去は語られる事無く、謎めいた雰囲気を最後まで纏う。両者の掛け合いが最大の見どころ。◆一方セエンジェルアイの影は薄い。いつの間にか南軍の捕虜収容所の軍曹になっている。途中からいなくなるが、いったいまたどうやってあの墓場にやってきたのだろうか。ご都合主義だ。◆エンジェルアイが最初の殺しをする場面で、親父だけでなく息子も殺す。駆け付けた妻がそれを見てふらついて倒れる。一瞬幼い子供の姿が見える。それを巧みなゆれるカメラで表現している。殺す相手にも妻子がるということを伝えており、生命を軽視してドンパチ撃ち合うだけの娯楽映画では無いことを示している。◆反戦思想が読み取れる。戦争のシーンは疲弊しきった兵隊や負傷者の場面がほとんど。捕虜収容所の隊長は壊疽で死にかけ。捕虜たちによるもの悲しい音楽が長く続く。テュコを護送する駅の場面で「俺の首は3000ドルだが、お前の腕は何の価値も無い」と兵士の失われた腕をとる。護送列車が去ったあとのホームに並ぶ遺体。橋を奪い合うために川を挟んで毎日戦闘を繰り返す。その下らなさを誰よりも酔っぱらい隊長は知っているが、作戦には従わなければならない。「隊長は戦死したがってるぜ」「こんなに大勢が無駄死にか」二人はあきれ、橋を爆破。それを見て満足して死んでゆく隊長。死体の山に十字架を切るテュコ。死に行く敵の若き兵士にコートをかけてやるブロンディ。戦争は銀行強盗よりも愚かだ。【ツッコミ】①テュコたちが護送列車から飛び降りたのに、どうして誰も気づかない。手錠を線路で切る場面も同じ。②橋を爆破するのが簡単すぎる。衆人監視の中では無理。③橋が爆破したのにどうやって対岸に渡ったのか。④ブロンディは墓場で、いつ首吊りロープを用意した。[DVD(字幕)] 7点(2010-12-25 22:09:10)《改行有》

20.  夕陽のガンマン 《ネタバレ》 前半はありえないようなシーンの連続で退屈だが、後半賞金稼ぎの二人がチームを組んでから、2転、3転する展開で楽しめた。音楽は秀逸だし、銃を発射するまでのタメや間合いが心地よい。よく練れた演出と脚本だ。二人のガンマンの友情物語でもあるし、妹の復讐譚でもある。敵ボスの人間性も描かれており、物語に重みを増している。観客の裏をかく銀行強盗も見事。ただ最後の仲間割れはいただけない。あれは賞金稼ぎのどちらかの入れ知恵でそうなる展開ならなお良かった。 ◆ただ手下やメキシコ人など類型的で、リスペクトが感じられない。虫けら同然の扱いだ。 ◆大佐は汽車を無理やり止めるし、モンコはホテルの客を強制排除するし、いわゆる”善人”ではない。善人では務まらいタフな仕事だということを言いたいのだろうが、それにしてもモンコ、やりすぎでしょ。一度は大佐を裏切るし。 ◆オルゴール付懐中時計だが、あれは若い男が女にプレゼントしたものではないのか?それを若かりしときの敵ボスが奪ったと解釈したが。でも同じものを女の兄である大佐が持っている。兄妹で同じものを持つのは珍しい。そもそも女が懐中時計を持つものなのか。というと妹が若い男にプレゼントしたものなのか。また硬派の男がオルゴール付の懐中時計など持つかという疑問もある。 ◆下手人がすぐに見つかりすぎではないか?保安官はそいつがどこの町にいるか知っているし、店で聞けば教えてくれる。逃げ隠れしたいないわけで、保安官が自分で確保しないのはどうしてだろう。 ◆モンコが保安官を正直さが足りないとなじり、バッチを奪い、他の保安官を選べというが、どうしてだろうか? ◆モンコが敵地に乗り込んだとき、葉巻を銃で撃たれて半分になったのに、次のシーンで元の長さに戻っている。 ◆帽子を何度も撃たれているのに帽子に穴があいていない。 ◆リンゴを撃っている間に敵に撃たれないのが不思議だ。 ◆銀行をお金は木にかけていただけなのに、どうして誰も気づかなかったのか。 ◆遺体を運ぶ時、ちゃんと側板を閉めましょう。絶対落ちて、数が足りなくなる。[DVD(字幕)] 7点(2010-12-25 09:03:16)《改行有》

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS