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【製作国 : イタリア 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  去年マリエンバートで 《ネタバレ》 人の記憶の曖昧さ、存在の不確かさを表現した前衛作品である。幾何学的図案の庭園、大型の鏡、動と静、雑踏と静寂、移動するカメラ、繰り返される映像と語り、噛みあわない記憶と会話、男女彫像の解釈の違い、女の写真の説明の違い、物語が本編と入れ子になっている劇中劇、ゲームに勝ち続ける男、挿入される射撃練習の場面、挿入される女が死ぬ場面、不穏な音を奏でるオルガン、そのどれもが不安を駆りたてる、それでいて不快さはない。物語の意味は不明でも、静謐で硬質な映像美は心の深層に滲み込む。傑作だ。 壁、扉、廊下が続き、幾何学的庭園を持つホテルは、記憶が迷宮であることの象徴。 たびたび服装が変わることで現在と過去が交差していることが示される。 男女彫像の背後の風景に泉水であったりなかったすることで、男女の記憶に大きな相違があることが示される。 夫が男にゲームに勝ち続けるのは、夫が女(妻)の支配者であることの象徴。 一年前の場面で「一年目に会った」という会話があるように見える。時間がループしているのか? 女が射殺される場面は、不安が嵩じた女の悲観的幻覚。 男は女に記憶を思い出させようとするが、二人が結ばれた場面になると、男の記憶も曖昧になっていく。強姦か同意か?しかしそのことが重要でなくなるほど事態は緊迫している。 女の着る羽毛の服は、現実から飛翔したいという願望の象徴。 男が乗った石の欄干が崩れる場面は、女が過去を思い出した瞬間。幾何学の迷宮の一角が崩れた。女が落して割ったコップの欠片を給仕が拾う場面は、過去を拾い集めることの象徴。過去を思い出したことで、女は男を受け入れ、駈け落ちを決意する。夫には妻がいなくなる予感がある。女は、夫が駈け落ちを阻止するだけの時間的猶予を与える。二人が去ってから夫が現れる。夫は何を思うのか?二人はどうなるのか?ループから抜け出せるのか?すべては死者の世界の物語なのか?すべて不明、明確な答えのないまま映画は終る。まるでだまし絵のように、現実の世界が虚構の世界に、虚構の世界が現実の世界につながる。重畳たる虚構により現実が創造される稀有な作品。その構成と技法は芸術の域に達している。 合理的な解釈すれば、「因習に満ちた社交界と愛のない家庭生活に倦んだ女性が、不安を抱えながらも、愛を見つけて、自らの殻を破って新しい世界に飛び出していく」のを表象的に描いた作品となるだろう。[ビデオ(字幕)] 9点(2014-08-17 01:49:36)《改行有》

2.  ウエスタン 《ネタバレ》 「もしルキノ・ヴィスコンティが西部劇を作るとすれば」をコンセプトに作られたらしい。道理で、カルディナーレを起用したり、歴史劇要素を盛り込んでいるわけだ。観客の期待を良い意味で裏切る。冒頭、永々と三人の無頼者の”顔芸”をクローズアップで魅せたあと、満を持して主人公ハーモニカが登場。言葉の言いがかりによる撃ち合いで、あっという間に全員倒れ、しばらくして、ハーモニカが起き上がる。次にアイルランド移民のブレッド一家が登場。が、三人は突如射殺される。殺し屋が登場すると、その顔は”アメリカの正義”ヘンリー・ホンダ!残った子供が登場して、そこで初めて音楽が流れる。それまでは生活音のみ。音楽も素晴らしいが、このじらしにも似たタメが見事な効果を上げる。ここまでは芸術品。子供をも殺す残虐性を見せつけ、映画の方向性が決定する。ブレッドの妻が登場して中だるみするものの、馬車が休憩所に入ってから再沸騰する。外でけたたましい馬のいななきと拳銃音が響いたあと、のそっと入ってくる一人の男。酒を飲む手がアップとなり、囚人と知れる。何と不気味なことか。そしてハーモニカとの息づまる初対面。ケレン味に満ちた演出で、十分に時間を使った序章は完璧。監督は才能を出し切っている。この緊張の糸が最後まで持続しなかったのは悔しい。一見して主題は「復讐」にみえるが、実は「夢」ではないか。ブレッドの夢は、自分の土地に鉄道が引かれ、町が建つこと。それを夢見て、十数年も待ち続けた。妻の夢は、娼婦をやめ、田舎で暮らし、普通の家庭を持つこと。鉄道王モートンの夢は、鉄道を海の見える太平洋にまで引くこと。病気で余命の少ないことが、彼を犯罪にかりたてる引き金となった。悲劇である。ハーモニカの夢は兄の仇討ち。複数の夢は交差し、死ぬ者は死に、去る者は去り、残るものは残った。そして新たな町に新たな歴史が刻まれる。わかりづらい部分がある。冒頭、ハーモニカがフラスコの部下三人を殺すが何故?事故なのか?フラスコがハーモニカを雇ったはずだが。もう一つ、山賊のシャイアン一味がモートンを襲う場面が省略されている事。シャイアンがモートンに撃たれたにしては、戻ってきた姿が元気すぎる。ここと、ハーモニカが死にゆくフラスコにハーモニカを銜えさせるところがリアリティに欠く。尚ブレッドの娘がダニーボーイを口ずさむが、この歌詞は1910年のもので時代が合わない。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-13 06:22:03)(良:1票)

3.  気狂いピエロ 《ネタバレ》 物語本位で観せる従来の映画を解体し、脚本、映像を独自の感性と即興で再構成させた作品。時系列の操作、ジャンプ編集、観客に話しかける俳優など、映画の約束事を破り、多解釈が可能。詩や映像の豊かなイメージと喚起が、男女が閉塞した現実から逃避行するというストーリーと相まって、爽快さと開放感をもたらす。体験する映画。◆男にとって女はファム・ファタール、魔性の存在。犯罪と事件を運んでくる。その神秘性を崇め共にいたいと願う。ドル札を燃やしたり、奪ったばかりの車を川に沈めるのはそのため。金があると女が逃げるとわかっている。◆女にとって男は夢ばかり見ている存在。一緒にいても退屈。「僕を捨てないでね」「もちろんよ」騙されているとも知らないで詩ばかり書いている男は道化師にしか見えない。◆女は何をしても明るく、生き生きと描かれている。倫理観を超越した神々しさがある。一方で男は、つねに閉塞さを感じている。思想を言葉でまとめようとしているが、うまくいかない。◆多くが記号化されて表現。舞台装置に近い。裸で箱に入ればお湯がなくとも風呂、流れる照明で車中、死体と武器があるので武器商人の家、木の棒だけどダイナマイトと書いてあるなど。女が上機嫌のときはミュージカル風になる。◆事故に見せかけて車を燃やす場面で、高速道路が一部しかない。これは行くことも戻ることもできない絶体絶命の象徴。◆犯罪はコミカルに描かれる。盗むつもりの車の台車が上がったり、ギャングが小人だったり。犯罪も舞台装置でしかないということ。◆音楽が頭の中で鳴り続ける男。鳴っているのは音楽ではなく「あなたは私を愛していますか?」の言葉が鳴っている。本当に愛されているかわからない状態。◆逃避行は町から海へ至る道程。海が近づくにしたがって青色が画面を支配するようになる。車、服、椅子、ボーリング場、ペンキ。青は空と海が溶け合った色で、永遠の象徴。永遠=永遠の安楽=死でもある。◆男はダイナマイトを顔に巻くが死ぬつもりはなかった。「言いたかったのは、何故……」「バカだ、こんな死が」消そうとして爆発。死んだのは観客の心の中の道化師。誰にもこんなバカ(現実からの逃避行)をやってみたい気持ちがある。◆監督のプライベートな作品とも解釈可能。離婚したばかりで、分かり合えない男女の様を描いた。男は監督の分身。ウィリアムウィルソンのように男が死んで監督が生き残った。[DVD(字幕)] 9点(2011-09-11 19:57:09)

4.  ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版 《ネタバレ》 映画が最大の娯楽であった時代。村に一つの映画館。多くの人が集い、皆で泣き、笑い、感動する。映画は人生の縮図で、映画館は人生の交差するコミュニティの場だ。アルフレットは映画技師だが、それは子供時代も、大人になってからも戦争で、他に選択の余地がなかったから。孤独で辛い仕事だが、慣れた今では何とも思わない。妻はいるが子供はいない。トトは映画が大好きな子供。父は戦争で行方不明で、もう顔も忘れるほど。二人は擬似親子のような関係となる。戦争が暗い影を落としており、反戦映画でもある。火事でアルフが盲目となり、トトが技師の仕事を引き継ぐと、二人の関係はさらに濃密に。だがアルフは言う。「私のような男になりたいか?」「これはお前がやる仕事じゃない」「人生はもっと困難だ」彼はトトを愛しており、その才能が埋もれるのを惜しみ、村を出て、自分の本来の夢を見つけさせようとする。自らは果たせなかった夢をトトに託したとも言える。だが、青春真っ只中のトトは、今の人生に満足しており、その真意が分からない。エレナと恋をしているから尚更だ。そこへ徴兵通知、エレナの引越し、エレナの親が決めた結婚などの事件が重なる。結局、すれ違いのまま別れる二人。兵役から戻ったトトは漸く村を去る決心をする。「自分のすることを愛せ。子供の時、映写室を愛してように」「もうお前とは話さない。帰って来ても会わない。手紙もなしだ」きつい言葉で突き放し、親離れを促すアルフ。トトは知らなかったが、アルフはエレナにもうトトに会わないように忠告したのだった。その後トトは映画監督として成功、約束を守り帰郷しなかった。が、アルフの死去で帰る。形見分けは、かつて「お前にやるが、私が保管する」のフィルム。彼も約束を守ったのだ。フィルムはキスシーンの連続。キスは映画=人生のクライマックス。トトは喪失したものの大きさを知り、涙にくれる。人生の新しい一歩を踏み出す為には、別れが必要な場合がある。故郷、友情、家族、恋人、全てを捨てて邁進した。「帰ってくるのが怖かった。母を捨て、泥棒のように逃げた。昔のことは忘れたと思っていたけど、何も変わってはいなかった」人生の成功と引き換えに、失ったものの何と大きなことか。過去の象徴としての劇場が崩れ落ちる。日本では名作だが、米国Yahoo!選出「死ぬまでに見たい映画100」ではランク外。映画館の娼婦や童貞喪失場面は不要。 [DVD(字幕)] 9点(2009-10-16 17:25:46)(良:1票) 《改行有》

5.  欲望(1966) 《ネタバレ》 抽象画風のやや難解な映画だ。現代人の「虚無と孤独」が主題だと思う。主人公の写真家は、「現代人、特に男性」を象徴する。経済的に恵まれ、仕事も成功しているが、心は空虚である。移り気で何をしても満足できず、熱中しやすく、冷めやすく、時に人道主義的で、時に冷淡で、女性に惹かれながらも蔑視し、日常生活に飽き、どこか別の世界に行きたいと願う。写真家の人物描写が興味深い。底辺の労務者を撮るが、同情はしない。飛んで階段を登ったり、スライディングして電話をとったりと落ち着きがない。モデル撮影に熱中したかと思うと、さっと止める。静寂を感じると車のクラクションを鳴らす。骨董屋ではプロペラを欲しがるが、スタジオでは見向きもしない。二人の少女と戯れるだけ戯れると、まるで別人となり殺人事件の写真解明に向かう。ライブハウスではギターネックを欲しがるが、通りにでると捨てる。自分というものが無く、周囲の刺激や雰囲気に大きく影響を受けてしまう。殺人事件は事実だ。拡大写真に消音器付拳銃が映っているし、死体も触って確認している。注意深く観ると、デモのプラカードを乗せた写真家の車を追跡する男女同乗の車に気づく。男はレストランを窺っていた怪しい人物で、殺人の実行犯だろう。女は唐突にスタジオに登場したのではなく、追ってきたのだ。スタジオが物色されて写真とネガが奪われたのも、事件が事実であることの証明だ。だが写真家は事件を目撃したという事実に確信が持てなくなる。写真とネガはないし、語るべき相手がいない。抽象画家の恋人と編集者に話すがまるで通じない。画家の恋人には「まるで抽象画」といわれるし、編集者に「何を見た」と訊かれて、「何も」と答えるしかない。「伝達の不毛」「人間関係の不毛」だ。虚無を象徴するのが「無音世界」だろう。無音に耐えきれず、クラクションを鳴らすし、ギターネックに執着したのも音に惹かれたから。公園の死体が消えた後、彼は自分を失って彷徨う。カメラだけを信じて生きて来たのに、それさえも信じられなくなった。そこでパントマイム・テニスの無音世界に出遭う。影響されやすい写真家は、パントマイムに参加し、見えない球を投げ返す。すると聞こえるはずのない打球音が聞こえてくる。無音世界が真実になったとき、写真家の姿は消えた。意識ともども無音世界に行ってしまった。60年代ロンドンの現代アートを刻み込んだ貴重な作品。[DVD(字幕)] 8点(2013-09-15 14:42:03)

6.  ホテル・ルワンダ 《ネタバレ》 ルワンダの虐殺は根の深い問題だ。虐殺の背景として、長年に渡る民族対立、政治対立(フツ+フランスVSツチ+ウガンダ)があるが、ラジオでの憎悪を掻き立てる民族主義プロパガンダの影響が非情に大きかったと言われている。貧困で、教育水準、民度が低ければ、偏狭なプロパガンダにも洗脳されやすく、安易に暴力に荷担してしまう。教育がいかに重要かが実感させられる。ルワンダにとって悲劇だったのは先にソマリア紛争があったこと。内戦が勃発すると、邪魔な国連軍が最初に狙われる。十人も殺せば撤退することを知っているからだ。国連はソマリアの轍を踏み、内政不干渉、軍の撤退を早々に決定した。実際にベルギー兵十人が殺された。国連軍の指令官は最低限の兵のみ治安を維持すべく駐留するが、精神を病んで辞任、帰国する。後にPTSDにより自殺未遂を起こしている。それほど過酷な任務であったということだ。死者80万人と大量の難民が発生し、一時は人口の3/4が女性だったという。その所為で女性の社会進出が実現されたとルワンダ人から聞いた。ちなみに戦後最大の紛争は、1971年のバングラデシュ独立紛争で死者300万人。どの紛争も複雑で、真実は立場によって変わる。被害者意識、家族愛、隣人愛、勇気で綴るこの映画や原作も鵜呑みにはできない。一度全てを疑ってみる必要があるだろう。何が真実かを見極める目を持ちたいと願う。映画から恐怖は伝わってこなかった。所詮は作り物だからだ。実際の虐殺場面を描いたら観客を失うことになっただろう。昨日までの隣人同士が殺しあったり、家族を殺されたりする恐怖は、経験した人にしかわからない。わからないことが幸運だ。その幸運を噛みしめながら、中断したディナーを続けるしかない。虐殺は現実だが、それを遠くから傍観視するのも又現実。立場が違えば、受け止め方が違う。対岸の火事をみて、きれいだと感じてしまうこともあるだろう。当初司令官が具申した通り、国連軍がツチ民兵の武器庫制圧を行っていれば悲劇は防げたかも知れないが、それが更なる悲劇を産むこともありえただろう。運命は気まぐれで、人間一人の力はいかにも弱い。主人公は彼にできる限りの精一杯のことをした。そして多くの人命を救うことができた。そのことに対して、いまは素直に、惜しみない賞賛を送りたい。 [DVD(字幕)] 8点(2013-06-07 06:31:32)(良:1票) 《改行有》

7.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 ジャックとエンゾの海物語と、ジャックとジョアンナの陸物語を軸に物語は進む。エンゾは素潜り大会で優勝することに生き甲斐を感じている。海の魅力に憑りつかれて、恋人は精神集中を妨げる存在でしかない。ジョアンナは平均的な女性で、ジャックに一目惚れ。ジャックは自由人というより求道者。母は不在、父は漁で事故死し、天涯孤独で育つ。人づきあいや恋愛に疎く、社会人として未成熟。海の魅力というより”魔力”に憑りつかれている。エンゾからは「人間より魚に近い」と言われる。彼にとって素潜りは海の意識(宇宙意識)と繋がる方法。「海の中にいると辛い」理由は「上がってくる理由が見つからないから」。深海は全ての生物の生まれた故郷であり、自分もいつかは胎内回帰するように母なる海に還りたいという宿望がある。深海「グラン・ブルー」には死を超えた何か(理想郷)があると信じている。彼のイルカへの愛は常軌を逸したもの。ジョアンナと初対面のとき「前に会ったね、君はイルカに似ている」という。テレパシー能力の持ち主で、イルカへの愛と女性への愛が同質化している。イルカの写真を見せて「僕の家族」。イルカと手信号など使わなくとも交信可能。元気のない水族館のイルカを勝手に連れ出し、海でリハビリさせる。ベッドに寝ている恋人そっちのけで、海で一晩中イルカと遊ぶ。一方恋人との交信は不得手で、恋人の言うことを聞こうともしない。そんなある日悲劇が起きる。エンゾが素潜り事故で亡くなったのだ。ジャックは遺言通り、エンゾをグラン・ブルーに還してやるが、その戻りに彼も潜水病にかかり、生死の狭間をさまよう。その夜ジャックは不思議な幻影を見た。天井から荒海がのしかかるように侵入し、部屋を満たすのだ。そこには不安や恐怖はなく、イルカは楽しそうに泳いでいる。天啓を受けた彼は船で素潜りできる沖に向かう。グラン・ブルーに何があるか確かめるためだ。恋人は止めるように懇願するが、聞く耳を持たない。妊娠の事実を告げても同じ。諦めた彼女は「行きなさい、私の愛を見てきて」と送り出すしかない。彼がグラン・ブルーに達すると、イルカが迎えにきていた。こうして彼は彼岸の人となった。この映画に癒し効果があるのは、海やイルカの美しさもそうだが、主人公のように家庭や社会生活の煩わしさを捨て去り、自然に還りたいという願望を充足させてくれるから。このジャンル唯一孤高の作品。 [DVD(字幕)] 8点(2012-09-14 06:44:06)《改行有》

8.  山猫 《ネタバレ》 【史実】イタリア統一運動(1815年~1871年)。1848年の革命で「ローマ共和国」成るがすぐ崩壊。サルデーニャ王国が北イタリアを統一。ガリバルディが義勇軍として、千人隊を率いてシチリア、ナポリを解放。統一の英雄となる。中部イタリアでは住民投票によってサルデーニャ王国への併合を決めた。この時の旗に、現在のイタリア国旗である赤白緑の三色旗を基本としたものが用いられた。1861年にはイタリアはほぼ統一され、「イタリア王国」成立。 【感想】王制の終焉を迎え、没落してゆくイタリア貴族(封建領主)を描いた作品。崩壊貴族にさほど興味はないが、歴史や文化の勉強には役立つ。当時の貴族を豪勢に演出してくれた監督に感謝。愛惜の籠った作品で、これこそ映画だ。◆日本とは違う風習が目についた。先ずその信心深さに驚く。家族揃って聖書を朗読する祈祷の時間。土曜日ごとの告解。旅に出るにも神父を連れ。神父が秘書を兼ねているのか。神父の教会はおんぼろ。別荘のある領地に着くと、村人総出で歓迎してくれ、そのまま教会で歓迎セレモニーが始まる。週に三日の舞踏会。飛び跳ねる踊り。公爵は愛人に逢いに行くが、それは神父公認で、訪ねるアパートが貧民層にある。妻はとび抜けて信心深く、夫にへそも見せない。◆公爵は古い人間だが、愚かでは無い。時代の変遷も革命の息吹も感じ取っている。貴族が崩壊する階級であることを理解している。周囲には物分りの良い人物として認知されており、新時代に対応するための布石も打ってある。しかし生粋の貴族である彼には、時代に合わせて利口に立ち回ることはできない。自尊心が許さないし、老いも感じている、何より自分の気持ちに正直でありたい。貴族を盲目的に賛美しているわけではないが、彼にとって貴族でなくなることは、幼少よりの価値観を失うことであり、例えば故郷を失うようなもので、受け入れ難いのだ。◆公爵のそのような感情を表現するのが全編のおよそ3分の1を占める舞踏会の場面だ。舞踏会はまさに貴族の象徴。豪華な屋敷、可憐な衣装、妍を競う女性達、いつ果てるとも音楽と歓楽の世界。同時に堕落した姿であり、退屈でもある。公爵は舞踏会の終焉が近いことを知っている。同時に自分の命が尽きる日が近いことも。たまらず流してしまう涙。若き娘からダンスを申し込まれて、最後の花を咲かせる。火照った感情を冷やすには夜露に濡れて帰るしかない。[DVD(字幕)] 8点(2010-12-26 17:24:59)《改行有》

9.  ドクトル・ジバゴ(1965) 《ネタバレ》 金も時間もたっぷりかけた文芸大作。現在ではほどんと見ることができないタイプの映画。ロケーション、美術、大量のエキストラ、音楽、どれも申し分ない出来栄えで視聴に値する。 ◆戦争、革命、社会変革、価値観の変更。厳しい冬、慢性的な物不足、飢餓と隣り合わせの暮らし。生き延びるだけでも大変な時代。それだからこそ愛に飢えた魂同士は強く結びつき、燃えあがる。共に妻子ある身だが、愛が無ければ生きられない。ラーラの夫が革命家であることもあり、二人は時代に大きく翻弄される。 ◆ジバゴは両親を早くに亡くし、知人に引き取られる。裕福な家庭に育ち、望み通り詩人兼医者になる。政治にはさほど興味がない。義父母の娘と結婚。ラーラは母との慎ましい二人暮らし。母は俗人ビクターの愛人。ビクターに犯され、心の傷を負う。革命家と結婚し娘を授かるが、夫は家庭を顧みない。夫は戦場に行ったきり行方不明に。二人は運命に翻弄されるかのように何度も別れと出会を繰り返す。 ◆ラーラの夫は理想に燃える革命家であったが、後に冷酷な戦争指導者となる。最後は逮捕され自殺。この魅力的なキャラを中途半端にしか描かなかったのはどうしてか?人間性を失った彼と、最後まで失わなかったジバゴ。彼を描くことで好対照であるジバコを際立たせることになるのですが。 ◆ラストは尻切れトンボ。ジバゴの妻子はどうなったのか。ラーラの最後は?ラーラの娘は母とどうやって別れたのか?伝記なのだから、きちんと見せるべき。それに重要なアイテムのバラライカ、持ってるだけで何故誰も弾かないのはどうして? ◆物語として物足りないのは、ジバコが英雄的人物ではないという点。高潔で優しい人物であるが、何かを成し遂げるわけでは無く、思想も持たない。常に受け身である。医者として戦場に送り込まれたり、拉致されたりするが、さほど活躍するわけではない。ラーラとの不倫も偶然的要素が強い。いわば等身大の人間だ。彼の詩が紹介されないので詩人であるという深みが出てない。人間は、戦争や革命といった時代の奔流には逆らえないが、恋愛も同様だと原作者は言いたいのだろうか。歴史的背景を除けばメロドラマだ。ジバコが精一杯生きているは伝わるが、喜怒哀楽をあまり表出しないので共感しづらい。ラーラは憎悪のビクターのお陰で助かり、ジバコと一緒だった死んでいた。ジバコは、ビクターに完敗した感がある。[DVD(字幕)] 8点(2010-12-24 04:07:03)《改行有》

10.  チャーリー(1992) 《ネタバレ》 ◆監督はチャップリン(C)の作品よりも、私生活、特に女性遍歴に興味を持っているようだ。女性の年齢を強調し、必要以上に裸を見せる。C本人が観たら激怒すること間違いない。 ◆Cが成熟した女よりも少女に興味を抱くのは、恐らく彼の完璧主義的性格が原因だろう。不幸な生い立ちのせいで、理想の高い家庭像を抱いているが、それにはCの言うことを何でも聞いてくれるタイプの妻が必要。1から全てを教えて理想通りの妻に育てたいのだ。だがそれはうまくゆかず、離婚再婚を繰り返す。 ◆映画ではCが恩人の元を去り、独立したのはお金のためだとしている。貧困育ちの彼が人一倍お金に執着するのは理解できる。しかし、それよりも彼の完璧主義的性格の方が主因だと思う。自分の思い通りにやらないと気が済まない性格なのだ。彼が監督、脚本、プロデューサー、主演、音楽を一人でこなしたのは偶然ではない。そうせざるを得なかったのだ。それだけの実力があったし、成功も収めてきた。だがそれ故に多忙となり、疲弊し、家族のことがおざなりになる。それが私生活の乱れにつながる。 ◆貧困時代が興味深い。兄や母との涙の別れ、孤児院の所員との追いかけっこ、ひょこひょこ歩きの集荷人、盲目の少女など、彼の後の映画のモチーフがさりげなく紹介されているのが心憎い。舞台時代のパフォーマンスが見れるのも嬉しい。初恋の女性ヘティに求婚したとき「愛の言葉もなくて?」と言われ、「言葉なんて必要かい?」と返すところは、彼の後のサイレントへの執着を暗示している。 ◆「浮浪者がしゃべったら魔法を失う」という彼の主張は的を得ていると思う。しかし同時に彼の限界でもある。初の完全トーキーは「独裁者」。最後の長い演説を聞かせる必要があったからだが、世界中に愛の言葉を伝えたいという情熱が、自分の壁を打ち破ることにつながったことは興味深い。監督はその演説シーンのスクリーンにペンキをかける。監督がCファンでないことは明らかだ。 ◆母親には限りない愛情を注ぐ一方で、父親に対してはひどく冷淡だ。終生嫌悪していた二番目の妻に対しても同様だが、一度嫌いになると許せないらしい。世界に愛を伝えたCが、自分の父を愛せないとは皮肉なことだ。伝記映画で父親が一度も登場しないのは不自然だし、残念だ。父不在が彼を幼少期から独立心を育ませた。彼が渇望していたものは常に愛であり、作品に強く反映されている。[DVD(字幕)] 8点(2010-12-12 19:55:16)《改行有》

11.  ラストコンサート 《ネタバレ》 ◆病院で偶然に出会う二人。女は待合室の男を医者に父として紹介。女は無意識に恋に落ちたのでしょう。あとは子犬のようにつきまとう。女は天涯孤独の身。母は死に、家族を捨てた父探しの旅の途中。会ったことのない父の面影を男に見る=恋の魔法。女は自分の病気のことを知っていた。だからあんなに甘える態度が自然にできた。そしてあくまで明るく男を励まし応援する。実にけなげ。生きる尊さ、素晴らしさを実感しているので、ダメ男を放っておけません。◆男は孤独で非社交的、女を迷惑がっていたが、どこか魅かれる。半分世捨人だが、自分を鼓舞し、元の場所に戻してくれる賢人を無意識に探している。別れと再会の繰り返しはその葛藤の表出。このあたりの流れが自然で好印象。年齢差があるの男女が恋に落ちる理由がきちんと描かれている。ただ男の人物像の掘り下げは弱い。◆全力を傾けずに逃げ出そうとする男を女が罵倒、大喧嘩して別れてからプロポーズへの急展開は意表をつきます。愛の奇跡ですね。「最低の男でもいいか?」「イエス」「意気地なしでも?」「イエス」愛は理屈をを超越。◆キーワードは”逆転”。男は女に病気のことを隠していた。しかし女に嘘と信じ込まされ、今度は女が男に病気を隠す。男は最初女を必要としなかった。が、恋人になってからは依存するほどになり、今度は女が母親的な存在になる。男は零落して田舎を放浪していたが、パリで復帰。女は至高の愛を獲得するが、命が尽きる。女は男に人生の全てを捧げた。男は命である音楽を再び手に入れ、それを女に捧げた。まさに「賢者の贈り物」。◆父の家を訪うが、子供がいるのをみて面会を諦める。これが脚本の不手際。物語に膨らみがなくなる。二人を応援し、女を看取るのが宿泊所の女主人だけというのはもったいない。父やその家族、代理人、共演者、友人を巻き込んで悲劇のラストへなだれ込ませるのが絶佳の展開。名作になりそこねた?◆また入院してからの展開が急すぎ。ここはタメの部分で、お互いに看護し、看取られ、愛を回顧する静かなうちに来るべき悲劇を予感させる重要な場面。◆冒頭に出てくる双子岩が愛の象徴。背景の撮り入れ方がうまく、城や海のシーンなど印象に残ります。「泣かせ」の演出も最低限に抑制されていて好印象。病気を隠した女の心理を想えばぐっときます。オススメです。観て損はありません、特に奇跡を信じる人には。[DVD(字幕)] 8点(2010-07-01 15:41:21)

12.  道(1954) 《ネタバレ》 ザンパノは無教養で粗暴な肉体派旅芸人。自己中心主義で愛情表現は不器用だが、世渡りの手管には長けている。「生きるためには、女でも何でも、利用するだけ利用する、それのどこが悪い」という哲学の持ち主。女は力で従わせ、時には僧院での泥棒も厭わない。自分一人の力で生きてきたという自負があり、自信に満ちている。だが彼に関わった人間はみな不幸になる。まずローザの死に責任があるだろう。助手兼愛人であったはずで監督責任がある。陽気で古い友人であるキ印は殴打死させられ、交通事故死に見せかけられた。もっとも可哀そうである。ジェルソミーナは精神を病み、置き去りにされ、遂には孤独死を迎えた。本来なら実家に帰してあげるべきだったのに。彼の人生の中で、彼のことを純粋に愛してくれた人はジェルソミーナだけだっろう。失って初めてその大切さに気付く。彼女の死を知って、嘆き悲しむザンパノの姿は印象的だ。だが、ローザやキ印に対する贖罪の気持ちは持ち合わせているだろうか。もっと時間がかかりそうである。知恵遅れのジェルソミーナはザンパノから虐待に近い扱いを受けながらも、彼といることで、自分の存在意義を見出し、自我に目覚めてゆく。キ印はジェルソミーナを救いたいと願いながらも、彼女の気持ちを理解し、ザンパノの元へ彼女を帰す。ザンパノは物事を考えることが嫌いで、だた本能のおもむくままに生きてゆく。三人はお互いに相手を必要としながらも、不器用さゆえに反発しあい、悲劇を迎える。キ印はザンパノのよき理解者だったがおちゃらけが過ぎた。ジェルソミーナは心が繊細すぎた。ザンパノは粗暴すぎた。鋼のような心がジェルソミーナ無垢の心に気付き、大泣きする。初めて他人のために涙を流したであろうその姿には感動を覚える。自分一人の力で生きてきたと思っていたが、そうではないと気付いたのだ。ようやく人間らしさにめざめた彼だが、その前途は苦難に満ちているだろう。年老いて、旅芸人として生きるのは難しそうだ。どうやって生きてゆくのか。孤独な彼に何が残されているのだろうか?ジェルソミーナの思い出だけが美しい宝石のように心に刻まれているのだろうが、それは彼を苦しめることにもなる。だが後悔するのに遅すぎることはない。困難ではあるが道は続いている。彼が歩む道をあれこれと想像してしまうのは、それだけ感情移入しているからだろう。逆説的で骨太な人間賛歌の映画に拍手。[DVD(字幕)] 8点(2010-03-01 23:49:21)

13.  トスカーナの贋作 《ネタバレ》 女が男に惹かれる。それは女の息子の指摘で明らか。二人が車中で交す本物偽物議論。女の妹は本物と偽物を区別をしない。その夫は妻を吃音で呼ぶが、妹にはそれが恋の歌に聞こえる。男によれば、その夫こそが本物。単純な世界を受容しているから。ただ楽しさを追求する子供は正しい。コーラ缶は陳腐だが、博物館に飾れば違って見える。価値は視点で変わる。男が絵に無関心なのは、絵画自体が本物の模造に過ぎないから。「モナリザもジョコンド夫人を描いた複製」男が本を書いた契機は、ある母と子が複製ダビデ像を本物のように眺めているのを見たから。女はそれは自分達母子だと言う。二人は過去に接点があった。店の女から夫婦と間違われ、女は夫婦を演じることを提案する。理想的な結婚へのあこがれがあるから。新婚者が黄金の生命の樹の前で愛を誓う場所で、女は新婚の頃を思い出す。男は相手を思い遣る心が大切で、愛を誓うのは無益と悟っている。「葉の散った冬枯れの庭だって美しい」女が男の肩に頭をのせる塑像の価値を巡って議論となる。男は、老人に忠告され女に優しくする。料理店で、女は化粧をするが、また議論となる。疑似夫婦の境界が無くなり、感情が迸り、お互いに相手を責める。女は教会で頭を冷やす。円満な老夫婦の姿を見た男は女に優しくし、二人は塑像と同じ姿勢をとる。新婚時に泊ったホテルで、女は妹の夫をまねて吃音で男の名を呼ぶが、男は戸惑う。鏡を眺めていると鐘が鳴った。振り向くと、女が、思い出して、といっていた光景がこれだと分ったが、皮肉にも時間切れを告げる鐘でもあった。愛における本物偽物議論が命題。母子家庭の女は、息子との関係がぎくしゃくし、結婚に対するあこがれが強い。無意識に愛も複製できると考え、疑似夫婦を演じる。男にとって、愛は複製できないもので、複製は最初から無効。愛は総じて贋作だが、「贋作は本物よりも美しい」こともある。その為には、「意志ある迷子」が必要。その好例が女の妹夫婦で、議論の無い世界に住む。女がいくら真似しても贋作に過ぎない。本物と偽物の二元論ではなく観客を参加させる映画。観客は鏡の中にいて、答えは映画の中にない。偽りの夫婦と本物の夫婦の境界はどこか?光彩陸離たる背景の流れる車窓、何を書いたか不明の本の署名、見えない塑像の顔、カメラ目線での鏡の見立て、実像と虚像が入り混じる演出が芸術志向だが、洗練されてない印象を受けた。[DVD(字幕)] 7点(2014-09-11 16:59:48)

14.  エル・シド 《ネタバレ》 中世スペインの武将で、イスラム教徒からも「エル・シド」と尊称された男の英雄譚。 花嫁シメンを迎えに行く道中で、街に攻め込んできたムーア人と遭遇し、激戦の末、首長を捕えるが、憎しみの連鎖を断つため、平和を誓うことを条件に開放してやる。この行為が反逆罪として告発され、その審理中に侮辱されたエル・シドの父がシメンの父である最高戦士に決闘を申し込む。エル・シドはシメンの父に謝罪を要求するが拒絶されると決闘となり、殺害してしまう。シメンはエル・シドを憎むが、領土争いの一騎打ちを制したたエル・シドは王からの褒美としてシメンとの結婚を許される。ここまでは非常に劇的で、後半の展開を期待させる。だが良いのはここまで。異教徒相手の英雄騎士物語を期待したのに、恋愛、暗殺、王位継承争い、裏切り等、内輪のもめごとが延々と続き退屈する。内容はそれでも良いのだが、表現が薄っぺらで、人物像が一貫していないので物語に入り込めないのだ。エル・シドは異教徒に寛大で平和共存を望んでいるが、それ以上にスペイン王に忠実だ。追放されたり、妻子を人質に取られても王に忠誠を誓う理由が見出せない。鍵を握りそうなエル・シドの父は途中から登場しなくなる。シメンは結婚してもエル・シドを酷く憎み拒絶するが、彼が追放された途端に再び愛するようになる。まるで別人になっており、脚本の欠点だ。第2王子アルフォンソは複雑で、謀略を巡らしたり、強がったり、弱音を吐いたり、エル・シドを憎んだり慕ったりで、人物像がつかみにくい。信頼にたる人物でないのは確実で、この男にエル・シドが忠誠を誓うのは首を傾げる。ムーア人の王ユサフとの最終対決おいて、両国の大軍団が入り混じる戦闘場面は迫力があるが、一夜明けての決戦は何ともあっけない。死んだと思っていたエル・シドを前にするとムーア軍は一方的に潰走するのだ。馬の下敷きとなるユサフの死もあっけない。まるで漫画だ。もっと観客をじらせる「タメ」が欲しい。エル・シドは生きてていたのか、伝説のように死体を馬に乗せて駈けさせていたのか、不明のままだ。[DVD(字幕)] 7点(2014-09-02 21:02:39)(良:1票) 《改行有》

15.  ぼくの伯父さん 《ネタバレ》 フランスらしいエスプリの効いた上質なコメディ映画で、文明批判的色彩が色濃いのが特徴だ。チャップリンの「モダン・タイムズ」のフランス版といったところ。 近代合理主義に基く非人間的な工場労働と、虚飾と見栄にこだわり、皮相的な人間関係しか築けないブルジョアジーを徹底的に笑い飛ばそうという映画だ。 定職につかずぶらぶらしている「伯父さん」が主人公で、何事ものんびりしていた古き良き時代を象徴する。 何事も「伯父さん的なもの」と「非伯父さん的なもの」に分かれて描かれ、両者が出会うとき、衝突が起き、笑いが生じる。 「伯父さん的なもの」は、込み入ってごたごたしている下町の風景、奇妙に内部が入り組んだアパート、ジョークで挨拶を交すような人情味あふれる庶民、いたずら好きの子供達、商売気はなく、どこなマヌケにみえる商人達だ。 「非伯父さん的なもの」は、虚栄に満ちたブルジョアジー、見栄にこだわった超モダンな家、プラスティック工場、近代建築の学校、都会的デザインの車など。両者の境界に崩壊した煉瓦塀がある。 犬が度々登場するが、犬は「伯父さん的なもの」と「非伯父さん的なもの」をひっかきまわすトリックスターの役割を果たす。自由の象徴であり、「伯父さん的もの」の理想の姿でもある。 魚のオブジェの噴水のすっとぼけたデザインは出色で、強く印象が残る。「非伯父さん的なもの」を笑いの対象とすることの象徴だろう。 興味深いのは、ブルジョアジーの追及する近代合理主義と見栄とが両立しないこと。 モダンな敷石は歩きづらいし、噴水は電気代がかかるし、オートマティックなキッチンシステムは便利だが騒音のため会話が聞こえない。 「伯父さん」は、あちこちでさんざん騒動を巻き起こしたあげく、町を追われて去ってゆく。異質なものははじかれてしまうのが現実だ。だが救いはある。最後の場面での親子の和解だ。偶然の賜物だが、父のいたずらによって、息子が心を開いたのだ。「伯父さん的なもの」が親子の結びつきに一役買ったわかで、これからは父親も「伯父さん的なもの」に理解を示すようになるだろう。 珍重すべき映画だが、残念な点もある。 役者の演技に難があるのだ。チャップリン映画のような”絶妙なタイミングによる笑い”が見られず、どこか演技じみていて、笑えないきらいがある。こなれてないのだ。子供達と「キッド」の演技を比較すれば瞭然だろう。 [DVD(字幕)] 7点(2013-08-28 12:41:53)《改行有》

16.  穴(1960) 《ネタバレ》 物語は単純。5人の囚人が脱獄の穴を掘り続けるというもの。メインの脱獄方法こそ鉄棒でコンクリートを穿つという力技だが、棒の先に鏡をつけた覗き鏡、薬瓶を合わせた砂時計、組立て作業の箱の残りを使った人形、肩車で狭い柱の陰に隠れて監視の目を逃れる、マッチ棒を挟んで切断した鉄棒を元に戻しておく等、リアリティのあるアイデアに引き込まれる。差し入れ品を細かく検査する場面を見せることで厳しく監視された監獄であることを示すなど演出の妙がある。脱獄を”魅せる”という点では申し分のない出来。心理劇としてはどうか。古参の4人は一枚岩。そこへ未決囚の新人が入ってくる。信じて打ち明けるか、延期するか。信用できると踏んで打ち明けるが、疑心暗鬼の状態は続く。このあたりの描写はあっさり。4人の過去が語られず、緊急切実した事情があるわけでもないので、心理劇としては薄味。ただ4人の個性はきちんと描かれる。後半になると変化が現れる。古参の一人が脱獄しないと言い出す。理由は重篤の母親がおり、自分が脱獄すると警察に事情聴取され、動揺して鬼籍に入るかもしれないから。以前には思い至らなかった事が、脱獄がいよいよ現実味を帯びた時点で思い至り、よくよく考えた末の結論。リアリズムがある。男は落盤に遭いながらも自分の担当分の仕事はきちんと果たす。脱獄幇助罪で罰を受けるのも覚悟の上だ。最も男気を見せる人物だが、男は普段エロいことばかり話題にする人物として描かれ、感情移入しにくいきらいがある。新人の立場はどうか。普通、未決囚は脱獄はしない。容疑も妻への予謀殺人未遂罪で、殺人ではない。それでも重罰が下ると予見して脱獄参加を決意するが、そこへ妻が告訴を取り下げるという意外な展開。あとは釈放に判事の署名を待つだけだが、同房の連中が脱獄してしまうと、脱獄幇助の罪がかかる。仲間を売るか、自由を不意にするかのジレンマに陥る。新人はかつて脱獄を「実に胸のすく思いだよ」と洩らしていた。だから観客は新人が裏切るとは思っていない。そこへ意表をつく結末。そこで「穴」というタイトルには二重の意味があったことが分る。「脱獄の穴」と「落とし穴」。また所長が妙に優しくする場面がいくつか出てきた理由も氷解する。物語としては巧みだが、人間劇として物足りなさが残る。新人や4人の苦悩がさほど伝わらないからだ。余談だが、あんな音を立てれば隣が絶対気づくと思う。[DVD(字幕)] 7点(2012-07-18 06:46:34)(良:1票)

17.  戦争と平和(1956) 《ネタバレ》 「貴族の恋愛」と「戦争」を描く長編。貴族の生活はパーティ、乱痴気騒ぎ、遊びの恋、オペラ、舞踏会、田舎の別荘、狩などで光陰が過ぎる。そこへ戦争勃発、国家存亡の危機である。ピエール(P)伯爵は非摘出子という出生の影響か、気真面目な一方で、虚無的な一面がある。正しいことをしようと思っても、放蕩をしてしまう。戦争や暴力を憎んでいたが、決闘する。矛盾だらけだ。Pは愛されていないと思っていた父と臨終に和解。家を継ぎ、美女エレン(E)と結婚。性格が合わず、別居となり、Eは浮名を流す。PはEを愛していると思っていたが、そうではなかった。彼の信念はぐらつく。Pは戦争の実際を知りたいと思い戦場へ赴く。目の前で繰り広げられる殺戮。負傷兵を救護所に運ぶも既に息絶えていた。戦場の悲惨さを実感して侵略者ナポレオンを憎悪。仏軍はモスクワに進行、露軍と民衆は撤退、放火により首都は燃え上る。Pは首都に留まり、ナポレオン暗殺の機会を待つ。その機会が訪れたが、ナポレオンが火事鎮火を命じる声を聞いて留まる。殺したいほど憎む人間に思えなくなったのだ。彼は捕虜となる。十代の若者が処刑されるのを見る。冬が訪れ仏軍は撤退、捕虜も連行される。歩けなくなれば射殺される雪中行軍。仲良くなった楽天家の農民は途中で落伍。露軍の攻撃で開放されるが、戦闘で親戚のペーチャは死ぬ。まだ戦争が遊びに見える年頃だった。隊長は奇しくもかつて決闘し重傷を負わせた相手で、Eの死を知らせてくれた。隊長の怒りで、仏軍捕虜は全員射殺。◆ペーチャの姉ナーシャ(N)は無邪気で魅力的。かつてPに恋をしたが失恋。その後Pの友人で軍人のアンドレイ(A)と恋に落ち婚約するが、Aの父が難色を示し、結婚は一年延期される。婚約中Eの弟アナトーリと情熱的な恋に落ち駆け落ちを決意。アナトーリには妻がいると知ったPは二人を別れさせる。NはAに謝罪の手紙を送るがAの怒りは消えない。やがてAが重傷を負って帰還。親身に看病するN。Aは心からNを愛していたと知るが逝去する。◆戦争が終り、N一家は家に戻る。家は半壊状態。帰還したPが立ち寄る。抱き合う二人。Nが言う「あなたはこの家のように苦しみ傷つきながらも立っている」。戦争を経験した者にとって平和のもつ意味はとてつもなく大きい。「成し難いが大切なのは命を愛し、苦難の時も愛し続けること。何故なら命が全てだからである」[DVD(字幕)] 7点(2011-09-23 03:04:17)

18.  自転車泥棒 《ネタバレ》 過去に自転車5台盗まれた経験あり。スーパーでアイスを買って出てきて、自転車が無くなっていたときは茫然とした。警察は探してくれず、自分で探すしかないのは同じですね。◆この映画は絶望的に見えるが、救いがある。第1に父親には仲間がいて、同情してくれ、一緒に探してくれた。友達は大切だ。第2に自転車を盗んだ親父が事情を察して、警察沙汰にしなかったこと。これは大きい。一歩間違えば、1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンと同じ運命になったかも知れない。失うものは大きかっただろう。第3に親子の信頼関係が失われなかったこと。息子は事情を知っているので、父親を尊敬する気持ちは持ち続けるでしょう。第4に妻も理解してくれるだろうということ。家族の中で孤立するのは悲劇です。◆素直な人は感動すると思うが、そうでない人がひっかかる部分がある。それは「鍵はかけておけ」「自転車は借りたらいい」「自転車探しに子供を連れ歩くな」ということ。「鍵は無い」「誰からも借りれない」が前提条件になっているのか?給与が確実に出るのだから、貸してくれる人はいると思うけど。まあ目をつむりしかなさそうだ。◆単純な話だけど”魅せる”のは、演出がうまいから。インチキと見抜いていた女占い師に占ってもらうのは精神的に追い詰められている証拠。レストランで裕福な家庭との対比。「くよくよしていてもしょうがない」と一度前向きになったあとにどん底へ突き落す。子供に入る予定の給与計算をさせる。犯人の家が貧乏。ラストの前に一度親子の信頼関係をぐらつかせてみせる。いらだって子供を殴る→子供すねる→川で誰か溺れた→心配して探す→食事で仲直り。それぞれ理にかなっていて光るものがあります。不条理な展開がだらだら続くだけの演出では無いということ。◆クライマックスは、善良な父親に魔が差した瞬間。失敗して、民衆からこずかれ、罵倒される父親。父親に泣きながら走り寄る息子。手をきつくつないで無言で帰る二人。冷徹なカメラがそれを追います。でもそれは単純な絶望ではない。善良な市民が一度は通らなければならない通過儀礼、試練のような一面もある。悪を知って善を知るということ。二人の人生観に深みを増した経験でもあります。悪いことがあれば、次は良いことがある。人生山あり谷あり。そう信じて強く生きていける二人の後ろ姿だと思いました。[DVD(字幕)] 7点(2010-12-27 00:47:58)

19.  続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 《ネタバレ》 クールな賞金稼ぎペテン師ブロンディと憎めない小悪党テュコの金貨探しのロードムービー。これに同じく金貨を追う悪党エンジェルアイが絡み、背景に南北戦争を配する。音楽の良さは言うまでもない。 ・強盗を働いて大金を手にしたグループがいたが、軍に襲撃されて全滅。かろうじて生き延びた人物から金の隠し場所を聞くブロンティとテュコ。それぞれ一部しか聞いておらず、二人合わせないと宝のありかに行きつけない。この設定が秀逸。二人は時に協力しあいながら、時に馬鹿し合いながら、旅が続いてゆく。途中でテュコの生い立ちが明らかになり、人物に深みが加わる。ボロンディの過去は語られる事無く、謎めいた雰囲気を最後まで纏う。両者の掛け合いが最大の見どころ。◆一方セエンジェルアイの影は薄い。いつの間にか南軍の捕虜収容所の軍曹になっている。途中からいなくなるが、いったいまたどうやってあの墓場にやってきたのだろうか。ご都合主義だ。◆エンジェルアイが最初の殺しをする場面で、親父だけでなく息子も殺す。駆け付けた妻がそれを見てふらついて倒れる。一瞬幼い子供の姿が見える。それを巧みなゆれるカメラで表現している。殺す相手にも妻子がるということを伝えており、生命を軽視してドンパチ撃ち合うだけの娯楽映画では無いことを示している。◆反戦思想が読み取れる。戦争のシーンは疲弊しきった兵隊や負傷者の場面がほとんど。捕虜収容所の隊長は壊疽で死にかけ。捕虜たちによるもの悲しい音楽が長く続く。テュコを護送する駅の場面で「俺の首は3000ドルだが、お前の腕は何の価値も無い」と兵士の失われた腕をとる。護送列車が去ったあとのホームに並ぶ遺体。橋を奪い合うために川を挟んで毎日戦闘を繰り返す。その下らなさを誰よりも酔っぱらい隊長は知っているが、作戦には従わなければならない。「隊長は戦死したがってるぜ」「こんなに大勢が無駄死にか」二人はあきれ、橋を爆破。それを見て満足して死んでゆく隊長。死体の山に十字架を切るテュコ。死に行く敵の若き兵士にコートをかけてやるブロンディ。戦争は銀行強盗よりも愚かだ。【ツッコミ】①テュコたちが護送列車から飛び降りたのに、どうして誰も気づかない。手錠を線路で切る場面も同じ。②橋を爆破するのが簡単すぎる。衆人監視の中では無理。③橋が爆破したのにどうやって対岸に渡ったのか。④ブロンディは墓場で、いつ首吊りロープを用意した。[DVD(字幕)] 7点(2010-12-25 22:09:10)《改行有》

20.  夕陽のガンマン 《ネタバレ》 前半はありえないようなシーンの連続で退屈だが、後半賞金稼ぎの二人がチームを組んでから、2転、3転する展開で楽しめた。音楽は秀逸だし、銃を発射するまでのタメや間合いが心地よい。よく練れた演出と脚本だ。二人のガンマンの友情物語でもあるし、妹の復讐譚でもある。敵ボスの人間性も描かれており、物語に重みを増している。観客の裏をかく銀行強盗も見事。ただ最後の仲間割れはいただけない。あれは賞金稼ぎのどちらかの入れ知恵でそうなる展開ならなお良かった。 ◆ただ手下やメキシコ人など類型的で、リスペクトが感じられない。虫けら同然の扱いだ。 ◆大佐は汽車を無理やり止めるし、モンコはホテルの客を強制排除するし、いわゆる”善人”ではない。善人では務まらいタフな仕事だということを言いたいのだろうが、それにしてもモンコ、やりすぎでしょ。一度は大佐を裏切るし。 ◆オルゴール付懐中時計だが、あれは若い男が女にプレゼントしたものではないのか?それを若かりしときの敵ボスが奪ったと解釈したが。でも同じものを女の兄である大佐が持っている。兄妹で同じものを持つのは珍しい。そもそも女が懐中時計を持つものなのか。というと妹が若い男にプレゼントしたものなのか。また硬派の男がオルゴール付の懐中時計など持つかという疑問もある。 ◆下手人がすぐに見つかりすぎではないか?保安官はそいつがどこの町にいるか知っているし、店で聞けば教えてくれる。逃げ隠れしたいないわけで、保安官が自分で確保しないのはどうしてだろう。 ◆モンコが保安官を正直さが足りないとなじり、バッチを奪い、他の保安官を選べというが、どうしてだろうか? ◆モンコが敵地に乗り込んだとき、葉巻を銃で撃たれて半分になったのに、次のシーンで元の長さに戻っている。 ◆帽子を何度も撃たれているのに帽子に穴があいていない。 ◆リンゴを撃っている間に敵に撃たれないのが不思議だ。 ◆銀行をお金は木にかけていただけなのに、どうして誰も気づかなかったのか。 ◆遺体を運ぶ時、ちゃんと側板を閉めましょう。絶対落ちて、数が足りなくなる。[DVD(字幕)] 7点(2010-12-25 09:03:16)《改行有》

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