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プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作国 : カナダ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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21.  ビッグ・アイズ あまり気持ちのいい映画ではなかった。というのが正直な感想。 「実話」だからこその、決して避けられない登場人物たちの人生における“短絡さ”が、何だか無性に居心地の悪さを感じさせる映画だった。 「創作」に携わる者のジレンマによる闇の深さは、当事者にしか分からない。 しかし、その闇を抱えるのは、必ずしも“真の作り手”だけのものではないということ。 何も生み出すことが出来ない者が犯した愚かな罪。 “夫”は間違いなくロクデナシで、同情の余地はないけれど、彼がもたらした「功罪」により、“ビッグ・アイズ”という芸術が世に広まったことも事実。 彼の「悪意」が一体どの段階から存在していたのか、それは実際のところ誰にもわからない。 どこかのタイミングで何かが間違っていなければ、この夫婦は、もっと幸福な道を共に歩めたのかもしれないし、そうではないかもしれない。 子どもの大きな瞳で見据えられ続けた苦悩の日々は、観ている側としても苦しいものがあった。 そのリアルな苦しさを抱えた人間の無様さこそが、ティム・バートンが珍しく実話を題材にしたこの映画で描きたかったことだろうし、そういう意味ではしっかりとティム・バートンらしい映画に仕上がっていると言えるのだとは思う。 でも、この監督の一ファンとしては、これまでの作品群においてどんなにダークな世界観を描いたとしてもあり続けた小気味よさが無かった今作が、映画として単純に楽しくなかった。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2015-11-13 12:36:35)《改行有》

22.  エイリアンVS. プレデター “エイリアンVSプレデター”全世界のファン待望のこの企画は、そのインパクト以上に映画としての構築が難しかっただろうと思う。 なぜなら、「最悪VS最悪」と言っても、両者を地球で戦わせるという時点で、本能的“生物”であるエイリアンを勝たせるわけにはいかないからだ。それでは映画としての終わりが単なる“混乱”になってしまう。 「どちらが勝っても人類に未来はない」と嘯いても、どちらかと言えば、知的“宇宙人”であるプレデターが勝つほうが良いに決まっている。 もちろん、この映画のストーリー構成もその部分を念頭においた展開になってはいるが、前半の逃げ場のない緊迫感に対して、後半はやはり強引な“B級ノリ”に埋め尽くされていることは否めない。 ただし、改めて観返してみると、そういう“B級ノリ”こそがこの映画の醍醐味だとも思える。 後半早々に唯一の生き残りとなってしまったヒロインは、“生き残る”ために「戦士」となる。 “敵の敵は味方”と、プレデターとタッグを組む様は、もはや滑稽さすら禁じ得ないが、その滑稽さを一旦受け入れさえすれば、きっちりと娯楽として楽しめる。 監督は、ポール・W・S・アンダーソン。“ダメな方のポール・アンダーソン”と、ポール・トーマス・アンダーソン監督と比較されて、揶揄の対象になりがちな監督ではあるが、「イベント・ホライゾン」「バイオハザード」で見せてきたこの監督の、ヴィジュアルセンスと娯楽センスはやはり本物。強引な展開も、洗練された映像世界に広がる娯楽性へと昇華できていると言って間違いではない。 それぞれの作品へのオマージュやお約束のオチもしっかりと反映できており、広く楽しめる映画としてまとめ上げたというのが、正しい意見だと思う。 ともあれ、怪物同士の壮絶すぎる戦いを見ていると、最初の「プレデター」で“勝利”したシュワちゃんは、やっぱ凄えなあと思う。[映画館(字幕)] 7点(2015-07-25 21:11:35)(良:1票) 《改行有》

23.  バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) “キャスティング”に込められた“巧み”な“悪意”。 このアカデミー賞受賞作品の成功の要因は、先ずそれに尽きると思う。 マイケル・キートンをはじめとする配役の妙が見事で、その配役に応えたキャスト陣がそれぞれ見事だったということだ。 かつてヒーロー映画の主演でドル箱スターとなり一世を風靡した俳優が、十数年の月日を経て、己の俳優としての存在性、そして父親としての存在性に疑問を持ち、満を持して挑んだ舞台作品の初演を前に苦悩する様を描いた物語。 プロットとしては、極めて“ありがち”である。 ただし、先に挙げた「配役」も含めて、「撮影」の手法、ストーリーの「展開」など、描き出し方がとてもユニークで、それ故にオリジナリティに溢れた作品に仕上がっているのだと思う。 まあ何と言っても、主人公の元スター俳優役にマイケル・キートンを選んだことは、この映画が成り立つための必須項目だったように思う。 二十数年前にティム・バートン版「バットマン」で“ブルース・ウェイン”を演じたこのベテラン俳優は、今作の主人公そのものだ。 彼がこの役を引き受け、ベストパフォーマンスをしてみせたからこそ、このコメディ映画は、モキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)の要素も併せ持つ特異な世界観を醸し出すことに成功しているのだと思う。 主人公のリーガン・トムソンは、俳優としての栄光を取り戻すために、畑違いの舞台に挑む。 それを演じるマイケル・キートン自身も、己の俳優人生をある意味自虐的に体現し、自身のキャリアと俳優としての意地をかけた「演技」をしてみせた。 その様には、一人のハリウッドスターの“生き様”がまざまざと表れていて、物語を越えて感動的であった。 主人公は妄想と現実の狭間で終始苦悩をし続ける。 それは即ち「過去」との折り合いをつけるための闘いとも言える。 どんなに「過去」が「現在」にとって邪魔な存在になろうとも、自分の人生である以上、それから完全に決別することなど出来ない。 「現在」と「過去」を等しく見つめ、それぞれに対してどう折り合いをつけるか。人生とはそういうものなのかもしれない。 【過去=バードマン】を病室のトイレに追いやって、主人公が掴んだ【現在=現実】は、果たして何だったのだろう。 如何様にもとらえられるこの映画の結末は、それを目の当たりにした観客それぞれに語りかけてくるようだった。 「飛ぶのか?」「飛ばないのか?」と。[映画館(字幕)] 8点(2015-05-09 00:30:07)(良:2票) 《改行有》

24.  ワイルド・スピード/SKY MISSION 「別れなんてない」 そう言い残して一人走り去るドミニク。そんな彼を追ってきて、真っ白のスープラでいつものように横に並んだブライアンの姿は、果たして現実だったのだろうか、幻影だったのだろうか。 「さよならも言わずに行くのか?」と笑顔を見せるブライアンに対してのドミニクの表情には、喜びと悲しみが等しく入り交じっているように見えた。 シリーズ7作目。 当然ながら“一見さんお断り”の今作を、封切り早々に観に行く“ファン”としては、とてもじゃないが、ラストのシークエンスを涙なしでは観られなかった。 とはいえ、この映画は「ワイルド・スピード」である。映画の9割以上は、突っ込むことが馬鹿らしく思えるくらいに大味なストーリーテリングと、大仰なアクションシーンのひたすらな連続である。 ただし、その「大味」と「大仰」は、このシリーズが7作品を通じて培った娯楽性の“境地”であり、否定の余地は微塵もない。 一介のストリートレーサーだった主人公とその一味が、シリーズを追うごとにアクションヒーロー化し、ついには某スパイアクション映画を彷彿とさせるほどの極秘任務を担う。 フツーなら“あり得ない!”と一蹴されるべきプロットを、堂々とまかり通してしまう。それを成すものは、このアクション映画シリーズが導き出した奇跡的なエンターテイメント性に他ならないと思う。 この「7」は、あらゆる側面で「奇跡」そのものだ。 前作のラストで突如登場したジェイソン・ステイサムを最恐の悪役に配し、ヴィン・ディーゼル、そしてドウェイン・ジョンソンと、あまりに“肉厚”な肉弾戦を繰り広げる。 “アクションスター”というステイタスの価値が低迷して久しいが、それでも“現役”トップスターである三者の揃い踏みは、あまりに豪華だ。 また、ミシェル・ロドリゲス好きとしては、前作のジーナ・カラーノ戦に続き、またしてもプロ格闘家ロンダ・ラウジーとの“連戦”はたまらなかった。 そしてもちろん、最後に言及したいのは、ポール・ウォーカーだ。 俳優の死は、いかなる時も映画ファンにとって不幸以外の何ものでもない。 今作のクランクアップ前に急逝したもう一人の主演俳優の死は、あまりに大きな損失だった。 ただ、彼の死が、この映画に特別な意味と価値を与えたこともまた事実であろう。 ド派手なカーアクションの追求の果てに、今作ではついに自動車が“空を飛ぶ”。 「SKY MISSION」は後付の邦題ではあるが、今作の主題であるその要素は、天国へと旅立った主演俳優の姿に重なってくる。 映画は、総合芸術であり総合娯楽だ。 その「総合」という言葉には、そこに携わった人間の“人生”そのものも含まれるのだと思う。 一人のスター俳優の生き様と共に、今シリーズはこの先も愛され続けるだろう。 今宵は、ポール・ウォーカーの冥福を改めて祈りたい。 もちろん献杯は“コロナビール”で。[映画館(字幕)] 9点(2015-04-26 09:10:39)(良:4票) 《改行有》

25.  オール・ユー・ニード・イズ・キル 理不尽な運命に流されるままに、主人公は突如として人類存亡を欠けた戦争の最前線に送られる。 必然的に訪れる「死」、繰り返される一日、繰り返される「死」。 その設定そのものと、描かれ方は、他の多くの映画で表されたもので、決して新しさはない。 一人の人間の運命と生死そのものを“ダンジョン”のごとく描き出し、軽薄に捉えた表面的な安直さはいかにも日本のゲーム世代が生み出した物語らしく見える。 ただし、ひたすらに繰り返される「生」と「死」の描写には、次第に安直さを超越して、観念めいたものが表れてくる。 映画の中でビジュアルとして映し出される“繰り返し”は、せいぜい数十回程度だが、恐らくこの物語の主人公は、何百回、何千回、もしくは何万回の「死」を経ているだろうことに気づいたとき、文字通りに深淵な戦慄と、「死」そのものの哲学性を感じた。 何万回の死の中で、主人公の精神はとうに崩壊し、人間性そのものが朽ち果て、また別の次元の人格が繰り返し誕生していたのではないだろうか。 それはまさに“生き地獄”以外の何ものでもなく、ふとそういう概念が生まれた時点で、この映画は決して口触りのいいエンターテイメントではなく、極めて辛辣で苦々しい映画にすら見えてくる。 と、そうやって穿ってみることが出来る要素を根幹に携えつつ、トム・クルーズを主演に配し分かりやすい娯楽性で仕上げたこの映画の方向性は正しいと思う。 もっと変質的なタイプの作り手が、斜め上に突っ走ったなら、もっと独特でもっと哲学的な映画になっていたかもしれない。 それはそれで観てみたいけれど、今作の娯楽性自体は間違っていない。 勿論、ラストの顛末を筆頭に疑問符が消えない箇所は多々あり、よくよく考えれば突っ込みどころも多い。 けれども、ラスト、主人公が少し呆れたように、ただ何にも代え難い多幸感を携えながら笑う。 そのトム・クルーズの笑顔を観た時点で、この映画に対する僕の満足感は揺るがなかった。 [映画館(字幕)] 9点(2014-12-16 22:40:20)(良:1票) 《改行有》

26.  スーサイド・ショップ 日常生活の中で自殺が“風景”として多発する極めて陰鬱とした社会。そんな中で「自殺用品専門店」を営む家族の物語。 フランス産ならではの陰湿でブラックなユーモアに溢れたアニメーションが印象的。 まず舞台作品の映画化かと思えるくらいに、ミュージカルと舞台的な演出のクオリティーの高さが光った。 きっとこの脚本と演出のまま舞台化しても成功は間違いないと思える。 自殺が蔓延する社会の中で、それを助長する商売を生業とする主人公家族の面々。 映画の序盤、彼らのキャラクター性は、悪魔的に、ある種のファンタジーとして描かれる。 しかし、そこに彼らの存在性を根本から否定する天使のような次男が生まれ、この家族の人間性があらわになる。 悪魔的な陽気さが、実のところ陰鬱とした世の中を生き抜くために彼らが選ばざるを得なかった手段だということが描き出され、このファミリーの悲しさが見えてくる。 映画の中盤、店主と自殺志願者のやりとり。 「この“面倒”にもう耐えられない」 「“面倒”とは?」 「人生さ」 自分はまだ30年余りしか生きていないが、このやりとりは身につまされる。 世界中の誰しもが、その“面倒”と葛藤をし続けていることだろう。 ただそれでも、“生き続ける”こと以上に意味深いことなどないと、この奇妙なアニメ映画は高らかに歌いあげる。 ストーリー展開は稚拙ではあったけれど、語り口そのものには好感が持てた。 店主の名前が「ミシマ」。自殺の方法にやけに“ハラキリ”を推奨し、日本刀を振り回すこのキャラクターのモデルは、完全に三島由紀夫だよな……。[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-11-17 22:34:35)(良:1票) 《改行有》

27.  ミスター・ノーバディ 土曜日の深夜にこの映画を観た。 映画を観終わり、エンドロールが終わっても、しばし呆然とした。 そして、それほど眠気は無かったが、すぐに眠ることにした。 いつもならば、映画鑑賞をした後はすぐにレビューの文章を綴るのだけれど、この映画の感想を綴るには、とてもじゃないが一日使い古した深夜の思考回路ではおぼつかないと思えた。 それに、一旦眠りに就き、一晩夢見の中でこの映画の余韻に浸りたいと思った。 「死」がなくなった新世界、世界で最後の「死」を迎える老人が118歳の誕生日に自身の人生を顧みる。 あの日、あの時、ああすれば良かった……。という思いは、人生という限られた「時間」を生きゆくすべての人間が思い巡らせることだろう。 自分の人生はただ一つだが、実は同時に「選択」の数だけ無限のパラレルワールドが存在し、それと同じ数だけの人生が存在するということが、あまりに美しいビジュアルの中で表現される。 「選択をしなければ、すべての可能性が残る」 と、人生において最初の「選択」を迫られた少年時代の主人公が語る。 映画は展開し、無限のような広がりを見せた果てに、その少年時代の台詞に帰結する。 死を目前にした老人が“過去の記憶”を辿っていく物語に見えていた映画世界が、その瞬間から、9歳の少年が自らの「選択」による“未来”とそれに伴う“可能性”を辿った物語に転ずる。 それまでに脳内に注ぎ込まれていた膨大で不可思議なイメージが、一瞬で整合した感覚を覚えた。 この映画のすべてを自分自身が正確に把握し理解しているとは思わないが、圧倒的に凄い映画であることは間違いないと思った。 「人間」の営みそのものを宇宙的視野の中で捉え、見事としか言いようがないビジュアルで表現した世界観は、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせる深遠さと崇高さを備えていた。 そして、この映画が表現する「概念」そのものは、手塚治虫の傑作短編集「空気の底」の映像化を見ているようだった。 決して万人に受け入れられる映画ではないだろうし、個々人の精神状態次第で酷く退屈な映画になり得る作品だと思う。 ただ僕は、自分自身が己の人生を通して考え続けているあらゆる要素が溢れているこの映画から目線を外すことが出来なかった。 敢えてもう一度言う。凄い映画だ。人生を通して何度も観たい。[DVD(字幕)] 10点(2014-03-04 00:45:54)(良:1票) 《改行有》

28.  遊星からの物体X ファーストコンタクト ジョン・カーペンターの傑作「遊星からの物体X」の“前日譚”というコンセプトではあったけれど、実際のところはほとんど“リメイク”だったように思う。 それくらい、ストーリー展開が酷似していて、あまりに目新しさが無かったことは否めない。 前日譚と言うからには、1982年の公開時に世界に恐怖とトラウマを与えた“物体X”の「正体」に少なからず踏み込んでいってほしかった。 前作と同じ舞台の極地で、“宿主”の宇宙人を掘り出した地球人チームが、前作同様に紛れ込んだ“物体X”との死闘を繰り広げるだけでは、工夫がなさ過ぎる。 「何おんなじこと繰り返してんねん」と、前作主演のカート・ラッセルに、お門違いなツッコミを入れたくなってしまう。 ジョン・カーペンター監督が生み出した世界観を出来るだけ壊さないようにした製作意識は好感が持てる。 しかし、残念ながら続編としてもリメイクとしても、作品としてのオリジナリティーを付加するには至っていない。 この映画の見所である“人体変形”描写に“思い切りの良さ”はあったが、決してクオリティーが高いとは言えず、新しい観客を惹き付けるだけの“センス”も無かった。[ブルーレイ(字幕)] 3点(2013-06-30 19:12:29)《改行有》

29.  ヴァンパイア(2011) 《ネタバレ》 「これはあなたの夢?」 “ヴァンパイア”の、おそらくは最初の“献身者”となった女の最期の一言。 この映画の主人公である“ヴァンパイア”の「彼」にとって、“血液を啜る”という行為の意味は、果たして何だったのだろうか。 心の隙間を埋めるための一種の趣向だったのか、行き場を失った孤独を癒す“温もり”を感じるための唯一の手段だったのか。 結果として、繊細で優しい殺人鬼と化した主人公の得た結末は、幸福だったのか、不幸だったのか。 ラスト、己の業が明るみに曝された主人公は、思わず逃避に駆られる。 どこまでも逃げようとするけれど、その足は次第に宙空に浮き、無情にから回る。 それはおそらく、彼の深淵なる“夢”の終わりの時だったのだと思う。 孤独の淵に立たされた主人公が、妄信的に辿り着いた“ヴァンパイア”という生き方。 物語の吸血鬼のように、己の存在が「永遠」でないことは、他の誰よりも本人がよく知っていたことだろう。 「血は命そのものだ」と、“ヴァンパイア”は語る。 「血」を追い求めた彼の姿は、「生」を渇望する弱々しくも必死な、人間という生物そのものの本質的な在り方に見えた。 「花とアリス」以来8年ぶりとなる岩井俊二監督の長編映画。勿論、映画館で鑑賞したかったけれど、地方都市住まいの悲しさにより叶わず……。 とうにレンタル開始はされていたけれど、万全のタイミングを探るべく、日々が過ぎ去った。結局、劇場公開から10ヶ月近く経過した今ようやく鑑賞。 淡々と、空気を呑み込むような、あまりに美しい映像世界。 独創的な世界観は、人によっては独善的で独りよがりに映るのかもしれない。 でも、僕にとってそれは、十代後半で初めて触れ、心の底から愛した映画世界そのものだった。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-06-30 11:30:04)《改行有》

30.  ボーン・コレクター 猟奇殺人サスペンス映画ブームの90年代に量産された凡作の一つと言わざるを得ないのが正直なところ。 雰囲気としては、新米捜査官+殺人のプロフェッショナルコンビのパートナー感は「羊たちの沈黙」のそれを、そして、主人公らの身近に潜む殺人鬼設定は「セブン」のそれを狙っているのは明らか。 ただ、この映画の到達点は、比較に出すことがはばかれるくらいに、そのどちらの名作にも遠く及んでいない。 「駄作」と評してしまっても差し支えはないけれど、個人的に「凡作」と留めたいのは、まだまだ若くてかわいいアンジェリーナ・ジョリーの瑞々しさに免じて。 同じく主演のデンゼル・ワシントンの安定した存在感もあり、脇役も含めてキャストのパフォーマンスに何とか助けられている部分は大きい。 犯罪学の天才だが寝たきりの師匠と、素人同然だが天賦の才を持った弟子とのコンビによって、事件の真相に迫っていくという構図は面白かったが、肝心の当人同士の心理描写があまりに唐突で、この二人が互いに信頼していくくだりに説得力が無さ過ぎた。 もっと長いスパンをもって、幾つかの難事件を解決していくプロセスの中で、主人公コンビが連携と信頼を深めていくという「必然性」があれば良かったのにと思う。 また、捜査に携わるその他の警察スタッフや主人公の面倒を見る介護士ら、主人公二人以外の面々のキャラクターも立っており、彼らが醸し出す“チーム感”に好感が持てただけに、この映画の素材はテレビドラマシリーズの方がハマったのではないかと思う。 真犯人が誰か?ということについても、途中ふいに差し込まれる無意味なシーンによって容易に想像がついてしまう。それが伏線となっているというわけでもなく、本当にただ無意味なシーンでしかないので、興は冷める一方だった。[インターネット(字幕)] 3点(2013-06-16 23:00:43)《改行有》

31.  ローズ・イン・タイドランド 鬼才テリー・ギリアムが新たに描き出した“超”リアルでダークな「不思議の国のアリス」。 どこまでも幻想的で空想的でありながら、決して“ファンタジー”には踏み込まないという「異様」な映画世界が、観る者をあざ笑うかのように、どもまでも広がっていく。 正直なところ、「ついていけないよ」という印象も所々で生まれるが、やはりもうここまで突っ切っちゃうと、安直には否定も肯定もできない。 良い映画とも悪い映画とも断言できず、強いて言うなら「変な映画だ」。これが精一杯。 それにしても、この映画で絶対的に“スゴイ”のは、弱冠10歳の“主演女優”ジョデル・フェルランドの「天才」ぶりである。 この果てしなくディープな映画世界において、すべてを掌握して支配している存在感と表現力は、圧倒的である。 目線の動き、発声の振動にまで「魅力」を感じさせ、引き込んでいく。 これはまた、とんでもない「宝石」が誕生したものだと思う。今後の活躍に注目である。 このいたいけな少女をこれほどまでにディープフルな世界に引き込むとは、さすがテリー・ギリアム、その精神は尋常ではない。[DVD(字幕)] 7点(2013-04-25 23:31:46)(良:1票) 《改行有》

32.  トータル・リコール(2012) 「アンダーワールド」シリーズのレン・ワイズマン監督による映像世界は流石に流麗で、アクションシーンにもメリハリがあり良かったと思う。これが、何のバックボーンもない新作SFアクション映画であれば、もう少しシンプルに好評を得ることも出来ただろう。 しかし、この映画が「トータル・リコール」のリメイクである以上、そういうわけにはいかない。 22年前にポール・バーホーベンが描き出したあの“特異”な映画世界と比較せざる得ない状況では、やはり今作に対しては「凡庸」という言葉が常に先行してしまう。 オリジナルとの大きな違いとして、今作の舞台は火星ではなく、荒廃した地球の表と裏という設定になっている。 貧富の格差をあからさまに表したこの舞台設定を結ぶ通勤電車“フォール”の存在は剛胆で良かったけれど、オリジナルの広大な世界観に比べてしまうと、どうしてもこぢんまりとした印象を覚えてしまう。 詰まるところ描かれているものは、圧政に対しての小規模な反乱に過ぎず、SF映画としての迫力に乏しかったと思う。 完全に「ブレードランナー」を意識した街並や小道具の造形は秀麗ではあったものの、バーホーベンの毒っ気溢れた世界観に比べると「フツーだな」と思ってしまう。 あの“顔面割れおばさん”を演じた女優に「二週間よ」という台詞を言わしたり、売春婦の"三連おっぱい”などバーホーベン版を彷彿とさせるオマージュ的描写が随所に挟み込まれていたことは、オリジナル作品に対してのリスペクトが感じられて好感は持てたけれど。 監督のリアルな奥方でもあるケイト・ベッキンセールが、オリジナルでシャロン・ストーンが演じた“鬼嫁”役を演じ、彼女にとっては珍しい“悪役”を楽しんでいた。 相変わらず美しいので、しつこく主人公を急襲する悪役ぶりをずっと観ていたい気もしたが、さすがに最後まで引っ張り過ぎなような気もした。おかげで敵ボスの存在感が薄れてしまっている。 だいたい、ベッキンセールの役は結局のところ職務に意欲的な公務員であり、よく考えれば決して悪党ではないというキャラ設定も中途半端だったと思う。 今思えば、オリジナル作品主演のシュワルツェネッガーは、あの馬鹿っぽさが適役だったんだなあと思い知った。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-02-06 13:50:30)(良:1票) 《改行有》

33.  アポロ18 17号を最後に計画終了となった筈のアポロ計画には、隠された「18号」の存在があったという導入から始まるフェイクドキュメンタリー。 そのイントロダクションは非常に興味深く、どのような映像世界が繰り広げられるのか、好奇心を駆り立てられた。 映像の精度はとても素晴らしかったと思う。 終始一貫、残された記録映像を繋ぎ合わせた風のフェイクドキュメンタリーの映像の完成度は高く、何故ここまで克明な記録映像が残されたのかという“理由付け”も含めて充分な説得力を備えていたと思う。 念願のアポロ計画に選抜され意気揚々と月面に向かう3人の宇宙飛行士が、目の当たりにする「真実」とは何なのか? その核心に向けて映画は適度な緊張感と不穏さを伴って、比較的テンポよく展開される。 と、いい塩梅のサスペンスフルな展開を楽しめてはいた。 が、結果的には得られた顛末に対して「満足」とはまでは遠く及ばなかったと言える。 端的に言ってしまえば、物語の核心におけるアイデアが少々ありきたり過ぎた。 アイデア自体がありきたりなので、そこから導き出される映像的な表現も、どこかで観たという印象の範囲を出ず、驚きが無かった。 フェイクドキュメンタリーという手法に固執するあまり、現実感と非現実感の狭間で縮こまってしまっているような印象を覚えた。 この手の展開であれば、どう転んでも最終的に「これが真実かもしれない」と思う人はいないだろうから、もっと思い切った展開に踏み込んでも良かったろうにと思う。 結果的に、特筆する程の娯楽性は得られず、追求したはずのリアリティ感も薄れてしまったことは残念。 ただしかし、試み自体はとても面白かったと思うし、低予算であろう製作費の中で映像的なクオリティーは極めて高かった。 終盤までの緊迫感はなかなかのものだったと感じるだけに、ただただ惜しかったという印象。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-11-05 17:37:48)《改行有》

34.  ウォッチメン 《ネタバレ》 アメリカン・コミック映画は好きである。 スーパーヒーローや悪役たちの独特の「大味」さや、良い意味での設定の大雑把さは、“クオリティー”という円周を一周して、物凄く完成された“文化”だと思う。 ただ、日本の「漫画」がそうであるように、「アメコミ」も踏み込めば踏み込むほど、“マニア趣向”になっていき、価値観は多岐に広がり、必ずしも万人受けする類いのものではなくなってくると思う。 そう、スーパーヒーローたちの「陰」を徹底的に描いた今作、その異質さは素晴らしいと言えるが、必ずしも面白くはない。 一言で言うと、あまりに「スマートでない」ということを感じた。 さらに平たく表現するならば、“スーパーヒーロー”という宿命を持った者たちの、心の闇と葛藤をベースに、ウジウジウジウジと悩み、崩れ落ちていく様を描いた映画だ。 詰まるところ、爽快感とは程遠く、3時間近い長尺が進むにつれ、観ている方もどんどん滅入ってくる。 先に言ったように、アメコミ映画の本流に反するその異質さは良いと思う。 「正義」と「平和」を体現するスーパーヒーローたちが、その本質に疑問符を持ち、迷い、堕ちる様など、崇高な哲学性をも備えるテーマ性だと思う。 ただし、その描き方があまりにクドい。 主体となるキャラクターがあやふやなので、それぞれの俳優たちに華もないので、今ひとつ感情移入ができない。 そして、ウジウジ、クドクドと引っ張った挙げ句、それほど大した結論は得られない この無情さ、邪道さが好きな人もいると思うし、ほんの少し映画の作り方が違っていれば、大好きな映画になっていたかもしれない。 ただ現実としては、オープニングだけでジューブンな映画だった。[映画館(字幕)] 2点(2012-10-08 22:53:54)《改行有》

35.  ボーン・レガシー アクション映画として“見所”は確実にある映画だとは思う。しかし、あまりに"巧くない”映画であるということも確実に言え、故に著しく面白味に欠ける映画に仕上がってしまっている。 “ボーンシリーズ”は好きだったし、主人公に抜擢されたジェレミー・レナーは昨今の再注目株だし、レイチェル・ワイズは大ファンだし、エドワード・ノートンの絡みにも期待していた。 が、終わってみると、すべてが「中途半端」という言葉に尽き、“本筋”には遠く及ばない「番外編」という印象に終始した。 敗因は色々あろうが、序盤から最も気になったのは、テンポの悪さだ。 “ボーンシリーズ”は、決してド派手なだけの描写に頼らないスピーディーでリアルなアクションシーンが魅力だったが、アクションシーンの質そのものは一定の水準を保ってはいるものの、全体的なテンポがあまりに鈍重で間延びしてしまっている。 更には、組織に追われる主人公がヒロインと共に逃避行を繰り返すという、お決まりであまりに工夫の無いストーリーテリングが、退屈さに拍車をかける。 アクションシーン自体も、他の映画で何度も観たことがあるようなシーンが繰り返されるばかりで、目新しさがまるで無かった。 そしてストーリーそのものは単純なのだろうが、作戦名等の専門用語が無駄に羅列されたり、所属がよく分からない存在感の薄い登場人物が続々と登場したり、ふいに過去の描写が挿入されたり、“ボーンシリーズ”とのリンクが無意味に強調されたりと、ストーリー構成をいたずらに難解にしているように思えた。 脚本家出身の監督なのだから、アクションシーンの多少の劣化はまだしも、ストーリーそのものがあまりに稚拙なことには、言い訳の余地はないと思うし、“ボーンシリーズ”を描き出した人だけに残念な限りだ。 もしこのまま再シリーズ化しようというのならば、再び脚本家に専念することをお勧めする。[映画館(字幕)] 4点(2012-10-06 17:03:19)(良:2票) 《改行有》

36.  バイオハザードV リトリビューション アリスの“半裸”拘束衣の復活、ジル・バレンタインの“胸チラ”コスチューム、エイダ・ウォンの“美脚”スリット……それらの要素があるだけで、このシリーズ最新作は少なくとも前作は超えていると言っていい。 敢えて大真面目に言わせてもらうが、ストーリーの整合性とかアクションのありきたり感以前に、前作に欠けていたものは、「エロさ」であった。 長い映画史においても、女性が主人公のホラー映画やアクション映画の傑作には「エロさ」が欠かせない。 このシリーズの第一作「バイオハザード」では、“脱ぎたがり”のミラ・ジョヴォヴィッチを主人公に起用したに相応しく、彼女の“半裸”で始まり“半裸”で終わるからこそ、素晴らしい娯楽映画に仕上がったと言っても過言ではない。 語弊を恐れず言わせてもらうならば、「エロさ」即ち「女性の美」は、それだけで映画の「娯楽」になり得る要素だと思う。 だから、そういう要素が部分的であれきちんと組み込まれている今作は、娯楽映画の方向性自体は間違っていないと言える。 しかし、だからと言って手放しで褒められる映画ではないことは、前々作くらいから明らかで、粗や突っ込みどころを挙げればきりがない。 整合性などは端からなくて、そういうことを気にしていると観られたものではないし、それに憤慨することが目に見えているのならば、観るべきではないだろう。 ここまできてこのシリーズの最新作を映画館まで観に行く人なんていうのは、もはや“ジャンキー”であり、面白くないことは分かっていても、映画館で観なければ気が済まなくなっているのだろう。 せめてもう少しカタルシスを感じられれば、手放しで喜べたとは思う。 あまりに工夫がなく、そもそも破綻してしまっているストーリー展開には呆れるばかりだが、そういうことは容易に予想できたにも関わらず映画館に足を運ばせ、こうなったら続編も観に行くと心に決めさせるこのシリーズの“麻薬性”は大したものだ。続編をどうせ作るんなら、来年くらいにさっさと公開してほしい。 取り敢えずは、最低限備えた「エロさ」に対して及第点。 あ、それと、復活したミシェル・ロドリゲス嬢の相変わらずの腕っ節と、あまりに珍しい女子大生演技のギャップには、もちろん萌え。[映画館(字幕)] 6点(2012-09-19 07:30:22)(笑:1票) (良:4票) 《改行有》

37.  スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団 想像以上に“可愛らしい映画”だった。 もっと単純に「オタク魂」に突っ走っただけの映画だと思っていたが、主人公のへなちょこ野郎の恋模様と、彼を取り巻く友人たちの人間模様が、とてもファニーに映し出されていて、それだけで充分に愛着を持てた。 “憧れの君”は、決して美人ではないけれど、主人公が問答無用に惹かれる魅力は醸し出されていたし、三角関係となる中国系女子高生の彼女もキュートだった。 また、主人公のルームメイトのゲイを演じたキーラン・カルキンが素晴らしく良かった。風貌から溢れる絶妙な“澱み”が抜群だった。実兄の近況も気になるところだが、今後役に恵まれれば良い性格俳優になっていくような気がする。 この映画には真っ当な美男美女は登場しないけれど、そういった一人一人のキャラクターの印象度の高さが、最大の魅力だったのかもしれない。 “売り”であるテレビゲーム感を存分に踏襲したバトルシーンは、やはり楽しい。 特に、"邪悪な元カレ”第一号のインド人の登場シーンのインパクトが良かった。 歌って踊るインド映画の世界観をしっかりと組み込み、この映画に相応しいテンションを与えていると思う。 残念なのは、そのバトルシーンが徐々に尻つぼみ気味になってしまうこと。 7人の元カレキャラはそれぞれ良い存在感を醸し出してはいるのだが、一人目のインド人キャラの“濃さ”を越えられなかった印象が残った。 ストーリー展開についても、同様のバトルシーンが羅列するだけと言えばそれだけの話なので、110分超えの尺は長過ぎたと思う。90分以内におさえて、もう少しテンポを上げれば、主軸に描かれる音楽の勢いも際立ったと思う。 難点は少なくないが、こういう本気でふざけた映画は嫌いじゃない。[DVD(字幕)] 7点(2012-05-07 23:35:24)《改行有》

38.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。 ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。 よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。 ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。 まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。 と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。[DVD(字幕)] 6点(2012-04-15 19:19:23)(良:2票) 《改行有》

39.  トイレット わりと多くの人が思い当たることかもしれないが、中学生くらいの頃、僕は結構トイレに“依存”していた。 特にお腹が痛いわけでもないのに、毎朝トイレに30分くらいこもっていた。その年頃特有の精神的なものだったろうと思う。 もちろん今はそんなことは殆どないのだが、以来、僕にとって「トイレ」という場所は、何となく精神を落ち着かせる場所になった。 この映画の中で、もたいまさこ演じる“ばーちゃん”は、トイレから出る度に深いため息をつく。 そのため息には、不安と安堵が入り交じったような何とも言えない心情が滲み出ている。 トイレで行う「排泄」という行為は、どうしても軽視されがちだけれど、僕たちが「生きている」ということの「証」を残すための行為とも言えると思う。 長く生きれば生きる程、その日常の行為から、今生きている自分自身の姿を鑑みることが出来るようになるのかもしれない。 だからこそ、“ばーちゃん”は、その度に深いため息をついているのではないかと思った。 母親を亡くしたアメリカ人の孫たちと、日本人のばーちゃんのささやかに奇妙な共同生活からは、人が人を思うほんの少しの温かささえあれば、人間はどのようにも生きていられるということをしっかりと感じることができる。 「自分らしく生きる」という簡単に言えて、決して簡単ではない生き方を、「かもめ食堂」、「めがね」の荻上監督らしい独特の世界観で見事に表現していると思う。 そして、この監督の映画に毎回登場するもたいまさこは、本当に素晴らしい。[DVD(字幕)] 7点(2011-12-08 13:12:21)《改行有》

40.  エンジェル ウォーズ 地元の映画館では、3D版の日本語吹替版しか上映していないという“暴挙”を繰り広げられたため、劇場鑑賞をやむなく諦めレンタル開始を心待ちにしていた今作。 同監督作品の「300」が個人的にかなりツボだったので、同作と同じような非現実的な映像世界をトレーラーで観た時点で期待値がMAXに上がっていた。 好き嫌いは大いに分かれるのだろうが、きっと個人的には没頭出来る映画世界を繰り広げてくれるのだろうと、期待感を保ったまま鑑賞に至ったが、結果的には大いに残念な仕上がりだった。 映像世界は確かに凄い。ひたすらにクリエイターの趣味趣向に突っ走ったビジュアルには、映像表現における“果てしなさ”を感じる。 ただし、「スゴイ」と感じる反面、それがそのままカタルシスに繋がってこない。 ただただ作り込まれたPVかゲーム映像を見ているような感覚に終始陥ってしまう。 敗因としては、ストーリーがあまりにチープすぎたことが挙げられると思う。 「300」もストーリーはあってないようなものに思えたが、それでも主人公らの「目的」ははっきりとしており、ストーリーがシンプルであることが登場人物らの意志の強さを際立たせていたのだと思う。 悪辣な精神病院に放り込まれた主人公の少女、彼女の「現実」での行動は映さずに、精神世界の葛藤のみを膨らませ破天荒なまでに展開させるストーリー設定は、とても込み入っているように見えて実のところとても程度が低い。 結果、作品の中で発せられる言葉のすべてが薄っぺらに感じられ、揺さぶられるものがまったくなかった。 どうしても酷評が先行してしまうが、好き嫌いは紙一重だったとは思う。好きな部分も沢山あるが、最終的には「思ったよりも没頭できなかった……」という印象が全てだったと思う。 子供の頃、友達の家に遊びに行って、友達らが遊んでいるテレビゲームを延々見せられたことがあった。当人たちは楽しんでいるのだろうが、僕は退屈で仕方が無かった。 なんだか、そういう古い記憶が蘇ってくる映画だった。[ブルーレイ(字幕)] 4点(2011-09-24 10:20:25)《改行有》

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