みんなのシネマレビュー |
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1. ルーカスの初恋メモリー まるでひと昔もふた昔も前の少年漫画みたいなストーリーだけど(頭はいいけどチビで家庭に問題がある男の子が、年上の少女に恋をするが、彼女はハンサムなスポーツマンの別の男の子に恋をしていて…)、実に繊細かつ優しく主人公の日常を見つめる眼差しに好感大。”弱者”に対しての想像力が欠如したものの多いアメリカの青春映画にしては、ハートを感じさせてくれる貴重な作品かな。主人公にひそかな好意を持つ内気な少女役で、あのウィノナ・ライダー(映画デビュー)がとっても可憐な存在感を放ってるのもマル。DVDを買って持っておきたい1本です。8点(2003-06-11 13:49:21)(良:2票) 2. パッチ・アダムス 《ネタバレ》 この映画を絶賛する方々の気持ちも分かるし、否定する方々の言い分も理解できる気がする(ロビン・ウィリアムス大っ嫌いだから映画も嫌いとか言うのは、論外。小生も別に大好きな役者ってワケじゃないけど、彼が嫌いゆえに作品ケナすんなら、初めから見なければいいだけの問題では?)。個人的にはそんなに悪い出来の作品じゃないとは思うのだけど、この映画、カラダの病いに対しては”寛大”だけど、ココロの病いにはとてつもなく「偏見」をあらわにしているのが、どうしても気になるというか、悲しく指せられる…。精神病患者を笑い者にしたり、鬱病の青年を「アブナイ奴」どころか殺人者(!)に仕立てたり、よしんばそれが「実話」であろうと、こんな安易さで彼らの事を描くことは、ただ世間に「心を病む者=怖い人」と煽るだけじゃないか。で、犠牲になった主人公の恋人(彼女は、どうやら幼い頃に性的虐待を受けたらしい…)が、蝶々になったというあたりの展開は、メロドラマチックだからこそ余計にあの鬱病の青年を「悪者」として印象づけると、ぼくには思えました。くり返すけれど、出来映えは悪くない。だからこそ、作り手たちの「無知」と「安易さ」が残念です。4点(2003-12-03 16:42:50)(良:3票) 3. 六月の蛇 とにかく全編に降る雨に、セピアトーンの画面そのものが溶け出していきそうな映像の質感が素晴らしい! でもって、そんな世界に少しずつ同化していくかのような黒沢あすかのヒロインと、塚本晋也演じる男、神足裕司(絶品!)の3人が、これまた素晴らしい! …ハッキリいって2003年度の日本映画では、北野武以下を押さえてダントツのベストだとぼくは思ってます。とにかくこれって「3匹のかたつむり」が殻を脱ぎ捨てて「蛇(!)」になるまでの過程を描いた、実に意味深で、寓話的で、エロティックな作品であると。…ああ、何て美しいんだ。9点(2003-09-16 14:57:46)(良:1票) 4. マネーボール 《ネタバレ》 この映画の脚本は、アーロン・ソーキンとスティーブン・ザイリアンという2人のアカデミー賞受賞者が担当している。 ・・・弱小球団アスレチックスを、「マネーボール理論」によって奇跡の“再生”を実現した若きゼネラル・マネージャー、ビリー・ビーン。その半生を描くという展開だけを見るなら、これは米国版プロジェクトXというか、典型的なサクセス・ストーリー以外の何物でもない。 だが、ソーキン脚本の『ソーシャル・ネットワーク』がそうだったように、これは、実在の人物に材を得た単なる成功譚というより、はるかに同時代的かつ思索的な「内省」へと見る者を導く、すぐれて知的な映画だといえるに違いない。と同時に、ザイリアン脚本の『シンドラーのリスト』がそうだったように、これはひとつの「歴史」を変えた人物が、“何を成し遂げたか”という伝記的な側面より、その「内面」の変化(それを、「成長」とも「成熟」とも「覚醒」とも呼んでいい)を見つめた映画でもある。 そう、『ソーシャル・ネットワーク』は、主人公が“何かを成し遂げた(=成功した)ことで失ったもの”の大きさを、まさにひとつの「悲劇」として描いたものだった。一方、この『マネーボール』のビリーは、将来を嘱望されながらメジャーの選手として大成しなかった。そんな男が、今度は弱小球団のGMとして革新的な理論で優勝をねらえるチームづくりを実現してみせる。まさに、“失ったことで、何かを成し遂げた(=成功した)”人物なのである。そして、他球団から多額の年俸で引き抜きの声がかかっても、ビリーはアスレチックスにとどまる。彼は「金額」に置き換えられるような成功よりも、もっと「かけがえのないもの」があることを学んだのだ。あのオスカー・シンドラーのように。あるいは、驚嘆すべきザイリアンの初監督作、『ボビー・フィッシャーを探して』の天才チェス少年のように。 こうして『マネーボール』は、ソーキンとザイリアンという名脚本家たちの、理想的な合作ぶりを堪能できる作品となった。もちろん、それを見事に映像化してみせたべネット・ミラー監督の手腕も、高く評価されるべきだろう。メジャーリーグという喧騒と熱気に満ちた世界を描きながら、あくまでも静謐でクールな映像のなかから登場人物たちの“体温”が確かに伝わってくるような演出ぶり。まこと、これは近年最高のアメリカ映画の1本だ。[映画館(字幕)] 10点(2014-10-29 14:25:45)(良:2票) 《改行有》 5. シェーン もう随分と前に、セルジオ・レオーネの『ウエスタン]と2本立てでリバイバル上映された時に見たのが、今思うと失敗だった…。まだガキだった自分にとって、レオーネ作品のインパクトの前ではいかなこの名作といえど、やはり霞んでしまったワケで。ただ、オジサンになって見直してみると、少年、母親、父親であり夫である農夫それぞれの視点・心情から”シェーン”というひとりの流れ者の存在を浮き彫りにする演出のきめ細やかさに、あらためて感心させられてしまう。シェーンに夢中になる少年に対し、やはり密かに「女」として心ひかれている母親が、「シェーンを好きになりすぎないでね。別れがつらくなりすぎるから…」というあたりの情感。そして、妻の気持ちを薄々感づいていながら、それを表に出さない夫の度量。それらの感情が絡まりあったダンスシーンは、さりげないけれどこの映画のハイライトのひとつでしょう。それが一転して、ガンファイトにおける強烈なリアリズムの衝撃! …ラスト、去りゆくシェーンを追うあの少年(と犬)に感情移入して、「シェーン、行っちゃいやだー!」と一緒になって叫んでしまったぼくなのでした。やっぱり、素晴らしい映画です。9点(2003-11-13 10:48:53)(良:1票) 6. 快盗ルビイ 確かこれ、『麻雀放浪記』に続く和田誠の監督2作目ですよね。劇場公開時には、やはり和田誠が監督した短編アニメがついていて、そちらの方が小生の周囲では好評だったという記憶も蘇ってきました。でも、個人的には和田誠の良い意味での「オレがいちばん好きなタイプの映画を撮るんだ!」という心意気がほど良く伝わってくる、好感度大の作品だったと思っています。何より、キョンキョンがウルトラ・キュート! 真田広之がめちゃくちゃイイ味! …この主演ふたりに絡む傍役の顔ぶれも豪華&適材適所で、キャスティングに関しては完璧なセンスを発揮している。これでもうちょっと予算をかけて撮れたなら、きっと、もっとしゃれて日本映画離れしたソフィスティケイテッド・コメディが誕生していたのになあ…惜しい。6点(2003-10-29 12:46:41)(良:1票) 7. 犬神家の一族(1976) 金田一耕助は、やっぱり石坂浩二に限るなあ。何よりあの”軽さ”がいいです。とにかくタイトルがやたらカッチョイイし、細かいカットつなぎなど、映像的にもモダニスト市川崑ならではの趣味の良さ満点。TVで見るぶんには、まあ文句ないでしょう。ただ、劇場でカネ払って見たなら、このペラペラな薄っぺらい画面が、ただおしゃれっぽく連続する中身のなさに失望させられただろうなあ。1970年代以降の市川崑カントク作品は、『細雪』を除いて(いや、あれすらも)ほとんどすべてカラッポです。”見た目”がよければいいじゃん、とおっしゃる向きにはよろしいんでしょうけど。5点(2003-11-05 14:36:45)(良:1票) 8. 村の写真集 映画の終盤近く、ダムに沈む村の人々を写真に撮り続ける父と息子が、山道で立ち止まってふもとの景色を眺める場面があった。そこには、山々に抱かれるようにして村落が広がり、いろんな生活風景が繰り広げられている。農作業に勤しむ老人、洗濯物を取り入れる主婦、学校帰りの子どもたち、自転車をこぐ女子高生、散歩する犬、…。そのひとつひとつを、画面は衒いなく、ただ丁寧に映しとる。そしてぼくという観客は、このなんでもない短い場面に途方もなく魅せられ、いつしか涙ぐんでいる…。 そう、これは、何よりも「風景」の映画だ。徳島の山深い自然の風景ばかりでなく、たとえば人間の日々の生活や営みをも「風景」としてとらえ、見つめるまなざしによって創られた映画。父と子、家族の葛藤と和解を主題としながら、それすらも「風景」のなかの点景として描く映画なのだ。しかも、決して高みから見下ろすような(ある種“傲慢”な)「神の視点」なんかじゃなく。 そんな、「人間」をも「風景」のように見つめること。日が昇り日が沈み、風が吹き木立を揺らすようにして“時間(とき)”が過ぎるごとく、人は生き、やがて死んでいくことを、ひとつの「風景」としてスクリーンに映し出そうとすること。…その時、この映画は、大げさじゃなくひとつの<コスモス(=宇宙・調和・摂理)>をフィルムのなかに創造し得たのじゃないか…と、ぼくは思う。 繰り返すが、それは決して「運命」だとか「死生観」だとかといっただいそれたものじゃない。それは、慎ましい人生の哀歓を、「物語る」のではなくそっと「見つめる」ことで成立していたかつての日本映画のように、ささやかだけれど美しい「風景」それ自体なのだ。 …かつて本作の三原監督が、『風の王国』で福岡アジア映画祭でグランプリを受賞した時、その作品を強く推したのが台湾の候孝賢だったという。彼もまた、「人間」を「風景」のように見出し、映し出す監督に他ならない。そう、『村の写真集』は、たとえるなら候監督の『恋恋風塵』のように美しい映画なのである。 拍手![試写会(字幕)] 10点(2005-05-17 21:21:53)(良:2票) 《改行有》 9. お家をさがそう 《ネタバレ》 保険の仲介とイラストの仕事で、何とかしのいでいるらしい主人公のカップル。そんな彼らに、子供ができた。赤ん坊を産むための「理想的な生活の場所」を見つけるため、ふたりはアメリカ各地に暮らす知人や友人たちを訪ねる旅に出る・・・。 『アメリカン・ビューティー』以来、現代アメリカの家庭像とその崩壊するさまを、どこまでもシニカルに描いてきたサム・メンデス監督。人間の卑小さゆえの「悲劇」を突き放しつつ見つめ、むしろ“滑稽”なものとして浮き彫りにする。そこにあるのは、そういった「悲劇」すらも、笑えない「喜劇」にしかなり得ないという、苦い認識だろう。我々はそういう時代を生きているのだ、と。それこそが彼の作品の一貫したモチーフなのだった。 しかし、この映画では何かが決定的に異なっている。これまでは物語や人物に対して超越的な“観察者”としての立場をとってきたサム・メンデスの映画だが、ここでは、あきらかに主人公のカップルの視点に同調[シンクロ]しているのである。彼らの眼を通じて、現代アメリカの様々な家庭像を見つめようとするのだ。 そしてこの主人公たちは、純粋にお互いのことを愛している。その“まっすぐさ”において、彼らはほとんど「天使的存在」だといって良いだろう。そんな彼らがアメリカ大陸横断の旅で出会うのは、様々なトラブルや問題を抱えた家庭の光景だ。しかし、これまでなら家庭の崩壊劇のそれこそ見本市(!)となっていただろう展開を、この主人公カップルの存在が救済する。彼らがその光景に怒り・とまどい・呆れ・胸を痛めながら、そういったひとつひとつの反応や心の機微の“まっとうさ”が、これまでのサム・メンデス作品になかった「ぬくもり」を、この映画にもたらすことになった。 結局、自分たちにとって「理想の場所」とは最も身近なところにあった…という結末は、いささか安易かつ「保守的」なメンタリティにすぎるという気がしないでもない。けれど主人公のカップル、とりわけ男の方の、彼女のことはもちろん出会う人々のことを不器用ながら本当に思いやれるその“いいひと”ぶりに、ぼくは心から感動した。彼こそはフランク・キャプラ作品のジェームズ・スチュワートに連なる、アメリカ映画の“いいひと”路線の正統なる後継者だろう。 正直あまり好きになれずにいたサム・メンデス監督だが、この映画だけは、心から乾杯![映画館(字幕)] 8点(2011-04-22 10:48:22)(良:1票) 《改行有》 10. ボビー・フィッシャーを探して 《ネタバレ》 驚き。これって相当な傑作じゃないですか! ”もう1人のボビー・フィッシャー”である心優しい天才チェス少年とその周囲の人々を、描き込むんじゃなく、その日常の一瞬一瞬をスケッチしていくような展開が、まるで美しい「詩」を読むよう。それでいて、少年の心の機微が、ヴィヴィッドに伝わってくる。ステーブン・ザイリアンって、『シンドラーのリスト』とかの脚本家だった人だよね。ぜひまた監督作品を手掛けてほしい、そう思わずにはいられない映像感覚の持ち主だ。少なくとも、今のスピルバーグなんてめじゃないよ。 《追記》最近見直す機会があったんで、あらためて思ったことを書き加えておきたい。先に“美しい「詩」を読むよう”と書いたけれど、それはこの映画が、主人公の少年の日常風景と心象風景というふたつの“風景”を、ただ丁寧に切り取っていくことから産まれたものだ。公園の木漏れ日、雨にぬれる感触、夏の日射しや秋の肌寒さ、チェス会場の空気感、何よりもチェスの駒の音…。そういった感覚的なディテールを、まるで今まで見たことも感じたこともなかったもののような新鮮さとともに見つめていく。そしてぼくたち観客も、同じくこのありふれた日常のひとコマひとコマを、つまりはこの「世界」そのものを再発見していくことの感動に満たされるのだ。こういう体験は、滅多にできるもんじゃない。ましてやアメリカ映画で、「少年の成長」だの「家族愛」だのといった〈物語〉のパターンに回収されることのない作品が創られたことが、ぼくにはうれしいことだった。…今は日本で拘束中(2004.9.2現在)だという現実のボビー・フィッシャーも、この映画を見たんだろうか。そして、どう感じたことだろう。 《追々記》最近、よくこの映画を再見しています。クライマックスの決勝戦で、勝利ではなく、むしろ「引き分け」を望む主人公の少年。それを“偽善”や“勝者の傲慢”ととる向きがあるかもしれない。けれど、その「相手を思いやること」を知っている少年の姿(しかも彼が、“勝者を義務づけられた国”の少年であることを思い起こそう)は、ぼくという観客に何か〈救い〉めいた感動を与えてくれるものです。だから感謝を込めて、9→10ということで。本当に「美しい」映画です。[映画館(字幕)] 10点(2003-09-25 14:49:56)(良:1票) 《改行有》 11. 驚異の透明人間 《ネタバレ》 上映時間は、たった60分たらず。まるでテレビの『トワイライト・ゾーン』あたりの1エピソードじゃないか…と思わされたりもする、すべてにチープな典型的B級SFスリラーには違いない。けれど、おそらく最低の予算をしか与えられなかっただろうこの映画には、その一方で実に“豊かな”としか形容し得ない充実感が随所にみなぎっている。たとえば、冒頭で主人公が刑務所を脱獄するくだり。最低限のセット(壁、監視塔の見張り台部分のみ!)を宵闇でカバーし、サーチライトによる光と闇のコントラストだけで見事に「刑務所」をシンボリックに表現してみせるあたりの鮮やかさはどうだ! そしてこの、金庫破りのプロである主人公が透明人間にされるのだけれど、その実験室の扉は、いかにも「放射性物質」を扱っているのだとわかるよう、分厚い鉛製になっている。そんな細部ひとつで、画面にリアリティがうまれることを、この映画の作り手は熟知している。さらにもうひとつ、主人公が実験室の別の部屋に行こうとして、計画の首謀者の軍人に「その部屋には入るな!」と制止される。それだけで、何の変哲もないはずの閉ざされたドアが、「この向こうには何が…」というサスペンスを醸し出すんである! ラストは、ほとんどロバート・アルドリッチの怪作『キッスで殺せ』を想わせる“核爆発(!)”により、ジ・エンド。いや、その爆発の後に、人間の透明化を実現した共産圏からの亡命科学者が科学と核の暴走の脅威を(カメラ目線で!)説くのだった。いずれにしろ、どこまでも荒唐無稽かつ安っぽいSFジャンクでありながら、ディテールの充実によって画面に驚くほどの「説得力」をもたらしている。…それは、カネがなくても、映画は作り手の創意によってかくも輝くことを、あらためてぼくたちに教えてくれる(…一方で、エド・ウッドは逆にその徹底した「創意のなさ」ぶりが、不思議な“愛嬌”を産むのだけど)。何でも、本作の監督自身が戦前のドイツからの亡命者なんだとか。ドイツ表現主義と呼ばれる“光と影”、さらには大胆に省略されたセットという技法が、低予算の映画づくりにこそ有効であることを実証してみせたその数々のB級映画は、もはやカルト化しているという。その真価は、この、必ずしも代表作とは言われていない作品にあってすらはっきりとうかがえる。…エドガー・G・ウルマーという名前は、あなどれません。9点(2004-05-18 13:24:53)(良:1票) 12. タイムライン この原作を一読した時、監督のリチャード・ドナーは、当初これを「時空を超えた愛」の物語として映画化したかったのだと思う。その痕跡は、随所にうかがえる。特に、本来は主人公であるはずのポ-ル・ウォ-カ-を差し置いて、最も目立っているのはその友人役ジェラルド・バトラーであり、彼と、14世紀の女性との“ロマンス”の方が、メインプロットであるはずの「主人公の父親を過去から救出する」という展開以上に印象的だってあたり。しかし、映画はそのことにより決定的な弱点を抱え込むことになった。結局それにより、どっちつかずの曖昧な印象を与えることになってしまったという…。たぶん、あくまで「SF大作」にしなければならないという有象無象の“プレッシャー”が、監督であるドナーを迷わせることになったんだろうか。本来この監督は、『レディホーク』に見られるごとくハリウッド屈指の「ロマンチスト」なんだ。『スーパーマン』だって、あのスーパーマンとロイス・レーンの“夜空のデート”場面の美しさを思い出してほしい。そんな彼が、もし、マイケル・クライトンの原作や、昨今のSFアクション的ノリなんぞに惑わされず、自分の撮りたいようにこの作品を撮っていたら…本作は、実に実に感動的な映画になったことだろう。くり返す、その痕跡は至るところに見出せるのだ。だからこそ、本当に残念です…。7点(2004-01-08 13:08:47)(良:3票) 13. パーマネント・レコード …おそらく10代の頃にこの映画を見たなら、もっと素直に感動できたんだろうなあ。親からも、学校からも、友人たちからも期待され続けた青年が自殺する。その死が、周囲に与えた衝撃と動揺を描いた群像劇としてある本作。若い頃なら、死んだ青年の「苦悩」や「純粋さ」(…歳の離れた幼い弟に対してだけ、素直に心を開くあたりの描写は、どこかサリンジャーの小説の主人公たちを想わせる。特に、最後にやはり自殺する「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモア・グラースに)に“共感”し、あるいは、彼のことを結局何も分かってやれなかったことに激しく後悔する親友(演じるのは、若きキアヌ・リーブス。ナイーブでナーバスな心の揺れを見事に演じてみせる)の「苦悩」や「純粋さ」に“感動”できただろう。が、今のぼくには、「自殺とは、どれほど無責任で身勝手な愚考であることか」という、まったく逆の〈メッセージ〉こそをこの映画から受けとめてしまう。…そのひとつの死が、どれだけ周りの人間たちを蝕み、心を“殺してしまう”か。決して映画がめざそうとした方向とは正反対の、「ある残酷さ」を読み取ってしまうのだ。もっとも、そういう「両義性」を持ちえたことが、この作品を、単なる感傷的な凡百の青春映画を越えたものにしたことは間違いない。そのひとつの死を、彼や彼女たちはいかに乗り越えたか、そんな「喪の仕事」にきちんと心をくばった本作の作り手たち(というか、この程度の脚本からかくも“深い”視点を観客に読み取らせた監督)の誠実さを、ぼくは称えたい。後にデヴィッド・リンチ作品で開花することになる、アメリカ地方都市の光と陰の部分を繊細にすくいとった撮影監督フレデリック・エルムスの映像も、ジョー・ストラマー(!)のしみ入るような旋律も、作品に贅沢なプラスアルファを与えている。そして…これはあくまで個人的にだけど、わが愛しのジェニファー・ルービンがかくも初々しく画面を彩り、あまつさえクライマックスをまかされている、このことだけでもぼくには忘れ難い映画なのであります。思えば、もはや“B級”映画でやたら脱ぎまくる「ジャンク女優(トホホ)」程度にも知られていない彼女の映画をレビューしたくて、ぼくはこのサイトに書かせていただくようになったのだった。…それだけでも、「8」点を献上する価値ありでしょ(笑)8点(2004-05-14 20:43:26)(良:1票) 14. 愛と青春の旅だち 「軍隊しか俺の居場所はないんだあーっ!」という男と、「何が何でも士官候補生とくっついて、洗濯女から這い上がってやるわっ!」という女。…”ブルーカラー”の本音を、ここまであからさまにした「ラブストーリー」もなかったのでは? 『アメリカン・ジゴロ』など、この頃のリチャード・ギアはファンクな土くささがあって良かったなあ。全体的に暑苦しい映画だねえと、若かりし当時はバカにしていたけど、今はちょっと評価が上がったかな。7点(2003-10-07 12:21:46)(笑:1票) 15. スターゲイト う~ん、確かに語り口の古臭さは認めるけど、逆にそれが魅力だってことないですか? CGだらけでスラッシュメタル風(?)めまぐるしいカット割りのジェットコースターみたいな映像ばかり見せられると、もうこんな愚直なまでにオーソドックスなテンポにゃ、退屈しか感じないんでせうか…。子供を亡くしたカート・ラッセルの軍人が、異世界の子供たちと心通わすあたりの展開は、定石ならではの良さがあったな。嫌味なヤッピー専門(?)役者ジェームズ・スペイダーをトッポい“善人”にしてみせたあのキャラも、ほんと好ましかったな。クライマックスの砂漠での戦闘シーンで、『アラビアのロレンス』など往年のスペクタクル映画への愛着を感じさせるエキストラの数もうれしかったな。…「トンデモ映画」の“迷”匠扱いされようと、俺だけは愛してるぜ、エメリッヒ!10点(2003-05-26 15:40:22)(良:1票) 16. ディープ・インパクト(1998) この手のアメリカ映画にしちゃ、「情(ソフト)」と「骨子(ハード)」のバランスが実に適確で、ミミ・レダー監督ってやはりこれからの時代のストーリーテラーなんだと感心(『ペイ・フォワード』だって、そんなに悪くなかったと思うもの)。ドラマの何たるかも、SFの何たるかも分かっちゃいない某『アルマゲ何とか』と比較にもならないよい映画です。すい星を爆破に向かうシャトル内のエピソードがいささか類型的だけど、こういう泣かされ方も悪い気分じゃないし。あと個人的には、大津波を前にティア・レオーニがマクシミリアン・シェルに最後「ダディ…」としがみつく場面。何と言うか、忘れ難いものがありました。8点(2003-08-12 16:48:37)(良:1票) 17. フォー・ウェディング モラルうんぬんというより、現代人の一面を皮肉と愛を込めてスケッチしたカリアチュアとして、出色の作品じゃないでしょうか。この映画に出てくる登場人物のきっと誰かに、「ああ、こういう奴っているいる!」と思いあたるフシがあるのでは。そういうぼくたちの”隣人”たる群像劇が、これまたちょっぴりの皮肉と愛を込めて描かれるあたり、イギリス映画の良さだなあ。4つのウエディング以上に、1つのフューネラルの方が心に残る構成も、実に巧いです。 9点(2003-05-31 12:00:50)(良:1票) 18. 最高の恋人 今やすっかり文芸大作路線の「巨匠」になっちゃったアンソニー・ミンゲラ監督にも、こんないい味出してる小品を撮ってた時期があったんだなあ…(しみじみ)。愛すべきダメ男のマット・ディロンも、いつもながらべっぴんさんのアナベラ・シオラも、よくぞこんな助演で出たなあと感心させられるウイリアム・ハートも、みんないい。下町情緒の醸し方も、実に魅力的だし。う~ん、チャーミングな映画であります。8点(2003-07-23 18:05:33)(良:1票) 19. ローマの休日 これはもう誰かがご指摘なさっておられるかとも思うのですが、デビュー間もない頃のオードリー・ヘプバーンって、相手役がグレゴリー・ペックであり、ハンフリー・ボガートであり、フレッド・アステアやゲイリー・クーパーであり…と、父親みたいな「おじさま」ばかりですよねえ。たぶん、彼女にはそういった”エレクトラ・コンプレックス(簡単に言うと、ファザコンです)”を感じさせる部分があって、それが特に日本の女性ファンの親近感を呼んだのでは。そして、そんなオードリーを見つめる素敵な「おじさま」男優たちの背後には、彼女をまさに父親的な慈愛で見守る「おじさま」の監督たちがいて…。実際、本作のウィリアム・ワイラー監督にしろ、ビリー・ワイルダーやスタンリー・ドーネンにしろ、誰もが理想のパパ然として、優しく、上品で、包容力のある演出力を、これ以上なく発揮している。この『ローマの休日』が歴史に残る作品たり得たのは、そうした”オードリー(娘)と「おじさま」監督&男優(父親)の理想的な関係”を完璧なまでに確立してみせたという点においてでしょう。一体誰が、この映画のオードリーを性の対象(!)として見るもんですか。男の観客はみんな彼女のことを、いつしか「父親」として見ている自分に気づく。よね、ご同輩?10点(2003-12-15 12:59:34)(良:1票) 20. シーズ・ソー・ラヴリー 他のレビューワーさんたちもご指摘の通り、日本人の感覚じゃとてもついていけない主人公たちの独善的な「愛のかたち」を、これぞ純愛!と高らかに謳いあげるあたりは、まあガマンしよう。ショーン・ペンと実生活でも奥さんのロビン・ライト・ペン以下、役者もいい。けれど、完全にナルシスティックなニック・カサベテスの演出の暑苦しさだけは、ちょっとガマンできない。この御仁、偉大なオヤジにあった”対象に密着しつつも失われないその人物への批評的意識”をまるっきり理解していないようにみえる。残念だけど、ペケ。4点(2003-08-25 18:03:32)(良:1票) |
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