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プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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21.  アウトブレイク 《ネタバレ》 他の感染症映画を先に見て、この映画も見ずには済まない気分になって見た。むかし最初に見た時点では、とにかく出血熱が恐ろしいことは知っていたが、この映画では恐ろしいところはほどほどにして、きっちり娯楽映画に仕上げていたので呆れた記憶がある。 それでもこの映画で初めて覚えたのがUSAMRIIDとかCDC、Biosafety levelというものの存在だった。今回見ると、序盤でレベル1から順番に奥へ進んでいき、4まで行ったところでカメラが止められたように見えるのが少し面白い。また、拡大が始まったばかりでいきなりアメリカの西端から東端まで飛んだのは怖いことで、どれだけ田舎に住んでいても、飛行機が毎日飛んでいるからには油断できないと思わせるものがある。 ほか初見時に非常に印象的だったのが、映画館での感染拡大を映像化していたことである。見た人のほとんどがこれを憶えているのではと思うが、その割に2020年の現時点で、映画館はそれほど危ない場所とは思われていないらしい。これに関しては、集団感染の3条件である①換気の悪い密閉空間、②多くの人が密集、③近距離での会話や発声ということから考えると、劇中では大口開けて笑う人物がいたのが③に該当するのでまずかったが、みんな黙って静かに映画を見る日本は事情が違うということかも知れない(客席での飲食はどうか不明)。ちなみにうちの地元の映画館は、客がいないので②の条件も満たしていない。 そのほか娯楽映画らしく笑わせるところが結構多く、個人的には中盤の「7月に寝た」という台詞が、修羅場でもジョークの言える冷静さの表現のようで好きだ。しかし終盤に入ると大活劇の展開に合わせてコメディ色まで出していたようで、操縦士が便所に行っていてshitなどというしょうもないギャグを入れていたのはやりすぎだ(笑った)。あまり観客を笑わせると映画館が危なくなる。 なお社会的なメッセージ性ということでは、ウイルスは危なすぎて生物兵器には使えないとのアピールにはなっていたかも知れないが、今でも開発しているところはあるに違いない。また登場人物に関して、小さい子のいる若いお母さんが2人とも清楚系かつカワイイ系の美女で、個人的に心惹かれるところがあって余計に心配させられた。こういう人なりご家庭なりを犠牲にしてはならないというメッセージは個人的に強く感じた。 ちなみに撮影地はカリフォルニア州のFerndaleという町らしい。現在の様子はストリートビューで見られる。[インターネット(字幕)] 6点(2020-03-23 20:30:57)《改行有》

22.  アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 《ネタバレ》 フィンランド独立100周年記念プログラムの一環とのことである。原作は有名な長編小説で、海外版は132分に短縮されているがオリジナルは180分あるらしい。似た例でいえば「ウィンター・ウォー」(1989)の短縮版のようなもので、そのためか意図不明のところが結構ある。 簡単に書くと、第二次世界大戦中の「冬戦争」(1939.11-1940.3)に続き、フィンランドがソビエト連邦との間で戦った「継続戦争」(1941.6-1944.9)に従軍した人々の物語である。最初は激しい戦闘だったがその後は塹壕に籠る状態が続き(ときどき帰宅)、最後の撤退でまた苦しい戦いを強いられる。風景はひたすら森と岩、川や湖、ときどき雪だが映像的には美しく感じられる。ちなみに大笑いさせられる場面が一か所あった。 [以下長文] よく知らないが継続戦争に関しては、大義という面で少し無理があったのではという気がしている。表向きは名前のとおり冬戦争の続きで、ソ連に奪われた土地を取り戻すためのものだったはずだが、しかし問題は台詞にもあったように、「旧国境」を越えてソ連に逆侵略をしかけた形になっていることである。それで「盗賊」なる言葉も出ていたわけだが、公式説明では一応「相手側の領土に戦争をもちこむとか、戦略的見地とか、講和をする時に取引材料に使おう」という意図だったとされている(※)。 しかしドイツの勢いに乗じて、あわよくば同系民族を統合した「大フィンランド」を実現したいとする目論見がなかったともいえず、そのことが、地図で娘が遊んでいた場面に出ていたと解される。また、もともとロシアの都市だったペトロザヴォーツクをアーニスリンナ Äänislinna(字幕ではアニスリナ)と改名したのはソ連のやり口をやり返していたわけだが、恒久的な領有を意図してのことならいかにも調子に乗った風に見える。 さらに戦争が長引くと、徴集兵と士官の意識の違いも問題になっていた。終盤でもう撤退にかかっているのに、将校が玉砕だと言わんばかりの理不尽な命令をして“きさまらそれでもフィンランド人か!”(意訳)と怒鳴っていたのは戦後日本人のイメージする日本軍そのままなので笑ったが、ここはもう国民意識の鼓舞だけでは兵を動かせなくなっていたと取れる。 国の上層部には大それた野望があり(?)、また軍人の意識も一般兵とかけ離れたところにあったが、主人公(に見える男)に関しては、ソ連に奪われた自分の土地を取り戻したいという思いがあるだけだった。しかし結果的にそれもかなわず、ただ人々が死んでいったことへの失望と憤懣が表現されていたように見える。 ※「フィンランド小史」日本語版(1994年第2版)より。駐日フィンランド大使館に無料でいただいたもの(ありがとうございました)。 ただし軍事的に見れば、撤退時には後衛の役目が大事だろうから一斉に逃げればいいわけでもなく、劇中の将校が特に阿呆だったとは限らない。また国同士の駆引きでも、あくまで抗戦の構えを見せてこそ相手と交渉できる立場が確保されることになる。ラストでは「第二次世界大戦で負けた国でフィンランドだけが他国に占領されなかった」(字幕)と書いていたが、これは戦争末期に死んだ人々の犠牲が決して無駄でなかったという意味らしく、結局最後は穏当にまとめた形で終わっていた。 それまでさんざんこの戦争を批判的に描写していながら、現実認識に縛られたのか国民感情への配慮か原作との関係か、最後だけ批判精神を封印した印象だったのは正直困惑させられたが(この監督は左派系ではないのか?)、しかしここは日本人の単純な観念論では割り切れない、フィンランドなりの現実的判断があるのだと思われる。少なくとも最後まで、ソ連に奪われた土地を取り戻そうとすること自体には否定的でなかった。それがあってこその継続戦争である。 ちなみに最後の水中全裸は主人公の望郷の思いの表現かと思った。 そのほか、同じ監督の「4月の涙」で印象的だった既存楽曲の使用は今回少し控え目だったかも知れないが、国民的作曲家シベリウスに関していえば、序盤では軍隊向けの勇ましい行進曲op.91a、ヒトラー来訪の場面では「歴史的情景」(組曲第1番op.25の第3曲、ただしニュース映像の背景音楽)が聞かれた。 以上は事態の展開に沿った形だが、しかし戦争が終わって死者と生者が帰った場面で、あえて交響詩「フィンランディア」(中間部のメロディを民衆音楽風にアレンジしたもの)を流していたのは、この曲で象徴されていた国民の、戦いの末の悲しい姿を表現したということか。あるいは歴史的にいえば、19世紀末以来の国民意識高揚の時代がここで終わりを迎えたというように取るべきかも知れない。何にせよこれが最後に物悲しい印象を残す映画だった。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-01-17 23:16:42)(良:1票) 《改行有》

23.  青の帰り道 《ネタバレ》 「新聞記者」(2019)の監督だそうだが、ところどころで世相を映すのが煩わしい。政権交代で何かが変わると期待したが実際うまくはいかず、その後に震災もあったが政権が変わると原発再稼働の動きが生じて怒りを感じ、もう最悪なところまで来たと思ったら実はそうでもなく、2018年の保守政権下ではかえって現実的で前向きな気分になっている、とでも思えばいいか。そういう変な読み取りを強いられるくらいなら不要である。 それとは別の話として、2016年8月に女優の高畑淳子の息子が前橋市のビジネスホテルで問題を起こして逮捕されたのはこの映画の撮影時だったそうで、これで制作が中断してしまったが、翌年に代役を立てて撮り直したとのことである。 内容としては高校卒業から10年間の群像劇のようなものになっている。7人それぞれの人物像と物語が作り込まれており、原案段階での「生きる道はひとつじゃなかった(おかもとまり)」は表現されている。 ただし常識人から見た場合の細かい突っ込みどころは結構多い。特にこの映画では“友情”や“故郷”にも重点を置いていたようだが、人生の多様さを表現するための性質がまるで違う人物を、全て同じ高校の仲良しグループにしたことで非常に不自然な状態になっている。見る側の年代のせいで直接共感できずに難点の方に目が行ってしまうところはあるわけだが、しかし関係者が執念で完成させるにふさわしい、中身の詰まった映画には見える。エンディングテーマも少し染みた。 ちなみにネタバレ的に余計なことを書くと、ラストで不明瞭だったことについて、主人公は遺された歌に励まされて改めて音楽の道を目指し、半グレ男はライブハウスを用意する、という方向性だったと思っていいか。それで実際どうなるかはこれからの話ということらしい。 出演者に関しては、特に主人公の友人役の清水くるみという人が非常に感じのいい女優だと思いながら見ていた。またその母親役の工藤夕貴は、最近はこういう感じになっているのかと少し意外だった(時々かわいい)。この母親が夜の前橋中央通り商店街で語ったことは、それ以上に解説するまでもない単純明快な真実に思われる。 また「風切羽~かざきりば~」(2013)を見たことのある立場としては、戸塚純貴と秋月三佳さんが夫婦役になっていたのは嬉しい。戸塚純貴は代役とのことだが、むしろ初めから戸塚純貴でよかったのではないか。また秋月三佳さんが息子に小言を言っていた最後の場面は少し泣かされた。この夫婦の存在は尊い。[インターネット(邦画)] 7点(2019-11-03 15:28:03)《改行有》

24.  紅い襷 ~富岡製糸場物語~ 《ネタバレ》 2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場を紹介する映画で、主人公の和田英という人物が後に書いた「富岡物語」をもとにして映画向けの物語を作っている。また特に前半では現代の映像(フランスで取材など)も含めた解説部分を入れており、映画としての純度は低いと見られるかも知れないが、逆に世界遺産のPRビデオにしてはかなり豪華な作りである。最近話題の渋沢栄一も登場しており、年長の役者の重厚な演技も見られる。 映画の頃の富岡製糸場は指導者(伝習工女)の養成学校のようなものらしく、主人公とその同僚は信州松代(真田家十万石の城下、現在の長野市松代町)の士族の娘である。ちなみに「女工哀史」とは違う時代の話なので同列に語らない方が無難である。 製糸場の建設は早くも明治3年に決定されたそうで、維新後の近代化がいかに急速だったか思い知らされる。似た例でいえば「坂の上の雲」で、明治日本が坂を駆け上がる高揚感があって少し感動的だった。「お国のために」という言葉を登場人物がわりと無造作に使っていたが、これは家での働きしか求められて来なかった女性が、公のために直接貢献できるようになった喜びの表現と受け取れる。出身地で対抗などせず皆で一緒に日本を盛り立てようというエピソードもあり、そのような近代社会の先駆けとして、この製糸場を印象づけるのが映画の意図だったと解される。 ほかに、身分によらず平等に能力を発揮する社会の表現として農家出身の工女も出していたが、ただその人物に物語の陰の部分を背負わせたことで、かえって身分差を際立たせているように見えたのは残念だった。ほか病気で帰郷した人もいたが、原作によればその後は「耶蘇の伝道師」になったそうである。 なお絹の関係では、世界遺産の富岡だけでなく日本遺産として認定された地方もあり、またシルク産業自体も国内で存続しているので全く過去の話でもない。点数は地方応援の意味で少しいい方にしておく。 ちなみに主演の水島優という人は、それほど美女という感じでもないが個性的で愛嬌のある顔だちで、この映画では10歳近く年下の役をしているが、特に最初の箱入り娘の場面などはちゃんと可憐に可愛らしく見せている。音大の声楽科を出たとのことで、その技能が「お歌」を披露する場面で生かされたかというとそうでもなかったが、それよりエンディングテーマを歌っていたのがこの人だったようで、さすがきれいな歌声だった。[DVD(邦画)] 6点(2019-11-03 15:28:00)《改行有》

25.  I am 日本人 《ネタバレ》 企画・製作・原案・脚本・出演・主題歌の森田健作氏が、2005年に千葉県知事選挙に落選してから2009年に当選するまでの間に制作された映画で、劇中商店街は千葉県市川市にあることになっている。ただし実際の撮影地は東京都葛飾区の京成押上線四ツ木駅周辺らしい。 森田健作演じる八百屋の見合い相手が酒井法子とはどういう年齢設定かと思うが、同じ葛飾区の寅さん・さくらからの連想でいえば本人が40代、妹が30前後といった感じか。妹役の小野真弓という人(個人的に好きだ)は当時20代前半だったろうが、この設定のせいで今回は極めて地味系女子になっている。また登場人物の言葉として、商店街が「日本の宝」とまで言っていたのも寅さんの世界が念頭にあってのことかも知れない。ちなみに市川ということでは「野菊の墓」の雰囲気もあるかとは思った。 テーマに関していえば、製作者の言いたいのは八百屋が言った「日本が大好きだ」「日本人に生まれて本当によかった」だと想像される。また題名の意味についてはアメリカ人が言ったように、国籍はともかく「日本が好き」なら日本人ということで(若干意味不明だが)日本が好き、というのが両者の共通点になっている。 うちアメリカ人が日本を好きになった理由は「和」の心を知ったことだったようで、この映画としても「和」を最大の長所と捉えていると思われる。ただし日本人の立場としては、「和」とか「大和魂」があるから日本が好きなどという理屈を言う必要はないはずで、要は生まれ育った土地(市や町や村・国・地球)や人々への素朴な愛着があれば十分である(愛に理由は必要ない)。この映画としてはそれをまず地元商店街への愛という形で語り、その拡大版としてワールドカップを引き合いに出したと思えばいいか。 ほかにも話題が盛りだくさんのようで、見る側として物申したくなるところがかなり多いが、それが文字通り“考えさせる映画”を意図しているとすれば、なかなか巧妙に作ってあるということかも知れない。 以上で終わりにするかと思ったが書かずにいられない気がしたので一つ書くと、政治に対する不満を国全体の否定に結びつける人物がいたが(劇中では国旗を嫌悪、近年では「日本死ね」)、しかし政府=日本ではないのであって、一人ひとりの日本人が日本という国の一部だという意識がない限り、日本を侮辱されて怒るという感覚もわからないことになる。そういうことをあえてわかろうとしない国民がいる日本を、自分としては丸ごと好きだとは全くいえない。[DVD(邦画)] 5点(2019-09-22 19:32:32)《改行有》

26.  アイズ(2015) 《ネタバレ》 鈴木光司の短編集「アイズ」のうち「しるし」を映画化したものである。ちなみに映画化されていないエピソードのうち6つはTVドラマ「鈴木光司・リアルホラー」として、2015年3月にBSフジで放送されている。 原作を読んで比較すると、もとの構成要素を使いながらかなり膨らませて深みも出しており、最終的には原作のイメージとかなり違ったものになっている(貞子も出る)。また同じ短編集の「夜光虫」というエピソードを思わせるところもあった。 内容としては、まずは原題のもとになった「マーキング」が気味悪い。最初のF(とM)は本物だったかも知れないが、あとは何だったのか正直わからない(幻視もあったか)。意味についてさまざまな解釈が出る一方、実際に関係ありそうな出来事も起きていたようだが決定的なものはなく、単に登場人物の心理を反映して後付けしていただけのようでもある。 主人公は母親似とのことなので、劇中の情報サイトの記事に出ていた症状名がオチなのかと思ったが、これで幻覚とか被害妄想まで説明がつくのかわからない。基本的に全てが主人公の目から見た主観的な映像とすれば事実関係が不明瞭なのは仕方ないが、少なくとも同級生の男と精神科医の判断は外部の客観的な視点からのものである。また今回、主人公が記憶の底から引っ張り出した情景もいわば原資料として信用するとすれば(一部に混乱があったが)一応の全体像は見えなくもない。 それにしても困るのが父親で、娘に長々と語っていた内容は、順を追った説明のようでいてどうも納得できないことが多い。例えば株で大当たりした理由を同級生の男は一応推測していたが、父親の話では超自然的なお告げのせいにしていたのと、また胎児が誰の子だったかも結局わからないで終わってしまった。ほか主人公が思い出したところによれば、どうもかなり重大な隠し事をしていたらしいのが信頼感を損ねる。 最後に帰宅した父親を、主人公がどう迎えようとするのか自分としてはわからなかったが、題名にこじつけて考えれば、これまでのように都合のいい妄想を自分の目に映そうとするのか、あるいは真相を自分の目で直視するのかが問われているということか。わかりにくいところは多いが真面目に見なければと思わされる映画で、予算に関わらないところでかなりの力作に思われる。 個別事項としては、死んだ友人宅を訪ねた場面でのいたたまれなさが心に残った。またFAT男の性格の歪み具合がいかにもな感じで、もう一人の男が人格者なのがかえって際立っている。終盤で、弟が姉を呼び続けて姉が泣き続ける場面は何ともいえず圧巻風の印象だった。 なお主演はアイドルとのことだが(伊藤万理華/まりっか、当時は乃木坂46)、この映画で見る限り悪くない(鼻水も垂れていた)。また自分が見たところでは精神科医が無駄にかわいく見えたが、無駄なようでいて無駄でない意味が何か隠されていると考えるべきか。ちなみに演者が秋山依里(もと秋山奈々)という人だということまでは調べた。[DVD(邦画)] 7点(2019-04-06 09:59:37)(良:1票) 《改行有》

27.  アトラクション 制圧 《ネタバレ》 ロシアに宇宙人が来た、という映画である。 最初に大気圏外から来た宇宙船をロシア軍の戦闘機(Su-27?)がいきなり撃墜し、宇宙船はモスクワ南部の住宅地に墜落したが、そこでいろいろあってからまた飛び立って空に消えていく展開になる。終盤ではパワードスーツのアクションもあって派手な映像はそこそこあるが、それは最初と最後だけで、中間部のほとんどは主人公周辺の人間ドラマになっている。 なお原題のПритяжениеは英語のattractionそのままの意味、あるいはgravityのことらしい。よくわからないが例えば、接触を禁じられていたにもかかわらず、地上にあった何か(永遠の生命よりも大切なもの)に引っぱられて落ちて来たということかも知れない。 ドラマ部分は、主人公が厳格な父親に反発して不良の彼氏と付き合っていたが、そこへ星の王子様が現れて彼女の心を奪っていったという話である。あるいは社会的な見方をすると、権力側にいる父親と、反抗的な彼氏がそれぞれロシア国内の社会階層を代表していて、主人公がそれとは全く違う第三のあり方を見出したというように取れる。 ロシアの立場では、首都上空に侵入する飛行物体は問答無用で撃墜して当然のようで気の荒い国だが、国民の方も、現に政府が救援活動をしているのにやたら食ってかかる連中がいて、さらにそういう不満分子を煽動する者もいたりして革命でも起こすのかという雰囲気があり、これではロシア国家が抑圧体質になるのも仕方ないのではと思わせる。また「祖国」という言葉が出ていたあたりは、立場に関わりなく国粋主義に煽られがちな国民性を示したようでもあり、それがまた排外主義を助長したりもするということか。 「墜落したのがほかの国ならよかったのに」という台詞もあったが、宇宙人を前にしてもこの有様では、いつまで経ってもロシア人など“地球人”にはなれそうもない。しかし今回の件で少なくとも主人公の心は確実に変わったとのことで、そういう微細な変化の蓄積がいずれ社会を変えていくはずだと期待する映画なのかも知れない。悪役の男が最後まで死ななかったのは、こういう連中をただ排除すれば済むのではなく、一緒に生きていこうとするのが現実社会という意味だと解釈した。 ちなみに見ている側としても、どうしても劇中人物が地球人というよりまずはロシア人だと思ってしまうところはあった。例えば、復讐したい気持ちがあっても戦争を起こすのは駄目だ、と登場人物がいえば、粗暴で残虐なロシア軍が攻めて来て何をされても泣き寝入りしろということか、と皮肉を言いたくなる。また「地球はわれわれのものだ」などと言われると、ロシア人は地球を征服する気でもあるのかと疑ってしまう。本当なら恐ろしいことだ(おそロシア)が中国人には負けそうだ。[インターネット(吹替)] 6点(2019-03-30 09:59:11)(良:2票) 《改行有》

28.  青夏 きみに恋した30日 《ネタバレ》 少女マンガ原作映画だが、このポスターデザインでは写る方も見る方も恥ずかしくなる。 夏休みの話なので青空と雲・緑の山・渓流・海・ヒマワリといったそれらしい映像が満載で、主な撮影場所は山村とリアス式海岸が近接する三重県度会郡から志摩にかけてだったらしい。「ハートの入江」(度会郡南伊勢町)に近い山頂で主人公を捉えたカメラが引いて、後に隠れていた友人や周辺の山河が視野に入って来るところは映像的な見所だったかも知れない。 物語としては、序盤からいきなり感情問題で角を立てるので気分が引いてしまう。田舎の純朴な少年にしてもまるで本物のガキのようなのは呆れたが、よくある完全無欠のイケメンよりはリアリティがあるといえなくもない。少し感心したのは期間限定なのでキスしないという真面目な態度で、これはこの男の純朴さがいい方向に出たということか。2週間程度のラブラブ期間中もそれほどベタつかず、ラストで決着がついて初めてキスを一回だけというのがいわゆる爽やかな青春ラブストーリーの雰囲気を出している。 また最初に「運命」という言葉が出ていながら自分で未来を作る方に重点があり、特に主人公が自分だけでなく、相手の男まで引っ張って2人の未来を作ってしまう展開はなかなかいい。こうなるともう運命という言葉自体が意味を失う気もするが、そもそも若い連中にとっての運命など不確定な未来に対する不安の表れでしかないところを、この物語では未来への意思を固める補強材として使ったということかも知れない。 若手女優に引かれてまたしょうもない少女マンガを見てしまったかと思っていたら、けっこう正統派の青春物語だったようで悪くなかった。 キャストについては、葵わかなさんはさすがに少し大人っぽいが16歳の印象も出しており、制服姿は可愛らしいがすっきり整った顔の美しさが見えるところもある。またライバル役の古畑星夏さんは、最近見たのは制服女子高生ばかりだったが今回は本来の年齢に近い役で、くっきりめのメイクが大人っぽく、夏ということもあって露出の多い服装だった(胸とか脚とか)のが刺激的で新鮮に見えた。ちなみに古畑星夏さんのお母さんがこの映画を見て、あんたいつも可哀想ね、と語っていたというネット上の記事には笑った。[インターネット(邦画)] 6点(2019-02-02 09:29:44)《改行有》

29.  青鬼 《ネタバレ》 ゲームはやったことがない。小説版も読んでいない。ちなみにAKBの人も知らない。 時間が短いこともあってそれほど損した気はしないが得した気もしない。CGの造形物が単なる変な生き物のようで安っぽく、コミカルな顔や動きはゲーム風なのかも知れないが、映画ならもっと圧倒的に不気味なものが迫るところを見せてもらいたかった。また緊迫しているはずの場面で人物の動きが鈍いとか長々と話し込んだりするのも気が抜ける。 ストーリー的にもよくわからなかったが、実際にああいうわけのわからないことが起きて悲惨な結果になったものの、主人公が事態打開の条件をクリアしたことで、河川敷の場面まで時間が戻ったということではないか。つまり基本的にハッピーエンドだが、死んでよかったと思った男も死んでいなかったことになるのは困る。次回もあるようだがもう見ない(見る動機がない)。 なお主人公の同級生役で出ている古畑星夏さんは当時17歳くらいのはずで、まだ顔に高校生っぽい可愛らしさがある。映画出演は「1/11 じゅういちぶんのいち」(2014)に続く2作目で、女優としてのキャリアはあまりなかった時期かと思うが(本来はモデルだと思うが)、この映画の主演との対比では演技派に見える。この人と須賀健太の組み合わせなら少しまともに見えただろうが、アイドルホラーとしてはそうもいかないということか。[インターネット(邦画)] 3点(2018-12-25 22:36:22)《改行有》

30.  At the terrace テラスにて 《ネタバレ》 舞台劇の映画化で、話の内容もキャストも舞台と同じとのことである。ほかにムササビが出るが、これは仕込みではなく単にその場にいただけのことらしい(飛ばなかった)。 紹介文には「富裕層の生態」とあるが、生まれながらの富裕層がいたとすればK大生くらいのもので、専務夫人などこの家に入る前はどこにいたのかわかったものではなく、ほかはたまたま仕事がらみで来たその辺の人間が表面だけ取り繕っている状況に見える。専務夫人を除き、深入りしない限りは普通に付き合える人間ばかりである。 当然ながら笑いを期待して見たが身をよじるほど可笑しいものでもなく、何となくニヤニヤしながら時々失笑(少し爆笑)するくらいのものだったが、話自体はすでに作り込まれた感じで退屈することはない。とりあえず石橋けいさんの谷間と平岩紙さんの腕(とか脚とか全体像)は見ておく必要がある。 その他の登場人物では病弱な男が物悲しい印象を残していた。この男だけ身内もおらず職業もわからず正体不明の人物に終わったが、ラストの破局を見届けたようで見ていたわけでもなく、一人だけ煩わしい世界から自由になったようでもある。それでもやはり寂しかったと取るべきか。[インターネット(邦画)] 6点(2018-10-13 16:54:43)《改行有》

31.  A.I. love you アイラヴユー 《ネタバレ》 吉本興業とフジテレビが共同制作した映画で、フジテレビ所属の演出家が監督を担当し、吉本芸人も役者として出演している。全編スマホで撮影したとのことで、それが観客にとってどういう利点があるかはわからないが、映像的に人工知能の視野をスマホのディスプレイ形状(横向き)で表現する意味はあると思われる。 人工知能の恋といえば近年では2013年製作のアメリカ映画の例があるようだが、それより低予算なりにコンパクトでわかりやすいファンタジーができており、物語としてもそれほど無理なく目標達成する形でまとめてある。劇中の若手シェフは本来テイクオフまでの加速装置でしかないはずなので、主人公がパリに行くのが正しいわけでもなく、そこを引き留める役目までを果たした人工知能はさすがの出来である。ただラストは少し不満で、口調が似ているまではいいとして一緒に食べようなどという申し出は不要だった。 この映画の見所といえば、個人的には何といっても主人公の人物像である。最初から表情や行動がユーモラスで、主演女優のファンとしては森川さんかわいい!!!とか言いたくなる気持ちに可笑しみが作用して終始ニヤついた顔で見ていたが、そのニヤついた状態をベースにして、場面によってはさらに泣けるとか嬉しくなるとか複合的な感情になっていくのが心地いい。会話の中でかなりの間が空いたりするがそれ自体を楽しむ作りになっており、特に終盤では視点を固定したまま一人芝居のようなことを延々と1カットで(12分56秒とのこと)続けていたが、その間も見る側としては息を詰めるようにして主人公の表情に見入っている状態だった。主演女優はもともと普通の少女も壊れた少女もカワイイ系の性悪女子も変人少女も真面目少女も姫君でも京娘でも26歳居酒屋勤務でも何でもありの役者だが、この映画でのこういう役はこの人ならではという気がする。 また珍しく男キャラへの共感度が高い映画になっており、別に斎藤工になり切っていたわけでもないが、人工知能の視野を通じて観客も主人公と対面している気分になって嬉しくなる。人工知能ほど頭が切れるなら、こういう女子を全力でサポートしてから見返りもなく消えるという、そういう一生もいいかも知れないという気になった。正直この人工知能がうらやましい。最期のいわゆる走馬灯も切ない。[DVD(邦画)] 7点(2017-12-31 19:26:04)《改行有》

32.  非・バランス 《ネタバレ》 まずは題名の意味がよくわからないので落ち着かないが、外見からすれば中年オカマと少女の組み合わせが不釣り合いということか。また少女が長身で大人びた顔のわりに年齢に似合ったガキっぽさも出しているのがアンバランスともいえる。 ところで“人生のブレイクスルー”について考えた場合、少女の級友が過激な行動によって一発で実現していた(いきなりで驚いた)のは効率的ではあるが、しかし万人向けとしてはもう少し穏健なやり方が望まれるところである。 まず、無理に保っていた平衡状態をぶち壊すのは効果的である。少女の場合は突然出会った異質な人物が、独りよがりな「戦略」をなし崩しにしたのが突破口になったらしい。一方で中年オカマは深刻さのレベルが全く違っていたわけだが、それでも少女がまっすぐで無遠慮な好意をぶつけたことでプライドが根底から崩れてしまい、それでかえって次の道が開けた気になったようである。 また人間関係の取り方に関していえば、調和を優先して自分が引くとか迎合していればいいのでなく、あえて自分を出して衝突するのが問題の打開につながることもある。終盤で少女が仇敵に喧嘩を売ったのは痛快だったが、同時にその仇敵の方も、無道なことをすれば手ひどい反撃を受けると思い知ったことで別の教育的効果が生じたとも考えられる。 映画のラストでは、以上のブレイクスルー後の新しい安定状態が示されていたようで、ここでは新しい友人に自分のことを伝えたい、という少女の思いが、ほのぼのした音楽とともに素直に心に入って来る。そのように他者と心を通じ合うきっかけとして、まずは助けを求めてみてはどうか、というのがこの映画の提案だったようだが、しかし中学生はともかく大人の立場としては体面もあるのでそう簡単にはいかない。いい歳をした大人が、全てが崩壊した後になって初めて少女に泣きついていたのは情けない有様だったが、それだけに同じ大人としても切ないものがあった。 なおこの映画では舞台を特定の地方都市に設定しており、自分が昔ここに住んでいた頃に、オカマに迫られて脱がされそうになったことを思い出す(劇中の文化横丁ではない)。映像に何度か出る霊屋橋(おたまやばし)の周辺は緑が多く、角度によっては山中の渓谷のようにも見えるが、これでも市街中心部に隣接した旧城下町の一角である。[DVD(邦画)] 7点(2017-12-27 19:58:48)《改行有》

33.  アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ 《ネタバレ》 冒頭でEurimages(ユーリマージュ、「欧州評議会」の文化支援基金)とスロバキア共和国文化省・チェコ共和国文化省の名前がクレジットされる。物語の主な舞台であるチェイテ城は現在のスロバキアにあるので、スロバキアにとってはご当地映画的な扱いなのかも知れないが、主人公を含めた登場人物の多くはハンガリー人であるから郷土の偉人のような位置づけではないと思われる。チェコは何の義理があったのかわからない。 主人公のバートリ・エルジェーベト(1560~1614)は題名のとおり「血の伯爵夫人」と呼ばれており、今日では残虐な常習的殺人者として知られている。しかしこの映画はその固定観念をひっくり返すことを目的としていたようで、これまで主人公の悪業とされてきたことを取り上げて、誤解だとか曲解だとかそれなりの事情があったとかいう形で丁寧に言い訳している印象だった。まあ高位の貴族なので臣下や領民の全員を人道的に扱っていたわけでもないだろうが、少なくとも大量殺人をする人物ではないものとして表現されている。 物語としては、残虐行為抜きだと普通にヨーロッパ貴族の没落の話になるのでそれほどの面白味はなく、また時間が長い割にダイジェスト感があったりもして娯楽性が弱い気がする。加えて珍妙な発明をする人物がいたりするのは意味不明で、必然性のないものを無理に入れ込んだようで目障りだった。しかし個人的には最初のところで本物のチェイテ城を映した後に、時代を遡って過去の全体像が復元されていく映像を出していたのは好きだ。こういうのを見ると観光誘客の効果はあるかも知れないとは思う。また死体が運ばれて行った後に黒ネコがニャンと言いながら全速力で道を横切った、というような芸の細かさはある。 ところでこの主人公は流血を伴う残虐行為で知られたせいで、後世の吸血鬼カーミラ(1872年の小説「カーミラ」より)のモデルということになっている。主人公に痣があったのは史実というよりカーミラのほくろに似せたものと思われる。 同様に近代の吸血鬼イメージの元になったとされる人物としては、現在のルーマニアにいたワラキア公ヴラド3世(1431~1476)が吸血鬼ドラキュラ(1897年の小説「ドラキュラ」より)のモデルとして知られている。この人物も残虐行為が多かったとされており、実際に串刺し刑を多用したからこそ「串刺し公」と呼ばれたわけだが、それにしても対立勢力によるネガティブキャンペーンのせいで、殊更に極悪なイメージが後世に伝えられたという説もある。現在のルーマニアでは、オスマン帝国の侵攻に果敢に抵抗した英雄として肯定的評価がなされるようになっていると思うが、これに倣って?この映画でも、悪名高い「血の伯爵夫人」の名誉回復を試みる意図があったのかも知れない。 ただ残虐行為がなかったことにしてしまうと単に陰謀で破滅した未亡人ということになり、この人物に注目する理由自体がなくなってしまう気がするわけだが、しかしそういうこととは別に、事実を尊重する気のない集団が悪意をもって情報操作した場合に、それが歴史として定着してしまうことの恐ろしさを訴えたとすれば、日本人にとっても現代的な意義のある映画といえる。[DVD(字幕)] 5点(2017-12-14 23:25:52)《改行有》

34.  愛MY~タカラモノと話せるようになった女の子の話 《ネタバレ》 吉本興業とテレビ東京が共同制作した映画で、NMB48所属だった門脇佳奈子・上西恵の2人がダブル主演しているほか、声の出演で吉本芸人が多数参加している。監督はテレビ東京のディレクターが担当しており、ちなみに主な撮影期間は4日間だったようである。 内容としては著しくスケールの小さい映画であって、学園もののような体裁でありながら女子寮の場面が中心で教室とか教員とかは映らない。テーマに関しても、いかにも微視的かつ女子っぽい人間関係の取り方が問題にされていて、成人の目からは微笑ましくも見える。主人公が大事にしているモノがしゃべり出す、というファンタジー要素は、単に本人の内心の葛藤を外部化しただけではないかと思ったが、とりあえず隠していたものを全部表に出すことから物語を動かす趣旨だったかも知れない。 当方としてはおおむね緩い気分で見ていたわけだが、しかし終盤の和解の場面はさすがに少し心を動かされるところがあった。また全体構成としても、最初が街頭インタビュー(少し怖い)で始まり、最後にまた同様のインタビューで締める趣向は悪くない。エンドロール後に出た全体のオチもかなりいい感じで、制作上の各種制約はあったにしても、けっこう愛すべき小品ができているように思わされた。 ちなみにキャストについて、他の映画では美少女のようでいながら悲惨な目に遭わされたり、美少女のようでいながら微妙にあか抜けなく見えたりしていた吉田まどかという人が、今回は普通にまともな美少女役だったのはよかった(少し性悪)。[DVD(邦画)] 5点(2017-10-17 19:28:19)《改行有》

35.  ある戦争 《ネタバレ》 アカデミー賞外国語映画賞の2015年(88回)ノミネート作品とのことで、日本でいえば「たそがれ清兵衛」(2002)と同格だが、個人的感覚ではこれの方が上である。出演者インタビューによれば、この映画の監督は「演技ではなく状況に反応する」ことを求めるのだそうで、「シージャック」(2012)に続いてドキュメンタリー調に見えるのもそれと関係あるかと思われる。また問題提起はするが答えを与えない監督(脚本家)とのことで、この映画も文字通りの“考えさせる”映画になっている。 内容としてはアフガニスタンで治安維持活動に従事するデンマーク軍部隊の隊長が、民間人の殺害容疑で裁判にかけられる話である。監督によれば、デンマークでは実際にそういうことが現地指揮官の心配事になっているらしい。 まず劇中では誰も明言していなかったが、爆撃の結果として攻撃が止んだのならその場に過激派がいたこと自体は明らかであり、誤って民間人だけを死なせたというわけではない。恐らく爆発物のエピソードのように民間人を盾にしていたと想像されるが、そういう状況で、いざというときに自国民(軍人)と外国人のどちらを優先するかの問題だったと思われる。劇中の検事(法務官)は、人類社会の正義を代表しているようでいて実は単なる手続論の話しかしておらず、存在確認さえすれば殺人ではないと言っていたのも同然である。また弁護人の立場は台詞に出ていた通りであって、どちらの主張にも絶対的な正当性は感じられない。判決がどうなるかは出演者にも知らされていなかったとのことで、自分としてはけっこう驚く結末だったが、判事が諸事情を勘案の上で妥当な結論を出したということなら尊重する必要がある。 ちなみに日本では、最後は国家が悪い軍隊が悪い戦争は嫌だと言えば済むことになっているが、デンマークほどの民主国家なら軍の派遣を決定したのは疑いなく国民自身の判断ということになるだろうから、そういう逃げ場はないことになる。国全体として劇中の妻/母のような立場を取るなら派遣などやめるという選択もありうるが、基本的には国際貢献としてあえて汚れ仕事を引き受けているという考え方だろうし、これに関してもデンマーク国民の判断を尊重するしかない。ただ、自分の国に関してそういう判断をするのは一国民としても確かに難しい。とりあえず南スーダンからはみな無事に帰って来られそうで幸いである。 なお、主人公に対する副隊長の批判的発言は自分としても非常に耳が痛いことで、これで主人公が自分に似たタイプの人間であることが知れてしまった。副隊長はそつなく賢い男だろうが主人公も悪い奴ではなく、一度は事実を認めようとしたことからも個人的には共感度の高い人物像だった。そもそも女性通訳にこの男の弱点を衝かせるような筋立ては卑怯だ。[DVD(字幕)] 8点(2017-05-21 16:39:45)《改行有》

36.  明烏 あけがらす 《ネタバレ》 落語の「明烏」を一応予習してから見たが、その割に序盤の展開が「芝浜」のようだと思っていたら落ちがまるきりそのままだった。これのどこが「明烏」かと思うが、中盤で真面目ホストが借金取りを篭絡しようとするあたりは「明烏」の一部を真似ていたようである。題名の方は要はホスト=カラスということだったらしい。 笑える話かどうかに関していえば、これまで自分が見たものでは「女子ーズ」(2014)と同程度である。つまり笑うところがなくもない、というくらいのものだが、ただし自分としては田中邦衛にはどうしようもなく笑ってしまった。いろいろあっても最後は全部が丸く収まるのが心地いい作りで、まあ見てよかったという気にはさせられる。 ほかキャストに関しては、主役を含めて男はどうでもいいとして、吉岡里帆という女優は注目する気がなくても否応なしに思い切り印象に残る。知らない人かと思ったら「幕が上がる」(2015)に2年生役で出ていたようで、見直してみると見事に存在感がなく、こんな人がよくも大勢の中に紛れていたものだと逆に感心した。「明烏」とは直接関係ないが、演劇を目指す人にエールを送る「幕が上がる」とのつながりで、自分としても陰ながらこの女優を応援したくなった。[DVD(邦画)] 6点(2016-12-30 16:38:33)(良:1票) 《改行有》

37.  アナザヘヴン 《ネタバレ》 原作は読んでいない。TV版もあったようだが映画とは別物だそうである。 話の中身を簡単にいうと、人の心には善悪が並存していて、そのうち悪の部分だけを煮詰めた敵に善の部分が勝ったというようなことらしい。題名の説明らしきものも出ていたが、何にせよ普通の成人の目からすればごく普通の話で特に新たな発見はない。 また全般的に理屈はわかるが感情が伴わない場面が目立ち、特に女医を追い出した後の主人公の感傷などは唐突で、もっと事前の仕込みをしておかなければ共感も何もない。また終盤の「誘ってくれてありがとう」というのはかなり切ない台詞だったはずだが、言われて初めて当該場面に遡ってそういう意味だったのかと考えるようなもので、何かと後付けで納得を迫られる感じだった。そのように物語の構成要素が不足する一方、犯罪マニアの存在などこの映画に必要だったのか不明であり、映画化の際に整理できないまま半端になったような印象もある。 そのほか腹立たしいのは男どもが粗暴なことで、こういう頭の悪い連中は早く死ねばいいだろうと思いながら最後まで死ななかったのは後味が悪かった。善悪が分化する以前のケモノのようなのが人の良心を語るというのは片腹痛い。 そういうことで特に褒められない映画だが、しかし自分にとっては女優の存在が欠点を補っている面があり、特に主人公に拒絶された後の松雪さんの表情などは見ていて切ない。 また個人的には市川実和子という女優が結構好きで、この人の演じる天真爛漫な馴れ馴れしさとか精一杯の健気さなどを見ていると、映画自体の説明不足も何も関係なく全部わかったからもう文句いいませんと言いたくなる。「勝手に運命とか思い込んじゃった」というような台詞も愛しく思われて、かえって主人公の男が馬鹿なのに怒りを感じる。そのことからも、やはり男は全員死んでしまえばすっきり終わっただろうという気がした。それでは続編ができないので困るのだろうが。[DVD(邦画)] 4点(2016-10-18 19:41:26)《改行有》

38.  愛を語れば変態ですか 《ネタバレ》 コメディということになっているようだが特に笑うところはない。舞台劇のような映画は他にも見たことがあるのでそれ自体はいいとして、この映画に関してはことごとく噛み合わせを外したような展開が非常に苛立たしく、観客に対して答えを迫るような態度も煩わしい。執拗な相対化によって既成秩序をなし崩しに崩壊させていたのは常識に内在する価値を再認識させる意図なのか、あるいは崩壊自体を喜ぶ愉快犯のようなものか。 世界の不幸を放っておいて自分らだけが幸せになっていいのか、というのは、真面目に取れば一つの問いかけかも知れないが、一般論として自分の幸せを犠牲にしてまで不特定多数の他人を幸せにしようなどと考える人間はいない。幸せになれる人間をまず確実に幸せにした上で、その他の部分に対しては「愛は地球を救う」程度にしておくのが現実的であって、既存の枠組みを破壊してしまっては世界が崩壊して終わりである。 最後は完全に羽目を外したパニックホラーになっており、それまで市中に潜伏していたバケモノが正体を露わにして周囲の人間を襲い、被害が郊外から大都市へと拡大していく見通しを示していた。しかし被害者がまた被害者を生むゾンビパターンではなく発生源は一人のため、橋の向こうで鎮圧されて終わりになるのは目に見えている。こういうドタバタのようなものをどこまで真面目に見ればいいのかわからないが、とりあえず堅実に生きようとしている人間には馴染めない世界のようだった。 ちなみにこれを見た動機は題名のインパクト及び黒川芽以である。自分としては黒川芽以が出ていれば何でも見るわけではないが、黒川芽衣が主演だったからこそ見る気になった面もあり、今回は見てあまり得した感じではなかったが、引き続き黒川芽衣には期待していきたい。[DVD(邦画)] 3点(2016-10-13 19:52:57)《改行有》

39.  あしたになれば。 《ネタバレ》 大阪府羽曳野市・藤井寺市・太子町が共同で誘致した映画らしい。羽曳野市のブドウ畑は同じ監督の「あしたは きっと…」(2000)にも出るので、名前からしても姉妹編ということだろう。現地事情はよく知らないが、少なくとも外部の人間にとっては『河内』というと一定の先入観があるわけで、その場所であえてこういう映画というのは既成イメージの一新を図るということか。それにしても大阪が舞台となれば、定番の暴力沙汰など出さなければ済まないところがあるらしい(たこ焼きも必須)。 また高校生がコンテストに挑戦するのは「乙女のレシピ」(2012)に続いてのことだが、監督本人が料理に関心があるとのことで、「しあわせのかおり」(2008)ではより本格的に料理を扱う映画を作っていた。 内容としては青春映画とグルメ映画を兼ねた感じになっており、うち青春物語の方はあまりに清純すぎて時代錯誤的ともいえるが、別に時代に迎合する必要もないわけなのでこれはこれで大変結構である。「時をかける少女」(2006)を思わせる主題歌も何となく嬉しい。一方で、青春物語に分量を取られた?ことと、劇中のコンテストがファストフード寄りだったこともあって料理映画としての印象は薄くなっているが、ただスイーツが出て来るので、お菓子づくりが好きな中高生などにもアピールできる内容になっていたかも知れない。 ちなみに地元の素材がどれだけ使われているかを見ると、最初に油かすが出て来てワインとブドウが続き、またイチジクも現地では名産扱いのようである。お好み焼き屋のおかみ(演・鴨鈴女)が「ひいたどうみょうじこ」と言っていたのは???だったが、これは「挽いた道明寺粉」のことで、要は伝統的な米粉の一種らしい。それなりに地元に向き合った映画という印象だが、ほかにイノシシは農業被害対策として捕獲したものをジビエ利用する想定だったかと想像する。 ちなみに南河内総合病院スタッフの作品に関しては、「乳がん早期発見の啓発」とかいう目的があったのならはっきり示してもらえばよかったと思う。 ところでヒロイン役は他の映画で、フトンの中で失踪した後にカラオケ店に出現して妹を殺す役をやっていたのを見たことがあるが、この映画ではひたすら可憐な少女役で、特に主人公宅を訪ねた場面は超絶可愛らしい。そのほか芸達者な子役(杉本湖凛)やその母親などの日常会話の可笑しさも、この映画の大きな魅力になっている。[DVD(邦画)] 6点(2016-08-21 21:10:12)《改行有》

40.  あさひるばん 《ネタバレ》 「釣りバカ日誌」の原作者が監督したとのことで、ハマちゃん役の役者が渓流釣りに行く場面があったりする。また監督が宮崎県出身のため同県内が舞台になっており、県当局の全面的支援があったとのことだがそれほど露骨なPRもなく(細かく見るといろいろ出ていたようだが)、なかなか感じのいいところに見えた。娘の結婚相手が獣医だったのも畜産県らしくていい。 内容としては普通にほのぼの人情コメディになっている。いきなり脱獄はやりすぎだとかヒロインの娘の態度が不可解だとかヒロインの病状がどうなのか結局わからないというような問題もあったが個人的にはまあ許容範囲で、基本的に安心して見られる娯楽映画である。 ただしドラマとしては非常に割り切れない話になっており、これはやはり少し上の年代向けかも知れない。 “名を捨てて実を取る”というが、この映画の場合はどちらが名でどちらが実かわからない。表向きは3人組がパパ扱いでも実の父親はほかにおり、またこの父親が指輪の送り主という事実は動かせないが、現実にみんなと喜びを分かち合うことができるのは3人組の方である。また勝ち負けの問題でいえば、部活も恋も社会的地位でもはるか昔に負けが確定していて永遠に挽回できないが、しかし考えてみれば3人組はマドンナの娘やその結婚相手にまで名前が知れ渡っていたりして、関係者の間での存在感は絶大らしい。気持ちの問題としては最終的な勝者ともいえるが、ただ常に3人組が一からげの扱いなのが情けなくもある。 これは見ていて切なくなるが、しがない一般民としてはどうせこの3人組に感情移入するしかないわけで、とにかく何らかの意味で“実を取る”ため「もう一回戦」に挑んでいくしかないということか。それを死ぬまで続けるとなると厳しいものもあるが、まあこの監督が70過ぎて監督デビューというのも参考にしながら、ここはひとつ貴重なご意見として承っておきたい。 ちなみに登場人物の年齢設定にはかなり無理がある。関係者が揃って48歳とはとても思えず(劇中でも言い訳していたが)、またマドンナの娘も30近い年齢になるはずだがどう見ても20代前半である。まあこのあたりは笑って済ませるところだろうが、30年前のマドンナ役だけは劇中年齢とほぼ同年なので見ていて安心する。[DVD(邦画)] 7点(2016-05-09 21:05:07)《改行有》

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