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プロフィール
コメント数 615
性別 男性
自己紹介  洋画は字幕版も吹き替え版も両方観た上で感想を書くようにしています。
 ネタバレが多い為、未見映画の情報集めには役立てないかも知れませんが……
 自分と好みが合う人がいたら、点数などを基準に映画選びの参考にしてもらえたら嬉しいです。

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1
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1.  キューティ・バニー 《ネタバレ》  「元々は地味なタイプの子だった」「児童養護施設の出身である」という主人公の過去が、物語の進行をスムーズにしている点が上手いですね。  それによって、華やかなグラビアモデルだった彼女が、地味な「ゼータ」の子達に肩入れするのも、介護の仕事をしているオリバーに惹かれていくのも、自然に感じられるという形。  主人公の影響を受け「ゼータ」の子達が美しく着飾ってみせた場面では(……いや、元の方が可愛いじゃん)とノリ切れずにいたのですが、それがキッチリ伏線になっていた辺りにも感心。  周りにチヤホヤされる事によって増長し、彼女達も「見た目で他人を判断するような、嫌な女」になってしまうという、非常に皮肉の効いた展開になっているんですよね。  そこから改心し「元のままの、ありのままの自分の方が良い」と気が付いていく流れはとても心地良くて、ここが本作の白眉であったように思えます。  着地の仕方に関しても「綺麗になる事なんて意味は無い」とまで極端な結論には至らず「着飾るのは、それなりで良い。自分を見失わないまま綺麗になるのが大事」という辺りに留めているのが、これまた絶妙なバランス。  「変わる前の自分」と「変わった後の自分」の、良いとこ取りをしちゃおうという感じで、彼女達が下した答えに、自然と賛同する事が出来ました。  とはいえ「招待状を盗まれた」という件に関しては(今からでも事情を説明して呼び込めば良いのに、何で悔しがって見てるだけなの?)とツッコんじゃうし、ゼータ存続を決定付ける「三十人目」の存在については、もっと伏線が欲しいと思っちゃうしで、脚本の粗も色々と見つかってしまうのは、非常に残念。  特に後者の「三十人目」については致命的で、映画のオチに相当する部分にしては、インパクトが弱かった気がしますね。  これなら、観客に先読みされるのを覚悟の上で彼女の出番を増やし「本当はゼータに入りたいのに、周りの目を気にしてミューに所属している」などの描写を挟んでおいた方が良かったんじゃないかと。  後は……マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」を上手に歌えず、皆に馬鹿にされる場面が中盤にある訳だから、エンディング曲も「ライク・ア・ヴァージン」にして、今度は上手に歌ってみせるという展開にしても良かったかも知れませんね。  全体的には好きな作風ですし、楽しめたのですが「ここ、もっとこうしても良いんじゃない?」と口を挟みたくなる部分が、一杯ある。  魅力的だけど隙も多い、もっともっと綺麗になる可能性を秘めた女の子のような、そんな映画でありました。[DVD(吹替)] 6点(2018-04-13 18:12:12)(良:2票) 《改行有》

2.  ギャング・オブ・ニューヨーク 《ネタバレ》  序盤の乱闘シーンにて、白い雪が赤い血で染まっていく凄惨な演出は、流石スコセッシといった感じ。  少年院を出所する際に渡された聖書を、主人公が川に投げ捨てる場面なんかも、鮮烈な印象を与えてくれましたね。  これは傑作ではないか……と大いに期待が高まったのですが、その後は何だか尻すぼみ。  思うに、この映画の主軸は「主人公アムステルダムとビルの疑似親子めいた関係」のはずなのですが、その描き方が少し単調というか、シンプル過ぎるのですよね。  例えば、映画の中盤にて、主人公の父親である神父を殺したビルが「アイツは凄い奴だった」という調子で、神父を褒め称えるシークエンスがあるのですが、正直言って観客は、そんな事とっくに分かっているんです。  それは主人公も同様で、この告白を聞いても決定的なショックを受けたりしていない。  序盤の殺害シーンの時点でビルは神父に敬意を表しているのが明らかになっている訳だから、全く意外性が感じられないのです。  ベタな考えかも知れませんが、こういう話の場合は「親の仇と思って心底から憎んでいた相手が、実は良い奴だったと分かり、苦悩する」「ビルが神父に敬意を払っていたのだと知って、衝撃を受ける」という展開にした方が良かったんじゃないかなぁ、と。  本作の場合は「ビルは悪党ではあるが、一貫して憎み切れない魅力的な人物として描かれている」「最初から最後まで神父に敬意を払っているので、ビルには親の仇としての存在感が弱い」という形になっているのですよね。  主人公が最も動揺するのは「好きになった女の子がビルのお手付きだった」と知った時な訳ですが、これすらも「ビルは、その女の子に強い執着を抱いていない」と直ぐに判明する為、三角関係にすらなっていない。  咄嗟にビルの命を救った後に「ちくしょう、何で俺はあんな奴を助けてしまったんだ……」って感じに主人公が苛立つシーンさえも、観ているこちらとしては(いや、この関係性なら助けても全然おかしくないじゃん)とツッコんでしまう。  「親子」「宗教対立」「古い都市と新しい都市の対比」などといった様々なイメージが両者に投影されている事は分かるのですが、そんな代物を取り払って考えてみるに、根本的に二人が戦う理由が弱過ぎたように思えます。  だからこそ、最後の決戦も互いの想いをぶつけ合うような直接対決には成り得ない訳で、史実であった暴動や軍隊による鎮圧を絡めて、有耶無耶にしてしまったのではないでしょうか。  大砲の着弾の後に二人が倒れている姿なんて、ギャグにしか見えなかったりしますし「盛り上げて、盛り上げて、最後に肩透かし」という、一種の笑いを狙った構成なのでは……とさえ思ってしまったくらいです。  そんな本作で光るのは、やはりビル役のダニエル・デイ=ルイスの熱演。  ナイフ投げのシーンでは、惚れ惚れするような恰好良さを見せてくれましたし、一つの街を牛耳るギャングの親玉として、充分な説得力を備えていましたね。  「ビルが魅力的過ぎて、良い奴過ぎて、敵役や悪役として成立していない」と自分が感じてしまったのも、ひとえに彼の存在が強過ぎたせいかと。  戦いが終わった後に、無数の死体を見下ろして政治家が吐く「たくさんの票を失った」という台詞も、彼らにとって人命は「数字」でしかないと思い知らせてくれる効果があり、印象深い。  最後には、何だかんだで愛する彼女と一緒になってハッピーエンドという着地点な辺りも、安心感があって良かったです。  作り手としては色々考えて、力も注いで完成させた品である事は分かりますし、画面作り等のクオリティは高いと思うのですが「面白かった」とは言い切れない……勿体無い映画でありました。[DVD(字幕)] 5点(2017-01-20 06:58:44)《改行有》

3.  気球クラブ、その後 《ネタバレ》  青春の「その後」といっても、続きではなく終りの話であった訳ですね。  気球クラブ「うわの空」にて、情熱を抱いて気球を飛ばしているのはクラブの創設者である村上しかいない。  その他のメンバーは、主人公の二郎を含めて「本当は、気球なんかどうだって良い」と考えているような奴ばかり。  序盤は、この設定に対し(それって、村上以外のメンバーは楽しいの?)と疑問を抱いてしまい、今一つ映画に入り込めずにいたのですが「花見」という喩えが出てきた場面で、ようやく納得する事が出来ました。  頭上に美しい桜が咲いていても、集まった連中は殆ど見ていない。  ただ酒を飲んで、騒ぐ口実が欲しいだけ。  気球を飛ばす事に「夢」を見出している村上の存在は、酒の肴であり、宴の名目であり、単なるシンボル以外の何物でもなかったのだなと、微かな寂しさと共に理解させられました。 「気球クラブの部屋に一人でいる時に、誰かが入って来て、こう言うの」 「なんだ、まだ誰も来てないのって……私がいるじゃん」  という台詞なんかは、凄く印象深かったです。  クラブのメンバーが求めるのは「個人」ではなく「集団」であった事が窺えるのですが、それよりも何よりも、単純に発言者の女性が可哀想で仕方ない。  そういう場合は、せめて「他の皆は来ていないの?」と言ってあげたいものですね。  村上の死を契機に、気球クラブのメンバーは再び集まって、昔のように気球の中で、最後の宴会を開く事になる。  そこで「もう二度と会わないから」と、互いの携帯番号やメールアドレスを抹消する訳ですが、それが非常に爽やかに、明るく描かれているのも驚き。  けれど、その明るさは決して前向きなものではなくて、どこか後ろ向きであるように感じられるのです。  この映画の主人公が、夢追い人の村上ではなく、傍観者の二郎である点も含め、伝えたかったテーマとしては「夢を抱き、追い続ける事の素晴らしさ」ではなく「夢を抱かない人間の虚しさ、夢を諦めてしまった人間の切なさ」であるのかな、と思わされました。  その後の「ボクは社会人の振りをして生きるのがうまくなった」という独白。  忙しない日常の中で、空飛ぶ気球を見つめて、淡い笑みを浮かべる登場人物達の姿。  ここで終わっていれば「爽やかな青春映画」と評する事も出来たのですが、そうさせてくれない辺りが、園子温監督。  時間軸を巻き戻して「村上と、彼の恋人である美津子が、気球クラブを作った頃の話」を描き、映画に深みと苦みを与えてくれているのですよね。  このエピローグによって「誰が電話しても繋がらなかった美津子が、二郎の恋人からの電話は受けた理由」が明かされる形となっており、それには感心させられたのですが、最後の最後で「村上が風船に託した手紙の中身」を明らかにしなかった事は、大いに不満。  こういった謎を残す形の方が、余韻が生まれて良くなる場合もあるのは分かりますが、完璧に謎のまま終わらせた訳ではなく「主人公の二郎は手紙を読んだのに、観客に内容は明かさないまま」というのが、何とも意地悪に思えたのですよね。  それなら手紙を拾っても開封しないまま、秘密は秘密のままで、再び空に浮かべてあげる形にして欲しかったなぁ、と。  仕方ないので、以下は自分なりの推理。  気球で二人きり、空を飛びながら村上に求婚された際「地上で、これ(指輪)を渡して欲しい」と応えた美津子の台詞からは「もっと地に足を付けて、立派な社会人となってから求婚して欲しい」というメッセージが窺えます。  そんな美津子の提案を、村上は受け入れられず、地上で指輪を渡す事は出来ないままで、二人は別れてしまいました。  そして「僕の気持ちは変わらない」という村上の台詞。  別れた後でさえも村上が「手紙の中身」を明かせなかった理由。  二郎が手紙を読んだ際の、全く驚きが窺えない表情。  他の誰にも内容を明かさず、再び手紙を空に浮かべるという選択。  以上の判断材料からするに、そこに書かれていたのは「既に皆が知っている事」「今更明かす必要も無い事」であったと考えられます。  つまり、手紙の内容とは「いつか空の上でプロポーズさせて下さい」だったのではないか、と推測する次第です。[DVD(邦画)] 7点(2016-07-27 07:30:09)《改行有》

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