みんなのシネマレビュー |
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81. 五条霊戦記//GOJOE 結論付けるならば、やはり石井監督の演出が不味いと言うほかない。これだけのキャストを揃えておきながら、退屈極まりない展開には落胆の程が大きい。ストーリー自体の盛り上がりの無さも致命的であるが、派手なばかりで見にくい映像世界が観ていて辛かった。3点(2003-12-05 17:11:14) 82. 恋人はスナイパー<TVM> ウッチャン自体のキャラクターが良いのでなんとか見れるが、作品の質としてはテレビ映画ということを差し引いてもあまりに程度が低かったと思う。君塚良一の脚本だけに、「踊る大捜査線」なみの面白さを期待したがストーリーは極めて陳腐と言うしかない。3点(2003-11-25 13:42:54) 83. ゴジラVSモスラ 昨今の子供だましに成り下がったゴジラ映画に登場するモスラの造型は特にひどすぎる。不自然に明るい色彩にもはや生物感はなく、おもちゃにしか見えない。[ビデオ(邦画)] 3点(2003-09-29 12:49:27)(良:1票) 84. ゴジラvsコング 《ネタバレ》 今作は、或る意味、正統で真っ当な1962年の東宝映画「キングコング対ゴジラ」のハリウッド映画化と言えるだろう。 思い起こしてみれば、“モンスターバース”と銘打たれたこのハリウッド版“GODZILLA”シリーズは、“アメリカ”という国ででゴジラ映画を愛し続けてくれた映画人たちが、その“オタク魂”を遺憾なく発揮し続けたシリーズとも言える。 だからこそ僕は、これまでのシリーズ作において、“核の取り扱い”の一点において拭い去れない「嫌悪感」を示しつつも、製作陣のゴジラ映画やそれに付随する数々の特撮映画に対する「愛」を感じずにはいられなかったし、本多猪四郎や円谷英二、伊福部昭ら、東宝特撮映画のクリエイター達に対する尊敬の念に裏打ちされた映像世界に圧倒されたことを否定できなかった。 そういう意味で捉えるならば、この最新作もとい“モンスターバース”の一つの終着作とも言える今作も、ゴジラ映画や東宝特撮映画に対する「愛」に溢れた映画だと言えるだろう。 ただし、だ。今作の場合、その表現方法が、あまりにも「馬鹿」過ぎた。 その“馬鹿さ加減”も含めて、1962年の「キングコング対ゴジラ」だと言われれば、全くその通りなのだけれど、ただただひたすらに、その馬鹿さ加減のみが、地球3周くらい回って勢いがついた挙げ句にひっくり返って、無様にのたうち回っているようだった。 SF映画や怪獣映画として、“ストーリー”と呼べるものはまるで無く、「馬鹿」といか言いようがない登場人物たちが織りなす行きあたりばったりなストーリー展開が延々と続く印象を覚えた。 ゴジラとキングコングの文字通りの「肉弾戦」のビジュアルは流石に凄まじかったけれど、本当にどうかしていると思えるくらいにストーリー的な上手さやドラマ性が皆無なので、決戦描写が激しくなればなるほどに、どこか鼻白んでしまった。 クライマックスである香港決戦の描写や、地球空洞説を踏まえた空想科学要素は、個人的に好ましいエンターテイメント要素ではあったけれど、よくよく考えてみれば完全に「パシフィック・リム」の二番煎じでもあり、決してフレッシュではなかった。 そして今作のストーリーテリング上では“サプライズ”として登場する“メカゴジラ”も、何とも不格好でダサく、あまりにも魅力的でなかったことが傷口に塩を塗り込んでいる。 モデリングの醜悪さもさることながら、それを創り出し操っている人間が馬鹿すぎるので、メカゴジラの存在意義自体があまりにも希薄だった。 そもそも前作で登場したキングギドラの骨(DNA)をベースにしているのならば、“メカキングギドラ”でいいじゃん!と、「ゴジラVSキングギドラ(1991)」の大ファンとしては思わざるを得ない。 (そして、小栗旬の役柄の不憫さったらない……) と、呆れて物が言えないくらいの不満を覚えながら、改めて思い知ったことは、アメリカ人にとっての「ゴジラ映画」とは、まさに今作のベースである「キングコング対ゴジラ」以降の、“怪獣プロレス”を延々と繰り広げた昭和ゴジラシリーズに尽きるのだろうということ。 彼らにとって「ゴジラ」とは、どこまでもいっても“核が生み出したヒーロー”であり、それは即ち自らが生み出したこの星の“都合のいい守護神”なのだ。 実際に、プロレスブーム全盛の昭和ゴジラシリーズが存在し、アメリカのオタクたちが愛した怪獣映画がそれらである以上、その結果生み出された映画を「否定」することはもはやお門違いなのかもしれない。 それでも、日本のゴジラ映画ファンの一人として、この映画が、馬鹿馬鹿し過ぎる作品であることは否定できないし、玉石混交のゴジラ映画シリーズの中においては、或る意味今作もその系譜に相応しい作品と言えると思う。 この「落胆」は、この国のゴジラ映画ファンとして、むしろ「安堵」と言えるものかもしれない。 「シン・ゴジラ」を特異点として、日本国内のクリエーターたちにおける“ゴジラ”に対する創造性は、「新解釈」と共に益々多様的に展開している。 アニメ映画版三部作や、今年(2021)Netflix配信されたアニメシリーズ「ゴジラ S.P」はその顕著でエキサイティングな産物だろう。 どれだけ莫大な予算や映画的人材を駆使したとしても、「ゴジラ」だけは、日本でしか描きぬくことができない。それは、この国の映画文化が最も誇るべきアイデンティティの一つなのではないかとすら思える。[映画館(字幕)] 2点(2021-07-03 12:05:09)(良:1票) 《改行有》 85. ゴジラVSスペースゴジラ ゴジラ映画ファンでありながら、長年に渡ってスルーし続けてきた作品だけあって、ある意味“安心”の駄作ぶりだった。 ハードルを限界まで下げきった上での鑑賞でありながらも、「早送りしてぇ」と思わざるを得なかった出来栄えには、もはや「流石」と言いたくなった。 「ゴジラVSビオランテ」以降“平成VSシリーズ”の“心のヒロイン”としてレギュラー出演し続けた三枝未希(小高恵美)が、ついに作中のメインヒロインとして登場したことは嬉しかったが、青臭い恋愛模様が痛々しくて仕方なかった。(おまけにイメージチェンジのショートカットが可哀想なくらいに似合っていなかった……) 兎にも角にも、90年代の映画であることを疑うくらいにストーリー展開の稚拙さが際立っている。諸々の事情により急遽製作された作品であるらしいが、それにしても酷い。 ただし、一点だけピックアップポイントはあった。 主要キャラとして登場する女性科学者の名前が「権藤」。これはピンときた。 「VSビオランテ」ファンとしては、“権藤一佐の弔い”という一つの要素には口元が緩んだし、彼の形見であるジッポーを柄本明演じる少佐が使っているという裏設定は胸熱ではあった。[CS・衛星(邦画)] 2点(2015-06-15 22:24:25)《改行有》 86. 言の葉の庭 7年前に観た「秒速5センチメートル」は、最高に好きだった。 観たことが無い程のクオリティーのアニメーションによる美しさと儚さに胸が詰まった。 “新海誠”というクリエイターに類い稀な美意識と可能性を感じた。 が、残念ながらこの作品では、以前のような感動を殆ど感じることが出来なかった。 映し出される映像世界は相変わらず美しい。むせび泣くように降り続ける雨に包まれた街並は、さめざめ物悲しくもあり、美しい。 ただ、正直なところ、特筆すべきはそれだけの作品に終始してしまっている。 ネックとなった要素は、「青臭い」の一言に尽きる。 雨に濡れた新緑の臭いがそのまま漂ってくるように、ただただ青臭い。 経験に乏しい多感な高校生を描いているわけだから、そうなってしまうことはある意味必然だったとは思う。勿論、青臭くても良い映画は沢山ある。 でも、今作においてはその未成熟さが、どこまでいってもただ“浅はか”に映るだけで、徐々に不愉快にさえ見えてくる。 そしてそれは、次第に制作者自身の青臭さに直結しているように見え、紡ぎ出される言葉も、映し出される映像も、安直な自己満足に見えてきてしまった。 ただそれは、自分自身もしばしば陥ってしまいがちな“語り口”で、己の感受性の豊かさを他者に示したいという素人臭い願望の表れの重なるようで、少々身につまされた。 まあ、そんな”素人臭さ”と重なるようでは、やはり駄目なわけで。 主人公の高校生は、密かに靴職人を目指していて、そんな自分の夢と現実社会の厳しさ(のようなもの)との狭間で思い悩んでいる。 その描かれ方は、いかにも夢と現実の折り合いをつけている風だが、実際のところは決してそうではなく、その“折り合い”も含めて葛藤している自分自身に酔っているように見えて仕方なかった。 「靴職人」ってそこまで特殊な仕事かよと思うし、それなら「ヴァイオリン職人」を目指して“青臭さ”全開で突っ走る“天沢聖司”の方がよっぽど偉いわ!とまったく関係ない比較をしてしまった。 とにかく、現実の辛辣さを描くふりばかりで、結局は綺麗事を並び立てたばかりに見える映画世界に対して、まったく感情移入が出来なかった。[CS・衛星(邦画)] 2点(2014-09-08 00:03:44)《改行有》 87. ゴッド・ディーバ 強固な意志をもって創り出された特異な映像世界は圧倒されるべきところなんだろうが、あまりに自己満足的なストーリーには観客が入り込むべき余地は無く、結果映画全体が至極希薄に映った。徹底的にアート的な未来像への試みは理解できるが、そこに紡ぎだされる物語に面白味が無ければどうしようもない。何の説明もなく一方的に羅列されるキャラクターとストーリーの後に残るのは、謎というよりも単なる苦痛である。2点(2005-01-24 15:42:46) 88. 殺し屋1 原作自体、あまりにグロくて救いようの無いストーリーが好きではないのだけれど、予告編と三池崇史×浅野忠信の組み合わせに引かれて観に行ったのが運の尽きだった。漫画のバイオレンス性だけを描き出す映像世界に吐き気と後味の醜悪さが付きまとい散々だった。2点(2003-12-24 01:47:06) 89. GONIN 個性的である種の危険性をはらんだ豪華なキャスト陣に、「レザボア・ドッグス」風のハイセンスなバイオレンスを期待したが、内容はただ暴力的なだけで過剰な血生臭さは非常に心地悪かった。2点(2003-11-25 23:58:48) 90. コップランド 新境地を開拓しようともがくスタローンには気の毒だが、映画というものはやはり、面白くなければどうしようもない。豪華キャストを集め、不細工に太ってまで役作りをしているスタローンであったが、そこにはアクションをバリバリにこなした彼の魅力には遠く及ばないものがあった。もともとドラマを作ることが本望であったことはよく分かるが、一連の作品を見る限り、彼にはその才能はないようだ。[映画館(字幕)] 2点(2003-11-08 01:36:10) 91. ゴジラVSメカゴジラ 完全に子供だましに成り下がってしまったゴジラ映画の第一作目。ゴジラにしてもメカゴジラにしても造型がチャチすぎる。加えてベビーゴジラの登場と拍子抜けも甚だしい。[ビデオ(邦画)] 2点(2003-09-29 12:45:44) 92. ゴジラ対メガロ 《ネタバレ》 わー、すごく面白くないやー☆「ゴジラは人類の味方」というどうしようもない設定を打ち出しているこの時代のゴジラ映画は本当に酷い。確かにその中でも今作は最も酷いと言って間違いないと思う。“ゴジラが来るまで自分がメガロと闘わなくてはならないという強烈な意志”によって超強引に巨大化する“着ぐるみロボット”ジェットジャガー、ひとりでは何もできない頭の悪すぎる地帝国の“不良守護神”メガロ、無線一本で簡単呼び出しの“派遣怪獣”ガイガン、登場するすべてのキャラクターが見ていて脱力感に溢れる。極めつけは、尺が4分の3経過してやっと現われるゴジラ。なんと今作のゴジラは、ラスト20分のタッグマッチのためだけに登場し去っていきます…。モロに当時のプロレスブームを反映した延々とくどい20分のバトルシーンは、早送りナシでは見られません!まあ、なんというか、当時の製作者たちの娯楽に対する純真さ(というか悲しいまでの単純さ)を燦然と描き出した作品だと思います。 ちなみにこの作品、「東宝チャンピオンまつり」なるものの中のひとつで、他3本のアニメ系作品との4本立てだったそうです。恐るべし。1点(2004-11-23 22:39:08)(笑:1票) 《改行有》 93. ゴジラ FINAL WARS 《ネタバレ》 “愚の骨頂”あらゆる意味でこの映画にこの言葉はふさわしい。 はっきり言って「くだらない」と一蹴してしまうことを戸惑う作品ではない。間違いなく「くだらない」。 でもこれほどまでに、東宝特撮映画が自らに対する記念碑的映画としてふさわしい出来栄えもないかもしれない。 “とにかく、あらゆる東宝ネタを詰め込もう!!”という根本のコンセプトは間違っていないと思う。 海底軍艦の出撃に、妖星ゴラスの襲来、謎のX星人……ある種のオールスター的要素を心から喜ぶ人達はとても多いだろう。 ほとんど支離滅裂に登場する怪獣たちの存在も充分に楽しめる要素である。 ある種のチープさは、東宝特撮映画の良い意味での伝統であり、それこそ黄金時代を象徴する娯楽性だったと思う。 しかし、それでも、やはりこの映画は冒頭の言葉に終始する。 その原因はただ一つだ。 そう、このゴジラ最終作の監督に北村龍平という人間を起用したことに尽きる。 一辺倒の格闘シーンしか紡ぐことの出来ないこの監督は、自分に与えられた仕事の意味と責任を何も分かっていなかった。 製作発表の段階で、誰もが抱いた最大の不安は、見事に的中した。 近年のゴジラ映画には希望の光が見えていただけに、製作会社のこの“大見誤り”は「残念」では済まされない。 長いゴジラ映画の歴史の中で、ひとつの区切りとしてこういう映画があるのはべつに良いと思う。 しかし、これで“終わり”では、日本映画最大のヒーローがあまりに可哀想だ。 この映画にハリウッド版「GODZILLA」を愚弄する資格などどこにもない。[映画館(邦画)] 0点(2004-12-07 00:10:15)(良:8票) 《改行有》
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