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1.  子宝騒動 《ネタバレ》 かなり昔に見たのだが(封切時ではない)、傑作のわりにしょっちゅう見られる映画ではないので、日記に記録してあるいくつかのギャグをここに披露しておくのも無駄ではあるまい。子沢山で貧乏人の主人公、家には「律義者の子沢山」という習字が貼られている。不払いがかさみついに電気も切られ、文字通り電灯を切り取られ持ってかれてしまう。いろいろ金策をめぐる展開があってのち、ついに隣家に忍び込む。金庫のダイヤルを回していると、そのすぐ脇でその家の主婦が繕いものをしている、なのにお互いがなぜか気がつかない、針立てやアイロンなど小道具を使ってはらはらさせ笑わせる展開だったと思う。ここでその主婦が産気づき急きょお産の手伝い、水道の水を出しっぱなしにしたので家が水浸しになり、台所を泳いで往復する、というギャグもあった。その後メインの、報奨金つき豚を捕まえんとする騒動になる。ラグビー場にまぎれこみ、豚をタックルしていく痛快さは、ロイドやキートンに劣らなかった。トンカツ屋、結婚式場、墓地などへと追っかけが続き、墓石が倒れていくのが凄かった。そういう躍動シーンで押していった後で急に静かな場面になり、大家さんが竹垣の道を散歩してるところ。問題の豚を見つけポイと放り投げると、その竹垣が倒れて豚を追う群集がワーッとなだれこんでくる静から動へのタイミングの妙。そして泥田でのドタバタの頂点に至る。とにかくスラプスティックとしての純度が高く、20年代末ごろからこのころまでで日本映画が喜劇の文法を完璧にマスターしているのが分かった。なお斎藤寅次郎のサイレント喜劇はもう一本「石川五右衛門の法事」いうのも前世紀末に発掘されたが、それはこれより劣る。[映画館(邦画)] 9点(2007-12-21 12:33:06)

2.  コントラクト・キラー この人の映画はまず上映時間がいい。かつてのベルイマンもそうだったが、北欧って映画時間を無駄に長くしない伝統があるようだ。そしていつものように、ついてなさ・不運を過剰に受け入れていく主人公がいい。寝てるイギリス人よりも働いているフランス人のほうが首切りの対象になる。机も持ち去られる。で彼はちょっと上を見上げロープを買う。ガス自殺に失敗したわけは、新聞(ガス会社のストライキ)で明かされる、と無駄がない。で殺し屋に自分の殺人を依頼する(金時計の金)。『豚と軍艦』の丹波哲郎だ。向かいのパブに行くのに、メモを扉に残しておく律儀さ。請負人を街で見かけると宝石強盗をやっており、ピストルを渡されじっと防犯カメラを見上げ、振り返ると窓いっぱいの目撃者、なんてあたりアキの本領発揮。殺し屋のところでかいがいしく家事をしてる娘もいい。そしてぶきっちょにハンバーガーを焼く手つきからの再会となっていく。充実した80分。[映画館(字幕)] 8点(2013-10-14 09:46:51)

3.  紅夢 普通シンメトリーの構図ってのは、ここぞというところでバンと置くと効くので、あんまり使いすぎちゃいけないものなんだけど、この作品はそれがテーマだからね。シンメトリーの安定した重苦しさ、人を発狂させるほどの、整然とした堅苦しさ。シンメトリーの息苦しさをここまで徹底して追求した映画も珍しい。あとは音の響き。作者によって選択された音しか響かない。それも幽界に響くような雰囲気で、嫉妬によって残響を与えられ心にエコーを掛けられているというか、灯篭を消す竹吹きのブボッという音も腹に響く。遠くから聞こえる第三夫人の歌声、若主人の笛。きっちりした画面に選ばれた音のみがキラッキラッと閃く感じが実にスリリング。昔の中国映画だったら、もっと目覚めたヒロインが反抗する設定になったんだろうが、もうそうはならない、プロレタリアートの部屋にまでレッドランタンは侵入してしまっているのだ。画面に現われているのは「八方ふさがり」の嫉妬渦巻く世界なのだけど、ネチネチという感じはあまりなく、荒涼の風が「八方吹き抜け」ていたのではないか。白・黒・赤の物狂いの世界が魅力的。[映画館(字幕)] 8点(2012-10-13 09:56:42)

4.  恋のためらい/フランキー&ジョニー 《ネタバレ》 あちらの戯曲ものってのは、あんまり失敗がないな。セリフが練れてる。孤独というより、なんとはないモノ寂しさを感じる四十代。ビデオに逃げ込む心の固さ。一人になるのが怖いけど、一人になれないのも怖い、っていう都会の時代に、四十代のロマンスを構築してみせる。アル・パチーノとミシェル・ファイファーってんで、もう少し神経質なタッチかと思ったけど、暖か味がある(舞台ではキャシー・ベイツだったそう)。個性を出すのに、鼻の下を擦ったり、ビンのふたを開ける専門家にしたり、印象的なポイントを作ってある。怖い街ニューヨークが背景にあり、ラスト近くで分かるんだけど、それを別の角度から、路上の死体のマークの頭のところにコインを投げ入れる遊びのスケッチなんかもあるのがいい。店の仲間うちの雰囲気の味なんかいかにも舞台的なんだけど、パチーノが現われるシーンの長回しは映画ならではの楽しみ。花屋の前の二人の会話で声が聞こえなくなり…のシーンは、もし映像だけの仕掛けだったら、ちょっとわざとらしく感じたかもしれないが、声が消されるステップを踏んでるのがいいんだな。[映画館(字幕)] 8点(2012-09-20 09:59:16)

5.  子供たちの王様 固定カメラを通して時間を置いた風景の変化をしばしば描く。堂々とした感覚。遠景は自然描写というより地形描写。ときに墨絵のような美しさもある。近い光景では、窓や戸の四角い枠を据えて、そこに外側にいる主人公のタバコの煙や、下から起こる煙を捉える。遠景の霧と近景の煙。あるいはラストの牛の気配の高まり。牛は夜の戸外に不意に現われたりし、授業を受けられない牛飼いの子どもへの負い目へとつながっていたか。牛のイメージが近景と遠景をつないでいたようでもある。あの牛飼いの子どもと、字引を写すワン・フー君とが対比されて感じられた。貧しい環境下で自分なりの字引を作っていくワン君は、普通の物語の中でなら間違いなく「立派な少年」なのだが、この作品ではその外にさらに文字を学ぶ機会すら与えられていない少年を置き、さらに一段遠くから状況を眺めているよう。より多くの文字を覚え、手製の字引を厚くすることが学習だろうか、という疑問の提示? これは文革下の雰囲気を知ることができるいい映画だが、同時にその中にいた者たちの隠語に彩られていて、なかなかストレートには通じにくくなっている。仲間でハヤす「お寺の和尚がどんな話をした?」なんてのは、部外者には分からない。牛に小便を飲ませる話とどうも関係があるらしいのだが、先生が記した牛の下に水の字の意味は? 同じ体験をした者にとっては、深く沁み入ってくるのだろうが、あまりあからさまにはまだ語れない・語りたくない、といったためらいも感じられるのだ。その「もってまわった」ところに文革の傷の深さがある気がした。「上学(学校へ行く)」の作文のシーンがいい。教科書や字引を写すより、まず知ってる言葉で語っている伸びやかさ。けっきょく青年の敗北が描かれたのか、それとも彼の熱意がこれから野焼きの火のように広がっていくと言っているのか。言いたいことよりも、描かれた映像に圧倒される作品だ。『黄色い大地』と『大閲兵』は、まず中国映画差の一編として公開されたが、この作品からちゃんとロードショーされたと記憶している。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-07-06 10:05:25)

6.  こわれゆく女 カサヴェテスの世界では「はしゃぐこと」と「演じること」と「リラックスすること」とが悪循環を起こしている。本作のジーナ・ローランズの妻は、家庭は気楽で居心地よく楽しい場所でなければならない、という強迫観念に取り憑かれている。リラックスしなければいけないという強迫。そこで彼女は精一杯、気楽で居心地よく楽しい雰囲気を作り出そうと演じるのである。夫のピーター・フォークが仕事仲間を連れてきたときのシーン。スパゲッティで接待するのだが、このもてなしぶりが微妙に度を越してしまう。客をくつろがせようとはしゃげばはしゃぐほど、食卓はピリピリしていく。はしゃぎの奥で何か重いものがどんどん膨張していってしまう。当然場はしらけてくる。そういった悪循環。もっと普通に出来ないのかと思う夫も、子どもたちを海に連れて行けば、ついハッピーな気分を強要してしまうし、妻の退院祝いのパーティでも「もっとこう、天気の話とか、普通の会話を出来ないのか」と怒鳴り散らしてしまう。「普通」というものは「普通でないもの」もある程度含んで初めて「普通」になれるのに、彼らは純粋な「普通」を求めてしまうのだ。リラックスしようとすればするほど、何かに向かい演じてしまう。いつも他人に対して構えているような生き方。この夫婦はそれに心底うんざりしているんだけど、それから抜け出そうとする試みが一つ一つ演技を補強していってしまう。まさに悪循環。この映画はヒステリックな赤に彩られながら、じっくりとこの徒労というしかない戦いを観客の前に展開してくれる。映画史上おそらく最もたくましい神経症患者。そうか、コロンボ刑事とグロリアの夫婦か、タフな話になるわけだ。[映画館(字幕)] 8点(2011-08-06 10:28:15)

7.  荒野の決闘 アープがクレメンタインを連れて教会建設地へ連れて行くとこ。日向と日陰のコントラストが美しいし、そのあとの踊りを誘いかけるとこや踊ってるとこも、もちろんすごくいい。アープにとって一番楽しかった思い出になるであろう、という、今から回想しているような、懐かしさやらかけがえのなさやらが満ちている。もともと映画って、そういうものだし。決闘そのものより、そこまでの人の動きの緊張のほうが見せ場なの。アープがバーテンに「おまえ、恋をしたことあるか?」って尋ねると、「ありませんよ、ワシはバーテンだもん」ってとこも好き。西部劇のバーテンは、実存より本質が先行しているのだった。[映画館(字幕)] 8点(2011-02-28 09:18:56)

8.  こうのとり、たちずさんで 《ネタバレ》 硬質な、ドキュメンタリー的な画面の中で、登場人物が不意に詩を語り出す。国境に立つ兵士が点呼の中で川の流れについて語り、議会で政治家が雨音の背後から聞こえる音楽について語り出す。政治に追いつめられた人々が魂の中から語り出す言葉は、詩にならざるを得ないのか。ところがこの映画の重要な場面になってくると、その詩さえ消え失せてしまう。レポーターが娘に出会うバーでは、視線だけが交わされる。川越しの結婚式の場面では、向かい合う視線と伸ばされる手だけ。この作者はもう会話を信じていないのだ。詩の言葉はあっても会話は失われている。言葉の代わりにコミュニケーションの役割を担わされた視線と手は、しかし両者の距離を強調していく。マストロヤンニとモローが市場の橋の上で向かい合うとき、二人の間には見えない国境線が引かれているようだ。人々はなぜ引き離されたのか。一方が逃げ、一方がとどまったからだ。マストロヤンニは逃げ、モローはとどまった。花嫁は逃げ、花婿はとどまった。しかし逃げた者が自由になったわけではない。逃げ出した場所にはまた別の牢獄が待っている。永遠に繰り返されるだろう脱出の後に、無数の国境線が引き直され、出会えなくなる人々の沈黙だけが堆積していく。そして詩となった言葉はさらに沈黙へ傾斜し、映画はリアリズムから伝説に入っていく。「アレクサンダー大王」は群衆の中に消滅し、「シテール島」の老夫婦は漂い消え、本作の政治家も、幾人もの目撃者たちの中に分裂しながら、伝説の人物になっていく。ならばこの映画は敗北主義に浸されたフィルムなのだろうか。いや、タコの話を聞かされた少年に託されたかすかな希望がある。そして「黄色い人」がいる。アンゲロプロスの沈んだ世界に登場する原色の黄色は、前作でも目を引いたが、この作品でとうとう重要な役を割り振られた。危険な仕事に従事する移民労働者、戸籍も国籍もなく、アイデンティティからも追放されたような人々、顔さえ定かでない究極の自由へ漂い出した人々。言葉だけでなく視線も手も封じられ、しかしそういう彼らがどこかとどこかの間に電線を繫げようとしている。ぎりぎりのメランコリーの果てに監督がたどり着いた希望。国家というものが無効になった先へ張られていく電線。その背後の空には、おそらくこの映画で初めてだろう、厚い雲を割ってかすかではあるが青空が見えかけている。[映画館(字幕)] 8点(2010-07-01 12:14:46)(良:1票)

9.  恋人までの距離(ディスタンス) 会話する二人の自然さの引き出しかたにこそ映画の命がある、っていう姿勢。ちょっとした反応なんか、どこまでが監督の指示なのか分からないけど、素晴らしい。他人だった二人がどこか探り合いながら親しんでいく経過、これほどドラマチックなものはないと監督は確信している。喋っている言葉より、そこにある空気をこそ映画ならば捉えたい、と。「時は流れ去る」というテーマが底にずっとあって、時間をいとおしみ出したときに静かにナガシのウィンナワルツが流れ込んでくるあたり、時というものをハッと意識させられる。駅で今日の日付けが6月16日と分かる。これはジョイスの「ユリシーズ」の日ではないか。あのダブリンをウィーンに移して街歩きをやらせたという趣向なのか。そして泣けるのが、二人が歩き回った場所のそれぞれの朝を捉えたカット、これがいい。最後にヒロインは徹夜の後の眠りに入っていく。実に自然ななんの感情もない純粋な眠りに見えるのが、またいい。[映画館(字幕)] 8点(2010-02-25 12:07:50)(良:3票)

10.  河内山宗俊 たまたま時代の設定が過去だったというだけで、会話だけ取り出せば昭和の現代劇の様相。かえって戦後の時代劇のほうが様式性が強くなってしまっているのかも知れない。直次郎はここではそこらにいるグレかけた気弱な少年だし、三千歳とはミッちゃんと呼びあっている。金子市の中村翫右衛門が傑作で、永年留年して大学に居着いてしまっているような雰囲気のある男、しかし実は死に場所を探していた余計もののニヒリズムも持っている、というあの時代の若者像をくっきりと代表している。“市井”という言葉がこんなにも似合うセットはそうそうなく、その中の住人としては雪の舞う世界などうっとりと見惚れていられるが、余計ものの目を通すと、唯一どぶだけが奥への逃げ路として続いている圧迫も感じられる、という素晴らしい造形。古女房のやきもちという、どちらかというと喜劇の要素を転換点に、ドラマが悲劇性を帯びていくのも、時代の影か。松江邸のニセ僧道海は、設定だけが歌舞伎と同じで、全然違うドラマに仕立てて読み換えの面白さになっている。見事な傑作だが、ただ音楽がうるさく、ラストの立ち回りで「ロミオとジュリエット」が流れ出すと、やはりのけぞる。[映画館(邦画)] 8点(2009-10-14 12:00:58)

11.  ゴスフォード・パーク ダーッと登場人物があふれる。これ小説だったらそうとう混乱しただろうけど、映画だと、とにかくその中に身を置いてあたりを観察しているうちに、しだいに整理されてくるから大したものだ。上の階と下の階、別々の階級の世界を描き分けていたのが、だんだんと絡まってくる面白さ。マギー・スミスは召使を使って情報を集めるし、上の客であるアメリカ青年は下に潜り込む。マギー・スミスの上流階級の酷薄さは、そのままイギリスが(しょせん芸人風情の)アメリカを見る眼の残酷さでもあろう。監督はそう見られるアメリカを笑い、そう見るイギリスも笑っている。[映画館(字幕)] 8点(2008-06-02 12:14:29)

12.  ゴースト/ニューヨークの幻 《ネタバレ》 自分の死を知るあたりは、このころでは『オールウェイズ』があったりして、新鮮味に欠ける予感が漂いだしたが、三番目の人物が悪人なのね。ウーピー・ゴールドバーグのインチキ霊媒師が出てきてから面白くなってきた。祖母や母は霊能力があったけどあたしはないんでインチキしてる、と自分で思い込んでいるという設定がうまい。ちょっと演技が大袈裟だったが。あと地下鉄の幽霊がおかしかった。縄張りがあるの。とにかく登場する主要な男性はみんな幽霊になっちゃう。このころアメリカ映画界は死人ばやりだった。あちらでも成仏してメデタシメデタシとなる。カールが悪人と分かる前に伏線を出しすぎちゃったか。[映画館(字幕)] 7点(2014-03-10 09:03:47)

13.  5時から7時までのクレオ 不吉な占いのとこのみがカラーで、あとは白黒。病気の検査結果を待つ女性新人歌手の2時間の物語。最初のうちは何でそんな辛気臭いのに付き合わなくちゃいけないんだ、と思ってたんだけど、この不安感が人生の凝縮された状態なんでしょうな。普通の町並みや普通に暮らしている他人たちが、とてもよそよそしく見えてきてしまう。これがロメールの『緑の光線』のように、ある男との出会いによって一つ脱皮できるまでのドラマ。不安が解消されるわけではなく、こうやって生きていくという決意に至るわけ。決意と言うとちょっと大袈裟になってしまうんだけど。それがドキュメントタッチで実物大と言うか、実感そのままみたいに伝わってくるのが、手法の勝利。夏至のパリって陽が長く、全然夕方の感じがない。少し露出過度気味のカメラが不安を通して見た街ってことなのか。あれで日本的な夕方だったら、情緒が出すぎてしまったところ。いちいち細かく時間経過が画面の下に表示される。[映画館(字幕)] 7点(2013-11-16 09:57:11)(良:1票)

14.  ゴッドファーザー PART Ⅲ 《ネタバレ》 パーティで始まる。ファミリーが集まる儀式。三作をワルツがまとめている雰囲気がある。イタリアと言えばカトリックにオペラ。前は教会での祝福と殺戮を並行させたが、これではカトリックが前面に出てきた。法王庁のなかのどうのこうのはもひとつピンと来なかったけど、イタリア人及びイタリア系移民のアメリカ人には、マフィア一家の上昇の果てが納得できるのだろう。ヘリコプターでの幹部殺しあり、祭りのなかでのザザ殺しあり、タリア・シャイアのネットリしたのも怖く、見せどころはオペラだ。『知りすぎていた男』的緊張も加味される。マーロン・ブランドは孫(ファミリー・子孫)のいる農園で死んでいったけど、アル・パチーノは犬がいるだけの赤茶けた何もない庭で一人死んでいくわけ。第一作の年、V・ストラーロはイタリアで『ラストタンゴ・イン・パリ』のM・ブランドを撮っており、コッポラと組むのは『地獄の黙示録』(やはりブランド)からで、コッポラのカメラマンではたぶん本作を含めた三部作だけがゴードン・ウィリス。見てる間は気がつかなかったが、ヘルムート・バーガーが出てたのか。[映画館(字幕)] 7点(2013-10-09 09:52:28)

15.  恋のエチュード 典雅です。ジョセフ・ロージーの『恋』もこのころだったか。フィルムの色が褪せてきてたのが、また味わいが出てよかった。ジェスチャーごっこ、海近くでのテニス、女性三人による何気ない合唱など、いい。けっきょく愛の執着の話なんだけど、その主観の熱風から離れて描く涼しさがある。池のほとりでの忍びあいの長回しが、まことに美しい。全体俯瞰が多かったが、「運命」って感じかな。姉妹が手相を見てもらうシーンがあったっけ。全体の典雅なトーンに、愛の執着が対立してるよう。老人となったクロードが英語をしゃべる女の子たちのなかから彼女の子どもを探そうとするまさに執着のラストなんだが、作者はそういう生々しさから離れた立場を求めて客観視しようしようとしてるのがいい。やたらナレーションを入れて説明するのも、当事者のことは当事者に任せちゃってるという感じか。[映画館(字幕)] 7点(2013-08-16 10:18:52)

16.  小間使の日記(1963) ほとんどが悪党ばかりの中で、あの少女だけが純粋な「被害者」なわけ。ヒロインが徹底的に彼女にこだわる。偽の証拠まで体はってこさえて、捕まえさせるんだけど、ここらへんの異常さが「ブニュエルだなあ」と納得してしまう。でも「ブニュエル」って心構えを外してみると、よく説明できない心理。あのあと隣家の人と結婚するのは堕落ととるのか。そうじゃないわな。彼女だってどちらかというと悪党の側の人間なんだから。その彼女が一瞬、少女の無惨な死に対して(かたつむり)共鳴した、ってところに希望を感じていいんでしょうか。分からない。脚本は以後も続くカリエールと組んだ最初のもの。「ブニュエル的」って言うとなんか分かった気になれるが、ホントはちっとも分かってない。なのに「ブニュエル的」と言うしかない現象が確実にあるんだよな、この世には。変態の変態ぶりだけはよ~く分かった。変にニタニタしてないのがホンモノっぽい。靴のシーンよりも、自分のハンカチで少女に洟をかませるほうが、変態度を強く感じた。日本でも、何かの検査だと言って小学校帰りの少女の唾液をせっせと集めてたのがいて、変態度の高さに「ブニュエル的だ」と感心させられたものだ。日本文化を嫌ってたブニュエルにも、ちゃんとこういう変態が活躍してる風土だと知らせておきたかった。[映画館(字幕)] 7点(2013-07-19 10:19:02)

17.  コルチャック先生 ラストは万感胸に迫ります。遠足に行くんだよ、と子どもらを連れ出して、暴力や死の溢れる駅で貨車に乗り込み、しばらく暗い画面にレールの響きのみが続く。最後の貨車だけ切り離され、野が開けた場所に止まると、スローモーションで先生と子どもたちが本当の遠足のように嬉々とした表情で出てくる…。強い人の話、根っから強い人の話であって、弱かった人が状況によって強くなったって話のほうが感動するんだけど、歴史にはときどきこういう「根っから強い人」が必要とされるような、想像を絶する迫害の時代があるんだよなあ。ガス室を作った側の人間や組織のほうに、やはり興味は湧くが、それはテーマの選択の問題であって、外からどうこういうことではないだろう。つらいのは子どもたちに「死」についての授業を施すあたり。そういう教師のつらさ。あとチラチラ出るだけだったけれど、記録を撮っているドイツ兵の撮影隊の存在が、この映画の中でどういう役割りを果たしているのかよく分からないが、気になった。記録に徹しきれるフィルムの非情さか。『地下水道』にも、記録係が加わっていたっけ。[映画館(字幕)] 7点(2013-04-14 09:39:13)

18.  婚前特急 《ネタバレ》 無礼だった田無君(浜野謙太)を懲らしめてやろうという計画が進んだ結果、一室に四人が集まる状況になり、突然貧者のプロポーズの場と化して過剰にロマンチックな空気が満ち、さらに他の三人が百人一首で話が盛り上がれば、チエちゃんは面白くないを通り越し敗北感深まり、唐突に田無君にキスして脱走する。ここらへんのリズム感、いい。この性格の悪いヒロイン(粘土人形投げるのも、字を書くのも堂々と左利き)、それをずっと対象化しつつ、でも突き放さずに描いてきた映画、このシーンでなんか彼女がかわいく見えた。そもそも田無君に「俺たち付き合ってないじゃん」と皮肉でも嫌味でもなくサラッと言われたことがショックだったときから、彼女の敗北は始まっていたんだろう。ほとんどのシーンに吉高由里子がいる映画で、たぶん田無君がらみの土手の場と、警察からの帰りの場のみ、ヒロインを含まない。五人のうち彼だけこの映画の中で特別な地位にあることがそれだけでもうかがえるが、最初っから「メリット=楽」の田無君は魅力的だった(私事になるが、土手で彼が奏したアフリカの民族楽器カリンバは私も持ってて、よくポロンポロンはじく。心落ち着くんだな)。ラストシーンがファーストシーンを裏返してるのもいい趣向だし、最後まで憂い顔の年上の後輩も楽しい。[DVD(邦画)] 7点(2013-02-01 10:18:54)(良:1票)

19.  コンフィデンス/信頼(1979) カットのつなぎのリズムが面白い。エピソードに少し入ったところからつながるの。見てるほうがフッとつまずくような感じ。不意に現われることの緊張、不意の行動。そこに至る心の内面を示す表情を前もって知らせず、行動なり身振りなりが不意に観客に提示されるわけ。ヒロインがベッドの前でボーッと立ってるとこなんかすごくいい。下手に内面の説明がないから、やむにやまれぬ感じがヒシヒシ伝わってくる。だから男の声が語る演出は野暮ね、と言ってほかにどうすればよかったか代案はないけど。音楽がレコード以外使われないのも、カットとカットを情緒で繋いでしまうことを怖れたからでしょう。ヒロインがうまい、バンシャーギ・イルディコさん。びくびくしていたのが自分の場を作ってしまうと強くなってしまう。レジスタンスもの映画ではだいたい信頼はもう前提条件になってたけど、これが本当だろうね。こっちを信頼してほしいと思うけど、こっちからは信頼できなくなっている。[映画館(字幕)] 7点(2012-12-12 10:25:58)

20.  五人の斥候兵 国策映画で戦争そのものを描く場合、敵が強いと国策に合わないし、敵が弱いとドラマとして成立しない、というパラドックスがある。で大局的な視野を捨てて、局所的な出来事に目を向け、そこに集中することで映画作家としての誠実を尽くそうとした、ってことはありましょうな。戦場における理想的な心意気の世界。負傷した兵が送り返されるのを嫌がり、無理して「ほら、銃ならちゃんと持てます」と言うのに対して、部隊長がその心を汲みながら「命令だ」というあたりなんか、やがて一つの型になっていくのの初めのころのケースだろう。斥候に出て行くときの不安定な(舟に据えたカメラ?)の視点なんかもいい。敵兵の表情が見えないのはうまいのかズルいのか。そのかわりときどき敵兵の視点になってトーチカから斥候兵を狙い撃ったりするシーンがあり臨場感。田坂監督の当時の言葉によると「小津君の入営がこの映画を作ろうと思った一つのきっかけだった」という。当時の小津の軍隊日記には本作がキネ旬の1位になったことを記し「それほどの作品だったかな、まだ見てないが『路傍の石』のほうがいいんじゃないか」てなことを書き込んでいる。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-26 09:39:34)

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