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プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  イコライザー 実は“殺人マシーン”だった主人公が、憎き悪党と真向かい、直接的に、淡々と、「宣戦布告」する。 それを演じるデンゼル・ワシントンの“目”がヤバい。“ヤバい”とはいかにもチープな表現だが、本当にヤバいのだから仕方がない。 正義の鉄槌を振るうことを心に決めた主人公のその“目”は、完全に異常者のそれであり、主演俳優のその表情を観ることこそが、この映画を観る価値だと断じてしまっても過言ではない。 何かしらの過去を背負いつつ、平穏に暮らす主人公が、突如として復讐鬼と化すというこの手のジャンルムービーは昨今目立つように思う。 いわゆるビジランテ(=自警団)ものが流行らざるを得ないのは、真っ当な正義が存在しないこの社会の病理性の表れだろうか。 誰も守ってくれない。誰も裁いてくれない。誰も怒ってくれない。 ならば自ら鉄槌を振るうほかないではないか。 という悲鳴がそこかしこから聞こえてくるようだ。 と、まあ、そんな悲観的な考察は抜きにして、流行りのジャンルムービーの中でもこの映画のクオリティーの高さは確かなものだと思う。 やはり魅力的なのは、デンゼル・ワシントン演じる主人公のキャラクター性だろう。 日々眠れぬ夜を近所のダイナーで過ごす主人公、観客としては当然ながら彼の正体がいかなるものかということを大体知っているわけだが、それでも物静かなこの男が、文字通りの殺人マシーンへと変貌する様は娯楽性に溢れている。 それは、この映画のストーリー自体がこの先どう転じていくのかという娯楽性とも合致し、楽しい。 過去に捨て去ったはずの血塗られた仕事を再開することで、自分の生きる価値を改めて見出し、みるみる活き活きとしていく主人公の様は、実は笑えない。 ただ、そういう役を演じるデンゼル・ワシントンはいつも大体「最高」である。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-09-22 22:46:11)(良:2票) 《改行有》

22.  インスタント沼 辛いことばかりのような世界だけれど、ふと気付くだけで、世界はこんなにも楽しいことに溢れているんだよ。 ということを、相変わらずの三木聡節で笑わしながら教えてくれる傑作だと思う。 しょうもない人間の滑稽さを並べ立てて、クスクス笑う映画だけれど、その中心にはしっかりと「芯」が通っている。 それは、滑稽だからこそ見えてくる人間の本質的な「価値」だと思う。 悩むことも、喜ぶことも、怒ることも、笑うことも、泣くことも、すべてひっくるめて人間というもので、そのすべてに対して「価値」があるということ。 そういうことを信じられるかどうかで、人生なんてものはいかようにも転じると思う。 何と言っても、麻生久美子が良い。 「時効警察」ですでに実証済みの三木聡監督の世界観の中でのコメディエンヌぶりは、麻生久美子という女優の幅を大いに広げている。 笑い、泣き、怒り、踊り……コロコロと変わっていく彼女の表情こそが、この映画が描く人間の本質だと思う。 「河童がいる」ということを基本的には信じていなくていいけど、「ちょっと今日は信じてみようかな」という日があった方が、きっと楽しい。[DVD(邦画)] 8点(2009-12-28 00:16:58)(良:4票) 《改行有》

23.  イーグル・アイ 何やら意味深な予告編だけでは、今ひとつストーリーのテイストが分からなかった本作だった。 が、観て納得。これは予備知識を入れずにフラットな状態で観るほど楽しめる映画だと思う。 そういうわけで、ストーリーの詳細は避けたいと思うが、言うなれば物語の本質は異なるが、超現代版「北北西に進路を取れ」的な印象を受けた。 とても面白かったと思う。 このところ大作映画への出演が続いているシャイア・ラブーフのパフォーマンスを初めて観たが、良い意味でスター性が薄い存在感が、エンターテイメント大作においてバランス良いのだと思う。スピルバーグが好んで起用している理由が分かる気がする。 個人的には、ビリー・ボブ・ソーントンの演技を久しぶりに見られたのも嬉しかった。テロに対して信念を持って対峙するFBI捜査官を、相変わらずの曲っ気たっぷりに演じてみせている。 下手をすればもっとコケている作品なのかもしれないという危惧もあっただけに、高いアクション性と、終始緊迫感溢れる展開に満足度は殊更に高い。[映画館(字幕)] 8点(2008-10-18 12:58:24)(良:1票) 《改行有》

24.  イベント・ホライゾン 思ったよりもグロくショッキングなシーンが多いが、映像の美しさとクオリティが洗練されているので、見応えのある映像世界に仕上がっている。ストーリーも宇宙空間の闇と虚無感に包まれた恐怖感が秀逸で、スリリングな展開に引き込まれる。あまり知られてはいないが、SFホラーの傑作と言っていい作品だと思う。[映画館(字幕)] 8点(2003-10-28 14:37:53)

25.  イル・ポスティーノ 作品中にも詩が出てくるけど、全体的に詩的でとても美しい映画だった。世の中の物事の真の価値や世界の美しさを教えてくれる。撮影直後に亡くなったマッシモ・トロイージの眼差しがとても深く、美しかった。感動を売りにした映画は多々あるけど、この映画は本当に感動の底が深い。[ビデオ(字幕)] 8点(2003-10-14 14:35:55)(良:1票)

26.  イレイザー(1996) 「ターミネーター」シリーズ、「トータル・リコール」、「トゥルーライズ」、90年代のアクション映画界の頂点に君臨したアーノルド・シュワルツェネッガーの“代表作”といえば、これらの作品を挙げるのが真っ当だろう。 ただ、これらの作品はどれも名監督の作品でもあり、監督の力量によって名作になり得ているということも多分にある。 そういう意味では、純粋な“シュワルツェネッガー映画”とは言い難いと勝手に思っている。 彼の絶頂期のピークに無名監督と組んで製作されたこの映画こそ、最も“シュワルツェネッガー映画”と呼ぶに相応しい作品だと断言したい。 改めて彼のフィルモグラフィーを振り返ってみると、1996年の今作以降明らかにハリウッドスタートしての下降線を辿っており、そういう意味では、最後の幸福なシュワルツェネッガー映画とも言えるのではないかと思う。 悪役の厭らしさ、脇役の小気味良さ、単純なストーリーを効果的に盛り上げるためのエスプリも意外な程コマメにに効いている。 そもそも「何が良いのか?」なんて語ることが馬鹿らしい。 大仰でも馬鹿みたいでも、シュワルツェネッガーがシュワルツェネッガーらしいということが最高なのだ。 パラシュートを放り投げてからのジェット機からのスカイダイビング、意味不明に凶暴な動物園のワニとの格闘、そして最後は重火器を両手に抱えて大立ち回り。 アーノルド・シュワルツェネッガーにこれ以上何が必要だというのだ?と逆に問いたい。 昨年(2013年)の「ラストスタンド」で、まだまだその存在感自体のエンターテイメント性を発揮してくれたシュワルツェネッガー。 栄枯盛衰、紆余曲折を経て、結局、新作を期待させるこの人のスター性はやはり本物。[映画館(字幕)] 8点(2003-10-06 01:07:17)(良:1票) 《改行有》

27.  インフェルノ(2016) 《ネタバレ》 ご存知ラングドン教授が、ヨーロッパの宗教史、美術史を辿りつつ、「謎」から「謎」を奔走する。 この映画はもはや、ミステリーに彩られたストーリーを追うものではなく、「謎解き」そのものを娯楽として楽しむべき豪華絢爛な“ジャンルムービー”なのだと思う。 ストーリーテリングが強引で粗があろうと、物語としての整合性があろうがなかろうが、「謎解き」そのものに対するカタルシスが得られれば、それでいいというスタンスなのだ。 娯楽の趣向としては、映画というよりも、ゲーム「レイトン教授」シリーズに近いものを感じた。まあ勿論、アチラのゲームが、この映画なり原作なりに着想を得ているのだろうけれど。 というわけで、年末の慌ただしい中、レイトショーで観た映画としては、面白過ぎるわけでもないし、駄作過ぎるわけでもなく、ちょうどいい塩梅で楽しめた。 前述の通り、ストーリー展開については苦笑を禁じ得ない稚拙な展開が目につく。 首謀者の計画の意味不明な遠回り感や、クライマックスの描写のグダグダ感など、サスペンス映画としての完成度は決して高くはない。 ただし、ロン・ハワードの監督の流石に洗練されたカメラワークや、三度ラングドン教授を演じたトム・ハンクスの安定感が、映画の表面的なクオリティーの高さをキープしている。 またこの映画の場合は“ヒロイン”の立て方がユニークで、大きな見どころとなっている。 ストーリー展開の中で入れ替わり立ち替わり存在する“ヒロイン”を巡る顛末こそが、今作の最大のサスペンスだと言えるかもしれない。 アカデミー賞ノミネートされた「博士と彼女のセオリー」の演技も記憶に新しいフェリシティ・ジョーンズの、“ある表情”の転換が見事だった。[映画館(字幕)] 7点(2016-12-14 09:22:20)《改行有》

28.  インビクタス/負けざる者たち 「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもの。 歴史上におけるトピックスと成り得る出来事は、往々にして、「創作」における「遠慮」を容易に飛び越えていく。 もしこの映画のストーリー展開が、完全なる創作だったとしたならば、「なんて安直で都合のいいストーリーだ」と批判は避けられないだろう。でも、事実なのだから、ストーリー展開そのものに対しては、批判のしようがないというものだ。 この映画は、二人のリーダーの話である。 一人は、ラグビー南アフリカ代表チーム“スプリングボクス”のキャプテンであったフランソワ・ピナール。そしてもう一人は、南アフリカ共和国という国そのものを率いたネルソン・マンデラ大統領その人だ。 特に際立っていたのは、モーガン・フリーマンが演じるネルソン・マンデラという「指導者」の、使命感と人生観だった。 27年間に及ぶ獄中生活を経てからの大統領就任。その初日の描写からこの映画は始まる。 当然あるはずの怒りや憎しみを抑えこみ、融和と寛容によって国家の混乱を治めようとする指導者の姿には、南アフリカ共和国にかぎらず、世界中総ての人々が教訓とすべき“在り方”が示されていたと思う。 そして、その偉大な指導者の人間性に触れ、国内において微妙な立ち位置の代表チームの主将として、「勝利」することの価値の大きさに共鳴していくフランソワ・ピナールの振る舞いが印象的だった。 偉大なリーダーの信念によって、人が、チームが、国が変わっていくということの本質を、この映画は伝えるのだと思う。 劇中、マンデラ大統領がこう言う。 「変わるべき時に私自身が変わられないなら、人々に変化を求められません」 必ずしもリーダーという立場にあろうがなかろうが、変わるべきは常に自分自身ということなのだろう。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2016-09-04 18:49:16)(良:1票) 《改行有》

29.  インデペンデンス・デイ: リサージェンス 大味である。真っ当なオトナが観る映画としては、馬鹿馬鹿しくて、粗いことは間違いない。 だがしかし、「そんなことどうでもいい!」と思えるくらいに、鑑賞中の多幸感が勝った。 それが、「ID4」の20年来の大ファンにとっての正直な気持ちである。 “あの独立記念日”を祝い、20年の歳月を経て、再び人類が滅ぶか否かの“独立記念日”を迎えた登場人物たちの「人生」そのものを思い、涙が出た。 誰がなんと言おうと、20年前の愛すべきSF超大作の、“愛すべき続編”だとまず断言したい。 何と言っても、20年前の独立記念日に世界を救った者たちの傍らに寄り添っていた子どもたちが、成長し、父親の後を継ぐかのうように世界を救うという、良い意味で恥も外聞もないベタな設定が「ID4」の大ファンとしてはたまらないのだ。 そう「ID4」という娯楽大作の最大の醍醐味は、そのベタさであり、王道っぷりであり、世界中の映画ファンが一度は憧れた「アメリカ万歳!」という精神なのだと思う。 前作が公開された1996年当時にして、「この映画は20世紀最後の幸福なアメリカ万歳映画」と評されていた。 それから20年、自身が巻き起こした世界の混迷とともに、かの超大国の世界的な権威は下降の一途を辿っている。 昨今の世界情勢を“普通”に捉えられている者ならば、冗談でも「アメリカ万歳!」などとは言えないのが実情である。 ただし、それは=それを決して言いたくないということではない。 世界中の多くの人たち、特にかつてアメリカという大国に対して何かしらの“憧れ”を抱いた人たちは、アメリカが再び真の意味で世界的な権威を取り戻すことを心の底では願っているのではないか。 ローランド・エメリッヒというドイツ人監督が生み出す超大作は、冒頭に記した通り、いつも大味で馬鹿馬鹿しいけれども、そういった拭い去れない“かつての憧れ”に対する思いが溢れている。 だから僕は、同じ思いを持つ者の一人として、この監督の作品を決して嫌いになれないのだとも思う。 1996年公開の前作も、大ヒット作品ではあるが、世間的には決して手放しで褒め称えられた作品ではなかった。 ただし、好きになった者の愛着の強さは、他のSF超大作に比べても類を見ないものだったと思う。 それはどうやら出演者たちにとっても同様だったようで、多くの主要キャストの続投に表れている。 “20年ぶりの続編”において、登場人物たちの再登場こそが、最大の娯楽性であることは間違いない。 ジェフ・ゴールドブラム、ビル・プルマンら主演キャストは勿論、ジャド・ハーシュやヴィヴィカ・A・フォックスら脇役陣もしっかり登場し、それぞれが、泣きどころ、笑いどころの見せ場を与えられていることが嬉しかった。 ウィル・スミスのキャスティングが叶わなかったことは残念だが、もはや大ハリウッドスターの彼が出演してしまうと、群像劇のバランスが崩れ、作品のテイスト自体に影響が出てしまっただろう。 彼が演じたヒラー大尉の成長した息子を主役級に配したことで、映画世界の中で世代が受け継がれていく様が鮮明になったとも思う。 受け継がれるといえば、ビル・プルマン演じるホイットモア元大統領の愛娘の凛々しく成長した姿も忘れてはならない。 前作での最大の落涙ポイントは、大統領夫人の死去シーンである。愛する妻を亡くし、悲しみの淵に沈みつつ、「ママは眠った」と幼い娘を抱き寄せるホイットモア大統領の姿は涙なしでは見られない。 そして、当時は母親の死を理解しきれない幼子だった娘が、今作において父の跡を継ぐようにパイロットとしてエイリアンに向かっていく様は、なんとも感慨深い。 一方でもっと登場させてほしかったキャラクターもいる。 前作において主役級の3人以上の“ヒーロー”であったケイス飛行士の子どもたちは、是非とも登場させて欲しかった。 またロバート・ロッジアが演じたグレイ将軍の登場シーンは嬉しかったが、それならばジェームズ・レブホーンが演じた途中解任された国防長官も1カットでもいいので登場させてあげてほしかったと思う。 そして、ヒロインの一人だったデヴィッドの奥さんは何処に行ってしまったのか……。 とかなんとかと、マニアックな“ほじくり”が尽きないのは、やはり僕自身がこの続編を充分に“堪能”したことの表れだと思う。 どうやら、今作の成功いかんで「3」の製作が決まるらしい。 今作のラストで触れられているように、今度は逃げるエイリアンの尻を追って更に馬鹿げた大風呂敷が広がっていくことは明らかなようだ。 仕方がない。大いに期待しよう。[映画館(字幕)] 7点(2016-07-18 19:19:48)(良:3票) 《改行有》

30.  イントゥ・ザ・ストーム 乱立する巨大竜巻に襲われる町、あらゆるものが吹き飛ばされていく中で、さりげなく“牛”の看板が飛ばされていく。 これは明らかに「ツイスター」オマージュであり、今作はそのオマージュを捧げるに相応しい“竜巻映画”に仕上がっている。 3ヶ月前に竜巻映画の金字塔である「ツイスター」を鑑賞し直したばかりだったので、類似点や相違点を比較することも楽しかった。 「ツイスター」が、竜巻ハンターの男女を主人公に配していることに対して、今作は竜巻ハンターも含まれていはいるが、あくまでも竜巻被害を受ける市井の人々を主軸にしており、「ディザスター映画(災害映画)」としての立ち位置としては、今作の方が正統だと思う。 全く予測可能な“モンスター”として描き出される今作は、竜巻という災害の恐怖感をより一層増幅させてみせていると思う。 ファウンド・フッテージを主軸にした撮影手法も、臨場感を効果的に高めている。 若者たちがiPhoneやハンディカムで延々と“恐怖”を映しとっていく様は、あながち非現実的ではなく、あまりにも巨大過ぎる事象を目の当たりにして衝動的にカメラを手にし続けてしまうことは、人間の心理として理解出来ることだろう。 映画のジャンルとしては、災害もののB級映画という範疇を超えていないかもしれない。 けれど、安直に過小評価することははばかられる程、意外にも完成度の高い映画だったと思う。 三連休中日にも関わらず鑑賞した上映回は、幸か不幸か“お一人様”状態だった。 映画館内でたった一人、まさに悪魔的な強風に襲われる登場人物たちを目の前にして、思わず座席の手すりを強く握ってしまった。 ディザスター映画好きであれば、そりゃマストな作品であることは間違いない。[映画館(字幕)] 7点(2014-09-14 09:20:52)《改行有》

31.  イップ・マン 葉問 邦題「イップ・マン 葉問」は、同じ人名がただ並んでいるだけで意味不明だが、原題「イップ・マン2」もなんだか安いヒーロー映画みたいに思える。ただし、このタイトルには意味があると思う。 前作に引き続き、反日感情、さらには反英感情の鬱積した思いが、過剰に描写されていることは、映画ファンとしてよりフラットな視点から観たい者として、居心地の悪さに繋がっていることは否めない。 ただし、前作鑑賞時と同様、抑えきれないその“感情”を描けることが出来るのは、当然その国の人間だけであり、これが映画である以上、他国民には理解し難い描写があることは致し方ないとも思えるし、それは映画表現においてある意味大切なことだとも思う。 そして、この優れたカンフー映画に対して、そういうどうにもならない感情と表現に対してあれこれと難癖を付けることは、無粋だと思う。 ドニー・イェンとサモ・ハン・キンポーが真っ向から拳を交えるという、この映画の最大の見所、それを心の底から楽しむということ。それが真っ当な映画ファンが取るべきスタンスだと思う。 前作は、日中戦争の渦中を舞台にし、主人公の武術家としての盛衰をドラマ性豊かに描き出したことに対し、今作は戦後の香港を舞台にして、より分かりやすい娯楽性を伴って仕上げられている。 プロットとしては、諸々のブルース・リー映画、ジャッキー・チェン映画、さらには「ベストキッド」やら「ロッキー4」やら、各国のカンフー映画、スポ根映画をごちゃ混ぜにしたような話になっている。 実在の人物を描いているとはいえ、とても“リアル”とは言い難い。 でも、もはや「イップ・マン(葉問)」という人物は、近代中国武術とそこから生まれたカンフー映画における「伝説」であり、タイトルに示された通り、特に中国人にとっては紛れもない「ヒーロー」であるのだろう。 ならば、真実のみを描くことが必ずしも正しいわけではないと思う。 ラストの小さな“李小龍”登場も含めて、中国国内に向けたこの映画のサービス精神、娯楽映画としての在り方は、圧倒的に正しいと思う。[インターネット(字幕)] 7点(2013-09-03 17:08:41)(良:1票) 《改行有》

32.  イップ・マン 序章 この映画で描かれる“イップ・マン(葉問)”という人物は、周知の通りあのブルース・リーの師匠として知られる人物である。 そのカンフースターであるブルース・リーや、その後を引き継いだジャッキー・チェンの映画を幼い頃から楽しんで観てきたけれど、一つだけいつも腑に落ちない点があった。 それは、映画の中で描かれる飲食店や肉屋なんかの従業員が、揃いも揃って武術の使い手として主人公に襲いかかるということ。 いくら中国だからって、そこいらに武術の使い手が溢れているわけなかろうと思い、これは欧米の人たちが日本にはどこにでも忍者がいるというような類いのフィクションなのだろうと思っていた。 しかし、今作や、先だって観た同じく“葉問”の半生を描いたウォン・カーウァイの「グランドマスター」を観て、そういう描写がある程度事実に基づいているものだということを知った。 詰まるところ、あの時代、混沌を極めた中国では、生きる場所と食い扶持にあぶれた数多の武術家たちが、“生きる術”としてそれぞれの生業を持ちつつ、同時にその中で流派を継続、または構築していったということなのだろう。 また、この映画の中で描かれるように、混乱する社会の中で“己”を守るために、人々は慣習として武術を身に付けていったのだろう。 そしてそれは、今作の舞台となっている日中戦争時代に必ずしも限ったことではなく、長い長い時間の中、常に「外敵」との対立の中で身を置いてきた“大陸”の民たちが、必然的に備えていた意識によるものだったのだと思う。 この映画は、カンフー映画としてのクオリティーはもちろん、そういった中国人の民族意識を知る上でも、非常に価値のある娯楽映画に仕上がっている。 終盤はどうしても、滲み出る反日感情がエスカレートしていき、日本人としては当然拒否感を覚えてしまう。 けれど、エピローグの説明描写は別にして、映画のストーリー展開の中の描写は、必ずしも行き過ぎたものではなく、実際にあり得た事象だろう。 そして、どちらが良い悪いなどではなく、そういった感情が根強く残っているという事実を「知る」ということは、非常に大切なことだろうと思う。 ともかくカンフー映画としての娯楽性の高さが、この映画において何よりも重要なことだろう。 そしてそれを司る主演ドニー・イェンが、やはり今一番信頼性の高いカンフースターであることは間違いない。[DVD(字幕)] 7点(2013-09-03 00:34:50)(良:1票) 《改行有》

33.  犬神家の一族(2006) 映画監督・市川崑、91歳。 はっきり言って、ただそれだけで、日本の映画界における至宝であり、伝説である。 その大々巨匠が、再びメガフォンをとる(この言い方ももはや年季を感じる)。しかも撮るのは「犬神家の一族」、主演は30年前と同じ石坂浩二、否が応にも驚きと期待が膨らむというもの。 実際、映画の内容がどうであれ、齢90を越える“生ける伝説”が撮る映画である。それがすべてだと思わざるを得ない。 そうして生み出された稀代のリメイクは、30年前のそれと同じく、衰えを全く感じさせない日本のミステリーの礎とも言える物語の見事な“再現”だったと思う。 ストーリー構成、キャラクター造形、シーン設定などそのほとんどが30年前のそれと、ほぼ狂いなく描き出されていることは、新しさには欠け、物語としての驚きはあまりない。 が、それでも観客を引き付けるのが、この物語の魅力であり、描き出した市川崑という映画人の絶対的な“力量”だと思う。[映画館(邦画)] 7点(2006-12-24 02:28:53)(良:1票) 《改行有》

34.  イン・ザ・ベッドルーム 《ネタバレ》 息子を殺した犯人を殺してきた夫を妻(シシー・スペイセク)がベッドルームに迎え入れるラストシーンが何とも感慨深い。アメリカ映画には珍しいと言える徹底したローテンションが逆に新鮮でじわりとこころに響く。なかなか好きになれる映画ではないが、印象度は強い。7点(2004-01-30 16:12:59)

35.  インビジブル(2000) 透明人間になることで人間性も薄れ凶暴になるという設定が非常にB級的で題材の質に合っていた。この悪趣味なノリの良さはポール・バーホーベンならではだと思う。CGのクオリティも高く、透明になりながらもその怪物性を演じて見せたケビン・ベーコンが見事。[ビデオ(字幕)] 7点(2003-12-20 13:24:46)

36.  #生きている ホラー映画は苦手だが、アクション性の高い“ゾンビ映画”であれば何とか見られる怖がり映画ファンにとっては、程よく恐ろしく、程よくエキサイティングな映画だった。 韓国映画とゾンビ映画の相性の良さは、昨年鑑賞した「新感染 ファイナル・エクスプレス」でも確認済みだったので、一定のクオリティは期待でき、実際そつなく仕上がっているし、終始ドキドキ、ハラハラしながら鑑賞することはできた。 主人公の設定が、団地に住みオンラインゲームに熱中する男子高校生ということは、韓国の現代の社会性をストーリーの中に反映する上で、効果的だったと思う。 舞台設定を主人公が済む団地の室内及び敷地内に限定して最後まで描き切ったことも、過剰なスペクタクル演出に頼らずに、突如として日常生活が一変したパニックを描き出すことができた要因だろう。 また、今年(2020年)に公開された映画に相応しく、“コロナ禍”による今現在進行中の「混乱」や「制限」を風刺する描写もあり、この映画がこの年に製作され、劇場公開中止の憂き目にあいつつも、Netflix配信で何とか世界配信に至ったことには意義があったと思う。 ただ、その一方で、タイムリーな題材、フレッシュな設定に対して、もう一歩、二歩、踏み込みが足りなかったとも思う。 アプローチこそ新しかったが、描き出されたストーリー展開や、その帰着は、あまりにもオーソドックスなものであり、ホラー映画としても、ゾンビ映画としても、サバイバル映画としても、捻りが足りないなと思ってしまった。 安易などんでん返しというようなことではなく、何かハッとさせられるラストの顛末が見たかったなと思う。 まあそれは、韓国映画の“土壌”が豊かであることをよく知っているからこその贅沢な注文なのだろうけれど。[インターネット(字幕)] 6点(2020-12-19 22:11:48)《改行有》

37.  イット・フォローズ 概念的な死生観そのものを「それ」と表現して、確かにそこに存在するのに正体が明らかにならない「恐怖」のメタファーとして描き出したホラー映画であることは理解できる。 しかし、ハイティーンの主人公の目線を主眼として、こんこんと紡ぎ出されたそのテーマ性が、ストーリーの中で最終的に腑に落ちず、靄々としたままエンディングロールを見送ることになってしまった。 “新しい視点”のホラー映画だと思うし、面白くない訳ではないけれど、恐怖映画が苦手なため評判の良さを耳にしながら後回しにしつつ、いたずらに期待感を膨らませ過ぎてしまったことが良くなかったと思う。 やはりこういう映画は、空いた時間にたまたま入った映画館や、眠れない夜にふと見始めた深夜放送で観た時に、最良の映画体験となるものだと思う。 思うに、この映画は主人公らの“お年頃”同様に、ティーン・エイジャー向けの、いやティーン・エイジャーのためのホラー映画なのではないか。 確実に意識的にだろうが、この映画のストーリー上に「大人」が直接的に絡むことが殆ど皆無であることからも、それは明らかだ。 この映画で描き出される「恐怖」の根幹にあるものは、「性」即ち「セックス」との距離感と、意味合いが、より強い年頃の若者たちの中に渦巻く不安定さや曖昧さに直結するものなのだと思う。 セックスという行為に触れることで露わになる自分自身の“生物感”と“不確定要素”。 それは人間としての経験が浅く、故にその行為そのものに対して憧れや畏怖、不安などといった様々な感情が渦巻く若者だからこそ鋭敏に感じ取れてしまう「恐れ」なのではないか。 このホラー映画における「それ」とは、まさにその得体の知れない曖昧な「恐れ」のことだったのではないだろうか。と、思う。 だからこそ、とうの昔に大人になり(別にセックスに精通しているとは言わなけれど)、少なからず何かしらの経験を重ねて、子どもまで生まれてしまった自分には、この映画で表現される恐怖の正体について理解めいたことはできるものの、実体感を感じることが出来なかったのだと思う。 したがって、「それ」という表現から滲み出る曖昧さ自体に対して靄々した感情が拭えず、物語上の整合性の欠如や、論理性の脆さが、雑音として響いてしまった。 しかし、この映画が新しい視点とアイデアを礎にしつつ、或る世代における普遍的な「畏怖」を具現化したチャレンジングなホラー映画であることは間違いない。“或る視点”の映画として、長く評価される作品だとも思う。[インターネット(字幕)] 6点(2018-10-08 00:03:34)《改行有》

38.  イヴの時間 劇場版 手塚治虫の「鉄腕アトム」を礎にして永年に渡って、様々な媒体で描かれてきたテーマ。それが、「人間」と「ロボット(アンドロイド)」との関係性。 何度も何度も描かれてきたテーマだけに、このアニメーション作品で描かれている主題は、善し悪しは別として「古典的」だと思う。 新進的な秀麗なアニメーションにおいて、その古典的な要素が際立っていることは間違いない。 それを素直に受け止められるかどうかで、この作品に対する評価は大いに左右されるような気がする。 想像よりも“驚き”は少ないストーリー展開に対して、拍子抜けしてしまう部分は確かにある。 ただし、それをある時点で受け入れられてからは、人間とロボットの心情が交じり合う様に純粋に感動も出来た。 物語全体のバックグラウンドはしっかりと設定されているようで、今作に収まり切れていないストーリーの展開も今後期待できるようだ。 どういう形で公開されるのかは知らないが、「続き」に対する興味は充分に大きい。 あまりに都合の良い設定や、台詞や展開のあざとさも随所で見受けられる。 が、決して嫌いではない。[DVD(邦画)] 6点(2011-01-03 02:08:38)《改行有》

39.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 「キル・ビルVol.2」以来のタランティーノの新作鑑賞。「キル・ビル~」ってもう6年前の映画なのかと、少々唖然とした。 そしてこの新作にも、大いに唖然とさせられた。 タランティーノ作品において、「唖然」という表現が“好評”なのか“不評”なのか、その単語のみでは正直判断がつかないだろう。 そして、「唖然」と発した自分自身も、実際のところ好不評の判断がつけづらい。 独特の台詞回しによる“タランティーノ節”に限って言えば、とてもタランティーノらしい台詞の掛け合いに溢れていた。 冒頭のナチスの大佐と農夫の対峙から、ナチス将校に扮したバスターズのメンバーが本物のナチス将校と酒を酌み交わすシーンまで、「タランティーノ!」という賞賛を思わず発したくなるような独特のユーモアと緊張感溢れる掛け合い震えた。 これは久しぶりに、評価に違わないタランティーノの傑作が誕生したんだな。とほぼ確信していた。 が、しかし、クライマックス近くまで非常に大きなエネルギーを感じたまま堪能できのだけれど、最終的な印象として「映画」としての魅力が無い、と感じてしまった。 何だろう?詰まるところ、クエンティン・タランティーノが「ナチス」を描く価値って何なのかが見出せなかったような気がする。 安直過ぎるほどにナチスを悪役として描き、それに残虐なまでの復讐を果たすバスターズの面々と、家族を殺された一人の娘。 結局、登場する全員が残虐なので、誰にも感情移入できない。 もちろん、これがタランティーノの映画である以上、感情移入なんて必要ないのかもしれない。 ただ、部分部分の台詞まわしやシーンは魅力的なのに、それぞれがバラバラで噛み合ない。 まあ“シュール”と言ってしまえばそれで済むのかもしれないけれど、やはりそれでは映画としてのカタルシスは得られない。 あ、そうそう。予想に反して見せ場の無いブラッド・ピットにも、唖然とする。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2010-06-22 00:03:03)(良:1票) 《改行有》

40.  イン・ザ・プール 果たしてひとつの映画作品として完成しているのかは、計りきれぬ部分がある。おそらく、結構映画化が難しい素材であり原作なのではないかと思う。 でも、人間の可笑しみに溢れたセリフのひとつひとつが秀逸で、松尾スズキをはじめとする演者の巧みさも手伝って、とても質の高いコメディになっている。 設定や登場人物そのものが常軌を逸しているけど、だからこそ人間の素の部分が見えてくると思う。 決して肩を張らない“ゆる~い”感じが、なんだか心地いいかも。[DVD(字幕)] 6点(2005-11-13 02:22:05)《改行有》

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