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プロフィール |
コメント数 |
9 |
性別 |
女性 |
年齢 |
46歳 |
自己紹介 |
★はじめまして★ 2008年1月からレビュー書かせてもらってます。 ミニシアター系が特に好きで、劇場で観るのが大好きです。 昨年は74本観ました。 今年もステキな作品にめぐり合えたらいいなって思います。
文章書く楽しさが最近分かってきたので これから観た作品のレビューを心を込めて 書いていこうと思いますので、ヨロシクお願いします★ |
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1. サラエボの花
《ネタバレ》 ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争について少しは知っていたが、この紛争後の女性の心の傷、そして恐ろしい「民族浄化」によって生まれてきた子どもに焦点をあてた作品は初めてだった。これらの作品には紛争の生々しいシーンは全く出てこない。ただ、登場人物によって、恐ろしいこの世の出来事とは思えない事実が語られる。同じ女性としてその出来事を考えただけで生きた心地がしない地獄のような世界。その世界を経験した彼女たちが、復興していくボスニアで一生消えない傷を隠し
一生懸命生きていく姿が描かれている。そしてそれを全く知らない子ども達。サラは、自分の父親はシャヒード(殉教者)だと思っていた。父親がシャヒードなら修学旅行代を免除してもらえるのに母親のエスマがその証明書を学校に提出しないことでサラはどんどん不満を募らせていく。サラは事実を全く知らないでいた。そんなサラがエスマにとった行動は、銃を向けることだった。苛立ちからだったかもしれない。しかし、エスマにしたらあのおぞましい光景が甦ったはずだ。その時、エスマは銃を払いのけ、サラに真実を語る。「民族浄化」によりレイプされ生まれてきた私生児ということを。エスマは妊娠中生まれてほしくないとお腹を強く何度も叩いた。
産んだ後、1度母乳をやるだけと思っていたのに抱き上げたとき、この世にこんな美しいものがあると知らなかったと彼女は語った。生命の誕生はこの世で一番素晴らしいことだと思う。そして私は、女性として生命を誕生させることをとても誇らしく思う。その決して犯されてはいけない神聖な出来事が戦争という醜いもにによって壊される。それを犯した人達も元々は母親から生まれてきた神聖なものなのに。しかし生まれてくる命に悪いものなんて何ひとつない。どんな形で命が宿ろうと、生まれてくる子ども達に罪なんてない。それを受け入れたエスマの複雑なキモチが伝わってくる。お腹を力の限り叩くなんて絶対できないことをしてしまう程受け入れることができなかったのに、それでも自分が全てであるこの世に生を受けた子どもは美しく、清らかな存在だった。2人は血が繋がっている、親子なのだから。一生2人は心に傷を負って生きるだろう。しかし、その傷を少しでも癒すのはお互いの存在であるはずだ。なぜならそこには必ず「愛」があるからだ。目には見えないけれど、親子の「愛」もこの世で神聖なものだから。[映画館(字幕)] 8点(2008-02-03 22:09:11)《改行有》
2. 再会の街で
《ネタバレ》 9・11で愛する家族を失ったチャーリー。彼は仕事を辞め一人アパートで暮らしていた。そんな彼の大学時代のルームメイト、アランが偶然NYの街中で彼を発見する。しかしチャーリーはアランを覚えていなかった。傷に触れないよう、思い出も記憶も生活も仕事も、過去に存在していたもの全て封印していたのだ。心を閉ざした象徴としていつもヘッドフォンをしていた。一方アランも自分の時間のない生活にうんざりしていた。アランは彼といることで変化のない生活から解放され「自分」という存在を強く意識できるようになっていた。過去から逃げる男と自分の存在価値を見出せない男。お互いが必要だった2人。アランは彼にセラピストに診てもらうよう勧め、あるセラピストの一言が彼の心を動かした。「誰かに話を聞いてもらうことが大切なの」それを聞いた彼は、アランにあの日の出来事を話し始めた。今まで封印していたものを紐解き、愛する家族のことを涙を流しながら丁寧に語り始めた。その晩彼は自殺を図ろうとした。記憶を紐解いてしまった為今度こそ現実逃避できなくなってしまった。精神病院に入れられ、入院が必要だという裁判にかけられる。彼は充分傷つき、悲しんだ。それでも仲たがいしていた義理父母に街ゆく女性達が妻や子供たちに見えると話した。写真がなくてもいつでも家族を思い出せることを。そして最後に義母の頬にキスをする。彼は分かっていた。娘を失った義理父母の悲しみを。一番分かり合えたであろう人達との喧嘩。それも彼を更に苦しめていた。彼は誰にも悲しみを打ち明けずにずっと一人で闘っていた。あの日を後悔しても愛する家族は戻らない。その和解を示すキス。傷つきボロボロなのに相手を思いやる彼の優しさ。彼を見守ってきたアラン、精神科医のアンジェラ、元親友のシュガーマン、管理人。彼の周りには友達と優しさが存在していた。そしてアランも妻と向き合うことを決める。チャーリーのお蔭で家族という大切な存在に感謝し自分を持つということの大切さも学んだのだ。チャーリー愛用の原付スクーターで家路へ急ぐアラン。冒頭の悲しさを背負ったチャーリーの背中と違い背筋が伸び生き生きとしたアランの背中。その背中に2人の未来の希望を見出すことができた。人は優しさによって生かされる。そして、その優しさが自分をも助けるのだ。[映画館(字幕)] 10点(2008-01-19 23:55:43)(良:1票)
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