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プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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61.  しあわせの雨傘 異国の映画を観ていると、作品自体の善し悪しの以前に登場人物たちの思想や言動に違和感を感じてしまうことが多々ある。 それは、世界各国の映画を観る上で必然的に生じる事象であり、仕方が無いことだけれど、最終的にドラマ自体に共感出来ないとなると、その映画を好きになることはやはり出来ない。 フランス映画は見慣れている方だし、フランソワ・オゾンは「8人の女たち」大好きな監督だけれど、そういう理由で残念ながら好きにはなれない映画だった。 大女優の風格と絶対的なバイタリティーを存分に見せてくれるカトリーヌ・ドヌーヴは、もはや存在感そのものが魅力的だった。 彼女が赤ジャージを着て、朝のジョギングをするファーストシーンから映画としての面白味は備わっていたと思う。 専業主婦の主人公がふとしたきっかけで傘工場の社長である夫の仕事を引き継ぎ、対外的な生活に転じ、自らを抑圧から解放させていく様は、ユニークで気持ちが良かった。 しかし、その「解放」が予想外に別方向へ突き進んでいってしまう。 夫との確執が家族全体の確執に発展し、主人公のあまりに奔放な過去までもつまびらかにされていき、突如として人間関係が泥沼化する。 次第に主人公の、女と男、結婚と離婚、セックスと妊娠、諸々に対する価値観についていけなくなり、映画世界そのものに違和感を感じたままエンドロールを迎えてしまった。 映画を観て、それを面白いと思うことは、自分が他者の価値観を受け入れられるかどうかということに他ならないと思う。 そのことを改めて確認した作品だったと思う。[DVD(字幕)] 5点(2011-09-19 09:37:33)《改行有》

62.  Gガール/破壊的な彼女 もしアメリカンコミックの典型的なスーパーヒーローが、恋愛偏差値の低い女性だったらどうなるか? この映画はその一見他愛も無い想像を、真剣に具現化してみせたある意味まっとうなラブコメ映画だと思う。 主人公のスーバーガールにユマ・サーマンをキャスティングし、他の映画では見られない彼女の表情がまず楽しめる。 駄目男に恋をする可愛らしい表情から、一転嫉妬に怒り狂う恐ろしい表情まで、ユマ・サーマンがこれほど一つの映画でくるくると表情を変える様は観たことがなく、そのことが新鮮だった。 終始ドタバタのコメディ映画のように表現されているが、部分部分で、男性女性それぞれの本質を表さす様が描かれており、ただの低俗なユーモアでは留まらない質の高さがあったと思う。 ところどころ「そこまでユマ・サーマンにやらせていいのか」と思えるようなエロいシーンや台詞回しなどもあり、終盤の女同士の壮絶な争いまで、躊躇ない展開はこの映画のテーマ性に合致していたと思う。 ラストシーンに表されているように、結局、男性は本気になった女性には到底かなわず、大人しくビールでも飲んでいるしかない。 そういうことを怒濤のラブコメ展開の中で雄弁に語る映画である。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-07-19 15:21:53)《改行有》

63.  沈まぬ太陽 日の丸親方の大企業を軸とした様々な人間の、様々な思惑、正義、悪意がめくるめく様を描いた長ーい物語。 202分にも及ぶ大長編で、内容が内容なので、とてもじゃないが気軽には観られない。数ヶ月前に録画しておいたものをようやく観ることができた。 山崎豊子の長編を渡辺謙をはじめとする映画スタッフが気合いを入れて長い長い映画に仕上げただけあって、骨太で見応えのある作品だったとは思う。 個人的に、こういうそれなりに名を馳せた多くのキャストが色々な役で登場する作品は好きなので、次々に登場する俳優陣の顔ぶれを見ているだけでも、興奮させられた。 冒頭にも記した通り、様々な人間の様々な思惑が絡み合う人間ドラマなので、最終的に「誰が正しい」ということは言えないもどかしさを、ラストシーンを観ながら感じた。 そのことが、見終わった後のカタルシスの欠如に繋がったことも否めない。 ただし、この物語はまさにそういう社会自体のもどかしさを描いたものであり、それをしっかりと表現したこの映画の方向性は決して間違っていないと思う。 そして、「フィクションだ」と濁してはいるけれど、この物語が実在の巨大企業の顛末をモチーフにして描かれていることは明らかであり、実際にどういう問題があって現状に至っているのかという「実情」がとてもリアルに理解できた。 現実に即し、安直なドラマティックを排除した実直な映画だと思う。 でも、渡辺謙演じる主人公が、自らの信念に対してあまりにも頑すぎて、その絶対的な実直さが逆に人間として共感できないなあと、個人的には思ってしまった。[地上波(邦画)] 6点(2011-05-02 15:48:03)《改行有》

64.  シングルマン 《ネタバレ》 この映画は、一人の男が、「死」に向かう“一日”という道中を描いた“ロード・ムービー”だと思う。 孤独に苛まれた男が、何処か遠くに行くわけではない。普段と変わらない一日をある「決意」を込めて生きるだけの話である。 だけれど、そこには起伏に富んだ出来事と出会いが繰り返される。 “孤独感”に埋め尽くされて色彩の無かった世界が、ふとしたことで色味を帯びていく。 それは、世界中のすべての人間の何気ない日常の中に、「生きる」ということの意味と価値が溢れているということを物語っている。 それと同時に、世界が色を帯びていく過程には、「死」を決意した男自身が、「生きたい」という本能に気付いていく様を感じた。それは、「明快」という言葉を隠れ蓑にして現実から目を伏せてきた男が、自分が在る世界を直視したということだったと思う。 結果的に、一日の最後に主人公の男が得た結末は、目覚めたときに決意したままのものだったかもしれない。 しかし、そこには明確な違いがある。 “死ぬために生きる”のか“死ぬまで生きる”のか。 同じように聞こえる言葉の価値の違いを強く感じる映画だった。 世界的デザイナーのトム・フォードという人が初監督をした映画だけに、作品全体に強い「美意識」が溢れている。 そういうタイプの映画は多いけれど、この映画の美意識は決してビジュアルの表面的な部分だけではなく、人間のインサイドに至るまで徹底的に反映されている。 素晴らしい才能だと思う。[DVD(字幕)] 8点(2011-04-05 14:17:29)(良:1票) 《改行有》

65.  シーサイドモーテル やりたいことは分かる。狙っている世界観もファーストシーンからラストシーンまでビンビンと伝わってくる。 だが、ウマくいっていない。そして、面白くはない。 山間の小汚いモーテル、海なんて何処からも見えないのに、その名も「シーサイドモーテル」。そこに集まった4組の訳あり男女。それぞれのシチュエーションの中で巻き起こる”騙し合い”。 キャストは生田斗真、麻生久美子、山田孝之、玉山鉄二、成海璃子、古田新太……と華やかさを併せ持つ曲者揃い。 「ああ、面白そうだ……」と、予告を見た段階で止めておくことが、最も幸福なのかもしれないが、もちろんそういうわけにはいかないわけで……。 何と言うか、面白く無さ過ぎて腹立たしいなんてことは全然ないのだけれど、きっぱりと面白くないと断言は出来て、その失敗の様を何故だか微笑ましく眺めてしまう。そんな映画。 それは、この映画に携わったスタッフも演者もみな決して手は抜いていないということが、ひしひしと伝わってくるからかもしれない。 「タランティーノばりに面白い映画を作ろう!」とそれぞれが頑張っているのだけれど、噛み合っていないというか、そもそも話が面白くないというか。 無意味にハイテンションな演出なので、舞台で各部屋のセットを立体的に組んで演れば、結構面白い舞台になるかもしれない。と、可哀想なのでフォローしてみる……。 まあ、いいよ。こういう映画もあって良いよ。 P.S.「手紙」の後にこの映画を観た。山田孝之&玉山鉄二の役柄のギャップは、楽しみがいがあった。そういう要素も、映画の醍醐味だと思う。[DVD(邦画)] 5点(2010-12-25 02:10:49)《改行有》

66.  知りすぎていた男 ああ、もうしかしたらこうなるのかもな。こうなったら面白いな。 と、卓越したサスペンスの中で、その先の用意されているだろう「顛末」に期待が大いに膨らんでいく。 しかし、ストーリーは想定外に”ストレート”に展開し、“ストン”と終わってしまう。 アルフレッド・ヒッチッコックの作品を観ていると、決まってそういう感想を抱いて、「これでおわり?」と思いながらエンディングを迎える。 残念ながら、この作品もその例に漏れなかった。 ある幸福な家族が北アフリカでの旅の途中、「陰謀」に巻き込まれる。 最愛の息子をさらわれ、誰も信じられない状況の中、夫婦は自分たちのみで息子の奪還に挑む。 映画は北アフリカの情緒感の中から始まり、「何が起こっているのか?」というミステリアスな導入部分から途端にトラブルに放り込まれる感覚は、上質な緊迫感に溢れていたと思う。 ただやっぱりストーリーの展開に面白味が無い。 主人公たちがバタバタとトラブルに巻き込まれるばかりで、意外性や衝撃性がまるでない。 逆に、無駄にぐだぐだとした惰性のシーンばかりが目についてしまう。 五十数年前の映画に、現在でも通用するような“驚き”の提供を期待することは酷なことかもしれない。 でも、それが映画史を代表するサスペンスの巨匠の映画というのであれば、やはり期待はしてしまう。[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-12-10 12:10:40)《改行有》

67.  仁義なき戦い 広島死闘篇 シリーズの順番を違えて、第三弾「代理戦争」を観た直後に、第二弾である今作を観た分、余計に特徴的な個々人の人間描写が鮮烈に印象に残った。 何と言っても配役が凄い。 シリーズの主人公である菅原文太演じる広能昌三を脇に配し、北大路欣也、梶芽衣子、千葉真一がそれぞれ濃すぎるほどの芝居を見せつけてくれる。 それぞれが決して魅力的なキャラクターというわけではないのだけれど、台詞を発する一つ一つの息づかいや、ぎらつくような目つきに、目が離せなくなる。 特に千葉真一演じる暴徒のキレっぷりは圧倒的だった。文字通り男の血と汗がたぎる映画世界の中にあって、梶芽衣子の色香も極上。 それにしても、深作欣二が生み出した同シリーズは、オリジナル全5作品がたった2年間の間に立て続けに公開されたことに驚く。 これほどまでに濃い映画を、これほどまでに濃いキャストをもってして連発した当時の日本映画界のエネルギーは、とても今の映画界の裁量でははかれないだろう。 つくづくあらゆる面において、「圧巻」の一言に尽きる映画だと思う。[DVD(邦画)] 8点(2010-09-12 19:52:01)《改行有》

68.  情婦 「情婦」という言葉の意味を、辞書で調べてみた。 辞書によると、“男の情人である女”、“色女”とあり、あまり良い意味合いではない。 アガサ・クリスティの原作の原題が「Witness for the Prosecution(検察側の証人)」であることに対して、この邦題が作品にふさわしいかどうかには、いささか疑問が残る。 ただ、この映画で描かれる“女”の愚かしさ、そして儚さを何とか表現しようとした時、「情婦」という言葉は、決して意味合いが一致するとは言えないが、ある視点から捉えればあながち外れてはいないのかもしれないと思った。 ビリー・ワイルダー監督が、エンドクレジットでわざわざ結末の「他言無用」を掲げていることが、この上なく理解出来るほど、ラストの顛末が総てだと言える映画だった。 古い映画らしく、全編通してカメラワークの動きが少ない淡々とした法廷サスペンスが展開される。 この淡々とした法廷サスペンスに、どれほどの“驚き”が含まれるものだろうか。 疑心暗鬼な思いが大いに膨らんできた頃、ビリー・ワイルダーが他言を禁じた「結末」が訪れた。 いや参った。素晴らしい。“驚き”に対して充分に構えた上で、それでも驚かされた。 素晴らしいのは、その衝撃の展開においても、映画のテンションが劇的に転じるというわけではなく、一貫して淡々としたままであるということだ。 場面も変えず、登場人物の台詞のみでこの作品の核心である衝撃を表現し切っている。 「結末」を得ると、それまでの淡々とした展開も、敢えて観客に感情の焦点を絞らせない深い計算によるものだったのだと思い知る。 アガサ・クリスティの原作の高尚さもさることながら、ビリー・ワイルダーの卓越した映画術が如実に表われた結果だと思う。 「真実」の表と裏、男と女の愚かさと切なさ、そして、それらを総て含めた人間の感情の妙に溢れた結末に身震いした。 中盤、深夜の鑑賞には堪え難い眠気に包み込まれそうになったが、用意されていた顛末によってそれは一気に消し飛んだ。 更には、観終わった直後に再びクライマックスを観直してしまった。 ようやく涼しくなってきた秋の夜長、襲ってきた睡魔を見事に返り討ち、「映画鑑賞」の本質的な充足感と幸福感を与えてくれたこの映画は、「名作」の名に相応しい。[DVD(字幕)] 10点(2010-09-12 10:25:22)《改行有》

69.  仁義なき戦い 代理戦争 現在(2010.9)放映されている某ビール会社のCMで、御年77歳の菅原文太が、物凄い風格を携えて立ち飲み屋でビールを飲んでいる。 ただのCMだが、菅原文太という大俳優のスター性を改めて感じた。それと同時に、昭和の日本映画史を彩ったスター俳優も、自然の摂理の中で徐々に少なくなってしまったことに一抹の淋しさを覚える。 そんな思いもあって、菅原文太の映画を観たくなった。彼の代表作と言えば、一にも二にも「仁義なき戦い」だろう。数年前に第一作目を観て、その溢れ出る映画のエネルギーに圧倒された。 番外編と評される第二作目を飛ばして、深作監督作品のシリーズ中、最も評価の高い第三作目の今作を観た。 「代理戦争」という副題が表す通り、やくざの組織対組織の思惑がぶつかり合う”かけひき”の様が色濃く描かれた作品だった。 菅原文太演じる広能昌三も、やくざ組織の中の愚かしい欲望の乱立の中で鬱積する場面が多く、一作目のような強大なエネルギーとインパクトは得られなかった。 やくざ映画らしい抗争シーンは何度か挟み込まれるが、トータルすると、どこの世界でもあり得る“政治劇”を観ているような印象を持った。 菅原文太の憤りが溢れる苦悩の表情で映画は終わってしまうので、観ている方もカタルシスが満たされぬまま苦悶してしまう。 どうしてこの作品がシリーズ中、最高評価を得ているのかは理解出来なかったが、シリーズを転換させていくための作品としては重要な人間模様を描いていると思う。 そして、単純に血で血を洗いのし上がっていく様だけを描かず、今作で描き出されたようなやくざ社会の中での“政治”の様や、盃の取り交わしと裏切りが表裏一体であるこの世界の異様なまでの愚かしさまでを、徹底して描き連ねたことが、この映画の孤高の価値に繋がっていると思った。 飛ばしてしまった第二作目も含め、この際、全シリーズ作品を観てみようと思う。[DVD(邦画)] 6点(2010-09-10 16:25:37)《改行有》

70.  処刑人II 《ネタバレ》 前作「処刑人」を観てからもう10年も経つ。 先ず思ったのは、あのスタイリッシュな映像センスと冒険心に溢れたアクション映画の続編が、何故このタイミングまで公開されなかったのかということだった。 “万年ネタ不足”に悩まされる今のハリウッドであれば、とうの昔に続編が製作されていて、下手すりゃ「3」とか「4」まで作られていてもおかしくはない。 どうやらその答えは監督のトロイ・ダフィーにあるらしい。 かなりの問題児らしく、前作の製作の段階でも大手製作会社ともめにもめて、結局ほとんど自主製作のような形で撮ったとのこと。 とにもかくにも、根強いファンからの待望論も手伝ってようやく日の目を見た続編。 10年という年月は流石に長くて、前作が「想像以上に面白かった」というインパクトは確実に残っているのだけれど、実際どんなテンションの映画だったかということに対する記憶が正直薄れてしまっていた。 そんなわけで、10年前の記憶を思い起こすように手探りで映画を観始めた。 冒頭から何となくテンポの悪さと、過剰なバタ臭さを感じ、居心地の悪さを感じた。 「何かが足りない」と思い、蘇ってきたのは「彼」の存在だった。 前作で、超個性的な敏腕刑事役として登場したウィレム・デフォーが居ない。 「出演交渉がうまくいかなかったのか……」と残念に思いつつ、中盤に差しかかった。 すると、一転して映画のテンションが加速する。 そこまでどこか遠慮していたようなテンポの悪さが無くなり、前作を彷彿とさせるインパクトが映画を包み込んだ。 そうしてクライマックスまで突っ走り、最後の最後で、唯一欠けていた“ピース”もちゃんとはめ込んでくれた。 過剰で無意味な演出やムラも感じられたが、トータル的には前作のファンも満足できる続編だったと思う。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2010-09-06 00:10:19)《改行有》

71.  ジャガーノート 爆弾の解体シーンにおける、「赤か?青か?」の大定番を生み出したと言われる本作。 大定番の「初出」に相応しい見事なサスペンスアクションを堪能出来た。 冒頭の船出のシーンと“ブリタニック号”という船舶名から、海洋パニック映画の雰囲気を携えて映画はスタートする。しかし、その雰囲気を良い意味で一変させて、船上の爆弾解体と本国での犯人捜しという2本のラインを並行させてサスペンスフルな展開が巧みだったと思う。 ストーリー自体の巧みさもさることながら、やはり何と言っても特筆すべきは、爆弾解体の緊迫感だろう。 爆弾犯が仕組んだ幾重ものトラップかいくぐりながら解体していく様は、このジャンルの映画の常套手段的な演出であるが、その礎となった今作の”オリジナリティ”は上質で印象的だった。 それにしても、今作のタイトルを知ったのは映画「交渉人 真下正義」で犯人が引用したことからだが、このように優れた映画でもタイトルも知らない映画もまだまだ多いのだろうと思う。 観なければならない映画は尽きない。[DVD(字幕)] 7点(2010-08-01 23:20:15)《改行有》

72.  シャッター アイランド 心労による偏頭痛がじっとりとまとわりつく土曜日のレイトショー。 仕事終わり、わざわざ隣街の遠い映画館まで車を走らせて、この映画を観に行った。 なぜそんな苦労をしなければならなかったか。理由は、近場の3つの映画館では揃って「超吹替版」という得体の知れないバージョンでしか上映をしていなかったからだ。 吹替版を一方的に非難するつもりはないのだが、個人的には、言語が分からないのであれば外国映画はやはり字幕で観るべきだと思う。 字幕として翻訳することで誤訳や微妙なニュアンスの相違が生じていることは知っている。スクリーン上に表現されている様々な要素を見逃さないためには、字幕を追うことはマイナス要因だとは思う。 ただし、だからと言って「吹替版を観た方が良い」ということにはならない。 俳優本人が発する台詞のトーンや息づかい、そういうものを無視することは、映画という表現に対する一種の冒涜だとさえ思ってしまう。 結論として感じたことは、吹替版しか上映していなかった3つの映画館に対する多大な嫌悪感だった。この映画を吹替なんかで観ていたらと思うと、ゾッとする。 非常にまわりくどくなってしまったが、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオが四度タッグを組んだこの作品は、絶対的に凄い映画である。 この映画の絶対的な価値は、「謎」そのものに対する安直な衝撃ではなく、本当に優れた映画監督と映画俳優が緻密に創り上げた、ミステリアスに溢れた上質な映画世界そのものであると思う。 いかにもおどろおどろしい孤島の犯罪者専門の精神病院で、主人公がミステリーの渦に呑み込まれていく。それはむしろ予定調和とも言えるほど王道的な展開である。 その必然性に真っ向から臨み、単なる驚きを超えた緊迫感を生み出す。 それは、本当に「映画」を知り尽くした者たちのみが成せる業だと思う。 スコセッシが描き出す陽炎のような映画世界。そこに圧倒的な存在感で息づくディカプリオ。光の屈折、音の響き、漂ってくる匂い、その「空気」の動きこそ、この映画で感じるべきことだと思った。 それは、「吹替版」ではやはり味わえない。[映画館(字幕)] 10点(2010-04-11 01:10:57)(良:2票) 《改行有》

73.  ジェネラル・ルージュの凱旋 面白い原作に対して、おそらく完成度の高い映画にはなっていないだろうな。 という予想は容易について、それはたぶん間違いないということを分かっていながら、やっぱり気になるので観てしまう。そういう映画は時々ある……。 前作「チーム・バチスタの栄光」は、原作が持つ独特の医療サスペンスの世界をちっとも反映出来ていない「駄作」を超えて「愚作」と評することをいとわない作品だった。 それと同じ監督、同じ主演コンビで製作された今作が、決して良い映画に仕上がっているわけがないことは、分かっていたのだけれど、どうしても気になる要素があって結局鑑賞に至った。 その要素とは、“ジェネラル・ルージュ”を演じた堺雅人だ。 今回の物語の場合、要となるのは竹内結子&阿部寛が演じる主演コンビではなく、救命救急センターの絶対的な“将軍”速水センター長を演じる堺雅人の存在であり、彼のパフォーマンスいかんでは映画の完成度に大いに影響すると思われた。 その思惑通り、堺雅人は要となるキャラクターを原作のイメージを損なうことなく表現しており、その点で映画としての一定の説得力は保たれたと思う。 ただし、やはりそれでも、前作同様、原作の持ち味をちっとも反映出来ていない。 この監督が何故だか入れたがる意味不明で面白くも何ともないギャグシーンには、前作での免疫もあったので若干慣れたが、ストーリー展開として盛り上がるべき点をきちんと押さえられていないことは、致命的だと思う。 “バチスタ”に続き今作の監督も担当した中村義洋という人。 このシリーズ作だけを観ると、どうしようもない駄目監督というレッテルを貼りたくなるが、「アヒルと鴨のコインロッカー」「フィッシュストーリー」「ゴールデンスランバー」と立て続けに監督した伊坂幸太郎作品では、とても良い結果を残している。 映画監督と原作には、クリエイターの優劣とは別の“向き”・“不向き”があるのだろうと改めて思う。[DVD(邦画)] 3点(2010-04-01 12:31:56)《改行有》

74.  少年メリケンサック ふとそれに気がついて、意外に思った。 宮崎あおいの出演作を昨年(2009年)は、一本も観ていなかった。それどころか、もっと確かめると、最後に観た彼女の出演映画は、2006年の「ただ、君を愛してる」だった。 3年以上も彼女の演技を映画で見ていなかった。何たることだ。と、思った。 今年の日本アカデミー賞で、主演女優賞にノミネートされた彼女の紹介映像で、今作のワンシーンが流れた。 「何だか面白い演技をしている」と、とても新鮮に感じ、久しぶりに彼女の映画を観たいと思った。 言わずもがな僕は宮崎あおいという女優のファンである。10年近く。 それなのにどうして3年以上も出演映画を観ていなかったのか。 一昨年の大河ドラマの出演の影響で、出演作品数自体が少なかったということももちろん一因だけれど、はっきり言うと「観たい!」と思える作品がなかったということに尽きると思う。 大河ドラマの出演とその成功、CMなどへの露出拡大に伴い、宮崎あおいという女優は、一躍“国民的女優”となった。 そんな中で、彼女の”畑”である映画に対する立ち位置も確実に変化をせざるを得ない状況となったと思う。 詰まるところ、以前のようにフットワーク軽く若手映画監督の挑戦的作品に出演しづらくなってしまった。 それが、彼女の出演映画を「観たい!」と思えなくなってしまっていた要因だと思う。 そんなわけで、この映画についても、自分の中で敬遠していた。 敬遠していた理由はもう一つあって。 クドカンは好きだけれど、彼の良さは長編映画では発揮されにくい。“クドカンワールド”は、テレビドラマや舞台など時間や環境に「制限」がある媒体でこそ発揮されると思う。なのでこの映画も、きっと笑えるし面白いんだろうけど、トータル的にはクドカンが個人的な趣味趣向に突っ走った作品なんだろうと、分かっていた。そして実際そうだった。 ただ今回は、端から「宮崎あおいを見よう」と思って、この映画を観た。 さすがに宮崎あおいで、滅茶苦茶な映画世界の中で、存分にコメディエンヌとしての魅力を見せてつけていた。 終始、「かわいい」としか言いようが無いし、やはりこの女優は凄いと思った。 じゃあそれでいいじゃない。と、思う。[DVD(邦画)] 6点(2010-03-15 16:41:16)(良:1票) 《改行有》

75.  シャーロック・ホームズ(2009) “シャーロック・ホームズ”の今更の映画化、しかも監督は、ガイ・リッチー。 正直、「なんだそりゃ」と、イメージのアンバランスさに戸惑ってしまった。 更に、主人公“シャーロック・ホームズ”を演じるのは、ハリウッドきっての問題児、ロバート・ダウニーJr.。 流石に“悪ノリ”し過ぎなんじゃないかと一抹の不安を保ちつつ、鑑賞に至る。 予想通り、“悪ノリ”し過ぎている。が、問答無用に”面白い”。 コナン・ドイルの世界的古典「シャーロック・ホームズ」と、ブリティッシュ・ギャング映画を得意とするガイ・リッチーのまさかの融合。 そこに生まれたのは、奇跡的なエンターテイメントだった。 “英国紳士”という世界的なイメージが定着しているシャーロック・ホームズというキャラクターを、180度転じた無頼漢に仕立て直した試みが、何と言っても面白い。 しかも、そこにロバート・ダウニーJr.を配した潔い抜群のキャスティングに脱帽だ。 実は今年に入って、ロバート・ダウニーJr.主演の「アイアンマン」を観たばかりで、立て続けて新たな造詣の”ヒーロー”を演じる彼の姿を見て、自らの”過ち”を糧にして新境地を切り開いた役者魂を感じずにはいられない。 混沌とする現代社会は、汚れのない真っ当なヒーローなんて真実味がなくて魅力を感じないのだと思う。 不潔でだらしなくて、多少強引に「正義」を貫く新たなヒーローの姿に、共感し喝采を送る時代なのだ。 ただし、「アイアンマン」と並び、これでヒーローシリーズの主役を張り続けるしかないロバート・ダウニーJr.には、ぐれぐれも真っ当に俳優業を続けてほしいものだ。[映画館(字幕)] 8点(2010-03-14 03:05:21)《改行有》

76.  食堂かたつむり 今僕が日々の生活で生きていく中で、とても大切にしていることは、「食べる」ということだ。 それはもちろん、今に始まった感覚ではないが、歳を重ねていく中で、殊更にそれの重要さが身に染みてきている気がする。 分かり切ったことではあるけれど、人生は楽しいことばかりではなく、むしろ辛いことの方が多い。 ただその中で、日々の「食べる」という行為が充実していれば、ただそれだけで人生は幸福になり得る。と、思う。 「生きることは、食べること」と、この映画は謳う。 それはとてもシンプルなことだけれど、幸福感に溢れ、同時に、潔く、厳しい「真実」だと思う。そして、その「真実」をきちんと描いたこの映画は、同じようにシンプルで、ただただ素晴らしい。 “とある事情で”で声が出なくなってしまった主人公、倫子。彼女が出来ることは、ただ美味しい“ごはん”を作れることのみ。彼女が作った小さな「食堂かたつむり」に訪れ、食事をした人々は、次々に願いが叶っていく。 温もりに溢れたプロットに、温もりに溢れたおいしそうなごはんが次々に登場し、その美味しそうなごはんと、それを美味しそうに食べる人たちの姿を見るだけで、幸福になる作品だ。 ただ、この映画は、そういった幸福なグルメ映画の範疇だけでは留まらない。 「食べる」という行為の根本を、もっとひたすらに純粋に追求し、その根本をしっかりと描いている。 料理自体の”美味しさ”は二の次で、それよりも前に存在する、「食べる」そして「生きる」というすべての生命の営みにおける「幸福」と「残酷」を真正面からしっかりと描き切っている。 その“まっすぐさ”が、この映画の最大の素晴らしさだと思う。[映画館(邦画)] 8点(2010-02-11 08:52:50)《改行有》

77.  G.I.ジョー(2009) G.I.ジョーの玩具で遊んだ日本人は実際それほど多くないとは思う。が、同様の人形遊びの概念は世界共通で、その“遊び”を莫大な製作費をかけてそのまんま映画化した実に豪快な映画だったと思う。 子供が好き勝手にストーリー立てるように、実際ストーリーなんてあってないようなもの。止めどなく繰り広げられるアクションとエンターテイメントを、ひたすらに楽しむべき映画で、「映画を観る」とういことで、かつての“遊び”の感覚がよみがえってくる。 俗に言うアメコミ映画ではないので、映画化において難しい部分はあったと思うが、流石はスティーヴン・ソマーズ。小気味良い娯楽性の高さと、盛り上げの巧さが光る。 「玩具」の映画化に相応しく、最大の見所は敵味方の境なく披露されるギミックの格好良さだと思う。 パリの街を所狭しと駆け回るハイパースーツから、すべてを食い尽くす最恐のナノ兵器に至るまで、諸々のギミックの性質がとてもユニークで、それを見ているだけで“男の子心”をくすぐられ充分に楽しい。 スティーヴン・ソマーズ監督繋がりで「ハムナムトラ」シリーズの面々がちょこちょこ顔を出していたり、いまやトップスターとなったジョセフ・ゴードン=レヴィットが意外な役で存在感を示していたりと、意外にキャストも多彩だった。 続編も期待。 [映画館(字幕)] 8点(2009-08-16 23:46:24)《改行有》

78.  ジャージの二人 疲れ切ったお盆休み前の日。精神的な疲れを除きたい時にふさわしい映画だったと思う。 暑さを避けて、山荘での日々をジャージで過ごす父子には、それぞれ悩むところがあって、“避けて”きたのは、本当は暑さではなく、人生の中で生じる疲弊感みたいなものなのだろう。 でも、久しぶりに会った父子は、そういったもろもろの諸事情を敢えて話そうとはしない。ただただ、山荘でのスローな日々を繰り返していく。 その何でもない情景とか、父親と息子の絶妙な距離感が、とても染み渡ってくる。 それは決して特別なものではなくて、世の中の父子、特に父親と息子の関係性の中に普遍的に存在する“つながり”を感じるからだと思う。 敢えて言葉にしなくても、敢えて伝えなくても、「解消」するものはきっとあって、それを果たしてくれるのは、時間であったり、自然であったり、自分にとってベーシックな人とのつながりなのだと思う。 映画としては、なんと言っても堺雅人と鮎川誠の「息子-父親」関係の“妙”が素晴らしかった。二人の絶妙な間合いが、そのまま映画自体の間合いとなって、独特の空気感を生み出していると思う。 質の高い映画ということでは決してないけれど、理屈ではなく、観る者の気分を軽くする映画だ。そういう映画も確実に必要だと思う。[DVD(邦画)] 8点(2009-08-14 01:35:23)(良:3票) 《改行有》

79.  純喫茶磯辺 本当の意味で“強い繋がり”がある人間関係というものは、時にもろくて、あやふやで、とても不安定なものだと思う。それは、そもそも人間自体の完成度が不安定で然るべきものだからだ。 「純喫茶磯辺」というタイトル、主演は芸人の宮迫博之。いかにも“イロもの”的なニュアンスの強いコメディ映画だけれど、描き出される映画の空気感の根幹には、不器用な父娘同士の等身大の親子愛があった。 へらへらした子供のような駄目親父役に宮迫がハマることは容易に想像できたが、、芸人の中では随一の高い演技力に裏打ちされて、この上ない愛すべき駄目親父ぶりを発揮していた。 娘役の仲里依紗の魅力は、その“素っ気なさ”だと思う。気怠そうに歩いたり、高いびきをかいて眠ったり、自分の足の匂いをかいだり、というキャラクターのありのままの姿を、決して違和感なく表現できる女優然としない佇まいには、逆に今後かなりスゴイ女優になっていくんじゃないかという素養を感じずにはいられない。 その二人の父娘関係の間に割って入ってくる麻生久美子のキャラクターがまた秀逸で、気立ての良さの裏に隠し持った“サイテー女”ぶりを、いかんなく演じ切っている。 3人の配役の良さとそれぞれのパフォーマンスの高さが、この映画のレベルをぐいっと上げていると思う。 描かれる人間模様は、決して美しくはないのだけれど、それは人間の“そのまんま”のまっすぐな姿で、良い悪いということではなくて、なんだかほっとする。[DVD(邦画)] 8点(2009-06-13 11:17:13)(良:2票) 《改行有》

80.  重力ピエロ 「映像化不可能」という文句は、もはや伊坂幸太郎の原作に対する常套句となりつつある。 今作「重力ピエロ」も、類に漏れずその常套句が掲げられたが、そのニュアンスは他の作品とは少々異なるものだったと思う。 「アヒルと鴨のコインロッカー」のような文体によるストーリー構成の妙にその要因があるわけではなく、主人公の兄弟をはじめ描き出される「人間性」の妙こそが、映像化に対する最大の難関だったと思う。 結果としてまず言いたいことは、素晴らしい映画であったということだ。 伊坂幸太郎の独特の世界観に息づく絶妙な人間性を、決して物語を破綻させることなく、リアリティをもって映画として紡ぎ出すことに成功している。 それは、原作の真意をしっかりと汲んだ上での監督の確かな演出力、そして、絶妙なキャスティングによる俳優たちの奇跡的な演技力によるものだ。 「小説の映画化」に対して総じて言えることだが、文体によって緻密に描き出されるキャラクターを、生身の人間が「映画」という制限された領域の中で不足なく表現することは、途方もなく困難なことだ。 それが、この原作の登場人物たちのように多様性と二面性を表裏に持った複雑なキャラクターであれば、その途方もなさは更に果てしないものだ。 この物語は、ミステリアスな展開に彩られながら、悲劇を越え、遺伝子を越えて、一筋縄ではいかない「親子の絆」を堂々と描き出す。 それは、まさに重力を飛び越えて空中ブランコをこなすピエロのように、飄々とした中に確実に存在する「自信」と「誇り」に溢れている。 伊坂幸太郎の文体で描き尽くされたに思われたその「最強の家族」の姿を、この映画の俳優たちは、単なる「再現」を飛び越えて、見事に息づかせてみせた。[映画館(邦画)] 9点(2009-05-24 01:04:59)(良:3票) 《改行有》

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