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プロフィール
コメント数 3870
性別 男性
年齢 53歳

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101.  ジャック・リーチャー NEVER GO BACK トム・クルーズ、頑張ってます。いくつになってもアクション・スター。 アクション・スターたるもの、動けなければダメ、走れなければダメ、という訳で、今回も張り切って走ってますね。うれしくなってきます。 しかし、せっかく逃亡劇から物語を始めた割に、陰謀劇のゴチャゴチャしたところに入って行ってしまって、もう少しスッキリさせてもよかったんじゃないのー、とも思えてきます。 それに、せっかく「娘かも知れない」少女が登場してくるのだし、主人公がもっと手玉に取られてもよかったんじゃないのー、とか。 どうせ謎というほどの謎じゃないのに(とまで言うのは言い過ぎかも知れませんが)、いささか回りくどく、もたついた感じがします。 それでも何でも、映画を最後まで引っ張りきってしまう、トム・クルーズのスター性、さすがです。 それにしても、作品に再三登場する「スリ」の手口が、最後で「絆」というものに結び付けられる、という、あまりの強引さ(笑)、いやはや驚きました。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2018-05-01 16:35:33)(良:1票) 《改行有》

102.  シシリーの黒い霧 松本清張作品を臆面もなくパクった邦題なんですけれど、ああいう、独自の推理で黒い霧を晴らそう、ってな作品ではなく、真相という点ではなんとなく最後までモヤモヤしてます。しかし作品の印象は決してモヤモヤしたものではなく、ドキュメンタリータッチでトンガってます、むしろ神経質な印象。 しかし時系列がことさらにバラバラになっていて、なかなか全貌が掴めず、最後まで観てようやく全体が繋がるような感触があるのですが、それにしても、物語の冒頭で殺害されていた、ジュリアーノという人物。彼こそがこの作品の中心となるカナメの人物のハズなのですが、作品全体を通じて、その彼の存在感というものがまるで感じられず、映画の中心にポッカリ穴があいているような。 不思議な印象の作品です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-03-16 20:14:34)《改行有》

103.  ジャッジ 裁かれる判事 《ネタバレ》 ロバート・ダウニー・Jr演じる弁護士は、裁判というものを商売としてしか見ておらず、法廷の前で緊張からえずいてしまう新米弁護士にも、依頼人に肩入れしすぎだ、みたいなこと言ってるんですけど、実の父親の裁判、そして父の弁護を自ら行う中で、自らの人生そのものをこの法廷の場に投影させることとなっていく。父親の職業は判事で、裁判こそ我が人生、みたいな人。裁判を単なる商売道具としか思っていない主人公とはおよそ相容れないし、陪審員の選択から始まる法廷戦術の数々には、茶番じみた要素があることも、この映画では否定してない。だけどそれでもやっぱり、裁判というものには、当事者たちの人生がかかっており、だからこそ血の通ったものであるべきだろう、という想い。 映画の中で小難しい理屈をひねくり回す必要なんかなくって、そういう素朴な想いを、こうやって、物語と印象的なシーンの中に溶け込ませてくれれば、充分に感動できるのですね。 セリフで語るよりも、黙って横顔で語れば、幾層倍にも雄弁であることもある。 嵐があって、ラストの穏やかな湖面がある。コレ、「雨降って地固まる」をそのまんま映画化した作品じゃないでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-02-18 09:31:11)《改行有》

104.  ショーシャンクの空に 私の周りにも、この作品に惚れこんでいる人(あるいは少なくとも、惚れ込んで「いた」人。今でもまだ惚れ込んで「いる」のだろうか?)ってのは確かにいたけど、私にはどうもよくわからなくって。そういや私は3人きょうだいで映画の好みは3人それぞれ見事にバラバラだったんだけど、この映画に関しての「確かに退屈するほどではないけど、とりたててイイというほどでも・・・」という感想は、妙に一致しており、なんだこれは、一種の家系的なものなんだろうか。 いや、最近また観てみたところ、少し退屈しかかってしまいました。この映画が好きな人、ごめんね。 作品の構成自体が、いかにも「総集編」か何かを見せられてる感じで、気分が乗ってこない。主人公が、こんな目にあったんだそうです、大変だったんだそうです、という解説をパラパラと見せられて、サラサラと映画は進んでいく。いや私が、映画で見たい・映画から感じ取りたいのは、そういう「結論」ではなくて、ツラさ・過酷さ・大変さというものそのもの、いわば「過程」なんですが。 モーガン・フリーマンの目を通して描くことで、主人公の内面を封印して見せるのも、確かにアリだとは思うけれど、でもその内面を間接的にでももう少し示唆してみせることだってできるだろうに、これじゃあまりに、伝聞的に過ぎるのでは。何だか、この主人公ならどんな事にでも耐えて当然、みたいな感じにすらなってしまう。 結局のところ、作品全体をお伽噺風のオブラートにくるんでしまったことが、緊張感をことごとく削いでしまっている。背景に厳然と存在するはずの刑務所の過酷さが伝わってこない。懲罰房に閉じ込められる過酷さは、一体どこに? 長い長い年月のお話らしい。相当永く耐えているらしい。セリフでそう言ってるから。残念ながらそれを感じ取ることは、ちっともできないけれど。 一番ゲンナリしてしまうのが、主人公が無断で刑務所内にレコードを放送する場面。自分が好きな曲を無理やり全員に聞かせよう、って発想が実にくだらないし、それに反応してすべての囚人が耳を傾ける姿もアホらしい。軽薄なばかりで、ちっとも美しいシーンであるようには見えません(せめて、誰も聞いてない中でモーガン・フリーマンだけが聞いてる、ってんなら、まだしも)。音楽ってのは、もっと「個人的なもの」だろうに、と思っちゃうんですけどね。少なくとも、私にとっての「音楽への愛」というものは、このシーンからは微塵も感じられませぬ。[CS・衛星(字幕)] 5点(2018-02-03 02:47:19)(良:1票) 《改行有》

105.  シャロンの屠殺者 冒頭、「三人組」が登場して、さらにこの「三人組」と先住民と騎兵隊、という三つ巴の関係がある。さらには、「三人組」のひとりである主人公が大佐の妻に手を出して三角関係が展開されて。 それがどうした、と言われればそうなんだけど、これらの「三」の関係が物語を支えるモチーフになってて、こういう統一感があるかないかで、納得感も大きく変わってくるもんです。先住民との戦い、上官との対立、許されぬ恋、こういった要素が見事にまとめられ、どこか運命的なものも感じさせる。物語は最後、それなりに収まるところに収まるかも知れないけれど、その一方で冒頭の「三人組」はバラバラの運命を辿っていく、というところに、一筋縄でいかないものがあります。 そんでもって、クライマックスの戦闘シーンのスゴいこと。砦の門ごしに見える激しい戦い、立体感を伴った迫力が漲っています。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-11-19 08:04:43)《改行有》

106.  ジョン・ウィック だいぶ「総合格闘技」からヘンな影響を受けてしまった感のあるアクションですが、それが何とも小気味よいというのも事実。昨今、格闘シーンが細切れで撮影されることへのアテツケなのか何なのか、異常なまでに長回しの格闘シーンが映画に取り入れられることがあり、観てるとこちらも緊張してしまうというか、やらされてる俳優さんが気の毒になってくるというか、あまりやり過ぎるとかえって、自己目的化した「長回し」そのものが気になってしまいかねません。その点、本作は、いいバランス保ってるんじゃないでしょうか。高度な身体アクションを見せるためにこそ存在する、見事な長回し。ホントにキアヌ・リーブスが強そうに見えるではないですか。 本作、復讐譚の体裁をとっているのですが、「飼い犬が殺されたこと」がキッカケになっている、というのが何とも思い切った設定。これも場合によっちゃ「そんな大袈裟な」と言われかねないところですが、まずそれ以前にこの映画を支配する雰囲気を見れば、実は「キッカケ」なんていうのはどうでもいいんだなあ、と(愛犬家にとっては、どうでもよくないかも知れませんが)。むしろ、これがあくまで「キッカケ」に過ぎないからこそ、主人公が闇と暴力の世界へと向かって行く流れも、より強く、より避けがたいものとなる・・・。[CS・衛星(吹替)] 8点(2017-10-29 15:27:48)《改行有》

107.  蛇鶴八拳 ジャッキーの、髪型も変だけど、アイメイクも変。なんかホントに変です。変な上に態度がでかい。何かと言えばやたら腕組みばかりして、そんなに腕組みばかりするのは、仮面の忍者赤影か、ビバリーヒルズコップのアクセル刑事くらいのもんでしょう。 内容はというと、これがもう、全く無いよう。いやわざとダジャレ言ってるんじゃないんです、他に言いようが無いんです、不可抗力です。 「蛇鶴八歩」なる拳法の極意書をめぐっての争奪戦が、これがもうほとんど途切れなく続く感じで、10分間のうち9分61秒は戦ってるんじゃないかと。なのでおよそストーリーなんてものはありません。 このひたすら展開される戦いが、良く言えば様式美とでも言うんでしょうか。それとも言わないでしょうか。いかにもマッタリとした格闘モドキ延々と続きます。しまいにゃこちらもこのスローモーな動きに目が慣れてきて(普通とは逆ですね)、何となく楽しめてくる。ような気がしてくる。 で、ただただ刺客たちと戦い続けていたジャッキーが囚われの身となり、何とか一息つきますが、結局はカオスのような展開となった挙句、どういう訳なんだかジャッキーが敵(敵って誰だよ)のボス(だからボスって誰だよ)と唐突に一騎打ちを始める、これがクライマックス。戦っている場所はもちろんどこかの野原。やたら強い敵に、さらに『笑拳』みたいに怪しげな3人組も加わって。 まあだいぶ薄味で、スカスカですが、盛り沢山の作品でした。どっちやねん。[地上波(吹替)] 6点(2017-08-26 18:26:22)《改行有》

108.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 もしも突然、東京に怪獣が現れたら、というシミュレーション映画のような体裁ですが、実際にはそれは作品を特徴づける意匠のひとつに過ぎないとも言えて、もちろん背景には現実世界で発生した様々な災害というものがあるのだろうけれど、では「我々が被災するというのはどういうことなのか」という部分には必ずしも深入りしてはおらず、「とりあえず逃げまどう人々」といういかにも怪獣映画らしい光景を、ここでは踏襲しています。あくまでここでのシミュレーションは、政府の危機管理に関する部分に限定して描いているようなところがありますね。で、しかも、誰が主人公なのか明確でない群像劇のような中で、まあ内閣の面々が一応は中心的に描かれるのかな、と思っていたら、彼らをあっという間に一掃してしまうという皮肉な展開。 新しいフォルムのゴジラの不気味さ、今までのゴジラとは一味違うだけに、何を仕出かすやら予想がつきません。一瞬にして街を炎で焼き尽くすシーンなどは、まさに圧巻です。 その一方、よく言われるように、全体的には、セリフをまくし立てるシーンが多くって、子供と一緒に観ているとちょっと集中力が持たないかな、とも。でもよくこれだけ色んなロケ地を探して来たな、と思うくらい、さまざまな光景が登場する楽しさってのも、確かにあります。 それにしてもまさか、ラストは毒殺とはねえ。しかも嫌がるゴジラに無理やり毒を飲ませて、なんだか拷問のようでちょっと後味が悪いのでした。[ブルーレイ(邦画)] 7点(2017-08-19 15:12:55)(良:1票) 《改行有》

109.  シルバー・サドル 新・復讐の用心棒 マカロニ・ウェスタン末期の作品。監督ルチオ・フルチにとっても次はいよいよサンゲリアですからね~。 という訳で、主演は一応ジェンマなんですけれども、老けたのか不機嫌なのか、なーんか顔が貧相で、どこかパッとしません。これはきっとジェンマに似た別人なんだろうと思いたくなってきます。 で、ルチオ・フルチだから残酷なのかというと、まあ確かに一部こじつけ気味に残酷だと言えなくもない部分もあるような無いような、まあ概ねフツーにマカロニなんですけれど、ライバル風の仲間がいて、少年との友情みたいなのがあって、ガンファイトがあり、意外といっていいのかどうなのか微妙なオチがあり。 とまあ、イマイチ要領を得ないオハナシだと思っていたら、気づくと一通りの要素は備えていて、結構楽しめるかと。 それにしてもルチオ・フルチ作品の映像には、どこか透明感がありますなあ。そうでもないかい?[CS・衛星(字幕)] 7点(2017-08-07 23:19:54)《改行有》

110.  新・荒野の七人/馬上の決闘 とうとうユル・ブリンナーもいなくなって、それでも続く第3弾。いくら第1作とかけ離れようと、この音楽が流れ、曲りなりにも七人かき集めれば、やっぱりシリーズの一本には違いない。でもなあ。どうして「ジョージ・ケネディ」なんでしょうねえ。登場の瞬間、「ああホントに出てきちゃったよ」と思ってしまうのです。 正直、ガンマン姿は似合っておらず、構える姿勢もどこか手持ち無沙汰でサマになっていない(ジョン・ウェインなんかも巨体を持て余し気味だったかも知れないけれど、うまくユーモアに結び付けていってたと思う)。もちろんアクション俳優らしく動ける訳でもないし、監督のチェックもユルいのか、ややまごついているような姿がそもままOKカットとして映画に残されていってる感じ。そもそも、このヒト、リーダーをやるような柄じゃないですよね。頑固オヤジとして脇で文句を垂れてナンボの人。 しかし今回集められた七人(もう我々も、無理に七人にして欲しいとは思ってないんですが、律儀なことです)のキャラの色分けは、第2作よりもはっきりしていて、この点ではやや原点回帰。あとは、ガトリング砲にダイナマイトという、見た目の派手さを装った通り一遍のドンパチですが、惰性で続くシリーズ作をあたたかく見守るような気持ちで楽しめば、それなりの余韻も残してくれて、結構、楽しめるのではないでしょうか。[CS・衛星(吹替)] 7点(2017-02-12 09:08:59)《改行有》

111.  新選組(1958) 例によって豪華な出演陣、それぞれにチャンバラの見せ場を作り、でも90分少々しかないもんで、新選組映画なのやら何なのやら、もうひとつピンとこない映画ではありますが(ラストなんて、まるでオチがつかないもんで無理やり終わらせた感じ)。新選組の面々が何ともオッサン臭く、苦味走りまくってるのは、オールスター映画の宿命というか、まあこういうもんなんでしょうが、それにしたって、「山形勲フェイスの土方歳三」ってのは、なかなか正視しにくいものがありますな(笑)。 千恵蔵も例のごとく気合入りまくりで、一部、歌舞伎化しちゃってますが、クライマックスの池田屋事件などはセットを駆使したダイナミックな演出とも相俟って、まさに彼の真骨頂。いや、体形だけ見ればドラえもんか信楽焼のタヌキ、といった感じ、でもこの気合漲る凄まじい形相でのし歩く姿は、「大魔神」すらも彷彿とさせます。 チャンバラのシーンで流血が見られるのが目を引きますが、しかし、「ちょっと刀で突かれただけ」で悶絶死するってのも、どうかとは思いますけれども。[CS・衛星(邦画)] 6点(2017-02-12 08:33:19)《改行有》

112.  ジャッキー・ブラウン 特徴的な登場人物たちを配置し、視点や時間軸を自由に行き来する、というのは『パルプ・フィクション』では、物語を章立て構成にすることで、なされておりましたが、本作ではそれがさらに巧みに行われています。続く一連の物語の中で、画面分割を行ってみたり、現金受け渡しの場面を各登場人物の視点から何度も描いて見せたり、というお遊びを入れて、誰もが物語の中心に出てきうるし、また突然退いたりもしうる、その流動性が、自然な形で実現されています。 その分、物語はややモヤモヤしてくるし、さらにはそれが、あまり意味のない会話の連射で彩られ(例えば、クリス・タッカーが車のトランクに入るというだけのためにどれだけ会話を費やすか)、何となく取り留めない印象にもなるのですが---バイオレンスというスパイスもここでは抑制されているし---逆に、ふと見せるカメラの指向性(嗜好性?)、パム・グリアーの仕草やコスプレを強調したり、デ・ニーロをほったらかしにしたり、というのが妙にオモシロかったりします。まるで家具のように存在するブリジッド・フォンダ。しかし彼女がいるせいで、「電話」の存在も妙に気になったり。 ムダとか余白とか、というものは、それを省略する贅沢もあれば、過剰に取り入れる贅沢ってのもある訳で。[CS・衛星(字幕)] 8点(2017-01-22 08:50:10)《改行有》

113.  じゃりン子チエ 見事なマンガを、見事にアニメーション化。何度見ても最高です。笑えます、感動します。 とにかくキャラクターが活き活きしている点、アニメに限定せずともこれを超えるものはなかなかないんじゃないですかね。キャラの設定が秀逸なら、細かい動き、表情や仕草の描き方も見事。複数のキャラクターのセリフと表情の変化が同時並行的に描かれるうまさ、いや、単にうまいんじゃなくって、そこにひとヒネリもふたヒネリも加えてきて、絶妙の可笑しさを醸し出します。 声優陣は映画版とテレビ版で一部(いや大半か)違っていて、芸人さんが大量動員されてます。テレビ版の方がしっくりくる半面、この映画版での芸人さんの起用の仕方が、すべて「なるほど」と思わせる配役で、これもちょっとした楽しさ。いやホント、このメンツでそのまんま舞台化できたんじゃないかと思わせるくらい。 『ゴジラの息子』が実写のまま挿入されるシーンなど、テレビ版との違いは声優以外にもありますが、背景画も映画版の方が凝っているようですね。チエちゃんのホルモン屋に、バクチ屋時代の「お好み焼き屋のオッチャン」が子分を連れてやってくる直前の場面で、テツの噂話をする客の一言にチエちゃんがズッコケると、そこで映し出されるカウンター下の背景画、テレビ版では特にこれと言ったものは描かれていなかったように思うのですが、映画版では遠近感をもった深みのある背景になっていて、こういう部分にもしっかり手をかけているんだな、と。 母と会う場面、天王寺の風景は今では変わった部分もありますが、やはりこれはまぎれもなく天王寺公園。 もう一度言いますが、最高です。[CS・衛星(邦画)] 10点(2016-10-28 15:20:37)(良:1票) 《改行有》

114.  ジャンゴ 繋がれざる者 《ネタバレ》 前作でナチスをコテンパンにやっつけたけど、オレは別に何のこだわりもないんだぜ、ってことなのか、この作品ではドイツ人のナイスなオヤジが登場。マカロニウェスタンがベースかと思わせて、実は何でもアリアリ。 主人公のジャンゴは黒人で、物語の背景には奴隷制度というものがあるけれど、別に人種差別を批判しようってな意気込みがあるようにも思われなくって(ホントはあるのかも知れんが)。単に「ヒーローは虐待を受けねばならぬ」「敵は理不尽でなければならぬ」「最終的に敵は徹底的に殲滅されなければならぬ」「だってその方が面白いもん」というサドマゾ的お楽しみのためには、うってつけの題材が奴隷制度だった、ってな感じですね。 後半は(終盤を除き)会話が中心になりますが、そんなにスピーディーなものではなく、ディカプリオがネチッこい。で、たまりかねたのかクリストフ・ヴァルツ演じるシュルツがこれを射殺し、「すまん、ガマンできんかった」などとアッサリのたまうのが絶妙。前半において、あくまで自分は法に基づいた処刑を行っていることを強調していたこととの対比。あるいは、ジャンゴが3兄弟に「つい」手をかけてしまったこととの連関。 おそらくは「派手な死」ほどオイシイ本作の中で(だって、ねえ、カントク)、せっかく頑張っていた(頑張り過ぎていた)ディカプリオにも、もう少し盛大な死をプレゼントしてあげて欲しかった気もしつつ。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2016-10-28 14:31:44)《改行有》

115.  ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー 《ネタバレ》 ジャッカー電撃隊とゴレンジャーが夢の競演! って、出演者が一部重なってるのにどうするの? 心配ご無用。あくまでジャッカー電撃隊が中心であり、ゴレンジャーで変身前の姿を見せるのはモモレンジャーだけ。変身後だったら、さらに仮面ライダーV3だって登場可能(しかも写真だけだしなあ)。 冒頭、ショッピングを楽しむジャッカーの4人の前に、急にいきなり突拍子もなく、インデペンデンス・デイの先駆けとしか思えない巨大過ぎるUFOが登場。この容赦のないテンポの良さは、この後も続くので覚悟してください。 で、怪しい女を捕まえてみれば何とモモレンジャー、さらには、発見した暗号をたやすく解読して、あれよあれよという間に、敵の基地が奇怪岬に存在することが発覚。で、この奇怪岬というのが、何の変哲もないフツーの海岸、といった感じなんですが、防衛のために見張りを続けるクライム一味の姿に、BGMとしてパーカッションのリズムが刻まれると、何だか『史上最大の作戦』みたいでちょっとカッコいいじゃないの。 ただし、肝心のクライムの首脳陣が皆、一応、極悪な感じのカブリ物をしているのですが、なんだかこの、各々が「極悪です」と一生懸命主張するようなコスチュームには、哀愁すら感じられてしまって。しかもよせばいいいのに、クライム四天王、わざわざ合体して四天王ロボに変身する。敵役が、合体したり巨大化したりするのは、「もうすぐ終わりです」という合図みたいなもんですからね。余命もあとわずか。 ラストはビッグワンの策略により、完膚無きまで叩きのめされる鉄の爪。気の毒で見てられない。でもとりあえず、完結篇っぽい感じにまとめて、よかったですね。[DVD(邦画)] 4点(2016-10-19 13:53:29)《改行有》

116.  シャーロック・ホームズ/シャドウ ゲーム ホームズとモリアーティが互いに先を読んで頭の中で格闘する場面、つい、筒井康隆のショートショート「超能力」を思い出してしまいました。 それはともかく、シャーロックもマイクロフトもモリアーティも、みんなちっともアタマが良さそうではなく、何だかワトソン君だけがまだしもしっかりしているような気がしてくるのが、ユニークでもあり困ってしまうところでもあるのですが。ただ、映像の方も、アタマの悪そうな映像が乱発され、要するに「知的でないホームズもの」として、方向性は揃っているのかな、と。まあこれで、オモシロかったら良かったんですけどね。まとまりもヘッタクレもなく、どこをオモシロがって観ればよいのか、途方に暮れてしまう。 もっとも、ラストは、なかなか気が利いておりました。[CS・衛星(吹替)] 5点(2016-05-30 22:58:43)(良:1票) 《改行有》

117.  新源氏物語 新・平家物語があれば、新源氏物語だってあるさ。あのゲジゲジ眉よりはミメ麗しい光源氏の方が、雷蔵サマには似合ってます。というワケで、大映大作路線の一本、スタジオなのかオープンセットなのか、実に立派なセット。群衆シーンなんかもあって、気合い入ってます。ですが、源氏物語に「新」がつくだけあって(川口松太郎の原作がどうなのかは知りませんが)、平安時代というよりは、江戸時代の大奥、いやいや、それこそ現代のOL間のイジメみたいな、イマ風というのか安っぽいというのか。なにせ、光源氏がナヨナヨしまくって、雷蔵しっかりせい!と言いたくなってきます。 さすがにこの題材、ヅカのスミさんを始めとして、女優陣は充実してます。しかし、100分ほどの尺というのはやはり物足りなくって、え~、そこで終わるの~、と。どこで終わってもいいのかも知れませんが。 森一生監督は、やっぱり活劇でないとね~。[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-05-02 15:38:07)《改行有》

118.  人生の特等席 エイミー・アダムスが実にステキな娘を演じていて、そりゃまあ私もイーストウッドほどの歳でもなければ、こんな大きな娘もまだいないけれど、つい娘を見るような気持ちで彼女を見てしまう。 キャリアウーマン(これももう死語かも知れませんが)の彼女は、弁護士としてバリバリと第一線で活躍しようとしている。そんな彼女が、野球のスカウトとして、どこやらの田舎に来ている父親のもとにやってくるのですが、パリッとキメた彼女の姿格好は、この田舎では、ちと浮いている。そんな姿が、「精一杯背伸びしようとして無理をしている、我が娘」という感じも出してます。一方、対照的に後半のラフな格好は、何か自分を取り戻したような。 この父親にしてこの娘、つまり野球バカなところがあって、いくら何でも(他のプロのスカウトマンを差し置いて)野球に詳しすぎるんでないかい、というような設定なのですが、それがまったくイヤミになっておらず、むしろユーモアとして大いに楽しめるのは、父と娘が、一種のライバル関係でもあるから。 そういう意味では、彼氏との関係もこれまた野球バカのライバル関係。この楽しい緊張感が、心地いいですね。そして、スカウトのエピソードも含めて、物語がうまく収束していくのも楽しくって。 監督のロバート・ロレンツは、プロデューサーや助監督としてイーストウッドを支えてきた、イーストウッド一家ともいうべき人のようで、このガンコそうなオヤジを起用しつつ(イーストウッドの恩返しみたいなところもあるのかも知れませんが)、かつガンコで影のあるイメージを借用しつつ、うまく脇をサポートしてもらってあくまで明るい作品に仕上げております。[CS・衛星(字幕)] 8点(2016-04-10 09:17:07)《改行有》

119.  ジョニーは戦場へ行った 《ネタバレ》 一体何なんでしょうね、全編にあふれる、このインディー魂みたいなもの(笑)。笑っちゃあいけませんが。 この作品の設定、どうしても江戸川乱歩の「芋虫」を連想させて(一応、先に書かれたのは「芋虫」ですね、トランボは知ったこっちゃないでしょうが)、しかも「芋虫」の恐怖小説としてのインパクトってのは並々ならぬものがありますからね。その恐怖ってのは、手足を失い自らのコミュニケーション手段を持たない男、なされるがままの、受動的立場の究極のような男の、内面が見えないこと、内面の恐怖を我々に想像させること、そしてその内面の恐怖を最後に我々に垣間見せること。 一方の本作、この「芋虫」以上に外部から閉ざされた男の、内面そのものを描いて、受ける印象はかなり異なりますが、それにしても、触覚のみによって知りうる「現在」を、映画なもんで映像として我々に見せ、そこにいちいち独白をシンクロさせる描写は、やや野暮ったい気もいたします。「現在」をモノクロ、「過去」や「幻想」をカラー、という色分けも、ちと図式的。 それにしたって、本作のコワい点、目を引くのが、前半の「現実」パートにおける、暗闇の中に灯る白熱球。希望ですらない冷たい光。 それが、中盤から部屋に外光が取り入れられ、作品にもやや穏やかな空気が感じられてくる。そして子どもの頃電信で遊んだ記憶から、ついに外部とのコミュニケーション手段を思いつき実行に移すクライマックス、しかしそれは結局、最後の希望を閉ざす結果をもたらすだけ。外光が閉ざされた上、白熱球すらも灯されていないラストシーンの虚しさに、戦争での死者数、負傷者数のテロップが重ねられ、たまらん気持ちにさせられたまま映画は幕を閉じます。 主人公個人が抱え込んでいた恐怖が、普遍化される瞬間でもあります。[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-01-30 07:16:32)《改行有》

120.  白い肌の異常な夜 南北戦争時代、イーストウッド演じる北軍の伍長が南部の戦線で負傷し、女ばかりの寄宿学校みたいなところに匿われる。さまざまな年齢の女性数名に対し、男が一人、もうより取り見取り。これがイタリア映画ならお色気コメディ映画にでもなったかも知れませんが、ドン・シーゲルとイーストウッドが組んだら、ほとんどホラー映画みたいなサスペンスになりました(何度か出てくる真っ赤な血の描写がコワイ)。密度の高い、緊張感に満ちた映画で、「イーストウッドがモテモテ役だなんて、許せんなあ」という気持ちもすぐに引っ込みます。 まずそもそも、学校の外部というものが、戦時下で秩序というものが無い不安な状態。その中において、舞台となる女学校は、厳格さに満ちた閉ざされた世界、であるのですが、そこに負傷した男が一匹。負傷してたって、男としてヤルことはヤル、っていうかむしろ体の不自由さゆえに性的な方向に暴走しがちなもんで、女ばかりの秩序だった世界(それはもともと表面的なものに過ぎなかったらしいのだけど)に、嫉妬に満ちた大きな波紋を投げかけることになる。それは、映画後半におけるあるショッキングなエピソードによって、男をより純粋な性的存在へと変化させ、事態をより深い混沌へと導きかねない展開にもつながっていきます。が、それでも危ういバランスは保ち続けられ、そしてそのまま、一連の混乱は唐突に、断ち切られるように終わりを告げる。あとに残るのは、不気味極まりない、秩序の世界。まあ実にヤな感じで気持ちの悪い、「異常な」映画です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-11-15 08:24:20)(良:1票) 《改行有》

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