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1.  SUPER8/スーパーエイト(2011) 《ネタバレ》 何がこの映画を包んでいるのだろうか。それは紛れもなく優しさであり、徹頭徹尾『SUPER 8』は優しい。冒頭の看板にクレーンでトラックしていくショットですら、その看板の意味を宙吊りにして優しいだろう。 エイブラムスの『SUPER 8』はスピルバーグの『宇宙戦争』である。『宇宙戦争』でのスピルバーグと同様『SUPER 8』でのエイブラムスもまた、人間を描くことにしか興味がない。しかしエイブラムスの唯一の差異、それは、人間の本来の醜悪を完全に省いてしまったこと、つまり『宇宙戦争』ほどの陰湿さがない。それはこの映画の対象はどこかということだ。スピルバーグは、近年ではもはや、子供向けに映画を製作していない。しかしエイブラムスが『SUPER 8』に授けた想い、それは映画の素晴らしさを老若男女問わずに伝えること。映画とは何か、その結晶がエンドクレッジトなのだ。 さて、その映画とは、物語を観るのか、映画自体を観るのか。『SUPER 8』は映画を観せてくれる。だから、物語や台詞などすべて忘れてしまえばいい。スクリーンに映し出される事実だけ、それだけを観て記憶に留めればいい。ジョーの手から解き放たれ、たゆたいながら静謐に飛び去って行く《彼女》の瞬間を決して生涯忘れない。 「わたしはもう行くわ」 「いかないで!」 「離しなさい。あなたにわたしはもう必要ない」 「・・・」 「さようなら」 「・・さようなら」 傑作。[映画館(字幕)] 9点(2011-06-25 06:11:53)(良:2票) 《改行有》

2.  スペル 《ネタバレ》 サム・ライミという監督が登場した当時のUNIVERSALのロゴマークで始まる本作は、彼がこの映画で何を描きたいのかということの表明だ。「死霊のはらわた」が処女作の彼は、ホラーというジャンル映画の監督の枠で収まることなく、西部劇や野球ものを描き、そして「スパイダーマン」という大衆向け商業映画を大成功に導いた。そうやって培ってきた映画的感性を自分の原点にフィードバックさせた、原点回帰がこの映画である。 風や物音、カーテンに映るシルエット、蠅などの虫や、体内から吹き出るどろどろな液体の数々など、もはや使い古された手段ばかりがスクリーンを駆け巡るが、彼の円熟の域に達した演出力は決してそれを飽きさせない。 白い封筒の中に丸い何かが入っているというそれだけでラストのサスペンスを盛り上げていく巧さなど見事だ。車中でアリソン・ローマン演じるクリスティンが誤った封筒を手にした瞬間、誰もがそれに入っているのはボタンではないくコインであると気付く。その真実を知るのは観客のみであるというところにサスペンスの巧さがある。つまりコインは重要で、だからこそ、ジャスティン・ロング演じるクレイと彼の父親との会話の中にもさりげなく登場させ、その存在を決して観客に忘れさせないのだ。 またクリスティンがローナ・レイヴァー演じるガーナシュ老婆の口に白い封筒を突き刺す泥々のシーンを雨で浄化させていき、そのままフェードでシャワーシーンに移行するところから始まり、彼女のハッピーエンドを期待させるような明るいシーンの連続はホラー映画だけを撮り続ける監督では出来ない晴れ晴れしさであり、また、地獄への素晴らしい前ふりであった。 そして彼女がいきなりコートを買う。これがおかしい。このシーンを見ているとき、何故ここでこんなシーン挿むのか不思議でならなかった。確かにとても大切な旅行だ。しかし突拍子もない。だがそれは、ボタンが入った封筒を出すきっかけへの絶妙な伏線だったのだ。あざとさをまったく感じさせない巧さだ。 そして謝れば許されるという結論には決して辿り着かせない潔さ。何があってもクリスティンを守ると誓ったはずなのに、彼女を守れなかったクレイのクロースアップ。そしてスクリーンいっぱいに映し出される「DRAG ME TO HELL」の文字。「俺も地獄に連れて行ってくれ!」素晴らしいではないか。 真のアメリカ映画とはこういう映画のことだ。[映画館(字幕)] 8点(2009-11-29 09:57:56)(良:4票) 《改行有》

3.  スター・トレック(2009) 《ネタバレ》 シリーズもののマンネリ化を払拭するために、過去のシリーズとは一線を画したものにすること、それは「バットマン」シリーズ、更には「007」シリーズにおいて成功を収めた。過去のシリーズやファンに対する敬意を忘れず、新たな展開を用意し客層を拡大する。 このとき、一番の手っ取り早いことは、バットマンの、ジェームス・ボンドの、誕生を描くことだった。往年のファンは興味を抱かずにはいられず、はじめてシリーズに触れることとなる観客たちにとっては入り易い。 それらを踏まえた上でこの「スター・トレック」は新たなシリーズを華々しく迎えた。 J・J・エイブラムスという人は兎に角端折る、無駄をすべて削ぎ取る。この展開の速さは少し尋常ではない。カークの母親など、産んだときにしか出て来ない。こういった映画にあるであろう定番の訓練シーンなども一切ない。宇宙船がワープするように、話もワープする。 しかしこれくらいの展開の速度が実は丁度いいのだ。いつまでもだらだらとやって3時間くらいのかったるい映画を作るハリウッドなど誰も望んではいないのだ。 言葉と暴力と接吻という最小限の感情表現手段を用いて、強引で調子がよい展開という映画における特権を最大限までに活かして、それでこの映画が大スペクタルとして成立するならばそれで良いではないか。 素早いモンタージュを繰り返すせいか、もはや実写とVFX、CGの違和感など問題ではない。むしろこの映画のそれらは圧倒的なまでに素晴らしく良く出来ている。 カークという男はどんな時でも崖っぷちでぶら下がって生きている男だ。 この映画では彼は三度も何かの端に必死に両腕二本でぶら下がっている。しかし彼は決して落ちない。 彼にスポックが「死に対する恐怖を理解しろ」というようなことを言うのだが、そもそも彼は死んでもおかしくない状況で産まれてきているし(母親の胎内から産み落されるのと同時に、父親の船からも産み落されるという構造が良いではないか!)、常に両腕二本でぶら下がって生きている男なのだから、そんな奴に死の恐怖もへったくれもないわけだ。だからこそあっけなく彼はキャプテンの席に着くこととなる。 この映画のそのあっけなさは、決して落胆するようなものではなく、むしろ痛快ささえも感じるあっけなさだった。 [映画館(字幕)] 7点(2009-06-03 21:54:18)(良:2票) 《改行有》

4.  スラムドッグ$ミリオネア 《ネタバレ》 ライフラインという見事な名が付いているにも限らず、それが三つのうちひとつしか映画として機能しないことが最もこの映画の鈍感なとこなのだが、そのひとつがこの映画のすべてだった。 ミリオネアはどんな番組だったかと上映前に思い、ライフラインというものがあったことを思い出し、この映画は恐らくそれが主人公のスラム育ちの人生と相互するように機能する映画なのかと考えたが2/3も裏切られた。 まず最初にオーディエンスという機能を見殺すかの如く描いたときに、この映画は駄目なんじゃないかと疑う。 だが次にジャマールがコールセンターに勤めているということと、彼がラティカの携帯電話の番号を調べ始めた時、テレフォンという機能は活かされるのではと期待する。しかしラティカという名前だけでは検索しきれず、ここでは兄の番号に辿り着くまでとなる。これでは駄目だ。ジャマールがラティカを探し求める映画ならば、テレフォンの相手は兄ではなくラティカでなければならない。 50:50という機能も半殺しの如く描かれ、結局最後に残されるライフラインはテレフォンだ。となれば後は誰が電話に出るかだ。 兄は最後の最後でラティカを逃がすことで贖罪する。そう、その時「これを持っていけ」と彼女の手に握らすのが携帯電話だ。やはりこの映画はそうならなければならないと大きく納得した。 だから彼女が答えを知らないこと、彼が最後の最後は勘だけで正解すること、そして兄がそれと時を同じくして死ぬこと、すべてそれで良い。彼女が電話に出たことでこの映画の問題は解答されたからだ。彼にとってみれば、唐突に彼女が電話に出たこと、それだけで、もはやクイズ番組などどーでもいいことで、むしろ彼女に早く会わなければならない。クイズの答えに悩む暇はない。だから答えはBでもCでもDでもなく、一番最初のAだ。 テレフォンにラティカが出て映画が成り立つという結末は、誰もが予測可能だ。しかしそうなったとき、予想可能さに嘆かれるか、納得してもらえるか、それがこの映画の面白さに直結する。この映画には大きく納得させられる。わかっていることに改めて納得する面白さこそがアメリカ映画的であると思える。だから最後は余計に良かった。そうかそこはボリウッドだったと。 ただキスシーンを奇麗に見せたいがために傷口じゃない方にキャメラを切り返したら絶対に駄目だ。[映画館(字幕)] 7点(2009-04-21 04:56:49)(良:1票) 《改行有》

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