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1.  その女を殺せ 《ネタバレ》 正味71分ながら、スピードとスリル感が満載である。 護送されるマリー・ウィンザーが二階部屋から出るとネックレスがほどけ、真珠が階下に落下する。その真珠が散らばる床は二階からは死角となっており、 その陰の中に殺し屋の足元が浮かぶ。その音響と陰影が生むサスペンス感。パースをつけた階段の縦構図の素晴らしさ。 その手狭な感覚は、舞台が列車に移るとさらに強調され、その通路やコンパートメントを忙しなく移動し、格闘するチャールズ・マックグローの 動きによって全くテンションを途切れさせない。 ジャクリーン・ホワイトとの対話シーン、マリー・ウィンザーの撃たれるシーンなど、窓ガラスの反射やドアによる遮蔽が効果的に 使われており、本物-偽物の主題を提示しつつクライマックスのドア越しの銃撃戦に巧く繋げている。[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2016-11-16 23:52:20)《改行有》

2.  続・深夜食堂 《ネタバレ》 事前情報は一切抜きにして、新たに登場するゲストキャラクターと常連キャストのアンサンブルを存分に楽しむ。 前作で新たに加わった多部未華子が、新キャラの渡辺美佐子を部屋に泊め、新潟から送られてきた酒を酌み交わす。そんな何気ないショットが、 滋味を醸して心を和ませる。 ガードを潜って新宿東口に抜けていくオープニングは構図も繋ぎもナレーションも一緒だが、たぶん新規に撮ったものだろう。 「めし」の提灯が灯る食堂周辺の狭い路地や、落ち着いた雰囲気の店内のレイアウトなど、シリーズを担当する原田満生の美術が今回もレトロムードを 味わわせてくれる。 そして今回は焼うどんに蕎麦、焼き肉に豚汁定食がメインで、加熱調理の音と画面がシンプルながら相変わらずそそる。 郊外の高台の住宅地。タクシーの後部座席から息子の姿を遠目にみつめる渡辺美佐子。食堂のセットから離れてロケーションとなるこれらのシーン では、必ず風を渡らせて木々を揺らしエモーションを掻き立てる。松岡錠司はちゃんと心得ている。[映画館(邦画)] 7点(2016-11-09 22:13:12)《改行有》

3.  ソロモンの偽証 後篇・裁判 《ネタバレ》 法廷劇となる後編は舞台も行動も限定的・抑制的となるだろう。 それだけに各人の所作・視線が劇を形作る。 雨が降り出す中を、娘を追いかけその肩を抱きしめてやる佐々木蔵之介。 家に戻った娘の肩に優しく手をやり、話を聞いてやる夏川結衣。 それら触れ合いの所作は、映画のラストに閉廷後の校庭でしゃがみこむ 石井杏奈を巡っても変奏される。 黒木華の平手打ち。板垣瑞生と清水尋也と間に交わされる握手。 森口瑤子が息子の友達に麦わら帽子をかぶせてやる気遣い。 そんなさりげない動作ひとつの中に各人の人間性を垣間見せるよう演出が為されている。 藤野涼子ら5人が横並びとなって校門へと歩む一つのショットで 「友達になった」ことを示す簡潔さもいい。 元校長である小日向文世に対して生徒達が感謝の意を込めて深々と頭を下げる。 田畑智子もまた、彼の背中に静かに礼をする。 それらの所作が美しい。 そうしたシーンを盛大なBGMで煽る下品な映画が多いなか、 この作品はなかなか節度があって好感を持つ。[映画館(邦画)] 6点(2015-04-23 23:54:02)《改行有》

4.  ソロモンの偽証 前篇・事件 タイトルと同時に大きく表記される原作者名が、 まるで「映画」より「原作」こそ至上ですとでも言いたげで不安になる。 前後編と分けたことで、却って語りが冗長になってはいないか。 前篇だけを見る限り、まず(勿体ぶった)現代パートを配置しての 回想形式であることで既に水増し感が強い。 くどいシーンも数知れず。 「口先だけの偽善者」という台詞のフラッシュバックはご丁寧にも 三度も繰り返される。 次のショットでまた出るな、と予想していると案の定なので脱力するしかない。 車に跳ね飛ばされる少女、電車に轢かれるヒロインでインパクトを 狙ったであろうショット。これも読める。いまや定番だから。 やるな、と思っていると案の定やらかす。つまり、古臭い。 リポーター、教師らの戯画化された誇張芝居にも疲れる。[映画館(邦画)] 4点(2015-03-12 11:54:21)《改行有》

5.  そこのみにて光輝く 浜辺を歩く綾野剛と池脇千鶴。それを手持ちでフォローするカメラの揺れが 二人の心の昂ぶりを静かに、生々しく伝えてくるようで、胸をざわつかせる。 後景で、池脇が意を決して海に入るその波打ち際は立派な「動線」ではないのか。 時に彼らと距離を置き、時に不器用な二人に寄り添うカメラの距離感が程よく、 人物間の心情の交流が画面から滲み出て来る感がある。 綾野、池脇、そして菅田将暉の三人が食堂で談笑するスリーショットの束の間の幸福感。 綾野のベランダに座りこんでの、綾野・菅田のやり取りに滲むエモーション。 これを「座っているだけ」だから動きがないと解する者にとっては、小津作品などは さぞ「退屈」に違いない。 俳優らの芝居のみならず、カメラと対象との距離、構図、配光が見事に 融合している。 薄暗い綾野のアパートの室内に入り込む屋外からのネオン光の点滅。 そのギリギリの光加減の中に身体を重ね合う二人が浮かび上がる様は単に艶かしい というだけではない、深い情感が漲っている。 どこが「暗いだけ」なのか。 ラストの浜辺の眩い朝焼けに浮かび上がる二人の表情の美しさ。 これこそ言葉に代え難い。 [映画館(邦画)] 9点(2014-05-03 22:38:31)《改行有》

6.  そして父になる スピルバーグが惚れ込むのもよく頷ける、父と子のドラマである。 映画祭での評価は、勿論そんなテーマがどうのこうのといったものではあるまい。 テーマなら小説ででも語ればよいのだから。 デジタルカメラの再生画像を見る福山雅治の横顔。 その頬を涙が伝っているのか、いないのか、微妙な自然光の加減が素晴らしい。 列車の座席で二宮慶多に「どこかに行っちゃおうか」と語りかける尾野真千子の横顔。 ふと影が差し込み、画面は暗転。その表情は判然とせず、 彼女の思いつめているだろう輪郭だけがうっすらと浮かびあがる明暗が素晴らしい。 スピルバーグはこの慎ましくも豊かな光の表現に触発されたはずだ。 リリー・フランキー、真木よう子が子供たちと触れ合う身体表現もいい。 河原で尾野の肩をやさしく抱き、勝手口の上がり框で二宮を抱きしめてやる真木。 その相手を受け入れる手の動きが、そしてそれに応える二人の手のリアクションが 豊かな表情となっている。 黄升炫が詫びながら顔を覆う手のいじらしさも忘れられない。 [映画館(邦画)] 8点(2013-10-09 22:48:26)《改行有》

7.  そして人生はつづく 3部作の第2部にあたる。大地震に見舞われた村(前作の舞台)をキアロスタミ監督が再訪する設定の中でフィクションとノン・フィクションが絶妙にせめぎ会うロードムービーの傑作。 大渋滞する幹線道路を父子の自動車が行く。車窓を流れていくのは半壊した家々、落石に押しつぶされた車、家財を背負い側道を歩く避難民。救急車両のサイレンやヘリのローター音の喧騒が生々しい。 同時にその被災の光景は引いたキャメラで捉えられるとき、混乱と悲惨だけでない大らかさと悠久の詩情をもまとう。同じく喧騒の音は、活気ある復興の槌音でもある。 村へ向かう車中、捕まえたバッタを逃がすよう父に叱られる息子が浮かべる何ともいえない表情や、優しい木漏れ日が揺れるオリーブ林の中であやされる赤子の無垢な顔、避難キャンプの水場で洗い物をする少女たちの可憐な佇まい、サッカーワールドカップ中継を受像するためのアンテナを懸命に立てている青年の笑顔、便器を持ち運ぶ老人の饒舌。 いずれもただ素晴らしく、失意と悲嘆を越えた生気と強かさに自ずと惹きつけられてしまう。 そしてラストの超ロングショットは象徴性が勝ちすぎながらも、やはり目を瞠る。 丘の上を目指し、遅々としながらも急坂を懸命に登っていく小型自動車の動きはキャメラからの距離に比例して人物との同化の度を増し、エモーションをかきたてずに置かない。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-04-07 21:11:06)《改行有》

8.  ソーシャル・ネットワーク 頻出するガラス張りの空間は、主人公と他者を隔てる見えない壁の直喩か。 対話シーンにみられる背景のぼやけた深度の浅いフォーカスと、バストショット中心の画面が表すのは、周囲の人間への視野を欠いた主人公の自分本位性か。 J・アイゼンバーグとルーニー・マーラによるセンテンスごとの切返し。その単調かつ短絡的な応酬は、おそらくネットの双方向性と断絶感の表現を意図しているのだろう。 ラストの同一構図は、画面を介した無言の切返しとして巻頭のそれと対になるのだが、問題はほぼ全編において人物同士の対話シーンのアングル・カット繋ぎがことごとくこの1パターンに収まること。 台詞に従属する形で話者同士がひたすら単調に「テレビ的」に切返され続けるのでカットの切れ目も、次にくるだろうショットもおおよそ容易に予測できる。 同じ対話劇でも、同一構図を繰り返さず多彩に変化をつけていくオリヴェイラなどと比べてしまうのは酷だろうか。 主題の類似が指摘される『市民ケーン』の先鋭性とは真逆で、ドラマも撮影スタイルも慣例的すぎる。 [映画館(字幕)] 5点(2011-02-05 23:33:17)《改行有》

9.  ソルト 《ネタバレ》 一般的に「演技派俳優」は心の内面を表情・身振りの付加によって過剰なまでに主張しがちだが、余計な演技がない場合こそ、人物の心理・感情が生々しく伝わるのが映画の面白さ。 危険なアクションが全編にわたって連続するこの映画で、アンジェリーナ・ジョリーは走る・飛ぶ・格闘する身体運動に集中するとき、演技どころではなくなる。 一方で、心理のガードを高度に教育されたスパイの役柄を演じる彼女は、その表情を大きく変えることもない。 その演技・非演技ない交ぜの相貌が、画面に緊張とエモーションを呼び込む。特に復讐物語となる後半、その抑制的な表情と殺戮アクション自体の過激さと強度が、彼女の怒りと悲しみを強く画面に漲らせる。とりわけ中盤のアジトのシーンで、唐突にある場面に遭遇する彼女の無表情が示唆する内面の葛藤と、それに続く無表情の虐殺シーンのケレン味が感動的だ。 終盤の暗いヘリコプター内、交感する二者を結ぶ夜明けの薄明かりの水平ラインも美しい。 劇の二段構成、金髪と黒髪、高所感覚等〃の要素は『めまい』にも通ずる。[映画館(字幕)] 8点(2010-08-14 22:59:49)《改行有》

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