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21.  ダントン 映画はシナリオ文学ではないのだから、言葉にだけ感動してはいけないのだろうが、これは一つ一つのセリフに革命に対するワイダの思想の練り返しが感じられ、重い。人民の政府であるはずの共産国の作家が「人民の敵は政府だ」と叫ばねばならない悲痛さ。実質の主人公であるロベスピエールが「ダントンを裁いても裁かなくても革命は崩れ去る」という恐怖。人民に誠実であり続けるためにはダントン的人物が必要であり、しかしそういった人物が革命の輪郭を溶かしていったりもする。当時はダントン=ワレサとすぐに思わされたが、おそらくもっと普遍的なものとして捉えようとわざわざ過去に題材を採っていたのだろう。人民のための革命が専制独裁になっていくメカニズムが今までにも何度も繰り返されてきたのはなぜか。恐怖政治下の人々の描写がリアル。身分証明書を求められて怯える少女や、革命憲章をビクビク暗証させられている少年などがよく、これがラストのロベスピエールの恐怖と共鳴する仕掛けになっている。全体に青ざめた色調。[映画館(字幕)] 7点(2012-10-09 10:33:58)

22.  暖流(1939) 最初、主人公をどの程度肯定的に描いているのかハッキリしないうちは、ちょっとイライラした。己れに疑いを持たぬ「竹を割ったような」行動派を美化していると見ればいいのか。喫茶店で紅茶注文しといて、すぐに食事に誘い出してしまうのが、当時の「男らしい」だったのか、などと。しかし途中から「女同士の義理」みたいなモチーフも浮きだしコクが出、最後には佐分利信の生き方に疑問を与えるようなラストで、これなら満足。なんとなく相思相愛の一組があるのに、思い過ごしや遠慮や義理やで、うまくいかない。決して劇的な障害があるわけでもないのだけど、うまくいかない。女二人のどちらにも肩入れしないで、均等に扱ったのがいいのかも知れない。高峰三枝子に力を入れると「いい気なものだ」式の話になってしまうし、水戸光子に力を入れると「女のガムシャラな愛」ということでちょっとギラギラしたものになってしまう(後年の増村保造はそれを狙う)。美術では当時のモダンぶりが味わい。女たちの対比も織り込んでいるのだろうが、神田の喫茶店、白と黒に染め分けていて、カップまで白と黒になっている。でも上流家庭の描写は、地に脚が着いてないというか、日本人には苦手ね。日本の戦前の上流家庭とは、案外こんなもんだった、という可能性もあるけど。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-19 09:52:55)

23.  タバコ・ロード 《ネタバレ》 どん底の人々をユーモアで描く。いやユーモアと言うよりドタバタだな。だから農民の底力なんて前向きのものより、そのヤケクソと脱力のほうが迫ってくる。銀行に土地を取られ、その地代の百ドルを借りようと銀行に行くと、土地を取ったのと同じ人物が出てくる、なんてユーモアと言うには苦すぎ、農民の虚脱感ばかりが漂う。それらを貫くのが賛美歌で、それも「信仰の力」というより、ドタバタ的ヤケクソに聞こえてくる。その場をしのぐためにとりあえず歌の場にしちゃう。そうしてはしゃぎ回った果てに、とうとう救貧農場へ行くしかなくなり(紡績工場よりはまだ馴染みがある)、老夫婦が黙って支度する場がいい。そのあとの農場へ歩いていく場もいかにもフォード的に美しいが、家の中で必要な品を揃えているシーンが、胸に迫った。どん底の暮らしぶりのアナーキーさも描かれており、娘が嫁いだ先のDV亭主が妻に逃げられたと蕪を齧りながら愚痴を言いに来ると、代わりに妹をあてがったり、車キチガイの子どもは新車に乗れるってだけでハレルヤおばさんと結婚しちゃうし、土地を去ったときにおばあさんが消えちゃってて、森にでも行ったんだろう、ってだけで探さないとか。いや待てよ、あのおばあさんは謎だな。背後のほうにいたりいなかったりしてて、庭でしか現われなかった。実在の人物だったのか。タバコ・ロードが賑わっていたときの幻影というか、先祖を含めた亡霊たちの集合体というか。登場人物たちが演じたアナーキーなドタバタの背後に、このおばあさんの視線が隠れていた気がする。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-08-08 09:41:57)(良:2票)

24.  大地 《ネタバレ》 忘れ難い名シーンとしては二つ。まず冒頭、老人が真夏の昼下がりに死んでいくとこ。ひまわり。友だちの老人と「もう死ぬな」「行ってきな」「天国か地獄か教えろよ」などと会話しながら、ひょいと起き上がり梨を半分ぐらいかじってから静かに横たわる。まさに「大地」という感じの堂々ぶりの人生が感じ取れる。も一つすごいのはヒーローの葬式に恐れを感じた犯人(富農の息子)が狂乱状態になって犯行を叫び始めるのに対し、農民がまったくの無関心を示すところ。この軽蔑の描写がゾクゾクッとくる。これはもうプロパガンダを越えている。生産者側の優位を描いて、わざとらしさがなくこれだけ感動的なシーンも珍しい。そしてソ連の映画は雲がいつも美しい。しかし考えようによっては「個人より集団」という思想が徹底されており、ラストで婚約者が別の男と新しい生活を始める予感で終わらせているのも、土に生きるものたちのしぶとさと言うか今村昌平的・昆虫的輪廻を感じさせもするけど、同時に個人のかけがえのなさが集団の中に埋没していくようでもあり、のちに明らかになって来るソ連の非人間的なシステムをすでに感じさせなくもない。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-02 10:22:14)

25.  太陽を盗んだ男 国家が原爆を持つのを正当化できるのなら、どうして個人でそれを持ってはいけないのか、という問題。そして実際問題として知識の核拡散は防ぎようがなく、やがて汎核時代になっていくのは必然ではないか、という暗い予想が根底にあり、実際、世界はその後そのように動いている。この映画の面白さは大局的なテーマとは別に、犯人の孤独って問題もあること。主人公は趣味が高じて原爆を作っちゃうわけ。そして自分が手にした手段の大きさに驚いてから、それを確認するように「目的」を探していく。原爆という桁外れなものの存在が、犯人にとって困りものになる。原爆が手元にあることの利用法は、それを使ってはならず、それを持っていることを他者に知らしめることでしかない。自分が作れたという手応えも他者に確認してもらいたい。ここらへんに孤独が匂ってくる。文太は気づいて、この犯人は他人に触れてもらいたいんだ、と言っている。少しでも自分が関わった他人にべたついていく感じね(初めてディスク・ジョッキーに電話するとき、ひどくあがってしまっている)。こういう「他人知らず」の人間が“手段”を持つと、一人の女の命と引き換えに大量殺戮を無反省にやったり出来そうだ、という怖さもある。ちょっと後半だらだら。渋谷の場は切り詰められそう。[映画館(邦画)] 7点(2012-06-24 09:41:18)(良:1票)

26.  瀧の白糸(1933) 殺しのシーン、外から家に入り襖を二度ほど開けるまでをワンカットで追っていく。グイグイと入っていく白糸に同化でき、またそれを眺めている観客にとっても迫力が伝わってくる。男に引きずりまわされるところの俯瞰。白糸の哀れさが強調され、またそれを眺めている観客に「運命」といった観念も呼び覚まされる。溝口のテクニックに二段構えの厚みを感じる。映画そのものも、溝口と鏡花の好みが二段になって重なってるようで、尽くして尽くして尽くしつくすマゾぎりぎりの悦びと、他人に再生願望を託したような自己滅却志向が感じられる。アネゴ肌で女侠気とでも言うんでしょうか、粋の典型がここにあり、こういった明治の粋を描くには、戦前の昭和がぎりぎりのタイムリミットだったのか。ラストで入江たか子の表情が次第に浄化されていくとこがいいんでしょうな。[映画館(邦画)] 7点(2012-06-22 09:48:10)

27.  黄昏(1981) ちょっとボケ始めたことを自覚し、心では弱っていながら頑固を通すジイサン。火を出して「ワシ、何しでかすか分からんな」なんてとこ、グッとくる。イチゴ摘みに行って(『野いちご』を意識してるのかな)道が分からなくなるとこの怖さ。それらを含む老夫婦の物語の部分は実にいいんだけど、ヒネたガキが素直になるとか、父と娘の和解とか、ドラマチックな部分になると急に嘘っぽくなっちゃう(というか現実の俳優親子のこと考えちゃって気が散る)。それまで四方に輝いていた人間性が、そのドラマの枠内だけになってしまったというか、しぼんでしまった。親子で怖がっている図なんか、そう悪くはないんですが。ゲームをしてても、つい真剣になってしまう、なんてよく分かる。冒頭の湖、草がゆさゆさ揺れて美しい。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-13 10:24:36)

28.  太陽とバラ 《ネタバレ》 不良の中にも格差があるって話。金持ちの不良(石浜朗)と貧乏人の不良(中村賀津雄)の差を見詰めている。でも木下はその正体を突き詰めるという資質の作家ではなく、もっぱら母の愚痴に代表されるような詠嘆を真に迫って歌い上げる監督。「自分が怠けるのを棚に上げて、社会が悪いと言っている」って。でもこれは太陽族に対する木下の単なる感想でしょ。その感想を真に迫って描けてはいるが、もう一つ切り込んで欲しかった。この映画の場合、石浜朗の「嫌な奴」ぶりを突き詰めて欲しかった。単なる風俗として登場してるだけで、もったいない。なぜ彼が貧乏人の賀津雄にネチッコク関わっていこうとしたのか、そこらへんでもっと膨らませられたのではないか。ただの金持ちの坊ちゃんの気まぐれで終わってしまった。ヨットを持つような金持ちの太陽族の非行は、成人すれば自慢話になって知事にでもなれるが(このドラマのイシハマ君は裁きをつけられたが)、貧乏人にとっては身の破滅にまで至るって不平等、それが描かれても詠嘆どまりなんだ。[映画館(邦画)] 6点(2012-05-31 09:48:16)

29.  太陽がいっぱい このテーマ曲は今でこそ「太陽がいっぱいのテーマ」としてしか聴けないが、この揺れるような6拍子の曲想はイタリアの舟歌の感じを出してたんだな(バルカローレってのか?)。ゴンドラが映るシーンでしばしば断片が流れ、映画全体がラストシーンまで舟(ヨット)のモチーフで貫かれていた。あと跳ね回るような曲想もしばしば聴かれ(サルタレロってのか?)あれもイタリア情緒。イタリアのアメリカ人たちの漫遊気分の背景になっていて、イタリア人ロータもそういう意識で作曲したんだろう。よく出来たサスペンスで、警察の捜査を逆利用していくあたりが楽しく、また船上での笑顔の会話の緊迫も素晴らしい。でも原作のヨーロッパのアメリカ人って設定はあまり生きていない。いちおうセリフのなかでは説明していたが、印象づけていない。大西洋を離れた旅行者って設定が、他人に成り代わっていく展開の基礎として大事だったんじゃないか。特定の誰でもない旅行者の自由、誰にでもなれそうな自在感。そこらへんはより原作に忠実なリメイクだった『リプリー』のほうが描けていた。M・デイモンは明らかにアメリカ人顔だったし、「哀れな走り使い」のコンプレックスもあっちのほうが出ていた。こちらは美男のドロンが演じることでの痛ましさってのもあったけど。ハイスミスのミステリーは、前半はめちゃくちゃ面白いのに、後半もたれてくる。「文学」っぽくなってミステリーとしてのキレが悪くなる。『見知らぬ乗客』も後半は大幅に変えて映画を締めていた。本作のラストもそうだが、ミステリー映画としては悪くない改変だった。しかし原作のコクを好む人には物足りなかっただろう。あと今回気がついたのは、終盤で蝉が鳴いていたこと。ヨーロッパには蝉がいないと聞いていたが、南欧ではちゃんと鳴くんだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-04-29 10:13:16)

30.   《ネタバレ》 鳥のさえずりのなか、霧の海を老婆が「向こう」からやってきて「あっち」に去っていく冒頭の長いカット、いいぞいいぞ、と思ったが、そう簡単にはいかない映画だった。うーん、謎のようなカットの記憶がどんどん堆積していって、分かんねえ、と放り出したくなりつつ、息をのむ自然描写があるもんだから(森や川霧や)、見入ってしまう。ちょっと整理してみましょう。何となくこういうことじゃないか、と思えたのは、母を弔うことで故郷への帰還を果たした詩人の話、という枠。これはあってるでしょ? 詩で身を立てようと故郷を飛び出したものの、イスタンブールは厳しく今は古本屋をやっている。母の死で呼び戻され、彼女が何かイケニエの願(羊)をかけていたことを知る。その母からの想いを受け継ぎ、故郷に戻ることにした。その願掛けとは、もしかすると自分の帰郷のことだったのかも知れない。だいたいこんな線で納得したんだけど、それらの間に意味不明のシーンが含まれる。主人公が意識を失って倒れるのは何か。それをきっかけにイケニエをしようと思い切れた、ってこと? 同監督の『蜂蜜』でもお父さんが不意に森で倒れてた。オートバイのボーイフレンドの役割りはあれだけなのか。ヒューズが飛んだあと、ガラスが割られたのは何? そもそもあの電気屋、いわくありげだったし。ラスト近くの犬は、イスラム教知ってると「あああのことか」と分かるもんなのか? 井戸から這い上がるのは、昔掘ったとこを訪れてみた? それとも彼が昔書いたという井戸の詩と関係ありや? 謎、謎、謎。『蜂蜜』はそれでもなんとか捻じ伏せられたと思えたが、これでは逆にこっちが捻じ伏せられた。敗北感。故人となった親戚たちが鉢植えになって並んでいる、って風習はいいね。最後に定着を暗示する食事シーンがあり、そして遠雷が聞こえてくる。淡々と描かれながら、聖なるものがあたりにじわじわと満ちてくるのは『蜂蜜』と同じ。[DVD(字幕)] 6点(2012-04-05 10:08:22)

31.  ダンシング・ヒーロー パターンに徹するその臆面のなさを、勢いにしている。ストーリーは決められたコースの上を完璧に制御されて走っていく。冒険にチャレンジする若者、どんどん美しくなっていく娘、策略を弄する体制、伝説の父親(ダメな父と強い母がいて、その父とつながっていくハムレット的構図)。ダンスと感情を並行させる。いさかいのときのタンゴ、恋が芽生えるルンバ、そして意志の塊のようなフラメンコ。ダレそうなとこになるとフラメンコの伝授などがあって、見せ場見せ場をつないでいる。画面をいじくりすぎるのは、やがてこの監督の看板になっていくわけ。父親に関する回想シーンなんか面白かったけど、ダンスそのものの面白さはあんまり出てなかった。ソツはないけど、いい若いモンが作るなら、もっと本質的なところで冒険をしてもらいたかった気がする。まあそのためにやがてハリウッドに進出できたわけか。[映画館(字幕)] 6点(2011-12-26 12:16:38)

32.  タンゴ(1993) 妻と別居しているポールの頭の中は、妻で充血しちゃっている。いまどこかで妻が確実に彼女の生活をしている、ってことが嫉妬の対象になる。彼女の幻影を徹底的に排除したい、それが殺人願望にまで至る。そういう男を巡っても、サスペンスじゃなくコメディになるのは、監督があくまで男の心理にこだわっているから。女性心理には興味を持たない。「男は女をこう感じている」ってところにのみ、興味を集中させていく。男だけの暮らし。でもそれは人一倍女性にこだわっていることでもあり。集中していく話じゃなく、エピソードを集めて移動していく話。とうとう飛行機で北アフリカへ。『髪結いの亭主』のアラブ音楽の故郷だ。あちらのものでは殺人がごく自然にコメディの中にはいれる。エスプリって言うんですかね。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-04 10:20:12)

33.  大脱走 しばしば目に入る抜けるような空の青さはスポーツにこそふさわしい。この映画に満ちているのはスポーツの気分。逃亡するのが義務と心得ている連合国側捕虜と、それを阻止するための特別の収容所を開設したドイツ側との、攻守がはっきりしたチームスポーツ競技を観戦する気分だ。マックィーンの小道具としてのボールも、そういう気分をかもすのに役立っている。逃亡するための資材を調達していくあたりの、息のあった連携プレーが楽しい。役割りによって分業体制を敷いているのも団体スポーツの味わい。またその中にコンビの友情をいくつも仕込んでおいて、全体をまとめるのをイデオロギーにしていない。小さな友情が集まって大きな団結を構築している。一匹狼だったマックィーンも失われた友情への復讐心からチームに参加していく。本作の気持ちのいい明るさは、この友情を下敷きにしているところから来ているんだろう。悪役側も、ドイツ軍とゲシュタポとを区別し、ドイツ軍そのものはスポーツ競技の相手役としてサッパリとさせている。もちろん実際の戦争はスポーツではなかったわけで、それだけははっきりとさせとかなくちゃならない暗い部分はみなゲシュタポに任され、青空ではない曇り空の下の銃殺によって代表させる。暗い戦争を明朗なエンタテイメントに仕立て、しかもそれを「敵」をやっつけて溜飲を下げるレベルのものでなく成功させたところが、この映画の一番の手柄。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-10-22 10:08:53)(良:2票)

34.  大病人 いつもの情報映画ではなく、フツウの映画を志したようだが、そうすると一本の作品としてのうねりが出せない。唐突な臨死体験、ラストの般若心経も浮く。やはりこの人は情報を陳列していくのが向いている。逆に脚本を他人に任せてみれば良かったかも知れない。作者にとっての中心ポイントはどうも医者の改心らしいんだけど、これがあまりにも「文章的」でこなれていない。中の映画もなにか全然別の方向から死にアプローチするものをはめ込むべきだったんじゃないかな。顔の皮膚が破けてトウモロコシが出てくるところなんか、丁寧に見せたら面白そうだったんだけど。この人、皮肉家かと思ってると平気で俗に走り、群衆の扱いが粗雑だったり、感情表現が大雑把だったりで、困る。[映画館(邦画)] 5点(2011-10-18 10:02:27)

35.  大列車強盗(1903) 私が観たのはフィルムに着色がされてるので、ピストルを撃つと赤い煙が立つの。縛られている駅舎の人のところに入ってくる真赤な少女の服、とか。駅舎の窓にワッと入ってくる汽車の勢いなんて、当時の観客はもっと驚いただろう。またそれを狙ってもいたか。逃げようとして撃たれる一人は、走る列車の上からの視点。映画の初めにおいて列車と犯罪が描かれたことが後の映画史の方向付けをしたのか、どう始めてもいつかは列車と犯罪にたどり着いたのか。ダンスに興じている人のもとに届く知らせ。追跡。走りながらの射撃。銃撃戦。なにか一通りの原型が「普遍的無意識」に乗ったように・まるでフィルムにもともと潜んでいたものが解きほぐされていくように、撮影者の個性を感じさせずに演出されていく。と思っていると最後スクリーン越しに観客に発砲するギャング、おお「意識的な演出」ってのもここに発生しているのだ。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-09 10:07:07)

36.  タンポポ これ伊丹映画の欠点が出てしまった気がする。たとえば原泉と津川雅彦の追っかけを思い出してみる。「設定が重要なのではなく、映像上の人物の動きこそがサスペンスを盛り上げる」という考えでしょ、監督は。だからああいうエピソードも生まれる。でもあれ、面白かったですか? 映像だけではサスペンスを盛り上げるほど自立できないんですよ。観客も映像だけで愉悦を味わえるほど純な存在じゃないんです。すぐ意味に寄りかかりたくなる、で、それを無意味が引き剥がそうとして葛藤するところに映画の面白さがあるのに(たとえばミュージカル映画においてダンスという不意の無意味さが輝く興奮)、最初から「無意味」に身を投じてしまったのでは、けっきょく「意味」に身を投じた演説映画や説教映画と同じ拘束を受けてしまうことになる。「無意味」が目的になることによって「意味」の一種になってしまう。そこにこの映画の窮屈さがあって、ブニュエルの植物が繁茂していくような自由さは、とうてい味わえなかった。比較的面白かったのは井川比佐志のエピソード、ここにはその葛藤らしきものがあった気がする。[映画館(邦画)] 6点(2011-07-26 12:11:26)

37.  ダメージ 人生至るところに落とし穴あり、ってな話で。「脇道のない人生なんてつまらない、そういう落とし穴こそ人生の楽しささ」なんてこと言う気楽な人もいるが、本当の落とし穴ってのはそんなもんじゃない、ただただぽっかり穴があいててズルズルと破滅へと追い込んでいく、そういうものがあるんだという、お気楽ものを戒める映画。「愛」と言うと気取りすぎ、「性欲」と言ったらミモフタもない、そういうときは「官能」といういい言葉があるんだけど、『ラストタンゴ・イン・パリ』のように官能の孤独に至るわけでも、『近松物語』のように官能の勝利に至るわけでもなく、ただ穴ぼことしてある破滅へのみ至る官能。ほとんど事故のようにそこに巻き込まれていく主人公。政治家としての堅苦しい生活から自由になるという解放としての恋愛ではなく、まったく別の官能の檻につながれてしまう、その閉じていく怖さ。文字通りの意味での、身を焦がす恋ってやつだな。その怖さと男の心理はよーく分かるんですが、正直言ってこの女がよく分からなかった。別に分からなくていい落とし穴への案内人としての役割りなのか。段落ごとの「さて」という感じのフェイドアウトが、フェイドアウトとはこう使うのだ、というテキストのよう。[映画館(字幕)] 6点(2011-07-13 12:11:50)

38.  台風クラブ 子どもたちのイライラを描く。「イライラ」という不定形なものを描いてこれだけ迫力を出せた映画というのも珍しい。ただ、たしかに子どもたちはイライラしてるんだけど、イライラしたふりをして防衛している「何か」もあるわけで、そこらへんの子どものずるさをも描くだけの距離があったら、もっと良かっただろう。台風に閉じ込められたふりをして、立て籠もった子どもたちという設定なら、もっと校舎を使いこなすべきだった。職員室のドアを蹴るとこと、机を積み上げるとこがいい。カメラが蹴った穴を通って外に出たりする。物語から離れるところで、この監督はイキイキしてくる。何かが持続するところを描くと気合いが入ってくる。商店街でマッシロな男女がオカリナを吹いてるのはシラけた。大西結花が、三上君と工藤嬢が仲良く話し合ってるのを見てて、こちら(窓)を向き、背伸びを二度ほどやって風が吹く、なんてとこがいいんだ。[映画館(邦画)] 6点(2011-07-06 10:44:27)

39.  大樹のうた 《ネタバレ》 この最終作は、細部よりもストーリーのほうが重視されている印象があり、またドラマチックな部分が多いのでデリケートな味わいでは損してるけど、でも甘い新婚生活の描写など一級ではないでしょうか。別にチチクルわけでもなく、キスシーンすらないのだが、しみじみ祝福してやりたくなるぐらい、いい。毛布とか枕元のピンとか道具が生きる。ちょっと前までは一人で泣いてたのが、かいがいしく火を焚いてたりするイイトコノ娘だった新妻。こうじわじわ底からしみてくるような幸福感を出すってのは、やはり大した力量なんだろう。夜は肩を並べて英語の勉強。夫婦で映画観に行ってると(仏教風SFもの活劇で面白そう)スクリーンが馬車の窓になっちゃうという趣向なんかもある。不意の不幸から放浪、父性の目覚めに至るという展開。ラストでまた『大地のうた』につながり、このように人は同じようにぐるぐる転生してる、という見方も出来るし、いやいや一世代進んでオプーとカジュールの違いがやっと生まれた、という見方も出来よう。おそらくこの二つの見方を並行させることで、壮大ならせん状の世界観を感じさせるのだろう。[映画館(字幕)] 7点(2011-06-26 12:06:17)

40.  大河のうた 《ネタバレ》 家族の最期を看取り続けた母は、しかし息子に看取られずに、遠くの汽車を眺めながら死んでいくというのが本作の中心。亭主が頼りないぶん、自分が頑張らねば、と常に自分に言い聞かせて気を張っている母を描く序盤、父の死後大叔父の家に移り、学校へ通うはしゃぎの描写などがあって、母のへそくりでカルカッタへ出てくる苦学生の日々。この作品の眼目は、休暇中の帰省でのなんとはない母との不調和と言うか、他人行儀と言うか、鬱陶しく感じられてくるあたり。もっとカルカッタの話をしとくれ、と言われたって煩わしいわけよね。残酷なことだけど、その残酷さが成長と言うことであり、『一人息子』などの小津映画を思い浮かべざるを得ない。次の休暇のときに帰省しないでいると…となるわけ。電報であわてて帰ると、庭先に大叔父がボッと立っている様が実にまがまがしい。その前の休暇のときは、わざと帰りを一列車(ということは一日)遅らせたんだけど。[映画館(字幕)] 8点(2011-06-18 09:47:06)

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