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21.  暖流(1939) 最初、主人公をどの程度肯定的に描いているのかハッキリしないうちは、ちょっとイライラした。己れに疑いを持たぬ「竹を割ったような」行動派を美化していると見ればいいのか。喫茶店で紅茶注文しといて、すぐに食事に誘い出してしまうのが、当時の「男らしい」だったのか、などと。しかし途中から「女同士の義理」みたいなモチーフも浮きだしコクが出、最後には佐分利信の生き方に疑問を与えるようなラストで、これなら満足。なんとなく相思相愛の一組があるのに、思い過ごしや遠慮や義理やで、うまくいかない。決して劇的な障害があるわけでもないのだけど、うまくいかない。女二人のどちらにも肩入れしないで、均等に扱ったのがいいのかも知れない。高峰三枝子に力を入れると「いい気なものだ」式の話になってしまうし、水戸光子に力を入れると「女のガムシャラな愛」ということでちょっとギラギラしたものになってしまう(後年の増村保造はそれを狙う)。美術では当時のモダンぶりが味わい。女たちの対比も織り込んでいるのだろうが、神田の喫茶店、白と黒に染め分けていて、カップまで白と黒になっている。でも上流家庭の描写は、地に脚が着いてないというか、日本人には苦手ね。日本の戦前の上流家庭とは、案外こんなもんだった、という可能性もあるけど。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-19 09:52:55)

22.  大地 《ネタバレ》 忘れ難い名シーンとしては二つ。まず冒頭、老人が真夏の昼下がりに死んでいくとこ。ひまわり。友だちの老人と「もう死ぬな」「行ってきな」「天国か地獄か教えろよ」などと会話しながら、ひょいと起き上がり梨を半分ぐらいかじってから静かに横たわる。まさに「大地」という感じの堂々ぶりの人生が感じ取れる。も一つすごいのはヒーローの葬式に恐れを感じた犯人(富農の息子)が狂乱状態になって犯行を叫び始めるのに対し、農民がまったくの無関心を示すところ。この軽蔑の描写がゾクゾクッとくる。これはもうプロパガンダを越えている。生産者側の優位を描いて、わざとらしさがなくこれだけ感動的なシーンも珍しい。そしてソ連の映画は雲がいつも美しい。しかし考えようによっては「個人より集団」という思想が徹底されており、ラストで婚約者が別の男と新しい生活を始める予感で終わらせているのも、土に生きるものたちのしぶとさと言うか今村昌平的・昆虫的輪廻を感じさせもするけど、同時に個人のかけがえのなさが集団の中に埋没していくようでもあり、のちに明らかになって来るソ連の非人間的なシステムをすでに感じさせなくもない。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-02 10:22:14)

23.  太陽を盗んだ男 国家が原爆を持つのを正当化できるのなら、どうして個人でそれを持ってはいけないのか、という問題。そして実際問題として知識の核拡散は防ぎようがなく、やがて汎核時代になっていくのは必然ではないか、という暗い予想が根底にあり、実際、世界はその後そのように動いている。この映画の面白さは大局的なテーマとは別に、犯人の孤独って問題もあること。主人公は趣味が高じて原爆を作っちゃうわけ。そして自分が手にした手段の大きさに驚いてから、それを確認するように「目的」を探していく。原爆という桁外れなものの存在が、犯人にとって困りものになる。原爆が手元にあることの利用法は、それを使ってはならず、それを持っていることを他者に知らしめることでしかない。自分が作れたという手応えも他者に確認してもらいたい。ここらへんに孤独が匂ってくる。文太は気づいて、この犯人は他人に触れてもらいたいんだ、と言っている。少しでも自分が関わった他人にべたついていく感じね(初めてディスク・ジョッキーに電話するとき、ひどくあがってしまっている)。こういう「他人知らず」の人間が“手段”を持つと、一人の女の命と引き換えに大量殺戮を無反省にやったり出来そうだ、という怖さもある。ちょっと後半だらだら。渋谷の場は切り詰められそう。[映画館(邦画)] 7点(2012-06-24 09:41:18)(良:1票)

24.  瀧の白糸(1933) 殺しのシーン、外から家に入り襖を二度ほど開けるまでをワンカットで追っていく。グイグイと入っていく白糸に同化でき、またそれを眺めている観客にとっても迫力が伝わってくる。男に引きずりまわされるところの俯瞰。白糸の哀れさが強調され、またそれを眺めている観客に「運命」といった観念も呼び覚まされる。溝口のテクニックに二段構えの厚みを感じる。映画そのものも、溝口と鏡花の好みが二段になって重なってるようで、尽くして尽くして尽くしつくすマゾぎりぎりの悦びと、他人に再生願望を託したような自己滅却志向が感じられる。アネゴ肌で女侠気とでも言うんでしょうか、粋の典型がここにあり、こういった明治の粋を描くには、戦前の昭和がぎりぎりのタイムリミットだったのか。ラストで入江たか子の表情が次第に浄化されていくとこがいいんでしょうな。[映画館(邦画)] 7点(2012-06-22 09:48:10)

25.  タンゴ(1993) 妻と別居しているポールの頭の中は、妻で充血しちゃっている。いまどこかで妻が確実に彼女の生活をしている、ってことが嫉妬の対象になる。彼女の幻影を徹底的に排除したい、それが殺人願望にまで至る。そういう男を巡っても、サスペンスじゃなくコメディになるのは、監督があくまで男の心理にこだわっているから。女性心理には興味を持たない。「男は女をこう感じている」ってところにのみ、興味を集中させていく。男だけの暮らし。でもそれは人一倍女性にこだわっていることでもあり。集中していく話じゃなく、エピソードを集めて移動していく話。とうとう飛行機で北アフリカへ。『髪結いの亭主』のアラブ音楽の故郷だ。あちらのものでは殺人がごく自然にコメディの中にはいれる。エスプリって言うんですかね。[映画館(字幕)] 7点(2011-11-04 10:20:12)

26.  大樹のうた 《ネタバレ》 この最終作は、細部よりもストーリーのほうが重視されている印象があり、またドラマチックな部分が多いのでデリケートな味わいでは損してるけど、でも甘い新婚生活の描写など一級ではないでしょうか。別にチチクルわけでもなく、キスシーンすらないのだが、しみじみ祝福してやりたくなるぐらい、いい。毛布とか枕元のピンとか道具が生きる。ちょっと前までは一人で泣いてたのが、かいがいしく火を焚いてたりするイイトコノ娘だった新妻。こうじわじわ底からしみてくるような幸福感を出すってのは、やはり大した力量なんだろう。夜は肩を並べて英語の勉強。夫婦で映画観に行ってると(仏教風SFもの活劇で面白そう)スクリーンが馬車の窓になっちゃうという趣向なんかもある。不意の不幸から放浪、父性の目覚めに至るという展開。ラストでまた『大地のうた』につながり、このように人は同じようにぐるぐる転生してる、という見方も出来るし、いやいや一世代進んでオプーとカジュールの違いがやっと生まれた、という見方も出来よう。おそらくこの二つの見方を並行させることで、壮大ならせん状の世界観を感じさせるのだろう。[映画館(字幕)] 7点(2011-06-26 12:06:17)

27.  大殺陣 《ネタバレ》 「世直しの大義」を実行する主人公一派のボス山鹿素行が、安部徹ってのがいい。対するのが大木実で、悪役同士。正義を声高に叫ぶ連中を突き放して見ようとしているところがある。どっちもどっち。一派の中にも、テロ実行直前に女を犯そうとするナマグサ坊主がいたり、それまでの「正義」の時代劇とは一線を画している。でも突き放しきれてない中途半端な仕上がりで、過渡期の試行錯誤ってとこだろう。このカッカしている人々の対照物として平幹二朗がいるんだけど、それが最後までニヒルを通せない。「大義でなく友情のために」という流れにはなっていたが、もっと主人公たちの批判者としてあり続けてほしかった。突き放しが弱いと、決行前に妻子を始末しておく残酷も、美談として受け取られかねない。そもそも軍学者の立てた計略にしては粗雑で、山鹿流ってのも大したことないじゃないか(あばれ馬が走りこんでくるあたりはワクワクしたが)。また幕府側も、ことが終わったと見て綱重をムキダシで歩かすなど、こっちも粗雑。ローアングルのワイド画面、しばしば梁や塀など障害物越しに対象を捉えるカメラ、などが楽しめた。大木と安部が廊下を行くシルエットと並行する侍の場も美しい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-05-16 09:56:20)(良:1票)

28.  タンデム 狂王と従僕もの、というか、ドンキホーテ的な流れ芸人ものというか。とにかく、男の心にしか興味のない監督ではある。男の純情。とりわけ運転手リプト君において。局からの番組打ち切りの通知をロシュフォールに届けさせないように逃げ回っている旅。胃もぼろぼろ。赤い犬、放り落とされる自転車など、不安のイメージがまといついてきて滅びの予感が漂う。車の故障で道端の人で済ませてしまう中継(打ち切りになるラジオのクイズ番組の老司会者の話なの)。男の友情の話というより、どこか傷口をナメあっているような感じがあり、対象と監督の視線との間に冷たい距離が微妙にある。もっぱらラストを洒落て決めるフランス映画にしては、終盤ちょっとズルズルしたか。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-28 09:54:19)

29.  タワーリング・インフェルノ 『ポセイドン・アドベンチャー』が、出口という「上がり」へ向けた「すごろく」みたいな展開だったのに対して、こっちは「パーティー会場から動けない」という状況で見せる。最初は遠く離れた火だったのが、徐々に迫ってくる怖さ。その遠さが「大きくなり過ぎた建築物」を印象づける。恐竜は尻尾の先の痛みを脳が感じるまで1秒以上もかかる、とかいう話を思い出した。エレベーターから火だるまの人がころがり出てきて安全の結界が破られ、ガラスが割られ外の風がじかに吹き込んでくる。着飾ったドレスが汚れてくる。くつろぎのパーティー会場にどんどん外部が入り込んでくる。映画の基本が見世物だとしたら、観客が一番喜ぶのは火事場の野次馬になってもらうことだ、と製作者に見抜かれてしまっているのは悔しいが、たしかにそうなんだ。ワクワクして野次馬になりきってしまう。『ポセイドン』では観客はある程度登場人物と一体化して観ていたが、こちらは少し離れて野次馬の立場から、街の名士たちのオタオタぶりを眺めている。でもこのころはあんまり高層ビルもなかったが、今では林立していて、観客のほうも当事者になり得る可能性が高まっている。非常階段にコンクリの残滓がヒョイと捨ててあるなんて、似たようなことアリソーだし(最近の日本でも飛行場の工事で産廃が滑走路の下に埋められてたってのがあった。非常階段が倉庫がわりになってた、ってのは歌舞伎町の火事だったっけ?)、手抜き工事の話は枚挙にいとまがない。そうそう安全な野次馬の立場ばかりでもいられなくなっているのだ。この映画の忠告は、現在いっそう切実になっている。下からインフェルノの劫火と天からの大洪水、あちらの人にとってはキリスト教的な構図でもあるんだろうな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-11-26 10:08:07)(良:1票)

30.  ダウン・バイ・ロー 《ネタバレ》 町並みや雲の美しさは、ヴェンダースのカメラマンということで納得。でもこの監督の味は牢に入ってから。退屈をどうしていいか困っている人を描くのが好きみたい。イタリア人ロベルトが加わって、さらにおかしくなる。ボソッと、人を殺したんだ、と分かるとこ。「ホイットマンが嫌いな奴だったのか?」「きいてなかった」。不意の脱獄。脱獄そのものがギャグになっている。ボートで沼地を行く。しだいに迫っていくカメラ、水面は微動だにしない。別れの予感、朝のダンス、二又の道、上着の交換、ってね。うまいよね。でもなんかコツがわかってる分、それだけ飽きも来やすいというか、三人がばらばらに散っていくって同じ展開でも、鮮やかさは今ひとつ。こっちはちょっとキドリが感じられてしまう。情緒的なレベルで「男の世界だなあ」と満足してしまいかねないところがある。[映画館(字幕)] 7点(2010-10-20 09:52:35)

31.  大学の若旦那 《ネタバレ》 アメリカ風大学文化と、日本風若旦那文化の融合ですな。ラグビーやってお父さんが顔しかめるなんてのと、落語なんかに登場する遊興三昧の若旦那とが、うまく混ざってるんですよ。昭和初期にこういうあちらの大学生ものが自然に流れ込んできたのは、ちゃんと江戸時代からその下地をなす文化が存在してたからなんだな。斎藤達雄の義弟と一緒になって遊ぶ、あの感じがいい。この若旦那を延ばしていくと『小原庄助さん』になっていくのかも知れない。コセコセしない駘蕩とした世界を尊重するの。サウンド版なので、手拍子を店の前でやるシーンなんかが演出できる。内と外で音の大きさを変えて。大勢の拍手と一人の拍手との差とか。親が学校に、まだ部活動やってたほうが遊ばなくていいと申し出るようになるわけ。妹が坪内美子に水久保澄子、フレッシュボーイが三井弘次で、その姉が逢初夢子といった松竹蒲田の味たっぷり。[映画館(邦画)] 7点(2010-10-17 09:44:34)

32.  太陽に灼かれて チェーホフ的なものを現代史に応用してみました、って感じ。チェーホフの世界って「崩壊の予兆の上に立つ特権階級の不安」ってなもので、それはいつの時代にもある。うっすらと退屈に浸かったようなおしゃべりの中から、キラリキラリと緊張が見え隠れし出す。コップを持つ手首の傷、川辺にきらめくガラスのかけら。三角関係の緊張が高まったところで、政治が顔を出す。感情の過剰の世界から、感情の欠損の世界への一気の揺り戻し。表情はガスマスクで隠される。この監督は川が好きで、『機械じかけ…』では川に飛び込み、『ウルガ』ではトラックを落とした。今回は昔の恋人たちが落ちる。どれもこれもすべて楽園の最後の一日のメランコリー。ラストで火の玉はクレムリンへ消えていったのか、火の玉の代わりに浮かぶのはスターリン気球。こんな時代を描いても、チェーホフ的なるものは普遍性を持って生きるのだ。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-21 11:53:37)

33.  ダイ・ハード3 シリーズの約束事のうち、舞台を一つに絞るってのは守られなかったが、一日の出来事は守られる。それと、非番で二日酔いでシャツ一枚。このシリーズらしさが一番生きているのは、悪漢の質の高さ、というか計画性。最初はただのサイコ野郎と思わせておいて、しだいに「そうじゃない」を見せていく。悪漢の女が円月刀みたいので舞うように首をさく、という美意識もある。大義名分と泥棒との落差、っていうのは一作目にもあった、つまるところテロリストじゃなくただの泥棒って。そういうシリーズの遺産を大切にしており、水準以上のアクション映画の質は保った。だからカーチェイスはやってもらいたくなかった、作品を「ありきたり」に傾けてしまった、相棒を使ったことも。[映画館(字幕)] 7点(2010-03-07 11:55:04)(良:1票)

34.  暖流(1957) ジメジメしてなくて、でもドライっていうパサパサしてる感じでもなく、どちらかというと個々の人物は脂ぎっている。しかしベトつかないのだ。とにかくクルクルと走り回る左幸子が圧巻で、駅へ根上淳を送りにサーッとまわり込んで駆け込んでくるところなど。愛はスレッカラシになることよ、なんてセリフ、戦前版にあったかな。石渡ぎんが水戸光子のひたすら純情なのとは違って、仲間内から見れば嫌な女に見えるのが納得できるように描かれているのが、1950年代のポイント。戦前と戦後の女性の変化が、こう見事に表われた例も珍しい。このたくましさを左幸子は60年代の『にっぽん昆虫記』や『飢餓海峡』で、さらに極めていくことになるわけだ。この監督は野添ひとみのちょっと気味悪いところをつかんでいて、手の手術を受けながら、パッチリ天井を見ているところなど。[映画館(邦画)] 7点(2009-08-23 11:49:05)

35.  太陽の少年 年上の女性への憧れを軸にした、少年の成長ものの定番みたいな映画だが、エピソードの一つ一つがみずみずしい。望遠鏡で覗き、また反対側からも覗いてみたりして、世界が近づいたり遠のいたりする。世界との距離感の不安定な思春期。屋根の上をさすらうシーンも印象的だった。これの興味の一つは中国の文化大革命時代の悪童ものというところで、大人にとって悪い時代ほど子どもにとっては自由だったりする。世の中を批評する暇も惜しむほど、悪ガキどもはいそがしかったのだ。リービ英雄の小説「北京越境記」に文革の“黄金時代”を懐かしむ若夫婦が出てきて、子どもにとっては上の世代を罵倒できたりして“ハレ”の気分で過ごせる祭りの日々だったんだなあ、と思ったものだが、でもこの映画のガキどもは、エリート軍人の子どもということで、日本の“太陽族”にも通じる「いい気なもの」って感じもちょっとある。つまりあの時代の中国の子どもと言っても、みんながみんな毛沢東語録持って興奮して紅衛兵やってたわけではなく、その興奮の隙間で純粋にグレていられた恵まれた子どもたちもいたということだ。 [映画館(字幕)] 7点(2009-05-07 12:05:56)《改行有》

36.  007/トゥモロー・ネバー・ダイ 007が中国諜報機関と協力するなんて、世の中も変わったものだ。香港返還記念か。もっともオートバイで平然と、有色人種であるアジアの町や暮らしをぶっ壊していくところは同じだが。面白いのは動機で、何のためにイギリスと中国を戦わせようとしてるのかと言うと、巨大市場の中国での放映権のため、ってのが変にリアルで怖い。戦争があると儲かる仕事、一歩進んで戦争をあおるメディアの怖さ。この不気味さは後のイラク戦争のときに半ば現実となった。007の新兵器も、ケータイ電話とか車の無線キーとか現実の世の中にどんどん追いつかれているので、開発担当者も大変であろう。キーボードに漢字が並んでいるギャグが笑えた。[映画館(字幕)] 7点(2009-02-14 12:20:41)(良:1票)

37.  タロットカード殺人事件 『ロスト・イン・トランスレーション』見たとき、スカーレット・ヨハンソンにはコメディエンヌの素質があるのではないかと思ったものだが、それを本作は証明してくれた。ちょっと半開きの口もとやハスキーな声、それまではセクシーと捉えられていた要素が、そのまま“お茶目”の要素に横滑りしている。コメディの登場人物はしばしば己れのドジによって窮地に落ち入るが、途方にくれたときに、人の口もとは半開きになるものだ。マジックのステージに上げられてもじもじしているところなど、かわいくすらあった。ボケとツッコミの迷探偵コンビものをウディ・アレンとこなす。ほどほどの笑いとほどほどのハラハラを織り込んで、けっして限度を踏み外さない上品な仕上がり。喋りちらしているようで、ちゃんと伏線を張っているシナリオも礼儀正しい。[DVD(字幕)] 7点(2008-07-18 10:11:32)(良:1票)

38.  ダイ・ハード4.0 《ネタバレ》 悪漢どもが次々と仕掛けてくる前半がドキドキする。休まずに畳み込んでくるアイデアの洪水が、活劇映画としての贅沢感、このシリーズの誇りであろう。歴代大統領に犯行声明を代読させる洒落っ気もいいし、信号機をすべて青にしたりトンネルの両方から車を入れたりなどの身近なテロに、けっこう現代ならではの怖さがある。機械の正気にかなりの部分依存して、秒単位の日常を築いてしまっているんだなあ、って。後半はアイデア切れで、もうマクレーンの体力勝負となるが、これはまあ仕方ないだろう。悪漢はずる賢い頭、正義は腕力、って対比は、日本の時代劇もそうだし、どこの国の映画でも基本構造だから。ここはもう「ここまで死なないか」と笑いながら見るのが礼儀だ(米軍の戦闘機もだらしない)。娘が絡んで話を小さくしてしまうのも残念だが、イラク戦争の失敗以後、誰もが納得できる最後の正義ってのが「家族を守る」になってしまった反映だろうな。悪漢のほうにも「偉そうなこと言っても狙いは金」とミソをつけてある。これも1作目と同じ。 [DVD(字幕)] 7点(2008-03-06 12:26:27)(良:1票) 《改行有》

39.  たそがれの維納 辛辣さに優しさが隣り合っていて、人の弱点をとがめだてしない。ヒロインだって積極的に社交界を告発するわけではなく、憧れたりもする。色男も純情を持つ。すべて批評的ではあっても批判的ではない。そこらへんの程度のわきまえが心地よい。もちろん20世紀前半のヨーロッパを描く以上、かすかな腐臭は漂う。でもたとえば「地獄に堕ちた勇者ども」のように、程度をわきまえずその腐臭漂うなかをごろごろ転げ回るほど不健全にはなってなくて(あれはあれで大傑作ですが)、いたって健全におさえている。冒頭のテープが投げ散される中を後退していく移動の華やかさ、夜会で色男とダンスする田舎娘のときめきを伝える横移動など、その上品さが身上。そして最後はかすかな腐臭も消し去るように雪で清らかに締めている。この年、ヒットラーが首相に就任した。[映画館(字幕)] 7点(2008-02-21 12:26:05)

40.  大理石の男 映画はある程度ナマものだから、この時代のポーランドの熱気と無関係に本作を見ることは出来ない。映画自体、別に映画史の古典になりたいとも思っていないだろう。時代へ向けて発言する熱気とそれを支える決意こそが、この映画の感動の核だ。かつて50年代に犯したポーランド映画人の過ちをもう繰り返したくない、という反省と責任が感じられる。レンガ積みの場面、主人公のみじめさと、個人が個人としての誇りを持つなどと思ってもいない党の残酷な視線を描いていて素晴らしい。見てはいけないものを見てしまうと下を向いてしまったカメラと、ヒロインのしつこく食いついていくカメラとが対比される。反省の映画っていうと、なんか後ろ向きに思われそうだが、でもそれは次代への期待の映画ってことなんだ。[映画館(字幕)] 7点(2008-02-20 12:21:21)

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