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41.  ダーウィンの悪夢 《ネタバレ》 最初のうちはノンキに、ナイルパーチという魚の加工産業があるのなら、アフリカでもいいほうなんじゃないか、などと思っていた。なのに映像がどんどん記録していく地元の疲弊、とりわけ子どもたちの悲惨な状況、炊けたわずかの飯を奪いあい、梱包材を焼いた煙をドラッグ代わりにしているのは、それなら何故なのか。映画は急がずに、そのからくりを解いていく。「甘い生活」の怪魚を思い出させるナイルパーチの肉は、外国(ヨーロッパと日本)へ輸出され、地元が食べる安い魚はナイルパーチに食べ尽くされてなくなってしまった。これが外国資本に食べ尽くされていくアフリカに重なってくる。弱肉強食のダーウィンの悪夢。人を生かす食べ物が人を殺す武器と交換されていく。やがて餌のなくなったビクトリア湖でナイルパーチが滅んだとき、外国資本もまた別の土地を求めて撤退していくだろう。この仕組みを理解するだけなら、本で読んでも出来る。でも「なるほど、こういうことか」という深い体感のような納得に至れるのが、蝿やウジのたかる魚の残骸を食用のために干しているシーンの映像の力、戦争を待ち望む警備員のひそめた話し声のトーンが伝わる記録の力だ。貨物機が飛ぶ同じ映像でも、冒頭とラストとでは、もう見るこちらが変わってしまっている。一番安い「のり弁」を買うと乗っていたなんだか分からない白身魚のフライ、あれがこれか?[DVD(字幕)] 7点(2007-12-10 12:20:46)

42.  箪笥 ゆったりとしたペースが心地よい。おどかしに新手はないが、やってることは正しい。姉妹は髪の毛の長さでのみ見分けていたので、暗がりになると判断不能になった。だからドラマとして理解してはいない。再見すれば発見することもあっただろが、ホラーだと「一つ一つの怖がらせ」を味わえればそれでいいと思ってしまう口なので。だから継母と妹(?)が重なるようなイメージが、よく分からなかった。妹の死に対する責任感の妄想? 洋風の家であった。韓国風の家じゃだめなのか。東洋的な味わいのほうが合う世界の気がしたが。お父さんはほとんど大杉漣だった。[DVD(字幕)] 6点(2014-02-27 09:37:10)

43.  大統領の理髪師 これ昔の邦画だったらフランキー堺の役だなあ、と思い、今だったら、とあれこれ考えたが出て来なかった。こういうタイプの役者がいなくなったというより、そういう役柄がなくなっていたのか。善良だがしたたかな「庶民」。今の邦画には「庶民一般」が登場しなくなったのかもしれない。花札をやってる場があり、悪しき日帝時代の記憶、というふうに受け取る場面なのかも。責任がかかってくるのが恐ろしく、子どもですら拷問に掛けていく体制。飲み込んだカプセルを排泄するのと、エンコした大統領葬儀車が重なる。次の大統領全斗カンの禿頭が最後のギャグになる。全体に黄色味がかったトーン。[DVD(字幕)] 6点(2014-02-14 09:55:27)

44.  ダディ・ノスタルジー 『田舎の日曜日』が個人の老年期を描いたのに対し、こちらは「一家の老年期」だわな。一組の夫婦の結婚によって、家族が一つ誕生する。子どもができて子育てのてんやわんや、やがて青年期から壮年期、やがて子どもは外に別の家庭を作り、その家族は老年期に入っていく。その老年期の家族の荘厳を描いた作品。病院から自宅療養に戻ってきた家長を、みなでさりげなく日常を演じて淡々と過ごすその緊張。普段どおりであらねばならぬ、という義務が、父親本人も含めて静かな緊張としてこの家を包んでいる。与えられた最後の時間を、取り乱さないようにと無言で戒めあって、冬の近づきを待ち受けている。老いは単なる衰弱ではなく、それに対抗しようとする気品や誇りが張りつめている状態なんだ、と言っている。病気のために半分引退していたダーク・ボガートが、久しぶりにスクリーンに帰ってきたってのが売りだった、でも衰えが進んじゃってたな(この主人公とまったく同じ)。『ベニスに死す』の彼が見事に黄昏を演じてるんだ、という理屈を経て初めて感動できる、って遠回りな感じ。[映画館(字幕)] 6点(2014-02-06 09:24:16)

45.  ダークマン 本格的B級映画でとりわけ後半はB級ならではの軽快感を楽しめました。ヘリコプターからぶら下がったダークマンがトラックの上をチョコチョコ走りするとこなんかいい。B級にとって安っぽい感傷性ってのも大事で、夫婦の絆が絡むといいの。妻への愛と醜い己れとの葛藤。仮面が99時間しかもたないという制約も一応ある。悪人は残虐で、指をコレクションしてる。ヘンな名前の日本人も出てきて、ヤキチトだったっけ? ヤキトリから適当に発想したんだろう。空気はやや「オペラ座の怪人」めく。廃工場での活躍からヘリコプターのあたりが一番Bの味みなぎっていた。ハラハラドキドキに完全には飲まれないんだけど、ヨウヤルワというレベルで満足する感じね。悪玉が自分からわざわざ建築現場へ行ってぴょんぴょん跳ぶのもおかしい。叩き上げの悪漢。「私は創造のために人を殺してるが、君はただの復讐じゃないか」。[映画館(字幕)] 6点(2013-11-10 09:39:24)

46.  黄昏のチャイナタウン ハードボイルドの話のややこしさにはいつもついていけない者で、二人のジェイクの男と男の(一人の女を挟んでの)心の理解の話らしい。最初、靴の向こうにジェイクがいて、あとで二人とも同じ靴だったり…。ゴルフボールをコップに…。エレベーターが閉まる直前にタバコを…。など演出の洒落っ気はなかなかのもので、モノローグでハードボイルドの匂いが高まる。裁判所の場で銃声のテープが出てくるたびにビクッビクッとする主要人物たち。注目すべき失敗作ってやつですか。映画としてはあまり楽しめなかったが、この新人監督にもう一本撮らせてみたい、って気分は残った。このころリチャード・ファンズワースを立て続けに見ていたと記している。まだ『ストレイト・ストーリー』まで9年ある。[映画館(字幕)] 6点(2013-09-19 09:28:36)

47.  ダンス・ウィズ・ウルブズ 白人にとっては輝かしいフロンティアの時代、インディアンにとっては楽園の終わりの恐怖の時代、その向こう側からフロンティアを見てしまった白人の物語。システムから逃げるように果てに行ってしまう。馬と狼のみを友として(ここらへん突っ込めばカフカ的物語になったかもしれない)。でこの馬と狼を奪うのが開拓者側の人間なんだ。ま最後は家族を守るために、ってのが出てくる。これを膨らますと民族的ナショナリズムになってしまう微妙なところ。巨大な社会が小さな共同体を潰していく歴史への悲哀、っていう点で納得しました。ツー・ソックスに象徴されるもの、アメリカが殺してしまったもの。インディアンが白人を殺すシーンに溜飲が下がるアメリカ映画、という特異な作品になった。[映画館(字幕)] 6点(2013-05-08 10:05:59)

48.  探偵物語(1983) なんとなくつけている松田優作がまず楽しい。望遠で縦の動き。薬師丸と先輩とガールフレンドと探偵が縦にいる。ジェスチャーでのやりとり、鏡を使ったドタバタなどなど、いろいろ工夫の跡は認められる。クレジットの間、松田優作はずっと立っていた。積極的に褒める映画じゃないけど、語り口は『遠雷』のときより上達してて、ちょっと藤田敏八を思わせる軽快さ。尾行したり尾行されたりするってのは、一つになりたいという願望でもあるということか。薬師丸嬢は思い入れを込めない表情のときのほうがいい。ラストの松田君の表情が難しい、本人も困ったんじゃないか。へんに深刻ぶっちゃってないか、などと。[映画館(邦画)] 6点(2013-02-24 08:57:23)

49.  丹下左膳(1958) 《ネタバレ》 戦後の丹下左膳ってのはいっぱいあって、松竹で阪妻、大映で大河内伝次郎、日活で水島道太郎なんてのもある。東映では60年代に錦ちゃんも撮ってるが、その前に大友柳太朗が本作以下5本続いた。本作を見てみようと思ったのは「こけ猿の壷」のそもそもの話はどういうのか、という興味からだったが、どうもこれオールスターキャストの要請でかなり自由に脚色しているようで(原作者はとっくに山中版が作られた年に死んでいる)、途中からその豪華さのほうに目がいった。時代劇のオールスターキャストというと「忠臣蔵」が各社しのぎを削ったが、こういう作品でもやってたのか。次々大きな顔が現われてくるワクワク気分は、なかなかいいものである。女優の役が少ないのがちょっと弱いが、当時のひばりは一人でも大きかったんだろう。最初の金魚籤の場では、琴の合奏のBGMに不思議な効果があった。言語不明瞭ぶりで有名な新旧の左膳役者、大友と客演の大河内が怒鳴り合う場は当然セリフを理解するのが困難だが、やがて嵐のような風も吹き出し、異様な高揚が画面に満ち感動した。エンディングも時代劇の正しいラストシーンという感じで、旅の駕籠、曲がって続く街道、その路上で「とんびピーヒャララ、おかごはエッサカホイ」とのどかに歌う新妻のひばり、それを見送る左膳にお藤の長谷川裕見子(涙をこらえてる)、脇で朗らかに手を振る大河内御大にコソ泥の多々良純、駕籠から実はご落胤だったチョビ安の松島トモ子が振り返れば、見てるこちらも日本晴れだ。(気になって原作「丹下左膳・こけ猿の巻 正・続)を読みかけているが、左膳はよく「大菩薩峠」の机龍之助と並ぶニヒルな剣客と評されてるけど、そう陰々滅々でなく、いかにもモダニズム時代の軽快な文体で綴られ、山中版はけっこう原作の軽みを生かしてたんじゃないか)[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-01-28 10:29:19)

50.  タバコ・ロード 《ネタバレ》 どん底の人々をユーモアで描く。いやユーモアと言うよりドタバタだな。だから農民の底力なんて前向きのものより、そのヤケクソと脱力のほうが迫ってくる。銀行に土地を取られ、その地代の百ドルを借りようと銀行に行くと、土地を取ったのと同じ人物が出てくる、なんてユーモアと言うには苦すぎ、農民の虚脱感ばかりが漂う。それらを貫くのが賛美歌で、それも「信仰の力」というより、ドタバタ的ヤケクソに聞こえてくる。その場をしのぐためにとりあえず歌の場にしちゃう。そうしてはしゃぎ回った果てに、とうとう救貧農場へ行くしかなくなり(紡績工場よりはまだ馴染みがある)、老夫婦が黙って支度する場がいい。そのあとの農場へ歩いていく場もいかにもフォード的に美しいが、家の中で必要な品を揃えているシーンが、胸に迫った。どん底の暮らしぶりのアナーキーさも描かれており、娘が嫁いだ先のDV亭主が妻に逃げられたと蕪を齧りながら愚痴を言いに来ると、代わりに妹をあてがったり、車キチガイの子どもは新車に乗れるってだけでハレルヤおばさんと結婚しちゃうし、土地を去ったときにおばあさんが消えちゃってて、森にでも行ったんだろう、ってだけで探さないとか。いや待てよ、あのおばあさんは謎だな。背後のほうにいたりいなかったりしてて、庭でしか現われなかった。実在の人物だったのか。タバコ・ロードが賑わっていたときの幻影というか、先祖を含めた亡霊たちの集合体というか。登場人物たちが演じたアナーキーなドタバタの背後に、このおばあさんの視線が隠れていた気がする。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-08-08 09:41:57)(良:2票)

51.  黄昏(1981) ちょっとボケ始めたことを自覚し、心では弱っていながら頑固を通すジイサン。火を出して「ワシ、何しでかすか分からんな」なんてとこ、グッとくる。イチゴ摘みに行って(『野いちご』を意識してるのかな)道が分からなくなるとこの怖さ。それらを含む老夫婦の物語の部分は実にいいんだけど、ヒネたガキが素直になるとか、父と娘の和解とか、ドラマチックな部分になると急に嘘っぽくなっちゃう(というか現実の俳優親子のこと考えちゃって気が散る)。それまで四方に輝いていた人間性が、そのドラマの枠内だけになってしまったというか、しぼんでしまった。親子で怖がっている図なんか、そう悪くはないんですが。ゲームをしてても、つい真剣になってしまう、なんてよく分かる。冒頭の湖、草がゆさゆさ揺れて美しい。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-13 10:24:36)

52.  太陽とバラ 《ネタバレ》 不良の中にも格差があるって話。金持ちの不良(石浜朗)と貧乏人の不良(中村賀津雄)の差を見詰めている。でも木下はその正体を突き詰めるという資質の作家ではなく、もっぱら母の愚痴に代表されるような詠嘆を真に迫って歌い上げる監督。「自分が怠けるのを棚に上げて、社会が悪いと言っている」って。でもこれは太陽族に対する木下の単なる感想でしょ。その感想を真に迫って描けてはいるが、もう一つ切り込んで欲しかった。この映画の場合、石浜朗の「嫌な奴」ぶりを突き詰めて欲しかった。単なる風俗として登場してるだけで、もったいない。なぜ彼が貧乏人の賀津雄にネチッコク関わっていこうとしたのか、そこらへんでもっと膨らませられたのではないか。ただの金持ちの坊ちゃんの気まぐれで終わってしまった。ヨットを持つような金持ちの太陽族の非行は、成人すれば自慢話になって知事にでもなれるが(このドラマのイシハマ君は裁きをつけられたが)、貧乏人にとっては身の破滅にまで至るって不平等、それが描かれても詠嘆どまりなんだ。[映画館(邦画)] 6点(2012-05-31 09:48:16)

53.   《ネタバレ》 鳥のさえずりのなか、霧の海を老婆が「向こう」からやってきて「あっち」に去っていく冒頭の長いカット、いいぞいいぞ、と思ったが、そう簡単にはいかない映画だった。うーん、謎のようなカットの記憶がどんどん堆積していって、分かんねえ、と放り出したくなりつつ、息をのむ自然描写があるもんだから(森や川霧や)、見入ってしまう。ちょっと整理してみましょう。何となくこういうことじゃないか、と思えたのは、母を弔うことで故郷への帰還を果たした詩人の話、という枠。これはあってるでしょ? 詩で身を立てようと故郷を飛び出したものの、イスタンブールは厳しく今は古本屋をやっている。母の死で呼び戻され、彼女が何かイケニエの願(羊)をかけていたことを知る。その母からの想いを受け継ぎ、故郷に戻ることにした。その願掛けとは、もしかすると自分の帰郷のことだったのかも知れない。だいたいこんな線で納得したんだけど、それらの間に意味不明のシーンが含まれる。主人公が意識を失って倒れるのは何か。それをきっかけにイケニエをしようと思い切れた、ってこと? 同監督の『蜂蜜』でもお父さんが不意に森で倒れてた。オートバイのボーイフレンドの役割りはあれだけなのか。ヒューズが飛んだあと、ガラスが割られたのは何? そもそもあの電気屋、いわくありげだったし。ラスト近くの犬は、イスラム教知ってると「あああのことか」と分かるもんなのか? 井戸から這い上がるのは、昔掘ったとこを訪れてみた? それとも彼が昔書いたという井戸の詩と関係ありや? 謎、謎、謎。『蜂蜜』はそれでもなんとか捻じ伏せられたと思えたが、これでは逆にこっちが捻じ伏せられた。敗北感。故人となった親戚たちが鉢植えになって並んでいる、って風習はいいね。最後に定着を暗示する食事シーンがあり、そして遠雷が聞こえてくる。淡々と描かれながら、聖なるものがあたりにじわじわと満ちてくるのは『蜂蜜』と同じ。[DVD(字幕)] 6点(2012-04-05 10:08:22)

54.  ダンシング・ヒーロー パターンに徹するその臆面のなさを、勢いにしている。ストーリーは決められたコースの上を完璧に制御されて走っていく。冒険にチャレンジする若者、どんどん美しくなっていく娘、策略を弄する体制、伝説の父親(ダメな父と強い母がいて、その父とつながっていくハムレット的構図)。ダンスと感情を並行させる。いさかいのときのタンゴ、恋が芽生えるルンバ、そして意志の塊のようなフラメンコ。ダレそうなとこになるとフラメンコの伝授などがあって、見せ場見せ場をつないでいる。画面をいじくりすぎるのは、やがてこの監督の看板になっていくわけ。父親に関する回想シーンなんか面白かったけど、ダンスそのものの面白さはあんまり出てなかった。ソツはないけど、いい若いモンが作るなら、もっと本質的なところで冒険をしてもらいたかった気がする。まあそのためにやがてハリウッドに進出できたわけか。[映画館(字幕)] 6点(2011-12-26 12:16:38)

55.  大列車強盗(1903) 私が観たのはフィルムに着色がされてるので、ピストルを撃つと赤い煙が立つの。縛られている駅舎の人のところに入ってくる真赤な少女の服、とか。駅舎の窓にワッと入ってくる汽車の勢いなんて、当時の観客はもっと驚いただろう。またそれを狙ってもいたか。逃げようとして撃たれる一人は、走る列車の上からの視点。映画の初めにおいて列車と犯罪が描かれたことが後の映画史の方向付けをしたのか、どう始めてもいつかは列車と犯罪にたどり着いたのか。ダンスに興じている人のもとに届く知らせ。追跡。走りながらの射撃。銃撃戦。なにか一通りの原型が「普遍的無意識」に乗ったように・まるでフィルムにもともと潜んでいたものが解きほぐされていくように、撮影者の個性を感じさせずに演出されていく。と思っていると最後スクリーン越しに観客に発砲するギャング、おお「意識的な演出」ってのもここに発生しているのだ。[映画館(字幕)] 6点(2011-10-09 10:07:07)

56.  タンポポ これ伊丹映画の欠点が出てしまった気がする。たとえば原泉と津川雅彦の追っかけを思い出してみる。「設定が重要なのではなく、映像上の人物の動きこそがサスペンスを盛り上げる」という考えでしょ、監督は。だからああいうエピソードも生まれる。でもあれ、面白かったですか? 映像だけではサスペンスを盛り上げるほど自立できないんですよ。観客も映像だけで愉悦を味わえるほど純な存在じゃないんです。すぐ意味に寄りかかりたくなる、で、それを無意味が引き剥がそうとして葛藤するところに映画の面白さがあるのに(たとえばミュージカル映画においてダンスという不意の無意味さが輝く興奮)、最初から「無意味」に身を投じてしまったのでは、けっきょく「意味」に身を投じた演説映画や説教映画と同じ拘束を受けてしまうことになる。「無意味」が目的になることによって「意味」の一種になってしまう。そこにこの映画の窮屈さがあって、ブニュエルの植物が繁茂していくような自由さは、とうてい味わえなかった。比較的面白かったのは井川比佐志のエピソード、ここにはその葛藤らしきものがあった気がする。[映画館(邦画)] 6点(2011-07-26 12:11:26)

57.  ダメージ 人生至るところに落とし穴あり、ってな話で。「脇道のない人生なんてつまらない、そういう落とし穴こそ人生の楽しささ」なんてこと言う気楽な人もいるが、本当の落とし穴ってのはそんなもんじゃない、ただただぽっかり穴があいててズルズルと破滅へと追い込んでいく、そういうものがあるんだという、お気楽ものを戒める映画。「愛」と言うと気取りすぎ、「性欲」と言ったらミモフタもない、そういうときは「官能」といういい言葉があるんだけど、『ラストタンゴ・イン・パリ』のように官能の孤独に至るわけでも、『近松物語』のように官能の勝利に至るわけでもなく、ただ穴ぼことしてある破滅へのみ至る官能。ほとんど事故のようにそこに巻き込まれていく主人公。政治家としての堅苦しい生活から自由になるという解放としての恋愛ではなく、まったく別の官能の檻につながれてしまう、その閉じていく怖さ。文字通りの意味での、身を焦がす恋ってやつだな。その怖さと男の心理はよーく分かるんですが、正直言ってこの女がよく分からなかった。別に分からなくていい落とし穴への案内人としての役割りなのか。段落ごとの「さて」という感じのフェイドアウトが、フェイドアウトとはこう使うのだ、というテキストのよう。[映画館(字幕)] 6点(2011-07-13 12:11:50)

58.  台風クラブ 子どもたちのイライラを描く。「イライラ」という不定形なものを描いてこれだけ迫力を出せた映画というのも珍しい。ただ、たしかに子どもたちはイライラしてるんだけど、イライラしたふりをして防衛している「何か」もあるわけで、そこらへんの子どものずるさをも描くだけの距離があったら、もっと良かっただろう。台風に閉じ込められたふりをして、立て籠もった子どもたちという設定なら、もっと校舎を使いこなすべきだった。職員室のドアを蹴るとこと、机を積み上げるとこがいい。カメラが蹴った穴を通って外に出たりする。物語から離れるところで、この監督はイキイキしてくる。何かが持続するところを描くと気合いが入ってくる。商店街でマッシロな男女がオカリナを吹いてるのはシラけた。大西結花が、三上君と工藤嬢が仲良く話し合ってるのを見てて、こちら(窓)を向き、背伸びを二度ほどやって風が吹く、なんてとこがいいんだ。[映画館(邦画)] 6点(2011-07-06 10:44:27)

59.  第9地区 エイリアンの存在が日常と化している、その設定のみ評価。今まで宇宙人は『宇宙戦争』みたいに対立するものにしろ、『未知との遭遇』みたいに友好的なものにしろ、なんというか、敵とか神とか非日常的な「目覚ましい」存在だった。ここでは被保護者として日常的に存在している。『E.T.』も被保護者ではあったが、ああいう特定の狭い環境下ではなく社会そのものでそうなっている。もっぱら宇宙人もので国家が介在してくると、「国防」問題としてだったのが、ここでは「治政」問題として登場する。そういう状況をスケッチしていった冒頭が楽しかった。まあ結局、世界にあふれている異民族間の軋轢を(あるいは狭く南アの問題を)、難民としての宇宙人に置き換えて描いただけじゃないか、ということだが、でもそうやって置き換えることで新鮮に見えてくるものもある。苛酷な植民地支配を徹底的に受けた大陸を舞台にして生まれた発想だろう(でも後から入ってきた白人がエイリアンになぞらえられてるわけではなく、意図的なのか無邪気ゆえなのかは分からないけど、微妙なネジレがある)。今まで宇宙船がもっぱら北半球に訪れたこと自体に、宇宙の偏見(!)があったのかも知れない。ただドラマとして展開していくには、既製の北半球的物語を利用するしかなかったのが弱点で、冒頭でワクワクした分、物足りなかった。でも晴れ渡った・影のくっきりしたゴマカシのない世界像はいい。[DVD(吹替)] 6点(2010-12-07 09:56:49)

60.  他人のそら似 「こりゃウディ・アレンだな」と思って観ていたら、先にキャロル・ブーケに言われてしまった。出来上がったあとで批評で言われそうなことを先に作中で指摘しといて「もちろん、そのことを踏まえてそれの上を狙った作品なのだよ」と言い訳を用意したよう。喜劇役者はどうしてこう自意識過剰になるのだろう。有名人ならではの不安ということもあるが、他人過剰社会では普遍性を持つ不安か。そっくり男の田舎のあれこれ、有名人が来たというので人だかり、障害の息子に会ってくれ、言われてキャロルが行くと、かわいくない中年男、立ち上がる奇跡、主よみもとに近づかんの合唱、このあたりはなかなか。ただ終わりがダラダラして、うまい着地点をつかみ損なったよう。フランス映画頑張れというメッセージになって、しらける。[映画館(字幕)] 6点(2010-05-22 11:54:30)

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