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プロフィール |
コメント数 |
329 |
性別 |
女性 |
年齢 |
38歳 |
自己紹介 |
知的障害を持つ23歳女性です。 1週間に40時間働いているから多分社会人だと思うけど 今は旦那や発達障害者仲間とルームシェア生活です。
知能指数は11歳ですが、 この映画レビューサイトでは 見よう見まねで大人びた文章で気取らせて貰っています。
ちなみに登録自体は旦那がやっていますので ■妻投稿■がついているのが私です。 あ、でもそうじゃないので一人称が「僕」なのも 実は私が投稿していたものもあったり 「ドラえもん」とか「A」とか(^_^;)
インターネットの書き込みは初めてに近く インターネットルールは一通り勉強したつもりですが、 「場の空気を読む」などの高度な技術は難しいので そんな時にはスルーしてください。 |
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1. 月(2023)
相模原障害者施設殺傷事件をモデルにした事件なのですが、この事件が起こった2016年ににこう思ったのです。
「あ、絶対これ、『あなたも小さな植松聖を飼っている』という映画が出るぞ」と。その通りになりました。
でもそれは当たり前のことなのですよ。みんな何だかんだで誰かを差別している。
でもそれを描きたいなら、よっぽどうまくやらなければ、犯人を肯定する映画になってしまうんです。「植松は社会の本質を我々に突きつけた」という形になるから。
この映画はまさにそんな映画です。
ちなみに私がこの事件をテーマに映画を作るなら「帰ってきた植松」にします。多分2025年に植松が娑婆に出てきたら、普通に国会議員にはなれますよ。[インターネット(邦画)] 2点(2025-03-23 20:31:32)(良:2票) 《改行有》
2. ツイスター
《ネタバレ》 妻投稿■アメリカで毎年多くの死者を出している竜巻を題材にした映画…といっても実は竜巻の面積当たりの発生率は日本(の平野部)もアメリカも大差はなくて、日本では毎年何十例どこかで発生し、特急電車を脱線させたり家を吹き飛ばしたりして多数の死者を出している災害でもあるんです(劇中のF2とかF5とかのF、つまりフジタ・スケールは日本人竜巻研究者の藤田哲也シカゴ大学先生の頭文字)。確かに、劇中描写は高頻度すぎる気はするけど、江戸川コナンや杉下右京、マクレーンだって高頻度で事件に巻き込まれているんだから無問題。■それよりこうした竜巻災害に対し、ハリウッドお得意の「ありえないくらいの巨大な竜巻が発生し、主人公カップル以外皆殺しになって云々」というような代物ではなく、「現実に存在する脅威に対し、人間はどう立ち向かうのか」という事に重点を置いた、濃厚ではないけど重厚ではある映画だと思います。実は私一回だけ竜巻を目撃したことがある(あと愛耕運機をありえないところにまで持って行かれた)のですが、その時の湿っぽい空気や天気の不安定な変化から、竜巻の渦に巻き込まれて吸い上げられるというよりは周辺の空気に引き上げられて持ち上げられるような破壊のシークエンス、データに観測されているのに目に見えないという緊張感などが物凄いリアルだったと思い、同時にこれってパニック映画というより技術者の映画なんだなと思いました。■実はドロシーのアイデアってオクラホマ大学研究チームががちでやっているものをネタにしているんですよね。恐慌状態になっていた主人公のフィアンセが単純な馬鹿で嫌な女ではなかったり、メグおばさんを助けるシーンで、竜巻予報を3分前から15分前にするというそれだけのことがいかに難しくて重要なことかをうまく描くことで、登場人物がなぜ危険にぶつかっていかないといけないかがストレートにぶつかってくる、良質な映画だと思いました。[ビデオ(字幕)] 9点(2011-11-21 20:17:33)(良:1票)
3. 冷たい熱帯魚
《ネタバレ》 妻投稿■ご愁傷様としか言えない内容。眼鏡のお父さんも、村田みたいな人間が近づいてきたら奥さんを犯されたり娘さんが危害に遭いそうな事ぐらい予測はできると思うんだけど。それが出来ずに村田の言いなりになったのは、たぶんお父さん人間以前に動物としてすでに死んでいるということだと思います。「人生は痛いんだよー」と言っていますが、誰も守らずに痛みから逃げた人が説教しても娘には伝わらなくて当然だと思います。■ちなみにこういう現実事件や虐殺を題材にした映画で、暴力が動物的本能や狂気によって発生するような描かれ方をするパターンは多いのですが、大概残虐で死者数の多い事件ほど、大勢に支持された「高潔」な精神、理性的、論理的な思考のもとで発生するものだと思います。だって動物は人間ほど同種同士で殺しあわないもん。縄張り争いにしたって動物は本能的に致命的な殺し合いを回避していますし。一方で、村田さんの営業話術や指導法は社会に必要とされる技術だと思うし、殺人や死体解体、部下の奥さんに手を出して部下を拘束するやり方にしたって社会を有利に生きる上では何も間違ってはいない。■つまりこの映画の人間たちは自分達を抑制する「動物的本能」を置いて行って、「社会的関係」の名において頭を「理性的」に働かせた結果こうなっちゃった、実は物凄い「人間らしい」存在としてこの映画で描かれていると思います。映画のメッセージは「人間は進化によって暴力から離れたんじゃない、近づいたのだ」という当たり前のこと。そして受動能動問わず「人間・理性・社会(および宗教)」というキーワードだけで殺人や暴力から解離出来ると考えている現代人への警告。だけど問題を考える上では動物的本能だけでは当然不十分で理性も社会も、そしてなにより自立能力が必要なんだよね。■だが、そう考えると私はこの映画の点数を下げてしまう。だって園子温がこの映画で描きたい物は無法同士の殺人と言う一面のある埼玉愛犬家殺人よりも、市井の従業員や子供を含む家族同士でヒエラルキーを作らせて殺し合わせた北九州と尼崎の事件の方にあると思う。だが園はそれをモチーフにしなかった。これ彼の逃げ道じゃないだろうか。おかげで私は劇中「こんな状態になったら逃げるわ」と思ってしまった。これはこの映画の致命的な失敗。そんな園監督が人間の猟奇性を炙り出した問題監督と予告編でもてはやされるのも変だと思う。[映画館(邦画)] 4点(2011-08-23 15:13:38)(良:2票)
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