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プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  乙女のレシピ 《ネタバレ》 まず苦情から書いておくと、序盤から笑えないギャグを連発していること、及び最後の締め方が不親切なことは一般客に悪い印象を与える恐れがある。ただ個人的には、そういう具合の悪いものを見なかったことにする能力を有しているので特に問題はない。 内容としては高校料理部の半日程度(5時間くらいとのこと)を切り取ったもので、高校時代の日常を楽しく描いている点では「けいおん!」を思わせるものがある。登場人物と同年代だけでなく、少し時間の経過した人々が暖かい気持ちで昔を振り返るための映画という意味もあるだろうが、しかしそうした日常の幸せは決して記憶の中だけにあるのではなく、今この瞬間にもあるかも知れないと気づくことで、全ての年代の人々に、日々の何でもない時間を大切にしようと感じさせる映画にもなっている。 また登場人物のうち3年生の2人は進学でこの土地を離れることにしていたようだが、それぞれの思いを果たしたあとでいずれ戻って来てほしい、というのは人口減少に直面した地方共通の願いだろう。そのために、若い人々に向けていま何をすべきなのか考えてみようというのも、この映画の大事なメッセージかも知れない。 ところでこの映画では、まずは画面に出る炊き込みごはんを食いたくなるのが顕著な特長点だが、そのほか“恋する乙女はクリエイティブになれる”というような感じのことも重要事項であるらしい。劇中で「恋する乙女」をやっているのは2人だが、どちらも見ていて気恥かしいので“微笑ましい”を通り越して大笑いしそうになり、劇場で我慢していると涙が出る。頭ポンポンのあたりも笑えるが、衆人環視の中なのに彼氏と2人だけの空間ができてしまっていた場面は激しく可笑しい。 出演者は役者として活躍中の皆さんであり、人によっては剣劇や漫才までこなしているが、普通の演技だけでなく、あえて素の状態でしゃべっているような場面もあるのが興味深い。また特に夏希役の女優は他の出演作を見てもコメディ専門などでは全くないわけだが、この映画ではとぼけた表情がとにかく可笑しくてかわいい。金澤さんをはじめ、出演者の皆さんにはぜひ今後も幅の広い活躍を期待したい。 そういうことで全体の雰囲気といいキャストといい、個人的には変に絶賛したい映画になってしまった。舞台挨拶で“自分でも大好きな映画になった”と語られていた監督と出演者の皆さんには、今後一層のご活躍とご多幸を祈念申し上げる。 [2016-11-04 DVD発売を記念して追記] こんなマイナー映画がDVD化されるとは思わなかった。ジャケットには優希美青さんの写真が大きく出ており、別にこの人が主役というわけではないが、劇中では見事な妹キャラになっていて和む。映画の撮影は2012年11月とのことなので、この人のデビュー後間もない時期での映画初出演ということになる。 DVDを見て久しぶりに幸せな気分になったので、この機会に補足として2点書いておく。 ○笑いの種類 序盤から笑えないギャグにかなり力が入っているので呆れるが、しかし世間的には、例えば鼻水が垂れているといった絵柄自体に直接反応して笑う人々(例えば高齢者)もいるわけで、この辺は対象層が自分とずれていると思って少し耐える必要がある。 そのほか劇中にはいろいろな種類の笑いが含まれており、例えば中盤のラブコメ展開でも金澤美穂さんの表情で直接笑わせる場面のほか、シチュエーションとの関係で笑いを誘うといったバリエーションも出している。また終盤では、顧問の教員(赤間麻里子さん)が地を出した感じで笑ったのにつられて、校長(徳井優氏)までもが役を離れて吹き出してしまった(ように見える)演出が個人的には非常に面白かった。結果としては笑いの面でもさまざまな観客を想定しながら充実させた映画に思われたが、これは監督がサービス精神旺盛な人物だからだろうと想像している。 ○物語の結末 肝心のコンテストの場面がない、というのは初見時には誰しも戸惑うところだろうが、要は予算の関係でできなかったのだろうと想像している(実態は知らない)。全体構成上は、自転車の場面がクライマックスで月見はその余韻だったと事後的に考えて納得するしかない。ただ、できればエンドロールの最後を、登場人物が賞状のようなものを持った記念写真で締めてもらえば一般客も納得しやすかったのではないかと思われる。 ちなみに今回のコンテストで何らかの成果を出せなければ、校長の意向と関係なしに入部者がいなくなるため自ずと廃部の見通しだったのであって、この物語世界でそういうことはありえない。この話の続きがあるとすればコンテストの結果がどうとかいうことではなく、劇中の4人(5人)がこれからどういう道を歩むのかがテーマになるはずだという気がする。[映画館(邦画)] 9点(2013-07-31 19:25:12)《改行有》

2.  オリ・マキの人生で最も幸せな日 《ネタバレ》 オリ・マキという言葉は人名には見えないが、「オッリ」と書けばフィンランド人風であり、実際に皆さんオッリと発音している。またマキはカウリスマキのマキである。個人的に知らなかったが実在のボクサーとのことで、劇中の試合後も実績を出して名を残しており、コッコラのパン屋(Kokkolan leipuri)というのも本当のニックネームらしい。 今どき白黒映画だったのは意味不明だが、そのせいか登場人物の顔が印象的な映画になっている。また子どもらの演出がけっこう面白かった(激突!)。ほか思ったのは、フィンランド人にとってはサウナが最強の減量方法らしいことである。湖のほとりに小屋を建てるのが本来の形と思われる。 劇中の試合が当時どれほど期待を集めたかはわからないが、この映画では国威発揚というよりビジネスの面が強調されている。記録映画とか長身モデルとかスポンサーの機嫌取りとかで本来のペースを乱されるのが問題なのかと思っていたが、そこで唐突に「恋をしてる」というのが前面に出たので何だこれはと思ってしまう。 彼女とは最初からそれなりの関係ができていたようなので、今はとりあえず試合に集中すればいいだろうがこのバカがと思ったが、どうやら主人公としては絶対譲れない優先順位があったらしい。一番大事なことをまず押さえ、次に周囲の環境を整えて準備に注力し、その上で当日やることをやれば負けて悔いても悪びれないようで、試合後の撮影場面で見せたのが本来の顔ということらしかった。打ちのめされたのは興行主であって主人公ではないということだ。 なお凧の場面は、集中状態での適度な息抜き方法を心得ていたということか、あるいはプロポーズの結果を受けた喜びが少しはみ出してしまったのか。 人物について、主人公役と婚約者役は本物と同じボスニア湾岸のコッコラ市出身の役者らしいが、それが最優先のキャスティングとも思えない。主人公は低身長で衒いのない人柄で嫌味がなく、また婚約者も痩身美形ではないが愛嬌があって人柄が顔に出ている。終盤のバスの場面では、この人物が主人公を全肯定して根底を支える存在であり、主人公が現場を抜け出したのも、そうすることにそれだけの価値があったことを納得させられた。ちなみにエンドクレジットには「Old happy couple in harbor/Olli and Raija Mäki」と書いてあった。 物語として面白いともいえないが、結果的にじわっと来るタイプの映画だった(かなり来た)。正直主人公が羨ましい。[インターネット(字幕)] 8点(2020-10-31 08:55:02)《改行有》

3.  オルド 黄金の国の魔術師 《ネタバレ》 わりと新しいロシア映画である。冒頭表示される文字は縦書きだがロシア語だろうから字幕が出ないのは変だ。 題名の「オルド」は「帳幕」と訳していいかどうかよくわからないが、とりあえず劇中に出る「黄金のオルド」という言葉は、チンギス・ハーンの長子ジョチを祖とするキプチャク・ハン国(金帳汗国、ジョチ・ウルス)を指している。映画はこのキプチャク・ハン国とモスクワの府主教アレクシイとの関係を描いており、年代的には序盤の暗殺が1343年、終盤の暗殺が1357年で、日本では南北朝時代に当たる。 考証的なことはよくわからないが見た目でいえば、ハンの都(恐らく「サライ」)はみすぼらしいようで結構な壮大感がある。皇太后が宮殿ではなく郊外に住んでいたのは遊牧民の伝統を固守する人物像の表現だろう。劇中のモンゴル人がやたらに野卑で粗暴なのはロシア側の蔑視感情の表れかも知れないが、その性質を受け継いだといわれるロシア人自身も、他国の文明人から同じように見られていたのは言うまでもないことである。 一方、モンゴル人がキリスト教会のある粗末な村に来て、知り合いだったらしい住民と立ち話を始めたのは何かと思っていたら、これがモスクワ大公イヴァン2世に対し、キプチャク・ハン国が要求を突き付けた場面だったというのはかなり度肝を抜かれた。そのあと鶏のいる裏庭で大公が見せた必死さがまるきりその辺の一般人のようなのも笑った。ちなみに字幕の「王子」は明らかに誤訳で(英語からの重訳?)、これは「公」と訳すのが適切である(歴史的には「大公」とされている)。 物語の面では、説明を排して専ら状況を見せる形になっている。 最初の1/3くらいはヨーロッパ人がほとんど出ず、文化的素地の全く違う意味不明な風習を見せられるのが面白い(泣き女のようなのがいい)。ロシア人が出て来てからもすれ違ってばかりのようだったが、人命尊重の観念がないだけで実は気のいい連中だというところも見えていた。皇太后は最初から親和的、臣下の男も同情的で、ハンも言葉は乱暴ながら“少し待ってやろう”という意思を最初から示していたと解される。 ストーリー上のメインになるのは「奇跡」だろうが、本当に奇跡が起きたのかは不明瞭である。府主教の受難によって神の慈悲が下されたと思うのもいいだろうが、あるいは本人が何もしていないと語ったように本当にたまたまだったとも取れる。以前にウラジーミル(モスクワ近隣の都市)の疫病を終息させたというのも同じとすれば偶然の連続だが、毎度の身を捨てた行動があったからこそ後に聖人に列せられたということかも知れない。なお劇中アビニョンからの使者が登場して助け助けられしていたのは、正教会もローマ教会もない唯一の神の意思が働いたことの表現か。 またこの映画の立場として、信仰心のない「黄金のオルド」はやがて衰退し、ロシアは生き残ったと言いたいのかも知れないが、これもそれほどはっきり示されているわけではない。この映画を見たロシア人は、モスクワ・ロシアと正教会の正統性を主張する立場から都合よく解釈することが認められているが、それ以外の人間なら、たまたま起こった出来事を並べて描写しただけと取るのも勝手だろうと思われる。これは、単なる事象の連なりにどう意味付けをするかという、いわば歴史解釈に関する一種の問題提起になっているようでもあるが、ただし単なる羅列と捉えてしまうと、映画としてのストーリーがないも同然になってしまうのが問題である。やはり歴史には物語が必要だということか。 結果として様々な面で興味深い映画であり、また映像が美的なのも印象深かったが、しかし娯楽映画としては難があるので他人には勧められない。ちなみにこれを見てから、昔のドイツの音楽グループ「ジンギスカン」の曲を聞くと気分が出る(「めざせモスクワ」Moskauなど)。[DVD(字幕)] 8点(2017-06-10 09:27:53)《改行有》

4.  おもひでぽろぽろ 《ネタバレ》 最初に見たのは90年代のTV放送だが、そのときは半分程度で挫折した。主に昔の微妙な記憶をほじくられるような感覚が不快だったからだが、いま見れば小学生編もけっこう楽しく、戦前生まれの父母のふるまいもそれらしく見える。なお分数の割り算に関しては、2/3のリンゴから始めるから難しいのであって、3/4のリンゴを1/4で割ることを考えればとっつきやすいと思われる。 大人編に関しては、普通の田舎の風景や事物が丁寧に描かれているのが好印象で、紅花の収穫と加工についての説明は興味深い。婆様の顔や言葉などはけっこうリアルでいいのだが、ただ柳葉敏郎は、劇中の場所とは方言の系統が違う秋田県の出身だからか現地言葉が全く様になっていない。関東でいえば神奈川県人が茨城方言を話すようなもの?で、東北などどうせどこでも全部同じだろうと思われては困る。 物語としては、個人的にはわりと素直に“都会の女性が田舎に定着するきっかけの話”として受け取れる。現地の人々にもそれを望む気持ちは当然あったろうし、駅まで迎えに行かされたのが若い男だったのもそういう素朴な思惑があってのことかも知れないが、しかし本当に実現するとも思わないのが普通の感覚でもある。この点については本家の3人にも温度差があったようだが、その中で婆様の裏表のない直言が結果的に主人公の素直な反応に結びついたということらしい。その後にぶり返した「あべくん」の記憶には偏見に起因する心理的な壁という問題が含まれていたようで、これは主人公が現地に定着する際の葛藤を先取りした形とも取れる。最後に山寺駅で折り返したのは、とりあえず婆様に今の気持ちを見せたかったからで、あとはゆっくり冬の来訪で、ということだったろう(仙台から東北新幹線を使えばその日のうちに帰れる)。ラストでは、主人公を祝福しながらも寂しげな子どもの表情が印象的だった。 当時であれば東京出身の女性が農山村に嫁入りなど正気の沙汰ではなかった気もするが、ちなみに劇中年代から30年以上経った現在の話として、うちの地元にも大学や研究機関があるせいか、関係ない場所(大都市圏など)から来て定着する若手の人々が目につくようになっている。こんなところの何がいいのかと正直思うが、田舎だ都会だということと関係ない人々が出てきているようではあるらしい。地域社会との間合いの取り方もそれぞれであり、必ずしも閉鎖空間に囚われるかのように考える必要はない。 この映画の主人公は現在もう還暦を過ぎていることになるが、仮にこの場所に定着していたとすればIターンのよき先例になって、地域社会に少しずつ変化をもたらしていたかも知れないと考えたい。[DVD(邦画)] 8点(2017-01-23 23:42:06)《改行有》

5.  おしん(2013) 《ネタバレ》 谷村しん役の濱田ここねさん(ここねちゃん)は本物を見たことがある。「映画館で待ってます!」と書かれた名刺をもらったが、その時はただの子どもにしか見えなかった。 もとのTVシリーズはほとんど見ていなかった(朝ドラなど大の男が見るものではない!…暇はあったのだが)ので比較はできないが、映画は冒頭からいきなりシビアな感じの映像で始まり、続く家の中でも囲炉裏の火しか明かりがないようなのが明治のリアルを感じさせて気が引き締まる。また素人なので技術的なことはわからないが、映像面や背景音楽(エンディングテーマを除く)なども好印象に思えるところが多く、予告編の軽薄な感じは本編にはなかったように思われる。特に終盤で、外で雲が切れたらしく室内が早春の陽光で満たされる場面は、わざとらしいともいえるが印象的だった。 ただし登場人物のうち、父親役が子ども思いなのか粗暴なだけなのかがよくわからず、存在意義まで疑わしいのは難点に思われた。また終盤で提示されたテーマらしきものも、今どきこんな話で大丈夫なのかとは思うが、まあこれはこれで仕方ないのだろう。  ところで自分としては最近、泣ける映画はとりあえず警戒して初見時には評価を保留する一方で、登場人物が好きになれる映画についてはいきなり全面支持したりする傾向があるが、この映画はその両方に該当するので困る。もとのTVシリーズが内外で支持されたのは、まずは主人公が懸命に生きる姿が感動を呼んだということだろうが、その面では恐らく、この映画もまた旧作の価値の核心部分を確実に受け継いでいるのだろうと思われる。ただの子どもにしか見えなかった子役が、全編にわたってこれほど健気で誠実で一生懸命な姿に見えているのは、やはり本人の才能なり頑張りもあってのことに違いなく、他のことはどうであれ、とりあえずこの子限定でも見てよかったと思える映画になっていた。ここねさん(ちゃん)は南国の生まれなのに、雪の中で本当にお疲れさまでした。大変でしたね。[映画館(邦画)] 8点(2013-10-13 09:27:16)《改行有》

6.  鬼戦車T-34 《ネタバレ》 最初と最後に無名戦士の慰霊碑が映り、名も知れず死んだ英雄を顕彰する体裁になっている。碑文はロシア語とドイツ語で書いてあるが、ここはベルリン市内に今もある公園のようで(Treptower Park)当時は東ベルリンということになる。東ドイツならソビエト連邦の友邦であるから単純に敵扱いにはできないわけで、劇中のナチスは悪であっても一般庶民は傷つけなかった。 邦題からすると戦車映画だが、主役の戦車は砲撃もしないでただ走り回るだけである。邦題の「鬼戦車」のイメージそのままでもないが、途中いろいろ踏み潰したり突き破りながら爆走したりして、この車体自体が鬼(金棒なし)とはいえる。そういう鬼の所業だけでなく、お花畑の乙女(でもないか)とか、バットマンの像を倒してドイツビールをもらうとかの見せ場も入れており、悲壮感を強調しないユーモラスな作りになっていて、ちょっとした娯楽映画としてはよくできているように見えた。 なお映像的には半地下の窓から広場の戦車を見通す構図が面白かった。 ところで原題は「ひばり」という意味だそうで、どこに鳥がいたかと見返すと、最初と最後に空を映したときに声が聞こえた鳥がそうだったらしい。空高く昇っていく鳥に自由への渇望を重ね合わせたとすれば、世評で「大脱走」(1963米)のソ連版と言われているのも確かにそうかも知れないと思った。 森で若年兵が錯乱していた場面では、ドイツの林業は管理が細かいといいたいのかと思ったがそうでもなく、番号による支配の恐怖を表現していたらしい。自分としてはこれを見て、「収容所群島」で悪名高いソビエト連邦が他国のことなど言えるのか、と皮肉を言いたくなったが、しかしあるいはもしかすると、まさにそのソビエト体制に対する制作側の批判が込められた場面だったのではないか。どこまで勘繰るかにもよるだろうが、映画館での独裁者打倒の場面にも、少し前までソビエト全土を支配していた別の独裁者の姿を重ねていたかも知れず、これは英雄賛美を装った体制批判映画ではないのかと思った。 なおラストの展開について、これが当時の現地の観客にも素直に受け入れられたということは、過酷な抑圧や思想統制が続いた国でも("悪の帝国"ソビエト連邦)人の心が全部悪に染まっていたわけではなく、こういう素朴な良心や基礎的な倫理が一般庶民の中でちゃんと生きていたということだと解する。これからどんな非道がまかり通る社会や世界ができたとしても、せめて自分と自分の周囲ではこういう心を共有していきたい、と多くの人々が思い続けることが、支配と抑圧への最小限の抵抗になるのではと思った。[DVD(字幕)] 7点(2022-10-29 16:02:48)《改行有》

7.  オンネリとアンネリとひみつのさくせん 《ネタバレ》 シリーズ3作目になって子役がかなり大きくなってしまっている。小学生にしては体格がよすぎるが(特にオンネリ)、2004年生まれとすれば一応12歳だったらしい。 レギュラーの登場人物も少しずつ出ていて、ブタがかなりカラフルになってリボンがついたりしているのが目についた。庭でオカリナを吹く人物がいたのはいわゆる死亡フラグのようだったが、最後はハッピーエンドに決まっているので誰も心配していない。ほか今回、魔女姉妹の栽培していた植物はさすがに異様すぎる。 映像面では、今回は収容所が出る話なので、このシリーズにしては珍しく無彩色に近い場面もあったが一応は暖色系になっている。所長がいないと子どもらが勝手に動いているのが可笑しい。また小物ではネズミの動きがユーモラスで面白かった。 ドラマ的には何を読み取るべきかわからないが、まずはどんな人にもそれぞれふさわしい居場所があるという意味か。元警官も子どもらも、本来なすべき仕事のできる職場が実現したのはいい結末だった。所長などは異世界に追放されたかのようだったが、これでも一番幸せな居場所ということらしい。ちなみに映画の原題と英題は同じ意味だが、この所長にとってはUFOがMysterious Strangerだったのかも知れない。 またこの所長が自称していたjohtaja(リーダー)と、市長Kaupunginjohtaja(市のリーダー)を対比させることで、指導者というもののあり方を語っていた可能性もあるが不明瞭だった。この映画で見る限り、どうせ政治家など自分の見栄えのことしか気にしていないので、要は賢く使うことを考えろ、という変な知恵をつける感じだったがそういう理解でいいかどうか。 そのほか雑談として、所長が子どもらの髪を梳く場面があったので、これはまさかシラミを取っているのかと思ったら何とその通りだった。この映画の原作”Onneli, Anneli ja orpolapset”(オンネリとアンネリと孤児たち)が発表された1971年の時点でもシラミはさすがにいなかったのでは思うが、これは孤児だから不潔と決めつけられていたと解すべきか。この場面の「まちがいだった」は笑った(達者な子役だ)。 もう一つ、市長役の役者は西部のヴァーサ出身で父親がケニア人、母親がフィンランド人とのことで、見た目にかかわらずフィンランド生まれのフィンランド人ということらしい。実際こういう黒人市長というのもありえなくはないわけだが、もしかしてオバマ大統領のように初の黒人大統領を目指す野心家という設定だったのか。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-05-30 10:26:06)(良:1票) 《改行有》

8.  オンネリとアンネリのふゆ 《ネタバレ》 「オンネリとアンネリのおうち」(2014)に続くシリーズ第2作で、前回は夏だったが今回は冬の話である。クリスマス直前なので12月ということになるが、それほど寒そうでもなく日中は明るい。前回の登場人物はレギュラー化しており(ブタに色がついている)、撮影地は引き続きロヴィーサである。 今回は主人公2人が「こびとの一族の家族」を迎える話になっている。そもそも2人の自宅からしてお人形さんハウス仕様だが、その家にある本物のお人形さんハウスに家族が入居して、2人がまたその客人になるという入れ子構造である。ユーモラスで心和む話といっても悪人を登場させなくては済まないようだが、金に目が眩んで見せ物小屋に売り飛ばすといった古風な行動なのがまたファンタジー感を出している。あくまで人の性が善であることを前提にした物語である。 劇中家族は主人公ほか多くの人々に助けられていたが、しかし弱者だからと一方的に守られるべき存在でもなかったらしい。「自立することが大事」(字幕)との言葉は、当初からの主人公2人の思いに、人としての誇りを持って生きようとする意思を重ねてみせたように思われた。 以下雑談として、映画紹介と字幕では一家の名前を「プティッチャネン」と書いているが、これはフランス語のpetitを使った日本版限りの造語と思われる。台詞で実際に言っていたのはVaaksanheimo(ヴァークサ族または一家、Vaaksanheimolainenとも)だったが、vaaksaというのはかつて使われていた長さの単位だそうで、肘から指までの長さを表すkyynäräの1/4に当たり、メートル法では約14.8cmになるらしい。日本でいえば一寸法師のようなネーミングということになる。 ほかにも日本版では、劇中家族の少年の名前がPuttiであることにからめて、この種族独自の単語を「プティ」という言葉で表現していたが、実際に原語で使われていたのはpikku(小さい)である(サンタクロースJoulupukki→サンプティクロースJoulupikku、メリークリスマス"Hyvää joulua."→メリープティクリスマス"Hyvää pikkujoulua.")。なお英語版では来訪者の家族を"McTiny family"という名前にしており、それぞれの言語で“小さい”ことを表現するよう工夫していたようだった。 この一族のクリスマスがなぜか普通より少し早いのは、主人公2人が自分らの家でクリスマスを楽しむための設定だったらしい。森にはこういう家族がほかにも住んでいたようで、見ていた子ども(主に女子?)にとっても夢のある終幕だったはずである。[インターネット(字幕)] 7点(2019-12-21 09:56:01)(良:1票) 《改行有》

9.  オンネリとアンネリのおうち 《ネタバレ》 同じフィンランド映画の「ヘイフラワーとキルトシュー」(2002)と同時に見た。原作はマルヤッタ・クレンニエミ(1918-2004)という作家の児童文学で、シリーズ6作のうち2作は邦訳も出ている。映画はこれを含めて3本が製作されており、そのうち2作が過去に日本でも公開されているほか、第3作も今年5月から日本各地で上映されているらしい。ちなみに映画の撮影場所は首都ヘルシンキの西北西80kmにあるロヴィーサLoviisaという小都市である(2019/1/31現在で14,873人)。 なお英題は「Jill and Joy」になっているが、「ヘイフラワー…」と違って英題でなく原語を邦題にしたのは正解である。「ジルとジョイ」では話にならない。 内容としては「ヘイフラワー…」と登場人物の構成が似ていたりするが、よりファンタジー感の強い話になっている。主人公の少女2人は7歳の設定とのことで、小生意気な連中かと思っていたらわりと素直で良心的な児童だったので安心した。 題名の「おうち」は極端にメルヘンチックな作りだが、要は劇中にも出ていたお人形さんハウスのイメージらしく、主人公2人が場面ごとに違う華美な服装(着せ替え)で現れていたのが目を引く。ご近所の魔女?が庭で異様なものを栽培していたことなどを含め、荒唐無稽でユーモラスな劇中世界が色彩感豊かに表現されている。 主人公2人は自宅に戻れば普通に現実世界の住人のようだったが、「おうち」にいても夢ばかり見ているわけでなく家事も一応こなしていたようで、また近所づきあいを普通にやっていたのも感心した。最後のパーティ場面では本来の家族も客人として招かれていたりして、「おうち」での暮らしが早目の自立心を育てる効果があったようでもある。 そのほか大人が見ても笑わせる場面が多いのでけっこう楽しい映画だった。エンディングが騒がしく品がなかったのは少しマイナスだが、全体としては「ヘイフラワー…」よりかえって純粋に面白かったかも知れない。 以下雑談として、主人公2人が呑気な暮らしをしていられるのは夏休みだからで、劇中では白夜という言葉も出ていたが、主人公2人がまだ明るいうちに寝床に入り、深夜でも夕方の風景だったのは7月頃のことかも知れない。後半になると普通に月夜の場面があったりしたのは少し日数が経っていたということか。 ほか大したことではないが、序盤の警察署の場面で、2人が正直者と思われているかどうか知りたいかと警官に聞かれ、アンネリが”Joo.”と答えたのはフィンランド語で普通にYesの意味だが、オンネリが「ウン」と言ったのは日本人かと思った。[インターネット(字幕)] 7点(2019-07-05 21:30:02)《改行有》

10.  想影 《ネタバレ》 若い監督(加藤慶吾)の短編映画で、芸術志向で難解というわけでもなくどちらかというと素直でほのぼの系の映画である。 若い男女の中学(~高校)時代と、大人になってからの出来事を対比させながら進める形になっており、中学時代の方は純粋でいじらしい恋物語である。大人になると青春のキラキラ感もなくなって暗く寂しくなるが、ここでヒロインの鬱屈した思いをどうするのかと思っていると、最後の最後に一定の解決が図られて相応の感動がある(気恥ずかしいがけっこう泣かせる)。それで幸せになれるかというと何も保証はないわけだが、何かは変わるはずと思いたくなるものはある。 主要キャストは男女2人で2つの時代で4人だが、この登場人物/出演者も全体の好印象につながっている。ヒロインの相手の男は、中学時代の姿を見るとあからさまなイケメンのため自分としては拒否感の方が先に立つが、大人になってみると25歳にしては枯れた感じで嫌味なところがなく、相手の言葉をちゃんと受け止める率直さと悪気のなさがこの男のいいところなのかとは思った。 またキャスト中で唯一自分の知っていたのがヒロインの中学時代をやっていた松原菜野花という人である。撮影はこの人が大学に入った年の秋なので、かなり年代を遡った役をやっていたことになるが(それをいえば相手の男もだが)、実際見ればかなり美少女寄りで見事に愛らしい思春期の少女になっている。これまで自分としては外見的に微妙な役をやっているのしか見たことがなかったので、今回初めて普通に美少女役を見られたのは感動的だった。 このヒロインが大人になると変にもっさりした感じになってしまったのは残念だが、この役をやっていた三瓶美菜という人は、キャストインタビューを見ていると非常に愛嬌のある(よくしゃべる、頭の回転の早い)人だったらしい。大人役の2人は中学生役の映像を見てから撮影に臨んだとのことで、2人ともちゃんと連続性を感じる人物像ができていた。[DVD(邦画)] 7点(2018-07-15 09:29:06)《改行有》

11.  お兄チャンは戦場に行った!? 《ネタバレ》 同じ監督の「沈まない三つの家」(2013)と同時に撮影されたもので、これだけが別の小編として編集されたとのことである。当然ながら同じ川が重要な舞台になっている。 導入部に刺激的な要素を持ってきているが(人体損壊・流血)、全体としては心温まる家族(兄妹)の物語である。当初は劇中の兄に同情もできずにこいつはバカかと突き放した気分だったが、そのうち事情があることもわかり、また何より妹が兄と観客の間を取り持ってくれているように感じられて、最終的にはこの兄に対する制作側の温かい視線にも共感できるようになる。結果的には最初の凶行も前向きな決断だったのだと納得した。妹の方は最後に何か変化があったのかどうかよくわからなかったが、次は妹の側が兄に背中を押されるような場面もありうるのかも知れない。 なお自作中に下世話なものを出すのがこの監督の特徴だが、今回は少し毛色の違ったものを出してきている。[DVD(邦画)] 7点(2017-06-24 09:39:42)《改行有》

12.  おんなのこきらい 《ネタバレ》 自分(男)としては“かわいい”は“好き”を含むものと最初から自覚しているので、見た目だけでかわいいと言い切ることは基本的になく(外見的には可愛いが、というように限定して言うことはある)、また本心からかわいいと思ってもむやみに本人に言ったりはしない。それなりに抑制しながら生きているわけである。 この点で雑貨店の男の行動には若干問題があったかも知れないが、この男自体はそれほど悪い奴には思えない。救援要請があったのに行かないのも義侠心に欠けるわけで、レスキュー隊としてどこまでやるかの問題だろう。主人公が心安らかに寝られるようにするには部屋の掃除が必要と思ったかも知れないが、しかしその後は明らかに道を踏み外しており、この辺は良心派なりの狡さがあったかも知れない。 ただこの男の行動も決して単純なスケベ心ではなく、本心から主人公がかわいいと思ったからこそだろうから、そのことだけはわかってやってもらいたい。逆にいえば“かわいいは罪”ともいえるが、全般的に人間は感情問題を断ちきれない面倒くさい生き物ということでもあるから、この辺は人の原罪のようなものということで。 自分としてはこの通りの経験があるともいえないが、とりあえずごめんなさいと謝っておきたくなる映画だった。 ところで事前の予想としては、全編にわたって主演女優のカワイイが炸裂しているのかと思ったら実際はそうでもなく、いわばパステルカラーのおんなのこと黒のオンナのイメージが交錯し、最後はプレーンな状態に変わっていく印象があった。序盤の部分はこの女優ならではのカワイイ系女子ができており、わざとらしく無駄に顔を作る演技をやってみせるのが可笑しい。一方で黒のオンナは別にこの人でなくてもいいだろうという気もしたが、終盤になるとまたこの女優の素材感が前面に出た感じになる。 髪の長さはどうでも対応可能な女優だろうと思っていたが、この映画を見た結果として、どうも髪は短めの方が似合うような気がして来た。最後の顔など見ていると、自分としてもこの人はかわいい、と言い切ってしまいたくなる。そういう点で、自分にとっては高品質の森川葵映画になっていた。[DVD(邦画)] 7点(2016-04-29 08:34:17)《改行有》

13.  ヲ乃ガワ -WONOGAWA- 《ネタバレ》 「山形県米沢市小野川温泉の全面協力で完成させた」とのことで、地元温泉街などから多大の支援を受けたものらしい。メイキングを見ると、2010年から準備を始めていたが2011年の震災で一時中断し、その後の2012年夏に地元での撮影を行ったようである。完成品を見ただけではどこが温泉の映画かわからないが、かろうじて女性2人が揃って入浴する場面があるのと、温泉の蒸気を動力源にしている??というのがそれらしい感じである。内容としてはストレートなSF志向のお話で、資金等の制約に臆することなく真っ向から取り組んだ感じになっており、アイデアはそれほど独創的とも思われないが文字デザインなどは面白い。 また場所が「スウィングガールズ」(2004)と同じ地方であり、劇中の各所で地元方言が使われているのが特徴的である。大した人口もいなさそうな場所で標準語?と地元言語(完全字幕)の2系統が並存していたのは変だが、標準語の方にも「おしょうしな」「オボゴナシ」(おぼごなす)といった地元の言葉が混じっていたらしい。地元言語を話す人物が、役所に行く際の身なりをどうすればいいか医者に相談していたのは可笑しかった。個人的にこの地方の言葉はよく知らないが、ほかにも人名や地名などで必然性のない地元の言葉が盛大に使われていたようである。登場人物が真顔で「ホダベシタ地区」などと言っていたのは明らかにおふざけだが、地元限定サービスのためそれほど羽目を外した感じはない。 物語の上ではラストがよくわからなくなっているが、これは映像特典の「幻のラストシーン」が種明かしと考えれば問題ないだろう。それまでの劇中人物の発言を総合または超克した結論だったと解すればいいかも知れない。ドラマ的には登場人物への共感がいま一つだったが、主人公が初めて主要人物に対面した場面では子役が可愛らしいのが印象的で、ここは全体構成から見てもポイントを押さえていたように思われる。 なお主演女優は他の映画で悪役女子高生をやっていたのを見たことがあるが、今回は清廉で一途な主人公役が好印象だった。話す相手によっては女の子っぽさが出すぎている気もしたが、温泉で年上の女優と一緒の場面では初々しさが際立って自然な愛らしさがある。こういう場面はどうしても若い方に目が行ってしまうのは仕方ない。 以上、正直絶賛するには至らないが、地元の人々の頑張りに若干加点しておきたくなる映画だった。[DVD(邦画)] 7点(2016-01-05 21:55:21)《改行有》

14.  おにいちゃんのハナビ 《ネタバレ》 先日、新潟市内の料理屋に行ったところ、たまたま店に小千谷市出身の人がいてこの映画の話題が出て、お互いに映画を見ましょうという話になった(出身者でも見たことがなかったらしい)。自分は真面目な人なのでシーズンが終わらないうちにちゃんと見たが、遠方のためその店にまた行く機会は当分ありそうにない。  それで内容としては最初から結末が見えており、あとはどうやって泣かすかの手法の問題だろうから、泣かせられるものなら泣かせてみろという気分で見たところ逆に打ちのめされてしまった感がある。冒頭で妹の頭を見せられてしまった後では、この病人らしくない明るく元気で世話焼きで強引な妹の言動に笑わされると同時に泣けて来て、感動のラストのはるか以前から半泣き状態になる。ひねくれた兄もこの妹には逆らえないらしいのが情けなく、同時にこの妹を愛しく思う気持ちが見ている側でも高揚させられてしまう。 そうすると、その後の明らかに泣かそうとする場面は当然として、使い捨てカイロが暖かいというだけでも、またクリスマスケーキを買う母子を見ただけでも泣けて来る。花火大会の場面では、一つひとつの花火にこれまでのエピソードで出た人々の思いが込められており、互いに大事に思い合う人々がいることもわかってまた泣かされる。最後には、題名の花火が上がったと思うともう一つ題名の花火が上がったりもして、これはもう泣かすことに関して徹底された映画だと思える。また奉納花火という性質も十分に生かされていた。  ところでキャストについて、妹役の女優は実は外見的には好みでないのだが、この映画を見ると演技で納得させるには顔の造作など関係ないと実感する。また花火グループの会長さんは、ストーリー的には妹亡き後の空白を埋める立場になるのだろうが、この人(演・早織)が何気にいい顔をしていて好きだ。ほかにも劇中では母親役を含め、女性に救われるところの多い映画だった。[DVD(邦画)] 7点(2014-08-23 08:54:47)(良:1票) 《改行有》

15.  オンマ/呪縛 《ネタバレ》 題名の印象と違ってアメリカ映画だった。韓国人のお母ちゃんが押しかけて来て恨み言をいうならいかにも怖そうだが、ホラーというより北米の韓国人移民の物語になっている(脚本兼監督はカナダ出身)。 なお英題がUMMAなのはオンマ/엄마のㅓが、例えば太陽/SUNという時のUに近い音だからということかも知れない。韓国語の正規のローマ字表記法ではEOMMAとなるはずだが、それではアメリカ人が(日本人も)読めないわけなので監督の判断を尊重する。 内容的には人間ドラマが中心であって怖さは感じない。超常現象や変なケモノが出ることの必然性もないようだが、監督の考えとしてはホラーというジャンルを使えばテーマを極限まで突き詰められるとのことで、それはその通りと思われる。 題名との関係からすれば母子のドラマが中心で、母~主人公~娘の三世代にわたる母子関係を重ねた形になっている。また、そこへさらに移民の一世~二世~三世(でなく0~2?)という関係も重ねていたようだった。前の世代との間で呪縛と化したつながりを断たなければ前には進めないが、つながっていた記憶自体は失わないことで、自分という存在の原点を心の中で守っていきたいという意味か。白人風に見える娘が母親とともに韓服を着て、墓碑に拝礼していたのは他人事(他民族事)ながら若干感動的だった。 また商店主の姪が言った「自分だけが変な人間だと思うのは間違ってる…」というのは北米社会の包容力を示したものと思われる。これに関して日本社会がどうかは少し考えさせられるものがあったが、適法に入国して現地社会のあり方を尊重し、自ら分断を図ることなく平和に生きるなら、その上で故郷由来のアイデンティティを守ろうとするのはいいのではないか、という少しリベラルな気分になったりはした。韓国の本国社会はどうか不明だが。 その他、映画では韓国(朝鮮)の伝統的な事物を紹介していたが、韓服とかお面は別として、「千字文」や九尾の狐、あやとりは韓国(朝鮮)限定のものではないとアメリカ人に言っておきたい。夜空の月が最後に満月になったのは、月が満ちて機も熟したというようなことの表現かと思うが、これも東洋的な感覚か。 また全くどうでもいいことだが、韓国語の初学者にとって言い分けにくい+聞き分けにくいが意味の違う言葉として달・탈・딸が有名だが、この映画にはその三つが全部出ていて感動した。달は映像だけで台詞に出なかったのが残念だ。[インターネット(字幕)] 6点(2024-04-20 17:15:41)《改行有》

16.  大阪少女 《ネタバレ》 監督は本来バイオレンス映画を得意とするとのことで、DVDでも過激な映像が含まれている旨のテロップが最初に出る。場所はいわゆるディープな大阪ということらしく、屋外映像では主に西成区が映っていたように見える。山王2丁目あたりとすれば飛田新地に近く、あいりん地区からも遠くない。 物語としては、現地社会に適応しながら成長してきた少女が、祖母に任された家賃の徴収業務と、それに関わって起きたちょっとした出来事(現地では普通にある?)を通じて、社会性と人間性を向上させた話らしい。中学に入ってから1年後とすれば中学2年生ということになる。 最初のうちは主人公の過激な言動が小気味よかったが、次第にこれはやりすぎではないかと思うようになる。「今日から暴力は卒業です」と言っておいて特に変化がないように見えたのは、そもそも何をもって暴力というかの基準が違うということか。ただ人間のクズでもなく滞納もしない相手には、暴言だけで暴行はしないというくらいの違いはあったらしい。 相手構わず凄味をきかせるやり方は、本人がどうみても「お嬢ちゃん」だから通用していただけのことで、相手によってはかなり危なっかしい場面もあり、最後は祖母の人脈と人徳で守られたことを本人も思い知ったと思われる。それでも最後まで口が悪いままだったのは、これが本人のいわばベースラインだったのかも知れない。現地では本当にこれで普通なのか。 ちなみに劇中描写が現地事情をそのまま反映していると思うわけでもないが、もしかすると昔気質の極道の気風(「ゼニカネだけで動いたらあかん」)を解しない外来後発の勢力が波乱要因になることはあるのかと思った。人でなし連中をいきなり埋却処分したのは正直笑った。 全体としてはそれほど大感動というようなものでもなかったが、ただし主人公が、あまりに人情味がなさすぎたかと気にしていたところで、いきなり取り返しのつかない事態になってしまい、さすがに少しこたえたようだったのは若干泣かせる場面になっている。 そのほか単純に面白かったのは、「妄想ノーベル文学賞受賞作家の妄想の娘」(役名)がポルノ小説家のところにも出たことだった。意味は不明だが、個人の妄想が実体化して独立的に活動し始めたということか。それなら「ポルノ小説家の妄想女性」も実体化させればいいだろうがと思った。[DVD(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:55)(良:1票) 《改行有》

17.  俺物語!! 《ネタバレ》 原作・アニメとも見ていない。題名とポスターの顔からして視野狭窄の自己中男による一途というより手前勝手な恋物語といったものかと思って敬遠していたが、実際見るとそうでもない。序盤でいきなり主人公の人物像が強力に印象付けられてしまい、以降は男の立場としても躊躇なく完全に主人公の味方になる。 人格的に自己中の対極なのは非常に共感できるものがあり、また屋上に放置していた握り飯をその後に全部食ったところなどは素直に出来た男だと褒めたくなる(食器をどうしたか不明だが)。こんな奴は実際あまりいないだろうが、男子の理想形の一つとして正直憧れるところはある。その親友も悪い奴ではなかったようだが少し都合のいい人格設定に見えた。 前半はとにかく主人公の顔を見ているだけで大笑い続きで、見当違いのことを言っているのにわけ知り顔の場面などは爆笑した。 事前に映画紹介の文章をまともに読んでいなかったため、この男が愚かにも女子に惚れられたと勘違いして恥ずかしいことをやりまくるのかと思っていたら、実は違っていたというのは非常に意外な展開だった。それ自体は大変いいことだが、しかし最終的に相互片思いの状態が解消されるまでがかなり迷走状態で、なんでそうなるのか???という極端なすれ違いの繰り返しには少し呆れた。原作の最初の方だけで映画1本としてまとめたということだろうが後半どうも間延びした感がある。 終盤の種明かしが慌しいのはいいとして、最後の野外パーティーなどはいかにもマンガっぽいので少し引いたが、そこは少女マンガ原作映画だから仕方ないか。こういう終わり方自体を悪くはいえないのでよかったということにしておく。 ちなみに撮影は仙台市が中心(一部は柴田町)だったようで、あまり仙台ならではの風景というのはなかったが、丘陵地に広がる住宅地というのはそれらしいといえなくもない(丘陵地に囲まれる形で伊達家が城下町を造ったため、近代以降の都市の拡大により隣接の丘陵地が市街化したということ)。背景には太白山も見えていたようである。[インターネット(邦画)] 6点(2019-05-03 08:21:01)《改行有》

18.  おろち 《ネタバレ》 監督・鶴田法男、脚本・高橋洋といえば明らかに邦画ホラーの構えだが、実際見るとふざけた怖がらせなどはなく、人間の心の闇を描き出そうとする極めて真面目な映画になっている。ただ白黒フィルムに写った女優の顔とか、少女が床に落ちた様子が「女優霊」(1995)を思わせるものはある(笑う女はいない)。 また開始時点が昭和25年で次は昭和44年頃かと思うが、映像面のほか人物の言動などでも年代がかった感じを出しており、舞台になった古めかしい洋館は昭和(戦後)の怪奇映画を思わせる。ちなみにまた後の時代に飛ぶのかと思っていたら最後までその時代で止まっていたが、原作の発表年代がそもそもこのあたりだったらしい。 そのような雰囲気はいいとして、物語的には昔のいわゆるメロドラマでも見ている感じでそれほど心を動かされない。まともな役者が熱演しているにもかかわらず心が痛いと思うこともなく、そうですかそれは大変でしたねとお愛想を言って終わりになるような感覚だった。また題名の主人公が意外に活躍しなかったのも不満だが、「やめなさい」と言ったところはかろうじて格好よかった。 その一方、エンディングで出た主題歌(柴田淳「愛をする人」)が少々古風ながら妙に心に刺さる曲で、これで映画全体の印象がかなり底上げされた感はある。映画に関しても、年代がかった物語のようで実際は人間の本質的なところを捉えていて、いつの世にも変わらないものが表現されていたのかも知れないと思い直したのはこの曲のせいである。監督は楽曲のタイアップがお嫌いかも知れないが(cf.「POV〜呪われたフィルム〜」(2012))、これを見れば必ずしも悪いことばかりではない。 なおキャストに関しては、まずは谷村美月嬢が可愛らしい(当時18歳くらいか)。この人も演技派だろうがナレーションは少し素人っぽく感じた。また姉妹対決では、個人的な好みの問題から中越典子さんを応援していたが、結局どっちがいい人ということもないわけである。この人には一瞬ほんのわずか色っぽい場面がある。[インターネット(邦画)] 6点(2019-01-12 18:59:15)《改行有》

19.  オオカミ少女と黒王子 《ネタバレ》 少女マンガ原作映画なのでストーリーにはほとんど乗れない。口の悪い男が心に隠している優しさをわかってあげられるのは自分だけ、という状況に憧れる女子中高生が世間には多いのだろうが、個人的には最後まで男が横柄な口のきき方を通していたのが不快で、素直にものが言えずにぶっきらぼうなのと侮辱的な物言いとは話が違うだろうと言いたくなる。キスも「好きだ」も形式でしかなく、男が主人公に首輪を与えたのも犬から人間の奴隷に昇格した程度の意味としか取れなかった。 しかしそれとは別に、見た目としては動的な映像表現とか色彩感とか見栄えのする景観とかに目を引かれるので意外に退屈しない。特に最初のタイトル直前のところで、主人公がどこかの街中(建替工事前の渋谷パルコ南側)で男を追いかけて写真を撮って逃げて来るまでの流れが印象的で、ここは何度も見返してしまった。すれ違う人々の中には一瞬顔を向けて見る人物のほか、カメラの手前で急に横に方向転換した女性(後の人物も続いた)、バッグの中を手で探りながら歩いて来て役者とカメラの間を困惑気味にすり抜ける女性などもいたが、例えば壁面表示を見るふりをした役者の後に何気なく同じように立った男女は仕込みではなかったのか。また後の場面で「鬼!」の直前に、前方の橋の上を歩く人々の姿が途切れたのも意図したことではないかと思った。 キャストに関しては、2016年の製作当時にこの主演女優(とその親友役)が少女マンガ原作映画の女子高生役などやるような状況だったかと思うわけだが、主演女優はもとが童顔なので外見的にそれほど違和感もなく、また登場人物としても人格に一定の深みのある愛すべき人物像ができている。これが否応なくストーリー展開に説得力を加える方向で作用しており、最初から批判的な目で見ていた立場としてはちょっとやられた感があった。 そのほか雑感として、恭也という名前をチョーヤの梅酒と同じアクセントで言っていたが最近こういうのが東京で流行っているのか。また神戸の場面で川崎重工業の造船所が見えたのは少しよかった(だから何だということはない)。ちなみに個人的に最近注目している武田玲奈さんが同級生役で出ていて、明らかに端役だがそれなりの顔をしてみせていた。[インターネット(邦画)] 6点(2019-01-01 16:21:48)《改行有》

20.  オーメン(1976) 《ネタバレ》 恐らく自分の世代では知らない者のない映画と思われる。6月6日生まれの人ならほとんどダミアン呼ばわりされた経験があるのではないか。 内容に関しては、監督本人も「傑作だ」と言っているのでそうなのだろうが、しかし1976年の時点でどれだけ革新的だったのか、今となってはよくわからないのが残念である。ストーリー展開とか個別の出来事とかに既視感があって驚きがないが、それは他の映画でさんざん流用されたからか、あるいは大昔にこの映画で見たのを何となく憶えていたからか。ちなみに棒が落ちて来るのは最近見た「富江 アンリミテッド」(2011)にもあったので(笑)、いまだにグローバルな影響を及ぼしているとは思われる。 ほか不吉感のあるメインテーマ(Ave Satani)に関しては、曲自体はわざわざ作らなくてもカルミナ・ブラーナのO Fortunaそのままでよかったのではと思ったりしたが、歌詞の方は悪魔の映画ならではの不穏な感じに作ったようである。 一方で、今になってみるとどうも穏健すぎる作りに見えて少々退屈である(首が飛んだのを見ておいて何だが)。悪魔の子があまり邪悪に見えないのは意外だったが、終盤の物理的脅威がイヌと岸田今日子似の乳母だけだったのも盛り上がりに欠ける。 また個人的に不足に思ったのは、善なる神の意思がほとんど感じられないことである。少しくらい救いがあってもいいではないか、という意味もあるが、そもそもアンチキリストというのは正統なキリスト教あってこその対立勢力だろうから、本体に存在感がなくてアンチだけというのも変な気がした。ちなみに吹き曝し感のある丘に建つ教会の門前で悪魔の子が暴れた時に、結果として結婚式に悪影響がなかったらしいのは幸いだった(外の男がドアを閉めたところで安心した)。ここは神の恩寵があったのか、制作側のささやかな良心ということか。 なお余談だが、メギド(ハルマゲドン)というのはエルサレムの南ではなく北にあるのではないか?? 確かに直線距離で90キロ(60 miles)くらいのようだが。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-12-21 23:59:30)《改行有》

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