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21.  オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ アナログレコードの音楽に合わせて踊る、トム・ヒドルストンとティルダ・スウィントンの俯瞰ショット。 ソファの上で弾むように脚を組み替えるミア・ワシコウスカの仕草。 静かな映画の中で、それらの滑らかな運動感がアクセント的に心地よい。 途中、そのミア・ワシコウスカの闖入によって館が三人所帯となることで ジャームッシュ流の移動の映画=ロードムービーとなる。 彼女の登場は、移動を促す契機としてあると云っても良い。 遠くに街の灯が散らばるデトロイトの寂れた夜道。 まばらな明かりの中に浮かび上がる廃墟の群れが、街の盛衰を偲ばせる。 勾配が特徴的なタンジールの石畳の路地。 黄昏のような、艶を帯びた妖しげな光の加減がエキゾチックで素晴らしい。 ランプを光源とした屋内シーンの見事さも見逃せない。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-12-23 23:24:51)《改行有》

22.  オブリビオン(2013) 《ネタバレ》 例えば二者の電話での対話を見せる際、双方の顔を発話に従って交互に映し出す というのが最も芸がなく単調でつまらない撮り方なわけだが、 中盤まで続くトム・クルーズとアンドレア・ライズブローの交信の描写はそれに近い。 おまけにファン・サービスでもあろうアップ・アップの連続がくどいとくる。 カメラの主体は判然としないが、彼女の前にモニター画像があるのなら それをもっと利用するなり、一方の側の状況を見せないことで 観客に想像の余地を与えるなりしてサスペンスを創り出すのが基本中の基本だろうに。 緑に囲まれた一軒家、「青い影」が流れ、今度は トム・クルーズとオルガ・キュリレンコが並んで対話する。 その拙い切返し編集もまた単なる対話の説明であり、酷い。 幾度もフラッシュバックされる過去の記憶と対になるべき、ラストの視線の交錯は もっと外連が欲しいところ。 ランドスケープのスペクタクルも部分的な見世物としては第1級のものだが、 距離感と空間性は『トロン・レガシー』と同様に欠落している。 その中でトム・クルーズが鮮やかな身のこなしをみせる船内遊泳やライディング・ 格闘術等の身体アクション、これはやはり流石だ。 そして、ツーショット写真のハッとするような用い方もさりげなく印象的でいい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2013-06-03 23:57:34)《改行有》

23.  オズ/はじまりの戦い 2D版を鑑賞。 噴煙の中に浮かび上がる『イングロリアス・バスターズ』のような映画内映画。 『蜘蛛巣城』のように、白霧と共に押し寄せてくる軍隊の影。 枯葉の落下や草の揺れなど細やかな動きに満ちた、高精細に造形された森の美術。 これらの立体的イメージはぜひ3D版で味わいたかった。 映画こそ魔法。その主題が声高でないところが好ましい。 透過光と火炎を派手に使った魔法合戦もよいが、マリオネットのレトロな味わいを残す 陶器の少女の愛くるしい仕草も絶品である。 あるいは幻燈のキスや、シルエットによるメタモルフォーゼなど、 簡素で古典的で不可視の表現ほど観客の想像を掻き立て、 画面に引き込む事も弁えているようだ。 暴力と正義のテーマ性を含ませたドラマだても『スパイダーマン』の監督らしく、 ラストの魔女同士の対決なども、地味ながらサム・ライミらしさがあっていい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-04-15 23:56:44)《改行有》

24.  踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 《ネタバレ》 『映画は映画的であるほどドラマから遠ざかる』と、 本広克行が尊敬しているらしい押井守が書いている。 ドラマの本質はダイアログと状況設定にあり、 映像的主張はドラマを停滞させるから、というわけだ。 バストショット主体の対話劇でドラマは十分に機能するが、 劇場用作品となるとそうはいかない。映画的な見せ場こそ肝要だからである。 となると、既に盛んに批判されている荒唐無稽なバス突入や、 織田裕二の直感的判断と疾走こそ、 ドラマ的には不正解、映画的には正解だと見る事が出来る。 合理的動機に拠らない活劇であり、スペクタクルだからである。 あるいは、膨大なエキストラを統制しまとめあげた署内セットのモブシーンの活気、 充実した空撮、盛り上げどころで目一杯活用されるクレーン撮影の快いリズム感、 そして事件解決後の織田と柳葉のツーショットに 適切に差し込まれた朝陽の演出なども同様だ。 一方で、戒名を巡るギャグやラストの織田の演説などは、 ドラマ的には妥当であり、映画的には妨げでしかない。 活字、言語が機能するシーンだからである。 そうしたドラマ―映画のバランスの中途半端さは、 テレビドラマを始点とするシリーズ映画ゆえの性質にも拠るのだろう。 ステマを含む局の様々なしがらみ、制約、ファンサービスにも折り合いをつけながら、 映画的こだわりが伝わるのが何よりである。 [映画館(邦画)] 6点(2012-09-17 22:19:28)《改行有》

25.  おおかみこどもの雨と雪 映画に登場する母親の子育てのスタンスを批判するのは実に容易い。 だが、フィクション映画の登場人物が賢くあるべき必要などまったくない上、 子育ての正論などそもそも映画とはなんの関係もない。 人間が不完全で愚かなのは当たり前の話。 あいにく、こちらはご立派で正しい子育て論など アニメーション映画に求めてはいない。 作り手が試みているのは、主人公が愚かであるなりに、間違っているなりに、 子への情愛とその試行錯誤を映画という動態の中でどう表現するかである。 愚直に読書に頼り、独学にこだわる未熟で愚かなキャラクターだからこそ、 睡眠不足で身体を泳がせる様、息を切らしながらの農作業、 涙と鼻水を流しながら瀕死の息子を抱き締める姿、 そして嵐の山中を必死に捜し回る歩みが愛しむべきものとなる。 その中で、『時をかける少女』でも不可逆性の象徴として使われた 坂道や勾配がアクションとドラマの場として活きてくる。 中盤の雪山を延々と滑降するシーンが作画的クライマックスとして印象深いのは、 そこにあるのが自立的な疾走感・爽快感だけでなく、 己の意思ではどうしようもない自然の力が作用しているからであり、 それが親離れのドラマ展開の予告ともなっているからだ。 そして細田印の蒼(空)と白(雪と雲)もまた印象的なシーンである。 [映画館(邦画)] 6点(2012-09-12 23:29:17)《改行有》

26.  ALWAYS 三丁目の夕日‘64 例によってあれもこれもとエピソードを詰め込んでいるのだが、出産も独り立ちも嫁入りもその型通りな展開がある程度中途から見越せてしまう以上、台詞やアクションを介してリズミカルにシーンを繋いでいくような岡本的あるいは成瀬的な場面転換の工夫が欲しい。 二家族のエピソードの交互羅列は、先読みが容易なだけに尚更映画を冗長にしてしまっているが、反面、3Dカメラの機動性の悪さも幸いしてか2作目のような欠点も目立たず、ロングテイク中心に芝居や列車の情景などをじっくり撮るフィクスショット主体の落ち着いた撮影が安定感を醸している。 そして、シリーズに一貫している接触と授受の演出も控えめながらいい。 堀北真希の左腕を看る森山未來。彼の鼻血のついたチリ紙を厭わず握りしめる堀北の細やかな動作に垣間見せる人間性。 縁側で堤真一の左腕に手を重ね、嫁ぐ堀北の首にネックレスを掛けてやる薬師丸ひろ子の柔和な魅力。 小清水一輝の頭をたびたび小突く堤真一の不器用ぶり。 須賀健太の胸ポケットに万年筆を差し込む吉岡秀隆の仕草。 同じく作品では仰ぎ見ることが貫かれる。 空を見上げる人々の表情の記念写真風ショットもやはりシリーズのトレードマークとして清々しい。 [映画館(邦画)] 6点(2012-02-05 16:29:06)《改行有》

27.  大鹿村騒動記 トンネルを越えて紅葉の山道を登っていくオープニングの緩やかな縦移動の感覚。 三國連太郎が墓参する、あるいは小倉一郎が農作業する山の斜面の感覚。 激しく窓を打つ豪雨と暴風の描写が素晴らしい山の嵐の感覚。 そして、原田芳雄の営む食堂の外観・内装から滲み出る地味な生活感を笠松則通の落ち着いたカメラが的確に掬い取る。 現地ロケーションと役者の馴染み具合が何よりで、おひねりの白い和紙や掛け声の飛び交う、客席と舞台上とのコミュニケーションもすこぶる楽しい。 手前に食堂テーブル、奥に玄関。あるいは手前に洗濯機とトイレ、奥に居間といった手狭感の秀逸な縦構図のなか、それぞれ岸部一徳や松たか子、冨浦智嗣らと原田芳雄が絡むロングテイク主体の対話劇もいずれもユーモア豊かで味わい深い。 ラスト近く、原田と大楠道代が並ぶ、舞台後の裏口のロングショットもいい距離感を出している。 そのうえで繰り出される、原田振り返りのクロースアップが尋常でない凄みを放ち、感慨深い。 三國連太郎との充実した芝居のなか、目深に被り直すテンガロンハットの芝居も泣かせる。 [映画館(邦画)] 8点(2011-08-15 20:18:10)《改行有》

28.  男はつらいよ 寅次郎紅の花 《ネタバレ》 巻頭の劇中テレビ映像。よそ行きの作業ジャンパーで仰々しく避難所を慰問する当時の首相の「パフォーマンス」を邪魔するかのように、一張羅の寅が画面手前にCG合成される。 政治風刺を絡めたギャグとCG用法が共にさりげなく巧い。 渥美清の身体的ハンデも、津山の一方通行の路地や、奄美大島の海辺で吉岡・後藤が担う一進一退のアクション性が充分に補完している。 エピローグは、震災後の神戸市長田ロケ。墓に手向けられた小さな菊の鮮やかな黄。 寅が画面右手にフレームアウトした後も留まるカメラは、背景の赤錆びた瓦礫の間から真っ直ぐに茎を伸ばしている菜の花の黄を捉え続ける。 そして長田マダンでの民族舞踊の華やかな色彩の輪と活気。そこからカメラは引き、プレハブ住宅が立ち並ぶ再生と復興の長田地区俯瞰ショットが見事に映画を締めくくる。 被災者が求めるものは、同情でも応援でも祈りでもなく、「そばにいて一緒に泣いてくれる、そして時々面白いことを言って笑わせてくれる人」だと、現地から熱望されたという「車寅次郎」。 彼と被災地の再生への希求が込められた万感のラストショットだ。 [映画館(邦画)] 8点(2011-03-26 18:16:26)《改行有》

29.  おにいちゃんのハナビ 本来なら、主人公家族の感情を表象する花火の瞬きと光の広がりただそれだけでも充分エモーショナルであるし、実際クライマックスにおける開花の煌きや、観衆の見上げる顔を染める赤い照り返し、音響いずれも兄妹の情を伴う光のアクションとして劇場スクリーンに良く映え感動的だ。 にも拘わらず、尚も手垢のついたあれこれの脚色を盛り込んで感傷を煽る浅ましさ。 予定調和が見え見えの、あからさまに敵対的な登場人物。脇役陣のわかりやすすぎる配役と記号的かつ心理的演技の数々。特に衆人環視の中での土下座、泣きの表情のクロースアップと、お涙頂戴の意図が露呈し放題で萎える。 高良健吾、谷村美月、両者の好演が勿体無い。 [映画館(邦画)] 4点(2010-11-11 21:25:21)《改行有》

30.  おっぱいバレー 序盤の校庭場面をはじめ、無駄にダイナミックなクレーンショットが多いのだが、肝心の試合場面になると急に鳴りを潜めてしまう。ラリーが続かないのだから当然だが。タイトルに競技名を冠する映画にあるまじき非スポーツ感覚である。大半の試合場面はほぼ割愛。大半の練習場面は準備運動レベル。クライマックスはスローによる引き伸ばしにごまかし編集と、どこまでも動感を欠く。(冒頭の坂道のシークエンスも疾走感覚まるで無し。) レシーブからスパイクまでの連携プレーを捉えたショットはかろうじて1箇所しかなく、上達や成長や努力を示すのは台詞のみで、それらを提示する画面は終ぞ現れない。僅かなりとも役者本人による実技の上達ぶりこそ、同系統の映画のせめてもの見せ場だろうに。「Aクイックも出来ない」という台詞が序盤にあるのなら、せめてその程度は最後に実演してみせる矜持が欲しい。 基本のフォーメーション描写を一切欠いた上でのフェイント攻撃に何の驚きや感動があるのか。『トップガン』の、ファンサービスに過ぎない僅かなバレーシーンのクレーンショットの方が遥かにマシなのだから困ったもの。 本来、身長・体格で個性を描き分けられるべきメンバー6名がみな似たような容貌で没個性となり、ドラマの中でも、教師とも仲間とも何ら葛藤といえるものがないのだから、盛り上がらないのは当然である。もはや手垢まみれのレトロ趣味戦略に、安易な懐メロ垂れ流し、露骨な感傷志向と、あまりに程度が低い。 夜の操車場や廃車置場、部室小屋の風情は良いし、体育館内から捉えられた眩しいグラウンドなど、良いショットもそれなりにあるのだが。[DVD(邦画)] 2点(2010-05-23 23:09:31)《改行有》

31.  オーケストラ! 国情の対比を反映させたものと了解はしつつ、前半(ロシア篇)の特に屋内シーンの薄暗くくすんだ画面群はもう少しどうにかならなかったのだろうか。せっかくのヒロインの初登場シーンも明度が低く、顔に影が落ちすぎて印象が弱い。それでも前半はギャグシーンの場面転換のテンポが小気味よいのが救い。役者も皆良い味を出している(特に親友役:D・ナザロフ、妻役:A・K・パヴロヴァら)そして、クライマックスとなるコンサート場面で俄然引き立つ、メラニー・ロランの麗しさ。ヴァイオリンを演奏する身体の的確な動き、意思的な表情は完璧。そして奏者たち、とりわけアレクセイ・グシュコブと交わす視線の交響性。予定調和のドラマに則り、画面と音楽の一体感による帳尻あわせで結果OKといったところ。作品には拙いフランス語を活かしたギャグも盛り込まれているが、この辺りが理解できればもっと楽しめるはず。[映画館(字幕)] 8点(2010-05-11 21:06:36)

32.  オルエットの方へ 16mmからのブローアップによる画面の微妙な粗さが、ささやかな異世界というべき夏の海辺と陽光のカラーと相俟っていい味を出している。通奏低音となる波音も同様だ。ジャック・ロジエの長編2作目となる本作の設定もまた、3人娘のヴァカンスというシンプル極まりないもの。本作に限らず、この作家はいかなるシーンも物語に従属させることなく、何よりも場の空気を清新に掬い取り、人間関係の微妙な揺れを的確に捉えることに徹しているようだ。嵐の夜のおしゃべりやうなぎ騒動、海辺での戯れ、乗馬の疾走感等々、、本作の優れたシーンの数々は、物語的にはまったく意味が無いが、それゆえにこそ彼女らの生きる場を捉える画面は豊かさと鮮度を増す。とりわけ、ヨットシーンの滑走とローリングの感覚は格別だ。今流行りの3Dにも全く引けを取らない体感度で、スリルと緊張感、そして波と風と光を受け取ることができる。[映画館(字幕)] 9点(2010-02-13 20:00:38)

33.  婦系図(1942) 石灯籠が並ぶ月夜の湯島天神境内の風情が麗しい。夜霧の漂う中、軟らかなライティングで梅の花の白が美しく滲んでいる。ここで主税(長谷川一夫)がお蔦(山田五十鈴)に別れ話を切り出すのだが、梅の木の幹に沿った上昇~下降~寄りの滑らかなクレーン撮影が醸しだす情感が二人の芝居とシンクロし、絶品である。これと同じ移動撮影が第二部後半同じセットで反復されるが、全く同様のカメラワークが今度は逆に舞い散る枯葉と寒々しい風音といった差異を際立たせ、彼女の孤独をより強調する効果をあげている。また美術的見どころとして第一部クライマックスである新橋駅の場面も素晴らしい。駅全景から改札そしてホームの人込みまでを延々と横移動で捉えた美術セットのスケール感、エキストラの規模は実景ロケと見紛うほどであり、別れの場面を細かいモンタージュを駆使して最高潮に盛り上げる演出も圧巻である。映画版の独創であるラストも優れた照明技術によって情緒に満ちた名場面だ。[映画館(邦画)] 9点(2009-04-05 23:04:36)

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