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21.  オブリビオン(2013) 《ネタバレ》 例えば二者の電話での対話を見せる際、双方の顔を発話に従って交互に映し出す というのが最も芸がなく単調でつまらない撮り方なわけだが、 中盤まで続くトム・クルーズとアンドレア・ライズブローの交信の描写はそれに近い。 おまけにファン・サービスでもあろうアップ・アップの連続がくどいとくる。 カメラの主体は判然としないが、彼女の前にモニター画像があるのなら それをもっと利用するなり、一方の側の状況を見せないことで 観客に想像の余地を与えるなりしてサスペンスを創り出すのが基本中の基本だろうに。 緑に囲まれた一軒家、「青い影」が流れ、今度は トム・クルーズとオルガ・キュリレンコが並んで対話する。 その拙い切返し編集もまた単なる対話の説明であり、酷い。 幾度もフラッシュバックされる過去の記憶と対になるべき、ラストの視線の交錯は もっと外連が欲しいところ。 ランドスケープのスペクタクルも部分的な見世物としては第1級のものだが、 距離感と空間性は『トロン・レガシー』と同様に欠落している。 その中でトム・クルーズが鮮やかな身のこなしをみせる船内遊泳やライディング・ 格闘術等の身体アクション、これはやはり流石だ。 そして、ツーショット写真のハッとするような用い方もさりげなく印象的でいい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2013-06-03 23:57:34)《改行有》

22.  踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 《ネタバレ》 『映画は映画的であるほどドラマから遠ざかる』と、 本広克行が尊敬しているらしい押井守が書いている。 ドラマの本質はダイアログと状況設定にあり、 映像的主張はドラマを停滞させるから、というわけだ。 バストショット主体の対話劇でドラマは十分に機能するが、 劇場用作品となるとそうはいかない。映画的な見せ場こそ肝要だからである。 となると、既に盛んに批判されている荒唐無稽なバス突入や、 織田裕二の直感的判断と疾走こそ、 ドラマ的には不正解、映画的には正解だと見る事が出来る。 合理的動機に拠らない活劇であり、スペクタクルだからである。 あるいは、膨大なエキストラを統制しまとめあげた署内セットのモブシーンの活気、 充実した空撮、盛り上げどころで目一杯活用されるクレーン撮影の快いリズム感、 そして事件解決後の織田と柳葉のツーショットに 適切に差し込まれた朝陽の演出なども同様だ。 一方で、戒名を巡るギャグやラストの織田の演説などは、 ドラマ的には妥当であり、映画的には妨げでしかない。 活字、言語が機能するシーンだからである。 そうしたドラマ―映画のバランスの中途半端さは、 テレビドラマを始点とするシリーズ映画ゆえの性質にも拠るのだろう。 ステマを含む局の様々なしがらみ、制約、ファンサービスにも折り合いをつけながら、 映画的こだわりが伝わるのが何よりである。 [映画館(邦画)] 6点(2012-09-17 22:19:28)《改行有》

23.  おおかみこどもの雨と雪 映画に登場する母親の子育てのスタンスを批判するのは実に容易い。 だが、フィクション映画の登場人物が賢くあるべき必要などまったくない上、 子育ての正論などそもそも映画とはなんの関係もない。 人間が不完全で愚かなのは当たり前の話。 あいにく、こちらはご立派で正しい子育て論など アニメーション映画に求めてはいない。 作り手が試みているのは、主人公が愚かであるなりに、間違っているなりに、 子への情愛とその試行錯誤を映画という動態の中でどう表現するかである。 愚直に読書に頼り、独学にこだわる未熟で愚かなキャラクターだからこそ、 睡眠不足で身体を泳がせる様、息を切らしながらの農作業、 涙と鼻水を流しながら瀕死の息子を抱き締める姿、 そして嵐の山中を必死に捜し回る歩みが愛しむべきものとなる。 その中で、『時をかける少女』でも不可逆性の象徴として使われた 坂道や勾配がアクションとドラマの場として活きてくる。 中盤の雪山を延々と滑降するシーンが作画的クライマックスとして印象深いのは、 そこにあるのが自立的な疾走感・爽快感だけでなく、 己の意思ではどうしようもない自然の力が作用しているからであり、 それが親離れのドラマ展開の予告ともなっているからだ。 そして細田印の蒼(空)と白(雪と雲)もまた印象的なシーンである。 [映画館(邦画)] 6点(2012-09-12 23:29:17)《改行有》

24.  ALWAYS 三丁目の夕日‘64 例によってあれもこれもとエピソードを詰め込んでいるのだが、出産も独り立ちも嫁入りもその型通りな展開がある程度中途から見越せてしまう以上、台詞やアクションを介してリズミカルにシーンを繋いでいくような岡本的あるいは成瀬的な場面転換の工夫が欲しい。 二家族のエピソードの交互羅列は、先読みが容易なだけに尚更映画を冗長にしてしまっているが、反面、3Dカメラの機動性の悪さも幸いしてか2作目のような欠点も目立たず、ロングテイク中心に芝居や列車の情景などをじっくり撮るフィクスショット主体の落ち着いた撮影が安定感を醸している。 そして、シリーズに一貫している接触と授受の演出も控えめながらいい。 堀北真希の左腕を看る森山未來。彼の鼻血のついたチリ紙を厭わず握りしめる堀北の細やかな動作に垣間見せる人間性。 縁側で堤真一の左腕に手を重ね、嫁ぐ堀北の首にネックレスを掛けてやる薬師丸ひろ子の柔和な魅力。 小清水一輝の頭をたびたび小突く堤真一の不器用ぶり。 須賀健太の胸ポケットに万年筆を差し込む吉岡秀隆の仕草。 同じく作品では仰ぎ見ることが貫かれる。 空を見上げる人々の表情の記念写真風ショットもやはりシリーズのトレードマークとして清々しい。 [映画館(邦画)] 6点(2012-02-05 16:29:06)《改行有》

25.  オケ老人! 《ネタバレ》 一つのジャンルとも呼べそうなフレームワークで、何ら想定を裏切らない。演奏会終了と共に万雷の拍手で、杏の晴れやかな笑顔がクロースアップされて ハッピーエンディングへと至るだろう流れも律儀なまでにパターン通りだ。 彼女の成長のドラマ、メンバーの団結と上達のドラマでバリエーションと独自性を作っていくわけだが、 ここも杏と笹野高史の関係に絞ってシンプルに徹している。 上達の過程は本来、練習シーンのモンタージュと反復によるべきところを季節変化と街の情景の早送りだけに頼っているのはかなり安直な印象だ。 コメディタッチに合わせて芦澤明子のカメラも明朗、杏の表情のクロースアップが頻繁過ぎるが、彼女のほどよくコミカルで豊かな表情と口跡の良さで 苦にはならない。下手な女優ならこれ見よがしのわざとらしい変顔を連発して白けさせられるところだが。[映画館(邦画)] 5点(2016-11-11 23:20:53)《改行有》

26.  俺物語!! 《ネタバレ》 カメラに正対しての顔芸のアップに頼りすぎ。カメラに向かってヒロイン微笑むの図も映画というよりもテレビコマーシャルのよう。 コミックのキャラクターが映画によって動きを得たというのに、アクションシーンも動感に乏しく硬直気味。 火事の中、棺桶を支えるシーンは状況の提示が絵解きとして不適格。意味を伝えるだけならフィルムコミックで十分である。 特にこの遊園地のシーンは演出全般の粗雑さが目立つ。おそらく原作エピソードの継ぎ接ぎだろうが、キャラの感情の流れが一貫していない。 永野芽郁が懸命に主人公のカッコ良さを訴える場面の人物配置が不適当。鈴木亮平は影となる位置に置くべき。 鈴木が永野にかけてやったブレザーの扱いが雑。汚れたブレザーを何故そのまま返させるのか。何故、それを抱きしめさせないのか。 永野の友人たちが鈴木を見直すのは「惚れそうになった」という科白ではなく、具体的なカットバック等による表情で示すべき。 といった具合である。 メインの恋愛ドラマもまたヒロインの作るスイーツのように大甘だが、ドラマの進行と共に脇役を含めた人物たちに次第に血が通っていくのがいい。 チョイ役であるパン屋、ケーキ店の店主たちがみせる人柄の良さ。彼らの言葉を介して伝わるヒロインの真情。 そんな細部もまたクライマックスを盛り上げる手助けをしている。 クレジットによるとロケ地は杜の都、仙台らしい。鈴木亮平が夕陽を見る高層階のベランダや校舎の屋上や、風が緑を揺らす橋と川の俯瞰ショットなど、 開放的で見晴らしの良い景観がところどころにあり、少女漫画のファンタジーと登場人物たちの清潔感とによく馴染む。 それだけに、ラストの告白シーンの橋は爽やかな快晴で撮って欲しかった。[映画館(邦画)] 5点(2015-11-02 23:17:37)《改行有》

27.  オール・ユー・ニード・イズ・キル 敵方の動きを想定した訓練機器に何度も激しく弾き飛ばされるスタントも トム・クルーズ本人がチャレンジしているのだろう。 その果敢なアクション魂が彼への好感度を一層高める。 重火器装備で動きやスピードが制限されかねないスーツを纏いながら、よく動く。 反復学習によって、練度を上げていく主人公のアクション。 その予測動作とリアクションの面白さを、例えば一連の長廻しショットの中で 捉えていくなどすれば、よりキートン的な活劇になっただろうに。 この映画では、それがカッティングのリズムの面白さに留まっている。 その意味で、火器としての見せ場も少ない上、 トム・クルーズの動きを鈍重にしてしまうスーツはさして映画に貢献していない。 その装備を外し、肉体アクションが弾むべきクライマックスが 大状況の物語の側に収斂し、失速しているのも惜しい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2014-08-13 15:06:59)《改行有》

28.  思い出のマーニー スケッチブックに押しつけられて折れる鉛筆の力感や、ナイフで鉛筆の芯を 乱暴に削る動き。トマトや西瓜に包丁が入るその質感など。 巧いアニメーションではあっても、それが単なる現実の模写に留まってはいないか。 紅花摘みのリアリズムを見せつける『おもひでぽろぽろ』にしても、 幼少時代のシーンでは空を泳ぐといった奔放なアニメーションが しっかり活かされているのに対し、 こちらが志向するのは向地性とでもいうべきものだ。 映画は重力を強調し、ヒロインは幾度も地面に突っ伏す。 それはいいが、アニメーションであるべき必然性はやはり低い印象である。 何よりも肝心の「動き」の面において。 和洋のキャラクター・舞台を違和感なく 共存させた世界はアニメならではの強みだろうが、 あの大波と風のシーンだけではいかにもアニメーションとして弱い。 そして、「美少女ヒロイン」以外のキャラクターの何と魅力の薄いことか。 世話になる夫婦も無口な男も、いくらでもドラマに絡ませようがあるだろうに。 登場意義すら見いだしづらい。 絵描きの婦人も、単なる種明かし説明の道具に過ぎないだろう。 成長のドラマならせめて、他者との関わりあいの中で主人公の成長を描いて欲しい。 ヒロインの「碧い瞳」への言及の段取りも、こうすればより映画的なのに、 という代案が簡単に浮かんでくる。 それでいいのか。 [映画館(邦画)] 5点(2014-08-05 15:38:31)《改行有》

29.  おにいちゃんのハナビ 本来なら、主人公家族の感情を表象する花火の瞬きと光の広がりただそれだけでも充分エモーショナルであるし、実際クライマックスにおける開花の煌きや、観衆の見上げる顔を染める赤い照り返し、音響いずれも兄妹の情を伴う光のアクションとして劇場スクリーンに良く映え感動的だ。 にも拘わらず、尚も手垢のついたあれこれの脚色を盛り込んで感傷を煽る浅ましさ。 予定調和が見え見えの、あからさまに敵対的な登場人物。脇役陣のわかりやすすぎる配役と記号的かつ心理的演技の数々。特に衆人環視の中での土下座、泣きの表情のクロースアップと、お涙頂戴の意図が露呈し放題で萎える。 高良健吾、谷村美月、両者の好演が勿体無い。 [映画館(邦画)] 4点(2010-11-11 21:25:21)《改行有》

30.  奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール 《ネタバレ》 文体的にも『モテキ』のバリエーションだが、森山未來の運動神経があるわけでもなく、女優や楽曲のバラエティという点でも分が悪く、 ロケーションも貧相な限り。真っ暗な屋内セットばかりで美術の見せ場も無いと来る。 単調なキスシーンを繰り返すくらいなら、『モテキ』のミュージカルや『バクマン。』のペン格闘に類するスペクタクルに 知恵を絞って欲しい。まるで突き抜けない黒猫チェイスでは全く物足りない。 哀れ、コメディ・パートもリリー・フランキーや安藤サクラらのエキセントリックな芝居に縋るしかなかったのだろう。 すべてが安普請。退行もいいところである。[映画館(邦画)] 3点(2017-09-16 22:26:11)《改行有》

31.  おかあさんの木 《ネタバレ》 ただただ情緒に訴えるのみの反戦メッセージなど、タチが悪いのみ。 鈴木京香らの記号的・心理的表情と、饒舌な劇伴音楽、加えて無駄にミスリードを誘う語り部による ナレーションによって、ひたすら冗漫である。 ポスプロでの処理もいろいろと施されているのだろうけれど、ロケーションとオープンセットによる昭和初期の農村の再現は よく頑張っているのだが。 志田未来のつくったおはぎを、画面に登場すらさせないなどの無頓着も作品を貧相にしている。[DVD(邦画)] 3点(2016-10-13 23:56:30)《改行有》

32.  orange オレンジ 《ネタバレ》 上映時間139分というのが、まずは悪い冗談。 それを踏まえて観ているから、余計にテンポの悪さと散漫ぶりが目立つ。 梗概的な部分の整合性を突き詰めきれていない脚本や、ヒロインの口跡の一本調子や、感傷過多のBGMなどの貶しどころはヤフーレビューあたりに 散々書かれている通り。 水泳プールから花火を見るというシーンを設定するのなら、そのプールという場には二人を結びつける説話的論拠を付与するべきだし、 それ以上に、『海街diary』の花火のように水面に花火を美しく反映させるといった映画的論拠がまずあってしかるべきなのだが、 驚くべきことにそれらが何もない。舞台がプールである必然性が全く無い、という。そういうののオンパレードだ。 ソフトボールにサッカーにリレー競争と、運動競技を活かそうとするのは解るが、 それらは悉く、映画性ではなく道徳性のほうに収斂してしまう。 「重荷運び」のストレートで優等生的なメッセージ中毒&言語依存ぶりには、哀れみすら感じる。 上映時間が長いだけあって、6人の個性が明確になっていたのは救いだ。 並木道の木漏れ陽などはもっと巧く活かせたはずである。[映画館(邦画)] 3点(2015-12-14 23:07:30)《改行有》

33.  おっぱいバレー 序盤の校庭場面をはじめ、無駄にダイナミックなクレーンショットが多いのだが、肝心の試合場面になると急に鳴りを潜めてしまう。ラリーが続かないのだから当然だが。タイトルに競技名を冠する映画にあるまじき非スポーツ感覚である。大半の試合場面はほぼ割愛。大半の練習場面は準備運動レベル。クライマックスはスローによる引き伸ばしにごまかし編集と、どこまでも動感を欠く。(冒頭の坂道のシークエンスも疾走感覚まるで無し。) レシーブからスパイクまでの連携プレーを捉えたショットはかろうじて1箇所しかなく、上達や成長や努力を示すのは台詞のみで、それらを提示する画面は終ぞ現れない。僅かなりとも役者本人による実技の上達ぶりこそ、同系統の映画のせめてもの見せ場だろうに。「Aクイックも出来ない」という台詞が序盤にあるのなら、せめてその程度は最後に実演してみせる矜持が欲しい。 基本のフォーメーション描写を一切欠いた上でのフェイント攻撃に何の驚きや感動があるのか。『トップガン』の、ファンサービスに過ぎない僅かなバレーシーンのクレーンショットの方が遥かにマシなのだから困ったもの。 本来、身長・体格で個性を描き分けられるべきメンバー6名がみな似たような容貌で没個性となり、ドラマの中でも、教師とも仲間とも何ら葛藤といえるものがないのだから、盛り上がらないのは当然である。もはや手垢まみれのレトロ趣味戦略に、安易な懐メロ垂れ流し、露骨な感傷志向と、あまりに程度が低い。 夜の操車場や廃車置場、部室小屋の風情は良いし、体育館内から捉えられた眩しいグラウンドなど、良いショットもそれなりにあるのだが。[DVD(邦画)] 2点(2010-05-23 23:09:31)《改行有》

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