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評価順1
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1.  オーストラリア(2008) 《ネタバレ》 巻頭で、ロマンスがあったという文章が出る時点で、この映画はそういう映画なんだと認識させてくれる。であるから、史実とかなどはもう殆ど関係ないのだし、後半のサラがナラを守りたいというのは、人種云々の話ではなく、ひとりの子供を守りたいという映画になって行くのだろうし、そういう人がいたというナラが語る物語なのだと、映画の冒頭で全て語っているのだ。 しかしながら正直なところバズ・ラーマンだぜ、どうせ・・くらいに思っていたが、実際は見事な大河ドラマで実に面白い。 相変わらずどアップばかりで鬱陶しいなと思いつつも、ナラが牛を見事なまでに鎮めてしまうシーンなどは、ここはやはりどアップだといつの間にか納得させられ、馬が馬らしい躍動感だとか、街の中を駆け抜ける牛とか、「オズの魔法使い」の件だとか、雨の中の舞踏会というのも秀逸で、いいじゃないかと。そしてやはり馬に跨がる男は女を家に残して出て行ってしまうわけで、それで上出来だ。 それにサラとナラの離別と再会を同じ桟橋で行わせた瞬間に見事だと言わざるを得ないだろうし、しかも歌を使った再会がまた良い。もうひとつ素晴らしいこと、それはドローヴァーとサラが車に乗るシーン、それもフロントガラス越しのショットというのが前半と後半で一度ずつある。前半はふたりの間に窓枠があるのだが、後半には一枚のガラスになりふたりを隔てるものはなくなっている。こういった映画を正しく「見る(あるいは聞く)」という行為への誘いが為された演出はお見事だろう。 ま、しかし、あまりにも機能してない登場人物が多いなとか、牛を囲む炎の火力が弱いとか、ナラ役の子供が駄目だったのかナラというキャラクターが駄目だったのかわからないが、何か鬱陶しさを感じたし、今回のキッドマンは少しばかりオヴァーアクトだろうとか、ただやはりそこにいるだけで画になる女優であるということには間違いはないのだがとか、不満は残しつつも、ここ最近は、最後に「家に帰ろう」という映画はどれも好きになっちゃうなと。[映画館(字幕)] 7点(2009-03-28 00:46:07)《改行有》

2.  おくりびと 《ネタバレ》 愛情故に、夫のすることにあれだけ寛容で理解のある妻(勿論、台詞にもある通り裏腹な内心を抱えてはいる)の人間性が納棺師という職業にあれだけの拒絶反応を示すのかが納得出来ず、つまりそれは後に夫の仕事を認めるという結果へと導くための原因作りでしかないだろうと誰もがその場で理解できるこのシーンはとても寒々しく、彼女のその強い母性的性格との一致はまるで無視されている。この認めないという態度は、納棺師という職業に対する世間の一部も示すであろう態度の表れだが、ではその態度を覆すためにはということになるだろう。 つまりこの映画の大きな山場とは、■納棺師は遺体を扱う職業であるが故に、反対する者もいるが、その仕事内容は余りにも知られてはいないため、百聞は一見に如かず、なシーンが必要である。■誰にでも死は訪れる。勿論極々身近な人にでも。ならば知人を納棺することもあるというシーン。というふたつがあればいいのだ。それをまとめて詰め込んだのが、あの吉行和子の納棺シーンだ。こんな下手糞な展開はなかなかないだろう。 「好きなのを持ってきな」の件も頂けない。本木雅弘がせっかく父親に会いに走り始めたにもかかわらず、わざわざ一度脚を止め、山崎努のオミトオシダヨという粋を見せた態度のシーンなど完璧にオミットするべきだ。あるいは、「好きなのを持ってきな」で走り始めなければならない。映画において人が何かに向かって走り始めたなら、挫折や妨害がない限りは、辿り着くまで走り続けなければならないのだ。 更に「うちの夫は納棺師なんです」と広末涼子が言い始め、忘れていたはずの父親の顔にフォーカスが合ってしまうというあの恥ずかしい件は果たして何なのだろうか。話は舞い戻り、妻が納棺師という仕事を認めること、それがこの映画の断固としての態度だ。だから、完全に認めること、その表象がこの台詞だったのだ。はっきりと聞こえた。しかも口の動きも凄くわかりやすいクロースアップでだ。そう、夫は納棺師なのだ。いくらなんでも安易過ぎるだろうと言いたい。その安易さが父親の顔をも思い出させる結果に繋がった。そして輪廻転生へ・・この映画はあほか。[映画館(邦画)] 3点(2008-09-22 14:42:52)(良:3票) 《改行有》

3.  鴛鴦歌合戦 《ネタバレ》 こんなに楽しい映画はない。そして何度見ても、何度見ても楽しいのだからしょうがない。 ファーストショットを見ればもう一目瞭然、水玉模様の傘をさした娘、それを取り巻く男たち、彼らが橋からやってくる時の、あの得体の知れぬような浮遊感。彼らは歩いちゃいないし、スキップしちゃいない。ましてや走ってなどいない。どう考えても彼らは浮いてる。または現実的に置換えてみるならば、そう彼らは浮かれている。 浮かれているのは、何も恋した米屋や酒屋や炭屋だけではないだろう。ここでは殿様ですら浮かれている。彼は突如に歌いだす殿様なのであって、笑顔を絶やすことなどはひと時もない。終いには女の子を軽く骨董品扱いしだす始末だ、酷い。 ならばと地面一面に並べられた傘はどうだろう。だがむしろこの丸みを帯び、柔らかさもを感じさせる色とりどりの傘こそが一番の浮かれ記号なのだからしょうがない。つまり冒頭でさしている水玉模様の傘、これがもう今にも娘をどこかに飛んでいかせてしまいそうに見えて仕方がない。 だが中盤、お春はその浮かれ気分に業を煮やしてか、傘を滅多打ちにしてしまう。つまりあの娘など浮かせて堪るか、更に言えば、片岡千恵蔵演じる礼三郎すらも浮かせて堪るかという想いからの滅多打ちなのだろう。そんな愚痴しか言わない市川春代演じるお春。台詞のおよそ八割が愚痴だ。しかもたまに「ちぇっ」とか舌打ちをしたときには、生意気さをも飛び越えて愛らしくて仕方がない。 ただこの映画は浮かれてはいるが、浮かれ過ぎてはいない。それが最大の魅力だ。殿様は結局のところ浮かれ損。麦こがしの壺も一千両と聞けば浮かれるが、選ぶは心の清らかさ。さぁさ、今日も傘を広げましょう、と、観客はラスト、宮川一夫の見事なクレーンショットに乗っかって空へと浮き上がってしまうのでした。[映画館(邦画)] 10点(2008-09-22 13:58:43)(良:2票) 《改行有》

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