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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  昼下りの情事 これは父一人娘一人の西洋版『晩春』でしょう。娘の「恋を恋する描写」や、背伸びした微妙な揺れ具合などにかなり割いてはいるけど、ずっと底に流れているのは父離れが出来ない一人娘を持った一人親の父の気持ち。「もちろん娘の幸せを第一に考えている、娘がこれと決めた男と一緒にしてやりたい」と思っているだろう父に、こんな相手でもか、と最悪のケースをあてがってみた話だ。娘の弾く楽器がチェロで、これはまさに父親的な楽器、それを抱きかかえるように練習する。ファーザーコンプレックスそのもの。だから現われる男は父親世代のゲーリー・クーパーでなければならず、哀れなボーイフレンド・ミシェル君は、女性的なフルートを吹いている。勝てっこない。娘が片付いたあと、駅からチェロを運び帰るのは父親の役割りになる。映画としての楽しみは、ジプシー楽団が傑作で、ホテルの部屋の隅で演奏してるだけでなく、湖上ではボートに乗り、そしてラストの雨のホームで決まる。酒が部屋のなかを行ったり来たりする場面もいい。リアルなラヴストーリーではなく、薄汚い仕事をしながらも娘を大事に養う「父」というものの覚悟を描いた映画と思いたい。[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-12-07 09:30:42)

2.  ひめゆりの塔(1953) 《ネタバレ》 反戦映画というより反軍映画の傑作だろう。いざとなると何の役にもたたないどころか、己れの保身ばかりを考え、民衆にとって危険きわまりない存在だということが、よく分かる。この作品最大の仕掛けは、原保美と藤田進の対比だろう。“原”型の軍人は戦後幾多の反戦映画に出てきたタイプ。さんざん民間人を使役したあと追い出してしまう。リアリティはあるが、いささかパターン化されてきていて、観客へのインパクトは薄れていた。“藤田”型は戦前戦中によく描かれた国策映画に出てくる「優しい日本の軍人さん」の典型パターンだ。藤田自身がそういう役を頻繁に演じていた。この戦前戦中にパターン化されていた実に優しい軍人が、最後の洞窟で投降勧告に応じようとする女生徒を射殺する。日本軍によって自分の生徒が殺されたことにまだ分からずにポカンとしている先生のカットが二つぐらい続いて、米軍の爆弾が投げ込まれる。ここらへんの畳み込みが素晴らしいのだが、何より軍隊の本質を描き切っている。藤田はこの出演で、彼の戦争責任を償ったと思う。津島恵子の先生の耳が聞こえなくなるのもうまい。生徒たちの歌声が聞こえなくなり、米軍の投降勧告も聞こえなくなる。追い詰められて軍の判断にしか自分を任せられなくなっている沖縄の人たちが重なっている。もちろん軍と民間人との関係は、そのまま本土と沖縄の関係でもあるのだけれど。シーンとしては晴天でキャベツを放り合うところなんか、ラストから振り返ると哀切。[映画館(邦画)] 8点(2012-11-16 09:54:41)

3.  ビルマの竪琴(1956) リアリズムで観ちゃいけない映画でしょう。「埴生の宿」が国を越えた合唱となるシーンは大変感動的なんだけど、反戦メッセージよりも、寓話としての純度の高さでグッと来るんだ。ハープの音色ってのが、よく夢に入るシーンでポロロロロンと使われるように、そもそも現実離れしているし、インコなどの小道具も童話的雰囲気をかもしている。そもそもビルマの風土ってのが、片足を涅槃に突っ込んでいるようなところ。だからこの映画の感動は、祈りの発生に立ち会っている宗教的なものなのだろう。立て籠もってた部隊を説得できずに、しかし自分は生き残ってしまったという疚しさが、祈りに、宗教にと傾いていく。しかしあくまで日本兵のためだけの祈りであるところが、当時の、あるいは原作者の限界なのか。水島を追いかける日本兵がビルマの人たちの祈りの場を踏み荒らすところは、だから鋭い。逃亡のための衣装が次第に体にしみ込んでいってしまったという、なんか鬼面伝説みたいなところもあり、やっぱり寓話だな。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-08 09:40:33)

4.  美女と液体人間 東宝の変身人間もののなかでは、これが見せ物としては一番楽しめる。ドロドロしたものが這い寄ってくる感じ。一番人間離れした怪物で、漁船のエピソードなんかうまい。人が融けていく。でも根本問題として、被爆した被害者が「人類の敵」になっていくことの後味の悪さがずっと残り、本当なら怪物の側から描かなければならないものを、それを恐怖の対象にしてしまっているズレは、いくら見せ物映画だとしても無視できない。野暮なこと言ってるのかもしれないが、どこかで過去の被爆者差別や現在の福島の花火への視線とつながっている気がする。完全な安全を求めるあまりの異端への恐怖。恐怖映画はそういった恐怖に乗っかってしまわず、そういう恐怖を撒き散らしているものへの想像力を働かして真の恐怖の対象を見極める自負があってほしい(初期の安部公房に、社会の底辺層の人々から液体人間に変身していって地球がその洪水に満たされる、といったSF短編の傑作「洪水」がある。「赤い繭」の第二話。そこにあった、刑務所の囚人が液化して逃亡したり、工場主が飲もうとしていたコーヒーに溺れたり、といったほうがよっぽど映画的なイメージ)。最後、炎のなかで二人の液体人間が立ち上がっているように見えるの、あれが新たな人類のアダムとイブになっていくのだ、ってな展開だとSFとして正しいんだけど。カーチェイスの場で車窓に展開する町の風景がしっかり50年代であった。悪漢が「トランクいっぱいの五千円札だよ」と言ってるところでも、最高額紙幣がそれであった時代をしみじみ思う。樋口一葉ではない。[DVD(邦画)] 6点(2011-10-03 09:59:23)

5.  ピーター・パン(1953) これはやっぱり成長物語なんだ。ウェンディが大人になる決意を持つまでの。人の動きは『白雪姫』ほど病的に現実の人間に近づけようとはしなくなっている。アニメにおける人間の動かし方が固まった。ティンカーベルがついていくのが『未知との遭遇』につながったな。子ども向けでありながら彼女には50年代のコケットリーを感じる。やたら月をバックにするのは『E.T.』か。映画館にいた子どもたちには洞窟でのフックとの戦いがやたら受けていた。ラスト、海賊船が金の帆船に変わるとこ、色の変化ってのもアニメでは重要。月がビッグベンになり、それが家の掛け時計に、という移りもよろしい。[映画館(吹替)] 7点(2011-05-29 12:10:00)

6.  白夜(1957) ささいなことだが、エキストラの動きがとっても自然で印象的だったことをまず記しておく。で、内容。主人公の優しさの異様な膨らみ、ヒロインの残酷さのあどけなさ。美談を裏から見たような話で、やはりドストエフスキーの匂いがする。女たらしマストロヤンニが、コロッと純情青年もやれちゃうってのがすごい。ハッとさせるのは、暗い閉じたセットの焚火から昼のじゅうたんの部屋にパンしていくとこ。冒頭の迷い犬がラストのマストロヤンニにまつわりついてくるなどのポーズのつけ方のうまさ。ダンスホールのシーンの解放されていく感じ。ここで、ああ同時代の話になってるんだな、と納得していると、橋の下の乞食なんかとっても19世紀的で(主人公の下宿部屋も)、不思議に時代がゆらゆら揺れている感じがあった。典型的な「良くできた文芸映画」であって、しかしそれ以上のものではない。『ベニスに死す』は文芸映画であって、しかもどこを切っても映画で充満していた。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-28 09:51:09)

7.  びっくり五十三次 このタイトル見ると道中ものだと思うじゃないか。最初はそうなんだけど、映画の大半は金谷の宿にいて、全然「五十三次」じゃないの。森の石松やお染久松を絡めて賑やかにはしている(お染はまだ林玉緒時代の中村玉緒、誕生日前なら14歳か)が、タイトルから期待した道中ものの晴れ晴れとした気分は味わえなかった。高田浩吉が二枚目半の役どころでこっちが主役、ひばりは画面に出てはいるんだけど、あんまりドラマの進行に積極的な意味を持ってなく、脇にいるだけで手持ち無沙汰という印象だった。とにかく出ていて歌えばファンは納得したのだろう。のちのこの監督の才気はうかがえなかった。バックの音楽が童謡・唱歌をはじめいろいろ何でも流れてくるのが楽しくはあった。夫婦が別れの場では「花も嵐も~」、妹探しの道中では「上海帰りのリル」、お祭りのシーンでは当然「お祭りマンボ」、飯田蝶子と左卜全の場では「オールド・ブラック・ジョー」。これはおそらく年寄りということで使われたので、飯田蝶子の名作、小津の『一人息子』でも使われてたこととは無関係であろう。[DVD(邦画)] 5点(2010-02-11 12:02:47)

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