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1.  子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる ナレーションやセリフで「刺客」を「シキャク」と言っているのが気になって、つい調べてしまうのですが、手元の辞書では「シキャク」は載ってるものと載っていないものがあり、よく耳にする「シカク」の方が一般的、という扱い。だけど、より正しくは「セッカク」と読むらしい。漢和辞典を見ると、「客」は漢音がカク、呉音がキャク。「刺」は漢音がセキ、ということで、漢音だとセッカクになる訳だけど、一方で「刺」には漢音・呉音ともにシという読みもあり、普通はこちらを使っている。また「客」をキャクと読むのも一般的。同音異義語がない解りやすさの点で、この作品ではシキャクで統一したんですかね。 とかいうことは映画の内容とは関係ないけど、おかげで少しだけ勉強になりました。さて。 ケレン味というものも、行き過ぎるとどうなるか、はい、こうなります、という良い見本がこの、子連れ狼。 昭和がいかに変な時代だったか、なんてことがよくテレビなどでも取り上げられますが、一口に昭和と言っても、本当にトチ狂っていて本当にアブなかったのは、70年代だと思っております。一事が万事、こけおどし。当時の子供心にもつくづく、怖い時代だったと思う。これに比べりゃ80年代のオリジナリティなんて、大したことないんじゃないかと。これでもか噴き出る鮮血、首は飛ぶわ、手はもげるわ、足は切断されるわ、人体損壊のオンパレード。結局のところ、こういう作品があってこそ、『キル・ビル』なんていう作品が作られたりもするのですが、70年代の日本は自然発生的に平然とこういう世界に行きついてしまってる訳で、まあ、恐るべし、な訳です。 何よりも、これで監督が、今では名匠として有難がられている三隅研次。これではもはや、誰にも止められませぬ。 勝プロダクション製作で、配給が東宝。主役の若山富三郎で、この当時は東映に移籍していますが、大映関係者として、三隅監督以外に伊達三郎などお馴染みの脇役陣の姿も。もうグチャグチャですね。 途中、劇伴音楽もなく効果音も最低限しか入れられない無音のシーンが何度かあって、こういうのも演出として有りは有りでしょうけど、何度もやられると、ちょっと工夫が無いというか、安っぽい。それ以外にも、これを大映時代劇の延長として見てしまうと、何となく安っぽく感じてしまう面は、あります。 しかし、若山富三郎の殺陣は、これはもう、間違いなく一級品だと思います。拝一刀のイメージはこんな小太りのオジサンではなく萬屋錦之介の方がしっくり来るのですが、それを差し引いてもなお、ナンボでもお釣りがきます。ホント、さすが。 エロありグロありアクションあり。大のオトナが集まってこんなことをやってる、ってのが、素晴らしい。[CS・衛星(邦画)] 6点(2025-05-06 12:57:14)
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2.  名探偵コナン 紺青の拳 これは、面白かったです。 だいぶ無理やり感はあるんですけどね。なんで舞台をシンガポールにしたのやら、字幕のセリフがたびたび登場して、あまり子供には優しくない構成になっているし、常連のキャラを物語に登場させるのも一苦労、殆ど登場しない、あるいは全く登場しないキャラもいる(目暮さん・・・)。それどころか肝心のコナンすらあわや登場し損ねるところを無理やりカルロスゴーン方式(?)で出国させることに。 という、無理やり感がある上に、さらに、怪盗キッドによる宝石強奪と、殺人事件にまつわるフーダニットとが並行して描かれ、ゴチャついた感じはあります。もしかしたら、「コナン映画」には向いていない題材なのかも??? しかし、それを変にまとめようとせず、無理やり感のまま突っ走っていけば、結構、作品は面白くなったりするもんです。どこか無造作に思われるように(実際はちゃんと考えて脚本を書いているだろうけど)エピソードを配置していって、そのままバタバタとクライマックスのスペクタクルへとなだれ込んでいく。いよいよここに無理やり感も極まれり、ですが、作品の持つこの勢い、悪くないです。 夕方から夜への時間の推移とかも描かれていて、こういうのも、変化を感じさせ、いいなあ、と。[地上波(邦画)] 7点(2025-05-06 08:46:36)
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3.  サンセット大通り 《ネタバレ》 ハリウッドの売れない脚本家がたまたま足を踏み入れてしまった謎の大邸宅。そこでは、今や人々から忘れ去られてしまったかつての大女優が、過去の妄執にとらわれたまま、執事とともに暮らしており、主人公の脚本家もズルズルとその閉ざされた世界に引きずり込まれてヒモみたいな生活を送るハメとなる、という、サイコスリラー寸前みたいなお話。不気味な要素、多々あり。 いっそ作品をそういう路線に振り切ってもらうのも、歓迎、ではあるのですが、この作品はそこまではいきません。作品をサイコスリラー路線にしてしまうのは、「要するにこの人はサイコな危ない奴なんだ」という線引きをしてしまうことにもなり、ある意味、安心感にも繋がってしまう。主人公と悪役との対立軸、我々と悪役との対立軸、という分かりやすさ。 この作品では、充分に不気味さを醸し出しつつも、そういう路線とは少し距離を置いていて、いや、少しどころか、実は真逆なのかも知れませぬ。不気味さの一方ではシニカルな視点が常に存在していて、そもそも、冒頭で死体として発見された主人公が「自分が殺された顛末」を語る構成となっているのが、なんとも人を喰っています。まるで、「脚本家が脚本を書いている」かのような、分析的な語り口。 まあ、死人が語るなんてあり得ん訳で、ずいぶん嘘くさい話。だけど、その「忘れられたかつての大女優」を、実際にかつての大女優(グロリア・スワンソン)が演じ、それどころか実際のハリウッドの大物(セシル・B・デミル)を本人が演じるなど、ハリウッド関係者が本人役で(しかも、いかにもソレっぽい登場の仕方で)登場するもんだから、話は一筋縄ではいかなくなります。 実際の華やかなハリウッドの現実と、かつての大女優が信じ込んでいる虚構との対比。だけどハリウッドに長年いる人たちの中には彼女のことを覚えている人もいて、全く接点が途切れた訳ではなく、要は、全くの虚構とも言い切れない。ハリウッドではいわば雲の上の人であるセシル・B・デミル、彼に話を繋ぐにも、何人もの人を介してようやく話が繋がる、という、これも皮肉の効いたシーンがありつつ、その彼と(面倒くさがられつつも)一応は話が出来てしまう大女優。彼女はハリウッドの歴史の一部ではあるんだけど、歴史に構っていられないハリウッドは歩みを止めることなく、どんどん先へ進んでしまう。ハリウッドが必要としていたのは、彼女自身ではなく、彼女の所有するクルマ。およそ「撮影に使うクルマ」なんて、いくらでも替えがききそうなもんですが、俳優という職業は、そのクルマよりもさらに替えがきく存在に過ぎなかったのか? さらに、彼女と、彼女を支える執事との関係が、作中の中で明かされてみると、事態はさらに複雑になってきます。「かつての監督」が「かつての女優」を支え、彼女の妄信する虚構を演出していた、という現実。こうなってみると、華やかなるハリウッドも、彼女の閉じられた世界も、たまたま大勢の人が関わり大金が動いているのか、いないのか、の差だけで、本質的には同じ、虚構に過ぎないのではないか。とも思えてきます。 サイコスリラーであれば、彼女は悪として葬り去られるだけであったかもしれないけれど、この作品では、主人公すらも退場してしまった後で、彼女は一世一代の鬼気迫る演技を披露します。それを、周囲の者たちは痛々しく見守るのみ。その姿は、明日は我が身かも知れない。ここにいるのは警察官、ではなくって、警察官役の俳優さんだし、ねえ。 不気味さ、狂気、といったものを描きつつ、どこかシニカルなユーモアも感じさせてこのメタな作品を成立させ、演出の妙も、お見事。その上で、ハリウッドの残酷さ(ハリウッドだけではないだろうけれど)もしっかり、浮き彫りにしてみせます。[インターネット(字幕)] 8点(2025-05-04 11:21:46)
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4.  白い花びら 今回の趣向はモノクロ無声映画、ということで、カウリスマキ作品にしては、登場人物がわりと表情らしい表情を見せたりもしますが(特に最初の方の「幸せだった頃」の描写)、それにしても顔ぶれは相変わらずで、フィンランドには他に俳優がいないのか!と言いたくなったりも。 もっとも、そんな事言ってたら、かつでの日本のやくざ映画など、もっとひどかったんですけれども、しかしそれにしたって、もうちょっとそれらしい女優さんはいるでしょうに(失礼)。 という部分では、やはりこれはカウリスマキ作品。ちょっと戯画的。 農村で幸せに暮らす夫婦の平穏な生活が、そこにやってきた怪しいジジイのため、崩れ去ってしまう悲劇が描かれます。古き良きものが失われていく様、とも言えるでしょう。 ラストではあの優しかった夫が、オノを持って復讐に立ち上がる。『SISU/シス 不死身の男』ってな映画が最近ありましたけれど、フィンランドではオノとかツルハシとかが標準的な凶器なのでしょうか??? 無声映画ですが、やはり「歌」は落とせないようで、歌い手が歌う場面では音が取り入れられています。またいくつかのシーンでは効果音もあり。だけど基本はサイレント映画路線なので、ほとんどのシーンには音声のセリフの代わりに音楽が当てられており、この音楽が、なんとまあヒネていること。ここばかりはかつてのサイレント映画を模擬しておらず、やけにスパイシー。[インターネット(字幕)] 7点(2025-05-03 12:23:41)
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5.  バリスティック あまり評判のよろしくない映画、とは言え、私が書く前の段階で平均3.27点だなんて、まさか。。。 とは思っていなくって、まあ、そんなもんだろう、という気もします。問題点はたぶん色々あって、アクションが売りの割に、アクションシーンの演出がときどき妙にギクシャクしてしまう、ってのもあるのですが、それより何より、やはり一般受けするにはちょっと、「説明」が足りないのかな、と。 私はむしろその、あまり「説明」をしない部分が気に入っていて、多少のアラはあってもこの作品を推したくなるんですけどね。 実際、セリフを聞いていても、いよいよ状況説明ゼリフに突入するんだろうか、という寸前で、フイとはぐらかされてしまう。こういうのが、心憎い。説明するくらいなら、爆破する。こういうのが、楽しい。クルマをどうせ横転させるなら、2台同時に。こういのが、最高。 そんでもって、ルーシー・リューがなかなかカッコいいんですね。ちょっと意外、と言っちゃ失礼かもしれませんが。何を考えているかわからない(何も考えていない?)暗殺マシーンのような存在でありながら、例えば、誘拐した子供に食事を運ぶ場面で、檻の中から礼を言う子供に視線を投げかける場面などで、彼女の抱えている過去をかすかに感じさせたりもする。 という訳で、せっかく皆さんが下げた平均点を、申し訳ないけど、、、少しだけ上げちゃいます。[インターネット(字幕)] 8点(2025-05-03 09:56:00)
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6.  カメレオン 《ネタバレ》 もともとは松田優作主演を想定して書かれた脚本、とのことで(映画化にあたり改訂されたようですが)、そう聞いてしまうと、さて、これを村川透&松田優作で撮っていたらどうなっていたんだろう、と思っちゃたりもする訳で、そういう「比較されるリスク」を負っての、監督・阪本順治、主演・藤原竜也による、映画化。いや、この時点ですでに、比較しようという気持ちにもブレーキが掛かろう、ってもんですが。 結果的に、村川&優作路線に無理に似せようともせず、だからと言って無理に避けようともしなかったのが、この作品の良かった点じゃないでしょうか。いくら似ても似つかぬ藤原竜也を連れてこようが、どうしたって松田優作っぽい部分も出てくるし、遊戯シリーズほどではないにしてもついつい、長回しのアクションをやってしまう。ほどほどに「あの頃」を思わせながらも、ノスタルジーのみに留めることなく、藤原竜也版の「今」を、体を張って、見せてくれる。普段のあの、演技が過剰になりがちなところも、この作品では何とか、持ちこたえています。 危険なスタントも多く取り込まれ、階段から転落したり、あるいは階段を滑り降りたり。くれぐれもケガをされませんように。 束ねたマッチで炎を噴き上げるようにしてタバコに火をつける、そのヤサグレ感。 政治的なテーマを匂わせるようでいながら、ラストはちゃっかりファンタジーのようにはぐらかしてしまうノリも気が利いてて(あんな場所に主人公が潜り込める訳がないし)、楽しく拝見いたしました。松田優作がどうの、などと気にする必要もないと思う・・・のですが、それでも、水川あさみをヒロインに迎えた松田優作作品というものは、ちょっと見てみたかった気もします。。。[インターネット(邦画)] 7点(2025-05-03 08:35:15)
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7.  コレリ大尉のマンドリン 《ネタバレ》 まず映画開始から南欧の素晴らしい光景が広がって、ニコラス・ケイジはなかなか登場しないのですが、実際、この光景に、ニコラス・ケイジは不要でしょ、と。ペネロペ・クルスがいて、クリスチャン・ベールがいて、いっそこのまま『潮騒』でもやればいいのに。 などと言うのはもちろん本心ではなくって、それでも敢えて、この冒頭に似合わないニコラス・ケイジが登場するからこそ、物語が動き始めるのですが、とにかく、そんなこともふと思っちゃうくらいに素晴らしい光景を見せた時点で、この映画は成功ではないでしょうか・・・ ・・・と言いたかったのだけど。どうもこの作品、いささか表面的、という印象が拭えません。 一種の三角関係が描かれるのですが、どうもその描き方が無難過ぎ、というか。ニコラス・ケイジ演じるコレリ大尉という人は、こんなところまでわざわざマンドリンを担いでやってくる音楽好きで、どうやら、「だからいい人」らしい。んだけど、どういう訳でこの大尉にペネロペ・クルスが惹かれるんだかが、よくわからない。「いい人」には違いないけど、意外性がなく、「平凡」でもある。彼女の視線の描き方があれほど印象的であったのに、こんなに男を見る目が無かったのか。やけに出来レース的な恋愛で、しかも三角関係なんだからそれなりに修羅場になりそうなもんですが、これもやけに無難な描き方にとどまっています。こんな不完全燃焼に終わるのなら、いっそクリスチャン・ベールとペネロペ・クルスは兄妹という設定にでもしておけばよかったんじゃなかろうか。 この平和なギリシャの島も、第2次大戦ではイタリア軍に占領されたり、ドイツ軍に占領されたりしてたんだよ、ということで、知られざる歴史に光を当ててみせるのは、それはそれで大事なことだと思うんですが、詰め込み過ぎて表面的な描き方に終始したのでは、意味がない。この美しい村が戦争で破壊されていってしまう、という描写がキモとなるはずなのですが、そういう衝撃的であるはずのシーンですらあまり衝撃的になりえていないのは、やはり描き方が表面的なのでは。正直なところ、破壊を惜しんだり悲しんだりする気持ちが皆無とは言わないけれど、やっぱり破壊されるシーンがここで入るよなあ、という出来レース的な印象があるのも事実。 さらには戦後の場面で唐突に地震までが描かれるに至っては、これはもう、完全に消化不良を起こしてます。 で、蛇足とも言うべきラスト。もうここまで来ると、逆に面白くなってくる(笑)。 この映画。冒頭は良かったんだけとなあ。[インターネット(字幕)] 5点(2025-05-01 12:52:36)《改行有》

8.  真夜中の虹 《ネタバレ》 カウリスマキ作品の登場人物って、ただ「何だかツイてない人」としてそこに存在していて、この映画で描かれるまでの前半生、ってものを感じさせないですね。改めて語るまでもなく、きっと今までもこんな感じの人生だったんだろう、と。「以下同文」的な人生。 この作品の主人公も、まーロクな目にあわない、ツイてない。たぶん、ツイてないことに、自分でも気が付いていないんでしょう。 クルマを出した途端にガレージが崩壊して危機一髪、なんてのは、これはツイてたと言ってよいのかどうか。普通ならそもそも、こんな危機一髪に出喰わすこともまず無いのだけど。 女性と知り合っていい関係になってみたら、実は子持ちだった、というのは、これはどうですかね? ツイてる・ツイてない、一概には言えませんけれど、とにかく色々なことが起こるのです。70分余りという短い作品とは思えぬ盛り沢山の濃さ。 で、刑務所で知り合った男とともに脱獄して、一緒に銀行強盗やっちまって・・・という展開。ギャング映画か、はたまたヤクザ映画か。皮肉のきいたユーモアが作品にまぶされているとは言え、一応はこれ、深刻なお話なのでした。 強盗で金をかっぱらって車に飛び乗ろうとすると、案の定、お金の一部を落としてしまう。脚本通りなのか、本当にミスって落としたのか、そんなことはもうどうでも良くって、この人たちならきっとお金を落とすだろう、と妙に納得してしまう。で、そんなに慌てているにも関わらず、クルマはすぐにエンジンがかからない。やっぱりなあ、と。 なんとか国外逃亡の船に乗り込もうか、というところで映画は終わり、一応はハッピーエンド風だけど、もちろんこの先に幸せが待ち受けていると期待できるほど、現実は甘くない。甘くないけど、でもまあ、希望を胸に新たな親子三人が揃って、、、ということで、少し暖かい気持ちに。 ところで、例によってと言うか、他の作品でも引用されているチャイコフスキーの悲愴交響曲(『愛しのタチアナ』とか『浮き雲』とか)がここでも引用されていますが、それ以外に、ショスタコーヴィチも引用されていて(偽造パスポートを受け取ろうとする場面)、これがまさかの交響曲第9番(第2楽章ですね)。あの陽気そうな曲が、切り出し方によってはこんなシーンにマッチする、、、とは言えこの選曲、いったいどういう発想なんだか。。。[インターネット(字幕)] 8点(2025-04-30 16:50:47)《改行有》

9.  河内のオッサンの唄 私、生まれ育ちは河内と言っても「北河内」と言われるエリア、こういう本場モノには太刀打ちできず、ウチの方がナンボかお上品ざます、と思っているのですが、それでも何でも、子どもの頃、近所の盆踊りには必ず河内音頭が流れていて、たぶん、刷り込み入っちゃってます。 さてこの映画。ミス花子の同タイトルの歌にあやかって、適当にでっち上げられたような作品ですが、それでも何でも、面白いものは面白い。 主演はもちろん、川谷拓三。何がもちろんなんだかよくわからないけれど、これ以外のキャスティングは考えられません。新しいタイプのヒーローがここに誕生。ガサツで喧嘩っ早いんだけど、ちっとも強くない。ただし強くないと言ってもそれは腕っぷしのことであり、生命力という点では滅法、強い。この人たぶん、何されても死なないのでは。 そういう主人公を、これでもかと体を張って、過激に演じてみせる。川谷拓三という大部屋たたき上げ俳優の、真骨頂ですね。一方で、若き日の岩城滉一が、飄々としています。河内の原住民たちに交じった、異分子。 後半、舞台は東京へ。やくざ映画であれば、殴り込みをかけに敵地へと主人公が向かう場面で演歌調の主題歌が流れるところですが、この作品、人影のない薄明の東京の街に歩を進める主人公のバックに流れるは、もちろん、河内音頭。たぶん、ロケの都合上、人のいない明け方にでもゲリラ的に撮影したんじゃないのーとか思うのですが、それでも何でも、カッコいいものはカッコいい。東京の街に河内音頭が流れる、それだけでもう、充分ではないですか。それでも何でも。 ダサいって、素晴らしい。[インターネット(邦画)] 8点(2025-04-29 19:22:57)(良:1票) 《改行有》

10.  浮き雲(1996) 《ネタバレ》 これぞ、ペーソス。という作品。 地味な夫婦の、地味なお話ではあるのですが、夫婦そろって失業し、とにかくロクな事が無い。不運のお話を、淡々と描いていきますが、これが妙に可笑しく、可笑しい故になんとも言えぬ哀愁が漂っています。いかにもカウリスマキ作品らしく、登場人物はおしなべて無表情。不運で絶望的なのに、表情をはぎ取られてしまって、その想いを表出することもできない不自由さが、バカバカしくもあり、切なくもあります。この人たち、落ち込むことすらできないんだから、代わりに我々が落ち込んであげるしか、ないじゃないですか。 夫は職場で、仲間たちとともに、リストラの実施を宣言されます。手持無沙汰に並んだ職員たちの姿もどこか滑稽で、さらには解雇される者をカードで決めるなどという無茶が当たり前のように通ってしまうのも可笑しく、さらにはここで、上司がカードを扱う手捌きがムダに見事だったりするもんだから、さらに可笑しく、でも状況はもちろん笑いごとではない訳で、そのギャップが何だか、たまらない。 その後も、泣きたいような状況がひたすら続くのですが、彼らは決して泣かない。この状況にまるで関心がないかのごとく、淡々と不運が続いていきます。自分が悪いとか他人が悪いとかいうことも関係なく、強いて言えば「状況が悪い」んだろうけれど、それが当たり前の事のように、日常化されていて。 クライマックス(に相当するもの)は、何とか新装オープンにこぎつけたレストランに、お客さんが入るかどうか。これも淡々としていて、妙に可笑しい。開店直後は客が全く来ない閑古鳥状態、ああやっぱりダメだったかと思ったら、昼頃からだんだんお客さんが入り出して、とりあえず初日は大成功、というところで映画が終わります。静かなサスペンスの先に待つ、一種のハッピーエンド、ではあるのですが、およそ、ハッピーエンドとなるべき「根拠」は何もここには示されていないので、明日はどうなることやら。 悪い運が続けば、たまにはいいこともあるでしょ、と。希望があれば、それでいい。 相変わらず表情をはぎ取られたこの夫婦なのですが、ラストシーンで二人は、店の表に出て空を見上げ。なにせほぼ無表情なのでたいして嬉しそうでもないんだけど、二人の顔は光に明るく照らされている。 すみません、単純かもしれないけれど、こういうの、ホント切なくなるんですよね。[インターネット(字幕)] 9点(2025-04-29 07:22:22)《改行有》

11.  炎上 《ネタバレ》 今どきこのタイトルだと、他のコトを連想しかねない・・・面倒な時代になったもんです。実際、このページの上部を見ると「炎上の口コミ・評価まとめ」とか書いてるしなあ。 もちろん、そういう内容の映画ではなくって、三島由紀夫の「金閣寺」を元にした作品です。 原作を読んだのは中学か高校の頃で、あの頃はどういう訳か、純文学と呼ばれるもの以外は読んじゃダメだとかいう妙な思い込みがあり、要は必至で背伸びをしていたのですが、今振り返ると、あれはあれで悪い経験ではなかった、と思いつつ、いろいろと未消化のままになっちゃってるなあ、とも。 当時、途中までは主人公に肩入れして読んでいたものの、放火のくだりになって、急に飛躍したというか、ついていけなくなった記憶があります。私小説でも読むような読み方をしちゃってたんでしょうなあ。本は実家に置いたままになってて手元に無いのだけど、もし今の自分が読んだら、この小説について、そして自分自身の変化について、どう感じるんだろうか。 さて、その小説の、映画化。タイトルも舞台となる寺院の名前も変えられていて、さらに監督が市川崑なのである程度表面的な「金閣寺」になるのはやむを得ない(笑)のですが、小説の観念的な部分を無理に映像に置き換えようとはせず(映像のお遊び的なところは、別の意味で「観念的」だけど)、若手スターの雷蔵に敢えて地味な主人公の鬱屈を演じさせる、という、ある意味平凡な路線に落ち着かせたのは、これは正解だったのではないでしょうか。 今の感覚からすると、別に若手スターが意外な役作りをしたとて、それがどうしたの、ってなもんですが、まだまだ映画スターとの距離感が遠い時代ですしね。それに、歌舞伎時代の雷蔵の不遇から、彼の夭折までに思いを馳せると、この主人公像にも痛切なものを感じてしまう・・・というのは完全に後付けですが、でもやっぱり、この作品に対する雷蔵の意気込みには並々ならぬものがあったんだろう、と感じさせられます。 作品自体、この主人公に寄り添う形で描かれ、彼が憧れる「驟閣寺」との対比は、あまり強くは感じさせません。かなり薄れた原作の記憶の中で、妙に印象に残っているのが、主人公が金閣の模型を見る場面なのですが、これも映画には出てこない。言っちゃなんだけど、モノクロ映像だと正直、古びた寺院、でしかなく、それこそ、この寺院のモデルがキラキラの金閣なのかワビサビの銀閣なのかもよくわからん。。。ということで、主人公がなぜこの寺院にここまで惹かれるのか、映像的にはあまりピンと来ないのですが、彼の抱える屈託が前面に押し出されることで、間接的にアンビバレントな想いが描かれます。 モノクロ映像の強さが間違いなく発揮されるのは、クライマックスの炎上シーンでしょう。この力強さ。圧倒的です。終わり行くことの残酷さと、最後に輝く一瞬の美とが、ここには表れています。 やっぱり、雷蔵の人生と、どこか重なってしまう。 音楽は、後に「金閣寺」でオペラも書いている、黛敏郎。こちらは映画音楽とは言え、前衛手法に高い関心を持っていた時期であることも感じさせる部分があり、プリペアドピアノらしき響きも聞こえてきます。[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-04-27 08:29:00)
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12.  フォーエバー・パージ 《ネタバレ》 年に一度の“パージ”の一夜、その12時間だけはどんな悪事をはたらいても罪に問われない、ということなのですが、どの行為が正確に何時何分に行われたのか、アウトなのかセーフなのか、後から確定できる訳もなく、このルールはアカンでしょ、と思ってたら案の定、ルールが形骸化しちゃった、というこの第5作。モラル維持のために導入された劇薬とも言うべきパージ法が、かえってモラルの低下を招き、というかモラルを壊滅させ、パージ信奉者たちが終了時刻を過ぎてもパージを継続。収集がつかなくなったアメリカを後にして、隣国への国境を目指すサバイバルが描かれます。トランプ大統領の訴える「国境の壁」の、裏返し。 もともと、アメリカ社会の分断を描いていたのがこのパージ・シリーズですが、とうとう分断もここに極まって、今回描かれるのは、「危機からの脱出」どころか、「アメリカからの脱出」。もはや、諦めの境地、のような。 社会の分断を、ここまで徹底して二陣営間の対立として描くと、結局は、作品の賛否がそのまま社会の分断に輪をかけるだけ、だったりしないか、ちょっと心配になります。見たいもの、知りたいことだけ受け入れ、それ以外は駄作だとか偏向だとか言って拒絶する今の社会に、この作品は一石を投じることになるのか、それとも分断を批判することで分断を深める、自己撞着に陥るのか? ちなみに、私もこれまで、“駄作”なる言葉を全然使わなかったとは言いませんが、極力、使わないようにしています。ただ、思ったこと感じたことを書きはするけれど、ある映画が駄作かどうかを判断する力が自分にあるとは、思っていないので。 それはともかく。この作品では、パージが終わらない世界が、描かれます。パージの一夜が明けてもそれは本当の夜明けではない、もはや真の夜明けがやってくることのない世界。 昼間が舞台になり、メキシコ国境近くの荒野なども舞台になってくるのが、新趣向。閉塞感みたいなものはちょっと希薄。多彩な登場人物が織りなす逃亡劇、だけではなく、集団抗争劇っぽい内容にもなっています。長回し(あるいは長回し風?)の演出もあったりして、緊迫感も充分。 先住民の長老っぽい人物も出てきたりして、西部劇の世界を逆サイドから描いたような要素も。 結局、アメリカを突き放すように終わってしまいましたが、トランプ政権が復活した今、パージシリーズも、復活するのか、どうか。[インターネット(字幕)] 7点(2025-04-26 19:14:03)《改行有》

13.  座頭市牢破り 冒頭、カメラが水平に移動してくると座頭市の姿を捉え、その後で「勝プロダクション第一回作品」のテロップ。この冒頭の座頭市が例によって、スルメだか何だかをガシガシ食っており、やっぱり座頭市って――というより勝新太郎という人には――健啖家のイメージがありますね。大胆不敵な生命力、みたいなもの。これを、映画の画面に叩きつけてみせる。 これも例によって、タイトルの「牢破り」の意味はわかりませんけれども(誰がタイトル決めてるんだろう?)、監督が山本薩夫。社会派の印象が強いですが、『忍びの者』なんかでアクション作品もこなしてますしね。 監督が効いたのか、勝プロ第一回の意気込みが効いたのか、一筋縄ではいかないヒネった作品になっています。座頭市が反省を迫られる展開。前半の座頭市は、「世の中の役に立たないヤツは大嫌い。大嫌いなヤツは殺さなくちゃ気が済まない」などと嘯いている。 そういや話は飛びますけど、『トゥルーライズ』という作品は、キャメロン監督が明らかに軽薄さを意識して作っており、『ターミネーター2』で忌むべきものとして描いた核兵器を敢えてオチャラケ風に扱っているのもそうだけど、シュワ演じる「平凡なパパ」が、今までに殺したのは悪いヤツだけだ、などとすまして言ってのけるのも、スパイ映画の類型的な軽薄さを軽薄なまま楽しみましょうよ、というノリ。 ここでの我らが座頭市、もちろんそういうパロディ的な扱いではないですが、類型的なヒットマンの側面を持った存在として描かれています。いざとなれば平気で人の命を奪う冷酷さを持った、死神のごとき側面。しかし、人を斬り命を奪えば、そこには悲しみが生まれ、残された者の人生を狂わせてしまう、という現実を、座頭市は突きつけられる。 敵役はあのふてぶてしい表情でお馴染みの遠藤辰雄・・・と思ったら話はそう単純ではなく、西村晃に三國連太郎、それを上回る曲者たちが登場して物語は錯綜し、根深い悪が描かれます。 一方で、農民たちの描かれ方を見ていると、映像のタッチは異なるとは言え黒澤映画なんかも思い出したりするのですが、そうすると『七人の侍』を彷彿とさせる豪雨の中の殺陣が展開されたりも。 この作品、音楽がやたら荘重で、こちらも気合い入ってます。が、クライマックスで流れる音楽はこれ、「カルミナ・ブラーナ」のパロディですね? ちょっと意外な。。。[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-04-20 09:07:29)《改行有》

14.  劇場版「進撃の巨人」Season2 覚醒の咆哮 停滞感、甚だしく・・・。 別に、巨人の正体が誰だとか、作品が描く世界にどんな秘密があるとか、そんなことを知りたいがために見てるわけじゃないし。 例えばミステリを読んでいる時って、早く真相を知りたいと思いつつも、「最後まで真相を知りたくない」という思いも持っていて、「ページをめくればそこに真相があるのに、マヌケにもまだページをめくっていない自分の今の状態」ってのが、実は一番楽しい点なのかも知れませぬ。そして、そう思わせてくれるだけの魅力を備えた謎がそこにあればありがたいけれど、重要なのは、謎の見せ方、語り方。手品だって、トリックが高度かどうかは関係なく、見た目の不思議さを楽しむのです。 なーんか、Season2になって、いやもっと前からか、新たな巨人を登場させては謎がどうの正体がどうのと、ひたすらマッチポンプ。正直、あまり興味も湧いてこない。同じことの繰り返し。なんだか、キャラを登場させては浪費していってるような、物語運び。 アクションシーンも変わりばえせず、既視感あり。静止画を交えてくるのも何だかベタな印象。森を登場させたのだから、森ならではの「何か」をやって欲しかった。 とは言っても、さすがに実写版より悪い点つけたらあかんかなー、しかし実写版に何を書いたかまるで記憶なし、、、と思ったら、現時点でまだ何も書いてなかった(書けなかったらしい。ははは)。ので、そこはあまり気にせず。[CS・衛星(邦画)] 3点(2025-04-20 07:36:35)《改行有》

15.  名探偵コナン 純黒の悪夢 ↓いやホント、私もアムロとシャアが会話しているようにしか聞こえませんでした。これ、絶対わざとやってますよね。シャアの喋り方そのもの。 ちょいとコナン映画の興行収入ランキングみたいなのを調べて見ると、前年の『業火の向日葵』に大きく水を開ける大ヒット、このあたりから毎年春の興行の話題をかっさらっていくオバケシリーズになったような。 冒頭のカーチェイスからして、完全にアクション路線に振り切っており、ミステリらしい不可能興味だの意外な犯人だのといった要素は皆無。コナンに「オレの推理が正しければ・・・」なんていうセリフをあえてしゃべらせているのは、曲がりなりにも「名探偵」をタイトルに背負った矜持かもしれないけれど、いやそれ、推理じゃなくって単なる想像でしょう、と。 CG多用でアクションやスペクタクルが緻密に描きこまれ、別に悪い意味ではなく「ウケる」作品になっております。ただ、こうなってくるとだんだん、これがコナン映画でなきゃいけない理由がよくわからなくなってくる。いくら手の込んだ作品にしようと、テレビ版のイメージを崩すところまでは改変できないだろうから、自ずとアニメーション描写の制約にもなるし、結局ストーリーの方も、これまでの経緯に寄りかかったようなものになって新味が無く。まあ、ハリウッドの超大作SFシリーズにありがちな「毎回、誰なんだかサッパリわからん新たな敵が登場しては、今度こそ地球の危機だと騒ぐ」ってのもどうかとは思いますけれども。 肝心のスペクタクルシーンで、観覧車が貸し切り状態として描かれるのも、パニック感を削いで今ひとつ・・・とか思っちゃうのですが、これも、あくまでコナン映画なんだからこんなもんでしょ、ということなんですかね。 舞台としてわざわざ水族館を設定しているのに、魚を描かないのも、なんか、もったいない気がしちゃうんですけど、そんなことコナン映画に誰も期待していない???[地上波(邦画)] 4点(2025-04-20 06:40:36)《改行有》

16.  ノー・セインツ 報復の果て 《ネタバレ》 アクションシーンがただただゴチャゴチャしていて全くうまく撮られておらず、もちろんこれは本当にヘタなのではなくって意識的な演出なのだろうとは思う(思いたい)のですが、でもやっぱりアカンでしょ。これでは。 というこの一点で、いくら減点されてもしょうがないと思う一方、それでもなお、この作品には無視できないもの、心を惹かれるものが、あります。 元殺し屋の主人公が、誘拐された息子を救うために再び暴力の世界に身を投じていく物語。主人公にはイエス・キリストのイメージが重ねられている……と言うにはあまりにやっている事がかけ離れていて、他の人々の原罪を背負って磔刑に臨んだイエスとは逆に、この主人公は行動すべてが凄惨な暴力へと繋がり、罪を作り出してしまう。いわば人類の原罪そのもののような存在。そういう意味では、作品の背景にイエスの存在というものがあったとしても、それを真逆から、裏返しに描いたような主人公像となっています。原題はThere Are No Saints. 聖人などいない。 その息子というのがこれまた、イヤミなほどの美少年で、どうしてまたこんなムサい親父にこんな息子が?などと人を見た目で判断してはイカンのだろうけれど、無垢のイメージが強く感じられます。 息子の行方を追い、助け出すためには手段を選ばない主人公。行く先々で、血の雨が降る。息子を救うためとは言え、本人のこれまでの荒んだ半生が招いた事態でもある訳で、過去の暴力が新たな暴力の連鎖を生み続ける無間地獄のような世界が描かれています。 で、その終着点に待ち受けている、悪の権化のような男。ロン・パールマン演じるこの男は、まるで中村文則氏のいくつかの小説に登場する悪そのものを体現したような怪人物(「掏摸」「王国」の木崎とか、「悪と仮面のルール」の久喜幹彦とか、「教団X」の沢渡とか)を彷彿とさせます。もはやそこには悪意すらない、形而上学的な純粋の悪。その存在がロン・パールマンの姿をもって、我々の眼前に現れる。 クライマックスにおけるこの圧倒的な絶望感たるや、作品に瑕疵はあってもやはり、無視できんなあ、と思うのです。[インターネット(字幕)] 8点(2025-04-13 08:40:20)《改行有》

17.  打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(2017) 『打ち上げ花火、~』、アニメから見るか? 実写から見るか? 実写の方が先行作品であることは言わずもがな、ですが、もしかしたらアニメを先に見た方が、ストレスがナンボか少ないかも―――どうしても両方見ないといけない、ということであるならば。 実写版における、奥菜恵の「掃き溜めに鶴」感も、なかなかにエキセントリックなものがある一方で、アニメの方はというと、こちらは逆にだいぶ丸め込まれた感じ。登場人物の年齢層が上げられ、それと同時に登場人物たちの個性も薄まってしまって。いかにも「今どきのアニメです」という描き方が、だいぶ裏目に出ている印象。かえって違和感が。 一応、設定は中学生ということらしいけれど、正直、この描き方では高校生にしか見えない。主人公の身長を低めに描いているのが「中学生です」というアピールなのか、でも見えないものは見えないんだから仕方がない。大人びた格好をすれば「16歳くらいに見える」というセリフも、まるでピンと来ず。 男子どもはどうかと言うと、会話の内容のレベルが、小学生という設定だったからこそ成立していた訳で、これも何だかチグハグ。 どうしてこんな中途半端な改変をしてしまったのか?  と言ったあたりは、ひとまず置いとくとしても。 アニメーションのクオリティは、そりゃまあ間違いなく(かつてのテレビアニメなんかよりは)上がっているんですが、どうしても、ところどころで薄味に感じてしまう部分があります。もっと細かい描写が必要なんでは。例えば自転車で二人乗りする場面とか、この程度の表面的な描写でいいんだろうか? むやみにCGを取り入れ、メカニックな動きをしつこいくらい見せるのも、何だか味気ない。あえて強調しているんでしょうが、違和感ばかりが残ります。 実写ドラマをわざわざそのまんま再現したかのようなシーンもあったりして。これもまた愛嬌・・・というのを超えて、なんだかわざとらしい。 別に実写版に特に思い入れがある訳でも何でもないんですが(あれはテレビドラマでしょ、と思っちゃうし、テレビドラマは正直、苦手)、何がやりたくてのアニメ化なのか、どうもよくわからないのでした。[地上波(邦画)] 3点(2025-04-12 14:10:27)《改行有》

18.  ヤング・ブラッド よくわからん邦題ですが、原題は『The Musketeer』なので、三銃士・・・いや、単数形なので、これはダルタニアン1人のことを指してるんですね。実際、三銃士たるアトス、ポルトス、アラミスはあまり目立たず、やはりというか何と言うか、ダルタニアンと三人との出逢いのエピソード(3人それぞれとモメて、それぞれと決闘の約束をする)なども描かれず。 なにせ、原作がクソ長くって、とは言ってもこれでもダルタニアン譚の一部にしか過ぎないのですが(私も角川で「三銃士」と「仮面の男」を読んだのみなのだけど)、それでも長い。というか、話があっちこっちに行ってしまって、もしかして作者のデュマ自身、自分が何書いてるのかわからなくなっちゃってるんじゃなかろうか、と不安になってくるほど。それでもちゃんとお話が完結するのだから、さすが!と妙に感心してしまいます。小説が終わるのは当たり前っちゃあ当たり前なんですが、でも世の中、著者が完結させ切れずに未完に終わる小説ってのもありますからね。 で、この『ヤング・ブラッド』ですが、かなり原作を端折ってすっきりさせており、しかしそれにも関わらずやたらゴチャゴチャしているという謎の怪作。かつてと異なり、今回もピーター・ハイアムズ監督は脚本を自分で書いておらず、たぶん、ストーリー自体にほぼ関心を持っていなさそうな。 とにかく、物語の方はどうも要領を得ないのですが、映像の方はいちいち、バッチリとキメて見せる。その点ではとても良い映画だとは思いますよ。監督の関心もそちらにばかり向かっているような気がして、しょうがない。 アクションはどういう訳かカンフー仕立て、見るからにこれ、ワンチャイそのまんまでしょう、というシーンも登場します。スピーディなのはいいけれど、なんとなくチグハグ。 印象としては、画をあまり動かさずにじっくり撮りたい監督と、その一方、やみくもに動き回るアクション、その両者に挟まれて息苦しそうに何とかかんとか進行するストーリー。といった感じ。 あまり成功した作品のように思えないのですが、、、こういうチグハグさもまた、ハイアムズ作品の魅力、ということで。[インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 04:56:38)《改行有》

19.  名探偵コナン 天国へのカウントダウン 《ネタバレ》 ウチの子供(大学生)の話では、高校の物理の時間に、この作品の終盤だけを見せられた、とのこと。私はずっと「高校物理の力学を勉強するのなら、綾辻行人の『殺人方程式』を読みなはれ」と言ってたんですけどねー。とにかく、楽しんで勉強できれば、それが何より。 劇場版コナン、第5作ですか。前作の『瞳の中の暗殺者』と比べると明らかにアニメーションの緻密さが上がってますね。手が込んでます。背景の人物が全く動かないなどのリミテッドアニメ風の部分は多々見られますが、陰影の描写は細かくなり、髪が風に揺れる描写なんかも目を引きます。一部のシーンでCGも活用。 劇場版コナンのお約束、と言ってよいかどうか、例によってミステリよりも活劇への指向が強くはあるのですが、トリックや論理性のところは弱くとも、フーダニットないしホワイダニットの面では、バカミス寸前の「ちょっといい味」、出してるんじゃないでしょうか。 活劇の面で言うと、パーティ会場、ヘリポート、展望エレベータ(すぐ横で爆発!)、、、と明らかに『タワーリング・インフェルノ』が意識されていて、ウチの子供も「既視感しかない」と笑っているのですが、さらにホースでダイブ、という露骨な『ダイ・ハード』。でもって、ツインタワー? 自動車? そりゃ『ブラックライダー』じゃないのかよ、と思ってたら(ワイスピSKY MISSIONよりは先だけど)、さらにそこに『ルーキー』風味が加わるという、、、 さすがにここまでくると、単に「引用」とか「オマージュ」とか言うレベルを超えていて、ちょっと気が引けてきてしまうんですけどね。 でもまあ、盛り上がりには事欠かないし、イヤミにならない程度にうまく仕込まれた伏線も、物語のまとまりに貢献しています。いいんじゃないですか。力学の勉強にもなるし。 顔写真を撮ったら10年後の顔を予想する、という装置が出てきて、阿笠博士の10年後が今と全然変わらん、とか言ってイジられてるんですけど、いえいえ、アンタたちだって、10年後も20年後も、小学生のままですよ。[地上波(邦画)] 6点(2025-04-06 08:35:08)《改行有》

20.  ネゴシエーター 《ネタバレ》 『交渉人』という作品と『ネゴシエーター』という作品があってややこしいけれど、交渉するのが『交渉人』、しないのが『ネゴシエーター』という、とりあえずの覚え方。 とは言え、ごめん、正直、路面電車のアクションがスゴかったよなあ、という点以外は何も印象に残っておらず、久しぶりに改めて見ながら、やっぱり路面電車スゴいなあ、とテンション上がっちゃいました。いったいどれだけ下り坂が続くのやら。 しかしこれは全然記憶に無かったんですけど、こんなに雨のシーンが多い映画だったとは。「雨のシーンを入れる」というひと手間が、見る側としては嬉しかったりもするのですが、こうやってやたらと雨を降らせるのも、何だかよくわからなくなってきます。1998年の『GODZILLA』で雨が降ってたのは、もしかするとCGの都合もあったのかもしれないけれど、雰囲気の面でもそれなりに納得するものがありましたが。。。 雨の暗さでもって、エディ・マーフィの陽気さと対比しようとしたのか、中和しようとしたのか。納得感以前に、そもそもこの主演はエディ・マーフィで良かったんだろうか?とも思えてきます。ここはやはりウェズリー・スナイプス、、、ではちょっとベタ過ぎますかね。いや、エディ・マーフィも今回は「お調子者」ぶりを控えめにして、持ち前の軽妙さは残しつつシリアスな演技にも挑戦しています。チグハグ感は否めないですけどね。でも、まあ、頑張ってます。もともと、アクション俳優としてのキレのよい身のこなしは、持ってますしね。 犯人側が何かとモタついたり(自分だけ刃物を持ち、相手の不意をついておきながらなお、女性を仕留められないって・・・)、相棒がイマイチ魅力なかったり(終盤、隠密行動なのに「今から狙撃します」という目立つ服装をしているのは、ちょっと愛嬌ありますけどね。笑)、キャラの弱さに関してマイナス要素もありますけれども、それが互いにちょうどバランスが取れたのか、中盤の路面電車だけでなくクライマックスの港の対決も、なかなか盛り上がります。 小気味よさに、派手なアクション。悪くないんじゃないでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-04-06 06:46:36)《改行有》

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