みんなのシネマレビュー |
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2. ケイコ 目を澄ませて 《ネタバレ》 主人公が聴覚障害で話さないので、こっちも観ながらずっと「感じよう」とする。岸井ゆきのが複雑な感情を複雑な表情で表現していた。 ジムの会長の事を本当に信頼していて、でも閉めちゃうから辛くて、納得いかなくて、もがいてる感じが良かった。 自分の居場所がなくなる。単に環境が変わるだけではなくて、自分の存在の危機まで感じる。 いつも不機嫌で投げやりな感じだけど、日記には真面目な所がうかがえて微笑ましい。 ケイコはハンディキャップにも負けず、ボクシングして、プロにもなって、自立してて、周りの人から「強い人間」と思われてるけど、全然強くなんかない、普通の女の子。 実際はあの小さな体に、言葉にできない不安や孤独や、誰かにすがりたいという気持ちが詰まっているんだ。でもそれを表現して、周りのイメージを覆す術を知らないから、とにかく戦うしかないって思ってるのが切ない。 そしてコロナ禍であったという状況。 ケイコのような人たちは私たち以上に苦労してたんだなという事を、この作品を通して初めて知った。 コロナ禍でマスク。思えば嫌な時期だった。耳が聞こえててもマスク越しの接客など、お客様と店員とのやり取りは難しく、誤解を招いたり、声が聞き取りにくく互いの笑顔は伝わらない。気まずい空気が流れ、それこそ孤独感、閉塞感を生み出してしまった。まさに人と人との関係を断ち切るような孤独な時間だったなって、今振り返ると辛かった想いが蘇る。 だから本作があの時代を背景にしたことは、単なる時代設定じゃなくて、人と繋がることの難しさをより一層表していたんだと思う。 分かってもらえないもどかしさ、家族との距離、何かを辞めざるを得ない時の喪失感などがコロナ禍という現実と重なる。 ラストシーン、試合に負けた相手が挨拶してきて、ケイコがすごく複雑な表情をしていたが、あれは、こんな気持ちだろうな、と読み取るより、そのまま「複雑な気持ち」だったんだろう。悔しさ、納得、敬意、混乱、そして少しの清々しさみkたいな、まさに感情のハイブリッド。 みんなが抱える複雑な感情。セリフがない分、それが何だか伝わってきた。[インターネット(邦画)] 7点(2025-07-10 15:49:40)《改行有》 3. DUNE デューン/砂の惑星(2021) 《ネタバレ》 世界観は凄い。そこはほんと、スターウォーズとナウシカだった。不穏感を漂わせる重低音なんかもすごく良い。 ただSFなのにサスペンスタッチを重視し過ぎで、テンポは悪かった。 ラストまで観てやっとフレメンと接触したと思ったら、まだ始まったばかりよ、って言って終わるので、ズッコケた。1は序章なのは分かるが、もうちょっとダイジェストみたいにしてもいいからそのまま2のストーリーを1で出来たのではないだろうか。 覚えにくい固有名詞が多く、調べながら一時停止させながら見たこともあり、それは私の見方のせいなのだが(笑)、更にテンポを悪くさせた。 主人公ポールの母親が始終情緒不安定なのもさっぱりしない。テンポよく痛快なエンタメとしてのSFを観たかった。 そこでやっぱりスターウォーズの功績の大きさを改めて感じる。確かにSWも初めて見た時は謎のワードに悩まされた記憶もあるが。 だからこう考えることにした。ポールはルーク、母はオビワン、ベニゲセリットはジェダイ、教母様はヨーダ、スパイスはフォース、ダンカンはハンソロ、フレメンはタスケンレーダー、ハルコンネン男爵はパルパティーン・・・。そして2を観ようと思う。2にはジャワやイオーク、スノークなんかも出てくるだろうか。[インターネット(字幕)] 5点(2025-07-07 14:58:35)《改行有》 4. 別離(2011) 《ネタバレ》 胸糞悪いはずの夫婦げんかが、どちらにも共感できるし、どちらにも非があるようで、目が離せない。 シミン(妻)は子どものためにイランを離れて外国に移住したい。ナデル(夫)はアルツハイマーの父が居るから無理だと言う。だったら離婚よ、と言うシミン。勝手にしろ、と言うナデル。シミンは夫も一緒に外国に行くなら離婚はしないと言うけど、じゃあおじいちゃんをどうするつもりなんだろう。この時点ではナデルに共感する。 ナデルは娘より父を選んだわけではなく、娘に対してもとても良いパパだ。社会の事も教えてくれるし、教育にも熱心だ。一緒に遊んでもくれる。ママが戻ってくれば何の問題もないような家族のように思える。 アルツハイマーのおじいちゃんは、事あるごとに「シミン、シミンは?」と言って、出て行くシミンの手を握って離さない。このシーンで、シミンは義父の介護に疲れてしまっていたのだなと分かる。これでシミンにも共感してしまうのだ。 ナデルは強くて、冷静で、ブレなくて、父親想い。おじいちゃんの身体を拭いてあげてる時のすすり泣きは、強いはずのナデルが実は辛い思いを抱え、我慢して表に出さないだけの優しい男だと知ることになる。父を施設に預けたくない、妻には出て行ってほしくない、でも自分はどうにもできない。 そこで事件が起こる。 ナデルはシミンの事を「弱い人」だと言う。確かに弱い。さっさとお金を払えば真実なんか求めなくていいとして逃げる。義父からもイランからも逃げる。しかし逃げることを選ぶのは実は強さかもしれない。現代社会では必要とされる生きる知恵だ。 皮肉にも、真実を求めない彼女が、誰よりも早く真実を知ることになる。 真実を認めることで不幸になる者、真実を打ち明けられ無実を勝ち取ったとしても防げない不幸を抱えるだけの者。誰も幸せにしない真実。誰かを守るための嘘。 真実を求め、正義をつかむための嘘は、正義なのだろうか。しかしこの国ではコーランに誓って嘘をつけない。 娘テルメーがずっと可哀そうだった。最後の選択は? エンドロールが二人の仲を分かつように流れるが、それが天の川のようにも見え、もしかしたらよりを戻す可能性もあるのでは?という余韻も感じてしまったのだが、どうだろう。[インターネット(字幕)] 8点(2025-07-04 11:49:15)《改行有》 5. さらば、わが愛/覇王別姫 評価が高く、最近の「国宝」で観た世界観と似ているのかなと比較しようと観てみたのだが、中国の近代史が絡み、自分の不勉強もあって、純粋な良さがストレートには伝わってこなかった。 時代の変遷、京劇の世界に全てを捧げ、現実の世界との境界が曖昧になる主人公、みたいなのは分かるのだけど、それだとありきたりだし、中国の歴史に詳しくないから、突然の粛清や裏切りなどは、?!、となり、いちいち感情移入が難しい。 時代の仕業とは言え、蝶衣も小楼も菊仙も互いを醜く罵り合う。そこには友情や愛情が確かに存在していたはずなのに、最期までそれが分かりにくくてもやっとする。 題材は絶対面白い世界観なので、誰かもう少しわかりやすくリメイクしてくれないだろうか。人物の感情の複雑さを残しつつ丁寧に、歴史の知識が無くても「そういう時代だったのか」と自然に分かるように、誰が誰をどんな風に愛していたのかちゃんと伝わってくるような、そんな感じだと嬉しい。[インターネット(字幕)] 6点(2025-06-30 14:07:34)《改行有》 6. リロ&スティッチ(2002) 《ネタバレ》 「子供向け」の皮をかぶった「子育て世代向け」作品だった。ディズニーよ、親にも寄り添うぞって姿勢が見え見えだぞ(笑)。 まさに子育て教本。赤ちゃんはみんなこんなもん、破壊王。親や兄弟、周りの大人たちと関わることで社会性が生まれ、大自然やいい音楽や、小さな動物なんかと触れ合う事で豊かな心が育つ。 本作は「性悪説」を採用している。「性善説」ではない。生まれた瞬間から破壊プログラムを搭載された存在のスティッチ。感情も倫理もほぼ無い。悪がいかに善になるか、悪をいかに善に導くか、これが世の仕組みとなる。 この作品を観て、子どもたちはスティッチかわいい!となり、子育て世代が見たら勇気をもらえる。私も子育て中にこのような映画を鑑賞する余裕があったら良かったのに、と思うと同時に、今この作品の意義を受け取ることが出来たのは、年月の積み重ねあってこそであろう。 我が子としてこの世に生まれた子どもを、「いい子に育てる」という使命感ももちろんあっていいが、その前に「共に育っていく」という視点が温かい。 スティッチを見守る保護者はたくさんいた。元々は適役のエイリアン二人や、児童福祉局(実はCIA)のバブルスなど、最終的にみんなが保護者の内の一人になっていくのが良かった。[インターネット(字幕)] 7点(2025-06-26 14:57:23)《改行有》 7. 架空OL日記 《ネタバレ》 ずーっと日常なんだけど、常にニヤニヤして観ちゃう、やっぱりバカリさんの脚本が絶妙。 ドラマ版はちょっとだけ見たことがあったが、ほぼ素のバカリさんがちゃっかりスカートはいてOLやってて、周りの女子たちが何の疑問も持たずにそれを受け入れ、日常会話を繰り広げているのがシュールで、コントみたいだなと思った。 そして本作は劇場版。相変わらずゆるゆるで、これ改めて映画にする必要性はあったのかなと考えてしまう瞬間も正直あったが、最後まで見て、これか!となる。そして同時にとても寂しくなる。 ただただその日常が続くと思っていたら、確かにそれは続くのだが、映画版ではひとつの区切りとして印象的な余韻を残すという大技に出た。 確かに最初から「架空」と言っている。その言葉をあまり深く考えないで気楽に観ていたら、この世界の真実を突き付けられた。 亡くなったわけでもなく、元々いない人だったんだけど、なんだろうこの喪失感。 そして観終わって生まれたこの喪失感によって、ある事に気づいた。 「私たちに必要なのは真実じゃない。矛先だ。」 劇中に何度か出てくるセリフだが、これは昨今のSNSが繰り広げていることでもあり、バカリズムがこの架空の世界を構築し、深淵を覗くかのように言った言葉だったんじゃないかな、なんて・・・。でもここは笑い飛ばしながら、ちょっとだけ戒めとしてチクリと胸に刺さしておこうと思う。 更にこの喪失感は、寂しさだけでなく温かい友情の残像でもあった。 ドラマ版をちゃんと見直そうと思う。順序は間違いなく逆だが。[インターネット(邦画)] 8点(2025-06-20 12:36:24)《改行有》 8. 国宝(2025) 《ネタバレ》 歌舞伎のことなんて、実は全然わからない。でもこの映画を観て、私はただ、心の中で「すごかった…」と呟いてしまった。 それだけで充分じゃないかと思えるほど、見せ場の連続だった。 吉沢亮と横浜流星、二人の舞踊シーンがとにかく圧巻。 『藤娘』『二人道成寺』、そして『曽根崎心中』では二通りの演じ分けがあり、ラストは吉沢亮一人による『鷺娘』。 もう、観ているこっちが力みすぎて疲れちゃうくらい、ものすごい気迫だった。 ラストの『鷺娘』は、演目の意味など知らなくても、力強く、自分の運命を噛み締めるような、そしてこれまでの人生を振り返り嘲笑うような舞にも見えた。 田中泯演じる万菊お姉さん(最高!)が俊ボン(横浜流星)に向かって言った言葉、「あなた、舞台を憎んでるでしょ。それでいいの。」 このセリフが胸に残る。 俊ボンにかけられた言葉だったけど、実はその奥にいた喜久雄(吉沢亮)に向けられたものだったのだろう。 舞台に生き、舞台に喰われる。そのどうしようもなさを知っている人間だからこそ言えるセリフだったと思う。 喜久雄と俊ボンの関係。 血筋に嫉妬する喜久ボンと、芸に嫉妬する俊ボン。 二人は最初からライバルなのだが、それでも憎しみ合うことなく、最後まで信頼し合っていたところが今風で、とても美しかった。すごく爽やかなスポ根だ。 汗と涙と努力の世界。そこに嫉妬や屈辱もあるけど、根っこにあるのは敬意と愛。だから常に温かい。 喜久雄が地方のどさ回りで観客から「このニセモノ!」と罵倒されるシーンがある。それが胸に突き刺さった。きっと彼自身が、ずっと自分のことをそう思っていたんじゃないかな。 血筋を持たない自分はニセモノ。 女形なのに女じゃない、自分はニセモノ。 子供がいても父親ではない。 一体自分は何者なんだ?そうだ、ニセモノだ! そう思ったら少し楽になる。 『鷺娘』はニセモノとして生き抜いた男の、魂の証明のように見えた。偽物だろうと、血筋がなかろうと、魂を削り、自分を閉じ込め、命懸けで演じる姿に観衆は喝采を浴びせる。 しかし役者としての体をほどいて己に戻った時、この喝采と祝祭は幻になってしまうのだろう。 何とも辛い生き様だが、そこに後悔は無い。 父親が殺された時の雪が散らつく景色、それが喜久雄の心象風景。全てはそこから始まり、それが全てなのだから。[映画館(邦画)] 9点(2025-06-15 15:10:55)《改行有》 9. トップガン マーヴェリック 《ネタバレ》 まさに「興奮冷めやらぬ」作品だった。 トムクルーズがカッコいいのはもちろんなのだけど、この作品が凄いのは、そのカッコ良さをどう引き出すかに全力な所。前作と同じ構成のオープニングやカット割り、バイクと夕陽、相変わらずのフライトジャケット、ノスタルジックな「Top Gun Anthem」。ときめきポイント炸裂なのである。 マーヴェリックは確かに老いた。それは否定できない。オリジナル版から30年以上も経過しているのだから。若い生徒たちと比べるとどうしても老兵感が出ているんだけど、実力で全然負けてない。誰よりも速く、誰よりも熱い。誰よりも空を知っていたし、自分はまだ飛べるという確信があった。その姿に完全に痺れてしまった。黙って、実力で黙らせるこのカッコ良さ、まさにトム・クルーズ本人と重なる。 訓練やミッションは、前作よりわかりやすく描かれている。だからこそ観ている側も一緒に心拍数が上がる。分かりやすさがより一層スリルを生んだのだろう。 そして一番の胸熱ポイントは、ミッションで死んだと思われたマーヴェリックが、何とあのF14(前作の主役機)で帰還したところだ。しかもあのグースの息子ルースターと共に。まさに帰って来たー!!ってなった。 ミッションを通して和解したマーヴェリックとルースター。二人の関係は父子のようであり師弟であり、またグースとマーヴェリックの再来に見えた。 単なる続編ではなく、過去への贖罪と未来への継承が同時に流れていた。 前作のラストシーンで本物になったアイスマンとの友情が、そのまま続いていたこともうれしかった。 歳月を越えて繋がる友情が熱く、まるでトムクルーズとヴァルキルマーと重なり、36年も経った今こんなに有難いものを見せてくれるなんて。素晴らしい作品をありがとう、としか言いようがない。[映画館(字幕)] 10点(2025-06-11 16:47:36)(良:2票) 《改行有》 10. ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期 《ネタバレ》 相変わらず1と2を見事に踏襲した形式美は、繰り返されるファミリーの運命を感じさせ、ファンとしてはとても嬉しい。 ストーリーは今度は、実在したバチカン銀行とマフィアのスキャンダルにマイケルを大きく関わらせ、謎の死を遂げたヨハネパウロ1世の前で懺悔し涙を流すマイケルも印象的で大胆な話だ。 昔のようにギラギラしたところは失せ、度々ジョークも言うし、娘を前にすれば目尻を下げた優しいパパだ。そりゃあ先代ヴィトーの歳と並んだのだから。時はこの世界でも確実に流れていた。 マイケルコルレオーネという男は、ニューヨークマフィアの最強ボスとして上りつめたが、本当は優しくて責任感の強い真面目な男だ。真珠湾攻撃を機に海軍に志願した過去もある。その優しさと熱さゆえに家族の絆、血の結束を放棄することが出来なかった。家族のためにはなんだってやった。その結果が、本作で終結する。これを涙無くして観ることはできない。 彼の人生は何だったのだろうか。 最期はシチリアの地で懺悔の人生を終えたのだろう。彼の心は救済されたのだろうか。 妻ケイはあの後、きっとシチリアを忌み恐れ、二度と足を踏み入れなかったのではないだろうかと想像する。 1はバイオレンスアクション、2は歴史、3はオペラで締めた。シリーズ通してまさにコルレオーネ家の100年の歴史を描いた壮大なマフィアオペラが幕を閉じた。[インターネット(字幕)] 9点(2025-06-02 12:41:41)《改行有》 11. シェイプ・オブ・ウォーター 《ネタバレ》 パンズラビリンスが好きだったのと、アカデミー賞4部門受賞した作品という事もあり、遅くなってしまったがかなり期待して鑑賞したのだが、想像したものよりは、浅いかなと思った。 声を発することが出来ないヒロインと半魚人が出会い、ゆで卵と音楽だけで急激に距離を縮める。「彼は私の欠点を知らずに受け入れてくれた。」相互理解に言葉は必要ない、だからそこのプロセスは至ってシンプルだ。 そしてマイノリティとかダイバーシティとか流行りの心的傾向を持ち出したかと思ったら、さほど大きく刺さるものもなく、そこは雰囲気なんだよという姿勢だとしても物足りなさを感じる。 ハードボイルド風なソ連のスパイや、憎たらしいけど中間管理職みたいな悪役は中途半端。マイケルシャノンは好演だったと思うが。 半魚人はグロテスクでどこか哀愁漂う、ちょっと仮面ライダーアマゾンを思い出させる(?)精巧さで、記憶に残る造形ではあるが、弱ったり不死身のように回復したり、設定自体が定まってないような。 半魚人を愛したイライザが、そもそも強めの性欲を持つ女性だという事も最初から表現されているが、だからと言って異種間性交はさすがに引いた。それさえなければまだ理解できた関係だったのだが。ジェスチャーでの表現だったが、尚更その仕草が脳裏に残ってしまったではないか。グロい・・・。エロとグロは共存させてはならない、少なくとも私のモットーにしようと思う。 全体的に緑色を基調とした画面で統一され、ずっと水の中にいるような錯覚を覚える。その雰囲気はとても良かった。そんな「水の中」で、血が流れだす。 一つの小さな水槽の中に色んな種類の魚や海洋生物を放ってみたら、環境に合わないものは死に、縄張り争いや餌の奪い合いが起こる、みたいな話なのかなと思えば、このこじんまり感もちょっと納得だ。 自然界では生命力の強いもの、つまり繁殖力の高いものが生き残る。種を多く残したものがやっぱり結局は凄い。イライザの性欲の強さは生命力の賜物か。相手が半魚人では成立しないとは思うが。 最後の「えら」は元々ではなく、半魚人のパワーで後天的に授かったものと捉えた。そこは声帯を直してやってくれよとも思ったが、二人の間にそれは不要なもの。声帯よりも、えらだ。そしてイライザは徐々に半魚人に変貌したとすれば・・・、成立するではないか![インターネット(字幕)] 5点(2025-05-21 14:38:15)《改行有》 12. 八甲田山 《ネタバレ》 雪とは何か、寒さとは何か。その姿を確認するために無謀な雪中行軍に行かされる。そんな建前のような目的って何? そんなこと意識しなくても、抽象的ではない現実としての過酷な自然に放り出されれば、雪って何?寒さって?と否応なしに思わされる。 更に、理不尽な命令に従わなければならないという人的な過酷。建前とプライドで固められた謎の訓練によって、若い兵士たちが大勢犠牲になった。指揮系統の混乱、案内人も無下に断り、吹き荒れる暴風雪の中彷徨うしかない。「天は、我々を見放した」その言葉を機に、それまで何とか形を保っていた集団が一気に崩壊した。敵は寒さであり雪であり、士気の乱れ、諦めである。手ごわい外敵から身を守るためには、入念な準備、強い生命力、そしてそれを保つための仲間の存在があるだろう。高倉健の隊と北大路欣也の隊が生死を分けたのはまさにそれ。しかし冒頭ささやかな友情を結んだ二人がこんな形の再会となってしまい、無念を残した。皆そろってこの八甲田山に負けたのだ。 そしてそもそもが日露戦争に向けての訓練だったが、ラストのテロップでその顛末を知らされると、また戦争の虚しさを感じざるを得ない。 度々挟まれる美しい十和田湖畔の花畑や、活気あふれるねぶた祭りの映像。日本には四季がある。今は真っ白な雪と凄まじい暴風に囲まれる色のない景色だが、春になるとあんなにも穏やかで輝いている。そんなことを心の糧に任務を遂行するのだ。それは、この作品を撮影するスタッフ、役者にも通ずる過酷な任務だった。[映画館(邦画)] 9点(2025-05-19 13:41:07)(良:3票) 《改行有》 13. 12人の優しい日本人 《ネタバレ》 なかなか良く出来たオマージュ作品。「もっと話し合いましょうよ」という2号。「陪審員て難しいですね(笑)」とおどける8号。ランダムに集められた素人の慣れない話し合い。日本人が制度を真似て、かの映画をも真似た結果はこんなもんさという皮肉にも感じるグダグダな陪審員たち。 そこから、一人の話し合いたい人物2号の熱意によって、自然と議論が白熱していくのだが、正当防衛とか殺意の有無とか、法律家でもない一般人がケンカ腰に繰り広げる議論はデコボコで、みんなが二転三転と有罪無罪に転がる。再び決を取れば、有罪とも無罪とも聞こえるように「むー罪」とか言っっちゃうところ、笑った。 日本人は優柔不断で優しい。被告人に同情したり、逆に個人的な感情を発動して被害者(死亡)を侮辱したり、結局自分の意見で他人を裁く事への重圧から回避するために理由をつけているようにも取れる発言が続く。まったく論理的でない。 そこで、傷害致死罪(殺意無し)で有罪にしたら執行猶予も付くしちょうど良いんじゃないかという「妥協案」が出たりするのだが、何かが違う、と言って無罪を譲らないおじさん4号とおばさん10号に加担したチンピラ風の豊悦11号は弁護士だという。 この「弁護士」の登場からは一気に議論が論理的になっていった。殺意の立証としてのピザの大きさ、目撃者の証言は「ジンジャーエール」、トラック運転手のクラクション、きっと信号が赤だったんだ、被害者は自殺だったんじゃないかとまで可能性の領域が広がっていく。 決を取れば2号以外が無罪を主張し、また振出しに戻ったのだが、これはまったく同じ振出しじゃない。話し合いの結果の1対11だ。話し合ってみるもんだなあ、何があったかなんて誰にも分らない。信念とは自分の意見を貫く事ではないし、人の意見を聞かないという事でもない。 そして最後まで話し合いを求め有罪を主張し「十二人の怒れる男」におけるヘンリーフォンダの立ち位置であると思われていた2号は、実は女房に逃げられて最も私情をはさんでいたというオチが素晴らしく人間臭く日本人ぽくて良かった。 満場一致で無罪。一人ひとり陪審員票を返却して去るところも、オリジナルに負けないくらい清々しかった。弁護士とか歯医者とか、表の立場なんて関係のないところで繰り広げられるのが、純粋な議論だ。[インターネット(字幕)] 8点(2025-05-09 15:56:59)《改行有》 14. ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 大作、名作と呼び声高い作品だが、ローマ帝国とベン・ハーというユダヤ人の話という事で、あまり興味をそそられることがなく、未見のまま人生も折り返し点に。さすがにそろそろ観ようじゃないか、4時間弱の長尺だと気合を入れて挑むが、とても分かりやすい物語に速攻没入することが出来た。 ローマ帝国とその属州民としてのユダヤ人の関係、その上でローマ軍の上層部メッサラとユダヤ人豪族ベン・ハーが幼馴染で親友という関係性もあり得ることかとその時代を学ぶ。微妙な時代背景に、分かりやすい友情、裏切り、復讐、赦しという王道のストーリーが馴染みやすい。 鳴り物入りのスペクタクルシーンと、復讐劇、そして宗教色の強い救いのシーケンス、この三本柱で成り立つ作品。 見どころはやっぱり、有名な戦車競走(チャリオットレース)のシーン。それを観るだけでも十分損はないと思っていたが、ガレー船やゴルゴダの丘など印象に残るシーンがたくさん用意されている。 憎しみと復讐に燃えるジュダ・ベン・ハーが、結局は愛情深い男で、最後お母さんと妹と幸せを取り戻すという感動物語。 そして中でも宗教部分を大げさに捉え過ぎると冷めてしまう危険性もあるのだが、無宗教の民が見るここでのイエスはあくまでも「敵を憎まない」という姿勢であり、「赦す・許す」という感情こそが、人間一人一人の心に宿る神=救世主なのかな、と思わせてくれた。これぞ、長い映画史に未だ古さを感じさせない、頑丈な太い三本柱だった。[映画館(字幕)] 9点(2025-04-29 15:47:44)(良:1票) 《改行有》 15. 陪審員2番 《ネタバレ》 検事も弁護人もそれぞれが真実と正義を求めているが、少ない状況証拠と仮説だけで事件のストーリーを作り上げている空々しさは否めない。陪審員たちは検察側と弁護側が作ったそれぞれのストーリーを聞き比べ、どちらのストーリーがもっともらしいかジャッジするわけだからなかなかキツい仕事だ。 「陪審員裁判には欠点もあるが、正義をもたらす最善の手段だ」と判事は断言する。揺れるであろう陪審員が下す判断に正当性を持たせ、導かれた評決が正義であると後押しする発言。 ここの十二人の陪審員たちは、映画「十二人の怒れる男」のごとく、ほぼ有罪で早急に評決を出そうとする。この人たちはあの映画を観たことあるのかな、なんて。 ただ「十二人の~」と違うのが、そのうちの一人陪審員2番ジャスティンと視聴者だけが知る第三の事実があるという事。だがその事実が事件の真実とは断定せず、またジャスティンが証言したところでそれこそ状況証拠の域を超えず、飲酒の有無や鹿の存在を証明することはかなり難しい。ここが本作の面白い所。当時の鹿が被害を訴え出たらかなり決定的なのだが。 人が人を裁く事の難しさ、更には自分の不利になる証言をする事の難しさ、自分ならそれが出来るだろうか、どちらも勇気が必要だと強く感じた。 女性検事フェイスは、DV被害女性救済を掲げ、この裁判に勝てば検事長選挙に当選というおまけも付いてきたが、ラストでは「真実は正義」という理念を捨てなかったのが、良かった。ジャスティンのその後も、前裁判の被告人にも、公正な審理が為されることを望みたい。[インターネット(字幕)] 8点(2025-04-14 15:41:03)《改行有》 16. PERFECT DAYS それまでの人生はきっともっと尖っていて、人と衝突したり毒づいたり、理不尽な思いをしては腐ったり、女性といい感じになったり別れを経験したり、普通にいろいろあったんだと思う。そして何かをきっかけに(リストラとか会社の倒産とか、そこは本題ではないので何でもよいのだが)みんな煩わしくなっちゃって、無駄なものを出来る限り削ぎ落として、今の完璧な日々、過不足のないパーフェクトな生活形態を編み出したのだと思う。それは究極にエコな生活だ。 カーステから流れる音楽がそのままBGMになり、作業服の背中のプリント「The Tokyo Toilet」の文字がそのままオープニングロールになっているようなところも、エコだ。主人公の生活にも作品そのものにも無駄がない徹底ぶり。 主人公平山は寡黙で孤独な都会の住民。仕事の日のルーチンと、休みの日のルーチン、この2パターンを使いこなして日々を終える。 平山のルーチンは実は他者のルーチンでもある。毎朝目覚めを誘う竹ぼうきの音は、路上を掃くおばあさんのルーチン。トイレに隠された三目並べ勝負も見知らぬ誰かとのひと時のルーチン。毎日通う銭湯と飲み屋では、同じ言葉で迎えてくれる店主のルーチン。公園でいつも遭遇するOLとの無言のあいさつ。休日に通う写真屋、古本屋、スナック。他人のルーチンが自分のルーチンになり、自分のルーチンが他人のルーチンに組み込まれていく。全く別の世界に生きる他人がさりげなく交り合ってる。 時に他者の乱入や、突然の退出によって、そのルーチンが乱れることもあるが、それをやり過ごせばまたいつもの日常が戻って来る。 ラストシーン、BGMはニーナシモンの「Feeling Good」。鳥も太陽も風も木も、私の気持ちを知っている。新しい日が始まる。最高の気分。自分はこの生活に満足してる、満足しようとしている。本当にこのままでいいのか?変わらないものなんてないんだ。孤独も不安もあるこの気持ち、木も風もお見通しだろ。[インターネット(邦画)] 8点(2025-04-02 15:58:37)(良:1票) 《改行有》 17. 楢山節考(1983) 《ネタバレ》 子どもの頃児童文庫で読んだ日本の昔話「姥捨て山」。細かい内容までは覚えていないが、祖母をおぶって山に捨てに行く父親を想像するだけで空恐ろしく、怒りと悲しみを感じたものだが、それどころじゃなかった。 この村は生きていることも困難なほど貧しく、古くから守られてきた口減らしに基づくいくつかのローカルルールがある。それを守って、生きる事を許されている者のみが逞しく生きる。食料は少なく娯楽も無いが、食欲と性欲だけは持て余すほどある。子は出来るが人が増えすぎるのは困る。 ルールは理不尽なものばかりだが、村人たちは生まれた時からそれを当然の事と受け入れていて、老いて山に捨てられることも「山の神様に迎えられる」と考える(捨てに行く長男は辛いのだが)。 過酷な生活を送る中でも、年の功で物知りなおっ母は家族思いで、少し短気な長男も母親思いで、隣村から来た後妻は気立てが良くおっ母とも仲良し、それだけが救い。ルールを守り無言でおっ母を捨てに行く道中は厳しくそして悲しいのだが、BGMによって何か異世界に迷い込むようなシーンとなり印象的だった。 時々挟まれる野生動物たちの映像、カマキリがカエルを喰い、蛇がネズミを丸呑みし、交尾する。 ここの人間たちは野生動物たちと同じく、生きるために必死だった。[インターネット(邦画)] 7点(2025-03-13 11:49:42)《改行有》 18. 名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 《ネタバレ》 ただの音楽オタクだった名もなき金もなき若者が、「音楽で食えるようになりたい」という当初の目標も早めにクリアし、あっという間にフォーク界のプリンスになる。 彼がやりたい音楽は別にフォークに限らず、カントリー、ブルース、ロカビリー、ロック、彼の心を揺さぶるものであればそれは何だってよかった。頭の中に湧き上がる言葉とメロディーは、ジャンルの枠に収まらない。彼を縛り付けることも、溢れる音楽を堰き止めることも誰にも出来ない。作中でも押し寄せる音楽の嵐には圧倒されるばかりだった。 フォークのカリスマというレッテルを張られ、音楽もプライベートも自由を奪われ、馬でもないのに他人の荷物を背負わされ、がんじがらめになるのだが、そこに悲壮感はあまりない。 風に吹かれて転がる石のように、変わる時代を俯瞰で見渡す。それが普遍的なものを生み出す。 ティモシーシャラメがボブディランを演じたその努力というか意気込みを、感じさせないくらい自然にボビーになっていて、そのオーラまでもちゃんとコピーされていた。すごい俳優です。[映画館(字幕)] 9点(2025-03-05 13:51:37)(良:1票) 《改行有》 19. 生きてこそ 《ネタバレ》 想像以上に感動的な友情の物語だった。 乗客27人だけのアンデス山脈遭難は、まるで医師のいない野戦病院。悲惨な現場だ。見渡す限りの雪山、-40℃の極寒、食糧なし防寒具なし無線なしの中、普通なら自己中な奴がいたり争いがあったり、泣き叫んだり狂ったりで、とてもじゃないけど無理。それが70日間続いたという。当人たちにとってはそれがいつまで続くかなんて分かっていないのだから、もう絶望しかないと思う。 しかし彼らはラグビーのチームメイト、上手く統率を取りとにかく救助が来るまでサバイバルで生き延びる、という話かと思っていた。それだけでも十分すごいと思う。過酷な決断をし、仲間が一人ずつ減ってゆくことに耐え、生命の危うさを思い知る。 更に彼らはカトリック系の学生だったから、神の存在を道標とする。そこで力尽き死にゆく者にも、奇跡的に回復して命拾いする者にも、神は同じように現れる、と考える。生も死も 思し召し と思うかのように。 友人を思う気持ちが自然で美しく、その強い友情で耐えきるというだけでも十分な見せ場なのだが、なかでも勇気ある者がアンデス山脈を越えて自力で救助を要請するという、とんでもなく感動的なラストだった。それはちょっと凄すぎる。想像を大きく超えたノンフィクションサバイバル。 ほんと、生きてこそ、だ。邦題が素晴らしい。[インターネット(字幕)] 9点(2025-02-28 14:18:46)《改行有》 20. ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ 頑固で偏屈で嫌われ者の古代史教師ハナム先生。彼のキャラクターが素敵だった。学問を追求し孤独を追求し、嘘はつかず自分を貫くが紳士的で他者の意見を聞き入れないこともない。 歴史美術館にて「退屈だ無関係だと否定しないで、今の時代や自分を理解したいなら、過去から学ぶべきだ。歴史は過去を学ぶだけでなく、今を説明する事でもある。」 先生は斜視だし持病のため魚の体臭がするしで、これまでの人生あまりツイてなかったようだが、そんなことは気にも留めず人のせいにもせず、ただただ古(いにしえ)に想いを馳せているのだろう。自分は自分、嘘はつかないバートン男子のプライドだけを忘れずに。 人はみな孤独。それがどうした。物事は案外単純で、時間軸には過去と未来しかない。今なんて一瞬だ。出会いもあれば別れもある。それだけの事だ。っていう前向きで軽やかな後味が残る作品だった。[インターネット(字幕)] 8点(2025-02-20 15:59:29)(良:1票) 《改行有》
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