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プロフィール
コメント数 296
性別 女性
ホームページ kawamari7.hatenablog.com (質問と建設的な指摘をお待ちしています。JTNEWSに届けてあるほうでは文字化けします。)
自己紹介 取り締まる法律が必要な(1)XX中毒。生まれた場所のせいで3歳で兆候が現れ、13歳で表彰状物の重症に、今ではより強い刺激を求め(2)X屋の中だけではなくこのサイトに出没、ネットで(3)XXXXXXがないかと探し回るのに誰も助けてくれません。KW = 「かわまり」「はてなブログ」で原子力開発関連の「プロメテウス達よ」と19世紀ヨーロッパを夢と詩で描いた「黄昏のエポック」を公開しています。  (Xの数に文字数が一致する言葉を入れてください。)

空欄の答え:(1)XX=「言語」、「活字」も可、(2)X=「本」、(3)XXXXXX=「読める外国語」、キリスト教国際病院で生まれ、宗教は仏教。

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201.  北京ヴァイオリン こんなにかわゆくって才能に恵まれた子供をもってみたいという親の願望まる出しのチェン・カイコー監督の親馬鹿映画。子供はたまったもんじゃありません。同監督は「始皇帝と刺客」でも親馬鹿の呂不偉を自演しています。「親の顔が見たい。」というのは人を馬鹿にする時の言葉ですが「監督の子供の顔が見たい!」・・・これは決して馬鹿にしているわけではございません。はい。神童と言われる、あるいは言われたことのある子供は思春期の自我確立と親離れの過程で決まって嵐のような葛藤を経験するようで、時には才能ある分野に進学しなかったり(この作品のモデルがそうだとも聞いています)、「シャイン」の主人公のように神経症になったり、さもなければ「アマデウス」でトム・ハルスが演じたモーツアルトみたいに(どこまで本当か知りませんが)死ぬまで子供っぽくて終わってしまいます。でも、この作品は主人公が十三歳の一年間を描いているだけで、原題や英語の題が示すとおり最初から最後まで父親にべったりで中途半端な感じがします。もっとも思春期の子供を映画で描くことは、特に男の子の場合、体格や声が変わっていくのでむずかしいものがあります。「シャイン」の場合、主人公の髪型を変えることによって対応していましたが、中国が舞台では主人公の髪型をまさかマッシュルーム・ボブやパンチ・パーマには変えられませんしね・・・。主人公のかわゆらしさ、音楽の完成度、特にラストのチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の迫力に免じておおまけの点数をつけます。6点(2004-07-04 11:22:35)

202.  赤ひげ このストーリーが実話だったら精神分析の創始者はフロイトではなく赤ひげさんだということに医学発展史を書き換えなければいけなくなるでしょう。10点(2004-06-30 01:47:06)

203.  半落ち 惜しい!坊ちゃんぽいイメージがある寺尾聡のせっかくの新鮮な演技・・・妻にほだされて嘱託殺人を犯す元警官・・・やアルツハイマー症患者介護や骨髄移植といった重要な事柄に対する問題提起を非現実的な設定やシーンが台無しにしています。刑事同士が自己主張むきだしで同僚に手をかけたりなんて刑事の間どころか実際の社会人の間でもありえないし、副裁判官の幼稚っぽさも非現実的だし、ましてや自分の家庭に老人ボケを抱える裁判官がアルツハイマー症がからんだ事件を審理することはありえないと思います。これから始まる裁判員制度でも各裁判員が担当する事件と同様の問題を抱えたり過去に経験したりしていないかどうかは事前に厳しくチェックされるはずなのです。もっと細かいことを言えば、アルツハイマー症患者は自分の間違いを指摘されると激昂するのが普通で、どうころんでも「あら、私まちがってたわ・・・。だから殺して。」なんては絶対に言わないのです。どんな名優の名演技をもってしても細部の整合性や現実性に気を配られていなければ作品は台無しということです。4点(2004-06-30 01:37:46)

204.  華氏911 これはおったまげた!カンヌ国際映画祭は芸術の香り高い映画を選定・評価するところだと思っていたのに、カンヌ国際映画祭でパルム・ド・オル(最高賞)を受賞したこの作品は完全に反体制宣伝(というよりも喧伝)映画です。ヨーロッパ映画界の危機意識がそれだけ高いというわけでしょう。どちらかと言えばブッシュには反対している私でさえも何だかボクシング・リングの上で両手を後ろ手に縛られたボクサーを、もう一人のボクサーがめった打ちにパンチを食らわしている様を見ているような感じが否めませんでしたが、この感じが快の部類に属するのか不快の部類に属するのかはよくわかりません。ムーア監督はすでに去年のアカデミー賞受賞式でブッシュ大統領に挑戦状をつきつけていたので体制側の監督(陰の声:そんな監督いるのかどうか・・・)もイラク戦争を擁護する作品を作ればよかったと思います。(陰の声:軍艦マーチをバックに「大本営発表」???)でも体制擁護映画と二本立てにしてもこちらしか見ない人がほとんどだったりやなんかして・・・。長くアメリカに住んでこんなに熱い映画上映は初めての経験でした。私が見たのは月曜日の夜10時からの上映でしたが、会場は大入り満員で時間を気にする人もないようで、上映中の爆笑や拍手、特にエンド・ロール開始の時の大喝采と「ワンダフル!」の掛け声は初めてでした。(この映画を見に行くのはブッシュに反対する人だけだということを念頭においてください。)バグダッドの街角に集う人々の平和な談笑や子供たちが遊ぶ光景が阿鼻叫喚に変わったシーンで流れた涙には人道上の涙と「私が納めた税金がこんなことに使われるなんて・・・。」というくやし涙が混ざっていました。この映画を本当に見てほしいのはイラクの人です。映画のスクリーンだけではなくそれに反応するアメリカの人たちを見てほしいと思います。アラブ圏の人は民主主義や自由とはミニスカートをはいて街を歩いたり酒や麻薬をたしなむことだと思っているようですが、真の民主主義や自由とは反体制映画が堂々と上映され、人々が臆することなくそれを見に行くことができ、上映会場の内にも外にも警官や憲兵が立っていないことなんです。6点(2004-06-30 01:12:56)(良:3票)

205.  愛と哀しみのボレロ 登場人物が多すぎるのでどうなることかと思いましたが最後、しっかりまとまってすごいインパクトを与えるのが驚きでした。思えば第二次世界大戦の悲劇は2,3時間やそこらの映画でつくせるものではありません。ボレロの祭典に会した芸術家や聴衆の数家族が背負っている悲劇を紹介するだけでもこれだけのインパクトがあるし、それぞれの悲劇のパターンを実際に経験した家族の数は数千倍、アジア戦線を含めたらもしかしたら数万倍くらいに上るのではないでしょうか?ドイツ将校とパリジェンヌとの悲恋物語で ”Hiroshima, Mon Amour(邦題:二十四時間の情事)”を思い出しました。“Hiroshima, Mon Amour”のヒロインは未婚の母にはならなかったものの自宅に軟禁されて丸坊主にされ、髪が生えそろった後で村から追放されてしまいます。いやはや・・・理性的とは言いがたいけれど、敵に対する憎悪がこういう形で噴出してしまうんですね・・・。ラベルのボレロは私が東洋人であるせいか「因果応報」や「輪廻」を象徴し、「過去の過ちを繰り返さないこと」と「過ちを犯した人間を許すこと」を迫っているように聞こえました。9点(2004-06-14 01:34:22)

206.  コールド マウンテン 「銃後の守り」という言葉は平和な今の日本ではほとんど死語になっていますが、戦時下の日本では父、夫、頼りにしていた息子などが戦地に赴いた後、残された女性は男性に頼らずに家事や家業をきりもりするのが美徳とされていました。「女は弱し、されど母は強し。」なんて言葉もあって、ボーボワール流にこの言葉を解釈すれば、「女は男を魅了するためにはか弱くなくてはならないが軍国の妻や母はもちろん強くなくてはならない。」なんていう社会のご都合主義が見え隠れします。だから恋人に「帰ってきて・・・。」と手紙を書き送ったエイダを決して責めることはできないのですが・・・でもやはり、南北戦争というご時世に、特に太平洋戦争と違って地続きの場所で戦っている男にこんな手紙を送るなんて非常識で身勝手もいいところです。女も母も適度に強いのが普通という平和な社会に生まれ育った私としては「こんな時代に生まれなくて良かった・・・。」というのが一番ぴったりな感想です。結末はエイダの弱さに対する決定的な天罰だと私は受け取りました。インマンはどうころんでも脱走兵(=重罪人)としてエイダと幸せに暮らすことなどままならないはずなのに、エイダは「結婚」という甘い夢に最後までしがみつきます。「社会の変動期にどんな人間が生き延び、どんな人間が淘汰されていくのかを描きたかった。」と優雅な生活を捨てられないメラニー/アシュレー夫妻と逞しいスカーレット・オハラ/抜け目ないレット・バトラーを対照的に描いたマーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」と、本作品のテーマは同じながら、スカーレットの二つの面を分けたようなエイダとルビー、とりわけルビーに触発されたエイダの成長ぶり、そして美しい風景が印象的で2時間40分を長いと感じませんでした。10点(2004-05-30 10:13:10)(良:1票)

207.  存在の耐えられない軽さ 「長かった!」というコメントが結構ありますね・・・。私はビデオで見たので「長い。」とは感じませんでした・・・途中でコーヒーを入れに立ち上がり・・・電話がかかってきて中断し・・・と言いたいところですが、ちょっとした理由(見た方にはわかると思います)があって途中で持ち主(知り合いの個人)にビデオをつき返しました。その時の会話:「おっさん、何だって私にこんなビデオ見せようとしたの?」「ボボボ僕、何にも下心なんかないよ・・・。キキキ君なら理解できると思って・・・。」(「おっさん」は40台半ばの離婚歴ありの独身者。)と、いうわけで結局は最後まで見ました。その後のある友人との会話:「人間の体をモノみたいに扱っているのが気に入らなかった。」(その「友人」は「アウシュビッツって何?ロシアの元の国とアメリカが対立してたこともあったの・・・。」とうそぶく御仁。)私のこの映画に対する評価は「おっさん」と同じでわりと高いんですけれどね・・・。ちなみに「おっさん」は米国在住のポーランド人です。ビデオの持ち主である「おっさん」に敬意を表して「おっさん」の評価・・・まちがいなく10点・・・と自分の点数・・・ソ連の脅威を肌で感じたわけではないのでこんなもん・・・の平均点を入れておきます。9点(2004-05-25 11:53:03)

208.  トラフィック(2000) 「何かよくわからんな・・・。」というのが感想です。もちろんアメリカを蝕む麻薬に関して需要と供給の両サイドを描きたかったのはわかります。でも、それはドキュメンタリー映画がやるべき仕事なのでは・・・?純粋なドキュメンタリーでは当事者の心理までは描ききれないので映画を作りたくなった心情もよくわかります。でも、見ていて「やらせっぽいな・・・。」と感じたり(フィクションなので当然「やらせ」です。)ここでナレーションによる説明があったほうがいいんじゃないのかな・・・なんて感じさせるのはやはり正当派の映画からずれているのではないでしょうか?最後のほうでマイケル・ダグラスが演じる麻薬取締り担当官の記者会見で画像をわざとぶらしているのもドキュメンタリー風にするためだと思いますが、こういう小細工をフィクションの作品に入れるのは個人的にはやはりしっくりきません。純粋なドキュメンタリーと純粋なフィクションの両方で麻薬の問題がまた取り上げられるのを期待しています。6点(2004-05-13 06:15:31)

209.  コーラスライン 《ネタバレ》 「すばらしい!」と思った舞台の思い出になるかとビデオを購入して「失敗した。」と自分では思っている作品。舞台では道具等一切ない暗い背景にオーディション応募者の色とりどりのレオタードが映え、最終選考のインタビューに残った応募者全員がきらびやかなユニフォームで登場するラストまで息をつかせないのですが、舞台と比べて良かったのはちらっと入ったニューヨーク世界貿易センターやブルックリン橋の映像と選考開始直後の群舞くらいでした。舞台ではディレクターは一切姿を見せず、観客の後ろからマイクを使って呼びかけるだけなので、観客は自分たちも選考に加わっているような錯覚に陥るのですが、もちろんそれもなし。ディレクターだってスポンサーの好みや批評家のレビューに戦々恐々とする一人の人間なのは当たり前・・・でも、舞台では人間味を一切排した神ような存在で、それが一つのポイントだったのに、マイケル・ダグラスの無表情が何とか救いになっているとはいえ姿が頻繁に画面に出るのは興ざめでした。また、舞台ではインタビューを受ける応募者は体全体でダンスに対する想いを表現するのに映画では時には顔だけを大写しにするし、唯一の東洋人であるミス・ワンが舞台ではいかにも貧しい中国移民の中から体をはって(もちろんダンスのことです)這い上がってきたような不敵な面構えだったのに映画では最近急増中のアッパー・ミドルの中国人家庭で甘やかされて育ったお嬢さんみいだし、舞台裏が不必要なほど頻繁に映るし、ディレクターの助手はネズミみたいにちょろちょろするし・・・と文句をつければきりがないのですが舞台に敬意を表した点数をつけておきます。3点(2004-05-13 05:53:26)(笑:1票)

210.  ドリトル先生不思議な旅 レックス・ハリソンが飄々としたドリトル先生の役にぴったりはまっていて、後になってクレオパトラを見た時にシーザーに扮していたので吹き出してしまい、慣れるのにしばらく時間がかかりました。現在の「ハリー・ポッター」のように私の世代が子供だったころ、子供を本好きにしたのが井伏鱒二訳の「ドリトル先生シリーズ」でした。見る前まではミュージカル仕立てなのがひっかりましたが、音楽もいいし、「マイ・フェア・レディー」でも歌っているレックス・ハリソンの歌がうまいせいもあり、ファンタジーにぴったりな演出だと思います。この手の作品(ファンタジー+ミュージカル)の中では永遠に残る名作だと思います。7点(2004-05-12 03:09:36)

211.  チャップリンの独裁者 一部にあるギャグのためだけのギャグが「なくもがな・・・。」の感がありますが、問題意識と主義主張をコメディーの形に纏め上げたことはやはり天才のなせる技だと思うのでコメディーに私がつける最高点を献上します。現代の世界ではカストロ版(アントニオ・バンデラス主演)や金成一版(渡辺謙主演・・・ただしバットマンで悪役のイメージが定着することが前提)の同様の作品が絶対に必要だと思います。北朝鮮版に関して、さしもの勉強家の渡辺謙にもハングル語は難しいかもしれないので帰国した拉致被害者の方に吹き替えを頼むことにするといいと思います。(この作品中と同じでメチャクチャのほうがベターかも・・・。)でも、今でも北朝鮮にいらっしゃる拉致された方々はいわば非自己責任で捕われた人質のようなものなので、全員が無事に帰って来られるまでやはり北朝鮮版は作れないでしょう。人民が飢えているのに自分の父親の墓に巨額の費用をかけて、そして独裁者本人の暗殺を狙って失敗したという噂さえある昨今の原爆並メガトン級の爆発事故・・・ブラック・ユ-モアの極地だと思うのですが、「名誉毀損」の訴えなんか起こされたら映画会社はたまったものではありませんからね。この作品を見たヒトラーは激怒しただけで「名誉毀損」の訴えは起こさなかったのでしょうか・・・?公人だという自覚があったので起こさなかったのだと思います。「名誉毀損」の件に関しては作品冒頭に但し書きがあるので見逃した方と作品未見の方のために改めて拙訳を「小ネタ」に入れておきます。平たく要約すれば「テメエのことを言ってんだよ!テメエは悪いやつなんだ。わかってんだろうな!(チャップリン談)」ということになります。8点(2004-04-30 12:45:32)

212.  ビッグ・フィッシュ 同じベトナム戦争の時代を扱ったおとぎ話風の作品「フォレスト・ガンプ・・・一期一会」に8点をつけたのでこの作品は9点か10点しかありえないのですが、下の二人の方の10点と全米平均の8点を横目で睨みながら真ん中の9点をつけます。ベトナム戦争の是非なんていう天下国家の問題を扱った作品じゃないし、それに「フォレスト・・・」でのトム・ハンクスの演技が光っていたので点数を離したくなかった・・・なんていうのは屁理屈なので無視していただいて結構です。一言、「良かった。」と書くだけでも十分なのですが、これから鑑賞される方のためにもう少し詳しく書いておきます。まず、「フォレスト」との比較になりますが、この時代を描くのにCGをあからさまに使わなくても、大統領の実写を使わなくても、主人公のIQが平均より低くなくてもOKどころかそのほうが作品を「おとぎ話」として成功させています。年月の経過とともにつらかった事実の記憶は風化し、父エドワードがベトコンの拠点に乗り込んで捕虜になるか殺されるかのシーン(会話はベトナム語でアメリカでの上映でも字幕が入ります)でさえもノスタルジックに脚色され、密林のゲリラ戦で恐れられたベトコン兵たちの結構可愛い日常の素顔が印象的でした。ベトコン兵のカンフー張りのアクションにはまいりましたが・・・ベトナム人って本当にこんなことするの・・・でも楽しいシーンでした。この他にも、桃源郷(理想郷スペクター)、サーカス、空の落書き、水仙などの数々の美しい場面が網膜に焼きついて離れません。父エドワードは激動の時代にいろいろつらいことも経験しただろうけれど、息子に語る内容は楽しいことばかりになっているのようなので、この人の人生は結構幸せだったと言えるでしょう。9点(2004-04-28 08:32:32)(良:1票)

213.  オーケストラ・リハーサル 《ネタバレ》 「道」などの大作で知られるフェリーニ監督のアレゴリカル(寓話的)な小品佳作として見る価値が大いにあります。冒頭の教会内部の案内と団員の自己陶酔的な自己紹介(「私はこの楽器に選ばれた。」なんていうのもいる。)で「寓話モード」に頭がマインド・コントロールされてしまいます。(注:過激な言葉ですが巨匠といわれる監督が共通して用いる手法でエンドロールと共に解けるので人体や精神生活に悪影響はありません。)もし違った結末になるのだったらその過程はどのようなものかと想像してみるに・・・まず途中で役割を放棄してグランド・ピアノの下でうじゃじゃけていたピアニストの姉ちゃんがすっくと起き上がってショパンの革命のエチュード(英雄ポロネーズもいいな)を弾き始め、バイオリニストがチャイコのカデンツァを弾き始め、チェリストがバッハの無伴奏組曲を弾き始め、ソロ演奏のレパートリーがない団員は拳を振り上げてビートルズの「レボルーション」を歌う。そうこうするうちに、団員間で銃撃戦が始まって誰がレーニンか毛沢東か、はたまたカストロか金日成かが決定される・・・あれ、結末はやはり同じだ・・・。8点(2004-04-25 01:58:26)

214.  イル・ポスティーノ イタリア!イタリア!イタリア!地中海と空の青さは言うまでもなく、さりげないシーンのBGMにさえ感じられるイタリア情緒がたまらないです。さえない郵便配達夫のマリオがノーベル賞候補者(1972年に受賞)の詩人ネルーダから詩の書き方を習うなんて非現実的な話なので始めのほうで頭を「おとぎ話モード」に切り替えました。美人をみれば後を追う情熱的な気質と並んで、ルネッサンスやローマ帝国の担い手の末裔としての自負心がこんなむさい兄ちゃんの外国人詩人ネルーダに対する態度にも見え隠れし、ダンテやダヌンツィオが会話に登場する・・・これぞ私がイメージするイタリアなのです。マリオがネルーダ専属の郵便配達夫になった時、自分が始めてネルーダの詩集を手にした時の記憶とダブりました。その詩集はピンク色の表紙で「100 Love Sonnets of Pablo Neruda」という英語とスペイン語の対訳本でした。イタリアと文化的に近接したスペイン語圏の作品だけあって情熱ほとばしる詩がオン・パレード・・・そのピンク色の表紙が私のスペイン語学習を促したようなものでした。だからマリオとネルーダとの関係は私の場合と同じ文芸との出会いを象徴的に描いているのだと思ったのですが、どんでん返し的に話が発展していって面白かったです。「共産主義」がこの作品の一つのキーワードです。情熱的なラテン諸国では学者や政治家など、多くの一流インテリが論文で表しきれないことを詩に託し、そのせいかノーベル賞詩人が目白押しで、詩人は英雄視さえされます。かのダンテも大作「神曲(Divine Comedy)」で教会制度を皮肉った反体制詩人でした。これらを念頭におけば、この作品を単に美しい風景の中で美しい女性を追い回す様を描くものではなく、主演のマッシモ・トロイージの生き様と死に方にも通じるヒロイズムの物語として見ていただけるでしょう。ネルーダは帰国後、新政府の閣僚に抜擢され、亡命中にお世話になった人に手紙を書くどころではなかったのですよ(本当の話)。それにしてもラストは哀しすぎる・・・自責の念にくれるネルーダ(そっくりさん俳優の・・・全くそっくりです)の後姿が本当に哀しい・・・でも哀しい結末でもからりと明るく、情熱はほとばしっても血は出ないのはさすがイタリア・・・なのでしょうか?9点(2004-04-22 23:51:32)(良:1票)

215.  ロスト・イン・トランスレーション アメリカ人の友人から聞いてはいたものの、実際に作品を見て「ウッソー!」と思ったのは日本語の台詞に英語の字幕がないこと。(ちなみに、本サイトの拙レビューと拙「あらすじ投稿」は、ほとんど日本語字幕なしの英語の作品か英語字幕付の中国語やスペイン語の作品のものです。残りは英語字幕付の日本語作品のものです。)日本語がわからない人はこれをどう取るのかな・・・なんて考えながら見ているうちに自分の頭がすっかり日本語モードに切り替わっているのに気付きました。つまり、英語の単語は理解できるのに「論理」が頭に入って来ないのです。もっとも英語でも日本語でも「論理」にはほど遠い内容を話しているので、当然と言えば当然なのですが・・・。S.コッポラさん・・・お父さんと同じで映画という媒体の映像と音響の効果を強調するあまりストーリー性をないがしろにするのを悪いとは言わないけれど、「コットン・クラブ」でお父さんがしたはずの雰囲気作りの努力を、日本での現地ロケと日本人俳優の起用と字幕なしの日本語でもってすっ飛ばしたのはチョンボじゃないのかな・・・?おかげで日本人にとっては全然面白くない映画になってしまったじゃないですか?罰としてイラクの誘拐・人質事件を脚色した「アラビアン・ナイトメア物語」を作ってください・・・。これではアラブ諸国での作品配給のギャラがあぶないって・・・そんなことないでしょ・・・。今まで喜劇役者だと思い込んでいたビル・マレーの風格とスカーレット・ジョハンソンの清純さは良かったです。でも「今度、一緒に見る機会があったら日本語の部分を通訳してあげるよ・・・。」とアメリカ人の友人に安請け合いしたことはお互いにとって時間の無駄なので反古にします。5点(2004-04-21 09:13:53)

216.  アラビアのロレンス VHSがなくて劇場でしかこの映画を見られなかった時代の感動はものすごいものだったと思います。空の青と黄色い砂の大地を分ける地平線、残酷に照りつける太陽、駱駝を駆る人々等々・・・。でも、美術・音響はずっと優れていると思いながらも同じ民族自決をテーマにした「ガンジー」よりも3点も低い点数をつけた理由は、まず主人公の生き方・・・ガンジーが熟年に達してから本格的に自己犠牲に目覚めたのに対し、ロレンスの行動は若気の至りみたいなところが多分にあるし、(少なくとも作品中では)平気で暴力に訴えるという点、あるいはオックスフォード大学で考古学を専攻したアラブ通で軍人というよりもむしろ諜報部員だったロレンスの知性があまり描かれていない点、それから現在のアラブ世界の有様・・・民族自決(=民主主義)で及第点がつけられるのはエジプトくらいで残りの国々は最悪のイラクを始めとして「アラビアン・ナイトメア(悪夢)」の状態・・・でもこんなこと(特に後者)を映画の評価に加味することが妥当かどうかはわかりません。私個人の見方として理由付きでこのままにしておくと思います。ロレンスとアリとの衝撃的な出会い、「外国人は自分の井戸の水を飲んでもいいが、(先祖代々対立してきた)他部族の者には一滴たりとも飲ませない。」というアリの台詞が現在のアラブ世界の状況を語っています。さて、このアリ役として当初アラン・ドロンだったそうですが、眼の色のせいでどうメイクをしてもアラブ人に見えないので現地の俳優オマル・シャリフが選ばれたそうです。中近東出身の人に向かって以前、「オマル・シャリフって何?」と聞いて呆れられたことがありますが彼はアラブ世界では三船敏郎のような存在で、欧米の映画に民族を代表する役として出演した点は「ラスト・サムライ」の渡辺謙と同じです。アラン・ドロンのアリなんて想像もつかないほど役にはまって、いい味を出していますよね。7点(2004-04-19 23:10:13)

217.  ミッドナイト・エクスプレス(1978) 学生時代に同じ大学の法学部主催の人権シンポジウムでアトラクションがあるというので行ってみたらこの映画の上映でした。司法試験に忙しい知人らが講演の後でぞろぞろと会場を出たのも道理・・・。確かに作品中の人権侵害はひどい・・・でも、こんなこと日本やアメリカではやっていないと誰が言えますか?主人公にも非があるので感情移入できなかったし、場所がトルコなので「発展途上国は法律面でも遅れているんだな。」ということだけが経済学部に在学していた私の率直な感想でした。きっと某大法学部は公開上映の費用が安いからこの映画をアトラクションにしたんですよ。4点(2004-04-15 00:22:08)

218.  タンポポ 私は大友柳太朗(巻頭のラーメンの先生)の食べ方のほうがおいしそうだと思います。(こんなこと主張しあうなんてしょうもな・・・。)大滝秀治、加藤嘉、中村伸郎、井川比佐志など超ベテラン俳優が惜しげもなく脇役やチョイ役に使われていい味を出している、配役の面でも贅沢な映画です。トンカツ屋のことで文句を言う浮浪者役も超有名な俳優さんのはずなのですが、名前が思い出せません。誰か教えてください。7点(2004-04-14 13:50:39)

219.  變臉~この櫂に手をそえて~ 《ネタバレ》 子役が可愛くてその演技が真に迫っていることは巻頭から最後まで変わらず、この作品の内容では当然とも言えるので軽く書いておくだけにして、作品中に登場する老人のペットの猿の表情がその時々に応じて時には哲学的といえるような表情で老人の感情や境遇を反映しているのが印象的でした。こういう猿の細かい表情は訓練してやらせているのでしょうか?それとも、飼われていて表情豊かな(と飼い主が思っている)猿からオーディションでこの採用した?あるいは、表情でコミュニケーションをする猿の群があってそこから抜擢したのでしょうか?四川劇の女形のスーパーヒーロー的なアクションでハッピーエンドとなるのですが、今までなじみのなかった四川劇を垣間見させてくれたのも良かったです。北京の京劇と異なって超自然的な役柄には隈取ではなく仮面を使い、演技もパターン化されていないようです。8点(2004-04-14 00:24:13)

220.  楢山節考(1983) 家を出てから楢山に達するまで無言で息子を励まして行く先を指図するおりんが神域に達した人のようで神々しく見えました。10点(2004-04-13 03:34:19)

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