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221.  猿の惑星:新世紀(ライジング) 《ネタバレ》 傷ついたシーザーは街中に運び込まれるが、特徴的な窓を持った家の前で 車を止めさせる。 手術後、ソファを抜け出した彼は屋根裏部屋で通電しているホームヴィデオを見つけ その再生画面に見入る。 それまでの展開にしても、前作を踏まえずとも物語の流れを理解できるような 最小限の補足がされているが、ここで映し出される小さな一つの画面は、それだけで 彼の生い立ちと思想形成の背景の雄弁な描写となる。 この小さな画面が感動的なのは、無論そこに彼のノスタルジアに対する共感があり、 エイプたちが不要としていた電気の生み出す肯定的な光の感動があり、 かつ幾度も繰り返されてきた「HOME」の語の響きがあり、 『そして父になる』のデジタルカメラのような「他者が撮ってくれた自分」が 映し出されるエモーションがあるからなのだが、 加えて、ここではそれが再生装置たるムーヴィー(映画)に対する ささやかな讃歌ともなっているからだ。 『カイロの紫のバラ』のような、『ニューシネマパラダイス』のような、 映画の映写光の反射を受けながら画面を見つめる者の表情が生み出す情感という 美しい細部がそこにある。 そして、映画はその画面をラストに反復する。モニターが映し出していた ジェームズ・フランコとシーザーの抱擁は、その位置を置き換えて ジェイソン・クラークとの間に交わされる。 この小道具の活用法は見事だ。 そして人間は暗闇の中に消え、エイプたちは陽光の中に出て行く。 このシーンも光と闇の画面によって物語を語っている。 前半の露出アンダー気味の曇天や薄闇が、怒りの炎や爆発、夜明けの光を活かす 後半のためにあったことがわかる。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-21 21:17:17)《改行有》

222.  いのちの食べかた いずれのショットも画面にパースをつけ、厳格すぎるくらい厳格に構図を決めている。 その画面領域の中で動植物・人間・メカニックそれぞれがせめぎ合う様が スペクタキュラーだ。 その奥行きを強調したカメラ移動は、その産業の構造的スケール感を否応なしに 感じさせる。(延々と続く厩舎、延々と下るエレベーター等など) そしてここには「機械的で規則的な運動のリズム」(長谷正人 『映像という神秘と快楽』)がある。 映画に登場するベルトコンベアー作業の数々は一見、単調で「無機質」でありながら、 それは無意識に規則正しく心拍運動し生命を維持する人間とも通じ合う。 ゆえに、そこには心情に拘らず、 リズミカルな反復運動に同調する「映画的快楽」が逆説的に伴う。 その規則の中に不意に現れる小さな不規則の面白さがまた引き立つ。 音楽を一切廃すること、言語解説による意味付けを一切廃すること。 それによって観客は反復のリズムを体感し、動植物の肉声・質感を感受し、 意味から開放される。 動植物への同情や憐憫や感謝。それらの単純な感情を喚起する自由を保障しつつ、 作り手はまず、様々な運動と色彩と音にあふれた画面そのもの、つまりは 本源的な映画の面白さを受け取ることを 求めているに相違ない。 断片的なショットに、奥行を意識した構図。機械と動物と、食事する人物。 まさに映画の定義に適った、リュミエール的な映画じゃないか。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-19 00:21:59)《改行有》

223.  俺は善人だ 悪女と聖女の両面を演じさせて女優を売り出すパターンが 当時からあるが、これはその男優版である。 エドワード・G・ロビンソンが小心で実直なサラリーマンと 凶悪なギャングを巧みに演じ分ける。 双方がそれぞれの役を演じるシーンもあるので、計4パターンの芝居となるが、 善人役の愛嬌のある芝居が実に萌える。鏡への反射を使ったギャグや、 酒に酔って社長室から出てくる場面の陽気な振る舞いなどは傑作だ。 この後、その対照的な二人が同一ショット内で共演することになるのだが、 このツーショットがどのような仕掛けで撮られたものなのか。 その違和感のない画面つくりには様々な知恵や工夫が凝らされたのだろう。 様々な箇所でシーンの省略が効いていて、テンポもいい。 欲をいうなら、後半もっとジーン・アーサーの活躍が欲しかった。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-13 16:42:52)《改行有》

224.  プリースト判事 ここでのウィル・ロジャースは特に判事の業務を行うわけでもない。 トム・ブラウンとアニタ・ブラウンの仲を取り持とうと、 ゴルフボールを飛ばし、茂みの陰で一人芝居をし、飴を伸ばしと、 ひたすら具体的に行動する。二人を物理的に近づけるために。 その周囲を、ステッピン・フォチェットら味のある黒人俳優が 音楽的なイントネーションで語らい、歌う。 さらには、ヤギやアヒルや鳥たちも視覚と聴覚を賑わかし、 大合唱が大団円を盛り上げる。 そんな飄々としたウィル・ロジャースが暗闇の部屋にランプを灯すと、壁に 飾ってあった妻と息子らしき肖像写真が明りの中に浮かび上がり、 それを静かに見つめる彼の顔が写真の家族と重なり合う。 こうした何気ない静かなひとときのうちに、 彼が若い2人のために世話を焼く心中までが 滲み出てくるようで、愛おしい。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-05 17:06:21)《改行有》

225.  とらわれて夏 《ネタバレ》 幾度も挿入される回想シーンが、ケイト・ウィンスレットのものなのか ジョシュ・ブローリンのものなのか。 瞬間的に把握しづらいところがあり、また類似場面の反復でもあって 物語を停滞させている気味があるが、それもまた 登場人物を苛むとらわれのイメージを増幅させてもいる。 時代背景を仄めかす映画ポスター類も序盤でさりげなく提示されるのみ。 ラストに活かされるパイ作りのシークエンスも思わせぶりなところが まるでない。そうした慎ましやかさが好ましい。 大団円の後日談。2人が並び歩く一本道の脇に揺れているのは何の作物だったか。 柔らかい光の中に静かに波打つ枝葉の音。 このラストショットが圧倒的に素晴らしい。 グリフィス的原風景に万感の叙情があふれている。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-08-01 15:25:28)《改行有》

226.  荒野のダッチワイフ 悪夢、人形、衣装、モノクロの脱色感と、まさしく押井守『紅い眼鏡』の元ネタだ。 オープニングの岩肌と地面の白く乾いた感触が無国籍的でいい。 ぶっきらぼうで早口の、聞き取りづらい台詞の応酬もまた癖になる。 繁華街でのゲリラ撮影にも、屋内シーンの陰影濃いノワールムードにも ジャズ音楽がよく馴染み、 射撃の腕試しシーンの対話やら、疑似ストップモーションやら、 ギャグすれすれのシリアス(あるいはその逆)の数々が実に娯楽的で堪らない。 DVD版がシネスコ収録でないのが残念なところ。 [DVD(邦画)] 8点(2014-07-25 15:44:02)《改行有》

227.  柳川堀割物語 映画の冒頭、緩やかに進む平底舩の船首低位置に据えられたカメラが 掘割の景観を映し出していく。 木々から漏れた陽光が水面で反射し、 水路沿いの民家の軒下に光の揺れを作り出している。 子供たちが戯れ、ご老人が寛いでいる。 また夕焼けの水田では、逆光の中で一人の男性が足踏み水車を回し続けている。 かつては映画の最初期にも撮影されたそれらの風物は、柳川の景観として以上に 映画の被写体として、動的かつリズミカルで尚且つ美しい。 古くから培われた掘割の合理的なシステムが、アニメーション・図版を活用して 解説されるのも勿論アニメーション監督の特色だろうが、 大半を占める実写部分のレイアウト、動きの捉え方にその資質が表れている。 高度成長期の危機に瀕した掘割。その汚れきった死相は、静止した一枚写真の 数々で提示されるのも高畑流の演出だろう。 流れ、巡ってこそ生きる水が、動きあってのフィルムを通しての生として語られる。 [DVD(邦画)] 8点(2014-07-24 15:51:08)《改行有》

228.  旅立ちの島唄 ~十五の春~ 《ネタバレ》 卒業コンサート前の楽屋で、娘:三吉彩花の着付けと化粧を手伝う母:大竹しのぶ。 肩に置かれた母の手に自分の手を重ねる娘。 鏡に映る二人のショットが感動的なのは、映画冒頭シーンの相似反復であるためだ。 三吉が憧憬の眼差しで影から見つめていた先輩親娘の姿に重なるのである。 歌を披露する三吉の正面からのショットの息を呑む美しさ。 彼女と溶け合うようにオーヴァーラップする、小林薫、大竹しのぶ夫婦の 切り返しショット連結の美しさ。 彼女の気丈で凛とした歌声と佇まいが感動的なのは、 その前段での高校入学面接試験で彼女が吐露する本心と、彼女が見せる涙があるからだ。 彼女らが旅立つ映画のラスト、島の独特の風土と地形的特色が映画に活きる。 三吉ら卒業生達の乗った小さなフェリーは外海の荒波に大きくローリングしながらも 真っ直ぐに島を離れていく。不安定でも進んでいく船の航跡に熱くなる。 島でのロケーションだけに、現地エキストラも充実している。 特に子供達の巧まざる演技が素晴らしい。 観光名所案内的なショットを極力避けた情景撮影が好ましい。 土地の事情なのかどうか、携帯電話が登場せず、固定電話や手紙やボートが コミュニケーションの手段となっているのも映画性を高めている。 [DVD(邦画)] 8点(2014-03-28 23:56:22)《改行有》

229.  抱きしめたい ―真実の物語― 左半身不随の北川景子が差し出そうとする盆を慌てて支え、 彼女の煎れたお茶を美味しそうに頂くというシチュエーションを、 同一構図、同一カッティングの中、 錦戸亮と國村準の親子がそれぞれ別々のシーンで演じている。 即興なのか、演出通りなのか、二人のリアクションは実によく似ている。 それだけのことが、この親子と娘の秀逸なキャラクター描写・関係性の描写になっている。 レストラン窓際での北川・錦戸カップルの食事シーンが、錦戸と息子の食事として 反復されるのも同様だ。 その食事シーンの最後、成瀬作品のように窓外からのショットに切り替わって サイレントの効果を醸すのも印象的である。 『黄泉がえり』のおでん屋のシーンのように、飲食のシーンをそれぞれ大事にしているのがいい。 夜の回転木馬の緩やかなローリング。その浮揚と下降の中でのぎこちないキスシーンの美しさ。その二人を見守る窪田正孝の視線の暖かさ。 ボールを放るアクションとその軌跡の響きあい。 國村・錦戸親子の罵り合いや、ワンポイント英語・中国語を使ったアドリブ感満点の 飾らない会話劇の魅力。 佐藤めぐみの突発的なビール瓶攻撃の鮮やかさ。 生まれたばかりの赤子を囲む病院シーンのドキュメンタルな長回しの迫真と幸福感。 ベッドでの二人の交わらない視線の劇。その万感のエモーション、、。 個々に書き出せばきりのないほど、映画の魅力が詰まっている。 何よりも、予告編の印象をいい意味で裏切る、お涙頂戴を潔しとしない塩田監督の自制的な手際にこそ泣かされる。 [映画館(邦画)] 8点(2014-02-28 01:06:11)《改行有》

230.  ニシノユキヒコの恋と冒険 パンフレットにも裏話として書かれているが、竹野内豊が中村ゆりかの前に現れる シーンの庭を渡る風は偶然のものらしい。その特長的なロングテイクの中に奇跡的に 吹き渡る風のざわつきの感覚が非常にいい。 ショットの中に立ち現れる、作り手も予期しなかっただろう風物・生物のアクション、リアクション。それら偶然の産物が映画を充実させている。 中村ゆりかの飼っている犬、成海璃子らが飼っている猫のユニークな動作とタイミング の絶妙なことといったらない。 楽団の演奏の何ともとぼけた感じと、それを手前で聞いている中村の緩い反応なども ユーモラスだ。 一方で構図取りは非常に厳格である。 マンションのエレベーターやオフィス玄関の自動ドアや階段の昇降。 そこでの人物の出し入れが巧い。 求心的な構図から一転、ビスタサイズを目一杯使って二者、三者をフレーム両端まで配置してみせたりもするので、見る側も気合が入る。 その上でのラストのクロースアップと涙はただただ清らかだ。 劇中の映画ネタ、ご当地ネタはご愛嬌。坂道の数々や堤防越しの水平線がよく撮れている。 投稿後、『群像』の映画時評を確認。真似たわけではないので。念のため。 [映画館(邦画)] 8点(2014-02-19 23:48:47)《改行有》

231.  風立ちぬ(2013) キネマ旬報の何某は、この喫煙シーンを狭量な「挑発」だという。 勿論、『紅の豚』でも煙草のポイ捨てシーンをあえて描いているのだから 一種の挑発的な意図もあるのだろうが、 宮崎駿の細やかな絵コンテ指示を見てもわかる通り、単なる挑発だけで多大な経費や手間を要する作画・エフェクトの指示はすまい。 それこそ、何よりも風を生起させる行為として紫煙は表現されている。 震災の黒煙、工場の煙突からの排煙、汽車の蒸気、雪の朝の白い息、バスのあげる土煙、 家から登る白煙。それらと同様、二次元の画面に豊かな空間の深みと流動態を与え 画面を息づかせる描画演出のひとつに他ならない。 絵を常に何らかの形で動かすことへの徹底したこだわり。 眼に見えない大気をも可視化させアニメーション化することで世界に生気を与えること。 そこにアニメーション作家の矜持を見る。 その挑発ならぬ挑発に簡単に引っ掛かってしまう学会こそ滑稽だ。 嫁入りの夜、襖が静かに開き、美しい奈穂子の正面のカットとなる。 そこに風花がさっと舞う。その柔らかな大気の流れがシーンの美しさを引き立てる。 『ひこうき雲』の流れる映画のエンディング。 静止画となる人間不在の情景カットにあるのは、全てを語りきったという思いか。 [映画館(邦画)] 8点(2014-02-16 04:31:13)《改行有》

232.  ラッシュ/プライドと友情 ハワード・ホークスのように、プロフェッショナル達を描く。 初めてのレースシーンに流れる『GIMME SOME LOVIN’』の選曲と、 リアミラーを駆使したスピーディなカッティングは『デイズ・オブ・サンダー』の 故トニー・スコットへのオマージュかと思えば、そもそも音楽担当はハンス・ツィマー なのだった。 激しく煽られる芝生、土埃、雨飛沫といった対象物によって表現されるスピード感。 雨降る最終レース、スタート前の二人が交わす視線の交錯が印象深い。 そういえば、南波克行氏のロン・ハワード論でもかつて「水に飛び込む」ショット へのこだわりが指摘されていたが、このレース映画にも水への飛び込みが 抜かりなくワンシーン挿入されている。 ダニエル・ブリュールとアレクサンドラ・マリア・ララが結婚した夜のプールシーン がそれである。 そして、そこに繋がる二人の対話シーンが美しい。 窓外を見つめるクールなダニエル・ブリュールの胸部に ロン・ハワードがガラス窓を通して反射させるのは、 スピルバーグのような紅い炎ではなく、碧い水の揺らめきなのだ。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-02-11 17:17:01)《改行有》

233.  恐怖のまわり道 スクリーンプロセスの多用などはいかにも予算の制約を感じさせつつ、 一方ではトム・ニールの電話シーンに交換手がそれを繋いでいくショットを律儀に 入れもする。 低予算映画ならば真っ先に削れそうなショットなのだが、この簡潔な長距離電話の描写が あってこそ、後の大陸横断ヒッチハイクの距離感が印象づけられることになる。 同時にその電話線もまた終盤に活きてくるわけで、巧い。 道中、最初の思わぬ悲劇。 黒い車体に降りかかる激しい土砂降りの雨が、それだけでその後に主人公が陥っていく 泥沼状況を予感させる。 助手席で眠っていたかと思われたアン・サヴェージが不意に目を開けて 運転席のトム・ニールを凝視する、それだけの動き、その無表情がなんとも恐ろしい。 レコード盤からドラムへと、円によってスムーズにフラッシュバックへとカットを 繋ぐなど、編集の工夫も随所で光る。 満載されたノワールの意匠と低予算ならではの美徳が、不思議な魅力を放っている。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-02-07 23:42:25)《改行有》

234.  条理ある疑いの彼方に 《ネタバレ》 法廷内に据えられたテレビカメラが、審理の模様を中継している。 米国ならではの光景だ。 被告席に座るダナ・アンドリュースは彼に向けられたカメラを正面からじっと見据える。 彼を追い詰めていくのは、自らが捏造した状況証拠だけでなく、 マスメディアのレンズでもある。 『暗黒街の弾痕』のラストで、ヘンリー・フォンダを捉えるライフルの照準器のように。 映画のラスト、奥のドアへと退出する彼に、カメラのフラッシュが追い討ちをかける。 彼に浴びせられる、その唐突な白光が容赦無い。 予断を煽る新聞のセンセーショナルな大見出しや 儚く灰となる、証拠写真のネガ。 そこにメディアの危うさもまた浮かび上がってくる。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-01-25 23:56:24)《改行有》

235.  呪いの家 夜の屋敷内、蝋燭の灯だけを光源とした照明設計が魅惑的な闇を創りだす。 その黒の中に白い影が亡霊のように浮かび上がる。 クライテリオン盤DVDはチャールズ・ラングJr.の モノクロームの美をよく引き出している。 巻頭の目眩く波間の空撮。 リスを追いかける犬のアクションによって家そのものをも演出していく手際。 女優陣を愛でるエレガントで艶やかなクロースアップ。 スクリーンプロセスと、緩やかな海風とボートの揺れとの見事なシンクロ。 その画面の充実ぶりはラストの夜明けの美しさまで一貫している。 萎れる花や、捲れる書物の頁など、慎ましい特殊効果もゴシックムードに相応しい。 崖から落ちかけるゲイル・ラッセルのロングショットには息を呑む。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-01-19 22:07:15)《改行有》

236.  火まつり キャストをみて初めて職業俳優が多数出演していたとわかる。 そのくらい、キャストの佇まいや方言が現地に溶け込んでいる。 それは引きのカメラによる達成でもあるだろう。 街の一角を、後方に山を望む駅を、引いたカメラで出来る限り広域に取り入れ その中で複数の人物を近景と遠景の間で動かし、絡ませるなど 非常に手間と労力のかかる贅沢な演出をしている。 人間と自然を一体のものとして画面に載せた、意欲的なロケ撮影だ。 オートバイに乗った男女が勢い余って生垣に投げ出される、 滑走する漁船から安岡力也が海に放り出される、といった危険なスタントも 引きのワンカットで収めるといった具合に、アクションも気合が入っている。 静かな森の中で次第に風が立ち上がり、ざわざわと枝葉が揺れ出す。 激しく降り出す森の中の雨は人工の雨か、それとも本物か。 これらの撮影はまさに神憑りと云うべきだろう。 太地喜和子の乗る小舟が、埠頭を歩く北大路欣也と並走しながら入港してくる、 その船側から陸側を望む横移動の緩やかな運動感。 柳町光男も、これをやっている。 [ビデオ(邦画)] 8点(2014-01-11 23:29:42)《改行有》

237.  オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ アナログレコードの音楽に合わせて踊る、トム・ヒドルストンとティルダ・スウィントンの俯瞰ショット。 ソファの上で弾むように脚を組み替えるミア・ワシコウスカの仕草。 静かな映画の中で、それらの滑らかな運動感がアクセント的に心地よい。 途中、そのミア・ワシコウスカの闖入によって館が三人所帯となることで ジャームッシュ流の移動の映画=ロードムービーとなる。 彼女の登場は、移動を促す契機としてあると云っても良い。 遠くに街の灯が散らばるデトロイトの寂れた夜道。 まばらな明かりの中に浮かび上がる廃墟の群れが、街の盛衰を偲ばせる。 勾配が特徴的なタンジールの石畳の路地。 黄昏のような、艶を帯びた妖しげな光の加減がエキゾチックで素晴らしい。 ランプを光源とした屋内シーンの見事さも見逃せない。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2013-12-23 23:24:51)《改行有》

238.  ペコロスの母に会いに行く メインキャストの背後に印象的に配置された長崎の坂道。 その坂道を、夏服の女学生たちが、ベビーカーを押す主婦が、 下校途中の小学生たちが行き来している。そうした俳優の街への溶け込み方がいい。 そのベビーカーの親子はラストの坂道での交流に重なり、 女学生はコーラスの生徒たちのイメージと重なる。 空を舞う鳶や、水平線を見る背中や、バックミラーとの切り返しといった 類似・相似ショットのさりげない反復。 登場人物たちの対話における同一フレーズ・仕草の反復・変奏。 それらの繰り返しが、個々のシーンや端役まで含めたキャラクターのイメージを より印象深いものにしていく。 黄色いランタン祭りの中を彷徨う赤木春恵と、花街を彷徨う原田貴和子の重なり合い。 現在と過去、幾度も登場した個々の写真のイメージがクライマックスで 鮮やかに集約する。 [映画館(邦画)] 8点(2013-11-24 01:15:34)《改行有》

239.  ファインド・アウト 派手に車体をぶつけるばかりが能ではない、というカーチェイスがいい。 車種を幾度も変えつつ、 追走するパトカーの目眩めくライトの光芒がテンポの良いカッティングの中で 美しく映えて、車体の接触など一度も無いことが逆に一層の緊迫感を煽る。 運転座席での携帯通話という図の繰り返しは単調になりがちだが、 通話しているアマンダ・サイフリッドの背後の窓ガラスに意識的に 映り込んでいる雨滴、緩やかに流れていく街燈の光やマジックアワーの明かり、 そして森の闇が画面の動的なアクセントとして機能している。 「Just Watch Me」と懐柔を拒否し、「I lied」と何の躊躇もなく マッチの火を洞穴に投げ込み復讐を果たすヒロインの清々しいまでの豪胆。 全編に一貫した、一切躊躇のない無頼派の行動が何より魅力だ。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2013-10-16 01:04:20)《改行有》

240.  エンディングノート 黄金色に輝く銀杏並木の光が、街路を歩く主人公:砂田智昭さんの横顔を包む。 砂田さんが登る階段の背後で教会のステンドグラスが輝いている。 臨終を確認する音声が流れる中、街のシルエットとその背後に広がる マジックアワーの淡い陽光が悲しいまでに美しい。 家族の交流を映し出す合間に点描される、光を伴った街・空の情景ショットが、 単に映像がキレイだとかいう事ではなく、映画の場面として印象深い。 8mm映像の中で笑う、ありし日の父の姿は誰が撮ったものか。 その粗い画調ならではのノスタルジックな美しさ。 病床で妻への愛情を伝えるシーンは恐らく、撮影者=監督不在のまま 録画されているのだろう。光量不足でザラついた画面だからこそ 夫婦二人だけの時間・空間を切り取ったこの場面はひときわ美しい。 日頃からカメラを向けてきたからこそ、自然体のままカメラを受け入れ、 何の衒いもなく被写体を生きる父。 そして砂田麻美監督を含めた家族それぞれが、被写体として素晴らしい。 [DVD(邦画)] 8点(2013-10-14 22:57:14)《改行有》

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