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221.  グリーン・カード 《ネタバレ》 そうか、あの温室付きマンションに住むには、会ったこともない移民男性と偽装結婚すれば良いんだ! …誰かに相談すれば100%止められるアイデアを実行してしまったブロンティ。90年代は時間と金と人生を自己満足の為に使う人が多かったようだ。彼女の場合はグリーンゲリラとかって自然保護団体に所属し、自分の時間を植物に費やしてる。本当に植物が好きというより、そこまで植物が好きな自分が好き。なのかもしれない。 ベジタリアンのフィル(これ本当に彼氏か?)も、本当に好きで付き合っているのでなく、植物好きが好きになる彼氏像だから、置いておきたいだけに思える。フィルに対する気持ちが見えてこないし、フィルにとってのブロンディも、簡単に落とせる範囲の女なんだろう。 ジョージは生きるために色んなことをやってきた。ピアノの演奏を迫られて、普通は弾けないか弾けるかの2択だけど、あの結果は予想してなかった。 生活のために必死なジョージは、見ていて応援したくなる。一方そこまで追い詰められていないブロンディには、もっと相手への思いやりとか、自分をしっかり見てみろよ。って思ってしまう。面接での別れ際でも、指輪を返すブロンディの気持ちの無さが鼻につく。 ポラロイドで撮った写真で作ったスクラップは、面接の準備以上の愛情が感じられて、本番で言葉を滑らせるジョージは、見ててあーっ…てなった。 緑の生い茂る公園を二人で駆け抜けるシーンが印象的。 音楽が自分の好みなようで、更にエンヤの曲が流れると、なんか懐かしくて得した気分になる。世代です。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-12-17 01:27:26)《改行有》

222.  キューポラのある街 《ネタバレ》 私が生まれる前のお話で、今回が初見。 色々メッセージ性が強い映画だが、当時と今(というか私)の見方・捉え方は違うような気がしつつの鑑賞。 働く場を失う職人の父(黄門様だったのか)。せっかく紹介された新しい働き口も、自分の我儘で辞めてしまうダメなオヤジ。そんな夫に強く言い返せず、ずぶずぶと貧乏暮らしを受け入れ、居酒屋でホステスのような仕事をする母。 この二人は敗戦後の日本人の象徴だろうか?朝鮮戦争で鋳物職人は相当稼いだと思うけど、新しいこと(工場の機械化や労働組合の参加)を受け入れられず、飲み代とギャンブルに金を使い、無計画に子供を作ってしまったんだろうな。 最後はタナボタで労働組合に助けられ、何の努力もせず旨い酒を飲む。古い日本人ってダメだな。ってことかな? 自分の進学費用を稼ごうとパチンコ屋で働くジュン。貧しい家の事情を考えると、高校進学どころか修学旅行すら行って良いのか悩める中学三年生。同調圧力か見栄か、修学旅行のお小遣い増額希望に弱々しく手を挙げる姿が痛ましい。 先生の力添えで修学旅行に行けるとなった時の笑顔。その笑顔のまま在日朝鮮人の友達ヨシエが北朝鮮に行く話を聞く時の「あら!そう!良かったわね!じゃ!」みたいケロッと関心なさそうな態度が、悲しそうなヨシエと対照的に見えた。壮行会での涙より、こっちが気になったけど… 当時の北朝鮮帰国運動は、希望に輝く開拓地、未来の楽園へのチケットのように書かれている。でも現実は過酷な労働と同胞差別への片道切符だったようだ。ヨシエもサンキチもとっても良い子たち。希望と祖国愛を持った前向きな朝鮮人は、率先して北朝鮮に行ってしまったのかな。なんて? 母(一目でわかった菅井きんさん)は北朝鮮に行かないばかりか、とっとと再婚してどこかに行ってしまう。ホント最低だな古い日本人。でも結果論、行かないで良かった。 タカユキは貧乏に負けずたくましく生きる当時の現代っ子。サンキチが差別されるとトコトン庇ったり、仕事を辞めた父親に「俺高校行くから学費頼むぜ」とプレッシャー掛けたり、男気がある。 牛乳配達の少年のエピソードは見てるこちらもシュンとしてしまう。タカユキはこうやって善悪を実体験で学んでいく。 ジュンは全日制高校を諦め、就職と定時制学校への道を歩みだす。古くて貧しくてどんよりしたキューポラの街・川口に住むジュンやタカユキ、隣りの面倒見の良い労働組合のお兄さんら、みんなの若い力がこれからの日本を作っていくのだ!! 当時は今以上に手探りで進む時代だったと思う。この映画に共感して、進んで社会の歯車になった若者も多かったろうか?手探りながら前を向いた結果、高度経済成長、バブル経済と繋がっていく。凄いパワー。 続編があるとのことで見てみたいが、これほどの有名作の続編が、キャストも引き継いでいるのに無名なのが不思議。余程の出来栄えなのか? 余談だけどこの時代の邦画は声が聞き取りにくい。一部字幕が欲しいと思った。[CS・衛星(邦画)] 8点(2020-11-29 11:59:46)《改行有》

223.  ア・フュー・グッドメン 《ネタバレ》 “(The Marines Are Looking For )A Few Good Men”『若干名の精鋭(を海兵隊は求めています)』。海兵隊員募集の広告キャッチコピーだそうです。興味深いのは舞台となるグァンタナモ米軍基地。ここはアメリカの仮想敵国のキューバの領地で、アメリカがキューバから何十年も、ず~っと借りてる土地なんですね。ここはアメリカ領じゃないので、この地で起きた事件にはアメリカの法律が適用しにくい、いわゆるグレーゾーンだったようです。 アメリカ4軍の中でも特に高い戦闘能力が要求される海兵隊員。その中で精鋭とは言えないサンディアゴ。除隊ではなく転属を願い出た彼は、転属の条件・取引として、ドーソンによる発砲事件の証言がありました。…その脅迫紛いの提案が、良くなかったのかなぁ?そんなサンディアゴに大佐がコードRを指示し、実行したのは、基地の置かれている状況を考えると、必ずしも間違った解決策とは言い切れないんでしょうね。私はイヤだけど、彼も自分は精鋭ですよ!って応募した訳ですから。 よりによってグァンタナモは、少なくとも平常時のアメリカのルールをそのまま持って来て当てはめられるエリアとは言えません。誰にとっても運が悪かったですね。 そんな特殊な環境の説明が、映画にキチンと反映されていたとは言いきれない気がします。イジメ、体罰、発砲事件はどの基地でも起きるでしょうが、コードRが今でも、水面下ではなく大佐からの命令として続いているという部分が、他の在留基地との大きな違いなんだけど、単なるローカル・ルール程度の印象だったように思えます。 法廷モノとしてとても観ごたえがありました。クローゼットの服から活路を見い出す着眼点。法廷に当時の整備兵を入れるブラフ。大佐を追い詰め自供させる展開は映画らしくスカッとします。一方で発砲事件の隠蔽のためにドーソンがサンディアゴを毒殺した…なんてシナリオを被せられ、証拠隠滅とデッチ上げで軍に生贄にされたのに、元隊復帰を切望していた被告2人の判決が、とても不憫に思えました。でも仲間が死んでるしなぁ… 当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったトムとデミ。2人が共演してるのに、恋愛模様に発展しないのも、意外と言えば意外でしたね。イチャイチャしないぶん、シナリオに集中出来ました。[ビデオ(字幕)] 7点(2024-05-22 00:35:42)《改行有》

224.  ストリート・オブ・ファイヤー 《ネタバレ》 “Streets of Fire”『炎の街路』。ストリートは道路というより『◯◯通りに面した街』が、イメージに合う気がします。 夜の似合うアメリカの下町。ギラギラしたネオンサインが、雨に濡れた路面に反射して、とても綺麗で幻想的な世界観を創り出しています。幻想的と言えば、この映画の時代設定がよく解りません。警官たちが乗るパトカーが'50年代のスチュードベーカーってマニアックな車なので、その時代の映画かと思いきや、『今夜は青春』にせよ『アイ・キャン・ドリーム・アバウト・ユー』にせよ、公開当時の年代('84年)にマッチした新しい楽曲です。 当時の日本の若者には、アメリカの文化もファッションも音楽も、日本のものより洗練された格好いいものに映っていたように思います。そんな中公開されたこの映画は、私より少し上の世代のハートをガッチリ掴んだようです。 その一方で本国アメリカでは大赤字だったとか。恐らく、ストーリーはシンプルで若者向け。でも時代設定はどことなく'50年代で中高年向けな辺りから、どの層をターゲットにした映画なのか、イマイチ伝わらなかったんだと思います。 でも日本では、アメリカの流行り廃りがリアルタイムに入っていた訳じゃなかったため、少し時代遅れのものでも、最新のものと同列にカッコいいものとして扱っていたのかと思います。 アメ車('50年代)とロック('80年代)がゴチャ混ぜの変な街が、日本人が思い描く『格好いいアメリカ文化』そのものだったのかもしれません。 このレトロでお洒落でカッコいい路線は、アメリカでもバットマン('89)で大成功するので、この映画は、ちょっと時代の先を行っていたんでしょうね。[地上波(吹替)] 7点(2024-05-13 00:19:30)《改行有》

225.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 “Jacob's Ladder”『ヤコブの梯子』。旧約聖書の天国に伸びる梯子。キリスト教に明るい人にはタイトルでネタバレしてるけど、欧米の人はこの映画をどう観てたのかなぁ?そんなタイトルの意味なんか知らない私は、普通に戦争後遺症に苦しむベトナム帰還兵のお話だと思って観ていました。 出口が塞がれた地下鉄。揺れる電球の音。地下鉄なのに窓の外を見てる人々。極め付きは高速首振りヘッド。まるで悪夢を見ているような、“こんなのを見てしまったら絶対怖いよな”って表現がとても上手いです。この当時は、血みどろのスプラッターや、急に画面に出てくるサプライズ系のホラー映画がやや下火となり、新しい怖さの表現が求められていたように思います。本作のゾッとする怖さは、恐らくドラッグ接種による幻覚作用を映像化したものだと思いますが、それがどこか、日本のリングなどのような“呪い”っぽい怖さをイメージさせます。 結末から逆算すると、当時の米軍の化学兵器による副作用の恐ろしさがじわじわ感じられました。しかし、あんな恐ろしい体験を延々と味わった結末が…なんて、あまりに救いが無さ過ぎる。救いが無いからこそ、最後の最後にジェイコブの脳内が“有り得ない存在=生きているゲイブ”を作り出したんでしょうか。ジェイコブが見続けた幻覚の中でさえ、既に死んだと認識していたゲイブ。おかしな話ですが、未知の化学兵器に対する人間の防衛本能が、死の間際に生み出したものだとしたら、とても切なく神秘的ですね。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-05-08 22:43:47)《改行有》

226.  男はつらいよ 寅次郎紅の花 《ネタバレ》 シリーズ48作目。1月半ばに神戸からクッキーを送って以来、音沙汰のない寅と、心配して尋ね人の新聞広告を出すおばちゃん。本作は“昭和の忘れ物”のようなくるまや一家が、阪神淡路大震災のドキュメンタリーを観るところから始まります。思えば平成初期って、ショッキングなニュースが多かった気がします。 46作目の就職氷河期以来の、現実世界と寅さん世界のリンク。“この大変な時代に、寅さんだったらどうするか?”を観せてくれました。フォレスト・ガンプみたいに、当時のニュース映像にチョロチョロ顔を出す寅。過去作でボランティアとかしたことあったっけ?なんて思う反面、被災者を励ます姿は不思議と馴染んでましたね。 もう一方で、渥美さんの体調から『これが最後かも』という想いで創られた本作では、今後の寅の行き着く先が垣間見えます。過去作で出てきたテキ屋仲間の晩年が、決して幸せなものじゃなかったことを考えると、南国奄美の島でリリーと二人でのんびり暮らし。庭にバナナが成っていて、近所の人が魚を分けてくれる。ここならきっと寅も幸せに生きていける。そう思える終の住まいでした。 一方で満男の恋にも決着がつきます。この時、野田さん他、複数の女性と関係を持っていた(らしい)満男なので、決して泉にずっと一途だったわけじゃないんだけど、収まる所に収まった感があります。長年の腐れ縁になってしまった寅とリリーの前で、きちんと「愛してるからだよ!」って告白できたのは、良かった。肩を抱けずに宙ぶらりんになった寅の左腕もまた、良かった。 「男が女を送るっていう場合にはなぁ、その女の家の玄関まで送るっていうことよ」観るからに痩せて弱々しくなった寅から発せられた、細い声ながらも精一杯の告白。寅さんの最後の恋は、こうあってほしかったって、そんな最後でした。 あの四角いカバンは、寅は敢えて置いていったのかと思いました。テキ屋から足を洗ってカタギとしてリリーと一緒に生きていく。そんな寅の決意だったのかなぁ?って。…三平ちゃんのダッシュで手元に戻ってきてしまったけど。 その後僅か一週間で、口喧嘩して出ていってしまう寅も、なんとも寅らしい。今後寅は、柴又のくるまやでなく、加計呂麻島のリリーの家に帰るんだなって、そう思える結末でした。 そして諏訪家の正月。「餅食ったら映画、観てくるか」やっと二人きりになるさくらと博。日本のお正月映画と言えば『男はつらいよ』だけど、二人はこれから何を観てくるのかなぁ? とうとう最後になってしまった。私はもっとボンヤリした終わり方を想像していたけど、そして山田監督はあと2作品って考えていたそうだけど、そんな商売っ気や作品数の体裁ではなく、本作からはきちんと肌感覚で最後が伝わってきました。 「本当に皆さん、ご苦労様でした。」 そして当初の予定とは違う残りの2作品。きちんとお供します。[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-04-24 00:09:37)《改行有》

227.  禁じられた遊び(1952) 《ネタバレ》 “Jeux Interdits(Forbidden Games)”邦題ままですが、英題の通り『禁断のゲーム』って意味合いでした。 両親が機銃掃射で殺され、子犬のジョックも死に、一人ぼっちになったポレット。親切なおじさんの荷車を降りてまで拾いに行った子犬の死骸。でもミシェルに「新しい犬をあげる」と言われればそれで納得してしまう幼いポレット。まだ自分の状況と、死について理解出来てない年齢です。 ポレットは警察の手で戦災孤児院行きとなり、駅で「ミシェル」の名を聞き、涙を流して駆け出す。ポレットはここでようやく、自分が一人ぼっちになったことを理解したんじゃないでしょうか。 となり同士なのにいつも喧嘩しているドレ家とグアール家。「十字架を盗んだのはグアールかもしれない」なんて根拠のない言い掛かりを真に受けて更に悪化する反グアール感情。冷静に話し合えば解決するものもあるだろうに、ついには墓場での殴り合いに発展する。そんな親同士のことは関係なく、両家の子たちは結婚を誓い合う。この両家の争いを国家間の縮図、戦争に至った些細な原因と考えると、日本と近隣国の関係も他人事とは思えないですね。 墓から十字架を盗む。この子たちがやってることを大人が見つけたら、そりゃ怒るでしょうね。だけど怒るべき立場の大人は、もっと酷い戦争をしてる。戦争の結果、無差別に人が殺され、身寄りのない子供が作られ、道徳を学ぶ以前に死と向かい合い、見様見真似でお墓を作り、犬一匹じゃ可愛そうだからと、必要のない殺生をしてまでも墓に収める。この子たちは大人を困らせようとしていたのではなく、ただ子犬のお墓を綺麗にしたかっただけ。 タイトルの『禁断のゲーム』とは、恐らくこの子たちのお墓作りというより、大人たちがしている戦争の方でしょう。[DVD(字幕)] 7点(2024-03-17 23:08:03)《改行有》

228.  クレイマー、クレイマー 《ネタバレ》 “Kramer vs. Kramer”『原告クレイマー氏と被告クレイマー氏の裁判』。むかーし観た時は、夫婦の離婚ばかりに目が行っていたけど、その根底に女性の社会進出があったのね。夫サイドで話が進むから、いきなり離婚を切り出されたテッドが、今までやったことのなかったフレンチトースト作るのに悪戦苦闘する様子が、なんともコミカルに観えたっけ。自宅に連れ込んだ会社の同僚が素っ裸でビリーに挨拶するとこなんて、笑えるような、困ってしまうような…軽快なテーマソングも相まって、重いテーマだけどスルスル観られます。 今風に言うと、仕事と育児の両立がどれだけ大変かをシュミレートして観せる映画なんだけど、当時は“女の仕事(家事)を男がするのがどれだけ大変か”に重きを置いているように思えます。『女性が社会進出するっていうことは、男性が女性の仕事をすることですよ。』と。新規事業を任されるくらい、会社に期待されていたテッドが、育児が原因で結果を出せず、あっさりクビになるところも怖い。 映画を見る限り、ジョアンナが耐えられなかった部分、夫婦生活におけるテッドの落ち度が描かれません。突然、ビリーを置き去りに出ていって、ずっと音沙汰もなかったのに、今度は一方的にビリーの親権を取り戻そうと裁判を起こす。何とも身勝手に観えますが、テッド視点だからというのと、これほどの行動を起こさないと、女性からの離婚は難しい時代だったのかもしれません。 別居から離婚中の1年半ほどの間に、ジョアンナがどういう生活をしているかの描写はありませんが、彼氏が出来て、かなりの高収入で働いています。裁判の結果も『そうなるよな…』って思えます。 最後のフレンチトーストの手際の良さが印象的でした。私は本作を30年くらい前に観てたんですが、結末を思い違いしていました。判決通りジョアンナがビリーを引き取ったものとばかり… なので今回、ビリーの気持ちも理解できて『母親を失って、今度は父親と家を失うのか』と可哀想に思っていたところ、ジョアンナの選択。勝負に勝って試合に負ける。結末こうなってたんだと納得すると共に、自分の記憶のあやふやさに苦笑い。 この映画の主題は、離婚のゴタゴタより、当時の女性の社会進出が進んだ結果のシミュレートを、女性に観せるのが目的の映画なんじゃないか?と思いました。男の方が出て行き、残された女が子供を抱えて苦労する話は、いつの時代もあったと思います。今回は逆で、女が出て行きます。 結果的にジョアンナ・クレイマーは、自由を手にする代わり、クレイマー姓で積み重ねた数年間の全てを失います。突然育児を押し付けられたテッドは、最初は悪戦苦闘するものの、最後は手際よくフレンチトーストを焼きます。つまり『大変だけど男にも育児は出来るんだよ』と。乱暴な言い方をすると『離婚したら女は全部を失うよ?それでも良いの?』と。当時のフェミニストは、この映画をどう観たんでしょうか?[ビデオ(字幕)] 7点(2024-03-11 16:59:17)(良:1票) 《改行有》

229.  戦場のメリークリスマス 《ネタバレ》 “Merry Christmas, Mr. Lawrence”『ローレンスさん、あなたに祝福を。』 …思いっきり意訳ですが、今回改めて観て、こんなニュアンスじゃないかな?と感じました。 何だか不思議な映画ですよね。いろんな解釈ができそうで、名作なんだか駄作なんだか判断に迷います。ただ私は好きですこの映画。 そして音楽が良いですね。メインテーマはもちろん神曲ですが、“The Seed and the Sower”(1:30~)も負けじと名曲です。この映画が好きな理由に、神がかってるシーンが幾つかあって、そのシーンには必ず上の2曲が入ってます。 クリスマスとは縁遠そうな早朝のジャワ。ヤシの木の下を歩く軍服の男2人・ハラとローレンス。ここにメインテーマを被せる。このチョイスが素晴らしい。 脱走するセリアズの前にヨノイが現れ軍刀を抜く。『セリアズを斬りたくない』って表情に出てるのがもうたまらない。“The Seed~”の入り具合が完璧です。 酔ったハラ軍曹「ローレンスさん、ファーザルクリースマス。ご存知かな?」この時のハラさんの『合ってるのかな、意味通じてるかな』って表情が最高。俘虜なのに“さん付け”で呼ぶのが、平時のハラの人柄を感じさせて良い。「今夜!ワタシ!ファーザルクリースマス!」拙い英語に気持ちが感じられます。 ヨノイにキスするセリアズ。奇跡のスローモーション。あれ偶然撮れたそうで、そんな奇跡もあるものですね。そしてセリアズの髪を斬り敬礼するヨノイ。共に“The Seed~”が掛かります。 最後のハラのアップ「メリークリスマス!メリークリスマス!Mr.ローレンス」。 想像ですが、ハラとローレンスのシーンで掛かる“Merry Christmas~”は西洋(イギリス)の神を、セリアズとヨノイのシーンで掛かる“The Seed~”は東洋(日本)の神をイメージした曲じゃないでしょうか? 私はこの映画を、セリアズの中に神を見たヨノイ。ハラの中に神を見たローレンスという2つの話と解釈しました。 ヨノイは収容所の長。あの狭い世界では王のような存在です。2・26事件に参加できず、死に場所を失って今に至ります。神になり損ねたんですね。当時から話題のメイクは、ヨノイが『バッチリ化粧をした軍人さんだった。』という意味ではなく、美しい神でありたい、ヨノイの心の内側を視覚的に表現したのが、あのメイクだったんでしょう。なのできっと『メイクはオカシイ』なんて悪評が出るのも、大島監督は織り込み済みだったと考えます。 そんな収容所にセリアズが現れます。彼は処刑を恐れ、過去の弟との関係を後悔して生きる、普通の人間です。だけどヨノイから見て、(心に)メイクなどしなくても美しく、常に毅然とした態度のセリアズは、西洋の神そのものでした。 カネモトとデ・ヨンが死に、ヨノイは全ての俘虜に行(ギョウ)を強要。一方セリアズは花と盗んだまんじゅうを与えます。東西の文化の違いであり、神が民に与えるものの違いでもあります。 セリアズたちの脱走の際、ヨノイは遂に死に場所を見つけました。死んで軍神となりたい。そんなヨノイを見透かすように、セリアズはナイフを捨てます。ヨノイはここでも死ぬことが出来ませんでした。 遂にヨノイは俘虜全員を集合させ、重病人を死なせ、命令を聞かない俘虜長を斬り殺そうとします。セリアズっは身を挺して俘虜長を守り、ヨノイに博愛のキスをしました。ここでヨノイはセリアズの中に本物の神を見て、自分は神にはなれないのだと思い知らされました。 ハラはこの小さな世界では生殺与奪を与えられています。朝鮮人のカネモトを処刑しようとし、無線ラジオの件ではヨノイの判断を仰がず、独断で真犯人のチョウ?(と聞こえる)を処刑し、ローレンスたちを釈放しています。そんな勝手な事をして自室謹慎だけで済まされてます。そのためセリアズがヨノイにキスする場面は観ていません。 首から数珠を下げ、お経を唱える熱心な仏教徒のハラが、酒に酔って「ファーザークリスマス(イギリスのサンタの呼び方)」と、異教徒の神を名乗っておどけてみせます。立場は違えど友情を感じているローレンスへの好奇心から、彼らの信じる神がどんな存在か調べたのかもしれません。 処刑の前日、面会に来たローレンスに、ハラは流暢な英語で話します。好奇心の強いハラは、イギリスの文化と言葉を勉強していました。 そして別れ際、ローレンスの「Goodbyeハラさん、God bless you(あなたに神のご加護を)」に対し、ハラは「ローレンス!」と呼び止めます。『ローレンスさん、あなたに祝福を。祝福を。』ハラが思う最上級の贈る言葉。この時ローレンスはハラの中に本物の神を見ます。 …こんな解釈で、どうでしょう?[地上波(字幕)] 7点(2024-02-21 01:17:58)(良:1票) 《改行有》

230.  男はつらいよ ぼくの伯父さん 《ネタバレ》 シリーズ42作目。タイトルが『寅次郎の◯◯』とかじゃない本作。男はつらいよのスピン・オフ感が強くなっています。主役は満男。浪人生として今後の人生に不安だらけで、バイクで現実逃避しながらも、好きな女の子を思って悶々としてる満男。タイトルがタイトルだけに、観る前は『満男が主役かぁ…』なんて思っていたけど、意外なことに見応えは充分にあって、かえって寅の魅力が引き出された一作だったと思います。 正直『カッコいい寅が観たければ本作』と言っても良いくらい格好良かったです。「なんだオイ、酒の飲み方から教えなきゃなんないのか、まったく…」どぜう屋で教える酒の呑み方。あぁこういう大人と呑める若者は幸せだわ。「イッキイッキイッキ!」寅とは真逆の無粋な飲み方をする若者たち。実際、一気飲みで亡くなった人も話題になった時代でした。 この後のくるまやのひと悶着は、前段で諏訪夫婦の気持ちもきちんと書いているため、どちらの気持ちも伝わって痛ましい。取っ組み合いで息子に手加減されたのが判った時の博の悲しさ。上手い表現を使うわ。 いつもの寅さんと違い、本作は満男のロードムービー。バイクにゴクミ、当時の若者の流行りはキチンと抑えているけど、平成に入って2作めだけど、でもやっぱり絵面はまだ昭和。寅さんらしくないけどホモネタは、私は大爆笑しました。笹野さん何でもやるんだなぁ。あとどぜう屋で出てきた戸川純が、懐かしくてとても可愛い。おばちゃんの「私の手料理じゃナウくないんだってさ」うん。この当時『ダサい』って言葉の方が死語だった記憶があります。 泉の伯父の満男に対する苦言。本人が居ないところだし、黙って聞き流しても良いものを、一瞬間を置いて、穏やかな口調で満男の汚名返上する寅の格好良さは、シリーズで一番かもしれない。 公衆電話でくるまやに連絡する満男と寅。方やテレホンカードでピピーッピピーッと。方や10円玉でチャリンチャリンと。昭和と平成の違いを感じさせつつ、寅の掛ける電話の先にみんなが揃ってる、この最終回のような、世代交代のような演出。うん、寅さんはこれで最後と言われても納得の綺麗さです。[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-02-17 19:50:14)《改行有》

231.  君がいた夏 《ネタバレ》 “Stealing Home”『ホームスチール』。このタイトル、観た人は「おぉ!?」ってなりますよね。ビリーには様々なドラマがあって、過去に呼びもどされて、家に戻っていくのです。 この映画、20代の頃に一度観てますが、もっと歳を重ねた今の方が心に滲みました。地元を出て、慣れない土地で頑張ってる人は、更に感じるものがあるかもしれませんね。今回の帰省の目的が従姉のケイティの死がきっかけ。ケイティーにも様々なドラマがあって、遺灰をビリーに託して生涯を閉じます。ずっと会っていなかったのに、もう会えないってなった時の寂しさって、何なんでしょうね? ロビン『私ももう38歳。普段と変わりない朝。初体験(たぶん)の男が、高校時代のユニフォーム着て立ってた。』こんな事が実際に起きたら、脳みそグルングルンなりますよね。でも本筋はビリーとロビンの恋じゃないので、娘が玄関開けて、ロビンはシャワー後のすっぴんで、恥ずかしいって思う間もなくあのペンダント返してって展開が見事です。 この時のロビンの言葉「立派になったわね」高校のユニフォーム着た38歳のオッサンにこの言葉。ビリーがプロ入りした時から、ずっと言いたかったんでしょうね。面と向かってやっと言えたこの感じが素敵じゃないですか。手渡しじゃなく首に掛けてあげるのもいい。 遺灰を撒くシーン。20代の頃の初見時は『あ~ぁ、せっかく感動のシーンなのに、風に戻されちゃってるよ…』って思いました。だってあのくらいのシーンなら、幾らでも撮り直しは出来たはず。そうしなかったのは、あれが正解だったからなんです。 38歳の大人なら、波打ち際で丁寧にサラサラと灰を撒いたでしょうが、遺灰持って桟橋を駆けるシーン見てください。ガキンチョみたいな満面の笑顔。ビリーが高校のガキに戻って遺灰をバラ撒くんです。大事なものの扱いが雑で当然なんです。 ガキの頃のビリーといえば、ケイティーにもらった一生のお守りをロビンにポイとあげちゃうヤツ。でもケイティーは許した。ビリーの満足そうな笑顔をみて、ケイティーはやっぱり許すでしょう。『どうして風向きとか考えないの!散らばっちゃったじゃない!…でも、やっとペンダントを取り戻したわね。』って。 ノスタルジー全開。ひと夏の思い出映画を、極寒の2月に観てしまいました。割と知名度は高い映画だと思うけど、2014年を最後に10年間レビューがないのも、過去を呼び覚ますこの映画らしいかな?って思いました。そんな久々のレビュワーが、私なんかでいいのかしら?とも。[ビデオ(字幕)] 7点(2024-02-12 11:49:19)《改行有》

232.  マルサの女2 《ネタバレ》 前作から僅か11ヶ月で、このクオリティの続編を創ってくるところがもう化け物です。 巨大な蟹をムシャムシャ食う政治家たち。地上げと開発が進む都心。湯水のようにお金が湧いてくる新興宗教。このギラギラした空気がバブル真っ盛りの日本を象徴しています。 いきなりですが、伊丹作品の宮本信子の演じるヒロインのなかで、本作の板倉亮子が一番可愛いんじゃないでしょうか?前作よりずんぐりしてるように観えるのは、当時の流行りのワイドパンツだけでなく、髪の毛量が増えてるのと、やや胸が大きくなってるみたいです。気になる方はもう一度観比べてください。ヤクザ事務所の屋根に登って盗聴している亮子も可愛いけど、資料庫に向かうとき、誰も観てないところでバレエっぽいポーズ取る亮子がもう最高に可愛くて。 ただ、惜しいと思うところが、本作の亮子は常に公人=マルサの女の一面しか出ていないところです。前作にあった息子の大ちゃんとのやり取りや、権藤との仕事外のふれあい。そういった息抜きな一面がないため、常にピリピリした作品になってると思います。 愛車をマイティボーイからホンダZの改造車なんてマニアックな車にしたところから、マルサの亮子にプライベートの時間がない(遊べないから趣味の車に走る)ことを表してたのかもしれません。 また敵が巨大になりすぎたため、もう知恵と根気だけじゃ全てを解決できなくなってしまったのも、スッキリ出来ない部分かと思います。チビ政を襲う鉄砲玉はともかく、鬼沢の始末にスナイパーを使うのは、とかげの尻尾切りとしては解りやすいけど、リアリティが犠牲になった気がします。 流石は伊丹監督で、物語はキチンとまとまっています。でも地上げと新興宗教は一緒の回にしないで、それぞれをもう少し掘り下げて、別な作品にしても良かったかもしれません。地上げのあの手この手のイヤガラセは描かれていましたが、新興宗教部分は、お布施の名目で金品を搾り取られる信者などを描いても面白かったと思う。鬼沢一家や教団が、その後どうなったかも気になるところ。 あまりプラスの感想を書いてませんが、当時の伊丹監督のパワフルさを味わえる、クオリティの高い作品です。[地上波(邦画)] 7点(2024-01-31 20:32:07)《改行有》

233.  アウトサイダー(1983) 《ネタバレ》 “The Outsiders”部外者とかかな?って思いつつ、『非認可の組合』って意味もあるそうで、劇中の不良グループ『グリース』に『ソッシュ』を表してるんじゃないかなぁ?なんて、思いました。 子どもを脅す場面が印象的で、こうして小さな子供の頃から、グリースって組織が町の裏側を牛耳ってるんだって印象が浸透していくんだなって思いました。 現代劇なんだけど、公開当時からどこか懐かしさを感じさせる不思議な映画です。この時代の不良だとトゲトゲのパンク・ファッションとかだったろうに、出てくる不良が『理由なき反抗』や『ウエスト・サイド物語』の正常進化版のように素朴な不良って感じです。 (※訂正。あとから調べたら'60年代が舞台でした。そりゃ'80年代の子は『風と共に去りぬ』なんて読まないよな…) チェリーとの恋模様、ジョニーの家庭問題と悩みが多いポニーボーイ。相手チームの不良を刺し殺してしまう大事件が起きて、逃亡生活へ。この時のダラスの『頼れるアニキ感』がたまらなく痺れる。日常が一変してしまい、この先どうなるんだろう?と期待が高まります。食料買い込んで髪を切って染めて、少年2人の非日常生活が始まります。 ただ教会の火事から、殺人事件を含む諸々の問題が有耶無耶になってしまったように思えます。 グループの決闘『ランブル』に向けて盛り上がっていくところ。ポニーボーイとランディの車の中での本音トークはとても良かった。「今夜のランブルでも誰か死ぬかも」と、仲間にも言えない不安を共有する2人。 ランブルは思いのほか正々堂々とした乱闘でした。この物語の山場・見せ場として、殺人をキッカケとした闘いとしては、健全すぎるように感じました。仲間を殺された不満や鬱憤を、この一戦でチャラにしていいの?なんて思ってしまった。あとチェリーとのその後とか消化不良にも思えます。 でもステイ・ゴールドと夕焼けの映像の美しさが、若者のストーリーと言うよりポエムのようで、そう考えると起承転結とかどうでもよく感じます。 そして現代の不良としなかったことで、どの時代に観ても古臭さより懐かしさを感じさせる、タイムレスな映画になってますね。 ピンで映画の主役を張る若手俳優の揃い踏みは圧巻。今観るとみんな子供だなぁ。トム・クルーズは奇行が目立つようになった時と同じくらい落ち着きがなくて、この時からクスリを…じゃなくって、コレが彼の素なのかなぁなんて思いました。[ビデオ(字幕)] 7点(2024-01-27 10:47:44)《改行有》

234.  イエスタデイ(2019) 《ネタバレ》 “Yesterday”『昨日』という意味のビートルズの楽曲。世界規模の謎の停電の翌日、ジャックが初めて歌って聞かせたビートルズの曲。 『もしもビートルズが存在しなかったら?』って、考えてみたらラノベの異世界モノみたいな展開。そうなったら、ビートルズに影響を受けたミュージシャンはどうなってるんだろう?なんて細かいことをチクチクするような映画でなくて、大雑把にその架空の世界観を楽しむ作品だろうね。 ロンドン五輪の時、ポールがヘイ・ジュードを歌った時、若者が「?」ってなったってのを、ネットで見た。「知らないおじいさんが“おい、ユダヤ人”って歌ってるぞ?」みたいな。まぁ日本だと三波春夫とか橋幸夫が流行ってた時代の曲だし、私よりふた回りも若い世代だと、ビートルズやポールを知らないってこともあるだろう。もちろんネットの口コミだから、ウケ狙いのジョークの面が強いとは思うけど。 このロンドン五輪開会式の総合演出がダニー・ボイル。この映画を作ったキッカケは、実はこんなところにあったのかもしれない。だから映画最後の曲はヘイ・ジュードだったんだろう。タイトルはイエスタデイなのに。 さて、ビートルズが存在しない世界で、映画のように過去の名曲がヒットするかはちょっと疑問。BTTFのジョニー・ビー・グッドみたく同じ時代に世に出たなら確実にヒットしただろうけど、今は多様性の時代。ポップス、ロック、EDMと方向性が多岐にわたり、ネット配信でヒット曲のサビしか聞かない時代に、1曲(ヘタしたら1枚のアルバム)で一つのメッセージを表現するビートルズの歌の価値が、通じるかなぁ? またインド系イケメンのヒメーシュ・パテルを主人公にしたのも、どんな意図があったんだろう?14億人市場狙い?ビートルズが売れたのは歌の魅力だけでなく、4人のビジュアル面(アイドルの一面)もヒットの大きな要因だったと思う。ジャック一人じゃジョンとポールのハーモニーは出せないわけだし… あの人が生きていたのは意外性があって嬉しかった。ターミネーター・ニューフェイトのジョンを観たとき以来の嬉しさかな?ここはとても幸せな気持ちになれたわ。でもこの映画はポールがメイン。劇中印象的だった楽曲の多くが、イエスタデイもヘイ・ジュードもレット・イット・ビーもエリナー・リグビーもバック・イン・ザ・U.S.S.R.もザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードもポールの楽曲。 映画と違って、今から60年も前に本当に伝説を作って、そして今でも現役で活躍しているビートルズが居るんだよ。って、そんなメッセージにも思えたわ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-01-25 22:50:39)《改行有》

235.  アルゴ 《ネタバレ》 “Argo”実際にあった架空のSF映画のタイトル。モトはギリシャ神話の巨大船だそうです。 ベン・アフレックと言うと、なんかアイドル俳優みたいなイメージがあります。パールハーバーやアルマゲドンの影響かな?そんな彼が実際にあった事件映画の監督をやってることに、正直違和感を感じたものでした。 『架空のSF映画をでっち上げて、イランに閉じ込められてる外交官を脱出させる』なんて、映画以上に映画っぽい事を、CIAが大真面目に実行したことが非常に興味深い。 怖さの演出は控えめです。路上で囲まれて撃たれる人の1シーンと、クレーンで吊るされる死体のシーンがあるくらい。それでも『捕まったら残酷に処刑される』緊張感はきちんと伝わってきました。 911テロ以降、私たちに焼き付いている“中東=命の価値が違う国だから怖い”ってイメージからでしょうかね?印象操作? 恐怖演出は控えめながら、バザールのロケハン。デモ隊との遭遇、写真を撮ったことから始まる揉め事など、バレたら即殺される、生きた心地のしない緊張感はきちんと感じられました。 クライマックスの空港脱出も、アメリカとイランにまたがってのハラハラ具合は、まさに映画の醍醐味。ここに来て予想外な人物の活躍もスカッとさせてくれました。視聴2回目の今回、大統領史上かなり地味なジミー・カーターが、作戦承認を即決したところが良かった。またこの救出作戦を、自分の人気取りに使わなかったことも好感度UP。 最後の飛行機とパトカーのチェイスは、やっぱり映画的演出だそう。でもそこを映画的に脚色するなら、脱出の前の晩に外交官たちが酒宴を開いてるシーンは削っても良かったかな。 せっかくトニーが入国するとき、イラン領空で乗客のアルコールを回収するシーンを入れたんだから、脱出で領空を出てから、やっと久しぶりの酒呑んでみんなでイェアーー!!じゃないでしょうか?映画的には。 でもこの事件において、外交官6人はもちろん、人質となった52人全員が解放、死者もゼロだったことは、当時のイランとは、まだ話の通じる関係だったんだなって、思えました。[映画館(字幕)] 7点(2024-01-20 18:12:56)《改行有》

236.  男はつらいよ 知床慕情 《ネタバレ》 シリーズ38作目。あれれ?夢オープニングじゃないぞ?寅の一人語りと桜が満開の江戸川の土手。そして語りの〆が「私の故郷と申しますのは、東京は葛飾柴又…」そう!東京って付いてるから、1作目の一番最初のナレーションを意識してのオープニング。 あぁ、本作が寅さんの最後って噂もあったのか。確かに、おいちゃんが肺炎で入院している。跡取りの寅は何してるんだって話をしてる。おばちゃんは「もう店辞めよう!」って騒いでる。そして三船敏郎がゲストで出てくるとなれば、最後の寅さんと言われても納得の布陣。 本作の本流は獣医の先生と、はまなすママの恋愛模様です。'80年代に入り、もう若くない寅は、若者の恋をサポートすることは多くなってきたけど、熟年の恋をサポートするというのは、意外性としても面白い試みだったと思います。 常に難しい顔をしてた先生が、その難しい顔のまま、勇気を振り絞ってママに告白するシーンは、とても手に汗握る展開で、ある意味微笑ましく、そして知床の風景に負けないくらい爽やかでした。 舞台はほとんど“This is知床”の斜里町。観光名所も多く、カラッと爽やかな斜里の風景がじゃんじゃん出てくる。ご存じの方もいるだろうけど、劇中何度か歌われる『知床旅情』って、斜里の裏側、観光地化があまり進んでない漁師町・羅臼町の歌です。 斜里の自然描写が多いぶん、割りを食ったのが、寅とマドンナりん子との恋愛模様だったのかもしれません。二人の関係が終わるところも、船長の語りで済まされてしまいました。 ところで、りん子はどうしてまた東京に出てきたんでしょうか?東京にはあまりいい思い出はなく、知床で暮らしたほうが幸せだったんじゃないかと思うところ。もし本作が最終回だったら、寅とりん子の今後を、もう少し匂わすカタチで終わっていたのかもしれません。だから、東京に出てきたのかな?って。 何せ竹下景子は3度も別人マドンナをしたくらいだから、リリー/浅丘ルリ子とは別な意味で山田監督のお気に入りだったんでしょう。 本作が最後でも納得の内容でした。でも一本の映画としては完成度が高く、寅という一人の男の物語の最後としては、少し消化不良だったんでしょうか?何より寅が大きな恋をしないで終わるというのは、ちょっぴり寂しかったのかもしれませんね。[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-01-18 22:41:53)《改行有》

237.  かもめ食堂 《ネタバレ》 フィンランドという非日常空間で繰り広げられる日本人女性の日常。不思議な雰囲気とやんわりとした空気が、なんか良いのだ。 何でその話?って思えるオープニングのナレーション。太った猫の死と痩せた母の死。美味しそうに食べる太った生き物に弱いって話から、遠巻きに店を見る太めな現地女性3人組。このお話はどこに向かっていくのかな? サチエがフィンランドに来た理由。ミドリにもっともらしい理由を話すけど実はその場の思いつき。「ここならやっていけると思った」と言うけど、結局サチエが日本を出てここに来た理由は不明。小さいけど綺麗なお店。ピカピカの食器に調理器具。統一感のある北欧家具。サチエ、お金はあるんだな。 ミドリがお店をガイドブックに載せて宣伝したり、現地の人向けのおにぎりの具を考案するのに対し、売上にまるで執着がないサチエ。ダメなら辞めます。ってのは、自信があるからというより、サチエは自分を曲げて商売に熱を入れるんじゃなく、好きなことをやってる今が大事なんだろうな。だから明日世界が終わっても良いような毎日を送っているんだろう。 目をつぶって地図を指差したミドリは、ムーミンが好きなくらい。親の介護が終わったマサコもエアギター選手権で興味を持ったくらい。サチエ含めみんなフィンランドに絶対のコダワリはない。 3人とも過去に何かがあって日本を出てきている。3人ともそんな過去をリセットして、たまたまここで出会って、同じ時を過ごしている。 夫が出ていった中年女性、コーヒーの煎れ方を教えた中年男性。共に過去をリセットして、これからリスタートするかどうかってところ。 食堂のメインはとんかつや唐揚げ、鮭の塩焼きといった日本食。ソウルフードのおにぎり。おにぎりにはシャケ、梅、おかか。 おにぎりにトナカイやザリガニを入れても合わない。こちらから無理に合わせるのではなく、自分に合うものを選んでもらう。 そんな生き方がしたくて、サチエはこの地で店を始めたんだろう。 日本を離れた彼女たちの生き方が、この映画自体が、遠い異国のフィンランドから、日本人に向けて発信されているメッセージのように思える。 そんなメッセージを受け取る勇気も行動力もなく、ただ忙しい日常に流される毎日だけど。 サチエの「いらっしゃい!」がとても心地よい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-01-08 14:46:44)《改行有》

238.  キャノンボール 《ネタバレ》 “The Cannonball Run”訳すなら砲弾レースでしょうか。'70年代にアメリカで実際に開催された、非合法の大陸横断レースの映画化です。公道を警察に捕まらないように工夫しつつ、ゆる~くゴールを目指すレースで、同様のレースは'80年代以降も開催されていたけど、回を重ねる毎に、スピードとテクニック重視の、いわゆる“しょっぱい内容”になっていったようです。 映画は同レース初期のコンセプトに沿っているため、正攻法のスーパーカーもあれば、忍者のようなハイテク四駆やボンドカー、警官が止めにくい救急車なんて各チーム工夫のあとが出てます。 子供の頃この映画が大好きで、ゴールデン洋画劇場で放送される度に観てました。ジャッキーがコミカルに活躍するのが嬉しいし、カッコいいムーア・ボンド本人が三枚目を演じるのもイイ。ドクターが顔は不気味だけどお茶目なところとか、キャプテン・ケイオスの登場シーンなんて、こういう明るいおじさん、子供は大好きなんです。 ピチピチ衣装の美女コンビ&黒いカウンタックの組み合わせが最高だけど、それ以上にノーブラ童顔のファラ・フォーセットがエロ可愛い。 スーパーカー、豪華俳優陣、セクシーな美女。オープニングからワクワクする要素が詰まりまくったこの映画。レンタルレコード(当時そういうのがあったのよ)で借りてもらったサントラをカセットにダビングして、あのオープニングをステレオ(ラジカセでしたが)で聞いたら、もうテンション爆上がり。 またエンディングののNG集が、撮影現場のゆる~い空気を感じさせてくれて、ホンワカしていい感じです。今回DVDを安く手に入れたところ、嬉しいことに吹替版が入っていて、懐かしい超豪華声優陣に感動してしまいました。アドリブ満載。意訳たっぷり。吹き替え現場もきっと、撮影現場並みにホンワカ・ゆる~く楽しく録ってたんでしょう。 あのカッコいい映画ポスターもゆるくて、何故か美女コンビのピンク(タラ・バックマン)の衣装を着たファラ・フォーセットが真ん中でババ~ンと…カウンタックも赤だし…もう見栄えが良ければ何でもアリです。 バート・レイノルズにはトランザムに乗ってほしかったけど、カッコいいJ.J.と明るいビクター、天然ボケのパメラと変態ドクター。レースより4人の珍道中がメインなので、この映画では救急車で正解でした。当時は気が付かなかったけど、J.J.ほとんど運転してないのね。9割ビクターが運転してたわ。 ジャッキーは「ニホンの~イチバンの~カーレーサー」です。ジャッキー&日本車と言えば三菱のイメージだけど、本作ではハイテク装備のスバルレオーネ。あんな小さい車体に四輪駆動って、当時はまだ珍しい先端技術だったんですね。 最後まで三枚目のボンド。画面に出る度に助手席のボンドガールがコロコロ変わってるのが芸が細かい。「すご~い!私がジョージ・ハミルトンの車に乗ったなんて!!」を吹替版では「ショーン・コネリー」に変えてるのがもう100点満点! 思い入れたっぷりだから映画は7点!サヨナラ~!バイバイ!![地上波(吹替)] 7点(2024-01-05 12:56:52)《改行有》

239.  男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 《ネタバレ》 シリーズ32作目。夢の中のニセ寅を観て、この人知ってるけど、誰だっけ?ってなったわ。あぁレオナルド熊か、懐かしい。 博のお父さんの墓って話が出たとき全然ピンとこなくて。あぁ、“ん゛ん゛一郎”さん亡くなってたんだ。その作品のみの登場人物で亡くなった人はいたけど、過去に出た人で亡くなったのって、飃一郎さんが初かなぁ?でも三回忌の年のお話として、湿っぽくならない創り方が上手い。 坊主に扮する寅。どんなミスするかワクワクしてたら上手いこと乗り切ってしまうのが逆に面白い。お経をどう乗り切ったか不明だけど、その後の御法話に人相の啖呵売を混ぜるのがさすが。その後の飃一郎の法事は思い切った悪ノリっぷり。青い顔のさくらと困ってる博。「兄さん」「「ん~??」」に吹き出してしまったわ。 当時の杉田かおるは、ホントあどけなくて可愛い。ひろみが寅に相談した後、滑って落っこちそうになるシーンの、二人の動きの大きさが名人芸。精一杯のおしゃれをして東京に出てくる姿もまた可愛い。この当時の杉田かおるの作品をもっと観たかったけど、本作以降しばらく映画には出て無いそうで、後から知った芸能界の闇が怖い。キスシーンはあったけど、そこから先はおいちゃんにストップさせたのが、山田監督による彼女の使い方の良心に思えたわ。 竹下景子の“町で評判の美人”っぷりが良い。表向きの顔と、父との会話からチラチラ観える内面が彼女の魅力を引き出している。 とらやに来た朋子が積極的で、これだけ自分の気持ちを出してくれる中、柴又駅での延長戦は手に汗握った。距離を置くさくら。『頑張れ寅!ここは頑張れ!』って応援してしまった。佃煮だのと逃げ道を探す寅にヤキモキしながら、あぁ、冗談にしてしまうのか。と落胆。東京駅で更なる延長戦もあるのか?って思ったところの試合終了。さくらの横を素通りせず「ヘヘへ…と言うお粗末さ…」と言い出す寅の背中が切ない。 タコ社長と博の経営方針の違い。飃一郎の死。一道が持つひろみの写真はカラーで、寅が持つ朋子の写真はモノクロ。世代の違いと時代の流れを感じさせる一作でした。[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-12-17 14:09:46)《改行有》

240.  男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 《ネタバレ》 シリーズ29作目。寅さんでスズメのアニメーション(白組作画!)が観られるとは。まるでメリー・ポピンズみたいになめらかな動き。 オープニングの歌の間に台詞のある本編ドラマが入っているのも新しい。 そして前作に引き続き、どこか哀愁のあるメロディ。う~ん、今回も悲しい終わり方するんだろうな。 片岡仁左衛門さんは歌舞伎役者か。映画主演作がほぼ無い中、劇中に馴染んだ演技を見せてくれる。貴重な茶碗をもらった寅の雑な扱いにワタワタする姿が面白い。寅が高齢になるにつれ、年齢の釣り合いの取れる(&お客さんの関心を集められる)マドンナとなると選択肢が減ってくるんだろうなって思う中、ゲストで豪華さを見せるのも上手いところ。 あといしだあゆみと吉岡秀隆の北の国から親子共演に思わずニヤニヤしてしまう。 そのマドンナいしだあゆみが、シリーズに異色な印象を見せる。顔より先にカメラが捉えるのは足。加納の家で寝込んで、朝方寅の寝室に入るかがりの足。丹後の実家で再会の時も、階段から降りてくるかがりの足から入る。寅とサシ飲みの俯瞰図もかがりの足がきれいに収まり、子供を寝かしつける時のふくらはぎは、寅でなくてもついドキッとしてしまう。そして階段を登る足。どうしちゃったんだろう?寅さんにこんなにエロ要素入れてくるなんて。 でもね、寅の寝室に入る時は意図的に足を映さないの。もう全身からフェロモン出てるから足は映さないの。寝たフリをしてやり過ごす寅。かがりが出ていく時にようやく足を映すのも上手い。徐々に盛り上がって、頂点迎えて取り逃して、クールダウン。ここで寅の恋は終わってます。 かがりから誘われたあじさい寺デートは、あまりに寅が可哀想な展開。そしてとらやの寅と旅先の寅の描き分けがハッキリしていて、一応旅先に含まれるあじさい寺に、とらやの満男を連れて行ったらどうなるかが初めて観られた。あぁ、こうなってしまうんだ。 そして、こうなることが解っていて、満男を連れて行ったのは、やっぱり丹後で燃え尽きていた自覚があったからなんだろうな。[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-12-02 10:56:58)《改行有》

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