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241.  シャーロック・ホームズ(2009) 《ネタバレ》 登場人物中、最も頭脳明晰なのはドワーフ(小男)だろう。電波受信装置、遠隔操作装置、防御システムなど、新発明ふんだんの青酸ガス発生兵器を完成させている。シャクナゲ毒の擬死薬や銅と反応するしびれ薬、石を繋ぎ止めておけるが雨で流れる蜜の接着剤、無味無臭で発火性の強い粉末、青酸ガスの解毒剤(本当にあったら大発明)なども作っている。まさに天才。対してホームズは、拳銃の消音装置は失敗。首吊実験は自力で降りれない。せいぜい或音階で蝿が回転飛行する習性のを発見した程度。その蝿を捕まえるのに6時間もかけている。小男なら腐臭を利用するだろう。大人と子供で比較にならない。こんなに利用価値の高い男を殺してしまうブラック・ウッド卿は愚者です。◆19世紀のロンドンを再現したセットやCGは見る価値がある。ハイスピード撮影された連続爆破場面が最大のスペクタクルだった。アイリーンの立ち位置が秀抜。ホームズの元恋人で盗人、男勝りでやたらナイフや拳銃を取り出す、敵であり、味方であり、ある人物に恐喝されている。演出を次第でもっと活きた。裸で手錠はかんべん。ホームズはやんちゃで、ワトソンと別れたくない甘えん坊。二人は共依存。探偵ものだが、謎解きや推理要素は希薄。例えば絞首刑で死なないトリックは、フックと隠しベルトとかの小学生レベル。服を調べれば判ることで、関係者全員を買収しないかぎり無理。アクション重視の娯楽映画だ。そのアクションだが、屠殺場の機械でアイリーンが屠殺されそうになり悪戦苦闘するが、電源を切ることを思いつかない。大男と対決する造船所の場面が最も大仰で華やかなのに、タワー・ブリッジでの最終対決はスケール・ダウン。前半あれだけ強調されていた、ホームズの相手の行動を予測して打ち負かす戦闘能力が中盤後半失われるなど、ちぐはぐだ。さりとてテンポが早く映像もスタイリッシュなので退屈はしない。【気になった点】①メアリーの事を知っていた女手相見はホームズの仕込み?②ブラックウッド卿が父トマス卿から指輪を抜き取った理由。家督継承の意味?③ホームズが医者に化けてワトソンを治療する意味。医療技術あるの?変装がメアリーに見破られてる!④自分の血を垂らしてまで、悪魔の儀式を再現する理由。⑤ホームズがワトソンに贈った婚約指輪のダイヤは、アイリーンから奪ったブレスレット?⑥警察所の遺体を自宅アパートに運んで調べる?論外。[DVD(字幕)] 7点(2012-09-22 20:03:15)

242.  世界侵略:ロサンゼルス決戦 《ネタバレ》 突然エイリアンの襲来による無差別爆弾攻撃が始まり、ロスアンジェルス他、世界12ケ所で烈しい攻防戦が繰り広げられる。国家レベルを超えた、地球全体、人類の存亡のかかった一大危機である。カメラはこの戦闘に参加した海兵隊の小隊の行動をドキュメンタリータッチで追う。勇躍ヘリに乗り込んだものの、圧倒的優位に立つ敵戦力の前に友軍ヘリは次々と墜落、制空権は完全に奪われている。かろうじて着陸し、司令部に合流出来たものの既に撤退指令がでており、警察署にいるらしい民間人救出を命令される。見えない場所から銃撃され、防戦一方。敵は百発撃ち込んでも死なない不死身ぶり。砲火を交えつつ、辛うじて民間人を発見。ここから対エイリアン戦争から、民間人救出劇にスケールダウンする。ロスがほぼ壊滅している状況で、民間人数人に小隊がかかりっきり。民間人の男(父)が死ぬと皆で愁嘆場を演じだす始末。「勇敢だった、(子に)泣いていいぞ、勇気をもて、海兵隊は絶対諦めない」場違い感がある。それよりエイリアンの死体何故持って帰らない。日中に目立つバスで移動するのもどうかと思うが、敵も本気で米国を相手にするなら、先ず軍事基地を叩き、放送・通信網を遮断し、発電所を爆破し、橋や鉄路などの輸送インフラを破壊すべきなのにこじんまりとした市街戦を演じてのんびりムード。そんなことしてるから、ほら、最後はあっけなくミサイルによる中央指令センター爆破で、ジ・エンド。対ミサイル防御システムがあんな貧弱ではね。今はレーザーを当てて誘導しなくても座標をインプットだけで、目標に命中するタイプのミサイルもあるよ。何年も前から侵略計画を練っていたはずでは?敵の愚かさぶりを嘆くようでは映画として成功とはいえない。「小賢い敵の意表を突く弱点攻撃」こそが望ましい結末。不死身に近かった敵があからさまに弱くなっていくのもいただけず。ドラマ部は、明日結婚する、妻が妊娠中、近く退役予定、部下を失くした過去、エリートだが経験不足の若隊長と老部下の葛藤などと、手垢のついた筋書きを浅く演じられても感動は遠い。とはいえセットやCGの出来映えは良で、役者の演技も合格、何も考えず暇つぶしに観るには好作品。平和な現代では、単純な軍隊英雄万歳ものは支持されにくい。何が足りないか?新鮮味、斬新さだろう。それにつきる映画。[DVD(字幕)] 6点(2012-09-17 14:24:19)

243.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 ジャックとエンゾの海物語と、ジャックとジョアンナの陸物語を軸に物語は進む。エンゾは素潜り大会で優勝することに生き甲斐を感じている。海の魅力に憑りつかれて、恋人は精神集中を妨げる存在でしかない。ジョアンナは平均的な女性で、ジャックに一目惚れ。ジャックは自由人というより求道者。母は不在、父は漁で事故死し、天涯孤独で育つ。人づきあいや恋愛に疎く、社会人として未成熟。海の魅力というより”魔力”に憑りつかれている。エンゾからは「人間より魚に近い」と言われる。彼にとって素潜りは海の意識(宇宙意識)と繋がる方法。「海の中にいると辛い」理由は「上がってくる理由が見つからないから」。深海は全ての生物の生まれた故郷であり、自分もいつかは胎内回帰するように母なる海に還りたいという宿望がある。深海「グラン・ブルー」には死を超えた何か(理想郷)があると信じている。彼のイルカへの愛は常軌を逸したもの。ジョアンナと初対面のとき「前に会ったね、君はイルカに似ている」という。テレパシー能力の持ち主で、イルカへの愛と女性への愛が同質化している。イルカの写真を見せて「僕の家族」。イルカと手信号など使わなくとも交信可能。元気のない水族館のイルカを勝手に連れ出し、海でリハビリさせる。ベッドに寝ている恋人そっちのけで、海で一晩中イルカと遊ぶ。一方恋人との交信は不得手で、恋人の言うことを聞こうともしない。そんなある日悲劇が起きる。エンゾが素潜り事故で亡くなったのだ。ジャックは遺言通り、エンゾをグラン・ブルーに還してやるが、その戻りに彼も潜水病にかかり、生死の狭間をさまよう。その夜ジャックは不思議な幻影を見た。天井から荒海がのしかかるように侵入し、部屋を満たすのだ。そこには不安や恐怖はなく、イルカは楽しそうに泳いでいる。天啓を受けた彼は船で素潜りできる沖に向かう。グラン・ブルーに何があるか確かめるためだ。恋人は止めるように懇願するが、聞く耳を持たない。妊娠の事実を告げても同じ。諦めた彼女は「行きなさい、私の愛を見てきて」と送り出すしかない。彼がグラン・ブルーに達すると、イルカが迎えにきていた。こうして彼は彼岸の人となった。この映画に癒し効果があるのは、海やイルカの美しさもそうだが、主人公のように家庭や社会生活の煩わしさを捨て去り、自然に還りたいという願望を充足させてくれるから。このジャンル唯一孤高の作品。 [DVD(字幕)] 8点(2012-09-14 06:44:06)《改行有》

244.  白い馬(1952) 《ネタバレ》 鮮烈な印象が残る映像詩。寓話性、象徴性に富み、映像と物語が高度に昇華された好短編。白い馬の気高き精神、他者に屈しない自尊心、野生の剛健さ、躍動する生命力が遺憾なく表現されている。最後の行動は、自由を奪われるくらいなら死を選ぶというような単純な考えではない。少年と馬を衝き動かしたのは、常人では考えもつかぬ、より高みへ進もう、未知の新天地を目指そう、新しい冒険の旅にでようとする開拓精神の表れだと思う。沖に漂う少年と馬は若さと自由のメタファーであり、逃避や自殺などでは決してない。最後は光となって消えた「かもめのジョナサン」と比較されるべきものだ。 ◆最後の語り「強くたくましい白い馬は友である少年を素晴らしい土地へと運んでいった。人と馬が仲良く暮らせる国へ」は余計だ。何故少年と馬は沖へ沖へと進んでいったのか、いつか戻ってくるのかなどを想像させて、深い余韻を残すのが常套手法。短編であればなおさらだ。 ◆惜しいのは少年パート。少年の内面が見えてこない懸念がある。少年が自尊心の高い白い馬に認められて、強い絆を築く過程がややもすると平坦。少年が何度も捕まえようとしては失敗し、時には怪我をし、時には馬飼達から守ってやるなどの辛労、精神力を見せる場面がもっとほしい。心の成長を見せてほしい。短編で尺が足りず、仕方ないのだが、非常に残念である。少年の弟(妹にみえる)が、三年後に「赤い風船」の主役を演じるとは驚きだ。子供の成長は早いもの。「赤い風船」と同じ主題であることにも驚いた。このごつごつとした現実とは別に、どこかに理想郷が存在すると夢想しているのだろう。そのロマンチシズムに乾杯。監督さん、あなたは詩人だ。[DVD(字幕)] 9点(2012-09-13 19:28:41)《改行有》

245.  赤い風船 《ネタバレ》 「こころあたたまる良質のファンタジー」のはずが……。野暮を承知でかくと、風船がしぼんでいく場面で操作線(細い線)が丸見えになり、少し鼻白んでいると、少年の空中飛行場面ではスタントマンに代わっている。体型が全然違う……。ああ、最も感動する場面で気分を削がれてしまった、途中まで佳い映画だったのに恨めしい。気を取り直して、少年が風船と出会う場面をチェックしてみると、少年が階段を降りる前は美しいパリの払暁風景だったのに、階段を降りると陽が高くなっている。延びていた影がなくなっているのだ。と、残念なことばかりが続いた。残念ついでにいうと、昔この映画にあこがれて風船でアメリカに渡ろうとした「風船おじさん」が消息を絶ったという事件もある。大人の視点で観ると、どうしても制作の側に目がいってしまう。風船は二本の線で操作されているなとか、風船はいくつ用意されたのだろうかとか、ちょっと大きすぎないかとか、ここはフィルム逆回転かとか。悲しい性です。 ◆街灯に引っかかった風船を少年が取る出会いの場面。少年はよじのぼって自力で取ってますね。これが良い。苦労して手に入れたからこそ愛着が湧く。これが風船との友情の萌芽となる。両者の間に友情が生まれ、風船は少年にまとわりつくようになるのですが、この不思議な風船を周りが放っておかない。大人達にとっては迷惑で、邪魔な存在、子供達にとっては不思議で、欲しい対象。風船にとっては受難のようなことになり、とうとう子供達に割られてしまう。そのときに町中から風船が続々と集まってきて、少年を乗せて大空へ飛び立ちます。奇跡が起こったのですが、どう解釈すべきか?風船は割れても風船の思念は残っている。風船は自分と子供を区別していない。同じ仲間と思っている。それで自分の家に招待したのでしょう。風船の国へ、それはたぶん空の上にある。少年にとっては友達の家にちょっと遊びにいく気分。子供っていいなって思いました。ここで問題、赤い風船は男の子?女の子? 男の子でしょうね。だって……。 追記:風船おじさんも風船の国にいったのかな。[DVD(字幕)] 7点(2012-09-13 15:53:50)《改行有》

246.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 人が死んで、迷える魂が徐々に浄化され、天国へ昇天するまでの過程を描いた宗教・反戦映画。聖書の知識があると理解しやすい。 「Jacob's Ladder」ヤコブの梯子は、旧約聖書でヤコブが見たという天使が上り下りする梯子で、天国への階段。恋人ジェジー=アラブ王の后で、不道徳な悪女ジェゼベル。妻サラ=聖典の民の始祖アブラハムの正妻サラ。長男イーライ=預言者エリア。次男ジェド=カナンを征服したヨシュア?三男ゲイブ=大天使ガブリエル。整体師ルイス=聖王ルイ9世が病人を接吻で癒したとされるのに由来?◆高学歴で人の好いジェイコブは、妻サラとの間に三人の子供をもうけ、高級アパートで幸せに暮らしていた。そこへ悪魔が忍び込む。三男が事故で死亡。心の空白を埋めるように性的魅力に富むジェジーと不倫。離婚してジェシーと安アパートで同棲。郵便配達の仕事に転職。ベトナム戦争に出征し、知らぬ間に軍の秘密の薬物の被験者にされる。薬物の副作用で狂った同僚ルイスに銃剣で刺される。◆ジェイコブの迷える魂は、悪魔や化け物の姿を目撃し、駅で閉鎖されたり、同僚が車で爆殺されたり、悪夢を見るなど様々な不条理な体験をする。これらは死への恐怖と不安、人生への後悔や悲しみ、他者への怒りや憎しみや憐みなどの感情が爆発的に見せるもので、全て生への執着を意味する。天使が手助けして魂を鎮め、天国に導くわけだが、天使はルイスやゲイブの姿となって登場する。生きている間には知り得なかった軍の薬物実験の真相も明らかとなる。高熱や氷風呂は、彼の地獄のイメージが喚起された結果だろう。魂が浄化していくに従って、美しい思い出がよみがえってくる。それは妻や子供たちとの平凡な生活だ。平凡だと思っていた生活が、最も美しい瞬間だったと悟るジェイコブ。最後はゲイブに導かれて天国の階段を上る。◆ルイスの言葉「死を恐れながら生き長らえると悪魔に命を狙われる。でも冷静なら悪魔は天使になり人を地上から開放する」これが主題となっている。心の持ち方で悪魔は天使に変わる。キリスト教的な死を正面から扱った映画だが、反戦思想を持ち込んだところが現代的で奥深さがでた。最大の悪魔は戦争というメッセージが根底にある。最愛の者を失った喪失感から心に悪魔が入り込む隙ができてしまうのは本当に悲しいこと。しかし、そこから立ち直るのが第二の人生だということを学んだ気がします。 [DVD(字幕)] 8点(2012-09-12 16:46:01)(良:1票) 《改行有》

247.  春琴抄(1976) 《ネタバレ》 春琴は大店の娘だが、盲目故に甘やかされて育てられたせいか、自尊心、気位が高く、誰に対しても高圧的な態度を崩さない。好きな琴の修練には熱中し、師匠の跡取りと目される腕前だ。その身の回りをしているのが奉公人の佐助だが、その献身ぶりは度を過ぎている。春琴を思慕するあまり自ら芸の道に入り、春琴を師匠と仰ぐ次第となった。佐助は春琴を思慕しており、彼女の身の回りの世話をすることに限りない歓びを感じているのと同時に、彼女にわがままに命令されたり、いじわるされたり、痛い目にあわされたりすることに快感を覚えているようだ。それで春琴はますます増長し、佐助への指図、言動は苛烈を極めていく。サディズムとマゾヒズムの共依存関係が成立しているのだ。或る日事件が勃発、春琴が何者かに顔に熱湯をかけられるという災禍にみまわれる。醜くなった顔を見られたくないという春琴に対して、佐助は自ら針で目を付いて盲目になるという選択をする。ここが愛のクライマックス、純愛、献身、自己犠牲の極致というべきか。これにより、二人の更なる共依存関係が完成。二つの魂はひとつとなった。しかし、この異常な行動を驚嘆すべき愛の行動として肯うのには躊躇される。というのは、佐助が視力を失えば、春琴の世話を以前のようにはできなくなり、必然と第三者の介入が必要になるからだ。「健常者と盲人」という優劣の関係を「主人の娘と奉公人」「師匠と弟子」という関係を結ぶ事で逆転させていたのだが、このバランスが崩れる。もう一つ気に掛るのは、春琴が佐助の子供を産んでいるという事実。二人は否定するが、赤子の父親が佐助なのは疑いようがない。奉公人風情と性的関係を持ったことが春琴の自尊心をずたずたにした。だから佐助と示し合わせて赤子の父親については口をつぐみ、赤子を余所へやることに決めたのだ。だから二人の関係は純愛ではない。やがて二人の関係に綻びが広がってゆくのは目に見えている。奇異な形態の恋愛だが、明治というまだ封建制度が残る時代なら、成立する余地はあると思う。[DVD(邦画)] 7点(2012-09-12 06:25:28)

248.  氷点 《ネタバレ》 冒頭、死体であるはずの子供が動いてるのがまるわかりなので嫌な予感はしたのですが……。 DVDの解説に「汝の敵を愛せよ、というキリスト教的主題を愛憎と共に描き出した名編」とありましたが、全く描き出してない駄作でした。「娘を殺した犯人の赤子を引き取る」という異常な設定は心引かれた。夫は、妻が浮気相手と密会していことが娘の死の遠因と考えており、犯人の赤子と知らせずに育てさせることが妻への冷たい復讐となる。尋常ではないが、納得できる設定だ。妻や赤子(娘)が真相を知った時にどう絶望し、どう立ち直るか、夫の心はどう変化するか、それがキリスト教の原罪意識、ゆるしとどう結びつくか、それらが主題となる。しかし結果として赤子は犯人の子供ではないことが判明するという肩透かし。これは逃げでしょう。妻が真相を知ったときの苦悩は描かれているものの、娘へのいじめや夫への復讐心はあっさりで、葛藤不足。娘はあんなに天然で快活だったのに、真相を知らされると罪意識により即自殺するという安直さ。かつて「自分がかけがえのない存在と気づいていたら自殺はしなかったのに」と語っていたのに。殺人者の子供は何故自殺しなければならないのか、十歳の子供でもわかるように説明せよ。それがあなたの道義なのか。この娘役の女優には花がなく、演技力不如意で、この役に合っていない。善を具現したかのように誰にでも愛される存在でなければならないのに。鬼母の方が遥かに美しいのはだめでしょう。兄は歯が浮くような科白ばかりでうんざりさせられる。翻って夫役の人の演技力は優れており、科白を云わなくても、その懊悩ぶりは伝わってきた。結局、逃げにばかり走っている印象がある。主題からして魂の浄化や救済が示されるべきであり、「殺人者の子供ではなかったのでよかった」というのは逃避に過ぎない。そこからは人間性の向上や成長が窺えない。人生と真剣に向き合う姿があってこそ感動は生まれる。[DVD(邦画)] 5点(2012-09-11 18:33:28)《改行有》

249.  テス 《ネタバレ》 類まれなる美貌の持ち主「超美人」というのはある意味罪作りな存在。異性を惹きつけて止まないのだ。恋愛の対象、欲望の対象、嫉妬の対象として情念の渦に巻き込まれてしまう。金持ちですけこましのアレックにしつこく追い回される主人公テスの様子は気の毒そのもの。拒絶できればよいが、父が怠惰な貧農で、弟妹たちの面倒を見てやらなければならないという負い目、足枷がある。結局強姦めいたことになり、アレックスの情婦となる。そんな生活に嫌気がさして逃げ出すが、お腹には新たな生命が宿っていた。赤子は短命に終るが、私生児故に洗礼も受けられず、教会墓地に埋葬も許されない。アレックスに何も知らせず、赤子を自分で育てるところに、気高く自立した女の側面がみれる。新たな働き先の農場で初めての恋をするが、相手はよりによって牧師の息子エンジェルで、厳格なキリスト教上の足枷がある。求婚されたとき、過去を告白した手紙を渡そうとするが、行き違いとなる。結婚後、彼女の過去を知ったエンジェルは痛撃を受けて、家を出てしまう。彼女も実家に帰るが、父が死亡して借家を追い出される。やむなくアレックスの援助を請うて、再び情婦に。そこへのこのこ妻の過去を許して受容できるようになった夫が迎えに訪れて、悲劇が起る。惨劇の場面は省略されるが、主人公の生きざまを赤裸々に描くのが作品の主旨であり、非常に不自然。逃亡する二人はストーンヘンジで逮捕されるが、これは興味深い。ストーンヘンジはキリスト教以前の古代遺跡で、太陽の運行など天文に関係する施設で、夏至には特定の石柱の間から太陽が昇る。彼女の魂が救済され、再生するためには、キリスト教という足枷のない場所が必要だった。朝日が石柱から昇りはじめる象徴的な場面で映画は終る。◆せっかく「自立する女」「紆余曲折を経て辿り着いた真実の愛」を描いても、殺人、絞首刑で終わっては後味が悪すぎる。彼女の不幸や悲運が心にもたれ、うまく消化できない。夫役の男優に魅力がなく、彼女と釣り合わないのも難点。監督は主演のナタキン15歳のときより性関係を持っていたというから、アレックスと被って見える。性的に早熟になった彼女は、その後恋多き女として浮名を流すことになる。それでも輝き続けるナタキンはテスそのもの。監督の妻が殺害され、一方で少女への淫行疑惑の十字架を背負うという人生も意味深なものだ。やはり美貌が罪を呼ぶのだろうか。[DVD(字幕)] 7点(2012-09-11 13:11:28)

250.  スリ(1959) 《ネタバレ》  不思議な映画だ。スリの道に足を踏み入れてしまった青年の転落人生物語と思いながら鑑賞していたら、最後は恋愛落ちになっていた。青年とあの娘が愛し合っているとは思わなかった。何故二人の愛が伝わらなかったのだろうか?文化の違い、時代の違いがあるだろうが、最大の原因は役者の演技力不足だろう。あの二人は典型的な大根役者だ。繊細な演技ができないのだ。特に目の演技。二人はいつも同じ目付きをしている。これでは伝わる道理がない。 ◆青年の持論は天才超法論。天才で且つ社会で必要な人間ならば、法律を犯しても良いという考え。その方が社会に有益な場合もあるという。うぬぼれ屋の独りよがりな理論だが、彼も心底信じているわけではなく、単に自分の犯罪を糊塗する手段に過ぎないことは薄々気づいている。それが証拠に彼がスリで実績を重ねても、精神の高揚を得ることはできなかった。彼は優しい人間に囲まれている。友人のジャックは大切な相談相手で、何時も青年を気遣ってくれる。刑事は青年の人間性を見抜き、更生の道を説く。母親は、盗難に遭ったとき、身内の犯行かも知れないと告訴を取り下げる。固より息子を愛している。母の隣人の娘ジャンヌは、青年の病気の母親の面倒をみていてくれていた。青年の悩みは何か?「逆さの世の中を元に戻す」発言からすると、世の中に反感を持っていることは間違いない。まともな仕事がないか、真面目に働いてもやっと生活するだけの額しか稼げない事に不満を抱いているのだろう。スリ仲間が捕まり、周囲から疑惑の目が向けられると、青年は逃げるように旅に出た。不毛の海外旅行から戻った青年はジャンヌと再会。彼女はジャックと愛し合い、赤子を授かったが、結婚はせず、ジャックは雲隠れしてしまったという。青年はジャックの責任を肩代わりし、子供も引き受けるという。だが、どんなスリの名人も続けていれば、いつかは捕まる。青年も捕まり、生きる希望を失くす。そんなとき、面会に来てくれたのがジャンヌ。気まずい二人だったが、ジャンヌが面会に来なくなって青年は彼女を愛していることを知る。再び娘が面会に来て、二人は愛を確かめる。魂の救済の物語だが、演出と演技に難点があるため、カタルシスは得られない。青年の成長ぶりよりも、華麗なスリの手練、手管の方に目がいってしまう。[DVD(字幕)] 6点(2012-09-10 23:53:02)(良:1票) 《改行有》

251.  母なる証明 《ネタバレ》  母性が理性に勝ったという映画。それだけではなく、きれいごとでは済まされない母性の本質をえぐり出した問題作。世に氾濫する勧善懲悪の御都合主義映画などとは無縁。「母の愛は永遠」などと考える楽観主義者にビンタを食らわせるような衝撃があり、実に見ごたえがある。単純にサスペンスとしてみても面白い。知恵遅れの息子が殺人の冤罪、ど素人の母親が探偵役で、容疑者が次々に登場、遂に真相にたどり着くが、そこには悲劇が待っていた。どんでん返しの妙があります。しかしこの作品の主題は母性。正直母親は怖いと思いました。愛は盲目の箴言の通り、母にとっては知的障害の子供はどうしても過保護になりがちで、自分と同一化してしまう傾向にある。自分が辛くなったときには殺してしまおうと考える。これが心中未遂。息子の冤罪を晴らすためには、全てをなげうって一心不乱に邁進する、その姿には心打たれる。息子が真犯人だと判った瞬間、逆上して目撃者を撲殺し、証拠隠滅の放火までする。総て母性のなせる業、愛こそは全て、善も悪も超えている。しかし因果応報の理あり。息子が心中未遂事件を思い出して、「母が僕を殺そうとした」と復讐される。息子が焼け跡から針道具を回収してきて、罪の意識が決して逃れることがないことが暗示される。母と子の関係が一生消えることがないのと同様、罪の意識は永遠に母親を苛む。そして真犯人にされた無実の男との対面。男は息子と相似で、軽い知的障害がある。しかし母親はいない。そのことに涙するのは、男はこの先、誰の愛も受けられれず、殺人の汚名を着て生きていかなければならないことを知っているから。この男への罪の意識も重い。これから二重、三重の苦しみが待っているが、母として息子のために生きていかなければならない。夕日の中の踊りは、苦しくとも、明日に向かって生きる勇気を振り絞る決意の表れだろう。◆警察の杜撰すぎる捜査や堕落しすぎている弁護士など、リアリティに欠ける部分があるのは惜しい。「ゴルフボールだけで逮捕」はありえない。伏線の回収は見事でした。息子はバカと言われたら暴力で立ち向かうように躾られていた。被害者は常日頃から鼻血を出しやすい体質。屋上に置かれた死体の謎。廃品回収の人は善い人。ゴルフクラブの血というミスリードもナイスショット。息子の悪友の容疑者から捜査協力者への転換なども見事、映画の勘所を心得ている監督です。[DVD(字幕)] 8点(2012-09-10 18:20:29)《改行有》

252.  運動靴と赤い金魚 《ネタバレ》 靴を失くすという小さな日常の出来事から広がる物語。たかが靴だが、貧しい家の子供にとっては切実。大人の視点で言えば、靴を失くしたことを正直に打ち明ければよいし、兄妹の運動靴の交換は学校のすぐ近くで行えばよいし、マラソン一等賞の賞品を売って運動靴を買えばよい。でも子供には子供独特の考えがあって、思わぬ行動に出ることがある。そこが面白く、子供たちの一喜一憂が新鮮。◆兄弟愛を描いているようで、主眼は家族愛でしょう。特に父子愛。母は病気で存在感が薄い。が、自分達より貧しい隣人にスープをおすそわけするという(イスラムならではの?)優しさを持つ。父の描写が素晴らしい。子供達には強い父。家賃五ケ月も溜めているのに家主には何故か強気の姿勢。家に砂糖がなくても、仕事で預かった砂糖を拝借するようなことをしない。茶給仕の仕事では家族を養うには足らない収入。そこで庭仕事の仕事を始めるという善き父ぶり。一方でコーランの一節には涙を流し、お屋敷街の豪邸で「庭師です」と売り込めず、犬に吠えられ逃走という小心ぶり。庭仕事で予期せぬ高報酬を貰っても自転車事故を起こしてチャラに。そして最後に最大のサプライズ、お金をやりくりして子供と約束した靴を購入。こんなに正直で人間味溢れた父親の元では子供も素直に育つと思う。兄妹が、失くした靴を履いている少女の家を訪ねるが、その父親が盲目で、どうやら自分達より貧しいらしいとわかったとき、何も言わずに帰るという心温まる挿話があるが、この優しい心を育てたのは両親の薫育でしょう。親の後ろ姿を見て子供は育ちます。◆靴を洗っている最中に、ついシャボン玉遊びになる場面は、子供の幸福を象徴する最も美しいカット。男の子疵ついた足を癒すように集まる金魚は家族の愛の象徴。最後の喜ぶ場面を省略したのは潔い決断。◆違和感があるのは、学校の女子部の終了と男子部の開始の間の時間が無さすぎること。普通はお昼休みが入る。これは兄に走らせて、これが意図せぬ訓練となり、後半のマラソンでの活躍につなげるための”強引な”演出。あと一等賞を取らせるのは如何なものかと思う。テストで満点、マラソンで一等では出来過ぎの感あり。主題からして四等賞が妥当かと。溝に流れる靴を取ろうする場面、自転車事故場面、マラソン場面などはカメラワークがこなれていない印象。父が新しい靴を調達する場面は一番最後がよろしいのでは。[DVD(字幕)] 8点(2012-09-10 12:06:17)

253.  96時間 《ネタバレ》 乗り切れない映画。主人公が17歳の少女の父親としては老け過ぎていて違和感が。元CIAで、海外での仕事が忙しく、家庭を顧みなかったことが主因で離婚、今は退役という設定。別居している娘を想う気持ちはわかるが、「娘のことだけ考えている」「娘と会いたいから娘の近くに住んでいる」「娘さえいればいい」と、クドすぎる。どこか嘘っぽい。そしてこの娘が、感情過多で観ていていらいらさせられる。17歳になっているのに誕生日のプレゼントに大はしゃぎしたり、旅行を父に反対されると泣いて店を飛び出したり。挙句の果てに父を騙して旅行し、ナンパされて誘拐されてしまう。あまり同情できない。父が救出に向かうのだが、警察には届けないし、一緒に誘拐された女友達の両親にも知らせないという無軌道ぶり。パリに警察幹部の知人がいるのだから、連絡しない手はないはずだ。犯罪組織に警察の目こぼしがあるのは、あとでわかる話。捜査方法にも疑問が多い。ナンパ師が事故で死んでしまったあと、ナンパ師の仲間の黒人を問い詰めないのはどうしてか?売春婦のボディガードの男の服に盗聴器をしかけ、「建築現場で新商品のトラブル」とだけ聞いて、どうやってあの現場に行けたのか?建築現場にいバラックでカーテンで仕切っただけの売春宿があったけど、パリではそんなものが実在するのか?警察幹部の妻の腕を銃で撃つのは筋違い。妻とは古くからの知り合いだし、隣室に子供達もいるのに。撃つのは警察幹部の方。喜んでるけど、ハッピーエンドじゃない。娘の友人が変わり果てた姿で死んでも何にも感じないのか?何にも感じないんでしょうね。 [DVD(字幕)] 6点(2012-09-10 01:01:41)《改行有》

254.  アンストッパブル 《ネタバレ》 ちょっとした手違いから、39両編成もの貨車列車が暴走を始めてしまった。止めなければならないが、会社が手を尽くしても止めることができない。このままでは大きな被害がでるという危急存亡のときに、機関士と車掌の英雄的行為により止めることに成功する。表面的にはそういう内容だ。だがこの映画は、暴走列車をただ止めるだけの単純な痛快アクションではないと思う。それだけで精神の高揚や感動は得られないからだ。どうして感動するのか?それはどうして主人公二人は、敢えて自らの生命の危険を冒してまで、暴走列車を止めようとしたのか、という問いに集約される。その答えは「人の命を救いたい」という本能に基因するものだろう。特別な人間でない、ただの鉄道職員が、ある日英雄になるのはそのためだ。特に救う命が自分の家族であったり、大勢であれば自らの死も厭わないと考える。これが人間の本質だと思うし、思いたい。この素朴な生命尊重の倫理が、観客の根底に備わっているので感動するのではないか。勿論、ベテラン機関士の会社への意地や若手車掌の家族を守りたいというドラマ部分での感動の底上げもある。加えて、危機感を煽るために、暴走貨物には可燃燃料と有毒化学物質が大量に積載されており、脱線必至な町郊外の急カーブ地点付近には石油コンビナートがあり、もし脱線すれば大変な被害が予想されるという過剰設定もある。しかしそれらを省いたとしても、感動の本質は変わらないと思う。観客は無意識に、暴走列車の圧倒的な重量感、疾走感に、命の危うさ、大切さを感じ取っているのではないだろうか。轟音が心臓の音、疾走する姿が生命の躍動に見えてくる。そしてもし事故が起ったら死ぬであろう大勢の人のことを想像してしまう。だから、つい手に汗を握って観入ってしまうのだ。こう考えると、この映画は、やはり単なる暴走列車映画ではなく、人間の本能、本質に訴えかける人間賛歌の映画だと思えてくる。◆余談だが、列車の脱線は簡単にできる。アラビアのロレンスよろしく、ダイナマイトで線路を爆破すればよいし、そんな大げさでなくても、松川事件のように犬釘を抜いて、ボルトを緩めるだけで脱線転覆する。脱線装置という効果あいまいなものに頼る必要なないと思った。監督の冥福を祈ります。 [DVD(字幕)] 9点(2012-09-09 20:01:08)(良:3票) 《改行有》

255.  バトルシップ(2012) 《ネタバレ》 女「ブリトー食べたい」⇒弟ドラッグストアに天井破って進入(曲ピンクパンサー)⇒警察に捕まる⇒兄「もう26歳だぞ、海軍に入れ!」⇒数年後大尉に昇進、これが序章。海軍兵学校は23歳までしか入れないのに、しかも数年で大尉……。男女の出会いも設定もおバカ全開のポップコーン映画に決定。で、演習中に敵エイリアン侵略。恒星間移動可能な高度な技術を持ちながら一機(通信機)が人工衛生に衝突して墜落するというトホホさ……。四機はハワイ近海に潜伏。敵は攻撃されない限り反撃しないのだが、愚弟が暴走して戦闘モードに。敵がバリアーを張ったことから、互いにレーダーが使えない(あれだけ音するのにソナーも使えない?)アナログ対決になる。が、敵が戦闘機や爆撃機、照明弾などを使わないのが不思議、戦闘機は確かに映っていた。デザイン秀逸な火球型飛行兵器も放置。それより敵戦艦がバタフライのようにジャンプしながらの移動って……、揺れるし、衝撃は受けるし、遅くなるし……。全艦撃沈されて、展示艦ミズーリ―号を使うアイデアは出色だが、旧軍人がなぜそこにいるのか、実砲弾が何故あるのかなどの説明がないのがおバカ映画のお約束?一方女と傷痍軍人は偶然?アオフ島の通信基地の近くにいて、敵が施設を使って母星と通信しようとしていることを愚弟に伝える。見つかって傷痍軍人と敵の殴り合いが始まる。ここで敵の前歯がぶっとぶシュールなスローモーションをお楽しみください。あとは省略可。当然第二陣が攻めてくるだろうからそれに備えよ、という常識的な可能性を捨てきって、よかった、よかったと大団円で終了。終ってみれば、敵は専守防衛に徹しており、子供や武器を持たない人間は攻撃せず、捕虜は見捨てず回収するといったある意味紳士的な人たち。この中途半端な設定のためにカタルシスを得ることができない。地球を救ったのは誰か?地球を危機に陥れたのは誰か?もっと単純明快にすべき。自衛隊を出したのは日本での興行収入アップを見込んでの下心みえみえ。結局この映画、そこそこヒットしたものの莫大な制作費は回収できずに赤字で、あえなく撃沈。せめて軍事オタクが喜ぶような真剣でもバトルがあれば、カルト的な人気を博するのだけれど。心優しいエイリアンの勝利?[映画館(字幕)] 6点(2012-09-09 12:35:40)(良:1票)

256.  浮き雲(1996) ハリウッド映画の演出過剰、過激な映画を観慣れていると、この作品のようなあらゆる意味で抑制の効いた”つつましい”映画が新鮮に見えてくる。最小限の科白しかなく、表情は常に無表情、アクションも控えめで、これといった盛り上がりの無い日常を淡々と描く。結論を見せない演出も特徴のひとつ。職場をクビになったり、就職に失敗したり、賭けで負けたりする場面などは最後まで描かれず、次のシーンで結果が暗示される。顔の表情だったり、酒の飲み過ぎで倒れていたりと、笑える仕組み。省略の達人である。無表情キートンのように観客を突き放すのではなく、ほのぼのとした温かみが感じられるのも佳い。独特のセンスがひかります。どのジャンルにも当てはまらないような映画だが、しいて分類すればコメディ。それも大笑いや中笑いではなく、ペーソスの中に温かみのあるクスリ笑い。物悲しさと笑いの同居はチャップリンを彷彿させる。慣れてくると登場人物の飄々としたおとぼけぶりに笑いを禁じ得なくなってくる。味わいがあるんですね。あと意表を突く演出が多いのも特徴。例えば、アル中で包丁を振り回すシェフ。その存在だけでも笑えるのに、彼を取り押させるのに男性が失敗し、女性が殴って取り押さえる。その様子を一切見せない。科白もない。あっという間に何事もなかったかのように収まり、翌日シェフは怪我させた男に治療代を毎度の事のように払う。このシェフが失業してホームレスにまで落ち込むが、アル中更生施設を経て復帰するのも意表を突く。悪徳職業斡旋所で騙されたはずが職が見つかったり、結局そのオーナーがが悪徳経営者だったりと、どこまでもすっとぼけた脚本。これといった盛り上がりがないのに退屈しないのは”意表”の効用でしょう。この映画は監督の人生観や性格が強く反映されている思う。これだけユニークな映画はめったにないから。つつましく、引き籠り系の性格であることは想像がつく。物語は、共に失業して仲たがいした夫婦が絆を取り戻す話と、やむなく廃業したレストランを再開させる話。ハッピ・ーエンドで陽気な音楽がかかっても、あくまでも笑わない夫婦。感情を表に出さない国民性が下地にあると思いますよ。そんなことを考えてしまう奇妙な映画でした。この独特の世界観は癖になるかも。良作です。[DVD(字幕)] 7点(2012-09-08 23:04:51)(良:1票)

257.  悪人 《ネタバレ》 「人は善と悪の間を行き来する生き物、善人でもふと魔のさす瞬間がある」「善と悪は表裏一体、立場や関係によって変る」「殺人のあとに心から愛し合える女と出会った運命の悲劇」こんな感想を持ちながら鑑賞していたが、鑑賞後は、「貧しさに負けた、いいえ不器用さに負けた、祐一と光代の平成枯れすすき」と、少しちゃかしたい気分にもなった。重い作品だが、無口になる程ではない。一つの殺人事件を軸に、被害者と加害者、及びその家族や周辺の人たちを丁寧に描くことで奥深さがでている。被害者の加害者に見せる”鬼の顔”と親に見せる”天使の顔”の二面性を示すことで含みを持たすことに成功している。最初はサスペンス要素、次に恋愛要素が加わり、退屈はしない。犯人に感情移入できるかどうかが要諦。働き者で、病気の祖父の面倒を見るという善き面がある一方、実母に金をねだったり、出会い系で知り合った女の動画を撮ったりする面もある。母からの愛を受けられなかった成育歴からか、対人関係に不器用で、人間関係や恋愛関係を築くのが苦手。殺人の”弱すぎる動機”には目をつぶるとして、不器用な男女が出会って、本当に愛し合うようになる部分は説得力があった。女の背景や不器用さがそれなりに描かれていたし、出会い方やいきなりホテルへという展開はどうであれ、本当に愛し合える人とは、出会うときには出会うからだ。二人はコンプレックスを持つ似た者同士、出会った瞬間から愛が始まっても不思議ではない。祐一が警官の前で女の首をわざと絞めた”優しさ”は十分伝わる。◆”事故的な殺人”という悪に対して、”善人顔した悪(糾弾されない悪)”が対比される。置き去り大学生、健康商法詐欺者、マスコミなど。又加害者になりそうになった被害者の父も悪の一面として登場。しかし、これらは弱い。巨悪を持ってこないとバランスが取れない。マスコミが加害者宅にばかり押しかけて、被害者宅に押しかけない不自然さ。被害者父が大学生の居場所をどうやって知ったのか?犯罪映画として「警察が祐一を犯人と断定した理由」が無いのは難点。あの日祐一は被害者と会う約束をしていた。しかし被害者は大学生の車に同乗。これが祐一のアリバイ証明となる。電話連絡してない以上、会ってないと考えるのが普通。警察に知らぬ存ぜぬで通せば通ったろう。確固とした証拠を残すべき。善だ悪だと論ずるよりも恋愛映画として鑑賞する方が感動できる。[DVD(邦画)] 7点(2012-09-08 14:32:45)

258.  銀河鉄道の夜(1985) 《ネタバレ》 ジョバンニの心は押しつぶされそうだ。父親は漁に出かけたまま何か月も連絡がなく、友達からはそのことで、ラッコの密漁で刑務所に入っているなどとからかわれる。母親は寝たきりで、画面に姿を現さないほど影が薄い。それで朝は新聞配達、学校がひけるは活版所で働いて日銭を稼がなければならず、授業中は眠くて仕方がない。優しいのは親友カンパネルラだけ。牛乳は希望や生命力の象徴で、衰弱しているジョバンニには、母親にそれを届けることが出来ない。◆銀河鉄道は地上と天上を結ぶ仮想四次元汽車で、死者の魂や異次元の存在を乗せて銀河をめぐる。鳥がよく出てくるのは、古来日本では鳥は死者の魂を運ぶものとされてきたからだろう。古い地層を発掘するのは、過去や想い出は消失するのではなく、いつまでもそこに存在するという作者の信念の証明。沈没船で犠牲となった人達が乗り込んできて、銀河鉄道の正体が判明する。ジョバンニが銀河鉄道に乗れたのは、疲れた彼の心が死に近づいていたのと、親友の死を動因に、お互いを思う気持ちがスパークした結果だろう。カンパネルラは川に落ちた友人を助けるために犠牲となった。母が許してくれるだろうかと苦悩する。「誰だって本当にいいことをしたら幸せなんだね だからお母さんは許してくださるとおもう」◆旅でジョバンニは成長した。石炭袋という空の穴を見て言う。「もうあんな闇の中だってこわくない。ぼくたち一緒にいこうね」けれど親友は下車する。そこが本当の天上の入り口だから。空の穴は死の恐怖の象徴で、それを越えなければ本当の天国へはいけないことを彼は知っている。突如旅は終了する。現実に戻ったジョバンニは親友の死を知る。加えて父が無事で、間もなく戻ってくることも聞かされる。その果報を母へ早く届けたい、牛乳も飲ませたい、突然の親友の死、彼ははち切れんばかりの思いを胸に牛乳を抱え、ひたすら家に向かって走る。◆感動的なラストだ。全体的に間の取り方がうまい。前半、子供ならではの不安の演出が巧み。鳴りっぱなしの電話、終業ベルに驚いて活字を落とす、切符を落とす人、レジスターの音に振り向く、よぎる鴉の巨大な影、不気味に点滅する外灯など。映像美術、音楽はがんばっている方。◆不審なのは父親の態度。何か月も家族に便りもお金も寄越さないのに、友人(カンパネルラの父)には寄越す。原作の「みんなの幸いのために」という思想は省略されている。[地上波(邦画)] 7点(2012-09-03 15:52:01)

259.  ゼロの焦点(2009) 《ネタバレ》 有名な原作。改変や補追が多いが、全体的に人物の性格や行動に一貫性がなくなってしまっているように思える。 室田儀作社長は後妻、佐知子の過去を調べ、元パンパンだったという事実を知ってからも彼女を愛し、彼女が殺人犯と知ると、その罪をかぶるため拳銃自殺する。しかしそれ以前の社長は、従業員を情け容赦なく馘首する経営者であり、水商売の女給達を家に呼びこむ女好きであり、妻との約束は忘れるし、妻の政治活動を冷笑していた。あまりにも違いすぎる。 佐知子が娼婦になったのは、戦争で両親を失い、自ら糧を得る必要に駆られるた事と弟の学資を稼ぐため。ところがその弟、画家になったはよいが、昼間から酒を飲んで目つき鋭く、不気味な雰囲気で登場。何故か姉の肖像画を制作中。それも大邸宅なのに応接間をアトリエにしているという不自然さ。弟は事件に絡まず、後半普通のキャラに。禎子は終始慎ましい態度をとるが、最後では演壇の佐和子に向かって「マリー!」などとアジる。◆不自然な点もある。憲一の兄が死ぬ場面。前のめりに倒れ込むのに、次のシーンでは後ろ向きに障子ごと倒れる。本多の”立ち往生”も疑問。女性に包丁で背中から一突きされただけなのに、体を貫通して壁に串刺しになったような印象。その前に勝手に留守宅の座敷に上り込むなと言いたい。憲一の兄が佐知子に「田沼って女、米軍相手のパンパンじゃなかったかと思うんですよ」と言うが、その根拠は何か?田沼とは一度会っただけである。実はホームズ並みの推理能力の持ち主だったのでは?惜しいことをした。佐和子が憲一を突き落す時「このまま背中を押せば誰が見ても自殺……」などと心中を縷々披歴するが、総て観客にはわかっていることで蛇足そのもの。映像で感情を伝えるのがプロ。◆原作との最大の違いは、佐和子の運命、苦悩をクローズアップしている事。戦争被害者の立場を強調し、運命に翻弄される弱い女性を演出し、初の女性市長誕生のために奔走する姿を描く。狙いは分るが、細部に不自然な点が多く、彼女の苦悩は伝わってこなかった。[DVD(邦画)] 4点(2012-08-17 21:24:19)《改行有》

260.  古都(1980) 《ネタバレ》 戦後一貫して日本の美を追い求めた川端康成が、京都を描くために京都に住みついて原作を執筆した。違う環境で育ち、偶然出会った双子美人姉妹の物語。姉の千重子は捨て子にされたが、育て親に恵まれ、呉服問屋の令嬢として乳母日傘で育てられた。捨てられた理由は、貧困と「双子は育ちにくい」という迷信のため。苗子は実の両親の元で育ったが、幼い頃に二親とも逝去。苦労して育ち、今は北山杉の土地持ちの住み込み奉公と山仕事を兼業して暮らす。特筆すべきは苗子の驚嘆するほどの奥ゆかしさ、慎み深さだろう。自我を前に出さず、相手を思いやる心、謙遜の情にすぐれている。原作者の説く日本の美の体現者だ。両親が亡くなったのは、姉を捨てた神罰と信じ、両親が亡くなった後は、その罪はいつか自分に降りかかるものと覚悟している。姉に対して何も望まない。北山杉で会う場合も、村人の目を憚って山中で会うという気の使いよう。姉の家も訪ねる折も、わざわざ夜にする遠慮深さ。それを迎える姉の両親の気配りも良かった。呉服問屋で一緒に暮らさないかという申し出は断わる。贈られた帯も付けない。姉と同泊したのを今生最上の喜びと表現。優しさも兼ね備える。山で雨に降られた時は姉にかぶさり、寝る前には姉の布団を温めたる。別れるとき、姉の差し出した傘を受け取ったのは、形見替わりとしてだろう。姉を慮ってもう積極的に会う気はないのだ。典型的な相手に尽くす型の女だが、自分の生き方を貫く強い女でもある。一方千重子は素直に育ち、良妻賢母型で、両親のいう事に逆らわない生き方で満足している。両親の持ってきた結婚話も受諾する。運命を受け入れているだけのように見えるが、実は運命を切り拓いている。未来の夫の忠告に従って、家の商売の勉強を始めるのもその証左。捨子ながら幸福な家庭環境の下で育ったのも偶然ではないだろう。”紅殻格子の前に捨てられる”という運命を引き当てたのだ。巫女的な力を宿しているように思う。これは双子を演じた山口百恵が、恵まれない家庭環境に育ちながらも国民的スターになれたことと重なる。苗子は、彼女が「赤いシリーズ」で演じた”薄幸ながら力強く生きる少女”の分身だ。彼女の二面性を合わせ鏡のように見せてくれる映画のように思える。偶然の産物だろうが、彼女の引退作品としてはこの上ないものだったと思う。アイドルを越えた女神、山口百恵が”日本の美”として記録された。[DVD(邦画)] 7点(2012-08-16 23:52:54)

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