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261.  港々に女あり 気のいい海の男を演じるヴィクター・マクラグレンがいい。 見かけは無骨で喧嘩早い直情径行のキャラクター。 女性好きで荒くれたところもあるが、根の優しさが目元の表情と仕草に表れている。 酒場での喧嘩をきっかけとして無二の親友となる ロバート・アームストロングに保釈金を用立て、 二人一緒に海に落ちてずぶ濡れになりながら彼のタバコに火をつけてやり、 誤解があっても互いに小突き合いながら仲直りする、 その不器用な身振りの数々が気持ち良く、殴り合いのアクションも爽快だ。 そして、水夫の父を亡くした小さな子供の遊び相手をする彼がみせる 優しい表情が素晴らしく、情が滲み出ている。 歩哨やバンドを巻き込んだ酒場の乱闘の数々が楽しく、 妖艶なルイーズ・ブルックスの美貌が麗しく、 彼女をめぐる男二人のライバル関係と友情のドラマが痛快である。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2012-08-13 00:33:49)《改行有》

262.  ヨーロッパ一九五一年 ネオリアリスモの作品においては、 単に荒廃した街のロケーションが映し出されるだけではなく、 そうした光景を目撃する人々もまた映し出されているということを喝破したのが、 ジル・ドゥルーズ。 目撃する者が写し込まれているからこそ、 その映画の情景はより生々しく強度を帯びるという分析である。 この映画でも、 無機質な工場のラインを、川辺の貧困家庭を、低所得者の安アパートを 目撃するイングリッド・バーグマンの表情が写し込まれることで、 彼女の視線に擬えて捉えられた情景はより印象深く、迫真のものとなる。 そして映画のラストにおいて、 バーグマンもまた子供たちの見上げる視線によって目撃の対象となることで、 その表情のクロースアップは一段と映える。 ノワール風の夜の照明も含め、全体のムードはペシミズムを漂わせながらも、 ラストの微笑の聖性と、ジュリエッタ・マシーナの快活さ、そして子供達の純真さに ロッセリーニのオプティミズムが滲む。 [DVD(字幕)] 8点(2012-06-22 23:58:33)《改行有》

263.  無人の野 作中での人物のクロースアップはかなり頻繁だが、 それは構図から逃避するための安易なものでは決してなく、 一個の生命の個性を、感情を強固に描写するためのものに相違ない。 米軍のヘリが落とした照明弾用パラシュートを見つけては喜び、 米軍兵士を見事に威嚇し退散させた大蛇を振り回しては喜ぶ ラム・トイとグエン・トゥイ・アンの農民夫婦。 そのパラシュートを利用して衣服を縫う。大蛇の皮を剥いで太鼓を作る。 ヘリに見つからないよう、木々の枝を揺すって炊事の煙を拡散させる。 赤ん坊をビニール袋に包み、共に水中に隠れて空襲から守る。 そうした生活の一部としての戦争描写もまた、 彼らの印象的な表情と共に、丹念かつ具体的だ。 同時代の体験者ならではの顔であり、居住まいであり、リアクションである。 同時に米軍パイロット側のと表情のドラマも並行することで、 ラストにおいてその妻子の顔写真と、それが燃える様を見つめる グエン・トゥイ・アンの表情が胸を打つ。 そして、時に詩的な趣きをみせるメコンデルタの葦原の情景描写も瑞々しく 素晴らしい。 ヘリに狙撃されるシーンの仰角・俯瞰のカメラワークが醸成する迫真の緊迫感は、 『北北西に進路を取れ』のトウモロコシ畑にも決して負けない。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-06-17 00:01:03)《改行有》

264.  群れ れっきとした劇映画だが、アンカラへ向かう列車から撮られた風景の点描や、 アンカラ市内のゲリラ撮影的な街頭ロケが土着的な音楽の数々と共に非常に生々しい。 手狭な列車内などでは人工照明も不十分なため、 明度も様々な粗い映像となって即物的なリアルを浮き上がらせる。 街中を行進する羊の群れと民族衣装を纏う主人公たちに好奇の眼差しを向ける 市民の表情やリアクションは、演技ではないだろう。 強盗によって喉を掻き切られる羊のショットなども強烈だ。 そうした、フィクションの中に度々介入してくるノンフィクション的なショットとの 絡み合いの構造が、同時代の批評となると共に被写体に緊迫した存在感を与えている。 口をきけなくなりながらも夫を慕う病弱の妻の身振り、籠の中の鳥を慈しむ姿。 長旅によってさらに衰弱したその彼女を背負い、人混みの交差点を彷徨う 夫の献身の姿。そして彼女の死を侮辱され半狂乱となる痛切な姿もまたそこで際立つ。 具体的に提示される羊の数、貨幣の金額もこの映画では重要な要素だ。 [ビデオ(字幕)] 8点(2012-06-15 23:56:40)《改行有》

265.  エスター ピーター・サースガードの役柄が建築デザイナーであることを活かしたツリーハウスや ガーデンルーム、中央に階段を配した印象的な居間、あるいは凶器となる工具 (バール、万力)など、セットの高低と小道具を巧みにアクションに結び付けている。 その死角を強調した居住空間は秀逸なカメラワークと共に、 窃視の視線と盗み聞きのドラマにも効果を発揮する。 併せて、「話せない」こともまた視線の強度とサスペンスを生んでもいるだろう。 それだけに、インターネットはともかく携帯電話の安易な利用はドラマ的に少し勿体ない。 しかし、短いながらも強烈なインパクトのあるショットの数々が要所要所で利いている。 冒頭の逆光シーンの夢幻感。 ヴェラ・ファーミガがベッドで童話を語って聞かせる、その手話の身振り。 バックで暴走する車を内側から捉えたショットの恐怖感。 割れた鏡に映るイザベル・ファーマンの分裂した姿。 その顔に残るアイシャドウの黒。 公開バージョンのラストは、企業のシステムによって選択されたのだろうが、 監督が本来使いたかったのは、「割れた鏡」へのこだわりからしても 恐らく別バージョンの方ではないかと思う。 [DVD(字幕)] 8点(2012-06-09 21:59:08)《改行有》

266.  ひろしま(1953) 敗戦から7年。 GHQによる映画検閲の廃止に伴い、原爆被害の言説に関する厳しい規制がようやく解かれ、新藤兼人監督の『原爆の子』と、本作『ひろしま』が製作公開される。 アピールの形式はそれぞれ異なるが、どちらの作品の画面にも表現の自由を束縛されてきた鬱憤を晴らさんとする作家の情熱と、「記録すること」への意思、そして犠牲者への想いとが尋常でない強度で充溢している。 それを支えたのが、当時第二の黄金期を迎えていた日本映画産業の充実したスタッフワークだ。 3分弱のシンボリックなカットで被爆の状況を表現した『原爆の子』に対し、本作で表象された被爆の図は、美術セットも衣装もメイクも、そして芝居も現在に至るまでに作られた原爆映画の中でも最も凄惨で、迫真的で、生々しいものだろう。 それだけに、戦争犯罪者に対する怒りと糾弾は直截的だ。 が、本作が指弾するのは、原爆投下者だけではない。 「何故か」当日空襲警報を出さず、新型爆弾の情報隠蔽を画策した軍上層部の棄民体質。 過去の痛みを忘れ、次なる朝鮮戦争特需へ向かおうとする世。 原爆症に対する無知。 現在からすれば、「8年しか経っていない」1953年だが、当時からすれば記憶の風化に対する危機感、切迫感が相当にあった事が映画の語りからは伺える。 硬直した作劇と台詞が貶しどころではあるが、その愚直さゆえに止むにやまれぬ思いが 伝わるのも確かだ。 原発事故一年後の現代日本とを重ねずにはおれない。 [ビデオ(邦画)] 8点(2012-05-29 21:31:54)《改行有》

267.  ファミリー・ツリー 《ネタバレ》 意識の戻らない母を逝かせる事が次女(アマラ・ミラー)に伝えられる。カメラは彼女の目に光る涙を見逃さない。幼さを残しながらも、気丈にその言葉を受け入れる彼女の表情。その一連のショットを繋ぐ寡黙で繊細で優しいディゾルブ処理が素晴らしい。 通俗に陥りそうな、親族会議でのスピーチを巧みに省略するのも、親子3人と少年の小さなシルエットがカウアイ島の渚を歩くロングショットの重なりが豊かな情感を醸成するのも、この適切なディゾルブ編集による。 単なるハワイの絵葉書的美観の羅列に陥らせずに、風や波の音と共に自然光を活かしながら、パンフォーカスやロングショットによって人物・自然・ポートレートを同化させる構図もシークエンスと主題を際立たせている。 その極めつけが、父ジョージ・クルーニー、長女シャイリーン・ウッドリー、次女アマラ・ミラーの親子がソファで寛ぐラストショットの一体感だろう。 母の形見の膝かけに包まる三人の真直ぐな視線。その背後にあるランプシェードの灯。額縁の絵。開放的な奥の空間。流れ続ける『皇帝ペンギン』のナレーション。 静かな時間の感覚が父娘の絆を炙り出すようで、秀逸だ。 [映画館(字幕)] 8点(2012-05-24 22:27:10)《改行有》

268.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 リーアム・ニーソンがパスポートの入ったバッグを空港に置き忘れるのは、ホテルのカウンターでジャニュアリー・ジョーンズだけがチェックインするのを監視カメラが捉える状況を作り出すというあくまで単純な作劇上の必要性から逆算した設定であり、その彼女が爆弾を止めようとして失敗するのも、届かない手のサスペンス(前半の鋏と照応)と爆破のスペクタクルを構成するというシンプルな映画的要請からくるものである。 フィクションに囚われ「<らしさ>とか<首尾一貫性>とか<心理>とかにばかりこだわる観客」(ヒッチコック&トリュフォー「映画術」)にとっては、単にキャラクターの愚かな行動という見え方でしかなくなるのだが、ジャウマ・コレット=セラ監督はそうした<らしさ>にも<首尾一貫性>にも<心理>にも拘ることなく、ひたすら状況設定とサスペンス感覚を核として映画を見せていく。 画面の意匠のみならず、そうした作法自体が「映画術」の忠実な踏襲として芯が通っている。 曰く、「マクガフィンには何の意味も無いほうがいい。」(ヒッチコック) 曰く、「映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ。」(トリュフォー) 鏡面を使った看護師瞬殺シーンの絶妙な構図。アフリカ系タクシー運転手の亡骸に当たる照明。 その状況の秀逸な見せ方ゆえに、ブルーノ・ガンツ、フランク・ランジェラらは勿論、僅かな登場シーンしかない端役キャストに至るまで個性があり、そのいずれもが印象強い。 鏡面に映る二人の虚像を破砕するリーアム・ニーソン。その破片を握りしめる右手と、立ちすくむダイアン・クルーガ―の構図。 爆発による停電でモノトーンとなった画面に漲る一瞬の緊張と、交感する二人の表情がいい。 [DVD(字幕)] 8点(2012-05-22 23:46:06)《改行有》

269.  ある戦慄 夜の街を疾走する列車に被るロック風オープニング曲が非常にクールだ。 生々しいモノクロ・ロケ撮影による夜の都会の濡れた街路や、神経症的キャラクター群、そしてその濃い影が印象的なノワールスタイルを特徴とする前半部。 これから乗り合わせることになる登場人物たちの個性が列車の進行とカットバックされつつ簡潔明瞭に描写分けされていく。 そして密室劇となる後半部でもまた車両内の計18人それぞれを過不足なくドラマに関与させ、二部構成でサスペンスを醸成していく手捌きが巧みだ。 列車内はアメリカ社会の縮図と化し、その舞台劇的設定の中に人種差別・所得格差・同性愛・都市犯罪等々の社会問題を浮かび上がらせていくが、それはあくまでショットの力強さによる。 俳優の顔面と直近で正対するカメラの圧迫感が秀逸だ。 その時、視線を返されているのは観客自身である。 同性愛描写に関するコード改定が61年。 黒人問題を描いたラリー・ピアースの前作『わかれ道』が64年。 そして66年の新コード採用によって、アメリカの内包する苦悩が赤裸々に曝け出されている。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-15 22:48:19)《改行有》

270.  心のともしび 『ジョニー・べリンダ』で口と耳の不自由を演じたジェーン・ワイマンが、本作では目の不自由を演じる。 宗教的主題という点でも通じており、本作では神格化された高徳の医師は表象されることがない。 ストーリーは通俗的ながら、屋内の人物に影を濃く落とすラッセル・メティのローキー画面の艶によってヒロインの失明のドラマと相乗させ、しっかりと映画にしている。 特に舞台をスイスへ移して以降のホテルのシーンは、暗がりの中にランプの灯りやヒロインの衣装のワインレッド、ライラックの青紫がよく映えて艶めかしい。 前半の湖畔のロケーションも良いが、単調になりがちなセット撮影パートも背景奥に窓外の風景を採り入れた多層的な構図によって画面を充実させている。 クライマックスの手術室上方のガラス窓に、執刀するロック・ハドソンの反射像と、それを見守るオットー・クルーガ―の像が重なり一体化するショットがその白眉だ。 [DVD(字幕)] 8点(2012-04-30 23:37:42)《改行有》

271.  ギフト(2000) 「隠された事実というのはサスペンスを引き起こさない。」だから「謎解きにはサスペンスなど全くない。」そして「(一種のパズル・ゲームに過ぎない)謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。」(ヒッチコック『映画術』) 本作における犯人探しミステリーもまた、ヒロインをめぐるドラマに情動を付与するための一手段に過ぎないのであり、確信的に登場人物を絞り真犯人を仄めかしている作品に「犯人が早々に判る」式の批判は、ナンセンスでしかない。 映画が主眼とするのは非本質的な謎解きなどではなく、ケイト・ブランシェットが担う「映画の感情」なのだから。 地味な普段着で息子達の部屋片付けをする母親像。パーティシーンで鏡を前にふと衣装を気にする女心。床のペンキに滑り、ずっこけるアクションの人間臭さ。キアヌ・リーブスの恫喝や、弁護士の陰湿な追及に対して怯えながらもそれに真直ぐに対峙する気丈さ。そして、ラストの車中の純真な涙。ナイーヴで不器用な中に芯の強さを湛えた表情と芝居が素晴らしい。 彼女とジョバンニ・リビシとが車中で見つめ合う切り返しの「間」と、続いて警察署前での視線を交わすショットは(謎解きが無くとも)その時点で二人がもう再会しないだろうことを確信させる。そこにはエモーションが充溢しているからだ。 物干しに揺れる白いシーツ。霧のかかる池。樫の木の合間に揺らぐ水中の死体など。(『狩人の夜』のよう) イメージショットの数々も美しい。 [DVD(字幕)] 8点(2012-04-29 00:35:30)《改行有》

272.  4分間のピアニスト 《ネタバレ》 ハンナ・ヘルツシュブルングと初対面したモニカ・ブライブトロイは不作法で凶暴な彼女に失望し、騒乱状態となった部屋を退出していく。看守たちが駆け付け、渡り廊下もまた騒然とするが、画面はスローモーションとなりBGMのごとくピアノ曲が流れだす。 その曲に反応するように振り返るモニカ・ブライブトロイの表情によってそれが現実音であったことが判明する。 あるいは映画後半、画面を横切るピアノと共にヒロインを消して驚きを創出するショットなど、さりげなくハッタリを利かせた趣向が光る。 そして、窓外の外光や屋内のランプなど合理的光源に限定した自然主義の照明設計が創り出す画調が全編に亘っていい。 冒頭で首吊り死体の背後に光る朝陽のショットを始め、いずれのショットも自然光と暗部の黒がよく映えている。 その極めつけがクライマックスの演奏であり、スポットライトの蒼い光と闇は、音楽とヒロインだけの世界を画面に現出させる。 映画のラストを締めくくるヒロインの眼差しのストップモーションは名状しがたい最高度の情動を湛え、素晴らしい。 [DVD(字幕)] 8点(2012-04-26 22:46:23)《改行有》

273.  バトルシップ(2012) 《ネタバレ》 日本版『バトルシップ(ヤマト)』のビジュアルエフェクト担当は、この映画を見習うとよろしい。 メカニックのスケール感・ケレン味の演出とはCG予算の多寡ではなく、キャメラポジションであり、アングルであり、艦体を引き立てる対照物(波、飛沫、敵艦、アンカー)の活用であり、テンポ(ツメとタメ)であると判るだろう。 階級・国籍を超えて砲弾を抱え上げ、運ぶ男達の協働の姿。若手に装填を指南するベテラン。艦首で大きく砕ける波濤を艦橋に登ったテイラー・キッチュが望む俯瞰ショット。 そういう具体的アクションの積み重ねが、深いパースペクティブを活かした構図やハードロックの劇伴と共にミズーリ出撃やT字戦法の圧倒的エモーションを形づくっている。 山崎版『ヤマト』に必要だったのは、そうした人間が操る艦としての描写の豊かさだ。 『機動警察パトレイバー2』や『ガメラ3』など日本製戦争映画(共に伊藤和典脚本)の「ディスプレイ上の戦争」の形式を必然性のある形でボードゲームに見事にアレンジしているこうしたアメリカ映画こそ、したたかである。(球体の殺戮兵器は『機動戦士ガンダムF91』のそれを思わせる。) なによりも、巷のありきたりな粗探しを愚かしく思わせてしまう潔さがいい。 荒唐無稽だからこそ、いかにも大作絡みの政治的ゴマスリに乗せられる心配もない。 (云うまでもないが、作り手の「ご都合」で企画され、書かれ、演じられ、撮られ、編集され、一定時間内に再現された虚構であるあらゆる物語映画は「ご都合主義」である。ご都合主義こそ映画だ。ゆえに『バトルシップ』はより映画的である。) [映画館(字幕)] 8点(2012-04-19 23:42:13)《改行有》

274.  戦火の馬 《ネタバレ》 グリフィス的「再会」に、フォード的「父母」に、ホークス的「動物との共演」等々。 古典アメリカ映画を律儀に参照・再現しつつ、その上で自身の視覚的記号(差し出される手、隠される眼など)をしかるべくドラマ各所に活かし自身のフィルムとするしたたかさ。 それでいて馬の側の物語から人間側の物語である塹壕戦の描写に移行した途端、その画面に漲る意気込みが物語の統御を失いそうになる微妙なアンバランス感覚もスピルバーグ作品の魅力ともいえる。 馬を追い詰める威圧的な突撃戦車といった趣味全開の細部に執心しつつ、ギリギリで全体の統覚を保ち大団円にまとめあげるあたりは貫禄である。 黒澤明が嫉妬しそうなほどの「馬の映画」であると共に、第一次世界大戦の塹壕戦を視覚化することもまたやはり戦争の世紀を網羅しつつあるアメリカ時代劇作家としての隠れた主題なのだろう。 ヒューマンドラマを語る一方で、馬軍の突撃と共にサーベルが鋭利に人間を貫いていく殺傷の音響や、塹壕の至近距離への着弾の振動や、砲車を高台へと引き上げる行軍といった容赦無い暴力描写には、スピルバーグ流の分裂的特徴が明快に現れている。 であるからこそ一方でフィクション性をあえて際だたせ、フィルムを現実から隔てようとする。 本作に限らず、スピルバーグ作品の登場人物が一貫して「英語を話す」のは、云うまでもなくかつてのハリウッド映画のコードに忠実であり、それ以上に虚構としての「映画」に自覚的であるからに他ならない。 [映画館(字幕)] 8点(2012-03-28 22:10:14)《改行有》

275.  顔のないスパイ 本来なら星条旗の露出は、中盤の木々のざわめきや物干しにかかった衣類のはためき、情報屋のアジトである304号室の廊下の窓外で揺れる影などと共に何よりも具体の揺れとして画面に呼び込まれるべきはずだが、その頻出はメリハリを欠く上に何らかの象徴的な意味付けを感じさせて少々煩わしい。 逆に議員暗殺現場の路地の照り返しや、回想シーンの中で倒れている妻と娘に駆け寄るリチャード・ギアのロングショット、格闘シーンに入り込む割れた鏡など、所々に差し挟まれたさりげない部分の方が目を引く。 プラント内の監視室のシーン。リチャード・ギアより先に観客にトラップに気づかせてしまうようなモニター画面の映し方も小器用ではないし、主役二人の暗殺アクションの数々は短いカッティングが逆に俊敏性を欠いて物足りない一方、スティーヴン・モイヤーが乾電池二つを呑みこむ1ショットの異様が突出してしまう辺りの不均衡もこの映画の歪な魅力でもある。 尤も、小器用な映画などに面白味はない。 [映画館(字幕)] 8点(2012-03-11 23:59:55)《改行有》

276.  ギターを持った渡り鳥 雄大な山肌を背にした一本道を荷車が往くファーストショットから素晴らしすぎる。 灌木が疎らに散らばる平原。あたかも演出されたかのような雲の表情。それはいかにも北米西部の荒野の風情だ。函館方向と大沼方向を示す道標から、背後の山が北海道大沼の駒ケ岳とわかる。 続いて函館山から俯瞰した市街、その夜景、そして歓楽街の街路へと画面は移り、バーの店内ではアメリカ人らしき船員らが揉めている。そのバーの長いカウンターテーブルの美術がまた彼国風でいい。 そこへ至る一連の流れも鮮やかだ。 映画は港の倉庫街、連絡船乗り場、湾内の堤防、函館独特の坂道などを奥深いパースを用いながらシネスコ画面を目一杯使って的確にフレーミングしてみせる。 とりわけ、序盤で通りがかりの子供のために風船を買ってやる小林旭の、橋を使った縦構図のロングショットなどは絶品だ。 洋上の船の荒々しいローリングも素晴らしく、ロケーションの魅力が全編に亘って存分に詰まっている。 その揺れる船上で対決する小林旭と宍戸錠も相当なタフであり、殴り合い主体の擬斗シーンもカットを割ることなく、持続的なアクションを当人が見事にこなしている。 ビリヤード台を挟んだ二人の、因縁の対決の瞬発性。 主人公の過去を数ショットに留め、多くを語らない経済性。 シンプルな物語を効率よく語りながら、主題歌のメロディを明確に印象付けてしまう洗練された技能。 それらが、充実しながら無駄のない77分を創り出している。 [DVD(邦画)] 8点(2012-02-26 21:51:53)《改行有》

277.  TIME/タイム 荒唐無稽な物語を殊更に正当化しようとせず、当然の事のように語りきること。 その設定を、安易な説明ではなくまず具体の行動の積み重ねにおいて描写していくこと。 有体に云えば、ここでのストーリーや世界観やSF的設定などは、タイムリミットと逃避行(つまり時間と運動)のアクションを乗せて運ぶためだけに必要とされるに過ぎない。 その「時間と運動」のイメージこそ映画の要であり、荒唐無稽に徹する事こそ映画の知性だ。 静的な腕同士のバトルやカードゲームではなく、ただ「時間内に」走ることの動態によって主題論が体現されていく。 相対、並行、逆走、落下、その無軌道と乱脈の疾走の勢いによって画面は活性化し続け、その男女の走りと画面の疾駆とクレイグ・アームストロングのスコアとの一体化がラストの抱擁のエモーションに結実する。 役者陣の顔の素晴らしさに加え、二つのゾーンの格差を、それぞれの人々の行動習性とスタイル、そして抑制的ながら個性を持つデザインスケープによって視覚的に際立たせていく等の手際もいい。 「シルヴィア」と「限られた時間を生きる男女」の映画史からラングの『暗黒街の弾痕』を想起された「映画研究塾」は絶対的に正しく、『俺たちに明日はない』の結末の記憶と共に、死を孕んだ映画のサスペンスを最後まで維持している。 [映画館(字幕)] 8点(2012-02-23 00:31:11)《改行有》

278.  殺したのは誰だ 長廻しやクレーンショットと共に、深い奥行きで捉えられた四谷・銀座界隈のロケーションが生きている。 通行人を危うく轢きそうな勢いでストップする自動車のアクション、小林旭らの乗った自動車の後部座席から進行方向を捉えたヌーヴェル・ヴァーグ風ショットの瑞々しさも眼を瞠る。 菅井一郎と山根寿子が川端でかき氷を食べるシーンの背後に落ちる木漏れ日の繊細な揺れ。 そして渡辺美佐子を後部座席に乗せ菅井が運転する車のフロントガラスを雨滴が打ち始めるショットの何とも形容し難い叙情が素晴らしい。(そこに静かに流れてくる伊福部昭の音楽) 屋内シーンでも背景の窓外には街路の往来が映し出され、屋内の暗がりには屋外から入ってくる反射光や雨垂れの影などが常に揺れている。 いずれもキャメラマン姫田真佐久による、作為を感じさせない作為による光の見事さだ。 反逆光気味のいわゆる「レンブラント・ライティング」が創り出す人物の陰影の厚みもドラマの悲劇性に合致している。 また、居酒屋に住まう蠅、鼠、蜘蛛のインパクトや、ビリヤード場に出前を届けに来た少女が掛け金の札束を思わず覗きこんでしまうさりげないリアクションなど、わずかな登場シーンながら印象的な身振りを見せる端役の配置も豊かだ。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2012-02-20 22:24:43)《改行有》

279.  見えざる敵 デビュー作ながら豊かな表情変化を見せるリリアン&ドロシー・ギッシュ姉妹が存分に魅力をふりまいている。 全く同じ衣装で風貌も身振りもよく似ているが、背丈と気性の微かな差異でしっかり二人の個性が演出されている。 (リリアン自伝によると、この当時グリフィス監督は青と赤のリボンで二人を区別したそうだが。) 特徴的な、ドアを介して隣り合う二部屋間のサスペンスがメインだ。 ストーブの煙突用穴から覗く、黒光りする拳銃のクロースアップ。寄り添い、怯えるギッシュ姉妹。 1巻ものながら、まさに「女優と拳銃さえあれば映画になる」好例である。 さらに、二人を救出に向かう自動車によるパラレルアクションが加わり、その途上に登場する旋回式ブリッジの仕掛けが救出劇の焦らしとして面白い。 また、妹ドロシーが恋人と語らう屋外ロケの輝くような光線や風、農園の緑の揺れもビリー・ビッツァーのキャメラが瑞々しく捉えている。 ラストの4人のショット。右手前で恋人のキスを受けるドロシーのお澄まし顔も可愛らしい。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2012-02-16 00:30:39)《改行有》

280.  キング・オブ・キングス(1927) 豪華絢爛の衣装と、宮殿をはじめとする壮大な美術セットが圧巻。 人間の群衆だけでなく、登場する動物群も猿、馬、豹、ロバ、山羊、牛、鳩と多彩な上、各種の特殊撮影も融合し、ワイドスクリーンのニコラス・レイ版と比べても遜色ない。 妖艶なマグダラのマリア(ジャクリーヌ・ローガン)に憑依している7つの悪霊を視覚化する多重露光の見事さや、イエス(H・B・ウォーナー)の死後にエルサレムを襲う天変地異のスペクタクル(暗雲と雷光、地割れと土埃)の迫力が素晴らしい。 イエス復活シーンで、天然色となる趣向も意表を衝く。カラーによる朝焼けのショットが鮮烈だ。 そして全編通してイエスに当てられる格別美しい光が印象深い。 その初登場シーンは盲目の子供の眼を癒すエピソード。子供の主観ショットである闇の画面に次第に光がもたらされる。 その中にイエスの顔が浮かび上がる。 彼の輪郭線を眩く輝かせる斜め背後からの強い光線が荘厳かつ幻想的だ。 [DVD(字幕)] 8点(2012-02-14 21:23:12)《改行有》

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