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301.  大列車強盗(1903) 駅舎の中、駅員が拘束される画面右手奥の窓に映る「列車の到着」。または強盗が行われている貨車の側面扉の奥を水平方向に流れていく木々の光景。 画面の前景・後景それぞれに常に動態が取り入れられ、重層的画面は固定化することがない。 原野のロケーションを背景にした列車や馬の疾走、そして車上の格闘はパースペクティブを活かした縦構図の中に捉えられ、乗客降車のモブシーンや、躍動的な群舞シーンは画面を賑やかに活気づける。 林の中を逃走する強盗団の1人が落馬するショット、そしてクライマックスで画面奥の保安隊と手前の強盗団の間で交わされる銃撃戦を延々と捉える固定ショットもアクション性豊かだ。 その乱戦の活劇感覚がとてもいい。 画面のあちこちにに突発的に白い硝煙が広がる瞬間、馬たちが驚き、怯える様はそこにある「音」をも強烈に感じさせる。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-08-27 00:00:38)《改行有》

302.  大鹿村騒動記 トンネルを越えて紅葉の山道を登っていくオープニングの緩やかな縦移動の感覚。 三國連太郎が墓参する、あるいは小倉一郎が農作業する山の斜面の感覚。 激しく窓を打つ豪雨と暴風の描写が素晴らしい山の嵐の感覚。 そして、原田芳雄の営む食堂の外観・内装から滲み出る地味な生活感を笠松則通の落ち着いたカメラが的確に掬い取る。 現地ロケーションと役者の馴染み具合が何よりで、おひねりの白い和紙や掛け声の飛び交う、客席と舞台上とのコミュニケーションもすこぶる楽しい。 手前に食堂テーブル、奥に玄関。あるいは手前に洗濯機とトイレ、奥に居間といった手狭感の秀逸な縦構図のなか、それぞれ岸部一徳や松たか子、冨浦智嗣らと原田芳雄が絡むロングテイク主体の対話劇もいずれもユーモア豊かで味わい深い。 ラスト近く、原田と大楠道代が並ぶ、舞台後の裏口のロングショットもいい距離感を出している。 そのうえで繰り出される、原田振り返りのクロースアップが尋常でない凄みを放ち、感慨深い。 三國連太郎との充実した芝居のなか、目深に被り直すテンガロンハットの芝居も泣かせる。 [映画館(邦画)] 8点(2011-08-15 20:18:10)《改行有》

303.  眠るパリ 《ネタバレ》 フランスの下町を魅力的に活写したクレールの第一作もまた、巴里の街が主役だ。(当時20代半ば) 主にエッフェル塔からの俯瞰で捉えられる様々な街の表情をはじめ、苦心が窺える無人のロケーション撮影に、若い作家の情熱と愛着が篭っている。 塔の鉄柱に取り付いてのアクションは、同年のアメリカ映画『ロイドの要心無用』の高所アクションにはたして影響したのか、されたのか。 高所のスペクタクルとスリルを十分に味あわせてくれる。 スローモーションの映画『幕間』に対し、ストップモーションで捉えられた『眠るパリ』の斬新な姿。 静止していた画面が動き出す瞬間のアクセントが、街の生気と映画(モーション・ピクチュア)の感動をダイレクトに伝えてくる。 当時の複葉機や、街路を走る自動車や馬車、セーヌ川を渡る遊覧船の動きを見るだけでも「新しさ」を発見させてくれる映画だ。 エッフェル塔の高層階に並び座る男女がパリの街を見下ろすラストのショットの幸福感がいかにもクレールらしい。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-08-09 20:35:08)《改行有》

304.  ナージャの村 河辺で戯れる少女たちが水面に作る波紋。昆虫たちの気配の充満する草むら。種まきから収穫までの農作業。そして、人間たちと共生する牛、豚、山羊、馬、蜂、鶏の姿。 写真家:本橋成一の撮る『ナージャの村』は、どこか静的で審美的な「映像美」中心に陥りそうな危うさを孕みながらも、その風景の中に生命の動態と時間性を呼び込んで固定化を回避している。 阿賀野川の生活者たちを魅力的に捉えてみせた佐藤真が編集を手がけた貢献にもよるだろう。 汚染の被害や影響といった観念的問題性に縛られることなく、故郷の土地に生きる人間の生活の動きある細部を中心に彼らの尊厳を画面に定着させていくアプローチも『阿賀に生きる』を忠実に踏襲している。 四季を綴る映像と、向けられたカメラを特に意識する風でもない村人たちの姿は、現地に腰を据え、彼らに溶け込んだ長期取材の証しでもある。 スカートの裾を気にしながら自転車を飛ばす娘らの爽快な移動ショットなどは素晴しいものの、ナージャさん一家が引越しするシークエンスを中心に、移動シーンの頻繁なカメラ位置変更は被写体の日常への介入が過ぎないだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2011-07-31 20:52:01)《改行有》

305.  さんかく 《ネタバレ》 常にトイレを視野の奥に入れた特徴的な2DKの構図の中、高岡蒼甫と田畑智子が何度もキスをし直すシーンや、マニキュアをめぐっての痴話喧嘩が別れ話に発展してしまうシーンなど、二人の関係性の変化を捉える持続的なワンシーン・ワンカットが真に迫る。 この長回しは、二人の達者な芝居を途切れさせないことで生々しいテンションの維持を達成しているだけでなく、男女間の視線の交換とそれに伴う感情の交流という古典ハリウッド的な切り返し編集を一切封印することで、二人の恋愛の不可能性を暗示する。 実際に、小野恵令奈と高岡蒼甫の「擬似恋愛」は幾度も偽の切り返しによって表現される一方、高岡・田畑の対話からは意識的に徹底排除されている。 監視カメラ映像を通して交わされた偽のそれと、ラストの美しいそれ以外は。 同時に、頻出する携帯電話での対話も常に一方の発話者側だけを捉え、関係の一方向性と非対称性を強調しているのも確信的に施された演出だ。 ラストのクロースアップによる男女の切り返しに至り始めて双方向的な結びつきが成立し、見つめること(視覚)と受け容れること(心理)の一致という原サイレント的美しさを見せ付ける。 [DVD(邦画)] 8点(2011-07-28 20:53:22)《改行有》

306.  激怒(1936) 《ネタバレ》 前半の善良な青年から、後半の荒んだ復讐鬼へ。スペンサー・トレイシーの変貌ぶりが憎悪の奥深さを雄弁に物語り、映画に濃い陰影を投げる。 保安官事務所に民衆が集結してくるモブシーンのクレーンショットが、その後の波乱を予感させて秀逸だ。 事務所が火炎と黒煙に包まれる中、暴徒の笑顔のクロースアップが短く積み重ねられるモンタージュによって彼らの禍々しく残忍な印象が一層際立つのも、一種のクレショフ効果か。 裁判の重要な証拠となるニュース映画のストップモーションと共に、インパクトが強烈だ。 ショーウィンドウや、「22」の視覚的記号と共に、私刑と復讐の主題系はドイツ時代から連なるフリッツ・ラングの特色だが、ハリウッド的甘味を折衷させたラストはやはりどこか、渡米後第一作の不自由を思わせる。 床屋のシーンや、裁判長の宣誓シーン、犬やアヒルのショットなど、暗い主題を中和するユーモアも随所に散らばり、作品のバランスに対する苦心と配慮を窺わせる。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-23 19:50:19)《改行有》

307.  六ヶ所村ラプソディー DVD版の上映。 菊川慶子さんが育てているチューリップ畑の赤・黄・ピンク・紫などはほぼ純色に近い彩度の高さで画面を彩る。 彼女が鍋に押し込む青菜の緑と強い弾力、そして温かそうな湯気は食欲をそそる。 幼稚園児たちが笑顔で齧る有機栽培トマトの鮮烈な赤も素晴らしく眼に沁みる。 淡い水色の空に架かる黒い送電線。 カメラがパンダウンしていくと、苫米地ヤス子さんが無農薬有機栽培している黄はだ色の稲穂についた水滴が瑞々しく輝いている。 掘り出された山芋に着いた肥えた土の豊かな黒に、水揚げされたイカの飴色。 それらは、東北の「見えない汚染」が現実的な今、かけがえなく切実な彩りだ。 映画のコンセプトは、「反対派も、推進派も同じスタンスで」「偏りなく」「矛盾も含めてありのまま」映し出すことだという。 が、映画のなかで、苫米地さんが語るように、「中立」はあり得ない。中立は容認であり、賛成でしかない。 映画も対象を選択し、フレーミングによって取捨を迫られる。 この豊かな自然物の色彩と、村民の淡々と柔和な表情こそが、映画の強い主張だ。 [映画館(邦画)] 8点(2011-07-18 20:54:25)《改行有》

308.  マンハッタンの二人の男 《ネタバレ》 ネオンが輝く夜の街路を緩やかな縦移動で捉える冒頭からして、ニューヨークの街そのものが映画の主役といって良い。 地下鉄内のメルヴィル自身を映し出すゲリラ的な撮影スタイルに、摩天楼の背景とアパートベランダの男たちとを同格で捉える構図に、つまりは人間と街の空気をまるごと捉えようとする画面自体に、アメリカ狂らしい「街」への偏愛が滲んでいる。 メルヴィル自身が監督・脚本・主演のみならず、撮影までこなしているのもその証左だ。 深夜のマンハッタンを中心にラストの明け方の街路に到るまで、屋外シーンは生々しい感覚と魅力に満ち、混沌としている。 一方で、病院内で面会を強行するシーン、女優のアパートで真相を知るシーンといったセット撮影での静かな緊張感も陰影の深い撮影によって印象強い。 さらには聞き込み先の録音スタジオ、ダイナー、バーの各所で効果的に採り入れられるジャズ演奏も、相乗的にノワールムードを盛り上げている。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-17 19:03:56)《改行有》

309.  星守る犬 ファンタジックな向日葵畑と、美しく輝く三陸の海岸。それらが引き立つのは、一方で厳然たる地方の閉塞状況にもしっかりと眼が向けられているからだ。 半壊した家屋や、シャッターの下りた商店が連なる寂れた国道を無言で見届けていく西田敏行の複雑な表情が忘れがたい。それは紛れも無く作り手が現場の風景に触発され生まれたショットであって、台本をなぞるだけのスタイルからは決して挿入され得ない。 だからこそこれらのショットは強度を以って迫る。 新聞の見出しにさりげなく登場する「小泉圧勝」、「リーマンショック」の文字と平行しながら描かれる地方企業のリストラと、家族の分解。 現代的な孤独死の様相までを丹念に見据え、単なる「悲惨」に留めずに積み重ねていく語りには作り手の誠実な人間観と社会観が伺える。 青森の夜の埠頭で、一人ダンスを踊る可憐な川島海荷のロングショット。 三浦友和、余貴美子、温水洋一、濱田マリらの多様な佇まいは、単純な「善良」には陥らず、豊かな人間性を醸し出す。 そして映画のラスト、いわきの漁港で漁船の仕事に精を出す中村獅童の姿を、3.11後の今、冷静に見ることはできない。 奇しくも、フィルムに収められることとなった被災前のいわき、遠野のロケーションの風情がリアルタイムと交錯しながら、ロードムービーとしての情緒を倍増させている。 覚束ない足取りの犬を困難な超ローポジションで捉えていく撮影も頑張っている。 車のナンバー「746」「2525」といった細部も作り手の拘りの証だ。[映画館(邦画)] 8点(2011-07-16 23:59:36)《改行有》

310.  0課の女 赤い手錠 作り手が統御し得ない火、水、風の要素が画面内で不定形に狂乱する。 水飛沫をたてながらバスタブに後ろ向きに突っ込んで悶死する一等書記官と、バーのマダム。 泥水の水溜りも、ことごとく画面に飛沫を撒き散らすために配置される。 水責めとバーナー責めの拷問や、真っ赤に噴出する血飛沫、ススキ野原、櫓の炎上もまた然り。 何より眼を奪うのは、クライマックスで過剰なまでに散乱する紙片(即ち、風)の凄まじさだ。 激しく舞い踊る紙片の狂騒ぶりが理由もなく活劇的に映画を盛り上げる。 杉本美樹の無表情、室田日出男や郷英治の神経症的な顔面を際立たせるネオン照明の照り返しも秀逸だ。 ヒロインの受ける拷問、傷跡、バスタブ、風、そして破り捨てられる警察手帳は、 どことなくイーストウッド譲りといった趣。 [DVD(邦画)] 8点(2011-07-15 23:08:18)《改行有》

311.  甘い罠 《ネタバレ》 アナ・ムグラリスが車で出かけるのを、窓辺から見つめるイザベル・ユペール。 今回公開された『甘い罠』・『最後の賭け』・『悪の華』いずれにも共通して、屋内から窓外の事象を捉えるショットが特徴的だ。 窓一つを介した世界の隔たりと奥行きが、それだけで映画に波乱の予感を呼び込む。 そのフレーミングはルノワールの継承を感じさせる。(劇中では『十字路の夜』もチラリと登場。) ピアノの置かれた応接間と居間を繋げた重層的な空間つくりの妙。そこにさらに鏡が配置されており、人物のさりげない映り込みが幾重にもサスペンスを増幅させる。 石垣の連なる暗い坂道をヘッドライトが照らしながら、危うげに車が下っていくシークエンスの緊迫感が素晴らしい。この前進移動ショットはまさに『十字路の夜』だ。 そして、イザベル・ユペールがみせる仮面的表情とソファにうずくまる彼女の背後にレイアウトされた蜘蛛の巣の刺繍。隣室から聞こえてくる葬送曲の調べ。 それらが醸しだす不穏なラストの余韻まで緊張が途切れない。 [映画館(字幕)] 8点(2011-06-25 21:14:49)《改行有》

312.  月あかりの下で ある定時制高校の記憶 卒業式の「涙そうそう」に被せて挿入される思い出のフラッシュバック。担任からのメッセージを聴く生徒の表情へのズーミング。これらの「感動」演出はあまりに通俗的で品が無い。 公的な場であることが、撮影四年越しのクライマックスに至ってカメラの自重と緊張感を奪っているのではないか。 逆にこの映画は、日常の彼らの姿を捉えたシーンこそ輝いている。 例えば中盤のシーン。 ナオミと呼ばれる少女が、太鼓の練習の休憩時間にそっと場をはずす。 カメラは彼女を追い、ゆっくり階段の踊り場まで登っていくが、そのフレームが捉えるのは踊り場の壁と彼女の影のみ。「どうしたの?」という監督の声。続いて彼女の嗚咽が聞こえてくる。 カメラは壁と彼女の肩だけを捉えている。ここでナレーションによって彼女の家庭事情が語られるが、カメラは彼女の座りこんだ姿を一瞬だけフレーム内に入れ込むと、ゆっくりと後ろ向きに後退していく。 撮影者=監督は、彼女に寄り添い、肩を抱くことを優先し、彼女を撮らないことを選択した。 浦商の生徒や教師と同様、「撮ること」と葛藤し、悩みためらいながら関係を築いてゆこうとするカメラの誠実な揺れが胸を衝く。 映画は、本来ならばドラマティックな「見どころ」となるべき場面を何度か事後ナレーションですましている。 それは単なる省略ではもちろん無く、上記の1シーンに露わな様に繊細な感性を持つ彼ら「撮られる」側の苦痛を知り、デリケートで重要な人間関係の場には安易にカメラを踏み込ませまいとする倫理的な決断ゆえだろう。 彼女らの過酷な境遇。自傷のエピソードを自ら明るく語る彼らの真の苦しさ。それらは決して画面には表れてこない。 そこをこそ、観る側は汲み取りたい。 [映画館(邦画)] 8点(2011-06-19 17:53:38)《改行有》

313.  少年、機関車に乗る レトロ感覚満点の機関車のメカニックは、セピアカラーの情緒と相俟って温かみすら感じさせるユニークなキャラクターであり、さまざまなアングルから捉えられた機関車の走行はそれだけで十分映画だ。 線路両岸の地形の変化も楽しく、小停止中に運転手が立橋上の家族と着替えや弁当などのやり取りをする生活感のある情景などもいい。 また、道中で一緒になった娘たちと主人公兄弟のやり取りも笑いを誘う。本職の役者か、素人か、みな演技を感じさせない良い表情をしている。 下車した娘が、迎えに来たバイクに乗って小さく走り行く見事なロングショットは観る者の想像力を様々にかき立てずにおかない。 そうかと思えば、並行して走るトラクターとの競争シーンのスリルには、『イントレランス』の記憶も入り混じってちょっとした興奮もある。 ラスト、車上を中心に固定だったカメラが水面上を滑るように列車と並走し始める驚き。 その雄大な移動が大陸を感じさせて素晴らしい。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-06-11 22:16:58)《改行有》

314.  少女たちの羅針盤 忽那汐里の提案によって四人が公園のブランコに乗る短いシーンは当然ながら原作小説にはない、ロケーションを活かした映画オリジナルのささやかな設定である。 それは四人の一列横並びと、ブランコの振り子運動、そして吊り手を握りしめる拳を映画表現する為のものと思ってよい。 謎解きの理屈は原作の領域に過ぎない。言語の行間を如何に実景化し、如何に画面にのせるかが映画の要であり、この作品はそこが充実している。 岸壁で夕陽に見惚れるシーンの横並び、公園の噴水でのじゃれ合い、衝動的な疾走と絶叫、健気な「手」のアクションなど、小説の記述では成し得ない映画ならではのエモーションにことごとく打たれる。 喜怒哀楽の内心を紋切型の表情演技で表出させない、微妙に屈折やコンプレックスが入り混じる女優たちの思春期の相貌もとてもいい。 四人はあるときはバラバラな方角を向き、あるときは求心的に向き合って手を重ね合い、そして横一列に並んで一方向を見つめる。 座り方、立ち方で各キャラクターの個性差を提示しながら四人を一画面内に収める配置はバラエティ豊かで、かつ的確だ。 舞台上で手を繋ぎ合ってスポットライトを浴びる四人のシルエットの画も美しい。 [映画館(邦画)] 8点(2011-06-11 19:07:59)《改行有》

315.  秘められた過去 《ネタバレ》 ウェルズが監督を始め、製作、脚本、衣装、美術、編集と多才ぶりを発揮。 ロケーションもスペイン、フランス、ドイツ、メキシコと幅広い。 港湾シーンの影の乱舞や、天井を取り込みながらウェルズの威容を強調する不安定な斜め仰角ショットに凄味がある。 とりわけ、船のローリングに合わせて背景セットと手前の人物の揺れをずらす効果は絶大で眩暈すら誘う。 中盤までは回想形式の叙述でありながらも、ジャン・ブールゴワンから引き出されたそのノワールスタイルの暗黒画面によって醸しだされる切迫感がただならない。 『市民ケーン』的な謎解きのドラマに、古城での仮装パーティの喧騒では怪奇映画ムードすら加わって映画的スリルは多彩だ。 クライマックスは天井のスピーカーを通した娘と父との、視線の交わらない対話。俯瞰と仰角の切返し編集、そしてノイズが悲劇性を強調する。[ビデオ(字幕)] 8点(2011-05-21 21:01:13)《改行有》

316.  ジャガーノート アバンタイトルは、染みのついた白地のぼやけ気味のストップモーション。その焦点が合うと、客船の船体を背景とした「赤」と「青」の紙テープである事が判るという趣向。中盤で犯人が電話をかける電話ボックスの赤と、背後の船舶会社の青による画面分割もまたクライマックスに向けたさりげない映画的伏線といえる。 タイタニックから時を経て、階級差別から人種差別へ、変わらぬ格差社会を料理廃棄の反復とアジア系給仕の悲劇を以ってシニカルに描出する批評性もまたさりげない。 有閑夫人らや、船員同士の何気ない対話もウィットに富んで面白い。 乗客のパニック防止の為に行われる虚ろなパーティを、説話的な必然性のみならず、まずもって処理班の緊張の場との対比として活かした映画的作法も良い。 D・へミングスの爆死が、会場に集った乗客を揺さぶることとなる。 そしてリチャード・ハリスの面構えも独白中継も良いが、曇天と波しぶきの中をローリングする豪華客船現物の重量感と生々しい迫力が断然素晴らしい。 ボートからの仰角視点と空撮を織り交ぜた臨場感あるロケ撮影があってこそ、爆弾処理のサスペンスが各段に引き立っている。 [DVD(字幕)] 8点(2011-05-07 19:34:20)《改行有》

317.  ハナ子さん 巻頭に登場するのは、真上から俯瞰したバレエ団のダンスの輪。 そのマキノ的な円のモチーフは自転車や荷車の輪転、防災演習の連携プレーの輪、ボールとフープを使った舞踊団のレビューへと変奏され、轟夕起子のデングリ返し、 そして回転の舞へと連なっていく。 あるいは、吊り輪運動、時計の振り子、箒掃き、手押しの放水機、ラジオ体操からススキの穂まで、「揺れる」運動も随所で画面にリズムをつける。 アクションは視覚と歌謡に留まらない。演者の交わす対話の響きが非常にリズミカルでいい。 とぼけていながら歯切れが良い。台詞が優れたアクションとして機能している。 轟夕起子の笑顔と面、その回転と疾走が短く繋がれていくラストの情感。 母親の悲哀を直截に見せた木下監督の『陸軍』以上に、その精一杯の笑顔は胸に迫る。 [ビデオ(邦画)] 8点(2011-05-05 21:32:23)《改行有》

318.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 ラプンツェルが危機一髪で崖からジャンプする瞬間と、刑場に引かれていくユージーンのショット。映画の中で二箇所限定で用いられたスローモーションの沸き立つような高揚感。 あるいは的確なクロースアップ、POV、移動ショット、ジャンプカットと、洗練された映画的ショットと編集の宝庫ともいえる。落下運動の向地性と無限上昇運動としての浮遊を対比的に活かしたアクションの緩急と、光の見事さ。 ティアラの輝きと透明感の表現力は、ディズニーの伝統を着実に受け継いでいる。 画面の充実は、エンドクレジットに記されたレイアウトやライティング担当スタッフの豊かさにも明らかだ。 語りを含めた完成度の高さを十分認めた上であえて欲をいうなら、離れ離れとなった二人が塔の上で再会するクライマックスにかけてはそれに相応しいもう一段の困難と試練が欲しい。 落下と振り子運動をダイナミックに駆使した、中盤までの縦横無尽のアクションシーンがあまりに素晴らしいだけに、二人が互いを求め合うクライマックスでは塔の高低と構造を活かしたよりドラマティックなアクションが間違いなく出来たはず。 『カリオストロの城』の時計塔や、『長靴をはいた猫』の魔王城のような。 [映画館(吹替)] 8点(2011-04-26 22:32:02)《改行有》

319.  ブンミおじさんの森 大雑把に三部に分けられる構成には侯孝賢の『百年恋歌』のような趣がある。 熱帯林の緑の濃淡と、湿潤の感覚。裸電球の下で食卓を囲むショットとフレームへの人の出入り。エピローグのPOPミュージックなど等、、。 小さな滝と水流の幽玄性、中国茶の入ったガラスコップに木漏れ日を美しく反射させる採光などは実に繊細だ。寝室の蚊帳は幾度も画面に淡く美しい紗をかける。 水と小魚の鍾乳洞のイメージなどは母胎のメタファーそのままだが、まずもって具体の画面として吸引力がある。 冒頭から豊かに響く生命の気配の濃密さ。静かな地鳴りのような音響へと変わり、それが途切れた瞬間に引き立つ静寂、その音響が緊張を孕みながらも心地よい。 あるいは足を患うジェンの不自由な足取り、水牛、犬、精霊の佇まいもまた静かな緊張感を終始漲らせる。 赤い目を光らせる「猿の精霊」の造型はどこか宮崎駿の描く神人の影響などもおぼろげに感じさせる。 暗い洞穴の中で輝く、星のような鉱石の光。その美しいイメージはまさに『天空の城ラピュタ』の一場面の優れた実写化だ。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 23:01:37)《改行有》

320.  そして人生はつづく 3部作の第2部にあたる。大地震に見舞われた村(前作の舞台)をキアロスタミ監督が再訪する設定の中でフィクションとノン・フィクションが絶妙にせめぎ会うロードムービーの傑作。 大渋滞する幹線道路を父子の自動車が行く。車窓を流れていくのは半壊した家々、落石に押しつぶされた車、家財を背負い側道を歩く避難民。救急車両のサイレンやヘリのローター音の喧騒が生々しい。 同時にその被災の光景は引いたキャメラで捉えられるとき、混乱と悲惨だけでない大らかさと悠久の詩情をもまとう。同じく喧騒の音は、活気ある復興の槌音でもある。 村へ向かう車中、捕まえたバッタを逃がすよう父に叱られる息子が浮かべる何ともいえない表情や、優しい木漏れ日が揺れるオリーブ林の中であやされる赤子の無垢な顔、避難キャンプの水場で洗い物をする少女たちの可憐な佇まい、サッカーワールドカップ中継を受像するためのアンテナを懸命に立てている青年の笑顔、便器を持ち運ぶ老人の饒舌。 いずれもただ素晴らしく、失意と悲嘆を越えた生気と強かさに自ずと惹きつけられてしまう。 そしてラストの超ロングショットは象徴性が勝ちすぎながらも、やはり目を瞠る。 丘の上を目指し、遅々としながらも急坂を懸命に登っていく小型自動車の動きはキャメラからの距離に比例して人物との同化の度を増し、エモーションをかきたてずに置かない。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-04-07 21:11:06)《改行有》

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