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341.  いつでも夢を(1963) 《ネタバレ》 '60年代の夢と希望に溢れた映画。今でも良く流れる流行歌と、笑顔で自転車に乗る吉永小百合が綺麗。 時期の関係もあるけど、地面も植物も建物も灰色、茶色。明灰白色。草木の緑や空の青さより、結構グレー単色なモノに囲まれた時代だったんだなぁ。でも、あの映像に生きる人はみんな元気そうだ。 こち亀で見た“千住のお化け煙突”も健在。映画の翌年解体されたそうだから、煙突が何回も出るこの映画は、煙突マニアにはたまらないかも。 吉永小百合と浜田光夫が出ていて笑っていればそれで満足なんだけど、橋幸夫まで出てきて歌まで歌う。ミュージカルでもないんだけど、“さぁここからは歌のパートですよ”って感じに思いっきり歌う様子を見ると、キューポラのような社会派の映画と比べて、より娯楽性の高い作品に思える。 理不尽な理由で一流商社を落とされる勝利の落ち込みよう。だったら定時制高校に新採募集の案内出すなよなぁ…はぁ。でもそこから、与えられた環境で、工員として前向きに働く勝利。せっかくの才能が勿体無いーとか、今までの努力がーとか、今の目線で思うところは多々ある。ほとんど出番のない松原智恵子(秋子)もそう。頑張って働いて、体壊して諦めて。 『未来の夢を追い掛けるより、明日のために、今日働こう』そんなメッセージに思えた。いつでも夢を。か。 『青空を待っている人は大勢いるんだ、みんなの心一つで青空はきっとやってくる。』そうだよなぁ。自分の考えようなんだよなぁ。(※このシーンの空を見上げる吉永小百合の可愛いこと。) 木村家。戦中生まれの兄勝利と、戦後生まれの弟和平ってのも単純で解りやすいネーミング。 お父さんが和平連れて行った中華屋の、ぬるそうな中華そば美味しそう。留次が勝利を連れて行く居酒屋の煮物うまそう。 この時代の密度、この時代の空気感は今の時代では創れないわ。 みんな笑顔で『いつでも夢を』心に抱えて、今日を一生懸命生きた時代の映画。[インターネット(邦画)] 6点(2022-10-08 11:24:44)《改行有》

342.  アビエイター 《ネタバレ》 -The Aviator- “飛行家” たくさんの飛行機が登場する映画制作。世界最速の飛行機の製作。そして航空会社の買収、超大型輸送機の開発に偵察機の開発と、飛行機に関するものを新たに作り、自ら操縦するまさに“飛行家”ハワード・ヒューズの半生を映画化している。 名前くらいは聞いた気がするけど、映画界に航空業界にと多岐にわたって影響力を発揮した人物。莫大な資産を持ち、自分の好きなことに好きなだけお金を使うこの生き方は、ズバリ男のロマンじゃないでしょうか? いっぽうで多岐に渡り過ぎて、ハワード・ヒューズを良く知らない私には、彼の人物像を掴むのに戸惑ってしまった。病弱な少年は資産家の子で映画監督になったのか→本業は航空機の会社なのか→有名女優との関係でも有名だったのか→精神を病んでしまったのか。みたいな。 そもそもハワード・ヒューズを構成する一番メインディッシュの部分が“飛行家”の部分で、どうして彼がそこまで飛行機に心奪われたのかが、劇中そんなにしっかり描かれてたかな?って。なのでこの映画が、彼のどの面を描きたかったのかが私には上手く伝わらず。 唯一の幼少期の描写「QUARANTINE(=感染予防のための隔離)」は、どっちかって言うとスパイス的な部分だと思う。初めにスパイスが出て、完成したメインディッシュが幾つか(資産家、映画監督、パイロット、実業家、プレイボーイ)出てくる…けどこれ、モトは牛?豚?鳥?みたく。 ハワード・ヒューズは過去にこんな経験があって飛行機に魅了された“飛行家”なんだよ。って部分を、しっかり描いた方が、解り良かったかな。その流れだと、こだわり抜いた飛行機映画の完成や、世界最速への挑戦やTWAの買収の成功も、『金に物を言わせて成功したぜ!』だけでない、彼だけのこだわり、達成のカタルシスが感じられたかもしれない。[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-08 10:32:09)《改行有》

343.  空飛ぶタイヤ 《ネタバレ》 タイトル聞いてパッとあの事件を思い出すのは、いい年齢な証拠かもしれない。三菱自動車のリコール隠し。東京フレンドパークの「パ―ジェーロ!パージェーロ!」が「クールーマ!クール―マ!」になったのって、この時だったっけか。覚えているつもりでも、時間とともに案外忘れてしまうもので、あの脱輪事故はリコール隠しから数年後に起きた事件で、三菱自動車への信頼をとことん下げる事件となった。そして沈没。超巨大戦艦なだけに、時間を掛けてゆっくりゆっくり沈んでいっている。 そしてこの映画、人の亡くなった事件で面白かったと言ったら不謹慎かもしれないけど、実際の事件をベースにとても見応えのある内容だった。 三菱でも被害者でもなく、運送会社社長と言うのはまた絶妙な立場で、加害者でもある一方で、被害者でもある難しい立場の主人公の境遇を良く描けてたと思う。四十九日法要の時。ここまで観ていると社長の社員を守りたい気持ちや努力が見えるだけに、妻を亡くした夫から浴びせられるきつい言葉にハッとしてしまう。確かにあの段階で自社の整備不良を認めないって、遺族にしてみれば言い逃れ以外の何物でも無いなって。 敵に回した財閥のデカさ。何度電話を掛けても出ない担当者。期待した雑誌記事は掲載されず、銀行からも厳しい返済を求められる。万事休すからの逆転劇が痛快だった。ただ富山ロジスティックの「新車だったんです」辺りで、鈍い私も半沢直樹っぽい展開だなって思って。池井戸風のドラマは結構見たと思うけど、純粋な池井戸原作って半沢しか観ていないから、そんなに引っ張られたり期待したりもなく、最後まで楽しめたと思う。むしろ半沢がドラマティック過ぎるので、少し抑えた本作くらいがリアリティを感じられて、実際の事件との乖離が少ないように感じられた。 沢田がある意味もう一人の主人公だと思うけど、それに値する人物かが微妙。どうしても、喉から手が出るほど欲かった1億を蹴った赤松社長>>>喉から手が出るほど欲しかったポストだけど想像と違う扱いだったから裏切る沢田。って思ってしまう。 ただ全体としてとても見応えのある娯楽映画で、原作モノとは言え、本当の事件を知る上でも、こういう映画にどんどん力を入れてほしいな。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-07 19:22:07)《改行有》

344.  英雄の条件 《ネタバレ》 -Rules of Engagement- =ROE “交戦規定”だそうです。 応戦や交戦をする際の手順、どのタイミングで武器を使うかを定めたものですね。原題が映画の内容に沿ったタイトルなのに対し、邦題はちょっと突飛な気がします。 You Tubeとかで当時の予告が見られますが、まるでチルダーズ大佐が市民を殺した冤罪で裁かれる映画のようにも見えます。『殺人者か、英雄か』と。実際の銃撃事件が最後の方に出てくるなら、もっと楽しめるサスペンスになったと思います。 もういきなり撃っちゃうんだもんな大佐。兵士「女子供も撃つんですか?」「そうだあの悪党どもを撃て!」英雄もクソもないですよ。数百人のデモ隊の中に、仮に20人テロリストが混じってたとして、十把一絡げに撃ったらだめでしょう。あれがもし全員アメリカ人だったとしたら撃てたのか?と。素人考えでもまずは下の群衆に威嚇射撃しつつ、一番厄介な狙撃手から仕留めた方が良さそう。 大佐が最初から「下から撃ってきている」とか言ってるならともかく、部下も狙撃手から撃とうって提案してるくらい下は無警戒なのにのに、狙撃手を無視する意味が解らない。後出しでどんどん下から撃つテロリストが増えていって、足を失った女の子まで銃を撃ってるのには言葉を失った。だって狙撃手でさえ、住人のお母ちゃんに「やめなさいアンタ!」って頭叩かれてるのに。女の子が銃構えたら周りの大人が止めるでしょ。イエメン人なめんな。17世紀に超大国のオスマン帝国を一回追い出したくらい強いんだぞ。イエメンなめんな。 百歩譲ってあの女の子は大佐の妄想として、他に目撃者がゼロなのはどうなんだ?反撃の時に敵が銃持っているか、アメリカ兵あれだけいて、誰もテロリスト見てないのか?揃いも揃ってメクラ撃ちか?撃ち終わったらどうしてすぐ下降りて死体確認しない?そこで銃とか見付けていれば話は変わってたぞ。 裁判もどうかと思う内容で、政情不安定なイエメンからクソ忙しいお医者さん呼んだり、大使も国旗の件ですぐバレる嘘ついたり。ビデオテープの存在についても杜撰。輸送品目録に出てるなら別な空テープ用意しておくとか出来るだろうに。イエメンのカセットテープも、あんなモノ死ぬときまで大事に持っていたり、大使館に置いてきたりする意図がわからない。壁の銃撃痕見たら、屋根から撃ったか下から撃ったかなんて解るだろうに、無検証。あんなモヤモヤしたまま審議に入る裁判で無罪になっても全くすっきりしない。 私がモヤモヤするのは、群衆の中にテロリストが居たかどうかでなく、無関係な群衆に向けて発泡命令を下したこと。私の中では最初っから有罪で、その気持ちが覆る事はなかった。あのフリードキンがこんな変な映画創るなんて。違う意味で変な映画は創る人だけど…[インターネット(字幕)] 3点(2022-10-07 11:30:58)《改行有》

345.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 -I Girasoli- イタリア語で“ひまわり(ジラソーリ)” 最初のIは男性名詞の定冠詞の複数形。花だと女性名詞な印象ですが、チューリップやひまわりは男性名詞なんだそうな。 結婚休暇や嘘の精神疾患を駆使してアフリカ戦線行きを避けたアントだけど、結果もっと悪いソ連戦線送りに。イタリアからソ連行きなんてあったんだな。てっきり死んだか、死んだ扱いで強制労働と思っていたところ。執念で見つけ出すジョバンナ。 さてあの広大なソ連で、どうやって夫を探したのか。ソ連に派遣されたイタリア軍はそう多くはないはず。旧友の「ドン河で一緒だった」も大きなヒントで、そこ近辺で総崩れした部隊にきっとアントは居たんだろうと。あとはドン河流域の村を当たっていけば…でもこれ、言葉も通じない土地でとんでもない労力と根気が必要。お金も掛かるし精神も磨り減るよな。 若くて子供もいる現地妻マーシャと、あれから10年歳を取った独り身のジョバンナの対比も可哀想。敵兵を助けて夫にしてなんて、本当にあるのか?って思ってしまうけど、ソ連ではキャベツと兵隊は畑で取れるものだから何ら不思議ではない。この2022年に一方的に他国の州を併合するような国家。国家のために働けて敵意のない男だったら、受け入れた可能性も。 ジョバンナの立場で話を追っていたけど、このマーシャがとても純粋で、全然悪い人じゃないのがまた苦しい。10年前に助けて、そのままずっと一緒に暮らしてるんだから。ジョバンナが来て、引っ越すときもすごくアントを気にして、考え込んでる時に話しかけなかったり、無理に明るく話しかけられたら笑顔で答えたり。とても良く出来た奥さんです。 ドン河で頑張ってアントを引きずるマーシャ。コレどっかで観た画だなって思ったら、レッドリボンにやられた悟空を助ける女の子だ。ほらあの、ジングル村の、ハッチャンと暮らしてる。ほら。 ちなみにロシア語でひまわりは“подсолнечник(パトソールニチニク)”だそうです。 ウクライナ語では“соняшник (ソーニヤシュニク)”だそうです。ぜんぜん違うんですね。[インターネット(字幕)] 8点(2022-10-06 20:29:27)《改行有》

346.  バトル・ロワイアルⅡ 鎮魂歌 《ネタバレ》 当時から“創らんほうが良いんじゃない?”感が強かった気がしたけど、思った通りの出来な続編。竹内力の怪演は観ていて清々しいけど、それ以外は観るべきところが…当時世間にショックを与えたプライベート・ライアンを意識した解りやすい上陸作戦。お手本があるだけにアクションシーンは迫力あるかも?だけど同じような画ばかりなので上映時間の長さから飽きてしまう。 本作失敗の理由の一つが、登場人物の多さ。42人の生徒+七原たちテロリストだから絶対描ききれない。だから2人1組の爆弾設定だったのかも。そうしとけば半分勝手に死んでくれるから。2番めの犠牲者、女子十五番・福田和美の最後なんて酷いもので、ちょっと笑い取りに来てる感がとてもトッテモ鼻についた。もうバトルロワイヤルの設定の表面の薄皮部分しか生かすつもりがなく、生徒一人ひとりの個性とかどうでも良く、表面上のわかり易さだけで入れたシーンのように思えた。そもそも制服から軍服に着替えさせたら学生の意味がない(※七原を騙す目的にせよ)。その後の上陸シーンでどんどん死んでいくのが、自己紹介もされなかった出席番号16番以降の子たち。おいおい解りやすく手抜きすぎだろう。 上陸してからもダラダラが続いて、テロリストと合流してもダラダラしていて、最後の戦闘もなんかダラダラしていて、ダラダラ終わった。 殺し合いゲームから戦争ゲームへ。生徒個人の掘り下げからテロリストの戦う理由の掘り下げへ。もうバトル・ロワイアルの考えさせられる要素が殆ど無くなってた。 七原、河田のバンダナに国信のナイフ。だけど異国異国したエキゾチックな格好が情報量多すぎて全然活かせてない。 北野、彼女を主人公にして話を絞るべきだったと思うけど、キャストが多すぎて埋没してて、いまいち活かしきれてない。 やはり最初と最後の竹内力。あの格好で「トラァーーーi…」最後まで言わせろよタッチダウンさせろよ。 鎮魂歌(レクイエム)って、深作欣二監督に対しでしょう?あれだけ、遺作だなんだと深作作品全面押し、負んぶに抱っこだったから。もし監督が最後までご存命だったら…イヤでもコレは、良くなる要素が殆ど思いつかない。きっと深作監督も、ほとんど口出ししないで、これからに人たちに丸投げで任せてたんじゃないかな。いつお迎えがくるかわからない中での制作だったし、それはそれで親心だったのかもしれない。[インターネット(邦画)] 2点(2022-10-06 10:59:04)《改行有》

347.  断崖 《ネタバレ》 -Suspicion- “(悪事に)うすうす感づく” このタイトルだと誰もが「いや遅いって!」ってツッコミを入れたくなるかも。 働いたら負けかなって思っているプレイボーイのジョニーと、恋愛経験が殆どなくて、両親への反発・思いつきから結婚に踏み出したリナ。ジョニーが親の遺産目当てなのはミエミエで、椅子を見た時の落胆ぶりがまた可笑しい。質屋で椅子を見つけてもズバッと怒れないリナに、競馬で勝ったから買い戻しといたぜ。で許してしまう辺り、この時代の女性の自己主張の弱さが悲しくなってくる。 崖を見に行ったあとのビーキーの呑気な姿。リナ同様『あんた殺されるところだったんだぞ』って思うと、なんかシュール。結局ブランデーの前フリがあった通り死んじゃうけど。 イソベルって推理作家が出てきて『だれ?』ってなった。ジョニーとリナの共通の友人で推理作家?こんな人いたっけ?ここが初登場で良いんだけど、なんか偶然の出会いからの新婚なのに、共通の友人が出てくると、どこか見落としたか?って心配になる。 毒の前フリのあとの光るミルクは古典サスペンスの小道具として見事。 緊張感ある崖の暴走からの拍子抜けする最後の告白。う~ん、それはアリっちゃアリだけど、今までの殺人に関する前フリが全部思い込みってことになる。だけどリナに内緒で大事な椅子売っぱらったりとか最低男な部分は変わらない。どこをどう良いふうに解釈すればあのジョニーを許せてしまうのか? むしろ「そう、わかったわ、でも別れましょう」ってリナに逆ギレして、咄嗟に安直な方法で殺して逮捕されるとか、そういうのだったら意外性あったかも?[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-10-06 09:54:13)《改行有》

348.  読書する女 《ネタバレ》 -La Lectrice- Laは女性名詞なので“読み手(女)”とかかな。味気ないタイトルになるので邦題でいいと思います。 当時ハリウッド映画中心に見ていたから、良くまぁこんなテーマで映画を作るものだって感心した記憶があるわ。だって訪問して読書するだけなんて。当時はまだ、例えば“レンタルなんもしない人”とか“デブカリ”なんて存在しない時代。読書というサービスに金額を付けて売買が成立するなんて、それだけで興味が湧いたっけ。ミュウ・ミュウというインパクトある女優さんもまた、おしゃれの国フランスっぽくて独特の雰囲気があったっけ。 結局今回初視聴になったけど、ムム?なんだ?エロか?エロ要素か?ちょっと笑えるところもあるからエロコメか?下半身裸のミュウ・ミュウのお尻にキスしてるおじさんの写真を雑誌で見ていたから、そっちもあるんだろうなとは思っていたけど。あと思ったより年齢高い印象。ミュウ・ミュウってもっと若い女性な印象を持ってたけど。車いすの少年に読んで聞かせている間の足の組み換え。雨の日は素肌が透けるくらい濡れてくる。膝から太ももへ徐々に上がる裾。お母さんが入ってきたら直した!うぅ~ん、エロいですね。 読書したいのにエロ目線で邪魔する客との攻防を楽しむようでいて、ゆるいところはゆるい。結構本人も楽しんでるあたりフランスなのかなぁ? 帽子やマフラーと手袋を同色にするワンポイントのセンス。本の世界のマリーが歩くパリは人が歩いてないこの映像センス。やっぱり生粋のフランス映画はおしゃれです。メイドのベラとの変な魔のある会話が好き。あとダーグ先生の看護婦とか、不思議の国のアリス読みに行く家の母親とか、色んなタイプのフランス美人が登場するのも観どころの一つ。[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-05 20:55:36)《改行有》

349.  地獄の黙示録 特別完全版 《ネタバレ》 ここは特別完全版のレビューを書くところだけど、私が今回観たのはファイナルカット版。オリジナル版と特別&FCの違いは明確だけど、特別とFCの違いって、プレイメイトのその後くらいかなぁ。FCは長過ぎる特別の短い板ってイメージだから、どれ観るか迷ったら特別かオリが良いかも? 前半の徹底した破壊映像は相変わらず、40年経った今でも凄いと感じさせる映像。戦闘中にサーフィンさせる異常性。自分が命じたナパームのせいで波が消える自業自得。咄嗟にキルゴアのボードを盗むウィラードがおちゃめ。ここから部下たちと仲良くなるかと思ったら、ブラインド下ろすウィラード。ボード返せと執拗に追うキルゴアのヘリが可笑しい。 オリジナルが独立したエピソードを繋げた感があったのを、特別編は連続性を持って観ることが出来たと思う。ボードの件、プレイメイトの件。彼女たち、あの騒動のあと、あんな大変な目に合ってたなんて思わなかった。 ストーリー上もそうだけど、ベトナム戦争は第一次インドシナ戦争から続くものだって認識させられるフランス人入植者たち。まるで開拓時代のようなゆっくりした彼らの暮らし。そしてカーツの王国は純粋で無知な原住民を支配する大航海時代のような雰囲気。 いつの時代も白人は戦争と宗教で現地の人の生活や文化をメチャクチャにしてきた。 ウィラードが最初に観た近代兵器を駆使した戦場。キルゴア大佐の部隊が襲った村には死屍累々。女も子供も死んでいる。嬉々として“死のカード”を死体に置くキルゴア。 宗教色の強いカーツの王国でも死体が転がっている。彼らがどうして殺されたか解らないが、見せしめなのか木に吊るされた死体も。カーツの王国の壁に書かれた『our motto:apocalypse now(今こそがこの世の終わり。それが我々の座右の銘。)』。そしてカーツ暗殺と王国の爆撃命令。 コッポラも良く解らなくなったって言うこの映画の着地点が、近年まで続いたベトナム戦争の歴史に、白人による支配の歴史を重ねて観せて、狂人と英雄の違いは、裁く側の立場が見て“健全か不健全か”でしかない。カーツを裁く立場はアメリカ軍。だけど現地の兵士、住民、敵、はたまた神の視点で観ると、キルゴアとカーツの行動は同じである。 コレが着地点だとすると、最後は王国への無差別爆撃で締めて、最初に戻って無限ループ、いわゆる無限地獄こそが- apocalypse now –な気がする。 だからドアーズの“The End”で始まる。 話を広げすぎて畳めなかったから、ベトナム戦争に絞ったオリジナル版。一旦深呼吸して、当初の構想でまとめてみた特別完全版。って棲み分けだろうか? 地獄の黙示録で燃え尽きた感のあるコッポラ。カーツを殺して武器を捨てて…って特別完全版以降の爆撃のない静かなラストは、この映画に色んなものを吸い取られたコッポラの、この無限地獄から開放されたい感の現れな気がする。[CS・衛星(字幕)] 9点(2022-10-02 19:38:39)《改行有》

350.  地獄の黙示録 《ネタバレ》 -Apocalypse Now- “黙示は今” かなぁ? 黙示録は黙示を記した書(新約聖書・ヨハネ黙示録)で、内容は終末論、いわゆるこの世の終わり。くだけた言い方をしたら“今こそがこの世の終わり”とか。こっちのほうがスッキリするかな。 地獄の○○って、どちらかというとB級映画に多いタイトルを、どうしてこの超大作に使ったんだろう?いやこの作品以降“地獄の○○”が増えたのかな。 初めて観たのはテレビのロードショーで、それも昼14時くらい。新聞の一面広告に『地獄の黙示録、今日放送』とかってヘリの大軍の写真がバァ~ンと出てて、なんか凄そうって思った記憶がある…んだけど、昼のロードショーなんかで一面広告って、ホントかなぁ?と自分の記憶を疑ってしまう。 大音量でクラシックを流してヘリの大部隊が攻撃する。圧倒的な物量。画面に映る情報量の多さは、本当に戦場を切り取った映像を観ているようだった。トドメにナパームで焼き払われる森林。これは、とんでもない映画だ…って思ったね。でもこの時は最後までは観てないんだよ。当時まだ小学3~4年だから、飽きたのかも知れない。 数年後、あの映画を通して観たくなった。アレだけの規模の戦闘シーンって他に無いから、また観たいと思ったけど、放送時、黙示録って漢字が読めなかったからか、タイトルも覚えてなくて。あの地獄のナントカって映画は何だったんだろう?って。 この作品に再会出来たのはレンタルビデオが普及してからだから、中学生の頃。プラトーンからのベトナム戦争映画ブームでピックアップされて、ようやく発見。でっかい夕日のパッケージから内容が想像できないものだった。レンタルしたのを友達が先に観た。 「なんかパッとしないタイトルだね、ホラー?」いや友よ、これは戦争映画だ、私の記憶が確かなら、今まで観たこと無い凄い映像を観られるぞ。 「スッゴイねコレ!びっくりしたよ、大画面で観たかったなぁ。」そうだろう、そうだろう。「でも後半意味解んなくて早送りしたわ」・・・ん?そうなの?中学生でも意味わかんない内容なの? いよいよの再視聴。ワルキューレの騎行ってハードロックだよなぁ、なんて変な感想抱きつつも最後まで。いや確かに後半意味が解らない。 東南アジアの奥地にあんな南米の原住民みたいなの、いるの?後半ベトナム戦争関係ないような。カーツ大佐、自分の王国作って引き籠もってるんだから、アメリカ軍も放って置いて良いんじゃない?なんて。 前半と後半でテイストがガラッと変わる映画だけど、別格なスケールの前半だけでも観る価値は充分にあった。 森の中に現れる光のステージと踊るプレイメイト。ダラけた部下を引き締めるために行った検閲の悲劇。指揮官の居ない最前線。王国に行くまでは、ベトナム戦争の無意味さを感じられる、凄い映画だと思う。[地上波(吹替)] 9点(2022-10-02 19:29:55)《改行有》

351.  スパルタカス(1960) 《ネタバレ》 -Spartacus- 人名。確か中学生くらいにのときにテレビのロードショー(前後編)で観ました。大規模な行軍や戦闘が素晴らしく、スケールの大きい歴史大作として印象に残ってます。 ホント久しぶりの鑑賞。オープニングの「奴隷制度の崩壊が現実となる2000年前だ」ってところが凄い。確かに歴史を俯瞰してみるとそうなるか。 そしてスパルタカスの反乱のキッカケとなったのが、対戦相手で黒人のドラバによる命を懸けた抵抗だったこと。勝算なんて無いのに貴族席に矛を投げ襲い掛かった。この勇気がスパルタカスら奴隷たちに伝わり、大規模な反乱となっていく。 でも、中学生当時は反乱軍とローマ軍のどっちが勝つかハラハラしてたけど、最初から勝つのは無理な反乱だったんだな。 キャンプを張る反乱軍の丘を馬に乗ったスパルタカスが悠々と歩くところが好き。訓練するもの、食事の支度や子供を風呂に入れたり。奴隷で一生を終えるハズだった人たちが、あの場所で自由に生きているところ。それぞれが好き勝手に生きるのではなく、勝ち取った自由だからこそ、みんなの食事を作り、戦いに備えて訓練する。海の先への脱出が最終目標だったにせよ、あの丘の場面こそがスパルタカスたちが勝ち取った自由だったように思う。だから最後、勝てないのは解っていても、自由のためにみんな戦ったんだろう。みんながスパルタカスを名乗って立ち上がるシーンは覚えてたけど、今回観ても涙が出た。 最後のグラッカスのしっぺ返し。バリニアとの再会は覚えてなくて、トドメのボロ泣きしてしまった。[地上波(邦画)] 8点(2022-10-01 23:30:40)(良:1票) 《改行有》

352.  動乱 《ネタバレ》 上映48分ほどで『第二部に続きます』と来たモンだから、三部構成だと思ったわ。だって150分の映画でしょ?不思議な… 国の未来を思う青年将校たちが二・二六事件に至る経緯が丁寧に書かれている。娘を売らないと生活できない貧しい農民。横行する武器や物資の横流し。日本製の弾に撃たれる同胞の無念。 だから二・二六事件は起こるべくして起きたんだ…って第二部に繋がるんだけど、宮城と薫の恋模様が6割以上な感じで、事件自体は短時間であっさりしている。宮城の存在含め創作部分が含まれるので、より史実に近い形で、事件の状況を解りやすく描いた“226”と両方を合わせて観ればバランスよく理解できるかも知れない。※226のレビューで、銃殺なのにどうして銃声は一発なんだ?って書いたけど、コレ観てなるほどって思った。 健さんは相変わらず。男らしさと優しさを併せ持つ不器用な男のイメージまんま。この頃の健さん映画はどの役を見ても安定の健さん役だ。吉永小百合は、この頃はもう中年女性なイメージだったけど、最初の村娘役なんて、充分に'60~'70年代のままの面影があったから驚いた。まぁでも当時35歳位だから、今の基準で考えると、若く見えても不思議はないか。う~ん…日本映画界が彼女をずっとヒロインで使いたがる理由が解った気がした。宮城を追う島憲兵。子供に握り飯あげたり、毒を盛られた宮城を助けたり、なんかとっても好人物。たった一人、宮城たちに対峙する彼の最後は悲しいものがあったな。 史実モノだけど創作部分が多い割に、今ひとつ淡々とした創り。高倉健&吉永小百合の人気俳優の初共演に頼った作品ぽいなって印象だったけど、当初企画していた原作を使えず、止む無く削るところを削った結果がこの作品なんだろう。それにしちゃ上映時間の長さは削れなかったのかな。 そうそう二・二六事件の時の音楽が、結構Zガンダムだった。三枝成章さんが参加しているからだろうけど、正規軍VS反乱軍なイメージの曲なんだろうか?[CS・衛星(邦画)] 4点(2022-10-01 22:39:56)《改行有》

353.  猟奇的な彼女 《ネタバレ》 -My Sassy Girl- “生意気なカノジョ”とかかな? “猟奇的”は-bizarre-みたいです。 じゃあハングルだとどうでしょう『엽기적인 그녀』…邦題ままですね。 冬ソナに代表される韓流ブームのちょい前、ブーム前の斥候とも言える本作。タイトルのインパクトから日本でも知名度は高く、私も興味はありましたが、今回初視聴です。もっと包丁振り回すとか危ない人物を想像していたけど、そうではなかった。 彼女が追いかけたくなるほど可愛く見えたり、『アレは無いな』って思ったりと、同じ彼女に多面性を感じたように、あぁ見えてキョヌも多面性があるんだろう。幼少まで自分を女だと思ってたそうだし。男らしく生きよう、女の子を追いかけよう。という一面の他に、意外とキョヌの女性的な面が、彼女のDV男のような乱暴な部分に惚れたのかもしれない。 西野カナのトリセツを彷彿とさせる彼女のマニュアル。キョヌを向かいの山に登らせての聞かせたくないホンネ。韓国映画だからホロリと来る系のエンディングかと思った所で、延長戦。序盤の伏線回収を絡めて、とにかく綺麗にまとまってた。 延長戦は原作にはないとのことだけど、多少力技っぽくても観た人がハッピーになれる終わりを選ぶあたり、いいセンスだと思う。 ちょっと長めの劇中劇2連発。韓国では受けるのかもしれないけどねぇ…って部分。この辺がまだ韓流ブーム一歩手前、海外進出を狙った作品っぽくなく、国内向けの映画っぽさが感じられた。ここ残しておく洗練されてなさが、却って掘り出し物感が感じられてよかった。[インターネット(字幕)] 8点(2022-10-01 16:37:57)《改行有》

354.  太平洋ひとりぼっち 《ネタバレ》 リメイクの必要がないくらい、この一本で完成されている作品だと思った。内容に全然古さを感じさせない。 前置きも何もなく、いきなり出発直前から始まる。でも進みたいけど風がないから進めない、いきなり前途多難な船出にグイグイ引き寄せられた。 石原裕次郎演じる“青年”の明るさ、前向きさ、バカっぽさが、板についてない関西弁と相まって、いい塩梅で楽しませてくれる。ひたすら陽気に孤独な旅を続ける青年。そんな彼が泣き出したりぼ~っとしたり、はたまた“もう一人の自分”との会話なんか、自ら孤独を紛らわしてるのか、孤独が生み出した幻影なのか境界線が曖昧で、結構リアルだと思えた。 あの小さい船のわりに結構な荷物が積まれていて、積み荷の目録を見ているだけでも想像力が湧いて楽しい。角砂糖とクリープとバターで作った森永ケーキ、なんか美味しそう。こけし印の牛肉缶を直接火で炙るの、ハフハフ言って食べたい。ご飯をビールで炊くの…コレは不味そうだな。水は腐っても床拭いたり洗濯とかで使えそうだけど、捨ててしまったんだな。実話をモトにしているだけに、サバイバル生活がリアルに楽しそう。 嵐に見舞われてガラスが割れたときはやばい雰囲気だったけど、他にトラブルと言えばサメと米軍機くらいか?過酷だけど画的にどうしても単調になってしまうであろう単独航海。変にアクシデントを盛り過ぎてリアリティを失うより、青年がパクパク海苔食べて暇潰ししてるのがリアルで良かったかな。 そして合間合間に青年が出発に至る経緯や家族との話を挟み込むことによって、飽きずに観せるのはうまい演出。[インターネット(邦画)] 8点(2022-10-01 15:04:54)《改行有》

355.  熱海殺人事件 《ネタバレ》 オープニングを軽く見て、面白そうだなって録画しといたのを観ました。仲代達矢、乱に出たあとにコレに出ちゃうんだ、凄いね。 さて、これね、最初オープニングで感じた「面白そうだな」ってテンションを維持しきれませんでした。 仲代さんがあんなアホなこと言ってる。志穂美さんが脱いでクネクネお色気振りまいてる。風間さんがハイテンションで下品で暑苦しい男を演じてる。大滝さんは…相変わらずだ。仲代さんが花束で犯人を何度も叩き付けるところなんて凄いんだけど、でもね。 出入り自由な留置所とか、屋上の犯人の説得とか、コメディとして楽しいシーンだし、油断すると笑ってしまうんだけど、1つの映画作品として面白いか?と自問してみると、う~ん…となってしまう。 ただ、子供の頃大好きだったポリスアカデミー('84)も、今観るとそんなに大爆笑できなかったことから、コメディって賞味期限が短いもの、年齢制限のあるものもあるんだな。ってところはあるし、本作も公開当時、その時代に観ていたら、結構お気に入りになってたかもしれない。 戯曲とのことで、舞台で観てたらまた違う感想になっただろうか?また映画として、この作品はつかこうへい作品の魅力を出せているのかな? この映画が原作の再現度・完成度が高いとすると、もう単に好みの問題になってくるかも。 同じつか作品で、公開年も近い蒲田行進曲は凄く面白かったから、そういうのを期待してしまったのかもしれない。 私は日本酒が苦手で、「コレ飲んでみ?どお?」なんて聞かれても、他の日本酒と味や風味がどう違うのか。美味いのか不味いのか。甘いのか辛いのか。上手く説明できません。そんな感じで、この映画の出来が良いのか悪いのか。つか原作の魅力が出せているのか不完全燃焼か、解りませんでした。 内容を理解して楽しめての6点以上でも、欠点が解っての4点以下でもない。そんな意味で、良さも悪さも説明できないから5点。 興味のある方は他の方のレビューを参考にして頂いたほうが良さそうです。[インターネット(邦画)] 5点(2022-09-26 21:52:39)《改行有》

356.  マイ・インターン 《ネタバレ》 -The Intern- “見習い”。“マイ・インターン”って邦題から、アン・ハサウェイ視点の映画かと思ったけど、デニーロ視点の映画だね。 広いオフィスを自転車で移動なんて今風、というかアメリカン。昔からアメリカのオフィスって、自分の趣味とかを持ち込めて、日本と比べて自由だなぁって思ってた。やり手だけど付き合い方の難しい若手女社長をアン・ハサウェイが好演…なんだけど、家庭の描写が出る辺りから、徐々に“ブッ飛び女社長感”は薄れ、家庭と仕事を両立するのに無理して頑張っている女社長になり、遂にはデニーロの従順なパートナーみたいなポジションになってしまったような。 主人公ボブの置かれている環境。高齢化社会のセカンドライフとして、再就職は現実的な選択肢。だけど実際は、頭脳労働ではなく単純労働に就く人が多いのは、世代間ギャップと求められるスキルのハードルが高いからで、ベンの最初の方の“何も仕事を与えられない”状態が“リアル高齢者の再就職”な気がする。 仲間と打ち解けて、若くて可愛い女社長とも仲良くなれて、自身の財産である人生経験からのアドバイスを素直に聞いてくれて、会社にとって掛け替えのない存在になる・・・リアリティは無いけど、退職間際や高齢の人にとって、とても夢のある映画だと思う。 あんな綺麗な上司と2人切りでサンフランシスコ出張。バスローブ姿で深夜のピロートーク。同じベッドで安心しきって寝ちゃうなんて、何とも夢たっぷり。 ファンタスティックな女社長ジュールズが徐々に等身大な存在になり、等身大だった高齢社員ボブが徐々にファンタスティックな存在に。 スーツにカバンに電卓にメモ。電話帳の会社の頃から自分のスタイルを変えてないベンが、最新の技術やツールを吸収しつつ会社に溶け込んでいくんだから、単なる高齢者じゃないんだけどね。 ジュールズ側かベン側か、観る側の立ち位置で評価が変わりそうな気はするけど、気軽にサクッと楽しめました。 母親の家に侵入のトコ、どうせならジュールズも一緒に行っていれば、あんな大騒動にならなかったろうに。 そして何がキッカケかイマイチ解らないけど、心を入れ替えて家庭を支える決心をするマット…解せん。映画の都合としか。 レネ・ルッソがすっかり歳を取っちゃっててビックリ。リーサル・ウェポンから20年以上経ってるんだな。 あとどうでもいいけどベッキーの狐のシャツかわいい。[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-09-25 18:51:06)《改行有》

357.  リトル・ダンサー 《ネタバレ》 -Billy Elliot- 主人公の少年の名前。イギリスの炭鉱町を舞台にした映画って数本あるけど、結構みんな出来が良い印象。 才能のある人が必ずしも才能を伸ばせる環境に居るとは限らない。ビリーもそうで、如何にも頭の硬そうな父親と、話の通じ無さそうな兄。徘徊する祖母。毎日の組合のストライキと、働くものへのバッシング。どう見たって将来に向かって希望を見出だせない環境で、突如ビリーに開花したのは“バレエ”という特殊な才能。もともとビリーにボクシングを習わせていたのは、単に男らしさを身に付けさせるためでしか無かったんだろう。 父親として、息子の将来にレールを敷いてやれない現状。 そんな父の決断、覚悟が凄い。自分の信念、置かれている環境、それを全部捨ててでもビリーのバレエの才能に全部賭け、炭坑行きのバスに乗る覚悟の重さ。 『息子がバレエが好きだから』とか、そんなレベルでする覚悟じゃない。炭坑の仕事は遅かれ早かれ無くなる。自分もトニー(兄)も失業して別な仕事を探さなきゃいけない。だけどビリーだけは将来バレエで食べていける。息子に自分と違う人生を歩ませる為、偏見を捨て、自分の価値観を捨て、父親として出来る限りの、なりふり構わない手助け。この姿勢こそが本当の男らしさ。父親らしさじゃないだろうか。 女の子との関係。親友との関係と、男女の性に対するビリーの苦悩とかがもっと描かれるかとも思ったけど、ビリーは一本筋の通った男らしい少年だったかな。それでいて親友の性に対する悩みにも理解を示せるあたり、あの父親の子供なんだなぁって、微笑ましくも思えた。[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-09-25 18:21:14)(良:1票) 《改行有》

358.  優駿 ORACION 《ネタバレ》 -oración- 「スペイン語でね、“祈り”っていう意味なの。そう、祈りよ。(私が付けたんじゃないけどね)」和具社長を裏切ることになる多田は、どんな気持ちでオラシオンと名付けたんだろう・・・ 競馬よく解らないけど、ゴドルフィンの血を引き継ぐって、なんか一子相伝みたいで凄い血統だなぁ。って思ったけど、今のサラブレッドは全部、ゴドルフィン含む3大始祖のどれかに辿り着くそうな。JRAのサイトを見ると、90%以上がダーレー(エクリプス系)とのことで、それ以外の血統から、優秀そうな馬が誕生したって意味では、凄いんだろうきっと。博正もハナカゲ親子の特殊性というより、サラブレッドの血統の奥深さ、おとぎ話のような風の王の物語を、サラブレッド素人の久美子に伝えたかったんだろうきっと。 北海道のハナカゲ親子のシーンや、朝もやの中先頭で掛けて行くオラシオンの勇姿(&車内の3人)は、綺麗だなぁって思えた。競馬好きな人は私以上に(色んな意味で)楽しめると思うけど、思いのほか競馬シーンが少なく感じたなぁ。 『サラ系3歳・新馬戦』の扱いがアッサリ。あれデビュー戦でしょ?レース前の緊張感とか勝った後の余韻とか、登場人物それぞれの感情とか、そういうのに触れずにオラシオン連戦連勝を新聞記事で見せて、やっと競馬と登場人物の絡みなんけど、久美子の後ろ姿と心配そうに祈る博正→アクシデントへ。 最後のダービー。歓声を抜いた静かなゲートインとか、競争中の騎手の声とか、臨場感が感じられていい場面。オラシオンの骨の軋む音に『あぁ~っ…』って思ったけど、最後まで誰も足の事に触れないの。オラシオンを心配してるのって映画観てる人だけ?奈良騎手が「下手な乗り方をして、申し訳ありませんでした」って言ってたから、オラシオンはあれで引退なんだろうなきっと。 でもそこで映画は終わるから、なんかオラシオンの走る喜び<<ダービー勝利に思えてしまう。何やかや言って勝ってナンボの世界かぁって思えてしまう。 そんなオラシオンの競走馬人生とは関係あるのか無いのか、登場人物も馬も死んでいく。オラシオンの活躍よりスポットが当たる悲しい死別の数々。序盤のオラシオン出産シーンから出荷(でいいのか?)以降、悲しいシーンが多くて辛い。 誠の最後もあのタイミングなら、尚の事デビュー戦は、人も馬ももっとしっかり描くべきだったかと。 当時19歳の斉藤由貴。この映画は彼女のアイドル時代の代表作の一つだけど、まず仲代達矢との階段のシーンが親子に観えない。仲代の膝に手を置き、甘えるように上目遣いして寄り添う斉藤由貴と、両手で肩を抱く仲代の姿は、まるでシャネルのハンドバッグをねだる嬢とパパ。「しょ~がないなぁ~まったく」しょうがないのはこのシーンの方だろう。 緒形直人に押し倒されるシーンも、あの流れであぁなる意味が伝わらない。馬好きならあんな場所で押し倒さないでしょ。あの流れだとムシャクシャした怒りをぶつける場面、格闘技で言うマウントポジションでしか無いだろうに、押し倒された斉藤由貴も言い争いの延長で強がるなら解るけど、性的に襲われてるみたいな声出してるのが謎。多田と久美子の会話のシーンに襲われてる回想シーン挟むのも謎。 あまりに不自然な流れから、もしかしたら、意図的に女優に細かい指示や了承を得ないで撮影するアレだろうか?なんて思ってしまう。 最後緒形直人とハグして(わかる。)関係者とは握手、俳優でない根本騎手とはハグしない(うんうん。)田中邦衛ともハグ(うん?)。ガバぁと行かない田中に『おぢさまありがとう』ってクラリスみたいなセリフ被せる。こんなところに当時の日本映画界とアイドルの力関係を感じてしまうのは、私の考えすぎかな。 だからかどうか、アイドル時代の斉藤由貴って、あんまりコレって言う映画に出てない気がする。なんか、イヤだったのかな。[CS・衛星(邦画)] 3点(2022-09-25 13:45:51)《改行有》

359.  道(1954) 《ネタバレ》 -La Strada- “道”。 アタマのLaは三人称単数のLaみたいで、フランス語みたくLe(男性)、La(女性)ではなかった。ので、“彼らの(彼女らの)道”…みたいなことでしょうかね??全然違ったらごめんなさい。 事前情報無しで観たから、最初コメディだと思ってた。夜道で待ちぼうけするジェルソミーナが、野良馬にビックリするシーンがとても好き。 私が子どもの頃は、親に「言うこと聞かないとサーカスに売り飛ばすよ!」なんて言われた世代だけど、もしかしたらこの映画の影響なのかもしれない。今じゃ“サーカスに売る”なんて差別発言になるだろうね。 主な登場人物は3人。言葉狩りに臆せず書くと(って、普段から気にしてないか)、ジェルソミーナ=知的障害者。イル・マット=キチガイ。ザンパノ=野蛮人…今だとモラハラ男かも。こういうところ、変にオブラートに包まれると、この時代の映画の本筋が観えなくなる気がするなぁ。 ジュリエッタ・マシーナは当時33歳だから、ジェルソミーナも少女と言うにはとうが立っていて、成人しているのに料理もできないし、美人でもない。家では流木拾いくらいしか使い道がない知的障害者。 貧しい一家が食べていくための“口減らし”。ジェルソミーナが1万リラで売られる時の、お母さんの極端な猿芝居がちょっと可笑しかったけど、真面目に見ると怖い。1954年の1万リラは当時の5400円くらい。今の価値で20万円くらいらしい。リアルだ。 ローザ(たぶん姉)の死も、母「かわいそうに、お墓がどこかもわからない」なんて、それ以上ザンパノに聞かない母親のしたたかさ。ローザが何故死んだのか、わかったもんじゃないのに、ジェルソミーナを同じ男に売る母親。あぁここは確かに、帰るべき場所じゃないわ。 海岸でひとり微笑むジェルソミーナ。芸人に成ることにちょっと嬉しそうなあたり、状況を理解できてないんだろうな。 母親に売られたのは仕方ないとして、サーカス団に誘われた時、イル・マットに誘われた時、修道院に残りたいか聞かれた時。その後の道を選ぶのはジェルソミーナ自身だった。きっとどれを選んでも幸せになったかもしれないのに、ザンパノと行くことを選んでしまった。 ついついザンパノをからかうイル・マット。やらなくてもいいのに。せっかくサーカス団と行く決心をしたジェルソミーナの決心が揺らぐ。「私はこの世で何をしたらいいの?」に対し「俺と来れば綱渡りを教える。でも、お前でも何か、ザンパノの役には立ってるんだろう?」この会話、イル・マットはジェルソミーナに一緒に来るように誘っているように見せて、ザンパノと一緒に残るよう誘導してないか?からかってないか?だとしたらホント、キチガイだ。でも別れ際にネックレスを渡すあたり、キチガイの良心かもしれない。あのネックレスはジェルソミーナの今後の辛い生活の、心の支えになったことだろう。別れ際ジェルソミーナにラッパを置いていってやるザンパノの心理も同様。あのラッパは、今後独りで生きていくジェルソミーナの飯の種になったことだろう。 海岸で始まり海岸で終わる。友達と言えるイル・マットを殺し、パートナーのジェルソミーナを捨ててきたザンパノ。 姉のローザの死は、きっと彼に何も残さなかった。『死んじまったか、面倒くさいな。』くらいの気持ちで、代わりのジェルソミーナを連れてきた。突如僧院で彼女に求婚された。自分を好きになる努力をする女を前に、何も考えないことにしたザンパノ。 『この小石も何かの役に立っているハズだ。空の星と同じように』は2人の共通のテーマかもしれない。 海岸で泣き崩れるザンパノ。このシーンにはいろんな解釈があるけど、ザンパノは空の星を見上げて、自分の道を考えたのかもしれない。 ジェルソミーナは小石を見て自分の未来の道=今後自分がなにかの役に立つこと。を考えたのに対し、ザンパノは空の星を見て自分の過去の道=自分の愚かな行いで失ってきたこと。を考えたのかも。 でも今さら遅い。考えたって取り返せない。ザンパノの歩んだ過去も、ジェルソミーナの可能性の未来も。[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-23 15:33:41)《改行有》

360.  天と地と 《ネタバレ》 巨額を掛けて作られた合戦の模様…というか布陣の美しさ。第一次川中島の合戦の、これほどまでに大規模で美しい『魚鱗の陣』は映画史上観たことがない。第四次川中島の合戦「よく聞け、鶴翼に備えを改める!」魚鱗の陣から『鶴翼の陣』へ。続く長槍のぶつかり合いは、その数に圧倒される。これこそ槍衾(やりぶすま)。そして騎馬隊の掛ける力強さ。 赤と黒の運動会とかマスゲームとか揶揄されようと、この布陣と集団戦の美しさが観られる映画って、他に無いだろう。 昔の合戦は、農民が弁当持参で物見見物に来ていたと聞く。私もまるで、丘の上で合戦を観ている農民の気分になれた。 さて、褒めるところは褒め終わった。 映画としては、感情の感じられない人たちが淡々たたんと事を進めていく…名前と事柄の列挙…この退屈さはまるで、すっかすかな日本史の教科書をじっくり時間を掛けて読んでいるようだった。景虎と乃美の間に男女のドラマが描かれないあたり、宇佐美以外の両軍の家臣にほとんど個性が感じられないあたり、ほんと教科書や参考書の映像化みたいで人間味が皆無だったわ。 時々出てくる意味不明な人物、集団、描写。本筋には全然影響しないのに、それらが変に印象に残るものだから、観るものを混乱させる。 八重って何だったの?何で彼女はあの状況下で一騎打ちを申し出たの?どんな策と勝算、目的があったの?呆気なく鉄砲で撃ち殺されて「上杉軍はあっぱれだから今回はもう帰るね」って…時間割いた割に両軍に何のドラマも生まれない。 生き残りの八重隊。あんな少人数の隊で、良く解からないタイミングで突撃して、案の定な玉砕。せっかく出すなら何か見せ場とか用意しておけばいいのに。更にこの八重隊突撃に流れる音楽の物悲しさ。 女ばかりの部隊が戦場で無惨に打ち負かされる悲しさを表現したかったんだろうけど、両軍とも彼女らのことに触れない事の方がよっぽど悲しい。 上杉の車懸りの陣の意味不明さ。濃霧からお経の大合唱は不気味だけど、せっかく霧に紛れて陣を進められるのに、どうして? そして信玄が援軍に向かわせた諏訪神軍。奇声とともに大太鼓を叩きながらの行軍はインパクト大。グフみたいな盾を持った鉄砲隊に一方的に殺られる様もインパクト大。この映画の創作パートの八重隊も、車懸りの陣も、諏訪神軍も、発想は悪くないと思う。使い所と絡ませ方が極端に悪いだけで。 最初に褒めた布陣だけど、合戦は長いだけでグズグズしてる。きっと合戦シーンは終始エキストラ総動員で撮ったんだろう。だから引きの画ばかりで迫力不足。大軍のシーンとは別に、斬り合いとかは50人規模の少人数で寄りの画を撮っておいて、あとで合わせれば、きっとメリハリのある映像になったと思う。 上杉・武田の一騎打ちは、武田本陣に駆け込んだ謙信の一太刀と、それを軍配でゆるりと受け流す信玄の画が一番の見所なのに、観客の意表を突くつもりか本陣が空っぽ。なんか武田が尻尾を巻いて逃げたみたいに思った。そしてどうして最後の一騎打ちであの悲しい音楽を入れるのか。 続くモーゼの十戒。唐突なエンディング。お経みたいなエンディングテーマ。驚くほど呆気なく、あまりに消化不良な結末に驚いた。 小室の音楽は戦国時代の日本の美しさを表現したんだろうか、美しい風景とは合っていても、合戦には不釣り合い。そもそも映像と音楽の食い合わせが合ってない。小室にはテーマソングだけお願いして、あとはオーケストラにしておけば良かったかも。 巨額を投じた映像のスケールと薄っぺらいドラマのバランスの悪さ。合戦の垂れ流し映像としては及第点。これは『日本版パールハーバー』かもしれない。[インターネット(邦画)] 2点(2022-09-19 15:07:33)《改行有》

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