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361.  優駿 ORACION 《ネタバレ》 -oración- 「スペイン語でね、“祈り”っていう意味なの。そう、祈りよ。(私が付けたんじゃないけどね)」和具社長を裏切ることになる多田は、どんな気持ちでオラシオンと名付けたんだろう・・・ 競馬よく解らないけど、ゴドルフィンの血を引き継ぐって、なんか一子相伝みたいで凄い血統だなぁ。って思ったけど、今のサラブレッドは全部、ゴドルフィン含む3大始祖のどれかに辿り着くそうな。JRAのサイトを見ると、90%以上がダーレー(エクリプス系)とのことで、それ以外の血統から、優秀そうな馬が誕生したって意味では、凄いんだろうきっと。博正もハナカゲ親子の特殊性というより、サラブレッドの血統の奥深さ、おとぎ話のような風の王の物語を、サラブレッド素人の久美子に伝えたかったんだろうきっと。 北海道のハナカゲ親子のシーンや、朝もやの中先頭で掛けて行くオラシオンの勇姿(&車内の3人)は、綺麗だなぁって思えた。競馬好きな人は私以上に(色んな意味で)楽しめると思うけど、思いのほか競馬シーンが少なく感じたなぁ。 『サラ系3歳・新馬戦』の扱いがアッサリ。あれデビュー戦でしょ?レース前の緊張感とか勝った後の余韻とか、登場人物それぞれの感情とか、そういうのに触れずにオラシオン連戦連勝を新聞記事で見せて、やっと競馬と登場人物の絡みなんけど、久美子の後ろ姿と心配そうに祈る博正→アクシデントへ。 最後のダービー。歓声を抜いた静かなゲートインとか、競争中の騎手の声とか、臨場感が感じられていい場面。オラシオンの骨の軋む音に『あぁ~っ…』って思ったけど、最後まで誰も足の事に触れないの。オラシオンを心配してるのって映画観てる人だけ?奈良騎手が「下手な乗り方をして、申し訳ありませんでした」って言ってたから、オラシオンはあれで引退なんだろうなきっと。 でもそこで映画は終わるから、なんかオラシオンの走る喜び<<ダービー勝利に思えてしまう。何やかや言って勝ってナンボの世界かぁって思えてしまう。 そんなオラシオンの競走馬人生とは関係あるのか無いのか、登場人物も馬も死んでいく。オラシオンの活躍よりスポットが当たる悲しい死別の数々。序盤のオラシオン出産シーンから出荷(でいいのか?)以降、悲しいシーンが多くて辛い。 誠の最後もあのタイミングなら、尚の事デビュー戦は、人も馬ももっとしっかり描くべきだったかと。 当時19歳の斉藤由貴。この映画は彼女のアイドル時代の代表作の一つだけど、まず仲代達矢との階段のシーンが親子に観えない。仲代の膝に手を置き、甘えるように上目遣いして寄り添う斉藤由貴と、両手で肩を抱く仲代の姿は、まるでシャネルのハンドバッグをねだる嬢とパパ。「しょ~がないなぁ~まったく」しょうがないのはこのシーンの方だろう。 緒形直人に押し倒されるシーンも、あの流れであぁなる意味が伝わらない。馬好きならあんな場所で押し倒さないでしょ。あの流れだとムシャクシャした怒りをぶつける場面、格闘技で言うマウントポジションでしか無いだろうに、押し倒された斉藤由貴も言い争いの延長で強がるなら解るけど、性的に襲われてるみたいな声出してるのが謎。多田と久美子の会話のシーンに襲われてる回想シーン挟むのも謎。 あまりに不自然な流れから、もしかしたら、意図的に女優に細かい指示や了承を得ないで撮影するアレだろうか?なんて思ってしまう。 最後緒形直人とハグして(わかる。)関係者とは握手、俳優でない根本騎手とはハグしない(うんうん。)田中邦衛ともハグ(うん?)。ガバぁと行かない田中に『おぢさまありがとう』ってクラリスみたいなセリフ被せる。こんなところに当時の日本映画界とアイドルの力関係を感じてしまうのは、私の考えすぎかな。 だからかどうか、アイドル時代の斉藤由貴って、あんまりコレって言う映画に出てない気がする。なんか、イヤだったのかな。[CS・衛星(邦画)] 3点(2022-09-25 19:40:43)《改行有》

362.  マイ・インターン 《ネタバレ》 -The Intern- “見習い”。“マイ・インターン”って邦題から、アン・ハサウェイ視点の映画かと思ったけど、デニーロ視点の映画だね。 広いオフィスを自転車で移動なんて今風、というかアメリカン。昔からアメリカのオフィスって、自分の趣味とかを持ち込めて、日本と比べて自由だなぁって思ってた。やり手だけど付き合い方の難しい若手女社長をアン・ハサウェイが好演…なんだけど、家庭の描写が出る辺りから、徐々に“ブッ飛び女社長感”は薄れ、家庭と仕事を両立するのに無理して頑張っている女社長になり、遂にはデニーロの従順なパートナーみたいなポジションになってしまったような。 主人公ボブの置かれている環境。高齢化社会のセカンドライフとして、再就職は現実的な選択肢。だけど実際は、頭脳労働ではなく単純労働に就く人が多いのは、世代間ギャップと求められるスキルのハードルが高いからで、ベンの最初の方の“何も仕事を与えられない”状態が“リアル高齢者の再就職”な気がする。 仲間と打ち解けて、若くて可愛い女社長とも仲良くなれて、自身の財産である人生経験からのアドバイスを素直に聞いてくれて、会社にとって掛け替えのない存在になる・・・リアリティは無いけど、退職間際や高齢の人にとって、とても夢のある映画だと思う。 あんな綺麗な上司と2人切りでサンフランシスコ出張。バスローブ姿で深夜のピロートーク。同じベッドで安心しきって寝ちゃうなんて、何とも夢たっぷり。 ファンタスティックな女社長ジュールズが徐々に等身大な存在になり、等身大だった高齢社員ボブが徐々にファンタスティックな存在に。 スーツにカバンに電卓にメモ。電話帳の会社の頃から自分のスタイルを変えてないベンが、最新の技術やツールを吸収しつつ会社に溶け込んでいくんだから、単なる高齢者じゃないんだけどね。 ジュールズ側かベン側か、観る側の立ち位置で評価が変わりそうな気はするけど、気軽にサクッと楽しめました。 母親の家に侵入のトコ、どうせならジュールズも一緒に行っていれば、あんな大騒動にならなかったろうに。 そして何がキッカケかイマイチ解らないけど、心を入れ替えて家庭を支える決心をするマット…解せん。映画の都合としか。 レネ・ルッソがすっかり歳を取っちゃっててビックリ。リーサル・ウェポンから20年以上経ってるんだな。 あとどうでもいいけどベッキーの狐のシャツかわいい。[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-09-25 19:13:37)《改行有》

363.  リトル・ダンサー 《ネタバレ》 -Billy Elliot- 主人公の少年の名前。イギリスの炭鉱町を舞台にした映画って数本あるけど、結構みんな出来が良い印象。 才能のある人が必ずしも才能を伸ばせる環境に居るとは限らない。ビリーもそうで、如何にも頭の硬そうな父親と、話の通じ無さそうな兄。徘徊する祖母。毎日の組合のストライキと、働くものへのバッシング。どう見たって将来に向かって希望を見出だせない環境で、突如ビリーに開花したのは“バレエ”という特殊な才能。もともとビリーにボクシングを習わせていたのは、単に男らしさを身に付けさせるためでしか無かったんだろう。 父親として、息子の将来にレールを敷いてやれない現状。 そんな父の決断、覚悟が凄い。自分の信念、置かれている環境、それを全部捨ててでもビリーのバレエの才能に全部賭け、炭坑行きのバスに乗る覚悟の重さ。 『息子がバレエが好きだから』とか、そんなレベルでする覚悟じゃない。炭坑の仕事は遅かれ早かれ無くなる。自分もトニー(兄)も失業して別な仕事を探さなきゃいけない。だけどビリーだけは将来バレエで食べていける。息子に自分と違う人生を歩ませる為、偏見を捨て、自分の価値観を捨て、父親として出来る限りの、なりふり構わない手助け。この姿勢こそが本当の男らしさ。父親らしさじゃないだろうか。 女の子との関係。親友との関係と、男女の性に対するビリーの苦悩とかがもっと描かれるかとも思ったけど、ビリーは一本筋の通った男らしい少年だったかな。それでいて親友の性に対する悩みにも理解を示せるあたり、あの父親の子供なんだなぁって、微笑ましくも思えた。[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-09-25 18:53:08)(良:1票) 《改行有》

364.  道(1954) 《ネタバレ》 -La Strada- “道”。 アタマのLaは三人称単数のLaみたいで、フランス語みたくLe(男性)、La(女性)ではなかった。ので、“彼らの(彼女らの)道”…みたいなことでしょうかね??全然違ったらごめんなさい。 事前情報無しで観たから、最初コメディだと思ってた。夜道で待ちぼうけするジェルソミーナが、野良馬にビックリするシーンがとても好き。 私が子どもの頃は、親に「言うこと聞かないとサーカスに売り飛ばすよ!」なんて言われた世代だけど、もしかしたらこの映画の影響なのかもしれない。今じゃ“サーカスに売る”なんて差別発言になるだろうね。 主な登場人物は3人。言葉狩りに臆せず書くと(って、普段から気にしてないか)、ジェルソミーナ=知的障害者。イル・マット=キチガイ。ザンパノ=野蛮人…今だとモラハラ男かも。こういうところ、変にオブラートに包まれると、この時代の映画の本筋が観えなくなる気がするなぁ。 ジュリエッタ・マシーナは当時33歳だから、ジェルソミーナも少女と言うにはとうが立っていて、成人しているのに料理もできないし、美人でもない。家では流木拾いくらいしか使い道がない知的障害者。 貧しい一家が食べていくための“口減らし”。ジェルソミーナが1万リラで売られる時の、お母さんの極端な猿芝居がちょっと可笑しかったけど、真面目に見ると怖い。1954年の1万リラは当時の5400円くらい。今の価値で20万円くらいらしい。リアルだ。 ローザ(たぶん姉)の死も、母「かわいそうに、お墓がどこかもわからない」なんて、それ以上ザンパノに聞かない母親のしたたかさ。ローザが何故死んだのか、わかったもんじゃないのに、ジェルソミーナを同じ男に売る母親。あぁここは確かに、帰るべき場所じゃないわ。 海岸でひとり微笑むジェルソミーナ。芸人に成ることにちょっと嬉しそうなあたり、状況を理解できてないんだろうな。 母親に売られたのは仕方ないとして、サーカス団に誘われた時、イル・マットに誘われた時、修道院に残りたいか聞かれた時。その後の道を選ぶのはジェルソミーナ自身だった。きっとどれを選んでも幸せになったかもしれないのに、ザンパノと行くことを選んでしまった。 ついついザンパノをからかうイル・マット。やらなくてもいいのに。せっかくサーカス団と行く決心をしたジェルソミーナの決心が揺らぐ。「私はこの世で何をしたらいいの?」に対し「俺と来れば綱渡りを教える。でも、お前でも何か、ザンパノの役には立ってるんだろう?」この会話、イル・マットはジェルソミーナに一緒に来るように誘っているように見せて、ザンパノと一緒に残るよう誘導してないか?からかってないか?だとしたらホント、キチガイだ。でも別れ際にネックレスを渡すあたり、キチガイの良心かもしれない。あのネックレスはジェルソミーナの今後の辛い生活の、心の支えになったことだろう。別れ際ジェルソミーナにラッパを置いていってやるザンパノの心理も同様。あのラッパは、今後独りで生きていくジェルソミーナの飯の種になったことだろう。 海岸で始まり海岸で終わる。友達と言えるイル・マットを殺し、パートナーのジェルソミーナを捨ててきたザンパノ。 姉のローザの死は、きっと彼に何も残さなかった。『死んじまったか、面倒くさいな。』くらいの気持ちで、代わりのジェルソミーナを連れてきた。突如僧院で彼女に求婚された。自分を好きになる努力をする女を前に、何も考えないことにしたザンパノ。 『この小石も何かの役に立っているハズだ。空の星と同じように』は2人の共通のテーマかもしれない。 海岸で泣き崩れるザンパノ。このシーンにはいろんな解釈があるけど、ザンパノは空の星を見上げて、自分の道を考えたのかもしれない。 ジェルソミーナは小石を見て自分の未来の道=今後自分がなにかの役に立つこと。を考えたのに対し、ザンパノは空の星を見て自分の過去の道=自分の愚かな行いで失ってきたこと。を考えたのかも。 でも今さら遅い。考えたって取り返せない。ザンパノの歩んだ過去も、ジェルソミーナの可能性の未来も。[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-23 20:09:36)《改行有》

365.  天と地と 《ネタバレ》 巨額を掛けて作られた合戦の模様…というか布陣の美しさ。第一次川中島の合戦の、これほどまでに大規模で美しい『魚鱗の陣』は映画史上観たことがない。第四次川中島の合戦「よく聞け、鶴翼に備えを改める!」魚鱗の陣から『鶴翼の陣』へ。続く長槍のぶつかり合いは、その数に圧倒される。これこそ槍衾(やりぶすま)。そして騎馬隊の掛ける力強さ。 赤と黒の運動会とかマスゲームとか揶揄されようと、この布陣と集団戦の美しさが観られる映画って、他に無いだろう。 昔の合戦は、農民が弁当持参で物見見物に来ていたと聞く。私もまるで、丘の上で合戦を観ている農民の気分になれた。 さて、褒めるところは褒め終わった。 映画としては、感情の感じられない人たちが淡々たたんと事を進めていく…名前と事柄の列挙…この退屈さはまるで、すっかすかな日本史の教科書をじっくり時間を掛けて読んでいるようだった。景虎と乃美の間に男女のドラマが描かれないあたり、宇佐美以外の両軍の家臣にほとんど個性が感じられないあたり、ほんと教科書や参考書の映像化みたいで人間味が皆無だったわ。 時々出てくる意味不明な人物、集団、描写。本筋には全然影響しないのに、それらが変に印象に残るものだから、観るものを混乱させる。 八重って何だったの?何で彼女はあの状況下で一騎打ちを申し出たの?どんな策と勝算、目的があったの?呆気なく鉄砲で撃ち殺されて「上杉軍はあっぱれだから今回はもう帰るね」って…時間割いた割に両軍に何のドラマも生まれない。 生き残りの八重隊。あんな少人数の隊で、良く解からないタイミングで突撃して、案の定な玉砕。せっかく出すなら何か見せ場とか用意しておけばいいのに。更にこの八重隊突撃に流れる音楽の物悲しさ。 女ばかりの部隊が戦場で無惨に打ち負かされる悲しさを表現したかったんだろうけど、両軍とも彼女らのことに触れない事の方がよっぽど悲しい。 上杉の車懸りの陣の意味不明さ。濃霧からお経の大合唱は不気味だけど、せっかく霧に紛れて陣を進められるのに、どうして? そして信玄が援軍に向かわせた諏訪神軍。奇声とともに大太鼓を叩きながらの行軍はインパクト大。グフみたいな盾を持った鉄砲隊に一方的に殺られる様もインパクト大。この映画の創作パートの八重隊も、車懸りの陣も、諏訪神軍も、発想は悪くないと思う。使い所と絡ませ方が極端に悪いだけで。 最初に褒めた布陣だけど、合戦は長いだけでグズグズしてる。きっと合戦シーンは終始エキストラ総動員で撮ったんだろう。だから引きの画ばかりで迫力不足。大軍のシーンとは別に、斬り合いとかは50人規模の少人数で寄りの画を撮っておいて、あとで合わせれば、きっとメリハリのある映像になったと思う。 上杉・武田の一騎打ちは、武田本陣に駆け込んだ謙信の一太刀と、それを軍配でゆるりと受け流す信玄の画が一番の見所なのに、観客の意表を突くつもりか本陣が空っぽ。なんか武田が尻尾を巻いて逃げたみたいに思った。そしてどうして最後の一騎打ちであの悲しい音楽を入れるのか。 続くモーゼの十戒。唐突なエンディング。お経みたいなエンディングテーマ。驚くほど呆気なく、あまりに消化不良な結末に驚いた。 小室の音楽は戦国時代の日本の美しさを表現したんだろうか、美しい風景とは合っていても、合戦には不釣り合い。そもそも映像と音楽の食い合わせが合ってない。小室にはテーマソングだけお願いして、あとはオーケストラにしておけば良かったかも。 巨額を投じた映像のスケールと薄っぺらいドラマのバランスの悪さ。合戦の垂れ流し映像としては及第点。これは『日本版パールハーバー』かもしれない。[インターネット(邦画)] 2点(2022-09-19 16:16:34)《改行有》

366.  心の旅 《ネタバレ》 -Regarding Henry- “ヘンリーに関して言えば”  この映画、20年くらい前、深夜にたまたまテレビでやってて、ハリソン・フォードが頭撃たれるところから観出して、ついつい先が気になって最後まで観ちゃったんだよね。暇な時の深夜映画の魔力って、凄いね~。 常勝の凄腕弁護士ヘンリー。妻のサラもママ友キャロルの娘が寄宿学校に不合格だったことを喜んでる。ヘンリーに限らず、この夫婦は競争に勝つことでいまの家庭を維持している。いつも困ったような顔してる娘のレイチェル。競争に勝つ力がある両親に比べ、何とも幸薄そうな子。 一発(正確には2発)の銃弾から生活が一変。今までの生活がリセットされる。常勝の宿命に縛られた、というか支えられていた生活からの開放。今まで無視していたドアマンと挨拶し、家政婦に喜びのハグをする。車で素通りしていた街並みを歩き、庶民のジャンクフードを買食いする。 いつも陽気な理学療法士ブラッドリーはフットボールで膝を壊し、再出発の人生を謳歌している。フットボールが人生の全てだったが、人の手助けをする今の人生を悔やんでない。「試合に勝ってたら伝説だったな」勝ってたら過去の栄光を引きずってたけど、負けたから開き直れた。 行き過ぎた競争化社会から、自分の身の回りを見つめ直そう。競争で勝っても幸せは掴めないのかもよ?そもそも幸せは、もう掴んでいるのかもよ?あなたにとって本当に大事なものって何?そんな問い掛けの映画に思えた。 『卒業』のマイク・ニコルズが、今回、公の場から強引に連れ出したのは最愛の娘。 「チョットイイデスカ」日本のサラリーマンたちと何やら打ち合わせをしていた所長チャーリー。 『フィールド・オブ・ドリームズ』でも思ったけど、やはり当時の日本はアメリカにとって脅威だったんだな。過去の戦争で打ち負かした国が、今はアメリカに侵食して来ている。ベトナムでは戦争に負けた。世界のランキングでアメリカはまだ勝ってるけど、そんなの、いつまでも続かないかもよ?ずっと勝ち続けるために無理するより、ちょっとリセットしない?競争しないでも、今のアメリカは充分に豊かだよ。 “ヘンリーに関して言えば” 裁判で証拠隠滅してても、お世話になった会社に不利な証拠を係争相手に渡しても大丈夫。 最初に発した言葉が「リッツ!」でも周りは上手く勘違いしてくれるし、奥さんまでダブル不倫してても、ふぐ料理に誘った思い出があれば大丈夫。 今後は身の丈にあったマンションで、新しい仕事で、親子3人+犬一匹、仲良く楽しく暮らしていくんだよ。 さて、あなたは?[地上波(吹替)] 7点(2022-09-18 12:59:52)《改行有》

367.  蒲田行進曲 《ネタバレ》 「コレが、コレなモンで」ってモトはコレだったのか。 とっても勢いがあって、サクサクとスピーディな展開に目が離せない。問答無用で小夏をヤスに押し付ける銀ちゃんの無理やりさに『ちょっ、えぇ!?』ってなりつつも、何だかんだ状況を飲み込んで、2人イイ感じになって行くところが面白い。 身勝手に自分のことだけ考える銀ちゃんだけど、要所々々でみせる気の弱さとか、言葉にはしないヤスへの気持ちとか、憎めないキャラに仕上がっている。 ヤスの地元の大歓迎っぷり。事情を察知してる母の言葉。コレはコレでありなのかもなぁって思えてしまう。大部屋の苦労も笑いに変えて、ヤスがスタントに体を張るごとに増えていく小夏の快適グッズ。 最初っからデーンと構える未完成の大階段が、後の波乱を物語っている。後半シリアスになるけど、散々引っ張っての大階段落ちは大迫力。その後の大団円で一気に緊張していた空気が溶解するのもお見事。 銀ちゃんだけでなく、橘こと原田大二郎、千葉真一、志穂美悦子、真田広之といった銀幕のスターたち。 対するスターを輝かせる名もない大部屋の人々。住む世界の違うスターと大部屋。 この映画は、大部屋のヤスが一瞬だけスターになった映画にも観えるけど、そこを“チャンチャン”として、コレは映画だ!って終わらせる。 撮影所の映画だけに、最後の大合唱が生きてくる。色んな人が関わって、色んな思いがぶつかって、一本の映画が出来てるんだなぁって。コレが映画だ![インターネット(邦画)] 8点(2022-09-17 19:25:28)(良:1票) 《改行有》

368.  ラッシュ/プライドと友情 《ネタバレ》 -RUSH- “突進”とかでしょうか?私など'80年代後半のセナ・プロ・マンセル世代なので、ハントやラウダは伝説の英雄でした。 当時の映像なんてほとんど観る機会もなく、F-1グランプリ特集って雑誌を買って、コラムとかで過去の英雄のエピソードを学びました。 '80年代後半のスポーティでスマートなF-1と比べ、スリリングでパワフルだった時代のF-1。2013年にもなって、あの時代の雰囲気を、ここまで再現してみせるなんて思いもしなかったわ。 しかも'76年は日本でのF-1グランプリ初開催、いわゆる日本での“第一次F-1ブーム”真っ盛りの年。ナショナルカラーやスポンサーカラーに彩られた美しいマシン。ティレル6輪車に代表される異形のデザイン。生と死の隣合わせ、命懸けのドライバーの魅力。F-1の長い歴史の中で、この'76年を選んだのは正解だったと思う。 デパイユ、レガツォーニ、クリスチャンじゃない方のフィッティパルディ、マイケルじゃない方のアンドレッティ。名前を聞くだけで「おぉ!!」ってなる。エンツォ、ルカ、ポストレスウエイトなんて第二次F-1ブーム時にもよく聞いた名前。歴史は続いていくんだなぁ。 レース毎に仕様を変えるマシンもかなり再現度が高かったと思う。スローで観るとウイングとかカウルとかがフルフル揺れるのが当時のF-1。スタート時に後輪が空転して膨らむところとかも、さすが実写。ティレルP34のカウル、富士スピードウェイの時だけの“たいれる”表記。こんなとこまで再現したって誰が気がつくの?ってトコまで頑張って再現している。どうせならリジェ前半戦の巨大インダクションポッドも再現してほしかった、なんてワガママか。 若い頃のハントとラウダが出会うF-3レースの再現度からして、この映画凄すぎだと思う。 ラウダもハントも似てる。ラウダについては『グッバイヒーロー』ってドキュメント映画で割と詳しく紹介されていたので、奥さん含め、ホント似てるなぁって。そして生々しい火傷の治療はラウダの執念にも似たレースへの思いを感じさせた。 ハントは、映画観てると格好良いなぁ。でも実際のハントは、私の好きなパトレーゼへの長年の嫌がらせを知ってしまって、正直好きじゃなかった。 細部にディフォルメや盛ってる部分はあるだろうけど、こんな凄い映像で再現してくれたことに感謝。こういうF-1映画をもっともっと創って欲しいわ。[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-17 18:26:27)《改行有》

369.  ウォーターワールド 《ネタバレ》 アンタッチャブルからJFKまで、ケビン・コスナーって凄い人でした。出る映画みんなヒットして大人気。ハンサムで格好いいだけでなく愛嬌も感じられて、ほんと当時の大スターでしたね。一方で本人でさえスターとしての完璧さを自覚しているのか、どこか“俺はケビン・コスナーだぜ≒スターの俺をナメんじゃねえぞ”感が滲み出てたと思います。 当時ハンマープライスって番組で、ハリウッドスターに掛け軸に一筆書いてもらう企画があって、例えばロバート・デ・ニーロは掛け軸に『役者バカ』って、言われるがままに書いてくれました。一方ケビンの場合、ボディガードをネタにして、掛け軸に『警備員・コスナー』って書かせようとしたら、ケビンは聞く耳持たず、自分で調べた日本語で、確か「ケビンコスナー」って名前を書いたんですね。※これ、個人的にすごく印象に残ってるエピソードだけど、画像検索するとちゃんと“けいびいん”と書かれた版の掛け軸が出てきた。…って事は、私の記憶違いだったろうか? まぁそんな事もあり、なんか他のハリウッドスターと比べ、付き合い難い人、面倒くさい人なのかなぁって印象を持ったかな。 だからって訳じゃないだろうけど、世の中は完璧なスターを演じるケビンに対し“どっかでコケれば良いのに”感が高まってた気がしたなぁ。『パーフェクトワールド』以降くらいから。そんななかで公開された大作『ウォーターワールド』で見事に大コケ。趣味丸出しの『ティンカップ』は見向きもされず、続く大作『ポストマン』でスターとして再起不能になった印象です。 さて大脱線しましたが、ケビン史上最低な映画とも言える本作、今回初見です。率直な感想は「案外面白いじゃん」でした。 お金がかかってる大掛かりなセット。火薬とガソリンの匂いが漂ってきそうなド派手な爆発と海上アクション。 OPのユニバーサル映画の地球が沈む解りやすい設定。マッドマックスの砂漠化の反対で、あたり一面海だらけになった地球。このチャレンジ精神は悪くない。 ぶっきらぼうで自分中心な主人公は、まさにマッドマックス。ケビンこういうのやりたかったんだろうなぁ。敵の飛行機に無邪気に手を振る少女の頭をポカッと殴るなんて、今だったら絶対やれない事をブチ込んできて、かえって面白かった。あの少女(エノーラ)、バス男のデビーだったのか!全然変わってないや。ディーコンもどこか憎めないキャラで、いい塩梅の悪役っぷりだったと思う。タンカーを大勢の人力で漕ぐ設定の意外性も好感。 もう少しバイオレンス色を弱めて、子供も楽しめるアクションアドベンチャーにすれば、子供人気も出たろうに。 あとミュータントの設定とか、発煙筒1本でタンカードカンとか、呆気ないディーコンの最後とか、ドライランドのあっさり見つかり具合とか、適当感も強い作品だけに、当時リアルタイムに観ていたら、多分アラ探し中心の視聴で“そらケビンの新作がコケた!言わんこっちゃない”って思ったと思う。だけどハードル下げたらそこそこ楽しめる大作映画でした。[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-09-17 16:58:52)《改行有》

370.  若草物語(1994) 《ネタバレ》 45年ぶりのリメイク。三女と四女の役回りが変わっていて違和感を感じたけど、こちらの方が原作基準のようですね。'49年版との比較が多くなるけどご容赦を。 その時々に起きるエピソードはゆったりなんだけど、全体的にどこか説明不足感・駆け足感を感じるところは、前作同様に気になったかな。前作はジョーが家を離れてからの後半部分、本作は前半部分に駆け足感を感じました。もし本作を先に観ていたら、'49年版は『ずいぶん前半部分が長いな(約90分)』って思うかも?'49年版を先に観た私は逆に『ずいぶん早く後半に入ったな(約70分)』って。 クリスマスの買い物から朝食のエピソードって、四姉妹それぞれの考え方や好み、姉妹の結束を知る上で重要なパートだと思っていたから、端折られていてびっくり。その代わり失敗エピソードや姉妹喧嘩が生々しく感じるのは、今風な感じ。原稿を燃やすエピソードはショック。 またローリー以外の男性陣の描き方が端折られてる風に感じた。お父さんは突然帰ってくる以外、コレといった出番なし。お父さんの手紙で出てくる-Little Women-“小さなご婦人”が-Girls-“娘たち”に。家庭教師ブルックとメグの関係。教師に手を打たれるエピソード。ローレンス老とピアノが結ぶ友情。むむむ…骨格は一緒だけど肉付きは別物だぞ。 一方でローリーの出番が増えたようで、幼いエイミーとのキスの約束とか、後に繋がる創りが綺麗。…なんだけど、ローリーいつもヘラヘラしてるから、女なら誰にでも同じ事言ってそう。そう思わせない意味でも、エイミーを2人(幼少期キルスティン→成長後サマンサ)にしてるのかなぁ? 私は、セット感が強くて古臭いけど解りやすい前作のほうが好きだけど、舞台劇っぽさを減らし、観る人が共感できるよう、登場人物をより等身大の人間に描いた本作の魅力も捨てがたい。これ、先に観た方を好きになるのかもね?[CS・衛星(字幕)] 6点(2022-09-17 11:45:14)(良:1票) 《改行有》

371.  博士の愛した数式 《ネタバレ》 人生初の国際線の機内で観ました。まだ劇場公開中の映画が観られるなんて、すごいなぁって思いました。そんな思い出補正もあるんだけど、結構好きな映画です。 邦画ってお色気シーンがあるものと思っていたから、ちょっと敬遠していたんだけど、この映画はそういうのが無くてスッキリ楽しめました。それこそ、劇中のルートくらいの子に観てほしい映画。 絵に書いたような素直な学生たち。悪意なくからかわれて人気者の先生=最初の授業っぽいけど既に√ってあだ名が浸透してるとか、まず無い。 理解ある家政婦紹介所とお義姉さん=派遣に子供連れて行って一緒に御飯とか、現実問題無理だろう。 博士を受け入れる少年野球チーム&背番号の変更=背番号は杏子が事故のことで監督と取引したのかも? なんて、私みたく斜に構えた観方ではなく、子供だったらこの映画がすぅ~~っとまっすぐに入ってくるんじゃないかな? 階数、素数、完全数、π、i、e。算数の段階から数字が苦手だった私でも、数学の面白さや神秘性が伝わった。なんかこんな話を学生の頃に聞いていれば、もしかしたら苦手意識無く楽しく学べたかもしれないな。この映画をキッカケに、数学の楽しさを探究したくなる若い子が出てくると思う。 そして記憶を持ち続けられない博士との交流は、人を思い遣る気持ち、人を悲しませない付き合い方を知る、とても良い学びの機会になっていると思う。 ルートが怪我をした時の母親の一言。博士におぶさって、母の被せたキャップをはたき落として気持ちを示す一連のシーン。謝る母親をちゃんと許すところとか、10歳にしては大人すぎてるとは思うけど、やっぱりジーンと来てしまう。…しかし、ほんと吉岡秀隆ソックリな子役を見つけてきたモンだわ。 せっかく主人公を杏子からルートに変更したんだし、純粋に子供向けに創っても良かったのに。 お義姉さんの話は子供には難しいんじゃないかな。それこそ自分たちの曾祖父母(?)の年代の恋愛話だから、子供はどう観るんだろう? 17年前の事故から時間が止まっている博士だけでなく、未亡人もまた、時が止まっているように思えた。1986年の話のようだけど、その年代から観ても古いお屋敷に、和服を着てキッチリ化粧をした未亡人。彼女には老いていく自分を博士に見られたくない気持ちがありながら、博士ひとりを17年前に置いていくことも出来ない優しさ、そして罪の意識から自分からは何もしてやれない悲しさが感じられる。 杏子に対する博士の思いも気になった。事故にあった時、博士は47歳だったそうだ。 杏子は28歳。明るくて屈託なく、グイグイ来る性格。ん?ルートは杏子が18歳のときの子か。で、18歳から家政婦やってるのか。 熱中症から目覚めて、自分の記憶が保たないことを知って悲しむ博士。杏子の手を握り、女の手の暖かさを知る。 そしてこのあときっと鏡を見て、自分が既に64歳の老人になっていることに気がつく。 気持ちは47歳なのに、目覚めたら64歳になってる博士は、28歳の杏子に対し、恋愛とはまた違う何かの感情を感じていたんだと思う。 220と284は友愛数と教えた博士。友愛数は親和数とも言うそうだ(※もちろん知ってたんでなく、調べました)。 だけど敢えて“友愛”の方を伝えるあたり、恥ずかしがり屋の博士の気持ちが込められていたのかもしれない。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-12 23:54:26)《改行有》

372.  燃えよドラゴン 《ネタバレ》 -ENTER THE DRAGON- “ドラゴン現る” ~龍争虎闘~実力が互角の者同士が雌雄を決する戦い『竜騰虎闘』をモジッたものみたい。 日本で公開されたブルース・リー主演作品の第一弾で、ゴミゴミした大都会・香港と、空手とは違う独特の構えのカンフーを日本に広めた作品だと思う。 我が家には兄が集めたライダーカードとブルース・リーカードが沢山あったっけ。ジャッキー世代の私は、子供の頃に作品を目にする機会こそ無かったけど、あの奇声と蹴りのスピード、ヌンチャクなどの特殊武器のアクションの存在は、しっかり認識していた。 高校の頃に初めてみたけど、修行して強くなるジャッキーと違い、既に弟子に指導する“師匠”ポジションのリーが格好いい。なんか如何にもカンフー映画の第一人者って貫禄が感じられる。 コントっぽいお笑い要素なんて無い真面目なアクション映画。敵は007シリーズっぽい悪の組織。「銃を使えば?」ってリーから提案することで、銃を使えない理由、格闘技1本の闘いに説得力を与えている。 妹の死の真相…ってか、お父さんがあの時まで黙っていたのが逆に不思議。今回久しぶりに観たけど、初見時にこの設定を忘れていたのか、あの有名な『切ない顔(芸)』の意味が、何となく理解(妹よ、仇は取ったぞー!!って顔なのね。)出来た。 最後はリーとハンの一騎打ち。印象的なマジックミラー対決だけど、外は白服の悪者と黒服の浮浪者軍団の乱戦になってたのね。白と黒が互角の戦いしてるのは謎だけど、こういう映画の影響で、中国人はみんなカンフーが使えるって思っちゃうんだよね。 サモハン、ユン・ピョウは解ったけど、ジャッキーとチャック・ノリスは解んなかったなぁ。忘れた頃にもう一回見よう。[地上波(吹替)] 7点(2022-09-09 22:55:12)《改行有》

373.  ベニスに死す 《ネタバレ》 -Death in Venice- 邦題ままだと思う。 でもイタリア語の-Morte a Venezia - で“ヴェネツィアの死神”にもなる。うぅ~ん… タイトル聞いてもピンとこなかったけど、ビョルン・アンドレセンのカットで『あぁ、あの映画のことか』ってなった。むかし雑誌か何かで見た美少年。どういう内容か、ずっと気になってた映画。 初老の作曲家と美少年の2人は会話を一切しない。画的な大きな変化も少ないんだけど、美しいベニスの風景と美しい音楽、美しいタッジオを観ているだけで、とっても静かで心地よい時間が流れる映画。劇中何度か使われる、遠景長回しの映像は、まるで自分もそこに居るように感じられる心地よいものだった。 私は本作から、同性愛的な雰囲気や、性を連想させるような匂いは感じなかったかな。純粋に“美”を求めているように感じた。 『タッジオは死の天使で、アッシェンバッハを死に誘った』ってヴィスコンティ監督の解説を見てナルホドって思った。イタリア語のタイトルとも重なるし、死神ならベニスに広がるコレラ=疫病の蔓延にも関連ありそう。 タッジオは美少年だけど、彼に魅了されてるのはアッシェンバッハだけで、他の人はチラ見もしない。アッシェンバッハを誘惑するような眼差し。嫉妬心を沸かせる肩を抱いて頬にキスする友人。まるで誘ってるように柱に掴まってクルクルなんかも、実はアッシェンバッハだけにそう見えてるのかも。美を追求したものにだけに見える幻の美しさ。 せっかくコレラが蔓延している事にいち早く気がついたのに、既に死の天使に魅了されてベニスを去れない。年老いて醜く死を迎えるより、美しいタッジオを愛でながらの死を受け入れる。若返りのメイクはまるで死に化粧だ。最後に目に焼き付いたタッジオのポーズ。腕は水平線、指の輪っかは沈む太陽で、死を表現してるのかな。この海岸のシーン、聖闘士星矢のミスティを連想したわ。 アッシェンバッハがタッジオに魅了された気持ちって、もしかしたら欧米人より日本人の方が理解出来たかもしれない。その原因は初登場時のセーラー服。 本来、水兵さんの軍服であるセーラー服。女子校生がセーラー着る文化があるのって、当時恐らく日本だけだったと思う。 『美しい顔立ちの少年がセーラー服を着てる』セーラー服=汚れのない少女ってインプットされてる日本人は、それだけで彼を“神聖な存在”と認めたハズ。 一方でセーラー服=水兵さんって認識しかない欧米人からしてみると『ビョルン?あぁ、綺麗な顔立ちだよね』くらいの感想止まりだったと思う。 逆にタッジオがセーラー服を着るシーンがなければ、日本でのビョルンの評価は『あぁ、綺麗な顔立ちだよね』って感想止まりだったんじゃないかな。 欧米人気とは独立して、セーラー服が日本でビョルンを神聖化し、日本でCMやレコードも出し、いわゆる“ビッグ・イン・ジャパン”になったんじゃないかな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-09-09 07:10:31)《改行有》

374.  ベイブ 《ネタバレ》 -Babe- “赤ちゃん” 可哀想に主人公の子豚には名前がないから、母親に呼ばれていた“赤ちゃん”が自分の名前。 私が成人してから、ジブリ作品以外の子供向け映画って、あんまり観てこなかったんですね。この有名作品も今回が初見です。 映画監督にジョージ・ミラーって2人居ると思ってた。だってマッドマックス作った人が、言葉を話す豚の映画を創るなんて、あまりに意外過ぎて…そしてベイブはジョージ・ミラーが監督だと思ってた。2のほうね。 家畜にペット。人間と共存してる動物が話せるって、考えただけで怖い。食べられる目的で育てられてるベイブがとても健気。そしてベイブの代わりにアヒルが食べられるのも、良かった~って言うより、あぁ~そっちかぁ…って思って。それがフェルディナンドでなくロザンナって子で、でも良かったぁ~って気持ちにはなれず…。 この何とも言えない喜べない空気。生き物を食べるって、そういう事だよなぁ。って改めて思った。このコメディは笑って良いのか不思議なブレーキが掛かる。映画だから良いけど、連続ドラマとかだったら、肉とか食べたり出来なくなるんじゃないかな。 番犬に牧羊犬、人間の役に立つため一生懸命な犬に対し、猫の意地の悪さ。でも可愛さだけでペット界の2大巨頭の地位を争ってるのは、この映画みたく見えない所で“したたかさ”を発揮しているのかも。 あともしホゲット家で養豚が一般的なら、ベイブはあの地位に居なかっただろう。家畜の中で位分けされて、もしかしたら羊より格下に扱われてたり…やっぱ考えるたびに肉食べにくくなる。 気を取り直して、最後の大会の無歓声・無音楽はとってもシュールで好き。ベイブの努力の結果でなく、裏技の呪文なのはどうかなぁ?とは思ったけど。[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-09-08 21:43:19)《改行有》

375.  映画 ビリギャル 《ネタバレ》 こういう目標のハッキリした映画は、観ていて安心できる。タイトルから現役合格するのは決定付けられてるんだけど、それでも合格発表は手に汗握って観られた。自転車漕ぎながら人称代名詞(だっけ?)読み上げるとことか、世代は違うのになんか懐かしくなった。 理解ある母親ああちゃん。極端にエコひいきをする父。学力よりルールな教師。実話にしては何とも漫画チックな登場人物だ。でもそこが却って映画的に、さやかちゃんの人生の障害として、または拠り所として機能したのかもしれない。勉強に集中させるために遊びに誘わない友達も良かった。授業中寝てるさやかちゃんの髪をグイッと掴み上げる(女の子に対して)安田顕と、眠そうに睨み返す有村架純のシーンはビリっと来た。 自暴自棄、家庭内不和、天候不良、体調不良。。数々の障害は自分の過去と照らし合わせて共感できることも多かったな。お腹壊して文章を追えなくなるとかリアル。…でも、一度退席したら再入場って出来ないんじゃないの?…古い? ただ、受験当日お父さんの極端な“あぁ見えていいトコある”アピールが、映画としてはあからさま過ぎてマイナス。あそこは『親切に道を譲ってくれた老夫婦がスタックした』とか『整備工場のお得意さんで、病院に行かなきゃいけないの知ってて…』とか、もうちょい上手く観せられたと思う。それにあんなタイプの父なら、娘たちにも焼肉を食べさせて自分は我慢すると思う。 ビリギャルが当時流行って、ワイドショーとかでも取り上げられてて、でも“今でしょ!?”の塾先生は批判してたみたい。有名進学校出身で地アタマが良かったにしても、無勉強だった子がたった1年で慶應現役合格は素直に凄いこと。 そして1年という短期間で総合学力を上げるのでなく、詰め込めば間に合う可能性のある慶應にしたのは、さやかちゃんでなく坪田先生の功績。 最初は馬鹿でも知ってる大学「東大にする?」って冗談っぽく振っておいて、「じゃあ~…慶應にしちゃおう!」って誘導してる。人の能力を引き出し、その気にさせるだけでなく、結果を出せる道を指し示した坪田先生が凄いんじゃないかと。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-07 21:43:07)《改行有》

376.  燃えよデブゴン 《ネタバレ》 -Enter The Fat Doragon- “太ったドラゴン現る” ~肥龍過江~コッチはドラゴンへの道(猛龍過江)をモジッてて、“太ったドラゴン海を渡る”。英語題と中国語題で意味がチグハグなんで、興味があればwikiを。 “燃えよ~”要素は小舟で海を渡るところと、ボディガード3人が似た人持ってきてるくらい。骨格は“~への道”要素のが大きいっぽい。 燃えよドラゴンのオープニングでリーと戦う太った格闘家。細いリーと比べ重たそうな男が、まさか映画の主役になるなんてね。 でもデブゴンって言うほど、太ってるかな?まぁ痩せちゃいないけど。顔なんてちょっとむくんだ塚本高史みたいで、よく見ればカッコいいかもしれない。しかし身体に似合わず上段蹴りとか素早くてキレッキレで、そのギャップに驚く。 偽ブルース・リーとの闘いはかなり見応えあり。「リーに近づきたかったら、もっと頭を使え!」・・・え?「考えるな、感じろ」じゃないの? コメディ要素はイマイチだったけど、教授のエビ子(字幕より)に対する歪んだ欲望を産んだ回想シーンはちょっと面白かった。 この映画、字幕より吹き替えで見たほうが面白かったんだろうな。 デブゴン・シリーズってたくさん創られてたと思ったけど、沈黙・シリーズと一緒で邦題だけ統一した別作品なんだ。へえぇ~~。 今回始めて観たんだけど、小学生のころ「チャイニーズ!カンフー!ナンバーーワーン!!」ってネタが流行ってたの。 私はその映画観てなかったけど、フレーズが面白いんで、一緒になって真似してたっけ。そうか~、アレの元ネタはデブゴンだったんだ~。 ユウシくん、元気だろうか。[CS・衛星(字幕)] 4点(2022-09-06 21:43:24)《改行有》

377.  REX 恐竜物語 《ネタバレ》 たまたま“○○物語”というのを立て続けに観ました。邦画で“○○物語”というと、だいたい3パターン。 ①昔話のタイトルそのまま ②偉人の伝記 ③可愛い動物モノ。 本作は③になるのは皆さんの想像通り。え?REX可愛くないって?そりゃそうでしょう、だって本作の可愛い動物=安達祐実なんだから。 当時大人気の演技のできる子役・安達祐実を、まるで子猫のように色んな角度から愛でよう。というのが本作の意図だったんだろう。 子役に恋愛モノをさせるのもアリだったけど、宮崎事件の爪痕も生々しい当時、ロリコン趣味と誤解されたら大変だろうし、無難に子供向けの冒険ファンタジーの仕上がりだ。 恐竜は二の次。犬でもシャチでも猫でも良かったろうけど、スピルバーグがジュラシック・パークを作っているし、REXの公開に合わせて恐竜が流行るだろう。という角川監督の先見の明は見事。安達祐実と赤ちゃん恐竜。チケットとグッズが売れれば万々歳だ。 だけど幸か不幸か、安達祐実の撮り方があまりに普通。表情も衣装もただの子役のソレでしかない。彼女の女優として光るもの、大人が観てハッとする表情とか、それこそ安直だけど水着姿なんかも入れない。角川監督は安達祐実をあくまで子供•可愛い小動物として見ていた結果だと思う。 安達祐実の女優としての才能は、後の家なき子から開花するけど、もし角川監督が彼女を、チャトランでなく原田知世や宮沢りえと同じように扱っていたら、この映画も化てたかもしれない。 じゃあ珍獣REXは売れそうか?同時期のジュラシック・パークを観てしまうと、どう考えても子供だましな出来映。ティラノサウルスの模型と並んだREX、頭の形がぜんぜん違う。REXが成長してあのティラノサウルスになるとは思えない。 REXってよく見ると亀っぽい。頭のカタチとか。孵化させる際にウミガメの卵を使ったって言ってたから、REXは亀と恐竜のハイブリッド生物かも知れない。…なんてカルロ・ランバルディは考えたのかも。亀だから海藻代わりに草とかピーマンとか食べるのか?うん。でもやっぱ可愛くないなぁ。 可愛いだけの小動物(安達祐実)と、可愛くない珍獣(REX)の映画。もう、監督も何を楽しみに撮れば良いのか困ったハズ。あ!・・・いや。 十勝が舞台なのに、全然北海道感がないのも酷い。立野家のロケ地、まるで雄大なアメリカの田舎みたいだけど大分県だとさ。あの神秘的なジャングルはギアナ高地なんだってさ。どうりで見覚えのない山だと思った。 でも屈斜路湖の御神渡り(凍った湖が割れる現象)っぽいのとか、今はなきグリュック王国っぽいところが出てきたのは嬉しい。 そうそう、親子ピーマン対決は見応えがあった。ほかに褒めるところを探すのが難しい映画。[インターネット(邦画)] 1点(2022-09-06 13:09:36)《改行有》

378.  アラバマ物語 《ネタバレ》 この映画、私にとって『第三次映画鑑賞ブーム』の引き金になった記念碑的な映画です。 私も40代半ばになって、気になってた映画、名画と呼ばれてる作品は、いまの内に観ておかないと、きっと一生観ることはないぞ!と。 で、たまたまこの映画のDVDを(数合わせで)買い「古いのになんて素晴らしい映画なんだ!」って思ったんですね。大袈裟に言えば「こんな映画があることを知らずに死ぬところだった!」なんて。 それまでホント、映画は年に両手に収まる程度しか観なくなっていたけど、この映画との出会い、このサイトへのレビュー投稿をキッカケに、今では全盛期(小~高までの第一次映画鑑賞ブーム)並みに観るようになってます。 さて -To Kill A Mockingbird- “マネシツグミを殺すには” 日本では馴染みがないけど“ものまね鳥”なんて言われてて、他の鳥の声真似がとても上手な、無害な鳥のこと。無実の罪を着せられた黒人のトムや、噂で危険人物扱いされているブーに対する世間の対応や反応。幼いスカウトが自らの目で観た世界とアティカスの教え。古き良き'30年代に、子供の目線で何を学んでいったかを、大人になったスカウトが振り返る、そんな構成です。 スカウトとジェムが家の周りで遊んでるだけなんだけど、それが観ていて楽しい。好奇心がエスカレートして夜中にブーの秘密を探りに行くところとか、子供の冒険らしくて好き。エジプト人歩きとか、もうツボった。 普段は年配のお父さんを「アティカス」って呼び捨てにする子たちだけど、真面目な話のときは「yes, sir」って答えるの、TPOしっかりしてて好き。 何よりスカウトの“ハムのコスプレ”がとんでもなくカワイイ。アレをハロウィンの衣装に選ぶセンスがもう可愛くってたまらない。 見た目が本物に忠実なハムなんで、ご丁寧に胸にわざわざ『HAM』って書いてあるの。あの衣装、7割方アティカスが手伝って作ったんだろう。スカウトは史上初のコスプレ・ヒロインじゃないだろうか。あ、仮装か。 子供向け映画と思いきや、アティカスが扱うのは黒人による白人レイプ事件。人種差別が根強いアメリカ南部の狭い社会で起きた事件を、住人ばかりの裁判で裁く。裁判所の一階席に座る白人と二階席の黒人。'62年の映画だけど内容はかなり生々しく、序盤の“子供の冒険映画”とのギャップに驚いた。 フィンチ家は街のど真ん中。教養のある黒人メイドがいる。隣人ラドリー家は社会に出て働けない青年ブーをずっと家で育てられる。言い換えると金銭的な余裕があるんだろう。 黒人加害者トムの家へは、フィンチ家から車で行く距離だから、相当街の外れなんだろう。そしてトムの家と畑の間にあるのがユーウェル家。貧しい白人は黒人の家の近所に住んでいるようだ。そういう、ギリギリの生活をしているユーウェルみたいな人ほど、黒人に対する対抗意識が強かったんだろうな。被害者メイエラ・ユーウェルは、内面が粗暴で、貧乏人の子沢山じゃないけど7人の兄弟がいる。ユーウェル婦人が出てこないのも気になるところ。 愕然の評決。だけど2時間にも及ぶ陪審員の協議が、人種差別の根の深さと、自分たちの良心の葛藤を物語っていたとも思えた。閉廷後アティカスを直立無言で見送る黒人たちが印象的。 そして原作の話だけど、本作の続編に当たる『さあ、見張りを立てよ』の存在、大まかなあらすじにも大いに驚かせられました。読もうかどうか迷ってます。[DVD(字幕)] 10点(2022-09-05 12:11:08)《改行有》

379.  植村直己物語 《ネタバレ》 植村直己。子供の頃のイメージは川口浩の本物版。彼が行方不明になったのを知った時『本当に命がけの冒険をしていたんだな』って思ったっけ。行方不明から僅か2年後に公開された本作。当時通ってた小学校で、この映画の割引券が配られたのを覚えている。当時の私は、“同じ時代を生きた人の伝記”であり“エジソンやモーツァルトに並ぶ、偉人と呼ばれる人物を題材にした映画”って捉え方だった。 公子と出会った頃から始まり、公子が植村の自伝を読むスタイルで過去の回想に。どんぐりと呼ばれる地味な存在が、無茶な外国渡航をして、世界初の五大陸の最高峰登頂するまでを振り返る。淡々とした話だけど、変にドラマチックな味付けをしていないのが、却って好感。伝記映画として、とても伝わりやすい構成だと思う。雪山では、ほんの数m先でぶら下がる仲間も助けられない、過酷な世界なこと。現場判断で選ばれたものがアタックすることに対する不満などから、植村が単独行に拘った理由も、とても解りやすく伝わったし、冒険の合間に、公子の気持ちを挟み、画的に退屈はしなかった。過去から現在へ。マッキンリーで行方不明になる時を、たぶん想像を挟まず、解っている事実だけで構成する創りも良いと思う。山頂の日の丸が物語る冒険の名残り。 公開当時植村は行方不明で、生存の可能性はゼロにせよ、ハッキリ死んだと言い切れない存在。そんな人物の自伝として、必要以上に美談にしなかったことと、公子と言い争い(というかイライラを公子にぶつける)する場面もきちんと描いたことが、お互い自分のことを半端者と考える植村直己と公子夫人の二人三脚の人生をリアルに感じさせてくれた。世界記録を持つ偉人が、人格まで優れているとは限らない。むしろ変わり者とも言える植村だから、あんなすごい記録を達成できたんだとも思える。[CS・衛星(邦画)] 6点(2022-09-01 20:39:59)《改行有》

380.  父と暮せば 《ネタバレ》 『母と暮せば』は観ていたが、正直あまり良い印象が残ってなくて。本作は3部作の1作めって事なので、どうかなぁ?って思ったけど、予想外にガツンと来た。どこか幼さが残る娘と、頼りになる面白いお父ったん。テンポの良い親子の会話が心地よく、重たい原爆の話だけどスルスルと抵抗なく観られた。親子で押入れに入るのカワイイ。 お茶もまんじゅうも口にしないお父ったんに『あっちの映画同様、亡くなってるのかなぁ?それがこの映画のオチかなぁ』なんて思ったけど、案外早くに亡くなっていたことが解る。そこが観どころじゃないんだ。 ストレートに、当時原爆の下に居た人たちの恐怖を語ってくれる。まるで読み聞かせのようだ。浴衣姿のおっとりした美津江の昔話から、エプロン劇場と陽気に始まったお父ったんの広島の一寸法師。広島の人が鬼に対し、原爆瓦でどうしてやりたいか。忘れることの出来ない内に秘めた怒り。美津江じゃなくても怖くなった。原田芳雄の語りの、息が止まるような迫力。 美津江の話。感情を抑えきれなくなったアキコさんのお母さんから出た言葉。父を助けられず見捨てて逃げたこと。あの時生き残った者が幸せになることを阻む。3年前の記憶がいつまでも美津江を苦しめる。宮沢りえの語りも、まるで生存者の体験談のように生々しく聞かせてもらった。主演2人の聞かせる力。 最後のは何だったんだろう?あの不安を煽る音楽と原爆ドームから、美津江ももしかして?って思ったりもしたけど、きっとたぶん、料理してる美津江のカットと、家の天井から続くドームのカットは、続いてるように観えて、別カット、別の建物なんだろう。 ドームの外に咲く2輪の花は、原爆の後を生きる生命で、たぶん美津江と木下さん。観る側に木下さんの具体的なイメージを持たせるために、敢えて浅野忠信を登場させたんだろうか。モヤモヤさせる終わりにした監督の意図は掴めなかった。 モトは舞台の戯曲として創られて、ほぼ舞台そのままのスタイルで映画化されていると思う。だから伝えたいテーマがシンプルに伝わる。死者が会話するファンタジー要素を入れて、死者と生存者の両方の体験者の話を聞かせる。 「前の世代から伝わる話を、いじったりせずに、あとの世代に忠実に伝える」この映画のテーマは、美津江の所属する昔話研究会の方針と通ずるものがあるんだろう。この話を映画にすることで、より多くの人が目にする機会が増えるだろう。私も映画だからこの作品を観る事が出来た。恐ろしく心にガツンと響く映画だけど、観て良かったと思ってる。被爆者の気持ちを“いじったりせず、忠実に”表現したこの映画を、一生に一度で良いので観てもらいたい。[インターネット(邦画)] 8点(2022-08-31 21:43:30)《改行有》

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