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プロフィール
コメント数 296
性別 女性
ホームページ kawamari7.hatenablog.com (質問と建設的な指摘をお待ちしています。JTNEWSに届けてあるほうでは文字化けします。)
自己紹介 取り締まる法律が必要な(1)XX中毒。生まれた場所のせいで3歳で兆候が現れ、13歳で表彰状物の重症に、今ではより強い刺激を求め(2)X屋の中だけではなくこのサイトに出没、ネットで(3)XXXXXXがないかと探し回るのに誰も助けてくれません。KW = 「かわまり」「はてなブログ」で原子力開発関連の「プロメテウス達よ」と19世紀ヨーロッパを夢と詩で描いた「黄昏のエポック」を公開しています。  (Xの数に文字数が一致する言葉を入れてください。)

空欄の答え:(1)XX=「言語」、「活字」も可、(2)X=「本」、(3)XXXXXX=「読める外国語」、キリスト教国際病院で生まれ、宗教は仏教。

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【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順123
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21.  幻の城/バイロンとシェリー 史実はめちゃくちゃ、荒唐無稽で何を言いたいのかわからない作品。バイロンとシェリーの身にふりかかった不幸が全部メアリー・シェリーの空想のせいにされているようであんまりです。自由奔放なシェリーはメアリーとクレアの両方を愛しながら共に文学を目指す伴侶としてはメアリーを選び、クレアはメアリーに対する競争心からこれより数ヶ月前に妻との不仲で悩んでいたバイロンに近づいて妊娠(シェリーの子だという説も有り)、同年暮れに出産。バイロンはこの頃、不幸な結婚のせいで精神的にぼろぼろ、シェリーらの一行と美しい自然になぐさめられ、以後に数々の大作を書くための英気を養ったのですがフランケンシュタイン(?)が登場する代わりに四人の間の葛藤やクレア以外の三人の創作上の悩みなどが全部カットされています。「幻の城」という題名はバイロンとシェリーが一緒に見学した、中世に自由主義者を閉じ込めたチロン城を指すのかと思ったら違うし・・・史実を知らない方にとっては史実との食い違いや作品の深みはどうでもいいことでしょうが、同じ俳優陣、美術/カメラ陣、音楽を使っていろんな要素がもっとうまく表現できたはずです。映画の上では中年になっているポリドリの自殺の動機も薄弱です。ポリドリはこの時、実際には21歳の蒼白い秀才で人間関係が苦手なので文学をめざしたものの、バイロンとシェリーという二人の天才のいじめに合って傷つき、四年後に自殺していて、事実どおりに描かれていれば作品に深みを与えたはずなので残念です。また、足が不自由だったバイロンが足を使わないスポーツを全てこなす行動派でシェリーが思索型の人間だったという事実も反対に描かれています。ヒュー・グラントの演技は脚本への忠実度という点ではよいのでしょうが、ギリシア彫刻のような美男だったと伝えられるバイロンを彼が演じているのは顔だけ見ているぶんにはまるでパロディーでした。[ビデオ(字幕)] 4点(2005-07-16 16:06:27)

22.  火垂るの墓(1988) 「戦争は悲惨だ。だからいけない。」というのは「人の頭をピストルでぶち抜くと死ぬからよくない。」というのと同じくらい単純な道徳的判断で、大人だったらわざわざ映画や小説などで説明してもらわなくてもわかっていることのはず・・・そういう意味で、私は大人なのでこの作品を見てどうこういうことはありませんでした。この作品を小中学生に見せることの是非を問われれば、困ってしまいますが、答えは「ノー」です。清太と節子の二人は海水浴やら蛍狩りやらやってから死んだので空襲で一発で死ぬよりも少しましだった・・・というのがこの作品の本質です。こうやって死ぬのも焼夷弾で焼け死ぬのも原爆で死ぬのも五十歩百歩です。もっと気になるのは、清太が皇国の勝利を信じていたことで、そういう意味で清太も悲惨な戦争の片棒を担いでいるわけです。もっとも十四歳では戦争をまともに批判することは無理ですが・・・。第二次世界大戦での敗戦から六十年間、日本では「戦争は悲惨だからいけない。」式の短絡的平和主義しかなかったようで、これから先、このままでいいのかと思います。平和主義は短絡的でもないよりはましですが、戦争を起こすのは短絡思考の人間と相場が決まっているのです。余談になりますが、私が所有している某社発行百冊の小説を収録したCD-ROMに本作品の原作と井伏鱒二の「黒い雨」が戦争の悲惨さを描いた(短絡的)反戦小説として入っています。でも、それよりも吉村昭の「戦艦武蔵」が政府や軍の責任者の常識が軍拡競争で麻痺していく過程をリアルに描いて、よほど反戦の役に立つ小説です。「戦艦武蔵」のように船が主人公では映画化は無理ですが、人を主人公にして戦争をもっと深く解析した小説が映画化されるべきです。もっともそういう作品をアニメにするのは多分無理でしょう。もう一つ余談・・・単純な反戦映画の傑作はやはり「西部戦線異常なし」だと思います。4点(2004-08-14 10:42:25)(笑:1票) (良:3票)

23.  愛と哀しみのボレロ 登場人物が多すぎるのでどうなることかと思いましたが最後、しっかりまとまってすごいインパクトを与えるのが驚きでした。思えば第二次世界大戦の悲劇は2,3時間やそこらの映画でつくせるものではありません。ボレロの祭典に会した芸術家や聴衆の数家族が背負っている悲劇を紹介するだけでもこれだけのインパクトがあるし、それぞれの悲劇のパターンを実際に経験した家族の数は数千倍、アジア戦線を含めたらもしかしたら数万倍くらいに上るのではないでしょうか?ドイツ将校とパリジェンヌとの悲恋物語で ”Hiroshima, Mon Amour(邦題:二十四時間の情事)”を思い出しました。“Hiroshima, Mon Amour”のヒロインは未婚の母にはならなかったものの自宅に軟禁されて丸坊主にされ、髪が生えそろった後で村から追放されてしまいます。いやはや・・・理性的とは言いがたいけれど、敵に対する憎悪がこういう形で噴出してしまうんですね・・・。ラベルのボレロは私が東洋人であるせいか「因果応報」や「輪廻」を象徴し、「過去の過ちを繰り返さないこと」と「過ちを犯した人間を許すこと」を迫っているように聞こえました。9点(2004-06-14 03:09:48)

24.  存在の耐えられない軽さ 「長かった!」というコメントが結構ありますね・・・。私はビデオで見たので「長い。」とは感じませんでした・・・途中でコーヒーを入れに立ち上がり・・・電話がかかってきて中断し・・・と言いたいところですが、ちょっとした理由(見た方にはわかると思います)があって途中で持ち主(知り合いの個人)にビデオをつき返しました。その時の会話:「おっさん、何だって私にこんなビデオ見せようとしたの?」「ボボボ僕、何にも下心なんかないよ・・・。キキキ君なら理解できると思って・・・。」(「おっさん」は40台半ばの離婚歴ありの独身者。)と、いうわけで結局は最後まで見ました。その後のある友人との会話:「人間の体をモノみたいに扱っているのが気に入らなかった。」(その「友人」は「アウシュビッツって何?ロシアの元の国とアメリカが対立してたこともあったの・・・。」とうそぶく御仁。)私のこの映画に対する評価は「おっさん」と同じでわりと高いんですけれどね・・・。ちなみに「おっさん」は米国在住のポーランド人です。ビデオの持ち主である「おっさん」に敬意を表して「おっさん」の評価・・・まちがいなく10点・・・と自分の点数・・・ソ連の脅威を肌で感じたわけではないのでこんなもん・・・の平均点を入れておきます。9点(2004-05-25 12:39:56)

25.  コーラスライン 《ネタバレ》 「すばらしい!」と思った舞台の思い出になるかとビデオを購入して「失敗した。」と自分では思っている作品。舞台では道具等一切ない暗い背景にオーディション応募者の色とりどりのレオタードが映え、最終選考のインタビューに残った応募者全員がきらびやかなユニフォームで登場するラストまで息をつかせないのですが、舞台と比べて良かったのはちらっと入ったニューヨーク世界貿易センターやブルックリン橋の映像と選考開始直後の群舞くらいでした。舞台ではディレクターは一切姿を見せず、観客の後ろからマイクを使って呼びかけるだけなので、観客は自分たちも選考に加わっているような錯覚に陥るのですが、もちろんそれもなし。ディレクターだってスポンサーの好みや批評家のレビューに戦々恐々とする一人の人間なのは当たり前・・・でも、舞台では人間味を一切排した神ような存在で、それが一つのポイントだったのに、マイケル・ダグラスの無表情が何とか救いになっているとはいえ姿が頻繁に画面に出るのは興ざめでした。また、舞台ではインタビューを受ける応募者は体全体でダンスに対する想いを表現するのに映画では時には顔だけを大写しにするし、唯一の東洋人であるミス・ワンが舞台ではいかにも貧しい中国移民の中から体をはって(もちろんダンスのことです)這い上がってきたような不敵な面構えだったのに映画では最近急増中のアッパー・ミドルの中国人家庭で甘やかされて育ったお嬢さんみいだし、舞台裏が不必要なほど頻繁に映るし、ディレクターの助手はネズミみたいにちょろちょろするし・・・と文句をつければきりがないのですが舞台に敬意を表した点数をつけておきます。3点(2004-05-13 05:53:26)(笑:1票)

26.   日本の映画の中でこれほど外国人受けする映画はないと思います。統計をとったわけではないのですが・・・でも、外国人がこの映画を評価するのは色鮮やかな旗が乱舞する合戦シーンなどの日本趣味でしかないのかもしれません。また、この映画を一度しか見ないで出来不出来を云々する方の中には外人がこの映画を見る目とそれほど変らない見方で評価していらっしゃる方も多いのではないかと思います。でも、私はこの映画を二度目に見た時にはシェークスビアの原作にはない何か、日本的、あるいは仏教的と言ってもいいかもしれない何かを感じました。二度目には長男の妻と同じ経緯で一文字家に嫁いできたのにもかかわらず寛容な心でもって秀虎を許す次男の妻やピーターが演じた狂阿弥の台詞の一言一言に着目する余裕があったせいだと思います。参考になるかどうかわかりませんが、シェークスビアは「リア王」を書くに当たって作品をキリスト教と無関係なストーリーにしたいと考え、わざと舞台をキリスト教伝来以前のイギリスに設定したそうです。だとしたら、この映画は黒澤監督がシェークスビアの意図を受けてセンター前にヒットさせたような作品かもしれません。でも、私はやはりこの作品は「黒澤」で「日本」だと思います。9点(2004-04-28 09:43:50)(良:2票)

27.  タンポポ 私は大友柳太朗(巻頭のラーメンの先生)の食べ方のほうがおいしそうだと思います。(こんなこと主張しあうなんてしょうもな・・・。)大滝秀治、加藤嘉、中村伸郎、井川比佐志など超ベテラン俳優が惜しげもなく脇役やチョイ役に使われていい味を出している、配役の面でも贅沢な映画です。トンカツ屋のことで文句を言う浮浪者役も超有名な俳優さんのはずなのですが、名前が思い出せません。誰か教えてください。7点(2004-04-14 13:55:40)

28.  愛のイエントル どうせフィクションなのだからどうでもいいと思うのも結構ですが、アビグダーや周囲の人間がイェントルの男装を見破っているのかいないのかがわからず、「ここで見破ったんじゃないかな・・・。」なんていろいろ想像するのが面白いと思います。裸で川に飛び込んで「君もやれよ・・・。」と挑発したりするのは、学問はしっかり身につけているのにひげも生えていない成長不全でひ弱(?)なイェントルをからかっているのか、あるいは正体を見破った上で困らせているのかのどちらともとれますよね?結婚の件にしても「ここまでやればさすがに正体を白状するのでは・・・。」と考えて提案しているような気がします。建前の上では女は学問をやってはいけない時代だったけれど、本人が完全に男として扱われるよう学問に励み、周囲も男として扱っている分には実害はないわけだし・・・。ユーモアたっぷりでしかも守るべき節度はきちんと守るアビグダーは私が抱くユダヤ人の男性のイメージにぴったりです。東欧の美しい風景とユダヤ人男性の黒づくめの服が対照的で美しく、バーブラの歌も子供の頃から歌っているだけあってすばらしいです。ミュージカルに私がつける最高点の8点を献上。8点(2004-04-13 03:41:10)

29.  楢山節考(1983) 家を出てから楢山に達するまで無言で息子を励まして行く先を指図するおりんが神域に達した人のようで神々しく見えました。10点(2004-04-13 03:34:19)

30.  ミシシッピー・バーニング 黒人による公民権運動が盛んだった1960年代のアメリカでFBIが黒人に対するテロに対して何もしなかったとは思わないし命がけで仕事をしたとも思いません。普通に仕事をしたんじゃないかな・・・。極論を言えば私はアメリカには人種問題はないと思っています。もちろんアメリカ南部に黒人に対する差別待遇や公民権獲得阻止の運動があった(今でもある?)事実は否定しません。でも人種差別の形を取っている問題は本質的には貧困者や文盲に対する無理解(カラーパープル)や非熟練労働者間の縄張り争い(ウエストサイド物語)であり、黒人に関わっている点は南北戦争以前の奴隷制のせいでアメリカ南部に居住する黒人の中に貧困者や文盲が多いということだけです。アメリカに自主的に移住してきた黒人は南部に居住することを避けるかもしれませんがプエルトリカンやアジア系移民と同様「人種差別」は感じていないと思います。さて、結局この映画で問題なのは、黒人には(白人やアジア人種と同じく)ノーベル賞をもらうような優秀なのから刑務所だけを住処にしてほしいようなろくでもないのまでいろいろいる、という単純な事実を理解できない単細胞サイコ集団の存在であって、そこに公民権運動やら黒人に対する同情やら上述の社会問題を絡ませると何が何だかわけがわからなくなってしまいます。サイコ集団の標的は何でもよかったけれどもたまたま黒人だったというだけで、焦点は人種問題ではなく本人たちのオツムの問題です。また、サイコ集団の活動の取り締まりと首謀者の処罰は法治国家においては当然ですがそれだけのことで、それで社会問題が解決できると思ったら大間違いです。というわけでラストシーンでもしらけました。この作品に登場するFBIの捜査官と「アラバマ物語」の中で黒人を弁護して貧困と無知を糾弾した弁護士とは職種も違うということをお忘れなく。3点(2004-04-12 10:28:55)

31.  影武者 仲代達也は演技はうまいのですが、あのメーク、何とかならないっていつも思います。 そうそう・・・仲代達也に関して頭から離れないのは大昔に見た「新平家物語」の平清盛の役・・・クールなエリート・サラリーマンのイメージでした。だから武田信玄はやはり「座頭市(だったっけ、見たことないもんでスミマセン)」の勝新太郎のほうがよかったのでしょうか?5点(2004-03-24 12:09:00)

32.  ドライビング Miss デイジー 高齢者の自立が云々言う前にこれはアメリカ版親孝行ストーリーですね。息子の厄介にはなりたくないというデイジーさんの意地はわかるけれど、運転手を雇えるような金持ち、しかも親思いに息子を育てた母ちゃんの勝ちですよ。全ての老人がこのとおりにいくわけはないけれど親子間の情愛は本当に良く伝わってきました。運転手が鮭缶を盗んだの盗まないのでもめる場面のオーバーな演出は爆笑ものでしたが、これも息子が財布からお札を取り出して「これで鮭缶買ってきな。」と水戸黄門よろしく解決・・・でも運転手のほうが上手だったりして・・・。親孝行に関してはどの民族も同じのようでユダヤ人が特別だという話も聞かないし、主人公がユダヤ人だということに何か意味があるのかと考えてみましたが、多くのユダヤ人は何十世代もの間、他の民族と商売をしてきたので商売相手や使用人を外見ではなく中身で判断する伝統があるのではないでしょうか。運転手が文盲だとわかってもデイジーさんは動じないでしょう・・・。運転手は運転手として優秀ならばそれでいいのです。ストーリーの舞台、アメリカのジョージア州はいわゆるディープ・サウスといわれる地域で、子供の頃に学校に満足に行けなかった文盲の人が珍しいくないそうです。人間はいつかは死ぬのだけれど、ずっと生きていて欲しいと思うような高齢者が近所にいるので身につまされました。自分の親のことに至っては年金をもらう年になっても高齢者だとさえ思いたくないのがどら娘である私めの本音です。8点(2004-03-21 10:37:15)

33.  アマデウス トム・ハルス演じる世渡りは下手だけれども子供っぽくて純真そのもののモーツアルト、そしてエイブラハムが演じる俗物根性丸出しでモーツアルトの才能に嫉妬する憎らしいおっさんのサリエリ、この二人の対比をネビル・マリナー指揮のモーツアルトの音楽をバックにたっぷりエンジョイしました。他のみなさんのコメントを拝見するとモーツアルトの肩を持つ人、サリエリを支持する人、中立派などに分けられるようです。この作品に限って、見た人それぞれがどの派閥に属するかを人気投票形式で調査してみると面白いでしょうね。私は完全にモーツアルト派で、作中で私に一番近い登場人物はサリエリの音楽のレッスンを受けながら「モーツアルトさんの自作で監督と指揮も自分でやるオペラのオーディションを受けたいんですけれど、どうしたらいいのでしょう?」なんて意味のことを口走り、サリエリの心中が煮えたぎっているのを知っていても知らなくても「だってモーツアルトさんは音楽は素敵だしハンサムだし・・・。(これは私が作ったセリフ)」なんて言ってきゃあきゃあ騒ぐミーハー歌手のカテリーナです。この映画を見てモーツアルトを本当に(そしてミーハー的に)好きになりました。 アカデミー賞主演男優賞に一作品で二人(モーツアルト役とサリエリ役)が揃ってノミネートされるなんて異例だと思うし、サリエリ役の受賞がちょっと皮肉(といおうかあの世にいるサリエリに対するほんの少しばかりの慰め)ですね。10点(2004-03-10 02:22:00)(良:1票)

34.  ラストエンペラー 映画の題材として興味深い愛親覚羅溥儀の人生を描いてみたいという伊・英の映画人の意欲には脱帽しますし、中国人も顧問などでは製作にかかわっているとは思いますが、長い歴史のある中国文化を垣間見るためにはやはりチャン・イーモーやチェン・カイコー監督などの作品で登場人物も作中で中国語を話す作品を選ばざるを得ないです。中国人自らでこの映画のリメークを作って欲しいと思いますが、この映画を超えられるかどうか・・・。また、それができた頃には私はもうこの世にいないと思います。(注:私は「年寄り」と呼ばれるまでにはあと何十年かある年齢です。) ジョン・レーンやジョアン・チェンの演技がすばらしかっただけにセリフが全部中国語だったらと思います。(彼らはうちでは中国語を話していたりやなんかして・・・。)7点(2004-03-09 10:42:25)

35.  カラーパープル(1985) あらすじに書けなかったことを淀川長治さんの言葉を借りて言うと「この映画は映像の詩」です。加えて音楽が雰囲気にぴったりですばらしい。この映画のサントラ盤(なぜかクインシー・ジョーンズの音楽ということになっていますが、これどういうこと?)のCDは私の宝物です。「おまえは黒人だ!」という言葉が「自分の文化に誇りを持て!」という意味で発せられるのは黒人ジャズ・ミュージシャンなどが輩出した後、しかも都会でのことで、この時代アメリカ南部では黒人を馬鹿にするために発せられていたようです。(主人公の夫も主人公に向かって馬鹿にする意味で言っています。)平凡な黒人を描いてこれほどのパワーのある作品ができるのだから非凡な黒人を描いてオスカーをどんどん狙ってほしいです。芸術家ならチャーリー・パーカーかマイルス・デービス、社会運動家や政治家ならノーベル平和賞を受賞したキング牧師やラルフ・バンチ博士・・・黒人俳優よがんばれ!9点(2004-03-02 02:18:43)

36.  黄色い大地(1984) 中華人民共和国建国直後から文革期に至るまで、中国では共産党を讃えるミュージカルやオペラが数多く作られました。そのほとんどは同じストーリーの焼き直しで何十年か先には忘れられる運命にあります。でもわりと最近に作られたこの映画は、その系列にありながら生き残る数少ない作品の一つになるでしょう。伴奏なしのソロで個人の感情を切々と歌い上げている民謡の一つ一つが歌っている人物と切っても切り離せない正に作品の中心と言えます。この時代、中国の農村にはテレビはもちろんラジオもなく、地方の人々がインターネットを利用して情報の発信まで行う現在とは異なり、農村の人々は共産主義を多角的に評価するどころか読み書きさえもできなかったのです。ですからこの作品を鑑賞する上で、私たちは共産党に関する固定観念や現在の私たちが持っている知識等を排除した上で、「どん底の生活をしていても人間には美しい音楽を作り出す能力があるんだな・・・。」とか「暗い生活をしているから、一筋の光が見えた時に必死になってそちらに手をさし伸べるんだな・・・。」といったピュアな見方でもってこの作品を鑑賞するべきでしょう。自分の運命を自分で切り開く決意をした時の主人公の少女が最高に美しかったです。作品の暗さのせいで点数はちょっと辛めです。8点(2004-02-27 03:22:31)

37.  仮面の中のアリア 私はこの映画をスポーツ根性ものとして見ました。しかも何度も・・・。大の音楽好きの私がですよ・・・。私の子供時代にはスポコンものはコミックやアニメではしょっちゅう見ましたが、映画でスポコンものにあまりお目にかからないのは、やはり一流のスポーツのパーフォーマンスを撮るのがむずかしいからではないでしょうか?でも映画や漫画のファンのみならず、私たちは一般的に試練に耐えたり競ったりする人間の姿に強く心を惹かれます。だから音楽やダンスなどをネタにしてスポコン(ミュジコン?)ものの映画をいっぱい作ってほしいと思います。この映画では映像はきれいだし、主人公にしごかれる女の子は可愛いし、音楽はいいし、文句なしです。ストーリーに関して言えば・・・やはりスポコンものです。これ以上は何も言えません。もっともっとスポコンに徹していれば(二人の若い歌手の苦闘と成長を詳しく描写していれば)満点をつけるところでした。題名は原題そのままの「音楽教師」にしてほしかったです。こんなタイトルじゃあまり魅力を感じません。8点(2004-02-18 10:48:51)

38.  コットンクラブ 封切り直後に1回、DVD購入後に3回程見ましたが、見れば見るほどストーリーなんかどうでもよくなっていきました。今ではこの映画の主人公はジャズとタップダンスだと思っています。コットンクラブは今でもハーレムの西のはずれにひっそりとオープンしていますが、「地球の歩き方ニューヨーク編」を見ても「ジャズを堪能したかったら是非ここに行け。」とは書いてありません。第一次世界大戦後のバブル期には成金の高級車がここに乗り付け、若くて才能のある黒人はここでのデビューを夢見てレッスンに励みましたが、1929年の大恐慌以降、ジャズはこの作品の中でも見られる大編成のビッグバンドから個人技の時代に移行し、コットクラブも廃れてしまったということはジャズファンなら誰でも知っていること・・・だからこの映画を見ていると「今夜ここでのひと盛り」なんて中原中也の詩を思い出したりします。ギャングの撃ち合いなんかも鑑賞の回を重ねる毎に夢みたいに見えてきました。当初、ちんどん屋に毛が生えたようなものでしかなかったジャズが大衆芸術として一応認められたばかりのこの頃にディクシー(リチャード・ギア)のような優れた白人のジャズマンがどうやって田舎から出てきたのかなんてあまり考えないようにしてこの作品を見るといいでしょう。作品の映像も夢の中のようでGood!6点(2004-02-17 07:44:21)

39.  ガンジー 世界一の映画大国といえば・・・言わずとしれたアメリカ・・・ではありません。年間製作本数と観客動員数ではインドが世界のトップだそうです。だから、この映画でエクストラも含め、インド・パキスタン系の俳優が何百人、もしかしたら延べ何千人の規模で登場し、主要な人物全てが打てば響くように好演されているのも何ら不思議ではないはずなのですが、それにしてもこれだけのスケールで多数の登場人物とエクストラがCGなしで撮影・オーガナイズされている背景にはやはりかの非暴力抵抗運動の元祖、マハトハ・ガンジーの足跡を何が何でも映像にしたいという映画人の執念、さらには非暴力を唱えながら暴力に倒れたガンジーがあの世から映画製作を指揮しているかのような鬼気さえ感じないわけにはいきません。 教科書的に鑑賞した箇所も多かったのですが、いかにも青年弁護士でハンサムでかっこよかった若いころのガンジーや「塩を作るキャンペーン」や「国産衣料を着るキャンペーン」など、子供のように思いついたことをすぐに実行に移す姿が印象的てした。ガンジーの希望に反して印パが分離独立した直後、印パ国境付近をイスラム教徒難民が北上、ヒンヅー教徒難民が南下するシーンは悲劇的で圧巻でしたが、パキスタン出身インド在住のヒンヅー教徒の人によると分離独立後、インドはイスラム教徒に対して寛容だったけれど、パキスタンはヒンヅー教徒を容赦なく追い出したそうです。この映画はドキュメンタリーではないのでカンジー翁の遺志にそった脚色が随所にあるのかもしれません。歴史上、「神の下の人間の平等」を説いた宗教家は多数存在しましたが、世界史上最初で最後になるかもしれない「全ての神の平等」を説いた宗教家を力強く描いています。10点(2004-02-05 09:35:40)(良:2票)

40.  オフィシャル・ストーリー 先進国ながら貧富の差が根強く存在し軍部によるクーデターが繰り返されたアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを舞台に「人間の真実」という普遍的なテーマを主題にしたドラマ。題名には「教科書に書かれていないことが人間の真実なんだ。」という意味が皮肉っぽく込められています。家庭ではかわいいわが子にメロメロの主人公が男子校の教壇に立つとがちがちの女史タイプに変身するのが面白い。でもその態度のせいで茶目っ気のある生徒に「センセ、歴史教えようと思ったら教科書読んでいるだけではだめだよ・・・。」と教えられることになるわけです。政情不安のアルゼンチンでは「暗い過去」はたった数年前の出来事ですが、日本でも60年遡れば原爆やら中国残留孤児などの暗い歴史が存在します。それなのに、映画の中の夫の態度からもわかるように、たった数年前のことであっても私たちには嫌なことからは目をそらそうとしてしまいます。平穏な生活の中で主人公が目をそらしがちな暗い歴史を探り、終に真実に向かい合うまでの過程が淡々と描かれています。子役がとてもかわいいし夫婦を演じた中年の俳優さん二人の抑えた演技がすばらしいです10点(2004-02-03 02:20:50)

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