みんなのシネマレビュー |
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22. 都会の叫び 画面が綺麗に作り込んであるし、ちょっとイタリア・ネオリアリズム的な雰囲気(フィルム・ノワールというより)も備えていたりするのだが、どこか「ゲーム」というか「遊び」なのだな。たかが映画じゃないか、そう、たかが映画なのだが、マジになれない核心という少しザンネンなものを感じる。以上、直観的な印象にすぎないが。[ビデオ(字幕)] 6点(2025-05-16 22:33:56) 23. her 世界でひとつの彼女 SFではなくすでに現実に近い世界を地道に(リアルに)作品化した感じ。この映画を観てちょっとデカルトのことを考えた。AIは思考はできるが身体がないということが、まさにデカルトを批判するメルロ=ポンティの指摘する点である。AIはまだ今のところは「我思う」だけのデカルトだが、まさに身体的に(ぎこちないロボットのレヴェルではなく)「我存り」となる未来も遠いことではないだろう。[DVD(字幕)] 6点(2025-05-15 23:08:51) 24. 情事の終り 《ネタバレ》 この映画は何かしら謝罪しているという面と、開き直っている面の二面性があるように思う。何に謝罪?そりゃもちろん赤狩りで仲間を売ったこと。それもあってか、このヒロインはもはや絶対夫を裏切ってはならないのである。開き直っている面というのは、個人的な神という設定である。個人的な神の問題に逃げ込んでしまえば、もうそこは聖域なのだ。[ビデオ(字幕)] 6点(2025-05-14 22:18:59) 25. アスファルト・ジャングル 《ネタバレ》 ドイツ人の違った味、というのが目立っている。破滅まであれよあれよと自動的に進んでしまいがちな計画犯罪ものの流れを、首謀者のドイツ人は妙に遮ってみせる。その知的な発言「銃を持っていると撃ってしまうからね」は、今に至るまでアメリカ銃社会を照射する。とにかく計画が破綻した段階で終わってもいいはずの映画が、なかなか終わらないところにリアルなバランス感覚が利いている。[ビデオ(字幕)] 6点(2025-05-14 09:21:09) 26. ジキル博士とハイド氏(1931) 《ネタバレ》 二重人格の話題は精神分析的な思考へいざなうのだが、抑圧された許されざる欲望をなんとか昇華して意識の側に統合してゆくという方角(フロイト)とは真逆の、「分離」することをジキル博士は目指すので、一見はラディカルなマルクーゼやヴィルヘルム・ライヒの革命的な運動のことを連想させるのだが、しかしこの世に有効性はなく結局は無惨な結果を招くだけである。ハイド氏にはミソジニーや格差志向などの要素がむき出しになっており、抑圧された「欲望」というものの批判的検証が必要だという、教訓的な映画にもなっている。[DVD(字幕)] 6点(2025-05-11 23:13:46) 27. 過去を逃れて 《ネタバレ》 これぞフィルムノワールの女で、見事に利己的・自律的に男たちを利用する。夫を「主人」と呼んでおだてて仕えてみせるが実は思うがままに操る世の「主婦」たちの鑑だ(笑)。裏切ったな、と、彼女のプライドが主人公を撃ち殺すのも凄いし、主人公が殺されて終わる映画(男社会)のイサギヨサの見せかけも秀逸だ。[ビデオ(字幕)] 8点(2025-05-11 08:41:04) 28. あした来る人 らしくない三國連太郎、らしい三橋達也、で十分愉しめる。川島映画の三橋達也の魅力は、ボヘミアンな鈍感さのフリの表現にある。そういう鈍(にぶ)さが、成瀬の『女の中ににいる他人』における妙に「寛容な」寝取られ男像にも生きているような気がする。鈍くてホッとさせる人間、なのである。[ビデオ(邦画)] 6点(2025-05-10 18:45:07) 29. 秘められた過去 《ネタバレ》 圧倒的な、観客に覆い被さってくる映像である、ダッチアングル。ウェルズの「記憶喪失」を真に受けて、その過去を調査することによってまんまと殺人の片棒を担がされる主人公(狂言回し)つまりは観客。フラッシュバック形式が絶えず過去を意識させるが、実は片付いてはいない、並走する過去なのである。映画の最後でのウェルズとの格闘において、やっと「過去」が落着して観客の手に入るというわけだ。ウェルズは観客存在を見事にターゲットにしている。[ビデオ(字幕)] 9点(2025-05-10 13:04:10) 30. 絹の靴下 《ネタバレ》 ダンスシーンはあまりないのかと思いきや、禁欲のヴェールを脱いで彼女が伸びやかに踊る、踊る! この映画の後三十年も経ってボウイの『レッツ・ダンス』の歌声がベルリンの壁を越えて「東」を挑発したのだった。[ビデオ(字幕)] 7点(2025-05-06 23:18:51) 31. 雨のしのび逢い 《ネタバレ》 原題に謳うように、中庸・節度を保つこと、踏みとどまること、が主題。ベルモンドの役柄が圧倒的に踏みとどまっている(あのジャンヌ・モローと駆け落ちしても先は知れている、のをわきまえている感じ)ので、映画らしい転落は起こらない。一見ジジ臭い(ピーター・ブルックは年輩だ)中庸つまり踏みとどまることを馬鹿にしてはいけない。それには自制の大きな力が必要なのである。[DVD(字幕)] 6点(2025-05-06 16:54:55) 32. 夏物語(1996) 《ネタバレ》 特徴ある「三種類」の女性が相手でいずれも捨て難いとなれば(実はあの本命はケシカランが)どれかに絞れない、主人公の「優柔不断」となる。この「優柔不断」は本来どの選択肢もキープしておきたいという欲望の表れ、ということだろうが、しかしこの場合はむしろビョーキに近い。だからこそ、この「優柔不断」の贅沢を転覆する外的事情があのような目覚ましい解放となる。皮肉なものである、というか、こういうアイロニー味こそロメールだ。[DVD(字幕)] 7点(2025-05-06 08:18:23) 33. タルチュフ 《ネタバレ》 ドイツ表現主義映画の環境から出てきていながら、その繊細な表現が別物の水準であるムルナウ。ここでは、猫被りというものを映画内映画で表現し、論より証拠の「映画による教育」の効果を見せるかのよう。この映画内映画の、旅から帰宅した夫が聖なるものにかぶれているという話題は、あの『フォーゲルエート城』の再現である。脚本は同じカール・マイヤーで、階段のセットがここでも大きな役割を演じている。聖人を演じるタルチュフが階上から階段の誘惑に逆らえずに階下の肉欲へと堕ちる図は、あの名作映画『雨』(マイルストン)を連想させる。 [CS・衛星(字幕なし「原語」)] 9点(2025-05-05 15:30:15) 34. 脱出(1944) ボギーの、躊躇というものがないひたすらスピーディーな決断と行動が全編を貫く。そんな人間はいないし、いても困る面もあるだろう(周囲の者には)。まあ、銀幕の中にしかない憧れのようなものだ。『カサブランカ』とは違って、すでに戦況が定まってきている安心感というものが大きいのかも。[DVD(字幕)] 8点(2025-05-05 13:01:23) 35. ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 《ネタバレ》 アメリカ映画で画面に言わば署名が付いている、珍しい方の例だウェス・アンダーソン。特徴的に、ひたすら平面・表層をキャメラが滑走するスタイルは、決して深刻にはならない、が、しかし内容が浅いわけではない。映画の「内容」って、何か突飛な特別なことが必要なわけではない。この「父帰る」というよくある話題の周りに配置されたほぼ「普通な」話の数々をずっと退屈せず見てしまう。画面の色調も美しく暖色で作り込まれ、なんともハートウォーミングな肯定感が素晴らしい。そう、肯定感が。[DVD(字幕)] 9点(2025-05-03 22:03:58) 36. 帰らざる河 《ネタバレ》 映画の流れる空間、シネマスコープの横長画面に横長にハマり続ける河(スクリーンプロセスであろうが)、それだけが大切なポイント。ひたすら襲いかかってくる悪者としての先住民という描き方の中に、この少し前の日本軍も含まれるかも。プレミンジャーは演出に厳格であるそうだが、人物の造形の上で、その成果が出ているようにも見えない。[DVD(字幕)] 5点(2025-05-03 07:20:41) 37. 旅愁(1950) 《ネタバレ》 大恋愛は超え難き障碍があってこそ。大きな障害のように見えた妻の側の理性的な譲歩により「もうこれで自由だ」となった瞬間「自由ではない」ことにヒロインが気づく。つまり障碍がないことが最大の障碍である逆説の成り行き。そもそも、ヘイズコードがまだ生きている時代だからか、恋する「肉体」を全く感じさせない淡交でもあるし。ところで「時代」といえば実はこれは赤狩りの時代で、演出のディターレが大変な目に遭っていることの方が重大である。[DVD(字幕)] 7点(2025-04-28 23:07:30) 38. メランコリア 《ネタバレ》 作品の形式はいかにもアンバランスだが、前半のニヒルなヒロインが自身の社会的体面をぶち壊す迫力や、後半の迫り来る滅亡に対処する人物たちの姿勢の逆説的な変化などにおいて、個々の表現自体は充実している。[DVD(字幕)] 8点(2025-04-27 22:32:15) 39. さざなみ 《ネタバレ》 日常的な平凡な些細な事柄が、深掘りするとこんな深刻な話になる。深掘りの技法こそがだから大切なのだ。昨今の映画のように、特別に突飛な「無い話」に依存したり、筋や人物の交差を殊更に複雑にしたりすることよりも。[DVD(字幕)] 7点(2025-04-23 12:20:33) 40. 雨 《ネタバレ》 階段があって、上段に屹立する宣教師が下段から見上げる倫落の女に対して、一方的に罪を宣告する(まるでドライヤー『裁かるるジャンヌ』のように一方的)。段差で、両者の視線は「交わらない」。で、この宣告の最中に後者はとうとう回心する(ように見える)。が、やがて宣教師の抑制され得ぬ肉欲のせいで身体の方が「交わり」大逆転となる。その裁きは外界でなされる。雨で外界が遮断されているという設定は演劇に好都合(元は演劇作品)だが、極めて映画的な興奮を呼ぶのは外界への想いならびに外界の断片的な挿入である(ムルナウ『タブウ』のような南の島であること、皮肉にも晴れた朝のエンディング)。単純な立て付けながら素晴らしい映画である。[DVD(字幕)] 9点(2025-04-16 09:18:01)
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