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21.  夕陽のガンマン 《ネタバレ》 タイトルの原題は主役のモンコの為に有りますが邦題はダグラスの為に、そして内容的にはダグラス中心と言っても良いくらいです。 冒頭のメインキャストの登場シーンの順番や各人への時間配分等をみても作品に対してのダグラスの重要性は明らかだと思います。 イーストウッドに思い入れを持っている人には面白く無いかもしれませんが、別段そうでない私にはこの構図は非常に面白かったです。 イーストウッドをメインにしてリー・ヴァン・クリーフを完全な脇役にしても成り立つくらいイーストウッドの存在感と渋さは確立されていた印象でしたが、敢えて2人を立たせる事によりお互いに対する新たな緊張感が加わるのと同時に若干の人間味のようなものを感じて作品に厚みが出来たと思います。 容姿もキャラクターもそれ程違わない2人がお互いの存在を潰し合わずに擁立出来た理由は調度良い演出と脚本だと思います。 勝手にポーターに荷造りさせたり、足踏んだり、帽子を撃ったり、作戦から逸脱したりと先に仕掛けてくるのはいつもモンコですがダグラスがそれをしれっと往なしつつ力を見せつける様は見ていて心地良かったです。 また、この演出と脚本の調度良さは勿論作品全体にも及んでいて2人が渋すぎるのに重くなり過ぎずに、ガンファイトが多くても軽くなり過ぎない等と話自体が結構丁寧に作られている事を認識させられます。 2人の賞金稼ぎが存在するだけで不安定で破綻確定な設定ですがインディオを仕留める彼等の目的を別のものにしたお陰で収まりの良い纏まり方になっていますし、それに付随して出てくる途中の話や小物等もかなり効果的だったと思います。 出演者のカッコ良さ、的確な演出と脚本、そして音楽の使い方と楽曲自体も素晴らしかったです。 100年以上前のアメリカが舞台の話を50年以上前にイタリア人が映画にして日本人の私が今見て喜んでいます。 単純に『良いものは良い』という事だと思いますし、色々な壁を超えて楽しませて貰えて何となく嬉しくなってしまいます。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-09-13 18:58:00)(良:1票) 《改行有》

22.  日本侠客伝 花と龍 《ネタバレ》 明治末期の北九州で前半はゴンゾウという石炭流しの一人夫として、後半は若松で棒芯を経て組の小頭として健さんが大活躍します。 本作より5年前に公開された一作目の日本侠客伝では些か小頭としては少し線が細くて若すぎるきらいが有ったように思いましたが、この時期の健さんは何方の役どころも違和感なくピッタリとハマっています。 後半の任侠映画特有の展開や立ち回りなどは作品的に特出する所はそれ程無く進んで終焉を迎えますが、前半の話は健さんの若々しさと相俟ってかなり楽しめます。 ゴンゾウの仕事は喧嘩も兼ねているとの事で、荷役を巡りライバル業者相手に負けそうになると当然のように実力行使の手段に打って出る展開を見て、仮にも近代日本の話なのにこんなバカな解決法でいいのかと思ってしまいましたが、軽く調べてみると荒唐無稽でもない事に改めて驚かされてしまいました。 友達を頼って新天地に着き徐々に周りの信頼を勝ち得ていく玉井金五郎という若者を若さと渋さが調度良く混在している当時の健さんが見事に演じきっています。 そんな彼の魅力を感じさせて貰えるのが友達の新之助を傷めつけた相手のいるヤクザの親分達の酒宴に単身乗り込みに行くシーンです。 真っ直ぐな眼差しで相手を見据えて歯切れの良い台詞で啖呵を切る健さんは利他的で曲がった事が許せないが故に他人を惹きつける主人公が持っているキャラクターの説得力を増すと共に高倉健という人そのものを見せつけられた気がして高揚感と同時に爽快感を味あわせて貰いました。 また、このシーンではここでしか出ていない若山富三郎さんの淡々として大袈裟では有りませんが確かな存在感も堪能できます。 個人的には山本麟一さんが特に良かったですが、他の脇を固める役者さん達も地に足を付けた演技で安心して見る事が出来ますし、テンポは速くないのですが話が面白いのでリズム良く加えて心地も良く進んでいきます。 台詞などで説明せずに映像や情景で状況や心情を表しているのもその要因のひとつだと思います。 タバコの件や薬と一緒に菊の花を持って行くおマンの行動で見せる彼女の玉井への恋心が芽生える表現等は的を射た丁度良さが有り、見ていて演出の上手さを感じると共にとても気持ちが良かったです。 唯一、品と優しさを拭い切れない二谷英明さんが肉体労働者とヤクザの役というところに無理があった気がします。 本作を含めてこの様な義理人情全開の任侠映画を見たのはまだ3本目なのですが、それが持っている典型的な展開等は私の想定内に収まっていましたが、どの作品もドラマ部分の質の高い作りには正直驚かされてしまい嬉しい誤算でした。 当時、任侠映画の人気が高かったのは実はこの様なドラマとしての面白さにも起因しているのではないかと思える程楽しませて貰いました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-08-10 22:52:52)《改行有》

23.  学校Ⅱ 《ネタバレ》 前作は田中邦衛さんが本作では吉岡秀隆さんが素晴らしい演技を見せてくれました。 「北の国から」の親子、恐るべしです。 がっかりするような演技をする役者さんが1人もいなかった為に作品に集中出来ましたし、映画としてその事が如何に大事かを改めて感じさせて貰いました。 竜先生が「与えるとか教えるとかではなく、自分達の仕事は子供達から学んだ事を返してやる事だ」いう趣旨の台詞を言っています。 一見すると謙虚で子供達の目線に立った言葉のように感じますが子供達に責任を負わせながら生産性のない内容の台詞になっているように感じました。 現実的には学校教育は理屈だけで何とかなるものではない事は理解しているつもりですが、持論を書かせて貰えればこれとは全く逆で「教える事によって子供達から何かを返して貰う」事が教師の仕事だと思います。 何かとは教えた事を覚えて(理解して)貰う事は勿論、学ぶ事への知識欲だったり、物事への探究心だったり、単純に教えて貰った事への感謝や嬉しさだったりと、それらの中でどれでもいいと思います。 ギブアンドテイクの最初のギブを教師からではなく子供達から求めていてはそれこそ高い給料を貰って楽をする行為だと思いますし、子供達の何倍もの歳や経験を重ねて来た人間が教える気概を放棄してしまったらそこは養護学校ではなく養護施設になってしまうと思います。 あくまで子供達から学ぶ事は教育現場での付加価値であり、それを教育理念としてしまうと教師達の教える事に対しての責任放棄にも見えてしまいます。 養護学校と一般的な学校とではやはり違いは有るのでしょうが、竜先生の彼等を特別扱いするなという言葉を受けるとそこにも落とし所は無いように思います。 批判的な事を書かせて貰いましたが本作には自分でもびっくりするくらい泣かされたのも事実です。 正直に言えば納得出来なかったのは上記した理屈ぐらいであとは堪能させて貰いました。 はじめの方で竜先生の財布を自分の机の上に置かれただけで潔癖症の女の子が滅茶苦茶嫌がっていたのに、卒業式の日の教室で彼女が竜先生に普通にリボン徽章を付けてあげている所などは山田監督のシレッとしたさり気ない演出の上手さを感じてしまいます。 音楽が全体的に感傷的になり過ぎずに情景をしっかりと支えている質の良い楽曲が多かった印象でしたし、スタッフロールの後ろで流れていた曲などはオカリナの包み込むような温もりのある音色が作品のイメージに非常に合っていたと思います。 また、高志や佑矢の笑顔が殆ど校外での出来事でしたので、校長の「学校の出来る事はしれてるんだよ」という台詞が何気に印象的でした。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-07-13 00:33:22)(良:1票) 《改行有》

24.  学校 《ネタバレ》 山田監督の単語タイトルシリーズとも言えるもので、それらの作品はテーマに対してかなりストレートな内容になっています。 台詞や脚本も殆ど捻ったりせずにベタとも取れる言い回しや展開になっています。 その為に演じる役者さんの技量が低いと見ている側が恥ずかしくなってしまいます。 オムニバスのような各生徒達の回想シーンを絡ませた前半部で所々集中出来なかったのはそのような理由だと思います。 特に萩原さんの演技には困ってしまいました。 ミュージシャンが本業である大江千里さんのお医者さん役の方が安心して見ていられたのは何とも皮肉な事です。 後半のイノさんのエピソードになるとグッと作品に引き込まれます。 田中邦衛さんはやはり尋常では有りません。 本作での田中さんは何処という事ではなく全てのシーンで際立っていたと思います。 役柄にハマっていたという事も有りますが、作品を壊さずに自分を余すことなく主張できる数少ない役者さんだと思います。 少し大袈裟な所作と、大きく息を吸ってから口を窄めて喋る台詞とで独特のリズムを作って見せる演技は彼の風貌と相俟って唯一無二ですが、不思議と周りと協調できてしまいます。 単に自分の演技の事だけを考えて全面に出しているのではなく周りを見ながら微妙な所でバランスを取っているのだと思います。 オモニの焼肉屋での黒井先生とイノさんのやり取りはやるせない程切なくなってしまいました。 社会の中の大人として相手に常識的対応を求める黒井先生と、人として男としての感情を相手にぶつけるイノさん、それぞれの立場からすれば双方共それ程間違っていないと思います。 同情や哀れみを示しながら「同じ人間として」と言う無神経とも取れる黒井先生にイノさんが怒ってしまいますが彼の乱暴な行動によってイノさんがお店からつまみ出されてしまいます。 教養の有る者が教養の無い行動を取った者を無慈悲に社会から排除しているようにも映ります。 社会は教養の有る者によって作られていますし秩序を保つには当然の振る舞いですが、お店を出されるイノさんが黒井先生に言った最後の言葉は生きる事に不器用な者達の心の叫びにも聞こえました。 作中では幸福を理解する為に勉強すると言っていますが、勉強をする為の学校で逆に不幸になってしまう生徒がいる現状ではこの様な例外的な夜間中学校や他の受け皿の存在意義は大きいのではないかと感じました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-07-10 20:20:39)《改行有》

25.  U・ボート 《ネタバレ》 連合国側からの戦争映画ばかりを見てきたのでこのような作品は新鮮で良かったです。 戦争やナチスを肯定する気は更々有りませんが、ハリウッド映画では見慣れないヨレヨレの服を着て無精髭を生やしたドイツ兵が感情を露わにして必死に生存を懸けている姿は心を動かされるのと同時に、戦勝国の解釈によるヒロイズムやセンチメンタリズム的な作品を少し考えさせられるきっかけにもなりました。 潜水艦映画特有の時間と空間の『制約』を最大限に使って静と動を上手に表現していたと思います。 閉鎖空間のストレスからくる人間関係の縺れ等はほぼ描かれておらずに、悪化する情況に対する各登場人物の絶望感をメインにしているので見ている側にもそれらの感情がダイレクトに一人称となってのしかかってきます。 登場人物同士の関係で言えば直近の敵の攻撃でパニックに陥り職場放棄して艦長の信頼を失っていたヨハンがジブラルタルでは自分の責任を果たして浸水を止めた事を報告に来た時に「良くやった、濡れた服を脱げ」と肩を叩いて見せた大袈裟ではない艦長の嬉しそうな表情には涙が出そうなくらいこちらも嬉しくなってしまいました。 また、航行中に偶然トムセンの艦に出会った時に艦長が子供のように嬉しそうに手を振っている姿は冒頭の潜水艦乗組員4万人中3万人が帰還しなかったというテロップの意味を考えさせられる印象的なシーンだったと思います。 映像的には1981年制作には見えない程画質が荒かったです。 おそらくナイトシーンと艦内の暗い所での撮影がメインの為にフィルムの感度が高かったせいだと思いますが映像からは60~70年代制作作品に見えてしまいます。 私自身もかなり作品に入り込んでいたのでジブラルタルの海底で修復を終え再浮上できた時とエンジンが掛かった時には「やった~」と、シーンが変わって昼間の海を堂々と浮上航行している時には「助かった~」と自然に声が出てしまいました。 前述した様に潜水艦映画の『制約』を上手く使っているのと同時に本作は戦犯国(この表現自体疑問ですが)制作の『制約』もあったように感じます。 それは軍上層部批判(これはそんなでも有りませんが)と戦闘シーンの少なさとラストのプロットだと思います。(勿論勝手な想像ですが) 個人的な感想ですがもう少しこの艦自体が戦果を上げても良かったのではないかと思いました。 だって映画ですし、そうした事によって歴史が変わる訳でもないですし。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-07-06 20:35:39)《改行有》

26.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 ちゃんとした形があった物を2,3太刀入れてバッサリと切ったような作品。 ゲームを買って来てケースを開けたら説明書がB4の紙切れ1枚だけでプレイしながら覚えていくしかないような作品。 しかし、そのような見せ方がとても気持ちが良かったです。 余計な情報が無い分、返ってカフェの爆破テロからトゥモロー号に辿り着くまでの濃密な内容だけに集中出来ました。 ダビデ像、ゲルニカ、バターシーの豚、階段の下の倒れた乳母車(なんでこの時代に…)等の象徴的芸術作品の見せ方や音楽の使い方で作品自体はそれ程重厚ではないものだと認識出来ます。 『子供の生まれない世界』も映画のテーマではなく要素の1つとして見た方が良いかもしれません。 話の内容、映像の迫力、映像のギミック、個性的な登場人物等によってシーンごとに見せ所が目まぐるしく変わる為に見ている側を飽きさせない演出は見事です。 子供が出来なくなる為に種の存続が出来なくなり希望を失った人々が刹那的に生き退廃的な社会になるというロジックで作中のような世界になるという可能性は選択肢の1つとして有ると思います。 そう考えると世界の秩序を保っているのは警察でも軍隊でも思想家のイデオロギーでもなく、子供達ではないのかと言う事が出来るかもしれません。 ファロンがキーと子供を探して廃墟ビルの3階まで上がる途中には泣き叫ぶ住人や活動家と軍隊の激しい攻防の混沌とした中を進んでいくのに対して、保護した2人と降りて行く時には立場が違い殺し合っていたそれぞれの人達の間に争いが無くなり秩序が生まれ、しかも彼等は勿論の事ファロンとキーも理由を完全に理解し切っていないこの情況は人としての本能のなせる業(わざ)として説得力を感じさせてくれる映像になっていました。 しかし、ルークやシドのように自分達の思想や私欲の為に利用しようとするのも人間の業(ごう)として確実に存在するものとしてバランス良く描かれているのには好感が持てます。 作品は単純に逆境の中を母子が「トゥモロー号」まで辿り着いた事を描いているのであって彼等がヒューマンプロジェクトに救いを求めたことが正しかったのかは見ている側も彼等自身も判断出来ません。 いきなりブラックアウトして終わってしまうラストカットを見てもそこに手放しで受け入れられる希望を映し出していない事は明らかです。 しかし、邦題の「トゥモロー・ワールド」は明らかに船の名前とリンクさせて『明日』という言葉を強調させており勝手に希望を抱かせるようなミスリードをさせています。 配給会社の担当者が自分の勝手な解釈で、しかもセンスの欠片も無いような邦題をつける事は、素人の私が勝手に読まれているかどうかも分からない映画評をしているのとは重みが違う行為なので止めて貰いたいと思いました。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-07-05 18:17:48)《改行有》

27.  ファミリー・ツリー 《ネタバレ》 コメディを軸にしたホームドラマはハリウッドの得意分野ですし、日本人も含めて需要は高いと思います。 私自身も肩の凝らないこの様な作品は嫌いじゃありません。 コメディとハートウォーミングの比率を序盤では前者に終盤にかけて後者に比重を高めていくのも平常運転だと思います。 定番と言えますが畳み掛けやアップテンポな展開にはせずに舞台をハワイにした事でレイドバックして見やすい印象になっています。 スコッティの友達に謝りに行った時のマットの態度で彼のダメ親父っぷりは直ぐに分かります。 家庭を顧みない彼をはじめ娘達や昏睡状態の妻も自分勝手に過ごして来ました。 鉢植えの花を誰も気にしなければ枯れてしまうのが当然の様に、家族が好き勝手にやっていれば家庭はバラバラになってしまいます。 もしエリザベスが事故にあっていなかったらどうなっていたでしょうか。 キング家は勿論、スピアー家も巻き込んで崩壊していたのは確実でしょう。 しかし、皮肉にも事故をきっかけにキング家は纏まって行きます。 要因は弱音を吐いたり感情的になりながらもマットをはじめ娘達も家族に視線を向けた為でしょう。 マットやアレックスが意識のないエリザベスに対して罵倒します。 また、アレックスのバカ彼氏シド(愛すべきキャラクターです)とフラストレーションを募らせながら会話したり、妻の尊厳死の報告に義父を訪ねに行ったら容赦無く罵られたり、妻の浮気相手をみんなで探しに行ったり等の数日間の彼の行動は数年間家族を放っておいたツケにより散々な結果ですが、真剣に家族とその周辺を含めた問題に向き合っているシーンにもなっています。 死に直面しているエリザベスがいるキング家の絆が深まるのに対してスピアー家がボロボロになって行ったのもまた皮肉です。 そんなブライアンへの複雑な感情もあったのかもしれませんが、受託者であるマットは先祖から託された土地の売却を辞めてしまいます。 いとこのヒューに「家族だろ」と言われますが、壁に掛かっている会った事もない様な何人もの先祖達の何枚もの写真を見て彼等先祖達と未来の子孫達を含めてハワイに住んでいる全ての人々が自分の『家族』なのではないかと感じたのかもしれません。 ですからマットには一族だけの私益に応える選択は出来なかったのではないでしょうか。 自分達一族だけが好き勝手にやっていればハワイという『家族』がバラバラになってしまうという事を妻の事故による今回の件から学んだのかもしれません。 エリザベスの散骨のシーンを挟んで、一度失ってしまったら二度と取り戻せない美しいこの島の財産とも言えるハワイの風景の数カットと、戻っては来ない彼女の死によって繋ぎ留められた3人の家族が一枚のブランケットと2つのアイスクリームをシェアしている光景を対比させています。 双方から穏やかな美しさと静かな希望を感じさせてくれる一連のシークエンスはとても印象に残りました。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-06-22 18:22:14)《改行有》

28.  歩いても 歩いても 《ネタバレ》 阿部寛さんの演技は最近では褒めるのが当たり前になって来ました。 信夫を演じた高橋和也さんが役どころも良く作中では光って見えます。 特筆すべきは、孫達を演じた子役と言ってしまったら失礼に値する3人の役者さんです。 作品を通して大人達が作っている淡々と安定した世界観を壊すことなく、それどころか作中での夏という季節にシンクロするように作品に瑞々しさを与えてくれています。 3人の演技は勿論ですが『そして父になる』での子供達も同様の印象だったので是枝監督の演出や撮影現場の雰囲気作りが卓越していると考えるのが自然だと思います。 百日紅の紅い花を手に取って遊んでいるシーンは本当に素晴らしかったです。 家族だから言えない事、言ってしまう事、家族なのに伝わらない事、伝わってしまう事、家族の中で比較してしまう者、比較される事を否定する者、比較の対象として受け入れて貰いたい者等を親族の死を絡め、何気ない伏線を自然に回収させながら絶妙の距離感や台詞と丁寧な脚本、映像で厳しさや優しさとして小さくすれ違いながら表現されています。 長男の墓に水を掛けながら語りかけるとし子を死んだ兎に手紙を書こうと言った友達を笑ったあつしがじっと見ていますが、何年後かの墓参りで良多も同じ事をしています。 あつしの中に良多がじわじわと入ってくるというシーンを基に考えると、そんなあつしにも彼等の行動を理解する日が来るのかもしれません。 また、助けられた男性を長男の仏前に呼ぶ本当の理由を吐露するとし子の後ろで低く一定に鳴る換気扇の機械音は彼女の消える事のない怨念のような不気味さを増幅させる効果となっています。 登場人物が画の中にわさわさと居ても各人が的確な演技を見せてくれています。 しかし自然ではあるものの演技や演出に無駄や隙がなさすぎるので作品全体が無機質になってしまう箇所もあり、話の抑揚がかなり抑えられて各シークエンスもそれぞれに完結してまっている所が多く、そこからの発展が少ない為に見ているこちら側が委ねられるような大きな流れのようなものを感じられません。 この様な演出は監督の狙いだと思いますし私自身も劇的な展開やあざとい心理描写等を本作からは望んではいませんし程度の問題だと思いますが、話の本筋というものが掴みづらいと単なるサイドストーリーの集合体で成り立っている俳優や雰囲気で見せる作品という印象になってしまいます。 そこに少し上手過ぎる演出の弊害のようなものを感じてしまいました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-06-19 18:58:41)《改行有》

29.  ソーシャル・ネットワーク 《ネタバレ》 見始めて少し経ってから、「フェイスブックの映画だ」と気付きました。 フェイスブックそのものに興味は有りませんが、ジェシー・アイゼンバーグの演技に説得力を感じて作品に引き込まれていきました。 主役の彼が演じるマーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げるきっかけや拡げて行く理由の殆どは負の感情から来ています。 物事の行動原理は主に欲望や感情に起因していますが、天才が世の中の新しい常識を創るような発明も凡人と何ら変わらない理由がきっかけとなっているのは面白い所です。 バーニングマンというアートイベントも彼女に振られた男の行動がきっかけで始まったという話も思い出しました。 そんな天才マークが作中唯一表情を緩める相手は友達のエドゥアルドでも彼女のエリカでもなく、ナップスターを立ち上げた山師のショーンです。 エドゥアルドがフェイスブックを単なるビジネスツールと考えていたのに対して、ショーンはフェイスブックを『クール』なものとして捉えています。 マークにとって彼のプライオリティの頂点に位置するフェイスブックを肯定し、その本質とも言える部分を見抜く事の出来るショーンは最高の理解者と言えたのではないでしょうか。 また、マークにとっての『クール』とは彼の最大のコンプレックスで、フェイスブックに『クール』を見出したショーンに無意識のうちに傾倒していくのは極めて自然な事だと思います。 ショーン・パーカーは欲しがっている相手に最も欲しがっている物を与える天才として描かれています。 彼の周りにいつも女の子が居るのも納得です。 物語はフェイスブックの成功の過程と並行して、この3人にウィンクルボス兄弟を加えての醜い人間ドラマを描いています。 フェイスブックを立ち上げた理由がもっと社会的に意義の有るものだったらここまで酷い事にならなかったのではないか等と甘い理想論の様な考えを抱かせる程に彼等の争いは虚しく映ってしまいます。 ジェシー・アイゼンバーグの演技や編集、音楽、タイムリーな話題性等の優れた要素を軸にテンポ良く色々なイベントを矢継ぎ早に見せてくれますが、正直内容的には見終わってからも印象に残るものは余り有りませんでした。 脚色はされているものの実話という事で話に惹きつけられますが、もしフィクションだと仮定してしまうと物語自体はそれ程魅力のあるものではないように感じます。 作中では上記の登場人物の中でもエドゥアルドが最も好意的且つ良心的に描かれていると思います。(マヌケな部分はありますが) マークと彼の間の示談条項は非公開で彼は本作の監修に携わっているとの事です。 条項内容に映画製作等があった場合、他の関係者を除外しての単独検閲権限も含まれていたのではないかと勘繰ってしまいます。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-06-15 19:06:26)(良:2票) 《改行有》

30.  マイ・バック・ページ 《ネタバレ》 話自体はまあまあ面白いのですが、作品の核となるテーマが掴みづらいので長尺で抑揚の余り無い本作は、話が展開していっても客観的にしか見られないので少々ダレ気味になってしまう箇所も有ります。 作品を俯瞰的に見ている観客には梅山も前園も『本物』でない事は簡単に看破できます。 目的は自己顕示で、思想は空っぽで、行動はノリです。 過激な思想家というより打算的な夢想家という感じに描かれています。 その時代を代表する様な連合赤軍の実録本等を読み彼等の内情を理解すると、革マル派等とうそぶいていた左翼を平均化した人間が、梅山という中身の無い無駄に言論武装したキャラクターの様に感じます。 東都出版の先輩記者達が梅山を『偽物』と見抜くのに対して、CCRの曲を一緒に歌う事で共通のアイデンティティを見出し、その程度で沢田が梅山にシンパシーを感じてしまう表現等は大人と子供の間にある壁や、沢田の幼さを上手く描いていると思います。 しかし、沢田も徐々に梅山の人間性に疑問を抱く様になり「君は誰なんだ」と問い詰めます。 結局、梅山にとって沢田は都合の良い道具でしか無く、騙され、利用され、裏切られ、それが原因で沢田の青春の1ページであったマスコミでの仕事も辞める羽目になれば、沢田の悔しさは計り知れないものだったと思います。 月日が流れて沢田は居酒屋のカウンターを挟んで偶然タモツと再開し、彼と過ごした日々を思い出しながら語り合い、そして気付いたのではないでしょうか。 潜入取材という利己的な目的で自分の素性を偽りタモツに近づき彼を利用して、罪悪感を感じつつも記事を書いた事を。 ウサギを真剣に売っているタモツの横で彼のしている事とその状況を笑いながら傍観していた事や、ウサギを死なせてしまった事をお金で解決しようとした事を。 結果こそ違うが自分がタモツに対してとっていた行動は、マスコミという世界と真剣に向き合っていた青春の1ページの中で、梅山という身勝手な人間が青臭い自分に対してとった侮辱にも値する行動と同じだったのではないか、という事を。 そして今までその事に気付かなかった自分の浅はかさを。 勿論そんな事を当時も今も知らないタモツが、キリストにあげたスーツを本当は沢田にあげようと思っていたと言われれば彼が泣いてしまうのは当然だと思います。 大人の男が泣く事の伏線をもう少しぼかして気付くか気付かないか、このシーンを見て思い出す程度に上手く張って貰えれば私も一緒に泣く事が出来たであろうし、泣きたかったので残念です。 重要なシーンへの伏線を明確にさせ過ぎると逆に冷めてしまいます。 私自身も今まで気付かぬままに、『青春』や『若さ』という未熟な思い込みの特権で、『我武者羅だったから』とか『周りが見えていなかったから』等の言い訳にもならない様な理由で、他人の世界を踏み荒らしたり、その人自身を傷つけたりして来たのではないかと、鋭く問い質される様なラストのシークエンスは泣き崩れる主人公に自分を重ねずにはいられませんでしたし、作品的にも瞬間的に引き締まったものにして切ない余韻を残しつつ上手に纏め上げられていると思います。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-06-12 19:06:38)《改行有》

31.  網走番外地(1965) 《ネタバレ》 冒頭の如何にも顔見せ的な受刑者が順番に言う一言コメントや、風呂に入る前の一発芸大会や台詞等に違和感を覚えるシーンは多少有りましたが、本作を見ながらタイガーマスクや巨人の星を子供の頃に見た時にも「昔のアニメは言葉遣いや見せ方がヘンテコだなぁ」と感じた事を思い出しました。 制作されたのが共に昭和40年代前半という事なので、私が感じた違和感とは演出的な問題ではなく時代的要因から来る古さなのでしょう。 脚本自体のプロットは上手く出来ています。 回想シーンが唐突に入る等の印象は有りますが全体的にテンポは良く、如何にも弱々しい年老いた阿久田が鬼寅だったという一連の展開は俊逸です。 作品が始まる前の解説で鬼寅の正体を自称映画好きという元アナウンサーがしれっとネタバレさせていたのには本当にガッカリしました。作中の登場人物を軽く凌駕する一番の極悪人です。 俳優達も受刑者を活き活きと演じています。 田中邦衛さんはやっぱり田中邦衛ですし、嵐寛寿郎さんの前述のシーンには重厚な迫力を感じます。 権田の不愉快で気味の悪い人間性は見ていて本当に不快でしたが、逆に南原さんの演技力の高さという事だと思います。 モノクロというのも予想外でしたが、雪と対象物のはっきりとした強めのコントラストが美しく、ジム・ジャームッシュ作品の様なすっきりとした映像になっています。(勿論、本作の方が早く作られています) また、迫力溢れるシーンでの映像はこの作品を質の高いものにしている特筆すべき要素だったと思います。 トロッコでの追跡劇や汽車で鎖を切る一連の編集やカメラワークはスピード感や臨場感が有りましたし、食い入る様に見てしまうシーンは他にも多々有りました。 真っ白な雪の中でお互いに鎖で繋がれた、ある意味自由の効かない橘と権田が殴りあうシーンに、無限に広がる大空の中を自由に飛んでいるカラスが争っている様なカットが何度も差し込まれますが、まるで争う事は状況が原因ではなく闘争本能という逃れられない生き物の性が原因であると言っている様で虚しさすら感じてしまいます。 ラストでは大怪我をした権田を病院に連れて行ってくれるなら何でもすると人間的な良心を示す橘の要求に監察官の妻木が了承し、それに加え脱獄犯の2人に対して銃すらも携帯せずに同伴する妻木の行動に嬉しさが込み上げて来る橘が病院に行く為に馬を走らせる姿で終わります。 恐らく家族以外から信用を得た事のない橘が初めて他人から信用して貰えたであろう人間の根源的な喜びを、高倉健さんが子供の様な表情で見せているこのラストシーンはとても印象深いものになっています。 古くても時代を感じさせない優れた作品は有りますが、本作は時代の古さを感じつつも優れた作品になっています。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-06-04 20:00:56)《改行有》

32.  ブラックホーク・ダウン 《ネタバレ》 ソマリア内戦への米国の軍事介入を総体的な視点ではなく、モガディシュでの局地戦をあれだけの映像で米兵同士の絆の人間ドラマと共に描けば、米国万歳とまでは行きませんが明らかに戦争も米国も肯定している昨品だと感じてしまいます。 それは、冒頭のプラトンの『死者だけが戦争の終わりを見た』という言葉でも解ります。 拡大解釈すれば生きている者は誰も戦争から逃れられないという意味です。歴史年表を見れば明らかです。 戦う事は善悪の範疇ではなく世の常だという様な偉大な過去の哲学者の言葉は、戦争を生業の一部にしている米国からすればこれ以上ない後押しになりますし、本作は完全に米国からの立場で米国中心に描かれていますが、逆に潔ささえ感じます。 やってきた事と撮っている事が違うという様な中途半端な客観視による反戦的な道徳観の押し付けより、やってきた事を主観で思いっ切り撮りましたという本作の方が正直好感を持って見る事が出来ます。 作品に関わった人達も(監督は英国人ですが)実際に戦った米兵も、彼等の主観から見れば米兵とソマリア民兵の命の重さは違うと考えるのは当然ですから、作中の様な敵か味方で差異のある描き方になるのは自然な事だと思います。 ある意味戦争とは命の価値の差別化が無ければ成り立ちません。 本作はそれすらも忠実に表現しているのかもしれません。 逆の立場から撮ればソマリアの解釈で撮るだけの事です。 どっしりと軸足を米軍に置いたことで、見方によっては純粋な戦争映画になったのではないでしょうか。 戦場映画といった方が良いかもしれません。 ヘリからの機銃掃射でM134の焼けた薬莢が雨のように降って来てエヴァーズマンの服の中に入ってしまうシーンや、オシックが落ちている誰かのちぎれた手を反射的に自分のポーチに入れてしまったり、サンダーソンが上官の話を上の空で聞いているシーン等、説明もなく一見意味もない様な演出にリアリティを感じてしまいます。 この様なシーンと迫力のある戦闘での映像が相まって作品に引き込まれていきます。 また、戦場真っ只中で命令に翻弄されながらもそれに従い命懸けで奔走するマクナイト、任務とはいえ上空で命令と状況を現場と司令部に伝える事しか出来ないマシューズ、泥沼化する状況を把握しながらも苛立ちと苦悩を募らせながら次々と命令を下すガリソン等を、対比させながら見せる演出は俊逸です。 敵と味方の間に埋める事の出来ない深い溝が有る様に軍内にも格差があり、それが直接生死の差に繋がる描き方には言葉を失います。 戦場で戦う事に淡い理想を見出そうとしたエヴァーズマンに対して、最後にフートは帰った方が良いといった様な趣旨の台詞を言います。 そんな彼の戦う意味とは仲間の為というもの迄に簡略化されています。 思考をそこ迄削ぎ落さなければ生き残れないのではないかと感じさせる程に、十分な戦場の描写に本作はなっていると思います。 米兵19人の犠牲に対してソマリア民兵ではなくソマリア人の犠牲者が1000人という所が気になります。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-06-02 17:09:39)(良:1票) 《改行有》

33.  昭和残侠伝 死んで貰います 《ネタバレ》 この手の任侠映画をちゃんと丸々一本見たのは初めてでしたが、かなり良かったです。 役者さん達の着物の着こなしや台詞の日本語が自然で美しく、見ていて気持ちが良かったです。 任侠映画の必須項目である義理や人情をこれでもかというくらいに全編を通して表現されていますが、教訓としてではないので説教臭くなること無く見ることが出来ました。 女将さんが義理の息子と知りながら接していたことや、駒井から幾太郎を守るために秀治郎が叱責し、更に秀治郎を守るために重吉が飛んで来てぶん殴るシーン等は逆にストレート過ぎて妙な安心感と同時に心に響くものがありました。 駒井が勧進帳の富樫左衛門になる訳が無いのは解っていますが最後まで本当に嫌な奴でした。 諸角さん、良い意味で最悪です。 湿っぽい浪花節の中で長門さんのコメディリリーフ的なひょっとこの松は非常に効果的でした。 12年間位の話ですが急ぐ事無く調度良いテンポで、シンプルですが一つ一つの内容を丁寧に描いていたのでとても見易かったです。 秀治郎が幾太郎に初めて出会ったのも雨、刑期を終え再開したのも雨、警察に連行され離れ離れになるラストのシーンも雨、日本人には『雨』という情景だけで伝える事が出来るものがあると思いました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-05-03 19:23:43)(良:1票) 《改行有》

34.  ヒート 《ネタバレ》 ハリウッドを代表する2大俳優を警察と犯罪グループにそれぞれ配役することで、一本の映画の中に2つの物語を通常の2倍ではなく1.5倍の尺に収めた結果、正直描ききれていない部分はあったと思います。 アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの演技も彼等の雰囲気やモンタージュ的なアップに頼っていて、特筆する程では無かった様に感じました。 登場人物達の男女関係を中心とする人間ドラマも、浅くはないものの全体的には中途半端に映りました。 しかし、それらをあくまで付加価値と捉えて犯罪バイオレンス、アクション刑事ドラマと見ると非常に面白かったです。 裏切りと信頼、策略と報復、逃亡と追跡等を、迫力のある映像・効果音の派手な銃撃戦や、それぞれの登場人物の物語を絡めて丁寧かつダイナミックに描いていたと思います。 前述した通りそれぞれの人間ドラマは深くは無いですが、各シークエンスの伏線や説得力としては十分ですし、それによって作品自体を濃密なものにしていると思います。 犯行グループと警察がそれぞれ結構がんばって計画を立てていますが、結局はほぼ双方とも毎回上手くいかずに破綻しますが、返ってそこからの力技での展開が楽しめました。 ラストでニールが死に際にヴィンセントの手を求めるシーンは印象的でした。私も自分の死に際を無理矢理に想像すると、人のぬくもりを求める行為は普通にあると思いました。 互いに『熱気』を漲らしていた2人が、決着を着けられた相手に『ぬくもり』を求めるのに対して、決着を着けた相手に迷いなく自然に応じる姿は、極限状態を渡り合った結果の男同士には異なるものは立場だけだとでも語っている様でした。 また、ラストカットの背景に対する人物のフレーミングと光のコントラストは絶品です。 ここまでカッコ良い映像のラストカットは他に余り思い当たりません。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-05-01 02:20:41)《改行有》

35.  ザ・マジックアワー 《ネタバレ》 過去の映画作品のパロディやオマージュをふんだんに挿入して誤魔化さなければ恥ずかしくて描けないような使い古された設定と展開ですが、そこまでこのプロットに拘っただけの事はあり大変面白かったです。 地に足が着かないで浮ついているが緩すぎない世界観が話の展開や登場人物のキャラクターを無理の無いものにして見易くしてくれていますし、この様に笑うために調度良い世界観を作品を通してキープして貰えるのはコメディ映画を見るに当っては非常に助かります。 監督の行き届いた演出に依る所が大きいと思います。  他のレビュアーの方同様、佐藤さんの絡んだシーンは非常に魅力的でした。 コメディパートでは、大根役者が下手に演じている事が面白いのではなく、演じる内容が面白くそれを村田のアクの強さで際立たせているといった感じで、見ていて大笑いしてしまいました。 騙されて演じているシーン、騙されていると気付かないで備後やギャング達と過ごしているシーン、騙されていたと気付いてからのシーンのそれぞれのシチュエーションに適した演技を大胆かつ微妙な加減で演じ分けているのは素晴らしかったです。 また、ゆべしの現場で屈辱を受け、雨が降る夜のセットのスタジオの扉を開け、現実の昼間の世界に出て行く後ろ姿が光の中に溶け込むシーンや、劇場で自分が写っているスクリーンを見て感極まってしまうシーンなどはとても印象的でした。 小日向さん演じるマネージャーがいつも村田の味方になっていたのも見ていて好感が持てました。  しかし、戸田恵子さんの役どころはいちいち面倒臭かったですし、高瀬と村田の会話はくどくて長過ぎるように感じました。 いっそ、「マジックアワー」というタイトルの拘りを捨て、その辺りのエピソードも変えてスッキリさせた方が良かったのではないかと思ってしまいました。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-04-27 00:22:27)《改行有》

36.  沈まぬ太陽 《ネタバレ》  JAL…あっ、ごめんなさい。NALは動物園の動物の様でした。 獲物を狩る努力ではなく、国の役人という飼育員から補助金という餌を貰い、それを奪い合う事に力を注ぎ、余った餌は飼育員の私服のポケットに返すといった印象です。  組合長の恩地の運行安全の為に賞与を上げるという理屈も詭弁に聞こえました。賞与アップと運行安全は直接繋がらないと思います。 もし、本気で安全性向上を考えるのなら、賞与の差額分で整備員を増やしダブルチェック体制を取るとか、整備機材などの設備投資に廻した方が現実的だと思います。  市場からの売上げのみで運営している一般の会社から見れば、労使交渉も含めて、JAL…あっ、ごめんなさい。NALは、お気楽な会社ごっこです。  作品自体は原作未読という事もあり楽しめました。長尺な時間も気にならず、役者さんの演技や配役も良かったと思います。 宇津井健さんの演技は安定していましたし、憎しみを持って見てしまうほど三浦友和さんも仕上がっていたと思います。  恩地が息子と牛丼を食べているシーンや、娘婿の親と喧嘩して手を繋いで奥さんと戻るシーンは良かったですし、特に八木の転落していく過程の中で、組合運動で自分が輝いていた頃の写真を縋る様に見つめ、現実から逃避している姿は、私も八木と同様に、主人公の様に強い人間ではないので目が潤んでしまいました。初めて香川照之さんという役者さんが良いと感じました。  映像に奥行きが無くのっぺりとしたカットが多い印象でしたが、社会派ドラマとしてなら許容だと思います。 唯一CGが悪い意味で際立っていました。調子が悪かったのでしょうか。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-04-13 15:49:34)《改行有》

37.  バグダッド・カフェ 《ネタバレ》  ホリー・コールの「コーリング・ユー」は持っていますが、やはり、こちらのジェヴェッタ・スティールの方が格段に良いです。遠くの方で虚空に向かって歌っているような、無機質にも聞こえるが凛とした歌声は作品にも合っているし、単体でも素晴らしいです。  フェルナンド・ボテロの絵から抜けだしたようなドイツ人のおばさんと、全方向に見境なく攻撃する黒人のおばさん(夜中に布団たたきで干してある布団を叩いたりはしませんが…)の友情のお話でしょうか。  この2人が作品を通して、徐々に魅力的に成っていきます。  舞台が砂漠という事もあり、殺伐さと気だるさの中で、微妙で不安定な人間関係がゆっくりと繋がって好転していくのは心地良かったです。  作品後半は人間関係が好転しすぎて、俗っぽく成ってしまったように感じました。前半の雰囲気にもう少し浸っていたかったです。  そんな時に、彫師の姉御が「慣れ合いすぎ…」と言って出て行ってしまいます。思わず私は「ですよねぇ~、この後あなたがメガフォン取ってくれませんか?」と、劇中の人にパラドックス的な事を思ってしまいました。 百円ライターを透かして見ているような世界や、感度の違うフィルムを使って撮っているアナログチックな映像の効果、個々のカメラアングルの切り方など、見ているこちらの意識をほぼ持って行かれるくらいにセンスが良かったです。 主人公のジャスミンが「手のひらは白いのね」と、ブレンダの娘のフィリスに聞き「カワイイ?気に入っているの」と、言うシーンは、ちっちゃな仲良しの子供同士の他意のない会話のようで特に印象に残りました。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2015-04-11 15:22:00)(良:1票) 《改行有》

38.  南極料理人 《ネタバレ》  冒頭の逃走シーンで吹雪の中にも係らず、カメラが寄った画で風は全く吹いてなく、とってつけたような眼鏡の雪などを見て、「ディテールも何もあったもんじゃない…ヌルいなあ」とか思いながらも見続けていると「なるほど作品全体がヌルいというか緩いんだ、しかもかなり」という事が分かってきます。どちらかというと、良い意味で。 舞台が南極となれば屋外は極寒。閉鎖空間での話となるのは必然ですが、同じ閉鎖空間の酸素と気圧のない宇宙でのそれとは全然違い、天気の良い日は外で野球をしたり、夜中にパンイチでほっぽり出されたり、みんなで記念撮影等々、我慢しようと思えば我慢できちゃうレベルで、閉塞感も緊張感も殆ど無いです。良い意味で。 このユルユルで緊張感も殆どなくエピソードの羅列とも言える、ほぼ起伏のないドラマから逆に監督の気概が見えてきます。 引き算の演出を全編通してしている結果、余白の多い作品になっていますが、詰め込み過ぎのD難度の技を狙って骨折する様な事は無く、こじんまりと纏まって掴み所は無いのですが分かり易いコメディーに仕上がっている印象に思えました。 屋内では必然的にカメラとの距離が短くなる役者さん達の信頼できる抑えた演技に頼り、屋外では逆に失笑を誘うかの様にロングショットを多用して状況を傍観させています。 俳優陣は全員、間延びした隙だらけの、俳優同士のコンビネーションに重きを置いた演技が心地良く、特に主演の堺さんは勿論ですが、オールラウンダー的に演技の出来る豊原さんが本作でも特出していた様に思えました。 物語は男子校の昼休み的なかなりくだらない男8人の群像劇。 作品の構成上、飲み食いのシーンが多いのですが、そうなると西村くん以外の7人は必然的にオフショットになるので結構なダメ人間に見えてしまいますが、好きで来た人は元よりそうでない人もなんだかんだ言いながら仕事は皆さんちゃんとやっていたと思われます。 そうでなければ極寒の地で必要最低限の人数で構成された隊は生き延びる事は出来ないでしょう。 料理人の仕事は食材に付加価値を付けて食べる人に提供する事です。 そう考えれば西村くんはかなり頑張っていたと思います。 ですが、上手に観測が出来ても褒めてもらえない様に、おいしいゴハンを作っても褒めては貰えません。 「うまい」の一言はラストカットへの伏線として使って無いのですが、その為に作中では少し不自然に映るきらいもありました。 手作りラーメンエピソードでは、やはりタイチョーが1番幸せそうに見えますが、結構頑張って料理を作り、それを食べるみんなのリアクションに目を配っていたそれまでの西村くんを見せられていると、みんなの為にラーメンを作る事が出来るという事自体がタイチョーと同じか、それ以上に幸せだったのではないかと思ってしまいます。 そう思ってあげなければ、ピーナッツの使い方でしか褒めてもらえないのでは少し気の毒です。 観測期間が終了して誰もいなくなった厨房に『ドアの閉め忘れに注意』と書かれた張り紙が、手を離せば勝手に閉まるスウィングドアに最後まで貼られているカットを見てなんとなく本作を象徴していた緩さに感じました。[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-04-03 17:02:44)(良:1票) 《改行有》

39.  思い出のマーニー 《ネタバレ》 内向的で自己嫌悪の強いローティーンのあまり可愛くない主人公の女の子には好感が持てました。 自分に通ずる所が少なからずあったからだと思います。 彼女がどの様に、また、どの程度変わっていくのかという話なのは明白なのでその辺りに注目しながら観ていました。 杏奈の自己嫌悪による孤独、孤独を受け入れる事での対人否定、それによる苦悩等は痛みとして伝わってくる程の描写だったと思います。 マーニーが出てくる世界と現実の世界のあやふやな境界の表現などは良かったと思いますし、マーニーと会っているうちに少しずつですが杏奈に表情が戻り、他人と自然に言葉が交わせるようになっていく行程は丁寧に描かれていたと思います。 しかし、置いて行かれる事にトラウマとも言える程の拒絶感を持っている杏奈がサイロでマーニーに置いて行かれた事を何故許す事が出来たかという心理的描写や論理的理由が無かったように思えます。 『ふとっちょブタ』と罵られた相手が手打ちにすると言ってきた提案を許す事が出来なかった彼女が、それとは比にならないくらいの事柄と大事な相手に対して許したのなら『ふとっちょブタ』事件からのそれに見合った大きな成長がなくてはいけないと思いますが、そのような大きな成長過程は描かれていない為に、杏奈と作品自体にかなり重要なターニングポイントとなるこのシーンに全く説得力を感じる事が出来なくなってしまっています。 この辺りから不安定な10代の主人公を繊細な描写で描いていた前半の良い雰囲気は姿を隠して杏奈とマーニーのドラマティックな関係を紐解く事に軸足が移ってしまいます。 また、肉親関係にした為に2人が出会う事に運命的な必然性が生まれて遅かれ早かれ、なるようにしてなったという予定調和的な話になってしまい、物語としての不確定要素による緊張感が薄れて、閉じた世界の他人の家(ひとんち)の話になり最終的には客観視で捉えてしまう割合が大きい作品になってしまった印象で私としては残念でした。 個人的には杏奈とマーニーは似たような境遇を違う立場で経験した他人の方が良かったと思います。[地上波(邦画)] 7点(2015-12-29 21:26:59)(良:2票) 《改行有》

40.  桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 前半の同じ状況を異なった視点から見せる幾つかのシークエンスではマルチカメラで撮っているかのように俳優さん達の細かなアクションを再現している演出は、若くて繊細な登場人物達の内面を丁寧に描いているようで好感が持てました。 社会人の人間には友達が部活を辞めて周りの仲間がドタバタと必死で走り回っている姿に「平和だな~」とか「学生は良いよな~」とか思ってしまうかもしれませんが、学生時代を振り返ってみるとこれはこれでかなりの重大事件なのは理解も出来てしまいます。 20代には「渡辺、現金でマンション買ったってよ」だったり、40代には「吉田課長γ-GTP300超えたってよ」って感じなのかもしれません。 学内のヒエラルキーを部活や運動神経、容姿等に基準を置き、それらの高い者に迎合するのが普通で、そうでない者はマイノリティーとして独自のコミューンの中で過ごしていく描写も説得力が有るように思いました。 見ようによっては社会の縮図とも写ってしまいます。 そんな中で野球部キャプテンの飄々としたキャラクターは良かったです。 きっと彼は運動神経抜群であると同時に、進むべき方向を見失っている宏樹が野球部に戻って来るのを見届けてから引退を考えていたのではないかと思いますし、それを彼に緩く導く事が最後の仕事であり、それが野球部と宏樹の為に自分が出来る事と考えていたのかもしれません。 個人的なキャプテン贔屓の解釈でも有りますが…。 そんな想いを隠して「ドラフト発表まで引退しない」と、はぐらかして言える彼はやはりキャプテンの器ですし、学生の頃の一学年の違いの大きさを思い出さしてくれる所にもまた説得力を感じてしまいます。 桐島と前田というヒエラルキーの対極にいる2人が周りの迷惑を顧みずに取った行動の結果、桐島の描写はないので判りませんが前田が事後に見せる輝いた表情は間違いなく勝ち組のそれですが、逆に桐島一派の混乱は彼への依存度の大きさと彼等の主体性の無さを表していて話の中心である彼等がその他大勢以外の何者でもないといった見せ方は良かったと思います。 丁寧な演出で展開されていたと思いますが、前田と宏樹の屋上での会話に象徴されていた様に全体を通して抽象的とまではいかない迄も具体的表現はあまり無いですし、ラストも8回サスペンデッドでいきなりアナウンス無しでゲームセットのような淡白な感じの終わり方なので、それ程印象には残らない作品になってしまったようにも思えました。[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-12-29 02:24:10)《改行有》

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