みんなのシネマレビュー
K&Kさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 821
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142

441.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 キリシタン迫害の映画。拷問の痛々しさと、逃げ道も救いもない流れが想像できるので、重たい気持ちで鑑賞。 劇中、キチジローが日本を国として考えてるのとか、村人から番人まで流暢な英語を話してるのとかは、映画らしいディフォルメと考えるにしても、ここまで日本と日本人が違和感なく反映されたハリウッド映画が出来てくることに、時代の変化を感じる。 ディフォルメ表現はあっても、クリスチャン→切支丹、パードレ↔伴天連、パラダイス→パライゾなど、当時の日本で使われていただろう単語はそのまま残しているところが、よく研究して創っているなって感心させられる。 テーマは重たいけど思いの外エンターテイメント作品としてグイグイ惹き付ける内容で、言葉の通じない(とは言えないけど)敵だらけの異国の地で、役人から隠れながら布教活動に務める2人の神父の勇敢さ。切支丹を迫害する悪として登場する役人だけど、そうするに至った理由が語られるたび、ロドリゴ神父への対応を見るたび、日本がしっかり考えた上で、キリスト教を拒否した経緯が観えてくるのが興味深い。 本編とは関係ないけど最初のジェダイ、クワイガンを探しに、最後のジェダイ、ベン・ソロが旅立つ流れは勝手に胸熱。 誤解して、あるいは故意に誤解させて広まった日本のキリスト教。ロドリゴ自身の信仰と、眼の前の信者の命を天秤にかけた説得、棄教を迫るやり方。拷問の残忍さ。何が正しいのか解らなくなってくる。波に打たれても賛美歌を歌い続けるモキチの純粋さ。死を覚悟してもパライゾを信じるモニカの真っ直ぐな眼。どう考えても一番可愛そうなのは末端の切支丹たちに思える。 忠庵の話はなんか納得。ザビエルが“神の御子(SON)”を“大日=太陽(SUN)”と教えた下りは、八百万の神を信じ、その頂点に天照大御神(大日)を置く日本古来の考えとマッチした…と言うか寄せてきたんだなって。科学技術も宗教の研究も進んでるポルトガル人が、村人一人ひとりに寄り添って「この教えが正しいんだよ」と言えば、普段顔も見られない殿さまと、その下の役人に足蹴にされて、重たい年貢を強いられる村人は「そうなのかぁ、知らなかったなぁ」って信じただろう。踏み絵の際の「カタチだけで良い」は、悪魔の甘い囁きなんだろうか。キチジローのように踏んだ者への扱い(放免)を考えると、本当に出来る限りの譲歩はしていると思える。日本に限らずキリスト教徒はこの映画をどう観るのか。 日本は無宗教の国家だけど、宗教を信じている人は人口の2~3割。だけど各宗教団体の信者数を足すと2億人を超えるらしい=人口の約2倍。これも正しいのかどうかわからないけど、キリスト教を拒否した結果、日本は植民地支配を免れたのかと思うと、宗教の必要性とか役割について、色々考えてしまうなぁ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-05-22 14:35:54)(良:1票) 《改行有》

442.  セッション 《ネタバレ》 -Whiplash-“鞭打ち”というジャズの曲名であり、ドラマーの持病とも言えるむち打ち症であり、文字通り鞭で打つことでもある。 すっごくストレスを感じる映画です。フレッチャーの中にしか正解が無く(…いやそもそも正解なんて無いと思う)、どうすれば認められ、どうすると怒られるのか解らない練習風景は、逃げ場のない拷問にしか思えない。あのやり方で、本当に優秀なプレイヤーが生まれるのか疑問。 認められて自信を付けて、勇気出して好きな子に告白して、付き合って、一方的な思い込みで振るアンドリュー。なんて人付き合いの下手な奴なんだ。 人を罵倒し、自分の才能が認められることだけに前向きな主人公に、才能があればキャリア関係なく入れ替えて、とことんシゴイて競わせる指導者。 こんな自分のことしか考えてない人たちの映画にどうしてセッション(演奏者の集まる様子)て邦題を付けたのか。 のんびりと生きて来た私には、自分をとことん追い込むアンドリューにも、他人をとことん追い込むフレッチャーにも全く共感が出来ず、ただただストレスを感じ続ける鑑賞時間だった。大事なコンペのために負荷を掛けられて、自分にも負荷を掛けて、偶然の不幸に足を引っ張られ、それが悪い方に破裂して…何ともスッキリしない、モヤモヤする結末。あんなに頑張ったのになぁ… そこから後日談的な和やかな再会シーン。ここからが本番と言わんばかりの詰め込まれた展開は予想外で、ホッとしたのも束の間、ゾッとして、観てるのが辛くなって、ソレぶち壊してしまえ!って気になって、興奮して共鳴した。スゴいラストを用意したものだ。 この最後だけまた観たい。けど、絶対最初から観て、ストレス溜めたほうが、絶対最後盛り上がるんだよコレ。[インターネット(字幕)] 8点(2022-05-19 22:16:53)(良:1票) 《改行有》

443.  ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 《ネタバレ》 -Rogue Nation- “無法国家”ローグ・ワンのローグ(=ならず者)ですね。 TVでやってるのを録画して観て、イマイチ乗れなかったんです。 吹き替えのせいかな?体調のせいかな?なんて思って、今回BSでやってたのを再視聴。れれ?やっぱりイマイチ乗れない。 前作の最後に出てきた『シンジケート』なる組織が今回の敵。OPの飛行機ぶら下がり、体を張った撮影風景も何かで見たので感心して観られたし、スピード感満点のバイクチェイスも格好良かった。防弾ガラスにレーンを閉じ込める“仕返し”もイイ。 けど、全体的に乗れなかったのは、たぶん“IMFvs敵組織”じゃないからかも。 今回はIMFが解体されてCIAに吸収される。-24-のCTUや、極端な話ウルトラマンの科特隊と同じくらい、スペシャリティな組織だったIMF。それが実在するCIAの傘下となると、途端に現実的になったというか、魅力が失せたように感じてしまった。 今までもイーサンのワンマンな活躍は描かれていた。けど彼を支えているIMFという夢の組織があってこそ、魅力的な能力を持ったサポートメンバーがあってこそ、イーサンの活躍も光るものに思えてた。 でも今回はサポートメンバーもルーサー、ベンジー、ブラントと過去に見た顔ばかり。前に活躍した仲間だけだから『この人はどんな能力があるんだろう?』とか『コイツ裏切るんじゃないのか?』とかってのを期待できるメンバーが居なかった。イルサはMI6だから、何をやっても外様だしね。 私個人は、IMFが魅力的じゃないとこのシリーズが楽しめないのかも?と自己分析。 イーサン=トムが活躍すれば喜ぶ人もいれば、IMFが暗躍する世界観が好きな人もいる。今後も本作のような流れで続けるなら、いっそ『ミッション・インポッシブル』ではなく『イーサン・ハント』にタイトルを変えてはどうだろうか?なんて思ったり。 レーンの最後、映画としてはアレで良かったと思うけど、あれだけ秘密裏に世界中に悪の手を広げていた組織のボスなのに、防弾ガラス撃つなんて無駄なことするくらいなら、その銃で自殺して、シンジケートの謎を闇に葬るくらい出来たろうに。[地上波(吹替)] 5点(2022-05-18 21:47:25)《改行有》

444.  JSA 《ネタバレ》 -JSA- =Joint Security Area “共同警備区域”南北朝鮮の境界線ですね。 血生臭い事件から始まり、何故そんな事件が起きたのか、過去に遡って徐々に紐解かれる真実。何でそうなってしまったのか。先に結末を知っているだけに、話が進むにつれ悲しい気持ちになる。 南と北の兵士たちの交流。突飛に見えないように、地雷除去からタバコの交換と、最前線の兵士の意外な暮らしが描かれていて、“平時の敵国兵士との付き合い方って、案外こんな感じかもな”なんて思わせてくれる。 南北に分断されたばかりの'40年代とかならともかく、ごく最近の1999年10月の事件と考えると、さすがに監視カメラだってあった時代だろうし、無線の定期報告も入っただろう。北と南があんな徒歩で渡れる橋で結ばれた距離なのに、警備兵2人に任せっぱなしなんて、リアリティ面から考えにくい。大の男が4人集まって遊ぶとしたら、ギャンブルさせとくのが一番リアルだろう。 それがこの4人、無邪気に子どもの遊びばかりやってる。あぁそうか、これは現代版のおとぎ話なんだ。 同じ言葉を話す民族が、戦争の勝者の事情で南と北に分けられ、大人になると徴兵され、憎くもない相手に向かって銃を向け合う。その真相究明を、北にも南にも行く事を拒んだ者の子ソフィーが担う。戦争の爪痕、現代の朝鮮半島の縮図。 「双方が望んでいることは、この事件が曖昧になることだ」ソフィーの上官が言うように、事実を突き付ける事は新たな悲劇を生んでしまう。 ソンシクの死の真相。曖昧にしていた真実が、北でも南でもないソフィーの何気ない一言で暴かれる。友人を殺した事実と向き合い、自殺を選ぶスヒョク。 過去に同じ民族で殺し合った事実、今後再開するかもしれない南北戦争。双方が立ち入らない最前線の共同警備区域がクッションとなり、同胞同士、直接殺し合った過去の事実を曖昧にしているんだろう。 平時においては、曖昧にしておかなければ成り立たない現実。せめておとぎ話の中だけでも、無邪気に遊んでいてほしい。 そんな気持ちで映像化されたのかな。良い映画です。[インターネット(字幕)] 8点(2022-05-17 23:48:30)《改行有》

445.  ローマの休日 《ネタバレ》 -Roman Holiday-  “野蛮な見世物” “他人を苦しめて得る利益” NHKのバラエティ番組で紹介されていたから、ご存じの方も多いだろうけど、古代ローマの王族や貴族が、娯楽として剣闘士の殺し合いなんかを観る様子。なんだそうです。原題については色々な解説があるけど、私はこの古代ローマの剣闘士に該当する存在がアン王女なのかな?って思いました。 誰もが羨むハズの王女という立場。なのに彼女の願いは庶民の当たり前の生活。 24時間自由がなく、決められたことしか言えず、病気の時以外休むことが出来ない存在が現代の王女。 そして王女を見世物として楽しむのが庶民。庶民が楽しむネタを集めるのが新聞記者。アン王女を見世物として新聞記事を書き、それが特ダネであるほど利益が挙がる。王族を金儲けと庶民の暇潰しのネタにする時代が来るなんて、古代ローマ時代には考えられなかったことだろう。 偶然出会った酔っ払いの女性がアン王女と知ったジョーが、真っ先に閃いたのが金儲け。雲の上の存在のアン王女が、一般市民と同じ事をして喜ぶ姿は、王族の地位を貶める大スクープになっただろう。 記者会見の別れ、アンとジョーだけの秘められた記憶。ローマ中を駆け回り、自由な生活を満喫するアン王女の無邪気な笑顔。許されない淡い恋。たった一晩の自由はアンに王女としての自覚を与え、ジョーを金儲けより大切なものに目覚めさせた。王女らしくない振る舞いを記録した数々の写真は、アービングの手によってアンだけの思い出となる。 “王女が一日だけ庶民になって羽根を伸ばす”なんてシンプルで脳天気な物語の様でいて、その奥には自分の立場を受け入れて生きていく、大人の女性の切ない別れが描かれている。アン王女のその姿が、デビュー間もないオードリーの、この映画をキッカケに人気女優として駆け上る姿と重なるから、一時の流行りものではなく、永遠に愛される作品にしているのでしょう。 最後に“ジェラート(アイス)のコーン食べずに捨てる問題”について記しておきたい。 私の年代だとZガンダムで初めて観た人が多いと思う。食べられるものを食べずに捨てるのは衝撃だった。まさかそのモトがローマの休日だったなんて…。 スペイン広場でジョーとの会話中、さり気なくコーンをポイ捨てするアン王女。『王族だからコーンが食べられると知らず、食器や包み紙の一種だと思って捨てた』説。なるほど、説得力と優しさが感じられる説だけど、花屋との可愛いやり取りを思い返すと、ジェラート屋にコーンを返したりせずにその辺に捨てるのもどうか?ジョーがコーンに無反応な所からも、これは後付の説っぽい。 『コーン食べないのが当時のブーム』説。「パジャマの上だけ着て寝るの~」なんてのに憧れるアン王女だけに、こちらのほうが正解っぽいかも。ただ場所が観光名所だけに、あそこでポイ捨ては後の世に与えた影響は大きかった。画面上あそこでジェラート食べてるのアン王女だけだし。そこはナマの情報に疎い王女が、雑誌で知った流行りモノを、ちょっとやってみたかった。って考えると、なんかとても可愛らしい。 このシーンの時計の針は有名だけど、花屋とのシーンと合わせて、長時間ジェラートを食べ続けたであろうオードリー。絶対食べ飽きてるにも関わらず、私たち庶民に『一生に一度でいいからスペイン広場でジェラート食べたい』って思わせる名シーンであり、舌を出してコーンの中まできちんと美味しそうに食べて見せるオードリーの姿が、新人らしくてなんとも健気。[地上波(吹替)] 9点(2022-05-16 23:12:06)(良:1票) 《改行有》

446.  七人の侍 《ネタバレ》 黒澤監督の全盛期の作品って、実は観たことが無くって(乱と影武者だけ)。何かこう『観る時には正座しなきゃ駄目かな?』なんて、“世界のクロサワ”って冠に自ら敷居を上げて鑑賞。 普通に大人から子供まで楽しめる娯楽作品だったことに驚愕。肩肘張ってたところ、一気に楽な姿勢を取り戻して、戦国末期の世界感を堪能できた。『その世界に入り込める』というのは映画では結構重要な要素で、最近の邦画だと特に演者が番組とかで観る芸能人に見えた瞬間から現実に引き戻される。だけどこの作品では、三船ではなく菊千代、志村ではなく勘兵衛と、まるでこの世界で生きているように思えた。 序盤、言葉の聞き取りにくさは感じたけど、案外慣れてしまうもの。聞き取れない言葉はすっ飛ばしても楽しめるのが娯楽作の醍醐味かもしれない。 二百七分という長時間も、一部:侍集め『侍を七人集める』 二部:準備『侍と百姓の掘り下げ』 三部:戦闘『残る野武士三十三人を斬る』と、綺麗に三部構成に分かれている。それぞれの達成条件が解りやすい。 登場人物の魅力も一際で、平八の薪割りは胴に入っていて、浪人生活の長さを感じさせるし、五郎兵衛の優しそうな笑顔は仕官先を探している浪人(第一印象が大事)らしい。 利吉の女房の表情に息を呑む。目が覚めても慰み者の身は変わらず。現実世界に希望も見出だせない虚しげな表情の美しさ。一転して驚き、恐怖、恨みの笑みに変わる。凄い。ここで初めて味方側にも犠牲者が出るが、最後はとても淡白だ。あんなに魅力的な人物が、何の余韻も残さずに呆気なく死ぬ。娯楽映画とは言え、死の緊張感がある。単身闇討ちを掛ける久蔵が無事帰ってきたことへの安堵と、勝四郎が代弁する魅力。子どもたちが七人の侍遊びをしたら、きっと菊千代役と久蔵役の取り合いだったことだろうな。 魅力的な登場人物と分かり易い物語。よく出来た娯楽映画で、とっても面白かったです。[DVD(邦画)] 10点(2022-05-15 23:21:13)(良:2票) 《改行有》

447.  ブリット 《ネタバレ》 -Bullitt- 人名。ブリット群って地名にもなってる。 中学か高校の頃にテレビで観て、これぞハードボイルド!マックイーンはカッコいいなぁって思わせてくれた作品。 フランク・ブリット=刑事。ロクに寝てないのに叩き起こされて仕事するところとか、食事がTVディナーや病院食だったり、まさに職業を擬人化したような人物。これで自分の不運をボヤいていたらダイ・ハードだ。タートルネックにホルスターぶら下げたスタイルも特徴があって、一時期の刑事スタイルの完成形だったように思う。 ストーリーをろくに覚えてなくて、今回久しぶりに鑑賞。オープニングがめちゃくちゃカッコイイ。撃たれて重症のスタントン刑事に付き添ったりは、その後の一般的な刑事ドラマだと、すっ飛ばしそうな描写だと思うから、この映画にリアリティを増す要因になっていると思う。 本作の目玉と言えるカーチェイスが中盤に挟まれる。マスタングとダッジ・チャージャーのアクションは確かにカッコいい。犯人グループが中年~初老の男というのは、今の目で観ると新鮮。最後の空港での追跡も印象的。滑走路で飛行機を横目に犯人を追うシーンは、想像以上に大変だったんじゃないかな。 '68年の作品で以降の刑事アクション作品に与えた影響は計り知れない。ただアクション映画の恒で、カーチェイスも空港のアクションも、後発作品に、より派手により大袈裟に上書きされていった結果、今の目で観ると目玉とするには物足りなくも思えてしまう。 やはり偽ロスが隠れ家の鍵を開けた理由がわからない。奥さんを助けるための取り決めとかだろうけど、物語がブリットの掴んだ情報だけで進むからか、観る側として消化不良に思えた。チャルマース上院議員も、もっと事件に絡んでたんだろうけど、ブリット視点だから説明不足なのかな。その辺も“刑事=警察組織の歯車”を描きたかったんだと納得するしかないか。 スルメ要素とツッコミ要素が多そうなので、期間を開けてまた観てみようと思う。[地上波(吹替)] 5点(2022-05-15 20:22:01)《改行有》

448.  北斗の拳(1995) 《ネタバレ》 -Fist of the North Star- “北極星の拳(こぶし)” こちらでワースト四天王(?)に挙がるくらいなので、余程酷いものを期待していたけど、案外観られる作品だったと思う。 東映Vシネマのアメリカ版とのことで、安かろう事は想像できたけど、制作費2億円は、Vシネマにしては凄い金額なのかな? 制作された'94年当時、1$=100円として2億円≒200万$。同年代の大作ダイ・ハード3が9000万$、デスペラードで700万$、あのストリートファイターで3500万$だそうだから、どのような規模の映画か想像できる。 その少ない予算で片手間にフザケて創ったのかといえば、案外真面目に制作されたんじゃないだろうか。 ベースはシンのサザンクロス編。ランデル監督らは限られた構想期間で、原作コミックではなく、TVアニメと'86年の劇場版アニメをベースに選んだんだと思われる。当時は英語版のコミックが手に入らなかったのかも。TVアニメではサザンクロス編は結構長く、カーネルもジャッカルもシンの部下で登場。そしてシン配下の怪しい南斗聖拳の使い手がいっぱい出てくる。南斗列車砲とか。 劇中処刑される南斗のマスターは、どことなくTV版のジョーカーっぽい(髪型なんかが)。 で、制作までの時間も無いから、ビデオの早送りを駆使して長いアニメを視聴して、作品に詳しい人に解説してもらって「あ、ここアニメオリジナルね、原作だとこの子(バットの弟分タキ)死んじゃうのね、そんでね…(早口)」所々勘違い(バット死んじゃうのかぁ。とか)しつつも、巨人デビルリバースは予算の関係で無理だなぁとか考えながら、更に短くまとめられた'86年劇場版も観て、コッチをベースにしたほうが良いのになぁ、このジャギってキャラ、カッコいいなぁ…なんて思いつつ、劇場版でもジャギはシンとの絡みがあるからコッソリ出して、中堅どころのクリス・ペン使っちゃって。って具合に。 シンがリュウケンを銃殺(!!)するのはショッキング。映画の序盤だったし、さすがにココは吹き出した。うん、さすがワースト映画って思ったわ。 だけどジャギだって銃は使うから、原作をよく知らない人が創ったと思えば、そんなに無理設定ではないかもしれない。 ゲイリー・ダニエルズは元キックボクサーだそうで、本当にケンシロウのように素晴らしい肉体。後半のザコ相手のケンシロウ無双は素直にカッコいい。 少ない予算でVFXも限られたシーンにしか使えなかったんだろう。やはりインパクトのある顔面破裂は使いたいし、ライバルのシンの強さを強調したいから、南斗聖拳の切れ具合も入れたいと。 あのペチペチ百裂拳は、制作陣も悩みに悩んだ末の決断だろう。実際に拳の連打を出せるゲイリーの技術を取るか、低予算の特撮でそれっぽく見せるか。結果は多くの失笑を買ってしまったけど、今のCG技術でもない限り、百裂拳を格好良く撮るのは難しいと思う。 不遇なB級肉体派俳優ゲイリー。エクスペンダブルズではジェット・リー相手に華麗なマーシャルアーツを観せる。 ゲイリーが自分の子供に“ケンシロウ”と名付けたって知り、不覚にもジーンと来てしまった。 あの素晴らしい原作と比べたら、こちらでの低評価も納得だけど、モトがTVアニメだと思うと、案外頑張った低予算映画かなって。 1点付けるつもりで観たけど、出来の悪さに怒りを覚える2点でもないし、3点でも良いんだけど、ゲイリーに愛着湧いてしまって… 平均点上げてしまってすみません。[インターネット(吹替)] 4点(2022-05-15 17:51:14)《改行有》

449.  ゆきゆきて、神軍 《ネタバレ》 凄い作品なので、気になっている人は見るべきだと思います。 この映画の中心がニューギニアでの人肉食、兵卒処刑の真相に迫る事で、奥崎氏によって次々に暴かれる真実、その場に居た人たちがずっと心に秘めていた体験談はとても生々しく、平和な時代に生まれ育った日本人の一人として衝撃的な内容だった。 戦後36年の撮影。奥崎氏が突撃する対象は、ちょうど私の祖父と同年代だろうお爺ちゃんたちだ。処刑の実行者達だけど、軍隊という組織を解っていれば、彼ら下士官に拒否権は無いし、自分の考えで動いていた訳じゃない事は分かる筈。 戦争を体験し、戦中も戦後も苦しい思いをして、長い時間を掛けて自分の中で消化して、何とか前を向いて生きてきた人たち。そんな元兵隊たちの日常生活に、過去を引きずったまま、文字通り土足で踏み込む奥崎氏。氏のパワフルさ、行動力、信念が凄まじく、全編にわたって鬼気迫る迫力、何とも形容し難い空気が漂っているが、同時に、平和に暮らす家庭をブチ壊される恐怖も感じた。突然現れた狂人に罵倒され、思い出したくもない経験をほじくり返され、足蹴にされるお爺ちゃんを観るのは『あれが私の死んだジイちゃんだったら…』と、家族にとってもトラウマ級の辛い経験だろう。 ※だけど口を閉ざすでなく、嘘を並べていたと思わしき方には同情できませんでした。あのような上司は実際居る。もちろん戦争とは無関係の息子さんには同情します。 ラストの衝撃。これには私も「えぇ~~!?」と声を出してしまった。色んな意味で凄い作品、最後まで目が離せない問題作だけど、ドキュメンタリー映画としてはどうなんだろう。この作品を原一男監督の作品と呼んで良いものだろうか? 狂人・奥崎氏が暴れるのは、そういう人なんだと納得できるけど、例えば兵卒の肉親2人が途中から降りた理由。奥崎氏同様かなり熱意を持って問い詰めていたと思うが、何が引き金になって同行を拒否したのかが解らない。有り得ないことに奥さんや知人を使って代役を立てた事に対する、監督の考えもサッパリ伝わってこない。 ドキュメンタリーなら奥崎氏サイドだけでなく、氏を同席させない場での元兵隊たちの考えも伝えるべきではないだろうか?元兵隊たちの家庭のその後、突然アポ無しで生活を踏み躙られた家庭のケアは、監督の仕事では?これではまるで奥崎謙三監督の自己PR作品の垂れ流しだ。原監督の仕事が『こんなモンスターをカメラに収めました』以上のものが感じられない。 公式ホームページなるもののセンスにも違和感。監督自身が奥崎謙三を単なる“ファッション”として捉えているように思えて、残念に思えた。 点数は困りました。テレビでは放送できない、映画だからこそ描けた作品といえば高評価でもあり、ただ狂人を撮っただけで、作品の体を成していないといえば低評価も。私はたまたま空席の3点にします。[インターネット(邦画)] 3点(2022-05-08 23:39:01)《改行有》

450.  ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 《ネタバレ》 -GHOST PROTOCOL-“存在しないもの(ゴースト)として扱う取り決め”。万が一の事態が起きたら、諜報員は今まで『捕まっても当局は関与しない』いわゆる“とかげの尻尾切り”だったけど、政府が『ウチにIMF(とかげ)なんて組織、無いですよ。』って事にしてしまおうと。 Ⅲで見事に立て直し、Ⅳのナンバリングを付けなかった本作。Ⅱで披露したイーサンのフリークライミング技術。Ⅲの読心術。過去作の設定を上手に活かした所に感心する。新たに披露した似顔絵の技術は、スパイらしく凄い能力。 そして前作のイーサンの結婚は、シリーズ化を考えると足枷だった新設定を、このように処理して、新メンバーのブラントを絡めて、最後あのように安堵させる。ブラッド・バード監督の腕の良さが光る。賛否両論のⅡ(イーサンの髪型もⅡ寄り)を含めて、このシリーズの過去作を大事にするバード監督の姿勢。 本作のヒロイン、ジェーン・カーター。トムのワガママか知らんけど、シリーズで2作続けて出たヒロインは居ない。そこを踏まえて次作に出る確率の低いジェーンを、前のミッションの時からイーサンと対等のチームリーダー格にしていたんだと思うと、もうバード監督の作品と登場人物への設定愛と言って良いかもしれない。単体作品ではⅠがベストだけど、シリーズ物としてはこのⅣがベストだと思う。 自爆しない公衆電話、壁登り手袋の充電切れ、フルマスク製造機の故障…これらはブラントの磁気スーツの不安を煽る演出だけど、同時にIMFのメンテ不足、予算不足を表している。更にベンジーのエージェント化なんて人材不足の現れとも思える。それでクレムリン爆破の際、政府は隠蔽工作より楽なIMF解体(ゴースト・プロトコル)を選んだんだろう。 メインはやっぱりイーサンの活躍なんだけど、それを支えるIMFのチーム活動が、最後まで活かされていたのが良い。序盤のハナウェイの活躍なんか、イーサンのチームだけでなく他チームも活躍してることが見えて嬉しい。 前作で少しハードな方向に振れた死のシーンを減らし、ベンジーをコメディリリーフとして近くに置くことで、作品の緩急のバランスが上がっている。 最後にチラッと出てくる皆勤賞ルーサー。無事な姿を見せたジュリアとの切ない別れもあり、シリーズ物として、続き物として、大変良く出来た作品なんじゃないでしょうか?[映画館(字幕)] 9点(2022-05-06 15:51:54)《改行有》

451.  キネマの天地 《ネタバレ》 有森也実って上白石萌音に似てたんだなぁ。なんて思いながら鑑賞。 映画撮影所を舞台にした、映画俳優と製作者の話。寅さんのメンバーがどんどん出てきて、男はつらいよの劇中劇を観てるような、微笑ましさを感じました。 渥美清と倍賞千恵子の掛け合いは息もピッタリ。クズ屋の笹野高史が小春を褒めた時の父ちゃんの嬉しそうな顔。 マルクス兄弟の本をマルクス主義と勘違いして難しい顔してる財津一郎刑事、撮影所の水漏れにヒョイと足を上げる桃井かおり妃殿下可愛い。 う~ん、どうしても映画の内容でなく、出ている役者さんの話になってしまうなぁ… 昭和30年代当時は映画のことを“写真”と言っていたのか。世の中がDVDからブルーレイになっても、つい“ビデオ”って言ってしまうのと近いか? そういえばこの当時('86年)くらいまで、映画俳優とテレビの俳優には見えない線引きがあったような気がしたっけ。何というか、映画俳優が格上というか。そのうちTVドラマで観た顔が映画で溢れるようになり、役者でもないタレントが主演俳優として出てきて、メディアミックスだか何だか、映画が独立した娯楽を創る世界じゃなくなったような今の日本の映画界。垣根が低くなった結果、とても当時のような元気があるようには見えない。 『あの当時は良かった』になってしまうけど、当時はハリウッド大作ばかり観て、私自身があまり邦画に興味を示さなかったのも事実。 小田切先輩の『どうしてもっと優しく映画を観ないんだ?どんなくだらない映画でも、可能性を持っているはずだぞ?』 これは映画好きとして、レビュワーとしても心に染みる。食わず嫌いはもちろん、好みと合わないからって、テキトーな点を付けちゃダメだな。うん。[地上波(邦画)] 5点(2022-05-05 18:12:52)《改行有》

452.  誰が為に鐘は鳴る 《ネタバレ》 -For Whom The Bell Tolls-原題まま。 ことタイトル回収についてはラストが全てかもしれません。 「アメリカの事を考えろ…出来ない。マドリード(共和国側最後の拠点)の事を…ダメだ。マリアのことなら、出来る!彼女は私と生きるのだ!」機関銃→鐘。映画を観ての通り鐘を鳴らすとは銃を撃つこと。第2次世界大戦が佳境を迎える時期、この戦争が誰のための戦争かを、観る者に問うているように思えた。 つまり『祖国アメリカの為とは言わないですよ。侵略されている国の為とも言いませんよ。あなたの愛する女のために鐘を鳴らしませんか?』と。 直接的には『独裁政権に髪を刈られ、凌辱を受けている可愛そうなマリアが、あなたが鐘を鳴らすのを待っていますよ。』と。 もっと言えば『海の向こうの戦争なんて興味ないかもしれないけれど、向こうでは字も読めないムサ苦しい現地男に囲まれて、ラテン系のマリアが、東欧系のマリアが、東洋系のマリアが、アメリカ人のあなたが銃を構えて参上するのを待っていますよ。』と。 早い話『軍に入って銃を撃て』と。 中学生くらいの頃、確かNHKでやっていたのを観たんだと思う。過去の名作ってあまり観てなかったんで、ありがたく鑑賞させてもらって、有名なキスシーンと最後のシーンだけ覚えてました。こんなに長い映画だったんだ。 パブロやピラーに比べ、マリアの浅黒メイクの、何といい加減なことか。悲壮感を感じさせる髪は、3ヶ月の間に可愛いくらいには伸びている。ここはあまりにリアルだと引いてしまう。山岳の厳しい環境でロベルトとマリアが隙あらばイチャイチャしてるのも、現実の戦場とは違って夢のある話に思う。 臆病だからとか姿を消しては戻ってくるパブロ。美人じゃないからってピラーの愚痴。作戦決行日に大事な連絡が届かないゴルツ将軍。内容と時間のバランスが微妙で、看板俳優が出演する大作だからって、無理やり170分の長尺映画にしたようにも思える。[地上波(字幕)] 5点(2022-05-05 16:55:56)《改行有》

453.  ドーン・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 -DAWN OF THE DEAD- “死人の夜明け” 大好きなゾンビのリメイク。ピーター、ロジャーにトム・サヴィーニも出てくるファンサービスに思わず『おぉ!』となってしまった。 ロメロ版との大きな違いはやはり“走る”事でしょう。走るゾンビはバタリアンの頃からあるので、それほど抵抗はなかったかな。ノロノロ歩くゾンビと違い、やっぱり走ると強そうに見えるし、怖い。銃がないと勝てる気がしない。 アナが襲われるまでの前置きが短く、外に出たら近所は地獄絵図。逃走中に事故に巻き込まれる車の不運。バスの中で襲われる人をただ見るだけの悲しさ。正常な人間にレイプされたのか裸の女性…森で車を壊すまでで、世の中の状況がだいたい解る創りが上手い。 話逸れるけどサラ・ポーリーがバスタブに飛び込むところ、小窓から地面に落ちるところなんて、体張ってるよなぁ。 ゾンビといえばショッピングモール。デパートとスーパーのイイトコ取りで、娯楽から何から生活に必要なものが一通り揃っている。設定次第でどんな商品も置けるショッピングモールは、ロメロ版の当時も今も、最も生存率の高そうな籠城施設だと思う。今回ガンショップをモールの外に設定したお陰で、ケネスとアンディの奇妙な友情も描けた。メッセージボードに血で何かを書くシーンは悲しくなった。 だけど何でも揃ってるモールを放棄してまで、未知の無人島に武装バスで向かう必要性は弱い。ロメロ版との違いを出すためかもしれないけど、もっと『コレは仕方ない』って状況を演出してほしかった。銃は沢山手に入ったんだから、私だったらモールを死守するな。 …とまぁ、そうやって『私ならこうするのに』を想像させてる時点で、この映画もゾンビ映画の名作だと思う。 スティーブンの死体から船の鍵を探すアナ。そういえば家で旦那に襲われる時も、真っ先に車の鍵を取ってたっけ。冷静で頭の回転が速い子なんだね。 エンディングで“その後”が描かれているのも良い。プロローグ同様、短い時間で何が起きたのかが伝わる。生存ルートは考えにくいけど…[DVD(字幕)] 8点(2022-05-04 19:39:28)《改行有》

454.  サスペリア(1977) 《ネタバレ》 -Suspiria- 造語らしい。ラテン語の-SOSPIRI-“溜息・嘆き”から来てるとか。発音から日本語カタカナ表記はススピリアに近いと思うけど、サスペンスっぽいつづりのサスペリアに落ち着いたんじゃないだろうか?偶然の産物かも。 「決してひとりでは見ないでください」覚えてる覚えてる、もうCMが怖くって。タイトルといいCMといい、日本の配給会社が頭を捻って良い具合に相乗効果が生まれてたんだろう。 バックグラウンドミュージックのワクに収まらない音量のゴブリンのロック調の不気味な音楽は、一度聞いたら忘れられないインパクト。 そして映像の美しさ。赤、青、そして緑のスポットライト。光の三原色をあり得ないポイントで当ててくるセンス。 不気味というか趣味の悪い洋館。赤い壁と赤い内装。美しいかも?だけど住みたくないわ落ち着かないわ。 ジェシカ・ハーパー顔小っさ。目大っきい。バレエ教室の名門校というのも閉鎖空間っぽくて良い雰囲気。バレエ教室だけに若い女ばかりが襲われる…と言っても犠牲者は3人とダニエルか。 古いもの(洋館、オカルト、バレエ)に、新しもの(ロック、ライト、ホラー、若い女)をミキシング。特に音と色の思い切りの良さ、振り切れ具合が、この映画を当時のホラー映画の中でも飛び抜けた存在に押し上げていると思う。イタリアンホラーの代表作と思っていたけど、何故か舞台は西ドイツ・ベルリン。 ネットで当時のパンフレットを見たけど、映画から切り取った場面写真の美しいこと。漂う名画臭…でも内容は意味不明でチープだよ。 魔女が自分の正体に近づいた者たちを殺していくって内容っぽい。でも追い出したダニエルを殺す必要性はあったんだろうか?スージーに眠くなるワイン(睡眠薬?)飲ませる意味も不明。 発端は単なる好奇心。別に何もされてないけど怪しいからついつい詮索してしまう。謎の正体にたどり着いたら返り討ちにあってしまう。そもそもパットが殺されるまで特に殺人も起きてないなら、パットとサラが余計な詮索をしたために大人しく潜伏していた魔女組織を殺人に駆り立ててしまった訳で… 舞台が西ドイツということもあって、現代の魔女狩りとも言えたナチの残党狩りを連想させる。ってそんな難しいことを考えても意味がないから、映像の美しさとゴブリン音楽の調和を楽しむのが、この映画の正しい楽しみ方。 最後のスージーの微笑みも謎だけど、安堵?苦笑い?魔女に取り憑かれた?[地上波(邦画)] 5点(2022-05-04 11:11:07)(良:1票) 《改行有》

455.  野獣死すべし(1980/日本) 《ネタバレ》 松田優作の代表作だと思うけど、この映画はハードボイルドと言うより狂人の犯罪。徐々に伊達の狂気が表に出てきて、リップ・ヴァン・ウィンクルの話で大爆発する。柏木刑事に銃を向けて、マバタキしないで話し続ける伊達の狂気、ハッキリ言って気持ち悪さは圧巻。松田優作という俳優が、日本にとって唯一無二の存在だったことは間違いない。 伊達の独白によると、戦場で人を殺した経験がキッカケで野獣に目覚めたようだ。刑事から銃を奪い、裏カジノを襲った時の落ち着きの無さはリアル。表社会で人を殺す経験は、戦場のドサクサでの殺人とは重みが違うんだろう。 裏カジノ襲撃でそこそこの金を手に入れた伊達。どうして銀行まで襲う必要があったのか?まぁ銃を買う程度の金しか手に入れてなかったとして、どうして銀行を襲う際、サイレンサー付きの銃を使わなかったのかは謎。 柏木刑事を殺してからの浮かれ具合は別人のようで、短気で時々弱気な真田の変わらなさとは対照的。この電車内と、謎の地下洞窟(何だあそこ?)のはしゃぎ具合は、恐らく松田優作の思う“人間の内面の狂気”を、ほぼアドリブで演じたものと思われ、カメラの長回しと相まって、とても印象深い。 松田優作が松田優作の映画の中で、好き放題自分を演るのは当然と言えば当然だけど、彼の中での完璧(ここが万人の思う完璧じゃないのがミソ)を求める俳優故に「俺くらいのレベルになると、こんな狂気の役も演じられちゃうんだぜ」って言われているようで、止める者の居ないオーバーリアクションは、ちょっと鼻につく。だけど角川映画の味付けがマイルドに作用したのか、この時代の松田優作作品の中ではバランスが取れた観やすい作品だと思う。[地上波(邦画)] 6点(2022-05-03 22:39:00)《改行有》

456.  ツィゴイネルワイゼン 《ネタバレ》 もうね、指パッチンですわ。こんな不思議で不気味な作品、よく思いついたものですよ。 原田芳雄の演じる中砂の強烈なキャラクター。「ウナギが食べたいなぁ」あの力強い声でそう言われると、私までウナギが食べたくなる。特大のうなぎの蒲焼を手掴みで食べる。焼きとうきび。すき焼きに大量のこんにゃく。蕎麦と日本酒。腐りかけの桃。なんて美味そうなんだろう。戸棚の中の鱈の子のこだわり。青池夫婦が食べるいっぱい並んだ料理も、何だか解らないけどどれも美味そう。赤い器が印象的。 印象的な赤。女の股から出てくる赤い蟹。赤くなっていく弟の骨。中砂家に吊るされた赤い提灯。中砂の眼球を舐める周子の舌の赤さ。船の渡し賃にパカパカ開いて見せる門付の女の股ぐら。観えないんだけど赤いんだろう。 門付の3人組がまた強烈なインパクトを与えてくれる。イチャイチャしたい若い2人、だけど稼ぎ場までの道を知ってるのは年重の男だけ。三角関係の結末は、コントみたいな殴り合い。 コントというより不条理に近い。「ダメダヨ」のタイミング。屋根に落ちる小石。トマソン・トンネル。小雨の中登場人物たちが勢ぞろいで見上げる花火。サラサーテのツィゴイネルワイゼンに入る声。何でか解らないモノ・現象から醸し出される不思議さ。「怖いな…気をつけなくっちゃ…」椅子の上で体育座りの中砂カワイイ。 カワイイといえば青地の腕を引っ張る園「もうじき落ちてまいりますわ、早く参りましょ」の少女のような仕草カワイイ。旦那の居ない家の中で胸がはだけて、さぁコレから。ってタイミングで入る指パッチン。怪しい雰囲気から一瞬で目を覚ますような指パッチンの可愛さ。このセンスが素晴らしい。[インターネット(邦画)] 8点(2022-05-03 20:01:09)(良:1票) 《改行有》

457.  天空の城ラピュタ 《ネタバレ》 劇場で2連続で観て以来、TVでやってても観ることなく、今回DVDを買って36年ぶり?に観ました。 やっぱり面白いなぁ。宮崎監督が実力に伴う評価をされてきた時期の作品なので、アブラの乗り具合が違う感じ。フラップターとかゴリアテとか、アイデア満載の不思議なメカを出し惜しみしないところが、才能が溢れてる感じで好き。私は特にオープニングの永遠に穴を掘れるショベルがお気に入り。 宮崎監督の才能だけでなく、当時のアニメーターの実力、久石譲さんのセンス。要塞襲撃のカメラワークとテンポと音楽は神懸かってます。 さて“血湧き肉躍る冒険活劇”については皆さんのレビューをご参照頂くとして、“思春期と成長”について書いてみます。 少年少女の冒険は、なにも宝探しや悪者との追いかけっこだけじゃない。身近な女の子を異性として意識するのも立派な冒険。 おさげアタマに地味なネイビーのワンピースを着た、いかにも幼い少女という出で立ちだったシータ。パズーの服を着て帽子を被れば女の子だとバレないくらい。パズーの家で目覚めてから靴を履くシーンの子供っぽさは、誰も見てないところだけど、彼女のあどけなさを強調するために敢えて入れたんだろう。 そんな子がタイガーモス号に乗ってからは、ウエストを絞って、猫背がちだった背筋を正し、胸を強調してきたからさぁ大変だ。まさに“カワイイは作れる”を実践するシータ。大人の海賊たちも彼女にメロメロなんだから、パズーも溜まったものじゃない。 タイガーモス前と後で、胸に限らず等身から表情まで女になるシータ。当然、わずか3日位の劇中で彼女が成長したのではなく、主人公であるパズーがシータを“同年代の子供”から“異性”として見るようになったからだろう。 パズー目線だけでなくシータの中でも成長が見られるのは、ドーラからキッチンを任されたシーン。汚いキッチンを相手に腕まくりをするシーンから、極端に胸が大きくなる(ように見える)。『さぁ男どもの腹を満たすぞ!』と、彼女の中の女“母性”が目覚めたシーン。 ラピュタに上陸して、シータが腰の紐を解こうとしてると、パズーに急に抱きかかえられた時に不意に出た声。ヘタクソならここは「キャッ!」とか言わせるところを「うわっ」と言わせる。この「うわっ」は、女性が気を許した相手だけに“素の自分を見せる”アレね。当時のアニメのヒロインは普通「うわっ」って声出さないでしょう。宮崎監督と横沢啓子さんの手腕、高等テクニック。その後2人は(一瞬だけ)熱いハグをしてクルクル回りだす。シータの腰に回した手。ボーっと見上げる空にはツガイの鳥(ヒタキ)。あぁもうエッチ。 そして若い2人は滅びの呪文を唱えてしまう。皆さん大好きな「バルス!」。呪文の結果はあの通りだったけど、効果の範囲が分からない呪文を唱える意思の強さ。自分たちだけでなくドーラ達も死ぬかもしれない。もしかしたら世界が滅ぶかもしれない。好きな人を守るために世界を滅ぼしてしまおう。って思える若さが良い。少年に出来るのは世界を救うことでなく、目の前の女の子を助けるので精一杯なんだ。 ラピュタは子供向けのマンガ映画のワクに収まらない青春映画。未来少年コナンのラナと同じ12歳という年齢は、当時の宮崎監督の中の、性の対象/非対象の境界線だったんだろう。最後まで子供の容姿だったラナが、いかにしてナウシカ(16)のような“女”になるか。シータは登場時ラナ(子供)っぽく、映画の終わり頃にはナウシカ(女)っぽくなっている。その成長を安直な色気ではなく、直接的な描写・表現を入れずに一本の映画で表現。 パズーも赤ら顔一つ観せず、真っ直ぐな冒険少年の姿しか観せないから見落としがちだけど、少年少女の大冒険の中に、思春期の異性への思いを織り込んでいるのは、見事としか言いようがない。[映画館(邦画)] 10点(2022-05-03 12:05:13)(良:2票) 《改行有》

458.  トロン 《ネタバレ》 -TRON- BASIC言語の“TRECE ON”がモトっぽい。他にCLU(プログラミング言語)、RAM(メモリ)、BIT(データの単位)と、コンピューターに関係した名前を持つプログラムが結構出てくる。YORIやCROMもそうなのかな?あC-ROMか。 コンピューターの中に作られた、プログラムたちが暮らす世界。1982年にこんな世界観を映画で観せてくれたことは、とても衝撃的だった。 直角軌道を描くライトサイクル。でも今思うと、当時のビデオゲームってアニメーションが少ないから、こんなカクカクした動きしてたなぁ。それを人間っぽいカタチをしたプログラムが中に入って操縦する。こんなゲームから逆算して実写化したような映画って、画期的だったなぁ。 データ盗作の証拠を掴みに本社に潜入して、逆にコンピューターの世界に取り込まれるのは面白いけど、目玉のライトサイクルゲームを過ぎると、フリンたちがどこに向かっているのか、目的に対してどこまで進んだのか、山で言えば今何合目なのか、物語の位置を見失ってしまう。そもそもフリスビーゲームもライトサイクルゲームも、フリンの目的(盗作の証拠探し)とは全然関係ないし。 主人公もフリンなのかトロンなのか、どっち目線で観れば良いのか迷う。トロンの彼女のはずのヨーリも何だか迷ってるような感じ。 トロンやフリンって、私達が思うコンピュータのプログラムと言うより、ウイルスに近い気がした。当時だとバグだろうか。アランと交信を試みるトロンを観て、ウイルス検索を連想してしまった。 内容が面白いかどうかより、コンピューター・グラフィックスの実験要素が強く出た作品だと思う。でも当時は良く理解できなかったコンピュータの世界が、パソコンが生活の一部になった現代だと、多少解るようになってるのが面白い。[地上波(邦画)] 5点(2022-04-26 23:37:46)(良:1票) 《改行有》

459.  レスラー 《ネタバレ》 -The Wrestler- これは“レスラー”という職業であり、生き方でもあるんでしょう。 小さい頃プロレスは結構流行っていて、猪木VSマサ斉藤の巌流島の戦いとかあったっけ。だけどプロレス=八百長という先入観があって、あんまり見てなかったな。当時まだお子ちゃまだったから、“相手の技を(敢えて)受ける”美学を理解できなかったんだ。 グランジの登場した'90年代をディスるシーンは物凄く共感できるし、子供とファミコン(?)するシーンも良かった。エンディングに掛かるスプリングスティーン('80年代のスーパーヒーロー)の曲も素晴らしい。輝かしい'80年代の栄光と、時代と年齢の変化に対応できなかった男の悲しさ。演じたのがミッキー・ロークだから、より心に響く作品に仕上がったと思う。 '90年代に入りパッタリ出番の減った人気俳優ミッキー・ローク。甘いマスクがいつのまにかゴツゴツのお顔になり、時々映画内のキーパーソンとして出てくる“名前だけは知られている過去の人”だった彼が、まさかプロレスラー役で映画の主役を演るなんて、世の中不思議なものですね。 「もう充分だ、俺を抑え込め」心臓に爆弾を抱えたランディを気遣うボブ(アヤトッラー)の優しさ、20年ぶりに闘う友への気遣い。観方を変えると思いっきり八百長だけど、今の私にはこのプロレスの美学も理解できる。 ランディの目線の先にパム(キャシディ)は居ない。必殺技『ラム・ジャム』を出す決心をした瞬間の、運命を受け入れた表情。もしあの場でパムの姿が見えたら、ランディは違う結末を選んでいたかもしれない。 レスラー人生の最後。そして恐らく自身の最後を、ファンの期待に応えることで自分を納得させる不器用な生き様。 ストリッパーのパムもランディ同様、歳を重ねると厳しい仕事をしている。他の生き方を選べなかった不器用さに、お互い共感できることも多かったろうに。 ボクサーの第二の人生のスタートを観せてくれた“ロッキー”のエンディングとはまた違う、だけど同じくらい熱いものがこみ上げてくるエンディングでした。[インターネット(字幕)] 8点(2022-04-26 21:01:39)(良:1票) 《改行有》

460.  最高の人生の見つけ方(2007) 《ネタバレ》 -The Bucket List- アメリカでは『死ぬ前にやっておきたいリスト』の事を“バケツリスト”って言うんだそうです。 二人があれだけ思い切ったことが出来た理由は2つ。間近に迫った自分の死を受け入れたことと、それが一人じゃなかったこと。 リストの項目は、本当に前々から夢見ていたことや、どうせ死ぬなら…と思い切ったことも含まれていた。あと実現不可能に思えることも。 私もいつ死ぬかが解っていれば、ぜひ、やっておきたいリストを作りたいけど、どこまで実現できるかは定かではない。一人だったら半分も実現できないかも。もう死ぬのに。そんな引っ込み思案な気持ちを、老後の不安と迫る死を、明るく乗り越える活力に変えてくれそうな映画。 リストの中身は、コールが大金持ちだったから実現できた事が多いのも事実だけど、これが庶民二人のコンビで、目的地到着までに体調崩して現地の病院にお世話になって…なんてのを延々見せられても夢がない。自家用ジェットでビュンとひとっ飛びして、夢の実現をサクサク消化するテンポの良さを優先したんだろう。97分という短めの上映時間にまとめたのも上手いなと思う。 後半に行くほど実現が難しい項目が残っていくけど、決して妥協しない消化方法は見事で、特に“世界一の美女とキス”は目頭が熱くなってしまった。そして世界を駆け巡った挙げ句、身近な場所へ、家族のもとへと帰納していく展開は、誰でも共感できるような気がする。 そして自分たちのやった事、二人の足跡を、誰かに残すことも大事なことかもしれない。序盤のミスリードにまんまとやられ、最後に登場する人物がトマスなのが良かった。コールの思いは娘が、チェンバーズの思いは家族が引き継ぐけど、二人が共に過ごした時間はトマスに残されたんだな。[地上波(吹替)] 7点(2022-04-20 20:33:51)《改行有》

000.00%
120.24%
2111.34%
3182.19%
4728.77%
515719.12%
617621.44%
716319.85%
813616.57%
9526.33%
10344.14%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS