みんなのシネマレビュー
よしのぶさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 823
性別

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142

41.  告発のとき 《ネタバレ》 イラク帰還兵士が四人の同僚に殺された実話に基づいている。 途中まで、元軍警察所属の退役軍人ハンクが、婦警エミリーの助けを借りつつ、息子の死の真相を突き止める推理物と思っていたが、死の真相が判明してからは、明確に戦争告発に変わった。推理物としては上出来だが、戦争告発としては弱い。思えば、推理物として違和感があった。名推理を発揮するハンクとその相棒たるエミリーの友誼を描いていくはずが、途中で喧嘩のようになってしまうのである。ハンクの「戦友が殺すはずがない」という推理も覆される。ハンクの息子のマイクは、戦場で子供を轢いてしまった衝撃から立ち直れずに精神を病み、負傷者を面白半分に痛みつけるような人間になる。同僚も同様に病み、帰還してから些細な諍いからマイクを刺し、遺体を分解して燃やし、空腹を覚えてチキンを食べるような人間になる。息子も同罪と感じたハンクは彼等を責めない。そこが泣かせどころだ。星条旗を救難信号を意味する逆向きに揚げるだけだ。 ハンクは軍に対する忠誠心を持ち、愛国者ぶっているが、ベトナム戦争の経験もあり、軍警察にいたのだから、軍の良い面も悪い面も熟知しているはずである。「戦友が殺すはずがない」ではなく、戦友が殺すこともあるのが戦争の実態だ。マイクが帰還するのを両親に知らせなかったのは不審だ。犯人達も、マイクのクレジットカードで支払いするなんて、馬鹿じゃないかと思う。サインが必要ならアリバイ工作として成立しないのだから。 トップレスの中年女が後に重要な証言をするところなどは芸が細かい。無残な死体に対して悲嘆する姿が強調される。土葬文化圏では遺体の状態を気にするようだ。 原題は、羊飼いのダビデ少年が投石器で巨人戦士ゴリアテを倒す聖書の神話だ。小さい者が大きい者を倒す、勇気ある者が強者を倒す、神の名において戦う者が武器を頼りにする者を倒す、という三つの意味がある。しかし、ダビデ少年はひどく怯えていただろうと、エミリーは息子に話して聞かせる。殺すか殺されるか、怖くて当たり前なのだ。そして、殺すか殺されるかを強いるのが戦争である。英雄物語の影に隠された真実がある。それが分かる人間に成長して欲しいと願う母心だ。切れ味鋭い脚本だが、マイクの心の闇にはメスが届いていない。 [DVD(字幕)] 8点(2014-12-02 22:32:15)(良:1票) 《改行有》

42.  喝采(1954) 《ネタバレ》 舞台演出家のバーニーは、プロデューサーの反対を押し切り、落ち目のミュージカル・スターであるフランクに出演を依頼する。フランクは息子の不慮の死に自責を感じ、自分に自信が持てず、仕事の重圧に耐えられずにいた。当初、演技に精彩を欠くが、献身的な妻ジョージーの支えと情熱的な演出家の後見により再起を果たし、舞台を成功に導く。 冴えない中年男の苦悩と虚勢が延々と続く、いささか地味な作品であり、感情浄化(カタルシス)は少ない。 フランクは、人気の下落と年令からくる演技の衰えに不安を隠すため、息子の死を利用して、酒に溺れ、自分の自信のなさと無責任さを正当化し、周囲の同情を集めていたことに気づき、それが契機となって再起へ道を歩みだす。ここが最も感動的なところだ。しかしその後の再起の歩みは省略され、すぐに成功の舞台となる。その舞台での演技が以前と較べて清新されているように見えない。 愛想笑いを浮かべ追従を言うプロデューサーに、「批評が出る前に安値で全期間契約を結びたい魂胆なんだろう」と居丈高な態度で臨む。あまりの変りように不自然さを感じるし、不遜とも思える態度には感心しない。男の再起物語に加え、夫婦が愛を取り戻す副物語がある。これがいかにも取ってつけましたという急展開で、演出家がいきなりフランクの妻に接吻して、求婚して、全てを察したフランクが寂しそうに去ると、妻が後を追いかけて抱擁を交わし、元の鞘に戻る。それ以前には、演出家とジョージー間に恋愛感情など見られなかったので、とても情緒的気分には浸れない。そもそも演出家が、世間に忘れられたフランクを主役に据える冒険を敢えてするのかが不明だ。過去に恩を受けたり、深い因縁があるわけではなし。単に昔は素晴らしい演技をしていて、彼に憧れたという理由だが、再起させたいのなら端役から始めれば良いこと。 音楽は古臭く、耳に残るものは無かったが、声は素晴らしかった。 原題の「The Country Girl」は、どういう意図から付けられたのか。田舎娘とはジョージーのことだ。映画の元になった舞台は、夫婦愛を中心に描かれたものだったのだろうか。[DVD(字幕)] 6点(2014-12-02 13:47:22)《改行有》

43.  プレステージ(2006) 《ネタバレ》 アンジャーとボーデンという二人の手品師が不幸な出来事から不和となり、お互いに敵愾心を燃やして、妨害や盗みをして相手に打ち勝とうとする物語。主に瞬間移動術について争う。 最後のおちにはがっかりさせられたが、手品好きには面白い作品だった。時間軸をばらして再構築して見せる手腕は洗練されており、ねたの興味で、最後まで期待感、緊張感が持続した。おちの伏線はあちこちに張り巡らされており、再見すれば綿密に練られた脚本ということが分かるだろう。 映画はいくらでも編集が利くので、手品は画面切替なしで見せないと真実味が出ない。それが判っていながら拘泥しないのは、監督に手品に対する愛情が所為だろう。役者の技術も素人の域を出ない。 籠の鳥消失術は一世を風靡した手品で、実際に鳥を圧死させていたが、後に改良された。これは映画の通り。中国の老奇術師チャン・リン・スーが登場するが、実在の人物で、弾丸受け止め術で命を落としたことで有名だ。実際は中国人に扮したアメリカ人で、テスラ・コイルが発明された頃にはまだ二十代の若者だった。この改変の意図は不明。 テスラ・コイルは現在でも不明な部分があり、似非科学でよく言及される。だから採用したのだろうが、“人間消失”ならともかくも、”人間複製”は許容値を超える。まして、複製人間を殺すなどは言語同断である。殺す理由は皆無で、二人で協力して瞬間移動術を演じればよい。もっともその前に、普通の人ならせっせと金貨などを複製すると思うが。双子おちは安意過ぎる。すぐにばれてしまう。エジソンの手下が登場する。テスラはエジソンの元で働いていたが、金銭と直流・交流議論で関係がこじれた。エジソンはテスラ潰しの為に誹謗中傷や非人道的行為をくり返して攻撃している。テスラの実験屋敷の警戒が厳重なのもその為で、最後は爆発したようになっていたが、エジソンの手下の仕業だった可能性がある。 目立たないが、アンジャーからボーデンに乗り換えた女もひどい。 尚、イギリスの裁判では、裁判官や検事、弁護士はかつらを正装として着用する。古来、虱対策で短髪にしていたことに由来する。[DVD(字幕)] 7点(2014-12-02 02:13:19)(良:1票) 《改行有》

44.  デジャヴ(2006) 《ネタバレ》 爆発物捜査官のダグは、クレアの死体て何かを感じた。それは彼女に惚れたのではなく、彼が一度タイムトラベル(TT)して彼女と会った既視感からくるものだ。FBIで、監視装置“スノウホワイト”の映像を見せられ、「複数の衛星情報を解析合成したもので、膨大な情報処理に四日間を要するため、常に四日前の映像しか見れない」と説明される。が、疑念をもった彼がモニターのクレアにレーザーポインターを当てるとクレアが反応した。実は空間を折りたたんで時空の二点を繋げた“時空窓”で、出力を上げれば物質も送れる。彼は過去の自分に手紙を送るが、誤まって同僚のラリーの手に渡り、結果、彼は殺され、クレアも巻き込まれる。ダグは、携帯時空窓ゴーグル・リグを使って四日前の犯人の行方を追い、隠れ家を発見し、犯人は逮捕された。一件落着するが、ダグは自分の所為でクレアが犠牲となったことを悔やみ、二度目のTMをする。犯人を片づけ、大事故を防ぎ、クレアの命も助けるが、自分は爆破死してしまう。本作品では「過去は改変できない」のが前提で、過去に介入する度に分岐した別の世界になる。現代と、一度目のTM、手紙送信、二度目のTMの三つの分岐世界の四つが交錯するのでややこしい。ダグがラリーを救えなかったは、彼の死が四日以上前の過去になってしまったから。厳密にはTTを繰り返せば、スノウホワイト完成の四日前まで過去に遡れる。大事故は防いだものの、別の犠牲者で出ているので爽快さは無い。TTがなくても、事故は防げる。警察に事故を予告する手紙を出すとか、犯人の心臓に弾丸を送るとか、準備中の爆発物に弾丸を送るとか、方法は多様だ。過去に情報が送れるのなら、過去の人は未来を知ることとなり、相場や競馬、選挙結果等、社会が混乱するだろう。一度目のTTで犯人逮捕に失敗したダグがどうなったか不明。二度目のTTでダグが生き残った場合、携帯電話を鳴らすとどちらの携帯が鳴るのだろうか。冒頭で遺体袋の携帯電話が鳴る場面があるので気になった。犯人が、「私には運命がある。創造者が定めた運命が。それを変えようとする者は滅びる。運命を止めようとするとかえって引き金となる」と言った時、今後どんな展開になるか楽しみだったが、ただの虚勢で終った。大爆発、カーチェイス、銃撃戦と派手な演出で観客を驚かすという安易な姿勢が残念。TT無し、捜査だけで事件解決に導く演出なら良かった。[DVD(字幕)] 7点(2014-12-01 16:22:35)(良:2票)

45.  イントゥ・ザ・ワイルド 《ネタバレ》 世を儚み、文明社会と縁を切って、自然と共に暮らしたいと願う人はいるだろうが、実行する人は稀有である。それを敢行した人の実話なので貴重だ。彼は潔癖な性格だ。それは、車、身分証明書、お金、名前まで棄てて、過去と完全に決別した上で旅立ったことからも窺える。潔癖ゆえ、私生児たる出生の秘密と、家庭内不和がどうしても許せなかったのだろう。遁世の理由は「愛よりも金銭よりも信心よりも名声よりも公平さよりも真理を与えてくれ」という言葉が近く、真の人間たる姿を求道していたのだろう。 都会出の彼が、最初からアラスカ行を計画していたとは思えない。放浪しながら、もっと厳しい環境に身を置こうと、思いついたのだろう。「人生において必要なのは、実際の強さより強いと感じる心だ。一度は自分を試すこと。一度は太古の人間のような環境に身を置くこと。自分の頭と手しか頼れない苛酷な状況に一人で立ち向かうこと」 人を拒む厳寒の自然の中に身を置き、自然の恵みだけで生きるには、強靭な精神力が必要だ。彼は、世を捨てたのではなく、生きている証しとして自分の限界を試したかったのだろう。人間とは何かという真理を見つけたかったのだろう。彼は価値観の定まらない軽佻浮薄な若者ではなく、確固とした哲学を持っていた。だから出会う人達との間に交流と友情が生まれ、強烈な印象と影響を与えた。特に最後に出会った老人との交流は胸を打つ。老人は、若い頃に妻子を交通事故で失くした退役軍人だ。家族を喪失した老人と、家族を捨てた若者とが、お互いの身の上を話し合い、理解し合い、遂に、老人は若者に養子にならないかと申し出る。人間も捨てたもんじゃないと思わせてくれる。結果として彼が落命したのを理由に非難する気はない。自然との暮らしは死と紙一重なのだ。 「偽りの自分を抹殺すべく、最後の戦いに勝利して、精神の革命を成し遂げるのだ。これ以上文明に毒されないよう逃れて来た。たった一人で大地を歩く。荒野に姿を消すため」このような人はもう現れないのではないか。劇中彼をキリストになぞらえた人がいたが、宜なるかなである。勇気ある冒険をした彼を賞賛したい。遺憾なのは、彼が増水した河に沿って移動しなかったこと。実際四百m先に鉄道があったらしい。又、廃バスが無ければどうやって住処を確保する積りだったのか。移動手段を車や貨車に頼ったのはどうしてか。気になる点である。[DVD(字幕)] 8点(2014-11-30 19:38:57)《改行有》

46.  モロッコ 《ネタバレ》 大変灰汁の強い、大人の恋愛映画だ。男を信じられなくなった女と、女を信じられなくなった男が異国で邂逅する物語。女、アミーは流れ流れてモロッコに辿り着いた旅芸人で、舞台で歌を唄うが、林檎も売る。男、トムは三年前に過去を捨てて、外人部隊に身を投じた二枚目の兵士で、女には目がなく、上官の妻との関係が露見して問題となる。二人は一目で相手を気に入るが、心に傷があるため疑心暗鬼で、気持ちの探り合いで終始する。トムの前線行きが決ると、トムは脱走を決意し、アニーを誘った。アニーは誘いに応じる。ところが、アニーが金持ちと婚約しているのを知ったトムは身を引く。また男に騙されたと思った女が、別の男との結婚に同意しながらも、男を忘れられず、男の本心を知って追いかけるまでの心の動きが肝だ。劇的な展開は無い。 気怠げな上目遣いの表情、甘ったるい指の仕草、軽妙で洒落た会話、物憂げにくゆらす煙草、ルージュの別れの伝言、鏡に投げつけられる酒、飛び散る真珠、卓子に彫った名前、裸足で後を追う姿、様々の洗練された恋の仕草や表情が見られのが特徴で、この映画の最大の魅力だろう。アミーの仕草はとりわけ魅力的だ。 擦り切れた心が癒えるには、異国と言う舞台が必要だった。人は異国にいると、時に望郷の念にかられ、時にもの寂しくなり、世捨て人の心もつい緩みがちになる。暑苦しい日中、灼熱の砂漠、そして戦争という悲劇が気持ちを駆り立てる。二人の心の渇きと憔悴を暗示するのに相応しい。この映画は舞台立てに成功し、且雰囲気づくりが秀逸だ。とても才能のある監督と思う。遺憾なのはトム役の役者が大根であること。 尚、砂漠では水分の蒸発が著しいため一日6Lの水が必要となる。その為、砂漠を横断するには食糧と水を運ぶラクダか馬が不可欠とで、軍隊が歩いて横断できるものではない。又日中の砂の地表温度は70℃以上にもなるので素足では灼けてしまう。監督は全てを承知の上で、あえてあの衝撃的な最終場面を選択したのだろう。印象に残った科白は次の三つ。「結婚するほどの男はいないわ」「女にも外人部隊があるのよ。ただし、制服も軍旗もない。勲章はもらえない。だけど勇敢よ。傷つくのは心だけ」「もう一度、男を信じさせてくれるの」[DVD(字幕)] 8点(2014-11-30 05:16:39)《改行有》

47.  フード・インク 《ネタバレ》 米国の食品産業の問題点を取り上げた作品。通常の経済の仕組みでは、消費者の需要が先にあり、生産者がそれを供給する。しかし米国では違う。農業が高度に工業化され、メジャー食糧企業による寡占状態にある市場では、供給が需要に先行する。安くて栄養豊かで、しかし健康には決して優しくない食品が市場を席巻する。味が良くて、健康にも良い有機農は、値段が高くて太刀打ちできない。悪貨が良貨を駆逐している状態だ。お金の無い人は安価な食品を選ぶしかない。肉が野菜より安価なので、肉中心の食生活になり、結果健康被害に陥り、ひいては国の医療費を圧迫する。 食糧問題は最終的にコーンの問題にたどり着く。農薬耐性のある遺伝子組み換え種子を用い、農薬と化学肥料を使って大量生産し、政府が助成金をつけて世界一安値にした上で、大量に輸出する。輸入した国の農業は壊滅的な打撃を受け、畜産業は飼料をコーンに依存するようになる。恐ろしいのは、食糧メジャー企業が、お金にものを言わせ、政府、裁判官なども牛耳っていることだ。風評被害法なるものを成立させ、商品や会社に批判も言えない。「要らぬ不安を与えるから遺伝子組み換えの表示はしないほうがいい」という主張がまかり通る。反対するものは徹底的に叩く。風に飛ばされた遺伝子組み換え作物と自然交雑した近隣のコーン農家に対して、特許のある種子を保存したとして、巨額の損害賠償を請求する。裁判になると費用がかかるので、結局泣き寝入りするしかない。 メジャー企業は、商品の心象が悪くなるという理由で、家畜の飼育や屠殺の様子を見せない。消費者は聾桟敷におかれている。 「食品は一円でも安ければそちらの方を買う」という未成熟な消費者から脱却したいものだ。安いのには、それだけの理由があるのだ。それを知った上で、賢い消費をしたいものだ。良質の実録映画である。[DVD(字幕)] 9点(2014-11-29 23:38:05)《改行有》

48.  ありあまるごちそう 《ネタバレ》 食のグローバル化の矛盾点を突いている。農業を大規模灌漑、遺伝組み換え技術等で工業化すれば、低コストで大量の農産物が収穫できる。多少味が落ちようと、多少健康不安を感じようと、安くて見栄えのよいものに飛びつくのが消費者心理だ。地元での消費量を越えた余剰農産物は、遠くに運ばれて、さらに輸出される。運ばれた先の土地では、安い農産物が大量に入ってくるので、農民は作っても売れず、生活が立ち行かなくな。そこでEUでは農家に補助金を出す。農家の収入の三分の二が補助金だ。こうして余剰農産物が大量生産される。余剰農産物は、昔は捨てられていたが、批判を受けて、今では大幅に値下げして、発展途上国等に輸出される。輸入した発展途上国の農業は荒廃の一歩をたどる。対等な国家間では自由に関税がかけれるが、発展途上国は先進国から資金や技術援助を受けているので、関税はかけれず、EUの言いなりだ。生活できなくなった農民は、働き口をEUに求めて、低賃金労働者となる。これがEUの“歪んだ”食のグローバル化が、飢餓と貧困を輸出する仕組みだ。珈琲などの輸出向農産物の価格は、ネスレなどのメジャーが価格を決めてしまうので、生産者の利益は低く抑えられてしまう。従って、末端の労働者は、いつまでも貧しいままだ。本作品では、その一端を見せているに過ぎない。食の輸出入は適度に抑えて、地産地消するのが望ましい。生産競争、輸出競争しだすと、結局、資本のある会社が一人勝ちするのだ。「安い肉を食べれるようになる」ことは一見喜ばしいことだが、その背景には様々な矛盾や問題が存在する。農作物を強引に輸出される国、農作物を強引に低価格で輸出しなければならない国の実状が描けていればもっとよかった。[DVD(字幕)] 7点(2014-11-29 14:35:43)

49.  生きるべきか死ぬべきか 《ネタバレ》 いきなりヒトラーの出現と劇中劇で始まり、観客を煙に巻く。 ハムレットの“To be or not to be”の台詞が始まると必ず席を立つ観客が居て、演者のヨーゼフが目を剥く。 ナチスの将校になりすましてスパイの教授と会ったと思ったら、今度はその教授になりすまして、本物のその将校に会う。 教授になりすましていると、教授の死体と対面させられ、機転を利かせて何とか脱出に成功する。 エアハルト大佐とシュルツとの無責任な罪のなすりつけあい。 ベニスの商人のシャイロックの台詞を空んじているが、役に恵まれない役者がナチス相手に大芝居を打ってみせる。 最初のヒトラーを演じた役者が、本物のヒトラーになりすます。 最後のオチもハムレット。 危機の連続、笑いの連続で、密度が濃く、まくしたてるような展開で、間延びが無いのが最大の取り柄だ。敵が情け容赦ないナチスなので、緊迫感もある。笑いに必要な、緊張と緩和のめりはりが利いている。よくまあ、これだけ考えたものだと感心する。性に関する下品な笑いが無く、上品で洗練されている。ただ、ナチスドイツによるポーランと進行という一大悲劇を笑いの舞台にしてよいのかと考えてしまう。第二次世界大戦中の製作なので事情は複雑だ。ヒトラーを笑い飛ばしたいという気持ちが昂じて、製作に至ったのだろう。劇中で実際に何人かが死ぬが、それは不要で、笑いに徹して、誰も死なない演出ならもっと楽しめたと思う。ヨーゼフの妻の浮気相手のソビンスキーをもっと可笑しな人物にして活躍させれば、もっと面白かったと思う。安心して観られる作品だ。[DVD(字幕)] 8点(2014-11-28 17:22:19)《改行有》

50.  奇跡の海 《ネタバレ》 生命の自己犠牲をも顧みず、愚直なまでに夫への愛情を貫く純粋な女の物語であり、同時に知的障害を持つ、信心狂いの女が病気の夫の妄想を信じて不幸になる物語である。社会通念からすれば非常識で非道徳的に見える行為が、実は夫の回復を願っての愛情と善意によるものだという意外性と矛盾の提示が本作の狙いだろう。女性を差別し、陋習の残る教会を批判的に描くことで、主人公ベスの正当性を強調している。しかし、どう考えても、ベスの行動は理解を越えるもので、娼婦になって誰とでも寝ることと、夫の回復とがつながるとは思えない。但し、両者を介在するのが神であるので、神を信じるものには真実となりうる。ここに難しさがある。実際、奇跡は起きた。危篤だったヤンが歩けるまでに快復したのだ。さらに、空で鐘が鳴った。この部分はヤンの妄想である、という解釈もあるだろう。悪意を持たない人の行為が全て善だということではなく、全てを相手に与えるという無償の行為が崇高であるということだ。常識的に行動することと、非常識ながら無償の愛に生きる無垢な魂と、どっちが尊いか。これは価値観に拠るだろう。ヤンは自分が性的不能なので、ベスに愛人を作って、その性交渉の顛末を話して聞かせろと懇請する。これが諸悪の根源だ。相手を思い遣っての言葉ではないだろう。ベスを死に至らしめたのはヤンだと断言していい。この人物が奇妙なのだ。脳手術をしたのに長髪のままだし、長期病気を患っているのに全然痩せず、つまり病人に見えないのだ。奇跡の快復の様子も描かれない。彼がベスの遺体を運び出し、教会の墓地での埋葬を拒否したのは、ベスを地獄に送らせないためだが、一方で、他の地に埋葬せず、遺体を石油掘削の穴に投げ込んだのはどうしてだろうか。冒涜のようにも思えるが。ベスや他の人の考えや行動は理解できても、ヤンの行動は理解を越える。不信心の彼に空の鐘が鳴って、どういう意味があるのか。ベスの魂の天国行を確信したとして、そもそもベスの死の責任はヤンにあるのだ。医者の言うように、単なる覗き見趣味の中年男なのではないか。冷静に考えると、結婚前から分かっていた夫の単身赴任が精神的に堪えられないような妻には、幸福な結婚生活は送れないのだ。それを宗教を絡めて、劇的に演出して見せている。二人は最高の夫婦であり、最悪の夫婦である。違う価値観が表裏一体であるということ。それが監督の意図だ。[DVD(字幕)] 5点(2014-11-28 04:30:34)

51.  天使の眼、野獣の街 《ネタバレ》 香港警察の刑事課の監視班に配属になった女警官“子豚”の成長物語。ほとんどが監視・尾行という地味な捜査ながら、きびきびとした場面切替と演出で緊張感を盛り上げており、その手腕は賞賛に値する。主である宝石強盗団の話に、子供誘拐が絡むあたりの脚本は絶妙である。早い時期で誘拐犯を登場させているのは、気が利いている。何度か登場する「小話」も効果的に使われている。緊張ばかりでは疲れるので、その緩和に人情を持ってくるところは脚本の機微であるが、その見せ方に工夫が無く、新鮮味に欠ける。緊張感が弛緩なく持続するため見ている間は飽きないのだが、冷静になって振り返ると、気になる場面がいくつかある。 強盗団の首領のチャンがひと仕事を終えて高跳びしようとする時に、18年間刑務所にいた親分が出所してくる。ひと波乱あると思ったが、何もなかった。肩透かしである。 警察は、チャンの携帯電話と強盗団の手下の携帯電話番号はどうやって知ったのだろうか。 “子豚”がチャンを発見するのが「偶然」なのが興を削ぐ。合理的で科学的な捜査を魅せる映画なのだから、チャン発見は、捜査に裏打ちされた結果であることが自然であり、望ましい。 “子豚”の尾行に気づいたチャンが、“子豚”の席に行き、どうして尾行するのかと詰問するが、これはあり得ないだろう。会話の内容が警察に筒抜けになっているのは容易に想像できるわけで、一刻も早く逃走すべき場面だ。 “子豚”と上司“犬頭”の人情物語が映画の良い味付けになっているが、“犬頭”がチャンに刺されてからの“子豚”の行動が不可解である。人を呼び、救急車を呼んでもらい、素早く緊急止血だけして、すぐにチャンを追えばよいのに、動揺が強く、右往左往している。その前の警察官刺殺事件の轍を踏む失態だ。ここでは“子豚”の成長した姿を見せて、チャンの確保につなげばよい場面だ。 チャンの死に方があまりにもあっけない。ボートで逃走しようとして吊り鈎に首を引っ掻けるという事故死。もう少し華麗な最後にしないと帳尻が合わない。 警察の尾行の方法だが、途中で眼鏡をかけたり、帽子を被ったり、リバースの服を裏返したり等の工夫が全く見られなかった。それくらいの用意はしておくべきではないだろうか。[DVD(字幕)] 7点(2014-11-27 22:47:04)《改行有》

52.  天使の涙 《ネタバレ》 主人公は、殺しの女代理人と聴唖のモウの二人。女代理人は他人との関わり合いを持てない障害がある。殺し屋に惚れているが、直接の愛情表現は出来ず、淡い恋心を彼の部屋の掃除をしたり、ごみを調べたり、彼のベッドで自慰行為をすることで満たしていた。殺し屋が行方をくらますと、心に空洞が開いた。偶然再会して話をきくと、男は関係を解消したいという。彼女は、最後の仕事を依頼し、頭目に「友人の広告を一面に」と伝える。それは標的者に殺し屋の存在を漏らすことで、裏切りだった。足抜けを言い出した者への掟なのだろう。殺し屋は暗殺を仕損じ、返り討ちに遭う。女の心に更に大きな空洞が開いた。 モウは子供の頃、賞味期限切れのパイン缶を食べて口が利けなくなった。芯の無いパインは子供の象徴で、賞味期限切れのパイン缶を食べるのは、ずっと子供でいること。聴唖は伝達能力が劣ることの象徴。父の庇護の元、母の思い出のアイスクリームに拘り、夜毎、他人の店に侵入しては、居合わせた人に商品を売りつける。他人と心を通じ合わせたいのだ。遅い初恋を経験し、父の死を経て、漸く他人の店に入るのはよくないと気づく。大人になったのだ。女代理人は空虚さに耐えきれず、他人の温もりを求めていた。モウは他人と意思疎通ができるほど成長した。そんな二人が出逢った。以前の二人なら、すれ違うだけだったろうが、今の二人は違う。モウは女代理人を後ろに乗せ、夜の街をバイクで疾走する。女はつぶやく。「着いてすぐ降りるのはわかっていたけど、この暖かさは永遠に感じた」女が希望を抱いた瞬間だ。トンネルを抜けると黎明の空が輝いた。映像が感性に語りかけてくるような超感覚の映画で、脚本を忠実に追わなくとも、洪水のように流れる“凝った”映像に酔いしれればよいだろう。音楽の占める比重も大きい。即興的で洒落た作品だ。主題は、都市に生きる男女の孤独と恋愛模様。金髪女は行きずりの恋と知りながら、相手の腕に歯形を残そうとする。失恋女は、見えない恋敵に嫉妬し、恋の相手もころころ変り、昔の恋は忘れてしまう。他人を必要としながらも他人を拒絶してしまうのが人間で、その空回りがいとおしい。疎外感や孤独だけでなく、諧謔も描いているのが特色で、独自の世界観が成立している。演技力と演出の不備で、殺し屋の切なさが感じられなかったのが不満だ。独創的作品で、この映画の賞味期限はまだまだ続きそうだ。[DVD(字幕)] 8点(2014-11-27 01:51:14)《改行有》

53.  千年女優 《ネタバレ》 三十年前に女優を引退した藤原千代子が取材に応じ、過去を振り返る物語。初恋の相手であり、女優となる機縁となった、鍵の君への一途な恋が語られる。回想場面に立花と井田が登場するのが特徴で、中盤からは、井田は役の人物にもなるという斬新な演出。戦国時代からSFまでを演じたので千年女優。主題は一貫して千代子が鍵の君を追いかけること。残念なのは、千代子の目に輝きがなく、顔に生気も感じられず、主人公に魅力が無ければ興味は半減だ。彼女が何故あそこまで鍵の君を一途に思い続けるのかも不明だ。彼女が鍵の君に助けられる等の演出が欲しかった。彼女は類型行動を繰り返し、精神的にも成長しない。何度も地震が起きたり、土蔵の絵画が残ったり、特高が鍵の君の手紙を持っていたりと不自然な点もある。表面だけ追っても理解できない。鍵は、鍵の君の絵画道具の入った鞄の鍵で、これは千代子も承知だ。鍵の君は特高の拷問で死んでおり、彼女は幻を追っていたことになる。追いかけることは、あこがれに向かっていることで、女優であることの象徴。鍵があることで女優でいられた。千代子に恋の呪いをかける老婆はもう一人の千代子。千代子は映画の中で虚構の生を生き、虚構の恋をする。一種の輪廻転生で、それを客観的に見ている自分が老婆。自分に永遠に女優でいる呪いをかけた。だから千代子を生まれる前から知っており、憎くてたまらず、いとおしくてたまらない。鍵をなくして一時呪いの効力は失せたが、鍵が戻り、女優として再生し、撮影途中で投げ出したSF映画を脳内で完成させる。「彼を追いかけている自分が好き」は、女優である自分が好きという意味。最後のロケットがワープ航法で消える場面は、現実での死であり、女優としての輪廻転生からの解脱だ。輪廻転生は随所に出て来る蓮の花で示唆され、ロケット基地も蓮の花の形をしている。劇中、監督が言う。「観客も女優も適当に嘘をおりまぜて乗せてやるんだよ」これは千代子にも当てはまることで、最高の演技をするために、一途な恋を自分自身に演じてみせていた。鍵の君への想いが演技の糧だった。彼女は鍵の正体を知っていたし、鍵の君がこの世にいないことも薄々気づいていた。が、自分に呪いをかけて、永遠に恋焦がれるよう、すなわち女優でいられるよう暗示にかけた。映画も女優も嘘、すなわち虚構である。死ぬまで女優でいることの素晴らしさ。映画愛の詰まった作品だ。 [DVD(邦画)] 7点(2014-11-21 23:56:01)《改行有》

54.  潮騒(1964) 《ネタバレ》 原作は牧歌的な島を舞台に、少年と少女とに芽生えた恋とその成就を抒情的に描いた作品。裸になって焚火の火を飛び越える行為は、文明という皮相の衣を脱ぎ棄て、人間の原初の姿に立ち還ること。原初の人間として純粋に愛しあうことが最も美しい。二人が漁師と海女という、自然を相手とした生業であったからこそ可能だった。その為、映画では、主人公新治と初江の、普段は隠れている未開の自然人としての本来の姿、美質を描くことが重要となる。新治は日焼けした筋骨隆々たる海の男で、島を五周できるほど泳ぎが巧みだ。映画では優男で、とても海の男には見えず,又、泳ぎの巧者という紹介がないため、最高潮場面での嵐の海に飛び込む行為がやや唐突に思える。初江は健康的で純朴、内気だが芯の強さを秘め、野の花を絵に描いたような海女見習いの少女。映画では、申し分のない演技を見せるが、遺憾ながら、少女の美しさの象徴であり、処女を証明する乳房の露出がないので、原作の意図が表現しきれていない。原作では、乳房は欠くべからざる美質として最重要扱いで、詳細に記述する。『それは決して男を知った乳房ではなく、まだやっと綻びかけたばかりで、それが一たん花をひらいたらどんなに美しかろうと思われる胸なのである。薔薇色の蕾をもちあげている小高い一双の丘のあいだには、よく日に灼けた、しかも肌の繊細さと清らかさと一脈の冷たさを失わない、早春の気を漂わせた谷間があった。四肢のととのった発育と歩を合わせて、乳房の育ちも決して遅れをとってはいなかった。が、まだいくばくの固みを帯びたそのふくらみは、今や覚めぎわの眠りにいて、ほんの羽毛の一触、ほんの微風の愛撫で、目をさましそうにも見えるのである』新治が灯台長の家に魚を届けるのは、中学の卒業が困難となった時に、灯台長が学校に陳情して卒業叶ったという恩義があるから。灯台長の娘千代子は、二人の噂を流したことを後悔して、東京から贖罪の手紙を送るが、その心境の変化の理由が明かされない。千代子は顔の劣等感を持っていたとき、新治に美しいと言われて好意を抱くようになったが、東京に戻って島の二人の噂を聞き、真に彼の幸福を願うようになったのである。映画としての出来は悪くないが、奥行きがない。欲望や醜さも描いてこそ、真の人間の美しさが見える。恋愛を魅せる青春映画としては合格だが、人間の真の姿を描く芸術映画としては物足りない。 [DVD(邦画)] 6点(2014-11-02 14:25:34)(良:1票) 《改行有》

55.  悲夢(ヒム) 《ネタバレ》 ジンが夢の中でとる行動を、赤の他人であるランが期せずして夢遊状態で行ってしまうという怪異な所縁で結ばれた二人の物語。 ジンは昔の彼女Aに未練があるのでAの夢を見る、ランは昔の彼氏Bを毛嫌いしているが、夢遊状態でBと逢引する。AとBは付き合っているが心は通わないという関係。精神科医の診断は、二人は一人で、二人が愛し合えば解決する、白と黒は同色であるというもの。二人を知恵を出しあって、ランが夢遊状態にならないようにするが、遂にランがBを殺してしまう。罪の意識に苛まれたジンはもう眠らないと決意するが、睡眠欲には勝てずに飛び降り自殺する。同じ頃、ランが病院で首吊り自殺する。ランは蝶に姿を変え、ジンの死体の傍らに飛んでいき、二人は眠るように横たわる。 幻想物語なので多義的解釈を許すが、全てが夢の中の出来事であるという解釈も可能だ。夢の入れ子状態。 そもそも、他人の夢の通りに行動してしまうというのは超自然現象であり、現実には起こらない。精神科医の診察室も病院らしくない。人物同士が、日本語と朝鮮語と違う言語でも違和感なく通じるのは、夢だからであり、同時に夢と現実は同じという示唆である。ジンがいつも黒服、ランがいつも白服なのは、二人は表裏一体という意味だが、夢の中だからと考えた方が自然だ。ランが蝶に姿を変えるのは、現実と夢の区別がつかない「胡蝶の夢」の故事にちなむ。二人は戸惑いながらも、少しずつ愛を育んでいくが、「どんな夢でも、もう恨まない」というランの言葉で愛が成就した。究極の愛は自己犠牲である。だからジンは自殺し、ランも後を追った。二人は、ロミオとジュリエット。Bがランの自殺を幇助したのは、二人の気持ちを理解し、二人の幸せを願ったからだ。悲劇で終る夢だから題名が「悲夢」なのである。ジンが篆刻師で、ランが服飾意匠師なのは、印鑑を紙に押すと文字が逆転し、服を変えれば別人に見えるという暗喩。独創的な着想には感心するが、見せ方がぎこちない。より幻想的な演出が好ましい。ジンが饒舌すぎて映画の雰囲気を壊し、究極の愛を演じるには演技力不足である。何より二人が愛し合っているように見えないのが短所だ。徐々に惹かれあっていく、繊細な二人の心の機微が窺えないことには感情移入できない。[DVD(字幕)] 6点(2014-11-01 16:10:20)《改行有》

56.  春夏秋冬そして春 《ネタバレ》 水中から樹が生える不思議な山の湖に浮かぶ寺院舞台に、人生を四季になぞらえて描いた仏教説話。小坊主がいたずらで、魚と蛙と蛇に石を括りつけて苛める。老僧は懲罰として小坊主の体に重石を巻き、いじめた動物を助けに行き、一匹でも死んでいたら、お前は心の中に石を抱えて生涯を生きると予言する。魚と蛇が死んでいた。少年僧となった小坊主は、少女との愛欲に溺れて寺を出奔、その十数年後に妻を殺して舞い戻る。老僧は、男が自死しようとするのを諌め、般若心経を彫らせることで精神の安らぎを与える。男が刑事に連行されるのを見送った老僧は焼身往生を遂げる。男は服役を終えて帰門し、老僧の衣鉢を継ぐ。ある日、覆面の女が赤子を捨てて去ろうとするが、事故で死ぬ。女の菩提を弔う為、男は苦労して仏像を山上に安置する。男が土台石を引きずる姿は、かつて男に苛められた小動物の姿そっくりだった。赤子は成長し、動物をいじめ始める。過ちと償いが繰り返えされ、かくて人生は流転する。人は、いたずら、執着、愛欲等で過ちを犯すが、どのような棘の道、艱難辛苦であろうとも、最後には安らぎを得るという有難い教え。予定調和な仏教説話の範疇を出ておらず、あくの強いこの監督の作品としては物足りない。奇跡を示現するような作品がふさわしい。水は神聖と浄化の象徴で、水上の寺院は超俗と孤絶を表わす。壁のない扉は見えない戒律。蛙が生き残ったのは偶然だが、神の視点では偶然も必然。男が仏像を持ち去ったのは絶ち切れぬ仏教への愛執。鶏を持ち出したのは、閉塞の象徴の鶏を自由にすること。老僧の超能力めいた力は、金剛密教の修行の成果。焼身往生するのは、入滅の時期を悟り、最後の功徳を積むため。男が氷った舟から掘り出したのは聖者の遺骨こと舎利で、それを氷仏像の白毫に入れ、最後は溶けて自然に還る。女が布で顔を隠すのは、最初から子を捨てる目論みだったのと、女は特定の誰かではなく、あなたかもしれないという示唆。「閉」の字で目鼻を覆い、般若心経を彫るのは、文字に聖なる力が宿ると信じているから。猫の尻尾で経を書くのは、他に太い筆が無いことと、何事にも自然に臨機応変に対応する老僧の才覚の表現。老僧が蛇に変身するのは、蛇が神秘の象徴だから。残念な点。老僧が自由に舟を操れるなら、舟を戻すのに紐付鶏を利用する必要はない。仏像を据えた山上に雪が無かった。裸での冬季登山は難しかったのか。[DVD(字幕)] 7点(2014-10-31 19:22:03)

57.  ブレス 《ネタバレ》 大変風変りな作品だ。表面上は、破局の危機に陥った夫婦が再生するという愛の寓話。夫の浮気が原因で、夫婦関係は完全に冷え切っている。妻ヨンは空虚で閉塞的な毎日を送っていたが、ある日自殺未遂をした死刑囚のニュースを見て惹かれる。孤独と自殺願望という共通点があるからだ。彼女は死刑囚に会いに行き、謎の保安課長の計らいで、特別に面会が許される。ヨンは子供の時の五分間の臨死体験を語る。体が風船のように大きくなる、いわば万能感で、「悪くない感覚」だ。死刑囚はヨンの髪の毛を抜くが、髪は女の象徴で、彼が性愛を欲していること。ヨンは面会を重ねるごとに春、夏、秋の四季の演出で死刑囚を愉しませる。妻の行動を知って驚いた夫が叱責、諫言すると、妻は自動車自殺を図る。夫は悔悛し、愛人と別れ、妻に許しを乞う。妻の氷の心は漸う溶けていった。自分の自画像として製作した、胸に穴の開いた天使塑像を粉々に砕き、わざと汚して捨てた夫のワイシャツを持ち帰る。 最後の面会で、ヨンは死刑囚の口と鼻を塞ぎ、臨死体験を追体験させようとした。しかし、死刑囚は苦しみもがくばかり。ヨンは、二人の間に共通点など無く、死刑囚が自分に会うのは、性愛目的だと悟った。ヨンの心は再び夫の元に戻った。死刑囚は、ヨンという希望を失くして絶望した彼を憐れんだ同室者によって殺された。謎の保安課長は、監督自身が出演している。映画に自分自身を投影している。保安課長は、さしたる信条もなく、覗き見的好奇心のみで恣意的に命令を下す。監督の指図一つで物事が決められ、俳優が動く。高慢になった自分を卑下し、揶揄する自虐的演出。ヨンの面会の奇矯な演出と下手な歌は、監督の過去の作品の自己評価で、碌な作品しか作ってこなかったという自省が込められている。映画製作に行き詰まり、自己嫌悪に陥った監督が、もがき苦しみ、暗中模索する中で思いついた、切羽詰まった末の演出なのだろう。その時の、息もできない体験が題名となったと思う。ヨンが自分を見つめ直すことで立ち直ったように、監督も自省することで立ち直った。死刑囚は、金や名誉を求めるもう一人の監督で、再生するためには、彼が死ぬ必要があった。自己再生は自分殺しでもある。愛の寓話の映画であると同時に監督自身の再生の実録でもあるという、映画の表現として極めて斬新な作品だ。ある意味、独りよがりだが、ふざけているのではなく、至って真摯だ。[DVD(字幕)] 7点(2014-10-30 16:51:59)《改行有》

58.  絶対の愛 《ネタバレ》 恋愛倦怠期にさしかかった恋人同士、ジウとセヒの物語。セヒは、恋人のつれない態度に疑心暗鬼となり、彼が自分に飽きてしまったのではないかと深く憂慮し、起死回生の策として、何も告げずに行方をくらまし、顔を整形手術し、別人スェヒとして恋人の前に姿を現した。スェヒの期待した通りに事は進んで二人は恋人関係になるが、ジウがまだセヒを愛していることが発覚し、過去の自分に嫉妬した彼女は、自分はセヒだと正体を告げる。驚愕したジウは惑乱し、錯綜の果てに、自分も整形して別人になろうと失踪する。ジウを一心不乱に探すスェヒだが、ジウの姿は見え隠れするものの、本人には出会えない。そんな中、ジウらしき男が交通事故に遭って死亡する。錯乱状態に陥ったスェヒは、整形外科医の勧めで、再度整形手術を受けて別人になろうとする。 原題は「TIME」。どんなに深く愛し合った恋人同士でも、時の経過と共に恋の新鮮さは減じてゆくが、それを潔しよしとせず、別人になることで愛情を取り戻そうという話。現実には元恋人であれば、いくら顔を変えても、声や口調が同じならすぐに本人とばれてしまう。特に房事での艶声は変えられないだろう。映画では、掌を合せることで相手を確認しようとしているが、まどろこしい。ちょうど小道具に使えそうな掌の彫刻があったから、思いついた発想だろう。掌は温みがあり、恋人の暗喩として最適である。その掌の彫刻が、満ち潮で海に半ば浸かっている景色で、恋の終わりをを表現している。対照的に、セヒが過去の自分と別れを決意する場面では、自分の写真を足で踏みつける。大木をジウとスェヒが蹴りつける場面が二度出て来るが、大木は年輪を重ねることから時間の象徴であり、二人が時間を憾む気持ちを表現している。小道具の使いかたは巧みで、映像表現技法の冴えはみられるものの、あまりにも現実離れした話なので、心は動かない。こういった内容の話であれば、時代を未来にし、整形して超絶美人に変貌するような設定にすれば良い。それなら誰もが納得し、興味が湧くだろう。物語は冒頭と最後がつながる円環構造となっているが、意味がない。ちょっとした仕掛けで観客を煙に巻こうとしただけかもしれない。時間が円環することと、作品の主題とが結びつかないからだ。[DVD(字幕)] 6点(2014-10-29 20:18:41)(良:1票) 《改行有》

59.   《ネタバレ》 源氏物語の若紫巻に少女を略取し、理想の女性に育てて妻とする話があるが、それの老人版。南方浄土をめざす補陀落渡海も連想させる。弓は曲線で女性、矢は直線で男性器及び男性、弓矢で夫婦和合の象徴となる。弓は、昼は少女の守護をし、夜は音楽を奏でて少女を慰撫する。弓占いは、少女が神性の宿る巫女であり、同時に少女が老人に全幅の信頼を置いていることの証しだ。 船は仏画が描かれ、いわば神殿である。絶海にあるのは俗世間と隔絶する意味と水の浄化作用が必要なため。少女が大人になるには十年の歳月が必要だが、同時に水による浄化も必要。 老人の祈願は聖少女と夫婦になることだが、その本質は若さを取り戻したいという願望。若さとは永遠の命のこと。 老人は日々少女を慈しみ育て、結婚の日を心待ちにしていた。が、思わぬ邪魔立てが入る。少女が釣客の青年に恋をし、青年も少女を連れて行くという。老人は青年を射殺そうとするが、少女が身を挺して庇う。諦観した老人は自死を図るが、それに気づいた少女に助けられる。老人の純粋な愛を知った少女は老人との結婚を決断する。 小舟で結婚の儀式が執行される。老人は天に矢を放ち、海中に身を投じる。永遠の命を得るには肉体は滅びなくてはならない。老人の霊魂は天上に昇り、矢と融合して小舟に還ってきた。少女はその霊魂と交合し、初夜を終える。処女で無くなった少女は神性を失い、俗世間に帰ってゆく。そこで新しい人生が始まるのだ。 多義的解釈のできる寓話に満ちた内容で、現代の神話である。永遠の若さを求めるのは古くからの人類の欲望だ。それを監督は「ピンと張った糸には強さと美しい音色がある。死ぬまで弓のように生きていたい」と表現する。神話といってもきれいごとばかりではない。老人は決して聖人ではない。嫉妬深く、暦をごまかし、青年を殺そうとし、自死の時もナイフを隠して、苦しさのあまり綱を切断しようとしたことを少女に分からないようにする。少女も排尿姿をさらけ出す。純粋で美しいな部分も、利己主義で醜い部分も。清濁併せ持つのが人間の本来の姿だ。老人が本来の姿をさらけ出すことで、思いが生も死も超越して少女に届き、結婚の願いが叶った。青年の登場は、実は老人の宿願達成には必要だったのだ。青年が少女の両親を探し出す部分は不要だろう。両親がすぐに乗り込んでくる筈だから。相手が老人だけに感情移入はしにくい。 [DVD(字幕)] 8点(2014-10-28 20:50:18)《改行有》

60.  サマリア 《ネタバレ》 【バスミルダ】聖娼婦をきどり、無垢な笑顔をふりまき売春をする女子高生ジョヨン。親友のヨジンはジョヨンを理解できない。不潔な男に抱かれて彼女の肉体が汚れていくと案じ、銭湯で体を洗ってあげる。そこに肉体は確かにあった。ジョヨンは窓から飛び降りて重態になる。客の一人に会いたいという彼女の願いを叶えるため、ヨジンは体を提供して客に病院に連れていくが、彼女は亡くなっていた。【ソマリア】親友の死を乗り越えるため、ヨジンは売春を決意する。映画「悪い女」と同じ構図だ。「悪い女」では女子大生が売春婦のまねをして売春婦を理解するが、ヨジンもジョアンのまねをすることで彼女を理解しようとする。但し、お金を貰うのではなく、ジョヨンの受け取った報酬を返すのだ。ヨジンは、売春は汚い行為ではなく、無償の愛で男を癒す聖なる行為だと理解し始める。仏頂面の多かった彼女が、ジョヨンが同化したかのように笑いが絶えなくなる。聖書のソマリアの女がイエスに出会ったことで生き方を変えたのと同じで、ヨジンも変った。ジョヨンはイエスだ。家族がいないのは当然。イエスは復活のために死を選んだ。だからジョヨンも笑顔で飛び降りた。ヨジンはジョヨンの精神を纏い、復活の準備をする。【ソナタ】ヨジンの父親は、娘の売春を知り衝撃を受ける。怒りは娘ではなく客に向けられた。石を車に投げて糾弾する姿は、聖書の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけがこの女に石を投げなさい」に対応する。姦通罪の女を糾弾する人々に対してイエスが放った言葉だ。怒りで殺人まで犯してしまった父親は気付く。自分には客や娘を断罪する権利はない。自分も汚垢の社会に生きる罪人なのだと。会話は無いが、娘は父が自分の売春を知っているのを知る。父の嘔吐に対して娘は嗚咽で答える。娘が、父に殺される夢を見るのは娘にも罪の意識があるから。ヨジンが車の妨げとなっている石を取り除くが、これは石を投げた父親の罪の贖罪を表現している。父親にとって娘はイエスだ。かくてイエスは復活した。ソナタは車の名前で、運転は世渡りの象徴。父は、娘に世渡りの方法を教え、自首する。父の乗った車を娘の車がよろよろと追うが、ぬかるみに嵌って立ち往生してしまう。まだ若いヨジンには、前途に乗り越えるべき障害がいくつも横たわっているのだ。黄色い塗料には警鐘の意味がある。聖書を現代に翻訳した、残酷で美しい幻想映画だ。[DVD(字幕)] 9点(2014-10-28 11:27:33)

020.24%
1101.22%
2131.58%
3334.01%
4556.68%
510512.76%
619023.09%
721225.76%
811714.22%
9698.38%
10172.07%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS