みんなのシネマレビュー |
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661. リンダ リンダ リンダ リアルで独特で抜群の間を持つ山下敦弘監督の映画ではあったが、この作品のソレはどこか違和感を感じる。壊滅的な違和感ではなく、これまでの山下監督の作品と比べての違和感。きっと女子高生たちが作り出す間に対する個人的な思い込みに寄るところが大きいのだろうと思うのですが、もしかしたらメジャーな映画たる題材と、けしてメジャーにはならない山下ワールドとの同居がもたらす違和感なのかもしれません。仲間内だけで映画を作る素人っぽさが画面から溢れるところもこの人の好きなところなんですが、新しいスタッフを抱えた今作でも、学園祭をあまりにもいいかげんにビデオ撮りする学生の描写に、いいかげんな中にも新鮮さと楽しさがある山下監督の映画作りの原点を見た気がします。だいたい作中でもバンドのメンバー選びからしていいかげんこのうえない(笑)。物語の構成もいい。青春って大人になってから省みると劇的なこともあっただろうけど、真っ最中にはひとつの出来事として通りすぎてゆくにすぎない。この作品ではバンドメンバーのいざこざはあっても感動的な仲直りは無い。芝ロックを成功させてもそれぞれの成長は見えない。プロ顔負けに演奏が上達しているわけでもない。ここぞという場面での告白も無かった。ただ時間だけが過ぎてゆく。でもとても貴重な、そして忘れ得ぬ時間が。それがいいんです。成長って目に見えるとうそ臭くなりますから。感動って演出されるとうそ臭くなりますから。[映画館(字幕)] 7点(2005-09-22 13:00:18)(良:2票) 662. EUREKA ユリイカ 理不尽な暴力を描いた『Helpless/ヘルプレス』に対し、理不尽な暴力がもたらすものが描かれたのが『EUREKA ユリイカ』。九州の田舎町で唐突にして理不尽極まりないバスジャック事件に遭遇した3人は、その後過酷な運命を強いられる。心に深い傷を負った3人に追い討ちをかけるように興味本位で見るまわりの人間たち、そしてどう接していいのか解らない家族たち。本人たちにしか解らない心の葛藤を長すぎるくらいの間をとって丁寧に描き出そうとする。喪失した何かを見つけるために旅に出るというわかりやすい展開へ進み、セピア色がラストでカラーになるというこれまたわかりやすいオチは、シリアスなテーマよりも映画としての構成や時間の表現に拘ったからでしょうか。PTSDや少年犯罪というディープな社会色を前面に出しながらも、やっぱりこの映画の最大の魅力は、こういった「見せ方」にあるような気がします。ラストでカメラは上昇し、主人公たちを支点にぐるぐると廻り出します。『Helpless/ヘルプレス』のオープニングであてもなく空から下の世界を映しながらさまよっていたカメラがようやく何かを発見したかのように感動的に廻ります。[DVD(字幕)] 7点(2005-09-15 14:22:49)(良:1票) 663. WiLd LIFe jump into the dark エピソードごとの章タイトルが楽曲のタイトルというのは、ミュージシャンとしての経歴を持つ青山監督ならではの遊び。現在と過去を自由に行き来する構成の中で、ふんだんに映画的遊びを盛り込み、そのうえでバイオレンスとアクションとサスペンスとロマンスをミックスさせながら、ストーリーを破錠させずに仕上げた見事な手腕に脱帽。潰れたパチンコ店主との会話をワンシーンで見せる中で主人公をあり得ない場所に移動させてみたり、警察の取り調べをこれまたカットを割らずにカメラがぐるっと回ると主人公と社長が入れ替わってたりという『チンピラ』の過去と現在を同時に捉えた画と同様の遊び感覚の演出も面白い。小手先の演出ととられかねないこういった遊びが個人的に好きなんですよね。だからferoさんのご指摘の車中での心境の語りのシーンも青山監督の遊びだと思って見ていたのでけっこう心くすぐられました。小手先の演出でも映画にしかできない演出ならば、やっぱり惹かれちゃうんです。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-09-14 12:02:45)《改行有》 664. チンピラ(1996) 冒頭の海の画から惹きつけられ、その後も何度となく映される美しい情景の画を挟んで時間を逆行させる構成が「映画」らしくていい。石橋が殺されるシーンの、パチンコ台のガラス面がフッと暗くなることで誰かが後に立っていることを解らせるという細やかな演出が、同時に青山映画独特の負のオーラをかもし出している。終盤では、ダンカンとの出会いを回想し、そこからカットを割らずに現在の大沢を映し出すという面白い演出も披露されていて、最初の痛いシーンを除けばかなり私好みの映画でした。青山監督は田舎の景色をうまく使って映画に深みを与えるのがうまい。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-09-13 15:53:50) 665. Helpless 青山真治、劇場用映画デビュー作にして衝撃作。一見どこにでも転がっていそうなバイオレンス映画でありながら、どこにもないバイオレンス映画。自分の世界の中だけで様々な葛藤や苛立ちを解決するために暴力という手段が選ばれるという、その手軽さと理不尽さという、暴力の本質みたいなものが強烈に描かれる。この作品で描かれる事件は、実際にあればとんでもないニュースになるほどの衝撃的事件だし、妹を射殺しようとするヤクザなんてのは類稀なるセンセーショナルな事件なわけですが、あまりにもその異様な光景が当たり前に存在する世界として目に飛び込んでくる。日常にある暴力ではなく、日常に潜む暴力が描かれる。負のエネルギーがいつでも手招きしている日常、というこの作品の世界観に圧倒されました。こわい映画です。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-09-12 17:02:05) 666. 今日から始まる 貧困からくる大人たちの心の荒れ、そしてその犠牲となる罪無き子供たちを救うために奮闘する教師の物語。教師と子供たちの関係よりも子供たちの親との関わり、福祉課の役員との関わり、さらにはその上の政府との戦いが描かれ、そのうえ教師の家庭における親としての問題を描いてゆくことで非常に多面的に教育の理想と現実を見せてゆきます。希望らしい希望というのは描かれず、ひたすらに答えの見出せない現実を目の当たりにします。しかし、祭りを彩った子供たちの作ったカラフルなペットボトルの飾りつけがモノトーンの町並みを元気づけ、陽の光や子供たちの笑顔が確かなる希望を演出していた。地元のアマチュア俳優や園児たちの自然な演技が、ドラえもんさんのおっしゃるようにドキュメンタリーさながらのリアリティを創造していました。[DVD(字幕)] 7点(2005-09-09 11:59:25) 667. ケス 《ネタバレ》 閉鎖的な社会環境が残酷なまでに映し出される。ある時期の炭坑町ゆえの、大人も子供も希望を持ち得ない過酷な社会を冷淡に描き出し、その中で少年ビリーの日常を暖かい眼差しで描き出す。ビリー役の子が容姿も表情もこの役にピッタリで、ついつい小さな身体で過酷な社会に冒されながら賢明に生きるビリーを応援したくなるわけですが、応援なんていらない!とつき返される具合で、それでも見守らせてください、てな感じになるわけです。「ケス」という一筋の光がどんどんと大きな光となってゆく様を良識ある教師と共に感じていたところで、突然荒んだ社会に握りつぶされて映画は終わる。哀しい現実を見せてすぐに終わる。きびしい現実を再認識するとともに、悲しいけど少し大人になったビリーに「負けるな!」とつぶやく、、そんな後をひくエンディングでした。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-09-01 13:59:21) 668. 偉大なるアンバーソン家の人々 『市民ケ-ン』とはある意味正反対の人生を送った男の孤独を描く。アンバーソン家の繁栄と衰退の歴史を、自動車の登場という時代の流れとともにスムースに見せてゆきます。破産後からラストシーンまでのあっさりとした展開とあっけない幕切れ、、もしかしてこれがいじられた個所なのでしょうか。だとしたら、登場人物の描写から時代背景まで実に丁寧に描かれていただけに残念です。時代が動くことを暗示させるダンスシーン、わがままし放題だった主人公の行く末を見届ける気持ちが時の流れとともに薄れゆく様の無情さ、大きな時の流れの中で人間の小ささが際立つ。、、うーん、やっぱりラストが、、。オリジナル版が見たい![ビデオ(字幕)] 7点(2005-08-26 19:00:27) 669. 忘れられた人々 メキシコの貧民街に住む不良少年たちが盲目の大道芸人を襲うその残酷性に衝撃を受け、残酷の中に微かだけど確実に存在する光を何度も垣間見せては、大人たちが叩き潰すという悪循環を最後まで見せつける。「最後まで」というのが重要で、物語性を出しすぎずに現実を冷徹に描いたところに、並々ならぬメッセージ性を感じる。貧困がもたらす悪循環を強調しており、ブニュエルが肌で感じたこの国の抱える問題に真向から取組んだ作品と言える。ヨーロッパ時代のブニュエルの作品からは想像できないほどのストレートな訴えをびんびん感じます。一方で、夢のシーンに代表される幻想的かつ本質をえぐりだすような映像は、その後のブニュエルを彷彿させる。ブニュエル流リアリズムはどこかが違う。[映画館(字幕)] 7点(2005-08-25 19:02:33) 670. パリ空港の人々 《ネタバレ》 『ターミナル』のレビューでも少し触れましたが、『ターミナル』も『パリ空港の人々』も元ネタは同じ実在の人物です。内容は全然違うのですが、大きく異なるのはこちらは「人々」とあるようにひとりぼっちじゃないということです。何年も空港に住んでいる(出られない)先人たちがいるというところ。その生活感溢れる特異な日常がなんともおかしく、そしてなんとも寂しく描かれてゆきます。マリサ・バレデス(主人公の奥さん)の空港外での奮闘と、意を決して片道キップで空港内に入って出られなくなるオチの面白さを見て、(反対に)スピルバーグのコメディ・センスの無さを痛感しました。パリを見たことがない少年のために皆で外に出るシーンの開放感。夜のパリの情景をバスの窓から映す、そして外を歩く人達に風が吹き付ける。たったそれだけで『ターミナル』ではけして感じることのできなかった開放感をこの作品は感じさせてくれます。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-08-24 15:42:50) 671. 天井桟敷の人々 昼ドラの凄いやつ、、と言ったら陳腐に聞こえるかもしれませんが、要するに大恋愛劇です。男女の恋愛という色褪せぬテーマを軸にそれぞれの人生模様を描いてゆきます。ナチス占領下で作られたことを皆様のレビューを見て初めて知りましたが、なるほど、演劇を楽しむ大衆といい、自分の気持ちに正直すぎる恋愛感といい、実に「自由」への渇望とか宣言が前面に出ているなぁと思わなくもないです。主要人物がそれぞれ初めて画面に登場する度に、その人物がどんな人物であるかを丁寧に描写することで、素直に作品の世界に入ってゆけます。そしてなんといっても、当時の大衆娯楽である演劇に群がる人々の笑顔と楽しいヤジから伝わるその地その時代の空気というか、そういうものが画面に溢れていて素晴らしいです。芝居小屋が立ち並ぶ街のセットがこの作品を名作に押し上げた一番の功労者のような気がします。[DVD(字幕)] 7点(2005-08-23 14:22:54) 672. オリバー! 一人にスポットライトを当ててその華麗なダンスを見るよりも、大勢の人達が画面の外でも踊っているくらいな大団円を見せてくれてこそミュージカル映画の醍醐味を味わえると考える私にとっては、非常に満足なシーンが2ヵ所あった。オリバーがロンドンに着いてからのロンドンじゅうで歌い踊るシーンとオリバーがもらわれていった裕福な土地での大ミュージカルシーン。酒場のシーンも盗みを教えるシーンも楽しかったけど、上にあげた2ヶ所のシーンは私の中では最もハイパフォーマンスなミュージカルシーンとして刻まれています。屋内の暗さやクライマックスの盛り上がりの足りなさがかなり気になりますが、6点にするにはしのびないほどこの2つのシーンがお気に入りなのでちょっとおまけして7点献上。ホントは2ヶ所といわず、3ヵ所4ヶ所とあってくれたら、もっと良かったんですが。[DVD(字幕)] 7点(2005-08-19 13:59:50)(良:1票) 673. 邪魔者は殺せ 皆様がおっしゃるように『第三の男』に通ずるモノクロの画面における光と闇のコントラストが絶品。キャロル・リードというよりも『第三の男』でも組んだカメラマン、ロバート・クラスカーの技ということでしょうか。ノワール的な色合いを見せながらも、描かれるのは犯罪でも逃亡でもなく、そこに関わる様々な人々の様々な思惑。ベルファストという特異な地域ゆえの逃亡者との関わりが丁寧に描かれてゆきます。人を計画外に殺めてしまうくだりの描写にチープ感を拭えませんが、その後の人物描写の巧みさを堪能できればあまり気になりません。追跡者、協力者、密告者、英雄視する民、仲間、裏切り者、神に委ねる者、賞金を狙う者、芸術のモデルにしようとする者、それぞれの思いが交錯するドラマを最後には愛に殉じる女が締めくくる。脚本もうまいってことです。[DVD(字幕)] 7点(2005-08-17 12:20:33)(良:1票) 674. シンドラーのリスト この作品と同じ年に『ジュラシック・パーク』が製作されている。リアルな恐竜の映像化に成功した後、スピルバーグはあり得ないものをリアルに映し出すことに拘りを見せ続ける。しかし、『シンドラーのリスト』の映像は『ジュラシック・パーク』以降のリアルな映像とはアプローチを異にする。それは、どんなにリアルな映像を作ったとしても、現代でも見ることが出来る写真や記録映像に「リアル」という部分においては必ず劣ってしまうから。そこで監督はイマジネーションの映像化ではなく、歴史の証人たちの証言の映像化というアプローチでこの大事件を描き出す。そのことによってアウシュヴィッツの大量虐殺を映像にせず、噂話による人々の不安を描くことで、観客に信憑性のある恐怖の世界を見せてゆく。アウシュヴィッツに送られた女・子供たちが目にする煙突の煙もまた、その場にいた者だけが感じる恐怖の象徴として我々の目に強烈に焼き付く。ストーリーの中に別のストーリーを入れるというスピルバーグの特徴も、この作品では見られないが、それはこの歴史的大事件においては入れるスキが無いということと、それだけ真摯に証言の映像化に取組んだからではないだろうか。見た目のリアルではなく、その時、その場所の恐怖を、様々な映画的工夫を凝らして再現しようとしている。ひとりの少女をパートカラーで映し出すことで、大量の死を目の当たりにする我々がおざなりにしがちな一つの命の重みを映し出す。[映画館(字幕)] 7点(2005-08-09 13:48:18) 675. 続・激突!/カージャック スピルバーグの描く「身近な恐怖」の原点が『激突!』ならば、スピルバーグの描く「ヒューマニズム」の原点は劇場用デビュー作となる今作だろう。裁判所の決定により奪われた子供を取り返すべく法を破り奔走する男と女。子を想うがゆえの実際にあった事件にスピルバーグが心を動かされたことは、その後の彼の作品を見れば理解できる。主人公二人が法を犯す行為はもちろん誉められた行為ではないが、子供が待っているという残酷な嘘をつき、さらには二人を射殺しようとする法の番人と、どちらが人道上の罪にあたるかは一目瞭然。そうやって人間らしい主人公二人に感情移入させ、人間を見ずに罪だけを見る法の矛盾を露呈させてゆく。アメリカン・ニューシネマをなぞっただけのありきたりな作品とも言えるが、大量のパトライトの行列やラストのキラキラなど、印象的な画が映画を見たという満足感を与えてくれる。私が一番印象に残った画は、二人組のよその管轄の警官が出動するシーン。あんな美しい空の画はそうそう見れるもんじゃない。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-08-08 17:58:02)(良:1票) 676. ポーラX この作品の予告編がものすごいインパクトを持っているんですが、本編は期待しすぎたせいか予告編以上の感動がなかった。でも予告編にインパクトがあるってことは、それだけ印象的な画が間違いなくあったってこと。映画に嫌われて8年の空白をあけてようやく帰ってきたカラックスのこの作品の主人公はこれまでのカラックスの作品同様、身体の一部を損傷します。指の怪我から別の世界への旅立ちが始まります。終盤には杖無しでは歩けず、視力も失いかけてゆきますが、前作『ポンヌフの恋人』の男女の損傷を一人で背負っていることになります。さらに舞台を華やかなフランスの中にある難民問題を抱える闇の部分とすることで、主人公をとことん落としてゆきます。新進気鋭の謎の作家として世間を賑わし、手のひらを返したように「妄想と混乱の産物」「ただの模倣」と酷評を受ける様からも、まちがいなくカラックス自身を被せています。自分の魅力が未熟さにあることを悟り、ある意味開き直って作ったような気がします。アレックス三部作が青くて痛かったように、この作品にはカラックスの絶望がストレートに表現されている。これまでの作品でスクリーンにみたてたウィンドーガラスを木端微塵にしてしまう辺りにこだわりを感じます。と同時に映画との決別の意味かとも思えて、次回作も見たいと思っている者としては気が気じゃないです。駄作と評されていようが私にとっては惹かれる作品であり、惹かれる作家です。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-15 20:05:03) 677. ボーイ・ミーツ・ガール カラックスが自らの本名である「アレックス」を主人公に与え、前衛的手法と古典的題材でもって「ゴダールの再来」とまで言わしめた、弱冠23歳での長編デビュー作。目元のどアップを画面に被せたり、リズムを切る画の無いカットといった懲りすぎともとれる様々な技法は意識的にヌーヴェルバーグをなぞっているように思う。パーティシーンでの「はじめに言葉ありき」というパーティ客のセリフとアレックスのことをアレキサンデルと呼ぶパーティ主という描写はタルコフスキーの『サクリファイス』からの引用かと思ったら、『サクリファイス』は86年でこの作品より新しいので、タルコフスキーもカラックスも別の何かから引用しているのかもしれません。ピンボールとロックがヴェンダースを彷彿させるのも私の思い過ごしかもしれません。しかし美しいモノクロはノワールを彷彿させるし、見知らぬ男女の回転するキスシーンは(特にアメリカの)恋愛映画を彷彿させます。女の部屋の一面がガラス張りなのはまさにスクリーンを彷彿させます。ラストではそのスクリーンの向こうに観客までいます。ヌーヴェルバーグ、中でもゴダール的に料理した作品だと思いました。瑞々しさよりも痛々しさが上回るところがカラックス風味といったところでしょうか。 //追記(09.6.2)「はじめに言葉ありき」は新約聖書からの引用でした。いやはやお恥ずかしい・・・。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-11 18:09:23) 678. 愛のめぐりあい フランスとイタリアの4つの都市を舞台にした4話からなるオムニバス。なんでも、一度倒れて、その後遺症で言葉を発することができなくなったアントニオーニに対して制作費を出す条件がヴェンダースを共同監督とすること、だったそうで、ヴェンダースはこの作品の前と後、そして各エピソード間の挿話を撮っている。ヴェンダースが担当するのは第2話で登場するマルコビッチ演じる映画監督が次回作の舞台選びに4つの都市をまわっていくという所謂ロードムービーなわけで、彼らしさが発揮できる展開なわけで、当然こちらはアントニオーニとの高度な映像バトルを期待したわけですが、意外にも全てがアントニオーニ色に染まっている。もちろんアントニオーニの映画なので、ヴェンダースがアントニオーニ風に撮ったのでしょうが、そもそもヴェンダースの中にアントニオーニ的なものが備わっていたのだろうと思いました。とか言ってるあいだに4つのエピソードに関するコメントを書くスペースが無くなってしまった(トホホ..)。「ありえない恋の話」の町並み、「女と犯罪」の港、「私を殺さないで」のガラス張りの建物、「死んだ瞬間」の教会、どれもが有名無名の俳優たちが見事に情景に溶け込んだ美しい作品でした。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-08 15:09:23)(良:1票) 679. さすらいの二人 嘘やしがらみにまみれた希望の無い現実世界から逃避する、放浪三部作の三作目は、舞台を北アフリカから出発し、バルセロナへとさまよわせる。殺伐とした現実を伝えなければならないという職業の主人公は自らの人生をリセットするかのように、別人として生きることを選択する。そうすることによって今まで見えていなかっただけかもしれない希望を見出そうとしたのかもしれない。行きずりの女とガウディの建築物が希望を垣間見せたかに見えるも、追って来る現実からの逃避行が始まる。ラストの息を飲む長回しの後の死の意味するものはなんなのか?『欲望』『砂丘』ともが、全てが現実逃避の仮想世界ととれなくもなく、そう考えると最初の死体は実は...いや、考えすぎか。 それにしてもジャック・ニコルソンという個性の塊みたいな顔が不思議にアントニオーニの世界に馴染んでいるのには驚いた。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-07 18:40:59) 680. 砂丘 『欲望』に次ぐ放浪三部作の二作目は、音楽はハービー・ハンコックからピンクフロイドへ、舞台をロンドンから南カリフォルニアへ移す。自由を勝ち取るための学生紛争の不自由さから逃れるように一人の青年が砂丘地帯へやってくる。そこで同じく大人社会から現実逃避的に一人さまよう女と出会う。この若い男女の顔がなんともアントニオーニの映画に映える。とくに男のほう。ドラッグ効果も相俟って男と女の間に幻想的な世界が繰り広げられる。愛が無限の広がりを見せる様を美しく映し出した画は圧巻の一言。爆発シーンはアメリカ映画っぽく、アウトローの死もアメリカン・ニューシネマを彷彿させるが、アントニオーニの意図やいかに? ともあれ、アントニオーニらしい不条理感に溢れた作品であることは確かである。そして『欲望』と同じく、この作品もまた、男と女の出会いすらが幻想だったかもしれないという、ストーリー不在の作品である。[ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-06 16:35:57)
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